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三つ目の記録 温泉旅行は二の次に ②

注意※分かりにくい表現、誤字脱字があるかもしれません。そして唐突な戦闘などがあります。「そんな駄作見たくねぇよケッ!」と言う人は見ないでください。


ご了承下さい。

 斎は拝殿の前を箒ではいていた。


「……ようやく参拝客も減りました……」


 空は赤い夕焼けに染められていた。もうすぐ魑魅魍魎が跋扈する時間だ。巫女である斎はその時間を何よりも危惧しているのだ。


 昴さんって良い匂いしそうですよね……。……っは! わ、私は何てことを想像してるんでしょう!! あの人は意中の相手がいるんですよ!! 早く忘れなくては!!


 すると、斎の目の前にその昴が空から落ちてきた。羽に火がついた鶏のように飛び上がった。


「いった……!! もう少しどうにかならないのか!」


 更に空から光まで落ちてきた。昴は落ちてきた光を受け止めた。


「ありがとう昴君」

「どういたしまして」


 すると、更に上から大きな影が落ちてきた。昴は光を抱えたままその場から離れた。そこに落ちてきたのは、薄汚れたワンピースを着ている背の高い女性だった。


「貴方まで来たの?」

「ぽぽぽ」

「……やっぱり分からない」

「ぽぽぽぽ、ぽーぽ」


 すると、その様子を見た斎は叫び始めた。


「ひ、ひぃお婆様ー!!」


 光と昴はまた拝殿に通された。奥には弓弦齋が正座で座っており、こちらを難しい顔で見ていた。


「お主らはいろんなことに巻き込まれるの……」

「そうですよね。たまにって言ってるのに二人同時に迷い込んじゃって」

「聞きたいことは二つ、いや三つじゃな。まず何じゃそこの……」


 弓弦齋は拝殿の中を子供のように走り回る背の高い女性を睨んでいた。


「本当に何じゃこの妖は」


 光も昴も首をかしげていた。


「聞いたことのある姿じゃが、あれは東北のあの地域からは出られんはず。いや……確か地蔵が壊れたと言う話を聞いておったな。じゃがあの地域以外に力は……うーむ……」


 弓絃齋は「うーむ……うーむ……」と唸っていた。


「……もしや外に出たせいで力が僅かに変わったのじゃろうか……。じゃがなぁ……ここまで力が変わるかのう……」


 昴は声を出した。


「待て待て弓絃齋さん。分かるように言ってくれ」

「おぉ、すまんな。……恐らくじゃが、その妖は東北地方に封印されておった物じゃろう。名前は知らん」

「どんなやつなんだ?」

「若い者の何処かに連れ去るとは聞いたことがある。じゃが……」


 背の高い女性は昴の肩を両手で掴み、揺すっていた。


「……何故かお主に懐いておるな。話を聞く限り姿を見るのも危険なんじゃが……。と言うか光も見えておるのか」


 光は一度頷いた。


「おかしいの……取り憑いた者しか見えんはずじゃが」

「それなら何で弓絃齋さんは見えるんですか?」


 光は純粋な疑問をぶつけた。


「ワシはそう言う力を持っておるんじゃ。……もしや?」


 袴から蛇の形に折った和紙を取り出した。その和紙は弓絃齋の手から消えてしまった。


「ワシの胴にワシの式神の蛇がいるはずじゃ。見えるかのう?」


 弓絃齋は光にそう聞いた。光の視界には弓絃齋の胴体に蜷局を巻いている白い蛇がいた。


「白い蛇ですか?」

「……やはり見えるのか。昴はどうじゃ」


 昴は弓絃齋の顔を凝視したが、いくら見てもそんな蛇の姿は見当たらない。だが、そこに何かがいることだけは他の情報から分かっている。


 そしてもう一つ、視覚でも聴覚でも嗅覚でも触覚でも味覚でもない何かで感じていた。


「何かいることは分かるが……」


 弓絃齋は何かを思い出したような素振りを見せた。


「そうじゃ。左手で髪を掻き上げるのじゃ」

「今それをやっても意味はないと思うぞ?」

「何故じゃ?」

「それは俺のルーティーンなんだ。左手で髪を掻き上げると鼓動が落ち着いて、ある程度体の緊張も失くなるし、筋肉が壊れない程度に強くなる」

