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弐拾九つ目の記録 悪魔を殺す悪魔 ②

「昴さん、贖宥状でも売りましょうか」

「それで良いのかプロテスタント」

「不本意ではありますが。どうですか? 今なら牛一頭の値段で売りましょう」

「それで良いのかプロテスタント!? ルターの意思は何処行った!?」

「冗談です」


 その屋敷の中に入った昴とジョヴァンナは、そんな会話をしていた。目の前に広がる惨状を前に。


 黒く腐臭がする粘着性の液体が床に、壁に、天井に撒き散らされていた。それは一部血痕の様に赤黒く腐敗しており、そして臓物の様な物が一部転がっていた。


 昴の体を包み込む様に、魅白が彼の背に現れた。心配そうに表情を強張らせると、これ以上昴を動かさない様に強く抱き締めた。


「何だ魅白」

「ぽーぽ」

「……そうだな、心配だよな」

「ぽっぽ。ぽぽーぽぽ、ぽぽ。ぽぽぽぽぽぽ」

「大丈夫、何時か光の所に帰るから。今はまだ」

「ぽぽぽ。ぽー、ぽぽぽっぽ」

「嘘じゃ無いさ。本当に、何時か帰る。まだってだけだ」


 ジョヴァンナは少しだけ口を開いて驚きを表していた。


「分かるんですか、彼女の言葉を」

「いや全然?」

「……いえ、会話が成立してましたが……」

「いや全然? 何と無く空気を読んで」

「凄いですね貴方……」

「凄いだろ」

「……ああ、声、戻ってますよ」

「え? 本当? あーあーあー、治った?」

「ええ、治りました」

「危なかったよ。ありがとね、ジョヴァンナ」


 床の一面に広がる切られた様な傷は、それこそ中世ヨーロッパに流通した長剣でも振り回されたと安易に想像出来る。


 そんな惨状を特に気にもしていないアンジェリカが屈みながら、その粘着性の液体を触っていた。そんな中、クラレンスが声を出した。


「あの頭の奴と何か関係あるんかな」

「何言ってるんだお前。分からないのか?」

「いや、だって、アンジェリカもそう思うやろ?」

「頭の奴はボスのアレだろ、アレ。名前を忘れた。何でしたっけボス?」

「飛寧? おお、大正解。景品として私の自撮り写真をあげよう。どれが良い? 一応手持ちには水着と執事とサキュバスと狼とかがあるけど」

「水着をお願いします。ああ、何時もの姿のですよね?」

「もちもちろんろん。水も滴る良い男……男っぽくは無いけど男性。だから安心して」


 ディーデリックが咳払いをすると、彼等彼女等の意識はそちらに向いた。


「談笑の所申し訳ありませんが、少々狙いが外れてしまいましたね、昴さん」

「今は昴じゃ無いよ。真子だよ」

「……Ms.マコ。作戦はどうしますか?」

「作戦変更! 戦うつもりは一切合切無かったけど準備をして、取り敢えず恩も売る! 色々役立ちそうだし!」


 昴は虹に視線を向けた。急なことだったからか、虹は少しだけ視線を逸らしてしまった。


「虹!」

「ハイッボスッ!」

「武具の制作は!」

「多分問題無いです! 在庫はあるので!」

「持って来てるよねリーガン!」

「ええ、取り敢えず後ろにあった物品は粗方こちらに密輸を」

「流石有能! 一旦二人はそれを持って来て! 残りは私と一緒に調査!」


 その二人はもう一度戻り、それ以外は調査へと戻った。


 オリヴィアは実に不愉快そうな表情を浮かべながら、その黒い液体を指先で触れた。同時にそれは泡立ち、そして血の様に赤黒い物に変質した。


「魔術か。ふん、産まれて五十年と言った所か」

