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第16話 彫刻家

 脳のひだに刻まれた屈辱は、何年経とうが夢に出てくるものだ。

「おぉ、角さん」

 革張りのチェアに深々と座った老人が、人を食ったような顔をほころばせていた。飄々とした風体の老人は気力十分。対する俺は、夢破れてどん底にあった。しぼんだ全身を精いっぱい震わせて、言葉を絞り出す。

「小生、万策尽きた。物価の上昇、もはや手に負えず。インフレ退治のため、どうか蔵相を引き受けていただきたい」

 老人の目がわざとらしくかっぴらく。芸達者なものだ。すでにこの場に俺が足を運んだ時点で、こうなることは予想していたはずだ。

 帝大卒、大蔵省出身の老人は、政界随一の財政通として知られていた。財政規律を主張してきた老人は、本来、俺の列島改造論を無用な財政出動と見なす天敵だった。

 だが、今はこの老人を頼るほかなかった。愛知揆一(きいち)――俺の懐刀で蔵相を任せていた――が急死した今、後任人事を決めるまで猶予はない。中東での戦争による原油高騰で、トイレットペーパーの買い占めまで起きている。蔵相には外れようのない実力者を充てるほかない。たとえ、それが政敵であったとしても、だ。

 うつむく俺に、老人は話しかける。

「お引き受けするには条件があります。現下の狂乱物価を沈静化させるには、一にも二にも、まずは公共予算を切り詰めねばなりませんナ」

「うん……」

「そのためにも、アンタ本当に列島改造を諦められますか。ここで約束できますか」

 表情筋が痙攣する。血が沸騰しそうになるのを、すんでのところで抑えた。

 新潟の寒村から身一つで上京して四〇年。かつて冬の新潟では、村中から若い男が消えていた。男衆が県外へ出稼ぎに行かなければ家計が回らなかったからだ。そんな裏日本の悲哀を変えたいという俺のライトモチーフこそが、列島改造論だった。

 それを捨てれば、俺は政治家として死ぬ。

 そもそも、今の物価高騰は列島改造ばかりに起因するものではないと信じていた。今すぐこの席を立ちたかった。

 だが、永遠とも思える静寂ののちに、俺は「分かっとります」と頷いてしまった。猿面のような笑みを深めた老人は、俺の手を無理やり握った。

「分かりました。分かりましたとも。お力になりましょう。ネ、角さん」

 世の人が俺のことを角さんと呼ぶとき、そこにはどこか親しみのようなものが滲んでいる。しかし、老人の発した響きは違った。ついにお前に白旗を上げさせたぞ、という優越感。しょせん貴様は二流なんだという蔑み。

 この日、俺は人生で初めて欄干に紐をぶら下げたくなった。

 

◇ ◇ ◇


 一九四二年二月。

 鼠色の機体に鉤十字を引っ提げた総統専用機「インメルマンⅣ」は針路を西へ飛んでいた。AEG製の空調からは心地よい風が送られている。にもかかわらず、うたた寝から目を覚ましたヒトラーは全身に汗をビッショリとかいていた。ハンカチで拭っているところで、真隣からの視線に気づく。

「総統、大丈夫ですか」

 横に座っていたのはエルヴィン・ロンメル。フランス戦役で一等賞を上げ、昨年公開された宣伝省謹製の記録映画では銀幕デビューを飾った。そして、俺の由来をこの世で唯一知っている男でもある。

 それゆえに、サシの場面ではざっくばらんなやり取りをしていたが、今は周囲の目を気にして、他人行儀を装っていた。

「空調の効きがちょいと悪いナ」

「アメリカ製ですからね」

 ロンメルは何をか言わんや、という表情を浮かべた。歴代の総統専用機の採用元は、ユンカースにフォッケウルフと国内メーカーで占められていた。だが、この四代目はヒトラーが推し進めている独米協調路線の象徴として、合衆国企業から納入された経緯があった。

 政治的配慮が幾重にも施された機種選定の末、選ばれた機体名を目にしたとき、ヒトラーはわずかにうめいたとされる。側近たちは、こうささやいた。やはり総統は、ドイツ製に乗りたいのだ。外交のためとはいえ、屈辱を甘んじるとは、さすがは総統だ……と。実際のところは、ロードスターという名を冠した本機の製造元が、ロッキードの五文字だったことに尽きるのだが。

「体調が優れないようであれば、視察の予定を縮めますか」

「ん、気にするな」

 ヒトラーはいつものように扇子をせわしなく羽ばたかせ始めた。

「久々の現場だ。この目にジックリ焼き付けておきたい」

 これから角栄たちが向かおうとしていたエルザス・ロートリンゲンでは、アウトバーン拡張工事が急ピッチで進んでいた。住民投票の結果でドイツへ復帰した両地域の住民に分かりやすい帝国の恩恵を、というわけだった。仏独を結ぶ高速道路網が完成すれば、現状四、五日かかっているパリ=ベルリン間が、一日で走破できるようになるとの試算も出ている。

