弐拾五つ目の記録 磐座の下、その上 ②
注意※分かりにくい表現、誤字脱字があるかもしれません。そして唐突な戦闘などがあります。「そんな駄作見たくねぇよケッ!」と言う人は見ないでください。
ご了承下さい。
殆ど舗装されていない土の道。紅く染まった葉がはらはらと落ちながら、その味気の無い道に絨毯を敷いていた。
登りと降りを何度も繰り返している内に、ミューレンがその場に屈んでしまった。
「……疲れた」
「きっともう少しよ。これは貴方の研究でもあるんだから、ほら、頑張る」
「私は黒恵みたいに好奇心に駆られて無尽蔵な体力を発揮出来る訳じゃ無いのよ。貴方と一般人の私を比較しないで」
「貴方が一般人かって言われたら……強力なルーン文字を扱える人を一般人と言う定義なら、そんなの光以外に一般人がいないわ。そうなるともう一般じゃ無くて特殊よ」
「屁理屈ね。比較に出したのは体力の話であって魔法の話じゃ無いわよ。私の体力は一般人ってこと。伝わらない?」
そんなことをしながら、私はミューレンの手を無理矢理引っ張った。案外容易に動いてくれた。
ようやく山道の終わりが見えた。紅い視界が開けると、そこには山を写した大きな鏡があった。
湖だ。それは周りに聳える山々を写し、凪いでいた。その湖の中心辺りに、ちょこんと顔を出している尖った陸地があり、その上には小さく心許無い鳥居が立っていた。
すまほのずーむ機能で鳥居を良く観察して見れば、華やかな赤色は剥がれてしまっており、嘗ての圧巻さは消え去ってしまっている様だ。
だが、神がいるのは間違い無い。ひしひしとその気配を感じる。そして何より、ミューレンの具合が悪そうだ。只の疲労にしては、様子がおかしい。
親友としては心配だが、科学者としてどうしても好奇心が勝る。ミューレンがこう言う時は必ず何かしらが私達の傍にいるのだから。
周りには人が数人いるが、殆どは祭りの準備をしている様だ。
ただ……二人程、別の理由でやって来ている人だろう。作業をしている村人に積極的に話し掛けている女性と男性。何だか私達と同じ匂いがする。
まあつまり、科学者だ。ミューレンは宗教学専攻だから違うって? 宗教学だって立派な科学よ。つまりミューレンも同じく科学者。
一人の男性は気弱そうに、他人と目を合わせることもせずにつらつらとめもを取っていた。一方の女性は四角い眼鏡を光らせながら、体を何度も捩っていた。
そのまま女性は男性の手を引いて、何処かへ行ってしまった。
あー、だから女将さんは、今日は繁盛って言ったんだ。納得出来た。
「……ねえ、黒恵」
「何? ミューレン」
「……岩に、いるわ。湖の岩。とても、大きくて、とても、恐ろしい。……それは、もう、人に宿っている」
「ミューレン?」
「……大丈夫。あの時よりかは、意識が保てるわ」
……少し、危険かも知れない。
「ミューレン、一旦戻るわよ」
「……待って」
「何よ今度は」
「……天使がいるわ。別に弱い訳でも無いけど、不思議な気配。人の中にいるわ」
「……貴方天使と出会ったこと無いでしょ?」
「……ええ、そうね」
またミューレンの片目が銀色に輝いていた。この状態は非常に不味い。
そのままミューレンはふらふらと覚束無い足取りで私に背を向け、糸で括られた人形の様に歩き始めた。手を掴めば、その歩みもぴたりと止まるが、相変わらず視線は別の方を向いている。
直後、ミューレンの視界は私の後ろに向いた。
「……夕真さん」
彼女はそう呟いた。
後ろを振り返ると、険しい顔をしている夕真さんがいた。その鋭い眼光はミューレンを睨み付けており、まるで悪魔を前にする神の信者の様だった。
「誰だ貴様」
「……ミューレン・ルミエール・エルディー」
「そんな訳が無い。その匂いは、人の其れでは無い。もう一度聞こう。誰だ、貴様」
「……私は……黒恵の親友よ」
「……匂いが変わった」
色々聞きたいことがあるが、夕真さんは変わらずの笑顔を浮かべたままミューレンの頭に手を置いた。
「その様子だと、見えるのでしょう?」
「……はい。けど、あれは一体……」
「滅びの一途を辿る古代の残骸です。その目で見れた貴方は幸運ですよ。最早彼等彼女等はその殆どが嘗ての戦で死に絶えてしまったのですから」
二人にしか分からない会話をしている……。
二人の視界はどう言う訳か私の背よりも上に向いていた。その方向を見詰めてみると、少しだけ雲の多い空が見えた。それ以外と言えば……下に湖がある。