「分かるのオリヴィア?」

「ええええ! 分かりますとも御主人様! 何せこのオリヴィア・リリィ・ハイアムズは百五十年以上生き長らえた吸血鬼!」

「あ、飛寧の半分位だったね」

「……あのデュラハンそんなに長生きですの?」

「そうそう。第二次世界大戦経験者」

「……ああ、話が逸れましたわね。あの液体は地面に染み込ませる魔術、呪いとでも言いましょうか。動物の縄張りの為のマーキングに近いですわ」

「それを上書きしたの?」

「ええ、このままだとそこの赤髪の人間共に危険が及ぶ可能性がありましたので。所詮人間ですわ。役立たずでは無くわたくしを側近にしませんかしら」


 アンジェリカの視線がオリヴィアに突き刺さったが、特に気にせずに話を進めた。


「これを放置すれば……まあ、彼にとっては過ごしやすい環境にはなりますわ。何が這い出てくるかはまた別ですわね。更に広がればやがて呪われた地になりますわ。日本風に言うのなら、()()

「……神域、いや、確か調査記録に似た様な記述が……神仏妖魔存在?」

「にしては弱いですわね。幽霊と悪魔の丁度中間と言った所ですわ。怨霊にしては強く、悪魔にしては弱いですわ。少し危険ではありますわね。しかしお任せを! 御主人様にはこのオリ――」

「ちょっと考えるから黙ってて」

「あんぅ! 黙ってますわこのオリヴィア!」

「ディーデリックのお母さんでしょ? 何とかしてよ」


 昴の熟考は、そうそう長い物では無かった。五分間程じっとその場で留まっていただけで、すぐに考えは纏まった様だ。


「ディーデリック、探知は出来る?」

「可能です。むしろ出来ないのですか?」

「感覚的にいやーな感じはするんだけどね。まだ場所までは分からないの」

「そうですか。……そうですねぇ、また面倒臭いですよ? まだ潜んでいます。それも近くで」


 瞬間、クラレンスはアンジェリカを何故か蹴り飛ばした。


 何故そんなことをしたのか、理由はすぐに理解出来た。先程までアンジェリカがいた足元には黒い粘着性の液体が広がっていたのだ。


 一瞬だった。その黒い粘着性の液体が、まるで意思を持っているかの様に集まり、そして固まり、そして動き出したのだ。


 人間の器官の様な物が固まった粘着性の液体の上に浮かんでおり、より顕著に現れているのは人間の物と非常に類似した唇と哺乳類特有の歯が並んでいた。

 一つだけあるバスケットボール程の大きさの瞳孔が無い眼球は、何が見える訳でも無いはずだが、何かを見渡す様に動いていた。


 その眼球に、今まで押し黙っていたジョヴァンナが長袖に忍ばせていた銀色の鋭利な刃物を取り出し、突き刺した。


 音はしなかった。だあ直後、すっと入り込んだ刃の先端がその液体の内部で小規模ながらに破裂した。細かく砕け散った金属の破片はそれの内部をずたずたに切り裂いた。


 悲鳴は決して発しなかった。むしろその体を大きく動かしジョヴァンナに襲い掛かったのだ。彼女はその右目を大きく見開きながら、律儀にも、そして無謀にも弱点を探っていた。


 ジョヴァンナは殆ど動かなかった。その命に指先を伸ばせば散らされる直後まで、一切動かなかった。


 次に動いたのは昴であった。彼が履いている白色のクロスストラップシューズの靴底を押し付ける様な蹴りが直撃した。黒い粘着性の液体は勢いのまま破裂し、彼の馬鹿げた怪力を証明した。


 左手で前髪を掻き上げながら、鋭い眼孔をそれに向けながら右腕でジョヴァンナを後ろに押し倒した。直後に突き出したその右腕が黒い液体に飲み込まれると、その場にいる全員の額に汗が浮かんだ。


