弐拾二つ目の記録 夢であって ④
注意※分かりにくい表現、誤字脱字があるかもしれません。そして唐突な戦闘などがあります。「そんな駄作見たくねぇよケッ!」と言う人は見ないでください。
ご了承下さい。
……んー……? ……何か柔らかい感触が……。
寝惚けた瞼を擦り、ぼやける視界で隣を見ると、見慣れた金色が見えた。若干の良い匂いが鼻腔を擽ると、視線を柔らかい感触がする私の胸辺りに向けた。
何か大きいく柔らかい物が私の胸に押し付けられている。
ようやく視界のピントが合うと、それの正体が分かった。ミューレンの胸だ。
……ま、それなら安心。
ミューレンの顔を見てみると、未だにすやすやと眠っている。
「……ああ、そう言えば、一緒に寝てたのね……。忘れてたわ……」
……寝間着姿のミューレンは、やはり美人だ。どんな遺伝子配合ならこんな黄金比率の顔立ちになるのか。……黄金比率の顔面を持つ黄金の髪の毛を持つ黄金の瞳を持つ美人な女性……。うーん私の親友にしては欲張りせっと過ぎる。
さて、ミューレンが起きるまでこの柔らかい感触を楽しんでおこ。
確か昨日はこの世界のミューレンが逃げた後に、IOSPの隠れ拠点と言うか、そんなホテルに泊まりに来ていたはず。
「……んぅ……」
ミューレンの小さく開いた唇からそんな音が聞こえた。
もう充分楽しめたし丁度良いだろうか。
ミューレンの金色の瞳が見える様になり、その瞳孔は私の顔を見詰めた。
「……黒恵?」
「おはよ」
「……ええ……お早う……。……頭痛い……」
もう一度私の顔をまじまじと見詰めると、ミューレンの顔は火が点いた様にぼっと真っ赤になった。
ベッドの上を転がり床に落ちて、混乱した表情で辺りを見回していた。
「え、あら!? あららららぁ!?」
「どうしたのよミューレン」
「……ちょっと待って、少し整理させて。頭が痛いの。私達お酒でも飲んだ?」
「ええ、貴方から言ったのよ。お酒を飲みましょうって。ほら」
私は床に転がった二つの空きの缶を指差した。
「……あー道理で覚えていない訳だわ。貴方と一緒に寝た記憶も寝間着に着替えた記憶も無いもの」
「いやー昨日のミューレンは大変だったわ」
そして、私達はそのホテルの外に出た。
私達には、まだするべきことがある。この世界の彼女を、救わなければならない。
ホテルの前には集治さんが待機していた。何故か黒いゴミ袋を持っているが……。
「そのゴミ箱は?」
「ああ、これですか。昨日の黄色い合羽を燃やしてたんですよ」
ゴミの処分にそこまでする必要があるのだろうか。
そして私達は、この世界のミューレンの捜索を始めた。私達はもうこの世界から元の世界に帰るにはどうすれば良いのかを考えることはしなかった。もう考えるだけ無駄だったから。
とは言っても、手掛かりなんて一つも無い。集治さんが言うにはミューレンは時折未知の方法で逃げるらしい。
つまり、逃げることをさせない、もしくは出来なくする状態で私達が説得するしか無い。彼女を救う為にはそうするしか無い。
だが、結局昼まで彼女の情報は見付からなかった。まあ、人を殺すなら夜の方が適しているのはそうだ。外が暗い時間なら、簡単に死角が出来る。そしてあのミューレンの力。
あれは……ルーン文字のはずだ。多分。ラドとか言ってたから。
ただ、ミューレンの力はあくまで石とかに刻んで使う物。つまり言葉を呟いただけで使うことは出来ないはず。
私の隣に座っているミューレンに聞いてもそう答える。
……あ、でも、そう言えば温泉に行った時、迷い人の街でミューレンの姿が変わった時には言葉を呟いただけで使うことが出来ていた。
あの時はもう少し発音が良かった気がするが、それと同じ原理だろうか。
そうなると、あの白い髪と銀色の瞳に変質することを考察した方が早そうだ。
初めて会ったパンドラの容姿は正しくそれだった。私はそれを白百合の様だと形容した。だが、次に会ってからは黒い髪に変わっている。
そして私は、白い髪の持ち主をもう一人……いや、もう一柱知っている。經津櫻境尊だ。
經津櫻境尊のあの姿。これはミューレンが神仏妖魔存在に近付いている証拠なのか、それとも全く別の理由なのか。
……あ、でもあの時の彼女は髪も白く無いし目も銀色じゃ無いわね。じゃあ全く別の理由?
……いや、それにしては――。……昴が言うには光にもミューレンと同じことが起こっている。それに私があの異世界の記憶が途切れた直前、魅白が私の顔を覗いた瞳の色は、銀色だ。
……そう言えば、詩気御さんは目が金色に輝いていたはず。それに隻腕の男性も。ああ、あの人は片方が金色で片方が銀色だった。それに髪も白い髪が混ざったらしい。
えーと、つまり? これに意味はあるのだろうか?
金色が男性……なら隻腕の男性で破綻してしまう。銀色が女性なら、それも隻腕の男性で破綻してしまう。それに昴が言うには私の目の色は金色に輝くらしい。
単純に人間のその力が神仏妖魔存在に達した証拠……それなら正鹿火之目一箇日大御神や高龗神で破綻してしまう。
特に意味の無い物では無いと思うけど……。
……駄目だ。根拠が不充分だ。……まず何を考えていたんだっけ……?