「良いからやるんじゃ。恐らくそれが鍵じゃ」

「はぁ……成程……」


 昴は左手で髪を掻き上げると、弓絃齋の胴体に蜷局を巻いている白い蛇が見えた。だが、その姿はすぐに消えた。


 このルーティーンはあくまで戦うために覚えた物だ。戦う意思が失くなれば自然と元に戻る。故にこのルーティーンで僅かに溢れた力で見えた物は、すぐに消えたのだ。


「あー見えた。どう言うことだ?」

「そうすると僅かに力が溢れるのじゃ。それが偶然なのかそれとも僅かにでも力を使うための術を施したのかは分からんがな。光は元より力を持っておったのじゃろう。じゃがそれにしては前よりも……まぁそれは後じゃ。もう一つ聞きたいことはどうやって帰って来たかじゃ」

「鳥居を潜った」

「訳が分からないんじゃが」

「それ以上に何も言えないから無理だ」


 昴は状況説明が苦手ではないが、普段ではあり得ない状況に理解が未だに出来ていなかった。


 昴に変わり、光が説明をした。


「あの世界には經津櫻境尊って言う神様が、妖怪がたまに外に出るための鳥居を作っていたらしいです。多分あの鳥居はその鳥居です」

「……經津櫻境尊……まさか裏鬼門の方角に祀られておる……じゃとすると色々話が合うの」

「あ、もしかしたら……」

「なんじゃ。何か心当たりがあるのか」

「經津って經津主神の經津ですよね。だとすると刀と関係あるんじゃないでしょうか」

「多分そうじゃろうな。その名で呼ばれておるのなら」

「そして恐らく(きゃう)は境の古語の読み方なので、鳥居を作るのも分かるんです。そして、私達が帰った鳥居は帯刀した女性が四回手を叩いたら出てきたんです。もしかしてと思って」


 弓絃齋は考えるような仕草をすると、口を開いた。


「何とも言えないが……恐らくそうじゃろうな。今度あそこの宮司に聞いてみるかの。じゃがその街にいる神ならば正鹿火之目一箇日大御神と共に妖と契りを結んだ神じゃろう」

「やっぱり……」


 やはり光は流石だと何故か昴が誇らしげに思っていた。


「最後の質問じゃ。何故お主らはそんなに力が増しておるんじゃ」

「それなら私達はその帯刀してる女性に神便鬼毒酒に似たお酒を飲まされたからです」

「光はそれで説明はつくが、昴はあり得ない程力が増しておるんじゃ。一体何をしたんじゃ……」


 昴は思い出しながら語った。


「何て言えば良いのか……。黒い化け物?」

「ほう? それは人の形をしておったか?」

「大体は?」

「……鈍い色の目をしておったか?」

「そうだな」

「……大体は人の形をしていたと言ったが、そうではない者もおったんじゃろう? その者の姿は?」

「十本の腕に剣を持っていて、鈍色の目が無数についていて、腹に口みたいな物が開いていた」

「……それは、()()()じゃな。それを食ったか」

「あー言われてみれば確かに食った覚えがある」


 昴はあの時の記憶はあまり覚えていなかった。うっすらと覚えているのは肉の味。


「でも迷い人は弱いんだろ? こっちは殺されかけたんだぞ」

「そうだったの昴君!? 傷は!?」

「治ってる。見れば分かるだろ」

「あ、確かに。いや、それでも心配だよ!」


 光は昴が目覚めた時に抱きついた理由がようやく分かった。


「……そろそろ話を戻しても良いかの」

「大丈夫だ」

「……塵も積もれば山となる。迷い人は個々の力は弱いが集まり共食いをして力を蓄えるのじゃ」

「迷い人は元は人なんだろ? 強くなればあんなに人の形をしなくなるのか? それなら俺も人の形じゃなくなるぞ」

「話を聞け」


 この人には言われたくないと昴は思っていた。


「強くなればより強くなろうと別の物を食らう。突然じゃが、お主の前に猪でも鹿でも熊でも良い。その動物をどう食らう」

「首を落と――」

「そうじゃ。抵抗されないようにまず殺す。踊り食いとか言う自然に住む動物にとってはとんでもない食い方をする人間もおるが、それも結局は死ぬじゃろう。じゃが、迷い人は生きたまま妖や神を食らう」