 周囲の温度が高まり、そして飲み込まれた右腕に真っ赤な焔がちらついた。容赦の無い爆破が起こると、その黒い液体は周辺に一気に撒き散った。


 黒い雨と見紛うその様子に、昴は微笑みの仮面を付けていた。


「あー……掃除が大変そうだね」


 彼は平然としている。未知の存在に慄く訳でも無く、ただ貼り付けた笑顔のまま、変わらない笑顔のまま、彼はそこに瀟洒に立ち尽くしている。


「オリヴィア、もう喋っても良いよ」

「何か聞きたいことがある様ですわね」

「悪魔の行動原理は?」

「……まあ、意識がしっかりと残っているのなら、当人の性格に影響されますわね。わたくしがこの様に、御主人様を愛するのが確固足る証拠がありますわ」

「残っていないのなら?」

「自らの為に。生きる為に肉を喰らい、水を啜る。それが、人肉を喰らい、血を啜る様になるだけですわ」

「けれど中には人を喰らわずとも生きていける。そうでしょ?」


 オリヴィアは僅かに険しい表情を作った。


「御主人様にも経験はあるはずですわ。人を襲う怪物、そしてより質が悪い理性と自我のある人食嗜好の怪物。あのデュラハンやあの鬼も、そして――」


 オリヴィアは愛おしそうな瞳で昴を見詰めていた。彼の頬を撫で、彼の真っ黒の瞳の奥を見詰めていた。奥に塗りたくられた血と肉と罪さえも愛おしそうに眺め、その狂気性に胸を突き刺されていた。


「人を喰らう。それだけで大きな力となるのですわ。獣も悪魔も、それを狙い人を襲う。分かりましたか?」

「……つまり今回も?」

「ええ、自らの為に、自らの力の為に」


 昴はオリヴィアの手を払い、倒れているアンジェリカに手を差し伸べた。同時にジョヴァンナの方へ視線を向け、声を出した。


「で、ジョヴァンナは何で私達に着いて来たの?」

「……いえ、純粋に貴方の傍にいたかっただけですが?」

「……えぇ……。そんなことするなら獣狩りの司教として行動したら?」

「同胞達が良く動いてくれるので。本当に、彼等は優秀ですよ。……まあ、どうやら私の役目も充分に果たせそうです。獣の匂いを微かに感じます」


 すると、昴達はディーデリックが何時の間にか姿を消していることに気付いた。動揺を見せたのはクラレンスが一番大きく、昴はそれを隠して、アンジェリカとジョヴァンナは心底どうでも良く、オリヴィアは気にも留めていなかった――。


 ――ディーデリックは潔癖症であった。その手で殺戮した悪魔の血を出来る限り清潔に保つ為だけに聖水を持ち歩く程であり、同時に規則正しい人物であった。


 一日聖水をどれ位使うか、それならまだ良いだろう。彼の起床時間は季節によって一時間違うのだ。そして支度の時間は一分単位できっちりと決まっており、その時の温度と湿度によってそれは細かく変わるのだ。


 そんな彼が、母の紅茶を仕込む時間の三十分前に、わざわざ彼女から離れるはずが無いのだ。一番の理由はあの場が不潔だったから、二番目の理由は――。


「オリヴィアの紅茶を入れなければ……余分な仕事はしたくないんですよ。時間厳守、規則正しく、手早く終わらせましょう」


 住み込みの給仕の私室である地下の部屋の前の廊下。彼はそこで二丁の大型の旧型拳銃を構えた。全長は40cm近く、細身のその体の何処に隠していたのか疑問に思う程に重厚だった。


 一つの黒鉄のその銃身にイギリス英語で「我、鉄の杖を持って汝等を打ち破り、陶工の作る器物の如くに打ち砕こう」と小さな文字でびっしりと刻まれており、もう一つの銃身には刻んだ文字を消す様な乱雑な傷で隠されているが、反対側にはオランダ語で「我は母を想う」と刻まれていた。