私達はコンビニの前で停まった。
「黒恵さん」
そう言って集治さんは財布を引っ繰り返して大量の百円玉を私の手に落とした。数えると三十枚ぴったりだ。
「ああ、これで渡すのは辞めた方が良かったですか?」
「私財布持って無いので。スマホなら。あーでも私の口座はもう止められてるのかしら」
「一応死んでますからね。じゃあやはりこれで二人のお弁当でも買って下さい。足りない分はまた後で私が払うので」
「……財布に百円玉がいっぱいあって邪魔だから私に渡してません?」
集治さんは露骨に目を逸らした。
「……そんな訳ありませんよ」
集治さんは悪そうに「クックック」と笑っていた。だが、何故だろうか。何処か寂し気だ。そんな印象を受ける。
だが、私に対して寂し気な顔をする理由が見当たらない。まず私と集治さんは昨日が初対面だ。それに私がいた世界ではまず出会ってもいないはず。
……まあ、失恋の相手が私に似てたりするのだろう。気にしないことにした。
コンビニでお弁当を選びながら、ミューレンと会話をした。
「ねえ黒恵、この世界を夢と定義することは出来る?」
「変なことを聞くわね。どうしたの?」
「……ただ、この世界を現実だと定義したくないだけ」
「……そう。ちょっと時間を貸して」
私はミューレンが取ろうとした弁当を先に取り、熟考した。
「……あ、思い付いたわ」
「私が取ろうとした弁当を先に取ったわね?」
「まず――」
「無視するのね」
「テセウスの船の私の答え、覚えてる?」
「ええ。『私は私だけが知り得る知識と記憶と歴史がある。私が私だと証明するのはそれだけで充分だし、ミューレンが私を私だと信じるのなら私は私では無いと証明することは不可能になるわ』だったかしら?」
「そう。それで明晰夢の時、夢だと分かるでしょ? つまり夢の中でも夢だと理解出来ることがある。この二つの根拠を合わせれば簡単に分かるわ」
ミューレンは僅かに思考をする様に俯くと、はっとした様な表情に変わった。可愛い。
「つまりこの世界を私と貴方が見ている夢だと思っても、明晰夢の例があるから不思議なことでは無い。それに夢を見ている私達がこれを夢だと思えばそれは夢になるってことね。胡蝶の夢?」
「それに近いわね。若干意味合いは違うけど。まず現実が夢では無いと証明する根拠は、見ている景色が現実であると言う認識だけよ。何方を現実とするかは、その認識を変えるだけで良いの。胡蝶の夢なら胡蝶を現実と認識する。もしくは荘子を現実と認識する。これだけで現実と夢は入れ替わるわ」
「貴方の話を聞いていると、夢と現実が同じ様に聞こえるわね」
「別に私はそう言ってないわよ? 私個人の意見だとしたら、夢が現実になるのなら現実は夢にもなると思っているけどね」
ミューレンの顔を見ると、何処か悲しげだった。私を見詰めて、そんな表情を向けていた。
「何よそんな顔して」
「……いいえ。何でも無いわ」
「そう言えば、何でこんなことを聞いたの?」
「この世界を夢だと思いたかっただけよ。ああ、だから昨日はあんなにお酒を飲んだのね」
……少し、ミューレンの精神状態が心配だ。いや、私がいた世界の彼女が、私がいた世界のミューレン・ルミエール・エルディーと言う存在があやふやになっている。
やはり別世界の彼女と接触してしまったからだろう。これ以上の接触は、どうなるか分からない。最悪、この世界の彼女の心を反映してしまうかも知れない。これ以上は同行させない方が良いのかも知れない。
……ただ、この世界の彼女を救う為には、ミューレンが必要だと思う。そこは光と同じ意見だ。きっと光も私と同じ結論に至ったからこそ、ミューレンにああ言ったのだろう。
ミューレンを心から理解出来るのは、残念ながら私では出来ない。出来るのは世界で唯一人、ミューレンだけだ。だが、今この世界では唯一人しかいないはずのミューレンが二人いる。
彼女はミューレンであり、ミューレンは彼女。彼女の心情を理解するのは、ミューレンだけであり、ミューレンの心を救えるのは、彼女だけだ。
光は私の隣にいるミューレンと出会った時に、この結論に素早く到達したのだろう。光は大事な所だけ煙を焚く様に暈し、私達に答えを考察させる悪い癖がある。
もしくは、あまりに偉大な頭脳を持ち合わせた彼女は他人に答えを考えさせることを美徳と考えているのかも知れない。全ての答えを教わる、言い換えれば思考停止だ。
彼女が人類の発展を望んでいるのなら、それはきっと避けるべき事象なのだろう。数多の頭脳と多様な価値観が複雑に絡まり合い無数の因果関係が相互干渉を引き起こし指数関数的に人間の技術力は向上する。
きっと光は、それを望んでいる。光の資料と論文と研究結果を幾ら調べても無いことも、その願望故だろう。
取り敢えず私は照焼チキン弁当、ミューレンは唐揚げ弁当を買った。
集治さんの車に乗りながら、コンビニで温めて貰った弁当を食べていた。
やはり照焼の様な醤油を基本とした甘い垂れが良い。無駄に味が濃い物はどうしても私の口に合わないのだ。
……さて、ミューレンのことを考えないと。
彼女の説得が第一。と言うかまずこの世界のミューレンは私さえも殺そうとした。私は彼女にとっての「白神黒恵」では無いのだろう。彼女にとっての「白神黒恵」は彼女の隣にいる屍だ。
つまり、彼女にとって私は偽物。
やはり説得は、ミューレンに任せることしか出来ない。私だときっと無理だ。彼女が「白神黒恵」の死を受け入れない限り。その死を受け入れる様に説得するのもミューレンしか出来ないのだろう。
その為には、結局、彼女を探さないと。
すると、集治さんのスマホが鳴り響いた。
聞き耳を立てれば、どうやら光からの連絡らしい。
『――場所が分かるかも』
「……かも? 可能性はあると言うことですか」
『まだ確定じゃ無い。正しいとするなら、多分場所が分かる』
「……分かりました。今すぐそちらに――」
『――初めまして集治君』
突然通話から聞こえる声が代わった。男性の声だ。
『そこに黒恵君がいるはずだ。代わってくれ』
「……光さんは?」
『ああ、安心してくれ。僕から頼み込んで代わって貰ったんだ。それは要らない心配だよ』
「……分かりました」
集治さんは怪訝そうな顔で私にスマホを手渡した。
そして、耳元にスマホを近付けると聞いたことのある声が聞こえた。
『やあ黒恵君。御旗詩気御だ』
「……今度は何が目的なんですか?」
『君のことは、いや、君達のことは聞いている。この世界のミューレン君を探しているのだろう?』
「そうよ。それで?」
『警戒心が駄々漏れだよ。まあ良い。……これは、僕の目的に反するのだが、あの方のお願いだ。何時も感謝しているからね。これくらいは良いだろう。どうせ僕の目的はこの世界では果たせない』
……話が全く見えない。
まず、あの方……そう言えば、初めて会った時にも「あの方」と言っていた。詩気御さんには命令を下す上の存在がいるってこと……よね?
『今光君と共に向かっている。話はそこでしようか』
すると、車の窓にこんこんと叩く音が聞こえた。窓の外を見ると、詩気御さんが薄ら笑いを貼り付けながらこちらを覗いていた。スマホを耳元に近付けながら、手を横に振っている。
『開けてくれるかい?』
私はその窓を開いた。
詩気御さんは何時の間に隣にいる光にスマホを返し、窓から車内に頭を入れながら口を開いた。
「やあ、黒恵君。それにミューレン君。談笑に花を咲かせたいが、まあ今は時間が無い。手短に終わらせよう」
詩気御さんは薄ら笑いを貼り付けながらも真剣な声色で話を始めた。
「光君ならミューレン君の場所を感知することが出来る。理由を説明している暇は一切無い。こちらでも出来る限りのサポートはするつもりだが、何処まで出来るかは分からない。この説明で納得してくれ」
……もし、詩気御さんの話が本当なら……。……背に腹は代えられない。
「……光、本当に出来るの?」
光は僅かに俯きながら、一度だけ頷いた。決して、私と視線を合わせてくれない。
「……分かった。お願い」
すると、詩気御さんは光の目元を手で隠した。その手を下げると、光の黒い右の瞳が銀色に輝いた。
ミューレンと、同じ現象が光にも起こっている。これはつまり……えーと? どう言うことなのよ!