「何が見えてるのよ二人共」
「巨人よ」
ミューレンは冷静に、そして何も驚いていない声でそう言った。そしてミューレンは私の頭上よりかも高い場所を指差した。
「狐の目、使ってみて」
ミューレンの様子が明らかにおかしいが、私は好奇心に負けてしまい、指差された場所を狐の目で見た。
私の視界では捉え切れない程に巨大な背丈を持つ怪物がいた。
空に届きそうな程に高い場所にある頭部には紅い眼球が何十もあり、それがそれぞれ別の方向を向いていた。口は無数の針を刺され閉じてしまっている。
その細く長い腕は、肘から三叉に別れている。その腕は皮膚が腐っているのか爛れており、そこから白色の粘液が湖に垂れていた。その腕の内、四つの手は周りの山の上に置かれていた。
その内、二つの手には、錆付き、刃も半分欠けている剣を握っており、ぴくりとも動かさない。
胸の辺りには肌も肉も無く、ただ肋の骨が浮いていた。だがそれも多くが欠けており、巨大な肉の塊がその中で鼓動を続けていた。
脚は片方が腐り落ちており、もう片方の脚を曲げながら湖のちょこんと顔を出している尖った陸地に置いていた。
それの背中には大きな肉の塊を背負っており、まるで瘤の様になっていた。それは縦に並ぶ歯と口が並んでおり、二つに裂けていた。
「……観測史上最大の神仏妖魔存在じゃ無い? あれ、パンドラが出した存在よりも大きそうよ」
「ある意味間違いでは無いでしょう。もう巨人その物が少なくなってしまいました」
夕真さんはそう言った。
「……取り敢えず、詳しい話は、旅館でしましょうか」
私達は一旦旅館へ戻り、紅葉の部屋で夕真さんの向かいに座りながら話を聞いた。
「今は何故こんな所に来たのか。それは聞きません。どうせ偶然でしょう。……さて、巨人の話をしましょうか」
私はその話を食い入る様に聞く姿勢を正した。夕真さんは相変わらずの笑顔だ。
「まず、大和王権が日本最古の統一国家を作り上げたのは、まあ義務教育でしょう」
「それは勿論」
「それは決して人と人との争いではありませんでした。古代日本において大和の神々が、その地にいた神々を説得、まあそんなことを繰り返していました。そんな戦乱の時代、最後まで抵抗を続けた、それが巨人です」
「……その生き残りが、あれってことですか?」
「ええ、あれです。他にはそうですね……その空っぽな頭でも知っている程有名なダイダラボッチも巨人の生き残りですね。世界各地で巨人の殆どが死に絶え、今やあの様に大した信仰も無く残っている巨人は一生に一度出会えることも出来ない程に希少な存在です」
さらっと貶された気がする。
「……この地域はあれを信仰しているってことですか?」
「話を聞いていましたか? ……この地域は岩を信仰しています。……まあ、昔はその岩の上にいるあれを信仰していたのかも知れませんが」
……ミューレンが言っていた『……岩に、いるわ。湖の岩。とても、大きくて、とても、恐ろしい。……それは、もう、人に宿っている』と言うのは、あの巨人のことなのだろうか。とても大きいし、とても恐ろしい。これだけならあの巨人と結論付けられるが……気になるのは『もう、人に宿っている』と言う発言だ。
あれが人に宿っている? そんな様子は見られない。宿っているとしたら巫がいるはず。
「そう言えば、何で夕真さんはこんな所に?」
「祓魔師としての仕事で」
祓魔師として……。つまり、この地域には人間の敵となる存在がいると言うことだ。
「この辺りの村長に頼まれたのです。『毎年の祭りを巫女の神託通りに開催するのだが、その巫女が神託の直後から危篤状態に陥っている』と」
「あの巨人の所為ですか?」
「そればかりは何とも。可能性としては充分ありますが。いや、むしろ聞いた中ではその可能性の方が高いでしょう。……見に行きたい様ですね」
おっと、バレてしまった。
そう、こんな話を聞いておいて、「危険だから」と言う理由で行かないなんて考えを持っているはずが無い。私は白神黒恵。好奇心旺盛の科学者よ。
「……少々、と言うか大変ショッキングな状態ですが……。……本当に見に行きますか?」
「はい!」
夕真さんはため息を吐いて、軽蔑した様な目を私に向けた。相変わらず笑顔のままで。
「まあ、良いでしょう。今回の件はあたし一人では解決出来そうに無いので」
夕真さんの祓魔師としての実力は分からないが、少なからず私達よりも実践経験はあるはず。そんな人が一人では無理って……わくわくするわね!
