表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/31

第13話 資源外交

 砂塵はこの国につきものだ。

 生涯で飽きるほど見た景色を、メルセデスベンツの車窓からイラン皇帝レザー・パフラヴィーはぼぉっと眺めていた。ドイツ人が送ってきたこの車はロールスロイスよりも揺れは少なかった。皇帝の御車であることを示す旗が翻っている。

 その顔は、60代という年齢よりも老け込んで見えた。無理もない。一軍人から成り上がり、前王家を追放して新王朝を築いた。英国との不平等条約を破棄し、祖国の自立の道も探った。周辺国が次々と植民地化されてゆく中で、イランが曲がりなりにも独立を保てているのは、(多少は俺の貢献もあるだろうさ)と皇帝は自負している。

 だが、苦労は人の老いを早める。たぶん、俺はあまり長生きできないだろうな。皇帝は窓に反射した己の顔をまじまじと見た。しわがずいぶんと増えている。あぁ、嫌だ。

 うん、この仕事が終わったら、さっさと息子に帝位を譲ろう。皇帝はそう決めた。軍人としての生い立ちに誇りを持つ皇帝は、外交なんてものはもとより性に合わなかった。見えもしないものと戦っていては寿命をさらに縮めかねない。

「陛下、空港到着までもうしばらく時間があります」

 皇帝は、自らの横に座るモサデク外相があまり好きではなかった。名家の生まれで、ソルボンヌ大学を卒業した国際肌でもある。国民的な人気も高い。ただ、モサデクは20年前、まだレザー・ハーンと名乗っていた皇帝が帝位に就くことに反対して、しまいにはうっ憤をぶつけるように政界引退を表明したこともある男だった。泥をかけられた思いのある皇帝にとっては、顔を見るだけで不愉快な感情がこみあげてくる。

 とはいえ、頭脳の明晰さではかなうものがいなかった。そうでなければ、この世界大戦が再発するかどうか不透明な国際環境の中、外相という重責に充てるはずもなかった。

「いいだろう。講義を再開してくれ」

 モサデクは『我が改造』と題された本を取り出した。

「陛下、先週お渡ししたこちらはお読みになられましたか」

「軽くはな」

 皇帝がページを捲ってすらいないことを察したモサデクは肩をすくめる。

「先日発表されたヒトラーのこの新著は、単なる国土開発計画を示したものではありません。今後の欧州の針路を示した預言書とも形容できる代物です」

 皇帝は苦笑した。

「他人に厳しいお前にしてはずいぶん評価が高いな」

「この本の隠れたメッセージは民族自立です」

「口先だけだろう」

「いえ、実際ヒトラーは英仏に植民地を要求しませんでした。これは単に無欲というワケではなく、ナチ流の戦略とみるべきでしょう」

 モサデクは折りたたまれた世界地図を丁寧に広げた。いまやドイツはエルザス・ロートリンゲンから旧ポーランドまで広大な領土を築いている。同盟国のイタリア、フランス、さらにはドイツになびき始めたバルカン諸国までも含めれば、欧州はほぼほぼドイツの天下といっても過言ではなかった。

 フランスでは、先の大戦で功績を上げたペタン元帥率いるフランス政府がドイツに急接近している。敗戦直前にはドゴールとかいう若い将軍がロンドンに亡命して亡命政権を樹立したが、独英和平が成立した今、求心力を失い始めており、早晩自然消滅するとみられていた。

「戦略、ね」

 モサデクの言わんとすることは皇帝も理解できた。ドイツは強国にのし上がってもなお、植民地をあえて持たないことで、第三世界の求心力を高めていた。実際、インドのチャンドラ・ボースを筆頭に、いまや世界中の独立運動家がイデオロギーを問わず、ドイツに集結し始めていた。

 慌てているのが英国である。ドイツとの和平で、彼らは領土に関しては何一つ奪われなかった。だが、大戦に敗れたことで、大英帝国の威信が急降下した結果、アフリカや中東で独立運動が活発になり始めている。