光は腕をゆっくりと上げ、後ろを指差した。
「……神奈川県川崎市。三年前に解決した元第一理由封鎖地区の一番高い廃ビル。もう原因は解決してるはずだから、危険は無いはずだよ」
何で分かるのかはこの際どうでも良い。いや凄く気になる。こんな状況で無ければ詩気御さんに聞いていた。
「ありがとう光。それに詩気御さんも」
光は私と視線を合わせなかった。
だが、詩気御さんは薄ら笑いを貼り付けながら、僅かに考える様な素振りを見せた。
「……黒恵君、そう言えば君に渡す物があったよ」
そう言って詩気御さんは一体何処に隠し持っていたのか、黒い表紙の本を私に手渡した。それは、「ENIRVAUST EGUAL CRIME」と書かれていた。
「これを失くしていただろう? これの持ち主は君だ。失くさないでくれ」
「……何か、知ってるんですか? この本のこと」
「そうだと言ったら?」
詩気御さんはクスクスと笑っていた。
「さあ、僕のやるべきことはもう終わった。行くと良い。……必ず、彼女を救ってくれ。彼女は闇の中で今も尚『白神黒恵』を探している。闇の中では君の姿は隠れると言うのにね」
私達は先程光に言われた通りの場所へ向かった。
詩気御はその車を見送り、隣にいる光に話し掛けた。
「別れの挨拶は良かったのかい?」
「……そんなことより、どうやってあの二人がこの世界に来たことを察知出来たんですか?」
「いいや、察知は出来ていない。あの方に言われただけさ」
「……そうですか。……あの時話したことは、全て――」
「事実さ。君に嘘を吐く訳が無いだろう?」
詩気御は光の前髪に触れながら、彼女を愛おしそうに見詰めていた。
「君は、そうだね。昴君と黒恵君の次には、親しく思っているのだから。それに今の僕の目的はミューレン君を救うこと」
光は詩気御の手を払い除けながら、また質問をした。
「何でそんなにミューレンのことを気に掛けるんですか?」
「当たり前だろう? 彼女は僕の、妹だからさ」
光は一瞬表情を強張らせた。そして、何かに納得する様に何度か頷くと、彼女は詩気御の顔を再度見詰めた。
「……だから昴君も、救おうとしてるんですね」
「ああ。彼は、そして彼女は、僕の妹の大切な人達だからね――」
「――第二機動部隊現着。第三機動部隊、第四機動部隊、第五機動部隊、第六機動部隊、確認」
集治さんの無線機での会話が聞こえる。
「恐らくもう勘付かれています。ミューレンさんのあの感覚の範囲は相当ですから。恐らく半径10km以上はあります」
神奈川県川崎市の第一理由封鎖地区はたった一つ。日本国内だと五十七箇所。現在解決済みの第一理由封鎖地区はここを含めて四十九箇所。
実際、殺人犯が逃げるなら一番適している場所だ。監視カメラも無く人通りも自衛隊以外無く、それから逃げれば簡単に潜める。
「……黒恵さん、ミューレンさん。今動かせる機動部隊が全て現着しました。総勢百二十名。……突撃は、しないつもりですが」
「どうするミューレン?」
ミューレンは暗い顔をしていた。
「……大丈夫?」
「ええ。大丈夫。……まず、私が行くわ」
「じゃあ私も――」
「貴方はここにいて。きっと彼女は、貴方がいると混乱するわ。だから、私が一人で」
「けど……。……死んだら許さないわよ」
「死んでしまった貴方が言うのね」
ミューレンはクスクスと笑っていた。
すると、彼女は私に向けて小指を立てた。
「ほら、指切り」
「ああ、はいはい」
私はそのミューレンの小指に、自分の小指を絡ませた。こんなに小さな触れ合いでも、彼女の体温を感じる。
「……さて、行って来るわ」
「行ってらっしゃい。彼女を助けてあげて」
「ええ。任せなさい!」
ミューレンは笑顔で、そしてたった一人で、植物が生い茂る地区に足を入れた。
「……さて、進むのに苦労しそうね」
私の視界の先に広がるのは、数十年単位で、そして現代の技術力を超えた過去の遺物の所為で植物の成長速度が何十倍にもなっている植物達が生い茂っている。
三年前なら、まだ自衛隊が掻き分けて通った道が残っているはず。恐らく彼女もそこを通った。
彼女は黒恵の死体を抱えているのだ。その体を傷付けることは避けるだろう。だから出来る限り広く、それでいて木の枝や瓦礫等で傷付き易い物が無く運びやすい道を選ぶ。
彼女が何処を通ったのか、それがはっきりと分かる。いや、分かってしまう。
私は彼女に精神を汚染されてしまったのかも知れない。しかしそれと同じ様に、彼女も私の心情を理解しているはずだ。そして、私を分かってくれるはずだ。
……彼女は寂しそうだ。いや、それさえも、もう屍となった黒恵が傍にいることで紛らわせようとしている。
全て、分かっている。分かってしまう。
彼女は目を逸らしたいだけなのだ。その寂しさを紛らわせようと、「白神黒恵」を残そうとしている。
「ねえ、そうでしょう? ミューレン・ルミエール・エルディー」
植物に覆われ、日差しを遮っている室内。そこに、私がいた。
「逃げないのね」
「……何と無く、来ると思ってたの」
「そう。私も、何と無く貴方がここにいると思ってたの」
「……貴方は私なの?」
「ええ。私は貴方。だけど貴方は私じゃ無い」
「……貴方の隣の黒恵は、良く動くのね」
彼女の腕には、見慣れた人の亡骸があった。
黒く艷やかな髪、整った顔立ち、血色の良い肌、似合わない白装束を着ている彼女は、黒恵だった。
その肌の色は、明らかにおかしかった。所々白く、そして僅かに小麦色になっている箇所もあり、日焼け跡の様な色になっている箇所もあった。
彼女は、何も喋らない、もう笑わない、きっと彼女の涙も拭かない黒恵の体を抱き寄せた。
それに縋りながら、彼女は気が滅入った様にぽつりと話し始めた。
「……Je le savais déjà. Parce qu'elle a une température corporelle très froide」
「……Il ne reste plus qu'à accepter la mort de Chloé」
すると彼女は声を荒げた。
「Ne peut pas le faire! Je ne peux pas……faire ça……. Je ne veux pas être seul……!!」
「……そうやって、友人からも離れるの?」