「生きたまま? それも結局死ぬんじゃないのか?」

「殺さず生かしたまま食らうのじゃ。まぁ、そんなことさせる方もおらんじゃろうし抵抗するじゃろう。神や妖が血を与えるなどすれば簡単じゃろうが、力のない人間は力がある血を与えた方に力が移る」

「生きたまま食らう意味が分からないんだが? それなら殺したほうが良くないか?」

「力と言っても体に備わっている力と魂に備わっている力があるのじゃ。神職の家系に力を持つ物が多いのは体に備わっている力じゃ。その魂も一つになれば強く力が備わるのじゃ。少し戻るが、肉体も魂も食らえばその神や妖の特徴が出るのは当たり前じゃろう? 何せその方の全てなんじゃから」

「成程」

「関係はないが同化した魂にも意識はある。力と魂の主が望めば別れることも出来るが、まぁ魂の主は変わらんしそんな意識も迷い人にはないが」


 昴はここまでの話を何とか理解した。


「聞くが、人外の肉を食らったな?」

「……そんな記憶がある」


 弓絃齋はまた、「うーむ……うーむ……」と唸っていた。


「死んでいたとは言え妖の肉など、お主じゃなかったら死んでおるぞ」

「癖と言うか病気と言うか……これでも落ち着いてきたんだがな……」

「まぁ大丈夫じゃろう。食うのは止めてほしいが」

「分かってる」


 昴に甘えるように背の高い女性は昴の頭の上に自分の頭を乗せていた。ずっと「ぽぽぽ」と呟くだけでやはり、危害を加えるつもりも敵意もなく、純粋な好意で昴の体に触れていることが分かる。


 その行動を快く思っていない者が一人、昴のすぐ隣にいた。終始笑顔のままだが、その瞳の奥には想像もつかない程の憎悪と嫉妬が渦巻いており、その感情は敵意さえも産み出していた。


 背の高い女性は恐怖をしたのか、密着させていた体を離した。人を脅かす存在が人を恐れるとはとんだ皮肉だ――。


 ――黒恵は愉快に歌いながら走っていた。


「とっとこーはしるよ黒恵ちゃーん! だーいすきなのはー! ホラー! オカルト! 超常現象!」


 そろそろかしら? 神社を管理する人外なんて好奇心が沸き上がるわ!


 すると、私の手を誰かが掴んだ。


「や、やっと捕まえたわよ黒恵……!」


 ミューレンだった。体から多くの汗を流しており、息も切れていた。相当走ったことが伺える。


「突然走り出さないでよ……疲れた……」

「運動不足よミューレン」

「この距離を一定のペースで走れる貴方が凄いのよ!」

「どういたしまして」

「全く……」


 ミューレンはため息をつくと、黒恵の頬をつねった。


「いきなり何処かに行こうとしないで。白神黒恵」

「分かったわよ」

「それで? 何で走り出したのよ」

「聞いてたでしょ? 人から外れた存在が管理してるって」

「それに会いに行くの?」

「そうそう」


 南西の山は大自然を表していた。微かに香る神秘的な雰囲気は、人間が入るべきではない神域と言うか、異世界への入口に繋がっているような、いないような、何かを感じるような、感じないような。


「何だかオカルトは山が多いと思わない?」


 ミューレンがそう言った。


「うーん……宗教的な? それに現代だと自然豊かな山なんて入る人は少ないし、非日常な気持ちが多いから創作にも使われるのよ」

「宗教的なら山を神様みたいに崇めるのは世界中にあるわね。山岳信仰って呼ばれるわ。その地域では山や山から流れる川に依存する生活をしていたから山の機嫌を損ねないようにね」