 そして、英国離れしようとしている国名リストの中には、イランも入っていた。

「しかし、今日のお客、英国は怒るだろうな」

 皇帝のつぶやきにかぶせる様に、モサデクは切り捨てた。

「もはや大英帝国華やかなりし時代ではないのです」

 2人は黙りこくった。徐々に飛行場が近づいてきた。もうしばらくすれば、鍵十字が描かれた機体が到着するはずだった。



 1940年12月、テヘラン郊外。

 角栄はタラップを「よっ、ほっ」と勢いをつけながら軽快に降りた。総統警護隊が慌てて後に続く。すかさず、仰々しい軍楽隊の演奏が始まった。

 赤じゅうたんで待ち構えていたパフラヴィー皇帝は、きょとんとした顔で角栄と対面した。通訳官が訳し始める前に、角栄はまくしたてた。

「陛下! この度はお招きいただき、誠にありがとうございます!」

 悪名高い侵略者にしては、ずいぶんと人懐っこいな。皇帝は内心呆気にとられつつ、握手を交わした。

 随行団の一員のリッベントロップ外相やロンメル将軍は、その様子を背後から見つめている。ロンメルはフランス戦での戦功で元帥に昇進していた。長時間のフライトでやや疲れ気味のリッベントロップに対して、角栄の肌は赤褐色に輝き、生命力にあふれていた。

 それもそのはずだ。この外遊は、角栄の発案で行われていた。

 角栄といえば日中国交正常化のイメージが強いが、同時に熱狂的な資源ナショナリストという一面も持ち合わせていた。元の世界では、首相任期中に北海原油への参入、カナダのオイルサンド、オーストラリアのウラニウム原鉱石、メキシコの石油、フランスのガス拡散ウラン濃縮方式導入・・・などのために、世界中を飛び回った。

 角栄が危惧していたのは、現在のドイツ経済において、ソ連が占める割合があまりにも高いという状況だった。ソ連が禁輸すれば、ドイツ経済は直ちに干上がる。油田を持つ同盟国ルーマニアにもだいぶ助けられているとはいえ、共産主義者の胸先三寸で国が滅びかねないというのは悪夢だった。

 そこで目をつけたのが、世界最大規模のアバダン油田を擁するイランというわけだ。当時の産出量は中東最大だった。ただ、イランでの石油採掘は、英国人が最初に手を付けた経緯があり、英国政府お抱えのアングロ・イラン石油会社に独占されている。

 イランは前の王朝が結んだ契約によって、石油の生産量や価格の決定権限を英国人に奪われていた。独外務省の報告では、イランは英国の敗戦を受け、アングロ・イラン石油会社の国有化を模索しているという。その側面援護をしよう、というのが角栄のイラン訪問の狙いだった。

 首都テヘランに移動した一行は、王宮晩餐会に臨んだ。イラン帝室と政府高官が居並ぶ中、角栄は酒杯を手に立ち上がる。

「本日は、私どものために盛大な晩餐会を催していただき、また、温かい歓迎のお言葉をいただき、厚く御礼申し上げます」

 さすがに公式行事ということもあり、いつもの角栄節は鳴りを潜めていた。ただ、儀礼的な挨拶をこなした後、角栄は力をこめ始める。

「道中、砂漠を目にしました。雄大なる自然に胸を打たれましたが、この地で生きる過酷さにも思いを馳せざるを得ませんでした」

 何を話しだすのか、と興味深そうに皇帝は角栄に視線をやった。

「人間が生きるうえで何よりも貴重なのは水です。当時の人々が井戸をつくるために、水脈を掘りあてたときの喜びはいかほどだったでしょうか。仮に、もし、掘り当てた一人がその井戸を独占していれば、こんにちのイランの繁栄はなかったでしょう」

 角栄はこう言い切ると、会場全体を見渡した。

「共存共栄、この四文字こそがドイツ・イランの結びつきを象徴するのです。いまや国際環境は一変しました。イランの決断を、ドイツは全面的に支援するでしょう」

 角栄のスピーチに対して、送られた拍手はまばらだった。イラン側に戸惑いのようなものが浮かんでいる。皇帝その人は感情を押し殺した表情で、機械的に手を叩いていた。

 晩餐会後、宮殿内の客室に戻った角栄のもとに、思わぬ来訪者が来た。樹木系の香水の匂いが扉越しに伝わる。

「これは陛下」

 目を丸くした角栄に、皇帝は「少しお時間をいただけないだろうか」と頭を下げた。角栄はどうぞ、と皇帝を招き入れた。

「さきほどのご無礼はお許しください」

 皇帝は切実に訴えた。政府内には英国のスパイのような者もいる。表立って私がドイツ寄りの言動をとれば、英国は外圧を強めてくる。小国の悲哀ですな、と自嘲した。

「むろん油田の国有化はわが民族にとっても悲願です」

 皇帝は地球儀に描かれた中東一帯をなぞりながら絞り出すようにつぶやく。

「ですが、我が国は北にソ連、東西に英国と向き合っています。国有化を断行すれば、怒り狂った英国は攻め込んでくるでしょう。動きたいのはやまやまですが、確たる保障がなければ、何とも」