「……親友は……彼女だけなの……。……私が愛しているのも、彼女だけ……」
彼女は涙を零し始めた。
私の瞼の裏にも涙が溜まり始めた。彼女の心に呼応してしまっている。
これ以上彼女と話すのは危険だ。私が私では無くなってしまう。私が彼女になってしまう。……いや、大丈夫。彼女が、私になろうとしている。
彼女の心が私に侵食する様に、私の心が彼女に侵食している。
当たり前だ。彼女は私だ。
「……Il n'y a plus de retour en arrière possible. Mais je suis fatigué de continuer à avancer dans l'obscurité avec les deux mains」
「……Vous avez péché. Si tu le sais, tu peux revenir en arrière」
「……出来ない……出来ないの……! もう引き返せない……! 私は……もう……」
彼女が今欲しい言葉は、きっと――。
「――親友でいましょう? 一生、彼女の、親友として」
彼女は涙を更に落とした。私の顔を必死で見詰め、荒くなってしまう呼吸を何とか続けながら、黒恵の亡骸をより深く抱き締めた。
まるで彼女の亡骸に縋る様に抱き締め、そして慟哭を発した。
彼女の親友はもういない。彼女の涙を拭う親友はもういない。彼女の涙を拭う心優しい親友はもういない。彼女の涙を拭う心優しい最愛の人は、もういない。
だから、ずっと泣いて。貴方の満足がいくまで。貴方のその感情が全て、涙として、落とされるまで――。
――ミューレンが行ってからおよそ二時間。
私はその間、暇をしていた。
「だーかーらー! 物質の基本的単位を大きさが無限に小さな零次元の点粒子では無くて、一次元の拡がりを持つ弦であると考える弦理論に、超対称性という考えを加えて拡張した物が超弦理論なんです!」
「……その、えーと、ちょうたいしょうせい? でしたっけ。それは一体?」
「スピン角運動量の大きさに基づいて粒子は分類されるんですけど、その中でボース粒子とフェルミ粒子の入れ替えに対応する対称性です!」
「……また知らない単語が出て来ましたね。ボース粒子とフェルミ粒子と言うのは?」
「ℏの整数倍のスピンを伴う粒子の総称がボース粒子で、半整数倍のスピン角運動量を伴う粒子の総称がフェルミ粒子です。それでこのボース粒子と言うのは場の量子論から、整数スピンを持つ粒子は二つの同種粒子を入れ替えた時に波動関数の符号が変化しないんです。それはつまり複数の同種のボース粒子からなる系の全波動関数をψ, i番目の粒子の座標をxiとした時――」
集治さん含めた第二機動部隊の全員が頭を回しながら私の話を聞いている。少し専門的過ぎただろうか。もう少し噛み砕いて説明するには……うーん。まず量子力学から説明しないと難しいかも知れない。
ふと元第一理由封鎖地区の方を見ると、植物の影から見慣れた金髪が見えた。
……どうやら成功した様だ。
彼女の隣には、同じ金髪の彼女がいた。彼女は何か大きな物を背負っていて、顔には涙の跡がくっきりと残っている。
「……成功したのね」
「ええ。勿論。これで心置き無く元の世界に戻る調査が出来るわね!」
……あ、そうだった。元の世界に帰らないと。
いやーすっかり忘れていた。ミューレンの安否が心配過ぎて……決して私の研究の話を集治さんとしていたから忘れていたと言う訳では無い。うん。そんな訳無い。決して。
隣の彼女は、第二機動部隊に囲まれている。だが全員分かっているのだろう。もう彼女に敵意は無い。そして、背負っていたそれを優しくゆっくりと降ろした。
……正直に言おう。あまり見たく無かった。
誰が好き好んで、自分の死体を見るのだろう。いやまあ、興味はあったけど。
案外死体と言うのは、綺麗に残る物らしい。それとも遺体衛生保全が十二分に出来ているからだろうか。
ただ、肌の色が違う箇所が所々に見える。時間経過で変色した……と言う訳では無さそうだ。この静かに眠っている私の動かない体こそが、彼女の罪の証だろう。
彼女は、その罪を償えるのだろうか。心神喪失が認められる可能性も――。……いや、そう言う問題では無い。司法で解決する問題では無い。
彼女は罪を償おうとしている。司法で裁かれるべきではあるが、それだけでは彼女は罪を償ったと納得しないのだろう。
ミューレンの同情した様な哀しい視線が、全てを物語っている。ミューレンの同情した様な哀しい視線が、全てを教えてくれる。
そして、私の死体……正確にはこの世界の私の死体は別の機動部隊の人に回収され、この世界のミューレンは集治さんの車で私達と共に後部座席に座っていた。
……き、気不味い……!
いや、気不味いって言うか! 私が死んだ所為でこの世界のミューレンは殺人を犯したから、私がいるのが……こう! 相応しい日本語が思い浮かばない!
まるで生きた心地がしなかった。この世界の私は死んでいるんだけど。
すると、私の両隣にいるミューレンが同時に頭を押さえていた。
「「……何か来る……!」」
「息ぴったりね」
そんな中、集治さんのスマホがまた鳴り響いた。
「はいもしもし」
『そこにミューレンがいるはずだ!!』
低く、そして怒声に近い男性の声が聞こえた。
『そちらに正体不明の――』
すると、左隣のこの世界のミューレンが私の体を押して、右隣の私の世界のミューレンが私の体を引いて車の扉を開けた。
勢い良く車外に飛び出された私達の体は、地面に転がった。
危機を感じたのか、集治さんも外に飛び出していた。その直後のことだった。
何度か聞いたことのある金属が拉げ、潰れ、砕ける音。不快な音と共に金属が引っ掻かれる音の所為で、私の背筋にぞわぞわとした毛虫が這う様な感触がある。
つい先程まで私達が乗っていた車が、ぷれす機に押し潰されている様に潰れていた。
その拉げた車の上に前足を置いている、何かがいた。
それはきっと、私を見詰めている。
それは四足歩行の怪物だった。まるで全てが塵屑だと言わんばかりに屈強で巨大な四肢は、何処か狼の様だった。
その四肢で支えている胴体は痩せ細っており、骨が浮かんでいる。
その先にある頭部は、まるで無表情の人間の様だった。白い顔でぽかんと口を開けているその人間の頭部は、その巨体に似付かわしく無い程小さかった。いや、人の頭部の大きさは普通だ。それ以外が巨大なんだ。