「汝、諸々の罪を数えよ。汝、諸々の罪を懺悔せよ。汝、諸々の罪を悔い改めよ。汝、我に救いを求めるな」


 二つの銃身を交差させながら、彼はそう呟いた。ある意味においてそれは彼にとっての慈愛の言葉であり、懺悔を促す言葉でもある。


 彼の前には、黒い染みの様な物が床に広がっていた。それがまるで液体の様な波紋を流すと、それは泡立ち、そしてそこから腐り切った人間であろう手が伸びた。


 それは辺りを探りながら、そして這い出て来たのだ。


 とは言ってもそれは七本の指を持っている。決してそれは人間とは言えぬ外観をしている。


 腐敗した皮膚の下から黒い液体が漏れ、それが徐々に呪いを撒き散らす。

 体は陳腐で赤錆びた甲冑を身に纏い、しかしそれは最早意味が無い程に薄っぺらかった。

 左腕は皮膚一枚で何とか繋がっており、そこから、何だか見慣れた蛞蝓の様な軟体生物が蠢いていた。


「……ああ、成程。しかしその寄生虫は実態のある物。一体何故体を失くした貴方が……?」


 右腕の七本ある指を動かすと、その黒い煤で汚れた口から汚らわしい発狂を吐き出した。


 同時にディーデリックは二つの銃口を向け、引き金を引いた。


 放たれた弾丸はただの鉛の弾丸では無い。その14mmの弾丸の弾頭は聖職者の祈りが込められた純銀で作られており、本来吸血鬼を母と崇め主を裏切った彼が持つには畏れ多い代物である。


 嘗ての彼はとある団体の悪魔祓いであった。世界最大の魔術結社とも表現出来るだろう。但しそれは神の奇跡を人間が扱える法術として劣化させた教団であり、この一発撃つだけで人間ならば両肩が外れる可能性がある大型拳銃を開発したのもその教団である。


 悪魔を殺す為だけに仕込まれた数多の細工と、背信者を塵に戻す為だけに仕組まれた多くの仕掛け。彼はそれの使用を悪魔と背信者と異端者に対してだけ扱うことを条件に容認されている。


 銀の弾丸は目の前にいる悪魔の薄っぺらい甲冑を簡単に貫き、肉を破裂させた。


 悪魔の体は弱々しく倒れた。ディーデリックは眉の一つも動かさず、淡々とその頭部に弾丸を撃ち込んだ。取り敢えず動かなくなったことを確認すると、何度か全力でその旧型拳銃で悪魔の頭部を叩き潰した。


 彼の勘は未だに鋭利な殺意を感じ取っている。まだ、これは死んでいない。


 七本の指の一本が動いた。それは小指の隣の隣の指であった。


 その悪魔の体が夏場に置かれた氷のキューブの様に溶け、黒い液体に変わると、それはもう一度蠢いた。


 だがディーデリックは動じない。むしろそんな存在に対しての対処法は、黄金の夜明け団によって確立されているのだ。


 寒風に震える体を暖める為に着込んでいたコートの影から、試験管に似た瓶の中に入っている水をその黒く腐臭のある液体に振り掛けた。


 すると、その奥から悶え苦しむ熊の様な悲鳴が聞こえると、何やらその液体が赤く甘い匂いのする果実の蜜の様な物を撒き散らしながら、蒸発していった。


 一息付くと、彼はずんと伸し掛かる空気の圧迫感を背中から突き刺された。これに似た感覚を、彼は何度か感じたことがある。自分さえも超えた強大な者に見詰められているその感覚。


 直近で感じた物なら、昴と出会った時だろうか。渦巻いている禍々しい気配と、それに混じった血と腐敗と罪の匂い。だが昴から感じていたのは恐怖では無い。深い深い優しさである。


 その印象と本来相反するそれは未知になった。そしてそれは恐怖へとなってしまった。結局昴から感じるのは、恐怖だけなのだ。


 そして今、ディーデリックの背にいるのは、恐らく畏れを人間に与える死屍たる赤子の教会の信者。彼は何度かその人物達と出会っている。獣狩りとは違い彼等は積極的に死屍たる赤子を荼毘に付すことはしないが、その全容を理解せずとも分かることがある。


