鍵をだせ
ぺちぺちと頬を叩く音。
いや、叩かれてるのは自分だ、とぼんやりした中で自覚したら、今度は唇に冷たい感触。
キス、されてるなと、思いながら、入ってきた舌をそのまま出迎える。
―― ああ、ひさしぶり
ちょっと冷たくて細い舌だけど、ごぶさただったこういうキスは、気持ちいい。
「―― 食うなよ」
「っっ!?」
突然の男の低い声に、一気に覚醒。
押しのけた体がネイブを罵り、次にアルルに文句をつけた。
「食おうなんて思ってないわよ。こんな若いのなんか」
ソファに起き上がったネイブを見下ろし、さきほどまで味見をしていた女は長くうねった黒髪を手で払い笑う。
身体の線を強調する黒いドレスが、肌の白さを際立たせている。
「あ、あの、お、おれネイブです!あなたは?」
からかいを含んだ笑みをのせる女の顔は、ネイブの好みで、そのぽってりした艶のある唇とキスしていたのかと思うと、アルルと女の会話なんか耳に入らない。
「あたし?スネイキーよ。あなた、おバカさんぽくっていいわ。きっとおいしい男になるはずよ」
「おいしい?」
「アルルが珍しくあたしにプレゼントかと思ったら、ホーリーになのね」
残念だわ、と細く冷たい指先がネイブの頬をなで、長い爪がぴたりと顎の下にあたる。
ホーリー?と口の中で繰り返し、ああそうだ、とようやく先ほどの落下の前を思い出す。
それと、アルルの階段の下り方も。
石の壁と床の冷えたその部屋には、ネイブがいるソファと壁をくりぬいた場所に大きな蜀台がいくつもの小さな火を灯しているだけで、他には何も見当たらない。
部屋の真ん中には先ほどの階段の終着地点があり、そこに腰掛けている男に文句をつけずにはいられなかった。
「あのさあ、ちょっとひどいと思うよ」
「あのやりかただと早いだろう?まさか気絶するとは思わなかった」
「うっ、べつに、怖かったとかじゃなくって、び、びっくりしたから、」
「そうか。悪かったな」
いきなり女が笑いながらネイブのいるソファにこしかけた。
「ちょっと、聞いたあ?あの男が『悪かったな』ですって!」
「スネイキー、鍵をだせ」
立ち上がったアルルの命令に、ぴたりと笑いが止まる。
「イヤよ。47日間、出てこないのよ?」
「急用だ。―― それに、今回の新月は、すぎている」
「・・・・怒られない?あたし・・」
「大丈夫だ。わたしが責任を持つ」
「・・・・・・」
アルルをにらみあげたまま、女がドレスの裾を引き上げた。
女の白い手が、むきだされた右足の膝から内側の腿へ上がりそのままドレスの奥へとはいりこむ。ネイブは横から唾を飲むのも忘れて見守った。
ゆっくりと戻された手には、大きく古い型の銀色の鍵。
無言でそれの受け渡しをする男と女はまるで儀式のようにゆっくりとした動作だ。
そういえば、アルルは確か、『本人に聞く』といわなかったか?
それならば、あの小さな扉をくぐったことから始まったこの《儀式》は、この書類に記されたホーリーとかいう人物に会うためのものだろう。
―― 鍵だって?
さっきの扉を開けるときも、ウイザナがかなり渋っていた。
鍵で、閉じ込めているのだろうか?
その、ホーリーとかいうこの城の本当の主人を?
「ネイブ」
「はいい?」
いきなりアルルに呼ばれ、声が裏返る。
笑ったスネイキーが、あんたのことが怖いのよ、と立ち上がってアルルの胸を突いた。
「あたしも、怖い人が出てくる前に隠れるわ」
細い肩をすくめると、アルルの背に隠れるようにさっと身をひるがえし、本当にいなくなってしまう。
「・・・ねえ、スネイキーも魔法使い?」
「いや、あれはお守りではなくて、スナー種族だよ。われわれと一緒で残り少ない」
「へえ、あれが・・。じいさんに聞いたことある。昔は王様のそばに必ずいたって」
「・・・君のおじい様は、色々物知りだね」
「うん、若いころに抜け道を使わないでグレーランドを旅してたって。でもそれって、ようは、ちゃんと仕事してなかったってことだろ?」
「いま、いくつになられる?」
「えっと、ごひゃくはちじゅう・・いくつだっけ・・」
「・・・・ふむ・・・」
考えるような声を出し、アルルはネイブの座るソファを指差した。
「そのソファをどかすと、床に鍵穴がある。これを、そこに差し込んで」
「え?おれが?」
差し出された鍵と男を見比べる。
微笑んだアルルが、怖がる必要はない、と意味深なことを言うので、意を決したネイブは立ち上がった。