そして、その人の頭部の右の眼球は腐り落ちており、そこから黒い煙が吹き出していた。
ぽかんと開けている口からは、止め処無く白く粘着性がある液体を垂れ流しており、そこから腐臭を感じた。
一瞬で、命の危機を眼前にまで感じた。体中の毛が逆立ち体中の穴から発汗が始まった。
何が起こったのかさえも分からない。まずこんな怪物が突然――……偶然じゃ無い。私達を襲ったのは偶然では無い。
これだ、詩気御さんが妙に焦っていたのは。妙に緊迫していたのは。
これが原因だ。
この存在は、一体何なの? 触れてみたい。……いや、その好奇心に従えば、私は死ぬ。
それが予見出来る程に、この存在の姿は、あまりにも異形過ぎた。
それは、その四肢を振り上げ、私達に向かって振り下ろした。
瞬間、ミューレンの声が聞こえた。多分「エオロー」と。
すると、薄い膜の様な物が私とそれの前に作り上げられた。その薄い膜を叩き壊そうとそれは前足を動かしていた。その度に薄い膜に罅が走り、みきみきと今にも壊れそうな悲鳴を発していた。
すると、何か温かい感触が、それと同時に生臭い匂いが、私の頬を撫でた。
ミューレンが私の頬を撫でていた。この世界のミューレンが、私の頬を撫でていた。
「……ねえ黒恵」
「……貴方が知ってる黒恵じゃ無いかも知れないわよ?」
「……ええ、分かってる。……それでも、とても愛おしいの」
彼女は私の前髪を触りながら、悲しそうな、しかし先程までの窶れた表情とは一変して、優しい微笑みを浮かべていた。
そして私の世界のミューレンに視線を移した。
「私は貴方。だけど貴方は私じゃ無い。貴方を私に何かさせない。貴方達は帰らないといけないでしょう? だから、ここでお別れ。きっとまた、出会えるわ」
彼女はクスクスと笑っていた。
「さあ、行って。これ以上貴方を見ていると、離れ難くなるから」
彼女はそう言って前を向いた。俯くことも無く、しっかりと前を向いた。
彼女がするべきことを、親友として止めるべきなのだろう。
……いや……それは、私には出来ない。、彼女にとって、「白神黒恵」は、もういない。止めるべき親友は、もういない。
「……ありがとう、ミューレン」
「……さようなら。そして、ありがとう、私」
決して、彼女は私達と顔を合わせなかった。彼女にとって精一杯の、強がりなのだろう。
私達は真っ直ぐ、走った。彼女を背に逃げた。それが、この世界の私の親友の決断なのだから。この世界の私は、あんな親友を持って羨ましい。
別世界の黒恵とミューレンが逃げた直後、私の結界は破壊された。
私がするのは時間稼ぎ。すぐにIOSPが異変を察知して、彼女達を保護するだろう。それまでの、時間稼ぎ。
前の私ならすぐに逃げていただろう。戦うことをせずに、中の物を全て吐き出して、泣きじゃくって。
「……全部、貴方の所為よ。黒恵。貴方の所為で、私、強くなっちゃった」
だが、勝機は無い。私は別に化け物と戦い続けてこの力を得た訳では無い。人と戦ったことがあるだけ。この、酷い頭痛から考えるに、この化け物は神仏妖魔存在。
すると、その神仏妖魔存在の背の上を走り、刃物で切り付けながら集治さんが私の横に走って来た。
「時間稼ぎですか? それなら加勢しましょう」
「……何で貴方は……」
「特に深い理由は無いですよ。ただ、上げるなら、私は黒恵さんが書く調査記録が大好きなんですよね」
集治さんは嬉しそうに微笑みながら、こんな状況なのに落ち着いた口調で談笑している様に話していた。
「私と同じくらいの学生が、命の危機に瀕しながらも、楽しそうに書いていることが文脈から分かるんですよ。わくわくするって言うんですかね。私はあの調査記録のファンなんですよ」
「……変な人」
「クックック、お互い様ですよ」
集治さんは私に刃物を投げ渡した。
神仏妖魔存在は高く右の前足を上げた。それと同時に私は走り出した。前足が振り下ろされる前に、それの腹の下に潜り込み痩せ細った体に刃物を突き刺した。腕を前に真っ直ぐ振れば、容易く肉は切り裂かれた。
そのまま神仏妖魔存在の股を潜り、振り向きざまに「イス」と唱えた。すると、それの体が凍り付いた様に動かなくなった。
その隙に再度神仏妖魔存在の胴体の上に跳躍して乗った集治さんが、それの頭部に向けて銃口を向けた。新型銃の熱線が頭部を貫いた。
汚い悲鳴が、発せられた。その直後のことだった。その巨体の姿が綺麗に消え去った。まるで、最初から夢でも見ているかの様な感覚に襲われた。だが、私は確かにあの神仏妖魔存在の肉を切り裂いた。その感触が未だに残っている。
つまり――。
そんなことを考えている隙に、私の背中は熱い感覚に襲われた。何かが滴る音と、少しずつ体の熱が奪われる感覚。何も見えていないのに、背中がとても恐ろしい。
その直後に私の体は何かに突き飛ばされた。体をぶつけながら地面を擦りながら、何とかもう一度立とうと体に力を入れても、上手く力が入らない。すぐに、分かった。
背中から血が流れている。地面に、私の血痕が続いているから気付けた。気付けばもう、痛みを認識してしまった。
つい先程まで脳が理解を拒んだ痛覚が、私の背中に刻まれた。
ああ、私が殺した名前も知らない彼女達は、こんなに恐ろしい気分だったのだろうか。……黒恵も、最後はこんな気持ちだったのかしら。
……ああ……不味い……意識が遠退く……。
まだ……まだ彼女達が……。
「ミューレンさん!」
集治さんの声が聞こえた気がする。その声も、苦しむ呻き声に変わってしまった。
私は目を瞑った。もう良いでしょう? もう充分。例え別世界でも、彼女ともう一度話すことが出来た。それで、良いでしょう?
……結局これも自分勝手な自己中な、都合の良い考え。
自分が嫌になる。私に会うまで分からなかった自分が嫌になる。
彼女は、罪を犯す前の綺麗な私。とても白くて、金色に輝いている私。私とは、大違い。
黒恵の為と正当化して、他人の命を使ってまで黒恵に縋り付きたかった。そんな私が、とても穢らわしく思ってしまう。
ああ、分かっている。私は死臭を纏っている。それは永遠にこびり付いたまま、私から離れない大罪。
だから、彼女にまでそんな死臭を纏わせる訳にはいかない。
私は……結局、何がしたかったのかしらね。黒恵……?
……もう……疲れた。
『ねえミューレン』
……何?