 彼等は、殺すべき神の敵対者なのだと。


 彼は二丁の拳銃を大きく薙ぎ払い、背にいるであろうその人影に打撃を繰り出した。


 無論それは直撃する。それが僅かによろけた隙に彼は後ろへ足を何歩か下げると、すぐに引き金に指を掛け銃口を向けた。


 それは、見た目だけならポップなコメディーに登場する陽気なゴーストに近かった。ベッドシーツだと思われる純白の布を頭から被って体を隠し、何故か足は無くふわふわと落ち葉の様に揺れていた。


 人間では無さそうだが、彼の触覚はそれを人間だと判断している。しかし実に不愉快で、人間だと信じたく無かった。


「……誰だ」


 その問い掛けにそれは答えない。


 突然、それの横から肥大化した肉の塊が、横の壁まで伸びた。象の足よりも太いであろうそれは、恐らく腕だった物だろう。青い血管が浮き出ており、同時に様々な肌の色が並んでいる。

 勿論典型的な白人の肌、そして典型的な黒人の肌もある。茶色に近い肌、褐色の肌、赤味がかった肌もあれば、檸檬の皮よりも強く濃い人間の肌にしては異常な程の黄色の肌もそこにはあった。

 その巨大な腕に比較して、手は大層小さな物だった。何せ赤子の掌の様に小さく短かったのだ。

 そして妙にその指の先は妙に長い爪が伸びていた。


 それはふわふわと浮かびながら、しかし屈強なその腕を力強く振り払った。


 一瞬、彼は死の予感をひたりと感じた。その肉と塵が溜まった不潔な爪に肌が切り裂かれる前に、彼は跳躍しその振り切った巨大な肉の上に両足を乗せた。


 一つの銃口はその肥大化した腕に、もう一つの銃口は自身の頭部を守る様に並列に構えて、それの頭部に向けた。


 装弾数は二丁共六発。これを外せば一瞬の内に彼は肉片になるだろう。故にこれは命を賭ける二発の銀の弾丸となる。


 まず一発、肥大化した腕に直撃した。何せ巨大な弾丸、それは肉を破裂させ骨を砕き腕を圧し折った。


 僅かな浮遊感を感じながら、彼は二発目を撃った。


 銀の巨大な弾丸はベッドシーツを貫いた。だが、その中には誰も、何もいなかった。貫くべき肉が無く、空気だけが満たされていた。


 圧し折られた腕の傷に白い軟体生物が蠢いたと思えば、傷を隠し、そして体の再生を始めた。


 その肥大化した腕の皮膚の下から茨が小さく生えたと思うと、それは一気に成長しディーデリックの首元に巻き付いた。


 棘は皮膚をずたずたに切り裂き、それは更に深く、広く、肉に突き刺さる。


 しかし彼はとても冷静だった。


「大変そうなんだよ」

「ええ、大変ですね。……彼が、見ているのでしょう?」

「勿論だよ」


 こんな緊迫な状況だと言うのに、その会話は酷くゆっくりだった。


 頭だけがふわふわと飛んでいる。それはこの屋敷の主が悩んでいた頭だけの女性である。


 飛寧の一つの頭はぽすんと床に落ちた。


 二丁の旧型拳銃には弾丸はもう無い。にも関わらず響いたのは発砲音。


 散弾がその肥大化した腕に放たれたのだ。それは昴がドイツに密輸し、リーガンが持って来た私物の散弾銃。それをクラレンスが使ったのだ。


 直後にやって来た昴は、見事な飛び蹴りをそれに食らわせた。そのまま足場にし、空中でくるりと体を回して肥大化した腕の上に足を乗せた。


 一瞬の内にディーデリックの首に巻き付いた茨を左手に持っていたナイフを切ると、そのまま流れる様な動きで回し蹴りをそれに直撃させた。


「やっほディーデリック。そんなに潔癖症だったとは思わなかったよ」

「……貴方がそんなに人間味の無い人物だとは思いませんでしたよ」