 機体は雲を抜け、窓ガラスの視界が明瞭になった。かつて自身が「吹っ飛ばして埋め立てに使え」と大言壮語を吐いたヴォージュ山脈が見えてきた。針葉樹林が立ち並び、深緑単色で山が塗りたくられているようだ。思わず、ため息をこぼした。

「バタ臭い山は飽きた。霊峰富士がみたいなァ」

 直後、まもなく機体が着陸態勢に入るとのアナウンスが響いた。

 

 思い返せば、アウトバーンが俺に道を拓いてくれたんだよな。ライン河にかかろうとする完成目前の巨大な橋梁を前に、角栄は遠い目をした。肌を刺すような日差しに汗が止まらない。

 そもそも、列島改造論の根幹たる高速鉄道網充実の種本はどこにあるのか。角栄は周囲に明かしていなかったが、衆議院議員として西ドイツの視察に行った経験が原点にあるとされる。

 視察に訪れたシュトラスブルク(ストラスブール)へ向かう工区では、つるはしやスコップを手にした労働者たちが活気よく動き回っていた。

 戦前であれば、作業員たちは整然と並んでお出迎えをするのが慣例だったが、角栄は「ありのままをみたい」と難しい注文を出していた。

 技量を問われたのは、工事の全権を握る土木将軍フリッツ・トートだった。軍民のインフラ整備を一手に担う通称「トート機関」のこの長は、後退気味の頭髪を毟った。ただでさえ欧州中に無数の道路を敷き直すという難題に取り組んでいるというのに、余計な案件を持ち込みやがって。「小官の寿命を縮めるつもりか」と毒づいた。

 それでもこの優秀なテクノラートは、総統の要望に応えるべく四苦八苦し、ついには答えを見出した。明鏡止水の構え。要は、何もしない。警備だけは手を回すが、事前に作業員に視察の存在を伝えない。そんな野放図な態勢で迎え入れていた。

 ゆえに、現場では誰一人として、遠巻きに見守っている総統一団の存在に気を留めていなかった。せいぜい、大管区の役人が来ていると思っているぐらいなのだろう。

 角栄は高揚気味に唸る。

「みんなずいぶん若いナ」

 トートは目のクマをこすりながら応じた。

「作業員ですか」

「ウン」

「大半が動員を解かれたばかりの軍隊帰りですわ」

 トートの答えに、角栄はにんまりと笑った。

「手に職をつける。いいことだ。真面目に働いている健康な労働者は、政治なんてややこしい道楽にうつつを抜かさないもんだ」

 一行はどっと沸く。さりとて、角栄としては冗談半分、本気半分だった。

 軍隊から社会へ、戦地帰りの男が何百万と返還されると何が起きるか。元の職場にそのまま復帰できる人間は幸運だが、往々にして会社がなくなっていたり、すでに穴埋めされていて居場所がなくなっていたりするケースが出てくる。

 すると、男は自暴自棄になる。生きて帰ったんだからこれぐらいいいだろ、と浴びるほど酒を飲み、身持ちを崩す。放置すれば、過激な政治思想に染まったり、犯罪に手を染める様になったりしかねない。

 敗戦直後の荒れた東京を覚えているからこそ、角栄は公共事業による労働需要創出に重きを置いていた。健康に汗をかいて、金を稼ぐ。雇用期間が終われば、故郷の母ちゃんや倅にプレゼントを買って帰ってやる。一度働き務めれば、次の転職先だって容易に見つかる。一連の欧州改造計画は、そういった社会の調整弁としての働きも果たしていると信じていた。

 現場では、合衆国から輸入された土木作業車が元気に走り回っていた。戦争が残した数少ない恩恵は、クルマを扱える人間が飛躍的に増えたことだ。戦前から様変わりした工事現場を興味津々に眺めていたロンメルは、静かに漏らす。

「しかし、軍の予算をインフラ整備に回すなんてやり方、よくもまぁ押し通せたものです」

 ロンメルが口にしたのは、角栄が陸軍予算の一部を高速鉄道網――彼の呼称するところの〝新幹線〟――の建設費用に転用するという荒業をやってのけたことを指していた。

 むろん、軍部は抵抗した。役所にとって予算維持は至上命題だ。それも、終戦してただでさえ軍の要求額が削られる中、貴重なライヒスマルクを土いじりに使えるか、という真っ当な反発だった。


 陸軍総司令官のブラウヒッチュが渋っていることを察知すると、角栄は彼の私邸に出向き、懇々と鉄道の重要性を説いた。

「軍を展開させる主力は鉄道だ。戦車や大砲をつくるばかりが国防の本質ではないはずだろ」

「陸軍としては東方への備えを怠るわけにはいきません」

「じゃあこういうのはどうだい。カネを出してもらう代わりに、戦時には新造貨車を軍に移譲する。新幹線に列車砲をひかせたっていい」

「……」

「これ以上抵抗するっていうなら、反対した諸君らは新幹線に乗らせない法律を作るつもりだヨ」

 サシで角栄と会うな、必ず説得されてしまうから――というのが永田町での常識だった。懐柔とハッタリを総動員する彼の手にかかれば、無骨な軍人一人を陥落させるのは容易といえた。