『私は、貴方が迎えに来るまでずっと待ってるわ』
……そう。……分かったわ。……それが、貴方の願いなら。
都合の良い妄想だろうか。体の良い幻覚だろうか。趣味の悪い夢だろうか。心地の良い悪夢だろうか。
ねえ、黒恵。貴方のお陰で、私は強くなれた気がしたの。貴方の隣で、貴方の微笑みを見るだけで良かったのに、何でこうなったのかしら。
私は背中を地面に、そして青空を眺めた。
「……ああ、綺麗」
人殺しの償いを覚悟したその時、私の視界に黒い物体が高速で前進している影が見えた。それは向こうの神仏妖魔存在を押し退けると、私の体を誰かが抱えた。
屈強な体付き、目立つスキンヘッド、何故かサングラスを掛けている男性、見たことがある。深華のお父さんだ。
深華のお父さんは私を後ろに投げ飛ばすと、また誰かが私を抱えた。だが、それは、とても不安定な物だった。まるで腕の一本だけで私の体を受け止めている様に。
私は、その人の顔を見た。私が最も憎く思っている彼だ。彼は、私の友人の、昴だった。
「……死屍たる赤子の教会か」
彼はそんなことを呟いた。
彼は私の体を優しく、しかし何処かぶっきらぼうに地面に横たわらせると、素早い身の熟しで走り出した。
「嗣音さん、そのままサポートお願いします」
「……大丈夫か?」
「ええ、僕は大丈夫です」
「……そうか」
嗣音は義腕を動かし、その手の指の細かな動きで、辺りを飛翔している十字の黒い金属製の物質を操っていた。
二つのそれは目の前の神仏妖魔存在に、まるで砲弾の様に激突した。
そして、その神仏妖魔存在の背には何時の間にか乗っていた昴がいた。昴は残っていた右手の先に旧型銃を構え、その銃口を心臓があるであろう場所に向けていた。
引き金を素早く三度引き、その頭部に向けて二回引き金を引いた。
放たれた鉛の銃弾は、とても簡単に神仏妖魔存在の体を貫いた。
その傷跡からは、蛞蝓の様な軟体生物が溢れ出していた。
昴はその生物を見下しながら、右手から出した炎で焼き尽くした。神仏妖魔存在の死骸ごと、蓮台野にて荼毘に付され哀れな灰へと変わらせた。
すると、昴は振り向きもせずに背後に向けて銃口を向けた。即座に一度だけ引き金を引くと、その背後にいた人間が撃ち殺された。
すると、あの神仏妖魔存在と同じ姿をしている怪物が更に周辺に跋扈しているのに昴は気付いた。
「……残弾四発……。……もう、覚悟は決めた」
その言葉の直後に、周りの民家を破壊しながら突き進むその姿を昴は見た。
人間の頭部に向けて左の足底を力の限り押し付けると、その足裏から真っ赤な炎が巻き上がると同時に爆発が起こった。
彼はまだ、本調子では無かった。数週間程引き籠もり、ずっと同じ体勢で居続けたからだ。
だからだろう。彼の息は疲れ切った荒く浅い呼吸に成り代わっていた。
それでも彼は、戦い続けた。
嗣音の方へ向かった神仏妖魔存在は、その歩みを二つの十字の黒い金属製の物体で止められていた。その背後には、ミューレンと光がいた。
「……光……何で」
「良いからじっとして! 今、傷を治してるんだから!」
光は瞳を銀色に輝かせながら、ミューレンの背の傷を手で触れていた。撫でる様に傷に触れていると、徐々に出血が止まり始めた。
すると、嗣音の操っている黒い物体で抑え付けている神仏妖魔存在は、昴によって叩き潰された。
その昴の姿は禍鬼に似通っていた。その頭部には、巨大で立派な牛の様な角が二本生えていた。
彼は右腕を高く掲げた。すると、その手の中に柄も鍔も無い立派で美しく光を反射する刀剣が出来上がった。
その刀剣を死骸に突き刺すと、そこから真っ赤な炎が巻き上がった。その炎は死骸を哀れな灰にした。
彼の跳躍には、まだ何かが迫っている気配を感じていた。
「……深華」
昴がそう呟くと、深華が昴の左に走って来た。その体を支え、抱き締めながら、彼を恍惚とした表情で見下ろしていた。
「……俺の為に、戦ってくれるか?」
「ええ、勿論。ああ、最愛の人よ……」
深華は昴の前髪に触れ、彼の頬を愛撫していた。深華の仏頂面の無表情は鳴りを潜め、笑みが溢れていたが、彼はそれに答えることが出来なかった。彼はもう、他人の顔を識別することが出来なかったのだ。
「貴方様の左腕になりましょう。だから、私を、愛して下さい。貴方様の為に、正義を語り、愛の為に戦います」
「……傍にいることくらいなら、多分出来る」
「ああ……! 良いんですか……!」
「……光が許したなら」
すると、第一機動部隊の面々が現着した。
彼等は、その場にいる敵対存在を尽く殺戮した。その優秀さを前面に押し出し、その力と実力を証明したのだ。
その中で、昴が最も活躍したのだろう。何故なら、彼が最も死臭を纏っていた。彼が最も死を纏っていた。
すると、その悲惨な現状に数人程度の人間が現れた。全員虚ろな目をしながら、まるで牧師の様な服装をしながら頭をゆらゆらと揺らしていた。
すると、その数人は突然炎に包まれた。まるで、神の愛によってその身が焼かれている様だった。その炎が消え去ると、先程まで人間だったその姿は、人外へと変わり果てた。
その姿はやはり先程まで戦っていた神仏妖魔存在と同じだった。僅かな差異こそあるが、同じ様な姿だった。
昴は旧型銃を投げ捨て、灰に突き刺さった刀剣を再度手に取った。
姿が消えたと思えば、一体の怪物の後ろ右足を見事な太刀筋で切り落としていた。
そのまま一瞬の内に痩せ細った胴体の上に足を置くと、その中心に刀剣を突き刺した。そのまま前に刀剣を動かしながら走り、刀剣を振り上げると、その小さな頭部に刀剣を突き刺した。
そこから鉄をも溶かす豪炎が撒き散らされた。
襲って来る神仏妖魔存在の体当たりを高く掲げた左の足だけで受け止めた。
昴は刀剣をその胴体に投げ付けると、そこからその胴体を焼き尽くす炎が巻き上がった。
そして、右腕を他の神仏妖魔存在に向けた。