「例えば?」

「富士山も信仰されてるし、中国には五岳って言う五つの山の信仰があるわね」

「オカルトには超常的現象が神様が原因の物もあるわよね。オカルトに身を置くには宗教的な物も覚えておこうかしら」

「貴方は興味がある物を三日くらいで大体覚えるわね」

「流石に専門的知識はもう少しかかるわよ。一ヶ月とか二ヶ月とか。それに全てを覚えることは出来ないしね」

「それでも凄いわよ」


 山を登りながらそんな会話をしていた。中々に高い山なのか、まだ神社が見えない。夕焼けが見えた頃、一つの人工物が見えた。


 それは、老朽が激しい鳥居がだった。人がちょうど二人程潜れる大きさで、木の色が見える。


 その奥には、やはり老朽化した小さな神社が建っていた。


「ここよね?」

「多分?」


 すると、私の後ろから声が聞こえた。後ろを振り向くと、そこには高校生程の女性がいた。巫女装束を着ており、長い髪を後ろで細かい装飾がなされた平打簪を使い束ね、狐の面と桜の花弁を模している耳飾りを付けていた。


「おや、こんな神社に参拝客なんて、何時ぶりでしょう」

「人から外れた存在発見!」

「初対面に相当失礼なこと言いますね!? まさか弓弦齋が言いました?」

「はい!」

「成程……。後で文句を言いに行きましょう」


 女性は綺麗で美人だった。そして、何処かで見たことがあるような顔をしていた。いくら記憶を遡っても似たような顔は見当たらない。だが、確かに何処かで見たことがある気がするのだ。


「……どうしましたか? 私の顔に何か付いていますか?」

「あ、いえいえいえ、何処かで見たことがあるような、ないようなと思っただけです」

「そうでしたか。私と貴方は恐らく初対面だと思いますが……?」

「ですよねー」


 いくら見ても思い出せない。それにしっかりとした人間だ。もしかしたら人間に化けた狐か狸がもしれないが、今のところは分からない。


 このまま帰るのもここの神様に悪いと思い、お参りした。


 すると、女性が何かを思いついたように口を開いた。


「ひょっとして安倍ノ極楽下旅館に泊まっている旅行客ですか?」

「はい」


 ミューレンはそう答えた。


「だからですか。あそこの女将は私の……」


 すると、女性はまるで、突然聞こえた声の方を見るように、拝殿の奥を見つめた。何度か相槌のような物をすると、こちらの方を見た。


「……お二人共。貴方達は()()……いえ、言っても分かりませんね。お帰りなら鳥居をきちんと潜ってくださいね」


 私とミューレンはわざわざそんなことを何故言ったのかは分からないが、言われたとおりに帰ろうとした。


 鳥居を潜る前に、女性は呟いた。


「旅人よ。貴方達の旅路が善き物になりますように」


 鳥居を潜ると、何故か頭がくらくらした。視界がぐらりと歪み、気持ち悪い景色に見えた。


 何とも言えない恐怖が背筋にゆっくりと嫌らしく降りてきていた。やがて視界が元通りになると、草木が静まり返る程の夜が広がっていた。満月が顔を出しており、綺羅びやかに星々が光っていた。


