地下室の扉
かちゃりと静かに置いたランプの中では、青い炎が今にも消えてしましそうだ。
急に心配になり、自分のおかれた状況を冷静に判断。
テーブルの向かいにかけて先にお茶のカップに手をつけた男は、満足気にその香りを楽しんでいる。
ふいに、「毒などはいっていませんよ」と眼があった。
慌てるネイブがお茶をすすりこみ、むせこんだのに微笑むと、スコーンを手に取り、そのままかじりつく。その、気取らない様子にネイブは肩の力を抜いた。
「ほんと、ラムジイさんのおかげで助かったよ」
「アルルでけっこう」
「じゃあ、アルル。まさかいつのまにか『ヌウクゾーン』に入ってるなんて、まったく考えてなくてさ」
「地図を持ってたのでしょう?」
「うん。でも『抜け道』を使ってたから、ちょっと方向感覚がしっかりしてなかったかも。全体の範囲も、北はディムゾーンまでだとばっかり思ってたから」
くすり、と笑われる。
ちゃんと地図がつかえないことがばれたようで、ネイブは自分がひどく幼いような気になった。
そういえば、ディークはひどく長命だともいう。
「そりゃ、確認しなかったおれが悪いかもしれないけどさ、上司にだって言われなかったし・・・っつうか、あいつ知ってて黙ってたんじゃねえかな。やっぱり性格悪いヤツ」
雨でぐっしょりになった地図をポケットから出し、カップの横に開いて置いた。
役所がつくったその地図には、東西南北の印と、それぞれのゾーンの位置関係と、『抜け道』のありかが記載されている。
『抜け道』とは魔力で縮められた『道』のことで、入るときに希望の場所を告げれば、限りなくそこに近い道に出られるという、役人の考えた『道』のことだ。
『抜け道』に、手にした書類の住所を告げてその場所近くに出る、という方法でまわっていたネイブは、それぞれの《ゾーン》のことなど深く考えてはいなかった。たどり着いたときに、ああここか、と思うぐらいで。
「それは、税金の未納者の書類?」
ランプの横に置いた分厚いそれを、アルルがさした。
うなずいて油紙をときひらいたネイブは、それの一番上にきていた最後の書類を取り出した。
「明るいところで見ると、・・・なんかこれ、古いなあ」
雨のせいではなく疲れたようなその紙は、他のものに比べて紙がざらついて分厚く、黄ばんでいる。
ちょっとみせて、と伸ばされたアルルの手にそれを渡す。
「北・ダンプヒル18番地」
「え!?」
アルルが読み上げたそれにネイブは声をあげた。
だって、それじゃあ自分がめざした住所と違う・・・。
「おれ、『抜け道』にダンプヘル18番地って言っちゃったよ。じゃあ、もう一度『抜け道』に行ってそこにを探してもらわなきゃならねえのか・・」
いくぶん独り言でつぶやいたのへ、アルルが首を振ってみせる。
「いや、必要ない。ここがそうだ」
「え?ここがダンプヒル?」
片手の紙をかざすようにして、二つ目のスコーンに手をのばした男が、ここだ、と請け合った。
「―― ああ。ダンプヒル18番地はここだ。この書類にある住所も、居住者の氏名も、ここを指してるな。これの記載は、合ってる」
「え?なに?この城が、ダンプヒル18番地なの?え?ちょっとまってよ」
スコーンをかじる男から紙を奪いかえし、それを確認する。
「だって、名前はアルル・ラムジイじゃないだろ?なんだ?えっと、・・・・ホーリー・グローリー・ジャッカネイプス? 変な名前だな・・・ってか、これ・・・税金督促状じゃあないじゃん。なんだあ?これ?」
持ち帰った種類にちゃんと眼を通していないのをコーニーにとがめらていたが、まさかこんなものが混ざっているとは思ってもいなかった。
「ひどい書類だなあ。名前も違うし」
「いや。合ってる」
「・・・・」
またしても請け合った男は、最後のスコーンを口にほうりこむと、指先を軽くなめ、立ち上がった。
ネイブが口を開く前に、「きいてみよう」と立ち上がる。
――― 聞く?誰に?
「《本人》に聞くのが一番早い。 ウイザナ、地下室への扉をだせ」
命じられた『魔法使い』が、始めて姿を現した。
噂どおり、暗い金色の毛をした四本足の獣が、のそりとテーブルの下から這い出し、ネイブを思い切り驚かせると、ふん、と大きな鼻を鳴らした。
「―― 47日間、出てこないと言っていた」
「しゃべった!!」
「おまえの青い炎もしゃべるだろう? 何を驚く。我は魔法使いぞ」
頭から背にかけ生えるたてがみが、年代物の真鍮のような輝きで、ぞろりと立ち上がる。
「・・そうだけど・・。魔法使いはよっぽどじゃないと口をきかないって」
「いつの話だ?コミュニケーション能力のない種族は滅びるほかない。どこかの野蛮なディークのようにな」
鈍く輝く太い尻尾の先が、むこうに立つ男を指した。
「―― ウイザナ、どうやら聞こえなかったらしいな。地下室の扉を出せ、と言ったんだ」
「聞こえてた。だから言い返しただろう?47日間、でてこないと言っていた」
主従の関係にあるはずのアルルとウイザナが冷静ににらみ合う。
ネイブははらはらしながらも、地下室って何?と口をはさんでみた。
魔法使いが不機嫌に喉を鳴らし教えてくれる。
「地下室は地下室だ。ここよりも暗くてごったがえしてて、たくさんの本とひどいにおいの薬草と、なんだかわからない、ガラクタであふれてる」
「そこに行くための扉をだすんだ。おまえの主は誰だか思い出させてやろうか?」
アルルが右手を高く上げ指を立てるのをみあげ、ウイザナが耳をねかせ、先ほどとは違う音で、喉奥を鳴らした。
「ふん、主が二人いるようなもんだ。あっちもこっちもわがままで」
ぶつぶつとつぶやくと、うなずくように頭を動かす。
とたん、アルルが背にした本の山が、一列ずつきれいに分かれてゆき、最後に小さな木の扉が現れた。
アルルがそこへむかい、振り返ってネイブを呼んだ。
「さっきの書類を持って」
「は、はい」
黄ばんだ紙をつかみ、背の高い男を追う。
かがみこみくぐりぬけた扉のむこうは、ぐるぐると下へ向かい円をえがく階段だった。
壁の所々に、ロウソクがともってはいるが、どうにも先が、深そうで、終わりまで見下ろせない。
手すりもないその階段の真ん中をつらぬくように、細い柱があった。
先におりていたアルルが止まって振り返り、ネイブを下からみあげ、ふいに口端をあげる。
「軽そうだな」
「なにが?」
ほんの数秒、見合ったと思ったら、いきなり抱き込まれてひっぱられ、突然の浮遊感。
アルルといっしょに、階段から離れて、細い柱沿いに、落下していた。
ぎゃあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‐‐‐‐
細長い空間に、ネイブの絶叫が吸い込まれていった。