そのまま私達は夕真さんの案内を受けながら、北東の山の中腹に位置する神社へ向かった。その間にも私はミューレンと雑談を交わしていた。
「治らないわね。その目」
「そうなの? 視界は特に変わり無いのだけれど……」
「前もそうだったでしょ? 視力に変化は無かったし」
「……本当に、何なのかしらね。この現象。私がルーン文字を扱える様になってから頻繁に……」
「報告だと光もなってたらしいわ。ミューレンとは違う方の目だけど。ミューレンと光は何か特別な繋がりがあるのかしら」
……他に誰か銀色の瞳を持つ人がいただろうか。この現象に再現性があればすぐに分かるのだが……。今の所一切の条件が分からない。
長い長い石の階段を上り、ようやく神社へ辿り着いた。すると、旅館で一度だけ出会った背丈が高い男性がそこにはいた。
せっせと鎌で草を刈り取り、それを自分の横に積んでいた。此方に気付くと、気前の良い笑顔を向けて来た。
「ああ、旅館に泊まっている……。……それに大聖さんも」
「……また、ここに来たのですか」
「あはは……今度は違いますよ。草刈りですよ草刈り。娘に会いに来たんじゃありません」
「……気持ちは分からなくも無いですが、近付けば危険になるのは貴方です。努々、忘れない様に」
「……ええ、分かっています」
気前の良い笑顔は暗い闇を見せる酷い笑顔に変わってしまった。
「……何故、その二人が?」
「何と説明すれば……まあ、愛人の友人達です」
「……更に謎が深まりましたが……」
愛人って……昴に好意を向けてるのは知ってるけど、光にバインドルーンぶつけられても知らないわよ。光はミューレンと同じく怒らせたら怖い性格なんだから。
私達は拝殿へと上がり、こじんまりとした中の木の床材に足裏を冷やしながら先へ進んだ。その奥に、女性がいた。だが、頭部の形が……。
「あら、大聖さん。また、来たんですね」
「……容態はどうですか」
「……吐き気が先程よりも酷く、左半身の動きが鈍くなってしまって……それに、ここが、硫酸を掛けられた様に痛みます」
小柄の女性は巫女服を着て、ちょこんと正座をしながら此方を向いていた。だが、どう見ても、その頭部に目を惹かれる。
女性の頭部の左側は大きく膨れ上がっており、赤い肉の瘤の様になっていた。大きさは私の頭と大体同じくらいだろうか。
それがどくどくと脈を打ち、青い血管が浮き出ている。
その瘤に注連縄が巻かれており、何やら不可解な漢字が書かれている白い札がその注連縄から垂れていた。
「……そちらのお二人は?」
「愛人の友人です」
「……ちょっと仰言っている意味が……?」
「まあ、あたしと同じ様な人だと思って下さい」
その見た目に、私の心はざわついた。勿論余りの異形に怖気付いたからでは無い。こんな末恐ろしい瘤を作り出した原因が気になって気になって仕方が無いのだ。無論恐怖は感じる。だが今は、その恐怖を上回る好奇心が滾って仕方が無いのだ。
「初めまして、この神社の宮司兼巫をしております。嘉手納真弓と言います。……見ての通り、厄介な状況に陥ってしまい……」
夕真さんはここぞとばかりに口を開いた。
「この地域ではこの時期になると巫の神託を下に正確な祭りの日を決めるそうです。前年までは問題無く、今年の神託を受けた後に、こんなことになってしまったらしいです」
「原因は一体……」
ミューレンがその女性の瘤に手を伸ばしながらそう聞いた。ミューレンの腕は瘤に触れる寸前で止まり、床に垂れた。
「……それが分かれば、すぐに対処します。ある程度検討は付いていますが、まだ確証が得られません。恐らく神託を受ける際の儀式が原因で神が中に入ったのでしょう」
「けど、憑坐ってそう言う物じゃ……」
「憑坐と言うのは本来、大変危険な役割です。何せ自分以外の人智を超えた存在を入れるのですから。故にその胎内に生命を育み生み出すことが出来る女性が、もしくはより純粋で他者との境界が薄い幼児が選ばれます」
「つまり……真弓さんの中には、何かが入り込んだまま体を蝕んでいるってことですか?」
「恐らく」
巫女の人って命懸けなのねぇ……。
すると、真弓さんが小さく声を出した。