「仰ることはよく理解できます」

 角栄はうなずいた。そして、ある提案をした。

 皇帝はぎょっとした顔を浮かべる。

「貴国の軍隊受け入れですか」

「侵略を防ぐにはそれしかないでしょう」

 それでは、英国人の代わりにドイツ人が来るという結果に終わるだけではないか。皇帝の懸念を見透かすように角栄はニッカリと歯を見せた。

「ですがドイツはね、石油に手出しはしません。お国からマトモな価格で買わせてもらうだけです。隣国の脅威がなくなれば、いつでも撤退させましょう。単なる軍事同盟では、ソ連や英国がどんな手立てを講じてくるか分からない。手出しをさせないというメッセージのためにも基地は必要なのです」

 この誘いに、皇帝は思案した。即答はできなかった。ヒトラーの訪問を受け入れた時点で英国との関係悪化は覚悟していたが、これを受け入れれば、イランは完全に枢軸陣営の仲間入りを果たすことになる。そこまで、ドイツ人は信頼できるだろうか。

「今決めねばなりませんか」

 皇帝の伺いに、角栄は鷹揚に「むろん、急ぎはしません」と首を振ってみせた。時刻は0時を過ぎていた。おやすみなさい、と2人は言い交わし、密談は終わった。皇帝はモサデクの部屋に飛び込んで、ヒトラーからの申し出について協議した。



 翌日は早朝からテヘラン市街でイラン軍による軍事パレードが開かれた。イラン軍は伝統的にイギリス式の軍制を取り入れてきたこともあり、軍服も英国の影響が大きい。

 この日は風が強かった。砂埃が吹き荒れる中、大通りを精悍な男たちが行軍する。

 目玉はアケメネス朝ペルシャの精鋭部隊「不死隊」を再現した一団だった。鉄製の鱗鎧や木製の兜など、当時の装束に身を包んでいる。

 観覧席の角栄は嬉しそうに手を叩いてみせたが、それを面白くないという顔で眺めるのはイギリス、そしてソ連の大使である。

 観覧席にどよめきが起きたのは、後に続いた戦車群だった。イラン軍に配備されている英国製の型落ち戦車ではなかった。ローマ数字を冠するシリーズ――ことし西ヨーロッパを恐怖に陥れたばかりのドイツ戦車が街路を走行していた。皇帝への贈り物、という名目で今回のヒトラー訪問に合わせ、ドイツからイランに供与されたものだった。

 観覧席の反応は2つに分かれた。興味深そうに目を凝らすイラン政府高官たちに対し、英国大使は顔を引き攣らせている。ソ連大使は「ここはパリではないはずだ」と不快げに言い放ち、席を立った。

 一方の角栄は眼前の光景に首を傾げた。

「ん、こんな多かったか」

 供与された戦車は20輌ちょっとと聞いていた。だが、目の前を通り過ぎていった戦車は、明らかにその数を上回っている。イラン軍とイラン軍の間に挟まるように、ドイツ戦車隊が何度も登場していた。ざっと数えただけでも倍近くいる計算になる。

 はて、と目を凝らすと、車体の車番が塗りたくられているのが視えた。戦車隊は観覧席の先まである程度走ると、街路をひょいと曲がり、どこかへ消えていく。

 ――こりゃ詐欺だな。角栄は苦笑した。

 ドイツ軍は、同じ戦車をグルグルと走り回らせることで、数を水増ししていた。配置を巧妙に変えているのがまた憎い。砂埃が舞っていることもあって、よくよく気を払わなければ小細工には気付かないだろう。

 極めつけは、あの男の登場だった。

 IV号指揮戦車のハッチから上半身をのぞかせてみせたのは、対仏戦での戦功で戦車将軍として世界に認識されるに至ったロンメルその人だ。背筋を伸ばし、愛想よく笑顔を振りまく。