 そんないきさつを思い出した角栄は、鼻を膨らませる。

「俺は若いころ、議員立法を三十三本仕上げたもんだ。役人は法律を守るのが仕事だが、政治家は目の前の現実に合うように鋳型を作り直すのが本分だからナ」

 いつものように一席打つと、角栄は工事現場に目をやった後、「もっと近くでみよう」と言い出した。慌ててトートが「総統、これ以上はお足元が汚れます」と止めに入るが、角栄は構わずにズンズンと突き進む。ぬかるみで泥が跳ねかえるのもいとわない。

 ここまでは想定してねぇぞ、とトートはうめく。南無三。「せめて帽子を」とヘルメットを手渡すと、角栄は手慣れた手つきで被った。

 目下、完成しつつある橋の上からはライン河を一望出来た。川幅150メートルの大河は雄大であったが、信濃川に比べれば、(こじんまりとしているな)と呆気ない感じもする。

 工区の最深部へ進もうとしたところで、手押し車を引いている若者と目があった。邪魔なお役人やなぁ、という怪訝そうな目つきが、瞬きするごとに変化していく。

 泥にまみれた革靴に、安全帽。奇妙ないで立ちながら、目の前にいる人物は、アドルフ・ヒトラーその人だった。その真横には、今や国民的英雄となったロンメルの姿もある。

 お忍び視察!事態を理解した若者は瞬時に手押し車を手放し、高々と右手を掲げて例の文句を言った。角栄は「お疲れさん」と返礼する。手押し車が倒れた音をきっかけに、周囲の作業員も角栄たち一行の正体に気付き始めた。視線が一手に角栄へ向き、なんだなんだと工事の喧騒が瞬く間に静まった。

 角栄は「バレちまったな」とぺろりと舌を出し、側近たちは言わんこっちゃないと頭を振った。突然の国家指導者の来訪に戸惑いがみなぎる中、角栄は先ほどの若者に声をかける。

「キミッ、歳はいくつだ」

「は、はぁ、二十三です」

「従軍したか」

「第七装甲師団でした」

「ほぉ。アラスで英軍とやりあった勇者か。ロンメルの部下じゃあ苦労しただろ」

「いえ、滅相も……」

「なんでここにいる」

「田舎に帰っても仕事がないので」

「土方は嫌いか」

「大変ではあります」

「そうだろうナ」

「でも、こういうモノを作るのは、これはこれでヤリガイがあります」

 その言葉を聞いて、角栄はニッと笑った。そして、今度は周囲に向かって大声を張り上げた。

「みなさんッ、今この若いのは良いことをいった! 実は昔、私もみなさんと同じように土方をやっておった時代があった。そこで私はある先輩土方から終生忘れられない言葉をかけられたのであります」

 角栄は一気にまくしたてる。

「土方土方というが、土方はいちばんでかい芸術家だ。パナマ運河で太平洋と大西洋をつないだり、スエズ運河で地中海とインド洋を結んだのもみな土方だ。土方は地球の彫刻家だッ!」

 シンと聞き入る作業員たちに、角栄はこう続ける。

「今後、アウトバーン拡張にメドが付き次第、いよいよ欧州の大改造に取り組みたいと思っております。英国とフランスにトンネルを掘れば、陸路で簡単に行き来できるようになる。デンマークとスウェーデンを橋で接続すれば、スカンジナビアと陸続きになる。アフリカもまたしかり。私は10年以内にこうした歴史的プロジェクトに着手しようと考えておるのです」

 この男が夢を語る時、それが実現困難な大言壮語であったとしても、起こりうる未来のような錯覚を聴衆に与える。もっと聞きたいという思いを抱かせる。弁舌で場を支配した直後、叩き込んだ。

「みなさんは、一人一人が地球の彫刻家という自負を持って、日々邁進していただきたいッ! それに報いるゼニは、このアドルフ・ヒトラーがお約束するのであります」

 角栄が白い歯を見せて締めると、荒々しい拍手に喝采が続いた。

 側近たちの苦笑がすぐに止んだのは、総統副官のルドルフ・シュムントがいつになく慌てふためいた表情で駆け寄ってきたためだった。角栄の耳元でぼそぼそと何やらささやく。

 角栄はシュムントの精神状況を疑うかのようにその顔をまじまじと見つめる。そして、「イ」を「エ」と発音してしまうお国訛り丸出しで訊ねた。


()()()()で革命ェ? そりゃあ、本当かい」

夏コミお疲れ様でした。冬コミにも申し込んでいます。

ちょっとずつ更新再開していくぉ。

15話までをまとめた同人誌をboothで販売しています。残り数部。表紙がいいです。

https://invalides.booth.pm/items/5954713

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― 新着の感想 ―
スターリンはトロツキーなのか
[気になる点] そろそろスターリン書記長の中の人が知りたい。あと、ド・ゴールを何で転生させたの?これから絡むのかな? (´・ω・`)
[良い点] >>ロードスターという名を冠した本機の製造元が、ロッキードの五文字だったことに尽きるのだが。 笑いました。 政治的なフレームアップ、冤罪でしたからねえ。
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