 悪い夢にしては綺麗すぎる。幻覚にしては鮮明すぎる。後ろを振り向けば通ったはずの鳥居は無くなっており、その向こうにあるはずの神社も消えてしまっていた。


 私とミューレンは顔を合わせながら、互いに思い感じていることが同じだと確信した。


 ここで私の夢や幻覚と言う可能性は消え去った。確かに集団幻覚と言う可能性もあるが、それにしては鮮明すぎる。


「ど、どう言うこと!? 私達鳥居を潜ったわよね!?」


 ミューレンが焦りながらそう叫んでいた。


 これは良く聞く神隠しだろう。多分。恐らく。


「ミューレン! 調査を始めるわよ!!」

「やっぱり? 分かってたわよ」

「さっすがミューレン!」


 山の麓には視界いっぱいに広がる優しげな赤やオレンジの灯りがあった。小さくて良く見えないが、人間が見える。恐らく街だろう。


 だが、極楽下温泉街ではないだろう。街の形が違うからだ。


 私達は山を下ると、街には提灯が辺りに漂っていた。何かに引っかけているわけではなく、空中で浮かんでいた。


 街は向こうが見えない程に長く大きな路地の道横に屋台のような物が建ち並んでいた。


 歩いている人々の多くは顔を赤くしながら千鳥足で、酒の匂いを纏っていた。


「普通の街ね」


 ミューレンはそう言った。


「にしては皆酔ってるわよ」

「そうね」

「飲む?」

「なんでよ。帰れなくなるわよ」

「私はお酒には強いわよ! 少しくらい大丈夫だって!」


 私はお酒の匂いのせいか、お酒が飲みたくなった。アル中と言われても否定が出来ない。二日酔いにならない程度には飲みたいが、流石に千鳥足では調査も出来ないだろう。飲むにしてもちょっとだけ。


「……やっぱりお酒が飲みたい」

「帰れなくなっても知らないわよ」

「少しだけよ少しだけ」


 私達は路地を歩いていた。


 幻想的な雰囲気とお酒の濃い匂いが混ざり合って愉快な空気が流れていた。非日常な景色に私の好奇心は湧き上がる。異世界に迷い込むのは……何回かあるけど、初めて見た景色に心躍るのは全人類共通の感情だろう。


「ミューレン、通貨は通じるのかしら」

「どうなのかしらね」

「……たこ焼き買いたい」

「お腹空いたの?」

「お腹空いた」

「自分で買いなさいよ」

「紙幣も硬貨もまとめてスマホ」

「何やってるのよ。それが出来ないところもあるのよ?」

「だって財布を持つのも面倒くさいじゃない。と言うわけで千円頂戴!」

「仕方ないわね……」


 心優しい聖人のミューレンは私にお恵みをくれた。聖女として歴史に名を残せるなら残してあげたいくらいだ。


 私は道の横にあるたこ焼きの屋台のおじさんに話しかけた。


「おじさん! たこ焼きください!」

「お、新人か? ここでは金はいらねぇぜ」

「本当に!?」

「嘘はつかねぇよ」

「じゃあたこ焼きください!」

「あいよ!」


 温めていたたこ焼き器に、豪快に生地を入れた。事前に混ぜていた具材を入れ、タコを入れた。


 だが、そのタコに何処か違和感を感じた。確かにタコのように見えるのだが、鮮やかな赤に黄が混ざっているように見えた。


 ある程度生地が固まると、たこ焼きピックでくるりとひっくり返した。ある程度焼くと、たこ焼きをくるくると回していた。この焼色が中々に良い物だ。カリカリしていて美味そうに見える。


「鰹節はいるかい?」

「たっぷりください!」

「おう!! 青海苔も大量にかけてやるよ!!」

「分かってるわねおじさん!!」


 たこ焼きを十個程船皿に盛り付け、ソースとマヨネーズをかけ、大量の鰹節と青海苔をふりかけた。


「ほいよ。ここのたこ焼きは少し変だからよ、熱いうちに食べてくれよ!」

「変って何処が? 見た目は特に……」

「食ってみりゃ分かる」

「それじゃいただきます!」


 爪楊枝を使い、私は一つのまんまるのたこ焼きを口に入れた。


 外はカリッと、中はジュワッと、そしてぷりぷりなタコが……おかしかった。


 私の口の中でぷりぷりとしたタコの切り身が暴れていた。頬の裏側にぶつかり、舌の上で踊り、前歯の裏にへばり付く。だが、不思議と不快感はなく、シロウオの踊り食いに近い物を感じた。