 昴は微笑みながら、その肥大化した腕を力強く踏み付けた。旧型銃の方がまだ陳腐な音だと言える程の轟音が響くと、その腕は床へと叩き付けられた。


「クラレンス、狙うなら頭じゃ無くて腕が生えてる所だよ」

「了解」


 彼の赤い瞳はただ主君の命令を遂行する為だけに動く。その白い指はただ主君の命令を遂行する為だけに動く。


 放たれた散弾は、見事に腕が生えている場所、つまりは布に隠された肩の部分に直撃した。すると、ディーデリックが撃った時とは違い、それは容易く倒れてしまった。


 後からやって来たアンジェリカがそれをつんつんと突くと、もう動かないこと、そして生命の鼓動が著しく小さくなっていることを確認した。


 布を捲ると、彼女は不快感を顕にした。そこにいたのは、赤子であった。


 一本の腕が肥大化した赤子だった。勿論一般的なホモ・サピエンスの幼児では無かった。肥大化した腕の様に様々な色の肌が不自然に並んでいた。遺伝子の影響で肌の色が場所によって違う人物もいるのだが、それにしては異様過ぎる。日焼けやそれでは説明出来ないのだ。


 まだ微かに息をしている。後からのんびりと歩いて来たジョヴァンナは、それを見て「またか」と思いながらため息を吐いた。


「死屍たる赤子の教会の信者である者が産む赤子。呪われた赤子です」

「聞かなくても教えてくれるんだね」

「どうせ教えないといけませんから。……私達では専ら死子(しこ)と呼んでいますが。彼等は人間の遺体を使って復活を遂げる。そう言いましたね?」

「うん、そう聞いてるよ」

「言わばこれは、復活を遂げた者が孕んだ子。本来死んだ体から産まれ人間の理から逸脱した忌み子。故にそれは母の操り人形です」

「……うっわー……。……本当に全員燃やし尽くさないと駄目なんだね……」

「……ええ、だから我々がいるのです」


 昴は何の躊躇も無くナイフを逆手に持ち、その刃を無表情のまま赤子の頭部に向けて振り下ろした。その刃が突き刺さる直前に、その手は止められていた。


 ジョヴァンナは昴の手首を掴み、その動きを止めていた。


「……何だ、ジョヴァンナ。話を聞く限り、こいつは殺さないといけないんだろう? 僕が殺しても何も問題は無いはずだ」

「何度も言わせるな。これは私の役目だ。お前の役目では無い」

「俺の役目でもある。何度も言わせるな」

「貴様の役目は弟を弔うだったはずだ。一体何時から赤子を荼毘に付すことに成り代わった。それとも何だ、自らの狂気性を隠す為か?」

「違う、一匹でも残せば青夜が生き返る可能性がある。なら、僕は全てを燃やし尽くす」

「それをするのは我々だと言っているだろう」

「俺がやらなくちゃ駄目なんだ」

「……ならまずは、その涙を何とかしろ。……何をしているんですかダンピール。さっさとその銃でこいつを殺して下さい。この人が殺す前に」


 ディーデリックは装填を済ませ、赤子の頭部に向けて発泡をした。ようやくその儚い命が終わると、ジョヴァンナは昴から手を離した。


「……この為か」

「ええ、この為です」

「自分勝手で我儘、独善的で独り善がりだな。それとも敬虔なキリスト教徒は皆そうなのか? 済まないな、そう言う奴等と関わりが少ないんだ」


 昴は亡骸となった赤子を蹴り飛ばした。


 呪われたる産まれを憎んで、祝される生誕を恨み、許されざる罪を犯した子は実に哀れである。


「……気持ち悪い」

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