「神を降ろす儀式はとても簡単です。あの湖にこの脚で赴き、その水と酒を混ぜ、飲み干す。これだけで完了です。後は神輿に乗り、決して土の地面を踏まずに本殿に入り、一晩過ごす。そうすれば夢で神託が降ります」
確かにとても簡単だ。特に呪文や舞も必要無く湖の水と酒を混ぜて飲めば殆ど完了。お手軽神降ろしだ。それともここの神仏妖魔存在が快く人の体に入ってくれる性格なのだろうか。
……それならこんなことにはなってないわね。
「……ミューレンさん。何か見えますか?」
「……いえ、特には」
「そうですか。貴方ならあたしにも見えない何かが見えると思いましたが……どうやら買い被り過ぎた様ですね」
嫌味が自然に出て来るのは流石としか言えない。しかも笑顔のまま気の所為かと一瞬思わせてしまう顔芸も中々だ。
拝殿を後にすると、二人組が何やら喧嘩している。……喧嘩……じゃ無いわねあれ。気弱そうな男性が、無理矢理拝殿に入ろうとしている女性を引き止めている。
「辞めろ! は、な、せ! 僕の研究を妨害するのは助手君でも許さんぞ!」
「だからって許可も無く拝殿に入るのは駄目です! ここはこの村の大事な神社! 許可も無く立ち入ることは神聖さを汚すことと同義! 分かっているでしょうそう言うことは!」
「は! な! せ! 御神体をこの目で見るんだ! どうせ鏡だと思うが!」
男性をその不健康そうな細腕で投げ飛ばし、異常な発汗と咳をしていた。そのまま一歩踏み出すと、力が抜けたのかその場に倒れてしまった。
「……ここに来て体力不足が祟るとは……不覚ッ……! 目の前に神がいると言うのに……不覚ッ……!!」
……へ、変人だ。
「ああ、そこにいる少女達! 拝殿の中から出て来たね!! 御神体は見たかい!? どんな物品だった!? 僕に教えてくれ!!」
「え、えー……と、多分、石?」
「石! ほうほう石かい! 付近にある湖の下に眠っている岩を進行している地域だから納得の御神体だ! ならばこの神社にはその岩の神様の分体と言うことかい!?」
「……変人だ」
「失敬な! 僕は変人では無い! 筒井環、一端の民俗学者だ! スリーサイズは上から89、69、77!」
「変人じゃ無くて変態だった」
「人間と言うのはどうせ外見からその人の印象を決定付ける! ならばスリーサイズをはっきり明記することでより円滑なコミュニケーションを交わし人間関係の広がりを手助けするだろう! あくまで僕の持論だがね! そこで投げ飛ばされたのは僕の助手君! 次いでに婚約者だ! まあ婚姻届を出しただけだがね!」
何だか私と同じ匂いを感じる。好奇心のまま脚を動かし疲れ果ててしまう、そんな似た様な雰囲気を。……勘違いしないで欲しいが、幾ら似ている雰囲気を持っているとは言え、私は初対面の人にすりーさいずを叫ぶ痴女では無い。
「……喉が痛い! 助手君、喉薬をくれ! 僕のリュックに入っているはずだ!」
「それ昨日全部使いましたよね!?」
「そうだったか? なら仕方無い。旅館に戻れば別けて貰おうか」
何だか色々あれな夫婦だ。……夫婦と言うより先輩後輩の関係に近い気がする。
「さあ拝殿に入ろうか助手君!」
「駄目です」
「何故だい格好良い帽子の君!」
「ちょーっと、何と言うか、近々開催される祭りの影響で、人と会うのに憚られるらしいので」
「なら何で君達は大丈夫なんだい」
「……巫女みたいな人だからです」
……私は神仏妖魔存在の力を宿して、偶にその声が聞こえるから間違いでは無いはずだ。ミューレンはまあ……うん。何か力があるし。夕真さんは……まず宗教が違う! まあシスターも巫女みたいな……いや違うわね……。
そのまま環さんは助手の人に引き摺られて神社を後にしていった。気が合いそうだったが、知り合いにはなりたくない。突然自分のすりーさいずを叫ぶ人とはちょっと……。
私達は一度、旅館へ戻った。
「……まあ、ああ言うことです。あれの原因究明、及び解決の為に、あたしは来ました。……どうです? 何か分かることは、ありましたか?」
「……気になることなら、一つだけ」
「何でしょうか」
「あの巨人の腕から垂れて湖に落ちている粘液。ひょっとしたらあれの所為なのかなーって。湖に巨人の一部が混じって、それを通じて環さんの中に入り込んだ……とか」
「……成程」