 私はそのタコをそのまま飲み込んだ。暴れていた物は嘘のように消え去り、私の胃の中に落ちた。


「何これ!?」

()()()()()()()()()だ。食ったことねぇだろ」

「た、たこ焼きの踊り食い……!! どう言う原理!?」

「そう言うのは知らねぇ。ただ踊り食いが出来るのだけは分かってる」

「訳が分からないわ……」

「ここにはそう言う少しだけおかしい物が多くあるからな。まぁ時期に……」


 すると、不思議そうな顔で私を見始めた。驚いたような顔をしたあと、何かを納得したように首を縦に振っていた。


「……お嬢ちゃん、悪いことは言わねぇ。狐の面を被った女性を探せ」

「どうして?」

「姿を見れば分かる。お嬢ちゃんはまだここに来ちゃいけねぇ。()()()()()って聞けゃ誰か知ってる。良いか? 經津櫻境尊だ。長居することを止めはしねぇが、(しょうこ)の音が鳴ったらすぐに探せ。手遅れになっちまう前に」


 おじさんの真剣な表情から、脅かそうなんて感情は見当たらない。


 ここは私が知らない異世界だ。何が起こっても不思議ではない。が、その危険にも引かれてしまうのは私の性だろう。好奇心は誰にも止められる権利はない。


「まぁ鐘が鳴ることはそんなにないが、気を付けろよ」

「はーい」


 私達はまた歩き始めた。


「はいミューレン」


 爪楊枝に刺したたこ焼きをミューレンの口元に当てた。ミューレンは口を開け、たこ焼きの踊り食いと言うことを教えずに食べ始めた。


「んん!? んーんん!?」

「たこ焼きの踊り食いよ!」

「先に言ってくれるかしら!? びっくりしたわよ!!」

「言ったら驚かせないじゃない」

「どうやって動いてるのよこのタコは……」

「さぁ?」

「私そんな怖い物を食べたの!?」

「大丈夫よ。多分」

「えぇ……」


 歩けば歩く程人は多くなる。それに比例するように、周りの木造建築にも大量の提灯が付いていた。赤い光は夜であることを忘れてしまう程だった。


 むしろここは何故夜なのだろう。月は真上で止まったまま。この世界の時は止まっているようだ。


 だが私達が歩けるということは重力がある。重力があるなら自転をしているはず。そして公転しているはず。


 それなら全く動かないなんてあり得るのだろうか。ずっと夜なんてあり得るのだろうか。


 月が見えるのなら恒星があるはず。恒星があるなら昼がある。夜の星空も動かない。つまり、この世界は。


「……常世って何?」

「え?」


 私が突然呟いたことにミューレンは驚いたようだ。


「ほら、常世って何?」

「永久に変わらない神域ね。海の彼方や海中にあるって言われてる理想郷で、命や長寿や不老不死がもたらされる異郷ね」

「……じゃあ違う……」

「あ、でも昔は常に夜って書いて常夜だったわ。だから死者の世界や黄泉も常世にあるって言われてるわ。そう言えば、ずっと夜なんてここみたいね」

「……山の中にあって、ずっと夜で……夕方に……逢魔が時」

「……ちょっと待って黒恵。貴方の考えてることがだんだん分かってきたけど……つまりここは常世ってこと?」

「違う……と思う。けどそれに近いところ。逢魔が時は昼を表す現世が夜を表す常世に繋がる時間。私達はその時間に鳥居と言う神と人間を隔てる結界を潜った」

「……常世に繋がる時間に人間の世界に行く……この矛盾から訪れる場所がここってこと?」

「現世にも常世にも行けない人達が集まる場所。弓絃齋さんが言ってた場所よ」

「じゃあ私達はひょっとして、死んじゃったの……?」

「まっさかー! あくまでこの世界に来ただけよ」


 だからあのおじさんは私達にここに来ちゃいけないって言ったのね。じゃあ……えーと……經津櫻境尊だったっけ? その人を探せば戻れるってわけね。


「經津櫻境尊を探すわよミューレン!」

「何よその神様!?」

「これ神様の名前なのね。どんな神様なの?」

「初めて聞いた名前だから分からないわ。尊が付いてるからもしかしてと思ったのよ」

「じゃあ私達は神様を探さないと」

「何処から聞いたのよそんなこと」