そこから、川から水を引っ張って来たかの様な多量の水が溢れ出した。その水量は他の神仏妖魔存在の体さえも押した。
昴は一体の神仏妖魔存在の胴体に潜り込み、思い切り殴り付けた。10m程度その巨体が上に吹き飛ばされると、自由落下中のその巨体に、黒い物体が体当たりをした。
そこから、新型銃から発射する熱線がその巨体を無数に貫いた。
昴は右腕をその他の神仏妖魔存在に向けると、そこからこの辺りを真っ赤な光に染める程の光量と、全てを溶かす熱量を持っている巨大な焔が放たれた。
その炎が消えると、未だに動き続ける一体の神仏妖魔存在が襲い掛かった。
その頭部に右の拳を振り下ろし、頭部を殴り潰した。
息を切らしながら、それを何とか整えながら、彼は未だにバランスが取れないのか右側に倒れた。
深華はそんな彼を受け止めた。
「はぁ……はっ……。……ありがとう深華」
「良いんです。私の全ては貴方様の為ですから」
昴はそのまま、覚束無い足取りでも、ミューレンの傍に近付いた。
「……ミューレン」
「……何で、貴方が来たのよ。ずっとあそこに引き籠もっていれば良いじゃない」
「……黒恵が、来たんだ。隣にはミューレンもいた。……あいつは特に俺に何を言う訳でも無く……僕をしかる訳でも無く……ただ、僕を哀れんでいた。……俺は、ただ、ミューレンを助けることが償いになると思っただけだ」
ミューレンは顔を俯かせると、彼に怒声を浴びせた。
「なら何!? それで彼女を殺したことを許せってこと!? 私がそれを望んでいないってことくらい!! 貴方なら! お前なら分かるでしょ!!」
「……ああ、勿論」
「じゃあ何でのこのこ私の前まで来たのよ! 五常昴!!」
「……黒恵は……ミューレンの隣にいた。……黒恵は、ミューレンを親友だと思っていた。そんなミューレンを、護ることだけが、きっと俺の償いになる」
彼の抑揚の無い言葉に、ミューレンは返す言葉を失っていた。
彼は動かない表情で、冷たい声を彼女に向けて発していた。
「救われたい訳じゃ無い。ただ償いたいだけだ。そうしなければ俺は、ずっと人殺しのままだ」
雨が、降り始めた。彼女の死臭を洗い流す様に、彼女の手にこびり付いている赤色を洗い流す様に。
雨が、振り始めた。彼の涙を隠す様に、彼の手にこびり付いている赤色を洗い流す様に。
「俺は罪人だ。分かっている。俺は愚者だ。分かっている。俺は、黒恵を殺した。五常昴は、黒恵を殺した」
昴は彼女に謝罪の言葉は向けていない。永遠と自分の罪を認め、咎を求め、黒恵に懺悔していた。
「それでも俺は、黒恵が愛したミューレンを護る。せめて、俺が護るべき者だけでも護れる様に、俺は戦い続ける。それが、唯一俺が人間になる方法だ。それが、唯一俺が償える方法だ」
「……私は、貴方を許せない。ずっと、貴方を恨み続けるわ」
「……見返りなんていらない。ただミューレンが生きていればそれで良い。そうすれば、きっと、黒恵を殺した償いが、消えることは無いが、僅かでも出来るはずだと、信じてる」
「貴方にとって都合が良いことばっかり! それで何!? 黒恵の代わりに生きるとでも言うの!?」
「……黒恵の分まで俺が生きる、なんてことは……口が裂けても言えない。彼女を殺したのは……俺だ。……俺なんだ……」
昴はまるでミューレンに頭を下げる様に俯いた。
「……僕を、許さないでくれ。俺を、恨んでくれ。……罵りたければそれでも良い。……ミューレンには、それをする権利がある」
もう、彼女は分かっているのだ。彼は彼女が恨めしくて殺した訳では無いと。自分が不甲斐無ければ、彼が黒恵を殺すことが無かったと言うことも。
それでも、彼女は一生彼を許すことは無い。
昴は腕を伸ばし、ミューレンの前髪に触れようと指先を伸ばした。
その指先が僅かに震えると、少しの葛藤の次に指を離した。
ミューレンは前傾姿勢になり、昴の指先が彼女の前髪に触れた。
「……許すことは、出来ないわ。……でも……貴方は私の友人。……何時か、私が死ぬ時まで、貴方を許さない。それで勘弁してあげる。だから、何時もの貴方に戻って。見てるだけで辛くなっちゃうわ」
「……分かった。……難しいかも、知れないが。僕の――俺の、目には、もう、ミューレンの顔も見えないんだ」
「ゆっくりで良いのよ」
ミューレンはクスクスと笑った。
雨は、二人の人殺しの涙を隠した。
雨は、二人の人殺しの罪を隠した。
雨は、二人の人殺しの血を隠した。
もう、流されないと言うのに。
人殺しは一生救われることは無い。
自らの手で殺した相手の顔を脳裏にこびり付いたまま、肉を切り裂く感触を想起し叫喚を思い出し血の温かさに怯える。それは一生離れることの出来ない罪であり、咎である。
それでも、二人の人殺しは相手を許し合っていた。人殺しを許すのは、世間では無い。司法では無い。人殺しを許し傷を舐めることが出来るのは、同じく人殺しだけ。
二人の人殺しは、人殺し故に、傷を舐め合い許しあった――。
――私はミューレンの手を引いて逃げていた。
どれだけ走っていたのかは分からない。ずっとそうだ。
すると、私達の前に白い狐の面を被った老婆が現れた。何処かで見たことがある。
その老婆は私達を見ると、驚愕を掻き混ぜた声を出した。
「……久し振りじゃのう」
その声は聞いたことがある。昴の祖母の透緒子さんだ。
「話は經津櫻境尊からある程度聞いておる」
透緒子さんは近くにある民家の扉に手を伸ばした。何か、聞き取り辛い祝詞の様な言葉を口ずさんでいたが、何と言っているのかは分からなかった。
そして、透緒子さんは扉を開けた。私達はその先へ案内された。
扉を潜れば、また何処かで見たことがある景色が目に入った。恐らく極楽下温泉街だろう。
その街を歩き、經津櫻境尊の社にやって来た。もう日が隠れてしまっている。
そして、その鳥居を潜ると、突然社の前に二人の女性が現れた。やはり白い狐の面で顔を隠している。見た目から、恐らく八重さん。ならもう一人は、亜津美さんだろうか?