 鬼に金棒。ロンメルに戦車。この組み合わせは、はるか中東の観衆にさえ興奮を生んでみせた。なぜか、この男は砂埃が似合う。トラウマを呼び覚まされた英国大使は恐怖の色を強めている。

 やり方は自由にしろと言ったが、やりすぎだ。角栄は吹き出しそうになるのをこらえた。

 ドイツの武威を天下に示し、イランの安全保障を守る。このパレードでドイツ戦車をお披露目させたのは、そんな狙いがあった。

 英国は、イランが一度ドイツに肩入れしようものなら、地上侵攻も辞さないという構えを示していた。インドの下腹部に位置するコロンボ港には、ロイヤル・ネイヴィーの一個艦隊が集結しているという。周囲を大国に囲まれたイランが、海岸までも封鎖されれば雪隠詰(せっちんづ)めとなる。

 だが、ここにドイツ国防軍の幻影が現れればどうなるか。余計な手出しをすれば大英帝国の至宝、インドまで電撃戦を展開してしまうゾ。イギリス人がそういうメッセージを暗に受け取るのも無理はない。彼らはドイツ戦車への恐怖を実態以上に増幅してDNAに刻んでいた。

 一部始終を静観していた皇帝は、パレードの終わり際、角栄の方をくるりと向いて「色々とご配慮いただいたようで」と謝意を示した。

「まァそのぉ、刺激が強すぎなければいいのですが」

「英国人にはいい薬でしょう」

 2人は声を上げて笑った。ふいに空を見上げた皇帝は、歌うようにそらんじる。

『あしたのことは誰にだってわからない。あしたのことを考えるのは憂鬱なだけ。気がたしかならこの一瞬を無駄にするな、二度とかえらぬ命、だがもうのこりは少ない』

 何の詩だろう。角栄の疑問に答えるように皇帝は「ルバイヤートです」と解説した後、言葉を続けた。

「さて、色々と協議しなければいけない物事が多いですな。大量のドイツ人を受け入れられる土地となれば、イスファハーンの辺りはいかがでしょう」

「つまり」

 角栄の目が輝いた。皇帝はうなずく。

「貴国と手を組むのが最良の選択肢のようだ」



 調印されたばかりのイラン・ドイツ共同宣言のペーパーに目を通しながら、モサデク外相は思案していた。

 要約すれば、イランは国内油田の国有化を発表し、ドイツがこの措置を保障するという内容だ。英国の利権をドイツが分捕るようなもので、英国の反独感情は高まるに違いない。だが、英国は打つ手なしだろう。彼らにはドイツと真っ向から殴り合えるだけの国力はもはやない。それに、国際世論からしても、あくどい商売をやってきた英国には不審の目が向けられていた。自分たちの所業は覇権を築いてきたからこそ見過ごされていた、という当然の事実に英国人はようやく気付きつつあった。

 さて、石油を国有化すれば、イラン政府は莫大な収入を得られるようになる。買い手は引く手あまただ。西欧諸国は例の欧州改造計画が始まった結果、石油需要が右肩上がりだった。それに、ヒトラーは日本にも石油を売却するよう打診してきている。なぜドイツが日本に気をかけるのか。モサデクは考えあぐねていたが、あの男の頭の中身を考えることほど無駄なこともないか、と諦めた。

 気がかりなのはソ連の動向だった。ロシア帝国時代からこの地域の権益に異常な関心を示してきた彼らが、今回は奇妙な沈黙を保っている。

 ――嵐の前触れでなければよいのだが。

【あとがき】

C104夏コミ当選しました。本作をなんとか完結させ、頒布したいと思っちょります。

ちな場所は2日目(月)のミリ島、東ホ47aです。

次回はそろそろ北の国編。物語も終盤です。

ここまでお付き合い下さり、ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
一話一話に感動を覚えながら拝読しております。
[一言] ドイツとイラン(ペルシア)が組むか ソ連とイラク(バビロニア)がどう動くか気になる >>民族自決 クルドに関してヒトラーはどう見てるか トルコ、シリアも絡むので反ドイツにまわるかもしれない…
[良い点] 全然知らなかったイランの人達の思考が生き生きと伝わってきて、歴史を知る的にも読み物的にもここまでで一番面白かったです。 [気になる点] え、終わってしまうんですか…?ヒトラー100歳くらい…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