ふとミューレンの方に視線を向けると、ふらりと立ち上がり大層当たり前だと言わんばかりに自然と部屋を後にした。
今のミューレンは目を離した隙に風に吹かれて散る蒲公英の綿毛の様な儚さがある。そんな不安感が募った。しかし私の中に潜む好奇心が、ミューレンを止めることを躊躇った。今の彼女は正しく未知へと赴こうとする意識の無い糸で括られた人形の様な物だ。誰が糸を引いているのか確かめたい。そんなことばかり気になってしまう。ミューレンの安否なんて私の心にはもう無くなっていた。
夕真さんも怪訝そうな表情をしながら私と一緒にミューレンの後に着いて行った。
彼女は相変わらずふらふらと覚束無い足取りで、片目を銀色に輝かせながら旅館内を闊歩していた。彼女の意識は希薄化しているのだろう。やはり親友として止めるべきだろうか? いいや、このまま歩かせた方が色々好都合かも知れない。もう少し我慢してねミューレン。
そのまま彼女は従業員室に当たり前の様に入り、構わず前へ進んだ。
途中女将さんと出会ったが、その静止さえも届いていないのか歩みを続けていた。
「ミューレンさん!? ちょっとどうしたんだい!! 気分悪いのかい!?」
それでも彼女は歩みを止めない。ずっと同じ様にふらふらと、何処を目指しているのかも分からないが、何せミューレンだ。何かを感じ取って無意識的に歩みを進めているのだろう。ある意味彼女の平常運転とも言える。
そのままミューレンは裏口にまで足を運ぶと、その場で動きを止めた。
「……あら?」
「あ、意識が戻ったわねミューレン」
「……何で、こんな所に?」
ここで足止めか……。少し残念だ。この辺りの封印された妖怪とか怪異とかの場所に案内してくれると思ったのに。
直後、悪寒が私の背をなぞった。こう言う時の私の勘と言うのは嫌でも当たる物だ。
悪寒の理由は、私の視界に映る情報が原因だ。目の前にあるのはこの旅館の裏口の扉。扉には硝子が一枚張られており、そこを挟んで日が沈み掛ける直後の茜色の光が悲しそうに差し込んでいた。その光を遮る一つの人影。
只の人ならそれで良い。不自然なのは、ずっとその場で微動だにせずに、偶に人影が陽炎の様に揺らめいていることだろう。
ミューレンも流石に気付いたのか、息をはっと飲み込んだ。夕真さんも目付きを鋭くし、懐に手を入れた。
その静寂を破ったのは女将さんだった。何と扉の向こう側にいる存在に怒声を浴びせ始めた。推定超常存在にそれが言えるって……相当肝が座った人ね……。
「何だいそんな所で! 誰かいるなら悪戯はおよし!! 馬鹿やってないでさっさと入りな!!」
その声に反応したのか、扉の取手が回った。今は珍しい握り玉の取手だ。まず取手が付いている扉も最近ではもう見ないが。それががちゃがちゃと何度も乱雑に回った。
四度か、五度取手を回すと、また静かになった。だが相変わらず人影は微動だにしない。
瞬間、それは突然動き出した。今度はその硝子に何度も頭を打つけ、取手を更に乱雑に何度も回している。だが、どれだけ回しても、どれだけ頭を打つけても、この扉は開かない。
また静かになると、今度はその人影が一歩後ろへ下がった。その硝子に、今度は両手がぴたりと張り付いた。その手には親指が無く、しかし指の本数は五本だ。つまり小指の隣にもう一本の指があるのだ。
茜色が鳴りを潜めたその瞬間のことだった。突然黒板を爪で引っ掻いた様な不快な、動物の鳴き声が扉の向こうから聞こえた。それに呼応する様に、同じ鳴き声がまた聞こえた。
硝子にぴたりと張り付いた両手が一度離れ、再度触れると、硝子から小さく音が鳴った。同時に触れている箇所から徐々に罅が広がり、枝分かれ状に広がり、硝子の板いっぱいに広がった。
「ミューレン! 下がって! 入って来る!」
楽観的な私でも分かる。あれはやばい。危険だ。
硝子の罅が一斉に広がると、高い音を出して一気に割れた。そこから顔を覗かせたのは、肉の塊だった。
最後まで読んで頂き、有り難う御座います。
ここからは個人的な話になるので、「こんな駄作を書く奴の話なんて聞きたくねぇよケッ!」と言う人は無視して下さい。
新しいキャラが増えましたね……扱え切れないのに……
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