「……お待ちしておりました黒恵さん、そしてミューレンさん」
「……で、どうするんだっけ」
「亜津美、經津櫻境尊の傍でその言葉使いは推奨されませんよ」
「この方が慣れてるから仕方無い」
八重さんはため息を吐いた。
「まあ良いでしょう。それでは始めましょう」
その三人は社の前の鳥居の前に立つと、手を四回叩いた。
その後に、また祝詞の様な言葉を口ずさんでいた。
「……さあ、ここを通って下さい。貴方達の旅路が善き物になります様に」
八重さんはそう言った。
私達はその鳥居を潜ると、何故か頭がくらくらした。視界がぐらりと歪み、気持ち悪い景色に見えた。
何とも言えない恐怖が背筋にゆっくりと嫌らしく降りてきていた。やがて視界が元通りになると、草木が静まり返る程の夜が広がっていた。満月が顔を出しており、綺羅びやかに星々が光っていた。
目の前に、經津櫻境尊がいた。
經津櫻境尊は私達に手を伸ばすと、また景色が変わった。
星々が輝きを失った暗い暗い闇の中、經津櫻境尊の白く僅かに発光している様に見える姿だけが見えた。
「……無事、彼女を救えた様ですね」
「經津櫻境尊、何か事情があってここに連れて来ましたね?」
ミューレンは僅かに苛立ちながらそう言った。
「……あの方の、頼みなのです」
「またあの方……。詩気御さんも、そう言ってました。あの方と言うのは誰なんですか」
經津櫻境尊は言い淀んでいた。だが、こちらを見詰めると、ゆっくりと語った。
「我々は、上位者。……上位者に、序列等ありません。全てが平等であり、慕い、尊敬の念から畏まった態度を取ることはありますが」
「……なら、あの方って言うのは?」
「……言えません。それは答えです」
……經津櫻境尊が何を隠しているのかは分からない。だけど、新しい単語が出て来た。「上位者」……。
そう言えば、何処かで聞いたことがある単語だ。
……まあ、今は帰ろう。經津櫻境尊がこの状況で介入して来たと言うことは、帰れると言うことだろう。
すると、この景色がまたがらりと変わった。
咲き誇る桜を傍に置いている桜道が真っ直ぐ続いていた。その傍の桜の木の更に奥には、様々な鳥居があった。
塗装もされていない木の小さな鳥居や、それとは裏腹に真っ赤な塗装が眩しい立派な鳥居もある。鳥居の名に恥じない様に、鳥が休んでいる物もあった。
經津櫻境尊が先導し、私達は明るい桜道を歩いていた。
そして、その桜道の終点に辿り着いた。それは見上げると首が痛くなる程に巨大で、目が潰れそうな程真っ赤に塗装されている鳥居だった。
傍には白い子狐が数え切れない程、そこにはいた。
「さあ、ここから貴方達の世界に帰れるでしょう。さようなら」
「……經津櫻境尊」
「……何ですか?」
ミューレンは僅かに悲しそうな顔をしながら、しかし懇願する様に、言葉を出した。
「この世界の黒恵を、生き返らせることは出来ませんか?」
「無理です」
經津櫻境尊はきっぱりと言った。
「魂と言う物は、時間と共に風化し壊れてしまう物。やがて空と溶け合い、また集まり新たな魂を作り出す。これが、世界の法則です。これを拒絶するのは、本来であれば罪深きことであり、まず不可能。貴方はそれが出来ると言うだけであり、それが出来る力を持つのは、私は貴方しか知りません」
「……それでも、出来ないんですか」
「もう彼女の魂は砕け散ってしまった。その破片を全て集めることが出来れば、可能性はありましたが。もう空に溶けてしまったでしょう。少しでも欠けていては駄目です」
すると、突然私の頬に冷ややかな感触が触れた。
驚きながら振り返ると、その後ろには、パンドラがいた。笑みを浮かべながらも、何処か哀しげで私の頬を撫でていた。
「こうやって話すのは、久し振りねぇ。黒恵」
パンドラの髪は、初対面の時の様に白く染まっていた。
「彼女の様に髪を白くしても、貴方は振り向いてくれないのね。……いえ、分かっていたこと」
その髪色は、黒く墨を注いだ様に染まった。
パンドラは微笑みながら、ミューレンの方を向いた。嘲笑う様に、しかし妬ましくも思っているのか眉間に皺を寄せながら口を開いた。
「ねえ、ミューレン。私と取引をしましょう?」
「……何をするの?」
「この世界の黒恵を生き返らせることは可能かも知れない、と言ったら?」
ミューレンは怪訝そうな顔をしながら考えていた。
「条件はただ一つ。今後もう一度、彼女が肉体的に死んだのなら、私に黒恵の全てを手渡して貰うわ」
パンドラは狂気的に笑っていた。
「彼女の体も、魂さえも、その自由意志さえも、私の物にする。それでどう?」
「……それは、この世界の?」
「いいえ、貴方の世界の、この黒恵」
ミューレンは僅かに考える素振りを見せながら、私に目配せをした。
答えはもう持っている。私は、首を縦に振った。
「……分かったわ。もう一度彼女を死なせない様にすれば良いだけ」
すると、パンドラは一瞬驚いた様な顔をした。その直後に口角を更に釣り上げた。
「言ったわね? これは貴方と私の約束事なんて言う生易しい物では無い。これは、契約。破れば身を滅ぼすのは貴方よ」
「彼女を心から護れば、それだけで良いでしょう?」
「出来る物なら、それで良いわ。しかし……妬ましいわね。その意気揚々としたその笑顔が……まあ、彼女に免して許してあげるわ」
パンドラは私から離れると、經津櫻境尊に耳打ちをした。
經津櫻境尊は驚愕の声を僅かに漏らすと、パンドラの顔を見詰めた。
「……始めからそうするつもりでしたね?」
「あら? バレちゃったわ」
經津櫻境尊はため息を吐いた。
「……さあ、帰りなさい。ここは貴方達がいるべき場所ではありません。ただ、この先を真っ直ぐ進めば帰れます。ただし――」
經津櫻境尊は私の顔をじっと見詰めながら、とは言っても目は見えないから分かり辛いが、声を出した。
「黒恵、決して振り向かずに、この先を進んで下さい。分かりましたか?」
「……分かりました」
「それなら良かったです」
經津櫻境尊は深く長く、一礼した。
私とミューレンは手を繋ぎ、その鳥居を潜った。
そこは、白と黒が入り混じった、しかし灰色には見えない色彩が広がる道だった。
ミューレンが私の手を引っ張って足早に進んでいた。
何だか新鮮な感覚だ。何時も私が引っ張っているのに、ミューレンが確かな力強さで私を引っ張っている。彼女は私が知らない冒険をしたのだろうか。
「……ねえミューレン」
その問い掛けに、ミューレンは足を止めた。
「どうしたの?」
「この世界を、私達の夢にしましょう?」
ミューレンは振り向きもせずに、何処か無愛想に答えた。
「……どうして?」
「……いやー、今思ったの。この世界は、科学者達が証明しようと奮闘している世界でしょ? なら、それを誰かに教えるのは、その科学者の努力を踏み躙ることになるわ。それに、私はこんなことで別世界を証明したく無い。私達の世界での計算と法則と実証で証明したいの」
「……そうね。そうしましょうか。私と、貴方だけの、夢。同じ夢を、私達は見た。そうでしょう?」
私達はまた歩き出した。
私は親友に嘘を吐いた。科学者の努力を踏み躙るなんて、それっぽいことを言っただけだ。
私は、この世界を夢であって欲しいと願っているのだ。親友があんなことになってしまったこの世界を、夢であって欲しいと。
だから、私は親友に嘘を吐いた。きっと、一生、私はこの嘘を、私の親友に言わないだろう。
「……私達は、夢から覚める。それだけのこと」
私は親友に嘘を吐いた。親友の意見に同意するなんて、綺麗な言い訳を作ってしまった。
私は、この世界を夢であって欲しいと願っているのだ。私が親友が死んだ現実を受け入れられずあんなことになってしまったこの世界を、夢であって欲しいと。
だから、私は親友に嘘を吐いた。きっと、一生、私はこの嘘を、私の親友に言わないだろう。
縺薙l縺ッ螟「縲ょ、「縺ァ縺ゅ▲縺ヲ縲ら樟螳溘□縺ィ縺ッ縲∵?昴>縺溘¥辟。縺??縲ゅ□縺九i縲√%繧後?螟「縲
"夢にさせて"
"お願いだから"
"この物語を、夢にさせて"
私は貴方の親友。貴方は私の親友。
だから、貴方は――。
END 黒猫は涙を舐める ↓
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