「さっきのたこ焼きのおじさんから。經津櫻境尊は狐の面を被ってる女性だって」

「狐のお面……分かったわ」


 歩いていると、ふとかき氷の屋台が見えた。


 熱い物を食べた後に冷たいカキ氷を食べたいが、恐らく普通のかき氷ではないだろう。たこ焼きがこんなことになってるのだから燃えても爆発しても驚かない。


 私はかき氷の屋台のお姉さんに話しかけた。


「かき氷くださいお姉さん!!」

「おや、珍しいね。新人が来るなん……。ん? あんたさては……まぁ良いか。どの味にするんだい?」

「ブルーハワイで!」

「あいよ」


 お姉さんはかき氷機のハンドルを回した。どうやら今では珍しい手動のかき氷機のようだ。


 自動のほうが速いが、あれはモーターの音がうるさい。大きな氷が削れるシャリシャリとした音が聞こえないからあまり好きではない。だが、手動のかき氷機なら心地良いシャリシャリとした削れる音がよく聞こえる。これを分かっているのならこのお姉さんは相当な熟練だ。


「そう言えばここのかき氷の変わったところは何かあるんですか?」

「そうだねぇ……あえて言うならシロップをかけようとすると逃げるところかな」

「あえて言うならで言う物じゃないですよ」

「ここだとそう言う物が多いからねぇ。わたあめなんか空に飛んでっちまうんだよ」

「どれだけ軽いんですかここのわたあめ……」

「そこの綺麗な嬢ちゃんはこの子の連れかい?」


 お姉さんは私の後ろにいるミューレンに話しかけた。


「あ、はい!」

「……まさかできてるのかい?」

「そんなんじゃありません!!」

「すぐに取られるよ。こんな優良物件は」

「ですからー!!」


 お姉さんはハンドルを回す手を止めた。青い液体で満たしてある瓶を取り出すと、削られた氷を入れてある容器をがっちりと掴んだ。


「気を付けるんだよ。たまに襲ってくる危険なやつもいるから。まぁ襲ってきても冷たいだけなんだけどね」


 そして、青い液体をかけようとした直後、削られた氷が容器から飛び出した。すぐにお姉さんが捕まえようととしたが、するりと手の間から逃げた。


 私達から逃げようとすると、ミューレンは私のトレードマークの黒い帽子を取り、その中に氷を捕まえた。


「良くやった嬢ちゃん!! 早く容器に入れな!!」


 ミューレンは私の帽子の中に捕まえた氷をお姉さんが差し出した容器に入れた。お姉さんはその氷にすぐにシロップをかけた。


「……ふぅ……全く、ここの氷は元気な子が多いんだから……。ほい、ブルーハワイ」

「これ食べるときに暴れたりしませんよね?」

「シロップをかけたからもう大丈夫さ」


 私は一緒に渡された木の匙でそのかき氷を一口入れた。


 どうやらここのブルーハワイはサイダー味のようだ。微かな清涼は舌に冷たくひんやりとした氷と一緒に溶け込み、パチパチとした物が破裂する。


「そこの嬢ちゃんは何にする?」


 お姉さんはミューレンにそう訪ねた。


「じゃあ……レモンってありますか?」

「あるよ。それで良いかい?」

「はい!」

「あいよ」


 氷を削り、シロップをかけようとした。ミューレンはまだ持っていた私の帽子をかまえた。


 だが、その氷は僅かに抵抗するように蠢いたが、大人しくシロップを受け入れた。


「おや、この子は大人しいね。ほい、レモン」

「ありがとうございます」


 ミューレンは木の匙でかき氷を一口入れた。


 私の口の中にとても軽く、しかし確かに強調されている酸味が口に広がった。口から溢れた息からも微かにレモンのさっぱりとした匂いが分かる。


「ミューレン、一口ちょーだい」

「良いわよ」


 私は黒恵に木の匙で一口分掬った氷を差し出した。黒恵は躊躇することなくそれを口に入れた。その姿が可愛らしく思ったり。


 あまり酸っぱい味が好きではないのか、目を瞑っていた。


「すっぱい!!」

「当たり前でしょ。レモンなんだから」

「じゃあ私のブルーハワイを!」


 黒恵は私に木の匙で一口分掬った氷を差し出した。少し躊躇したが、私はその氷を口に入れた。


 甘い清涼飲料のような味が舌に広がった。弾けるような感触が口の中にあった。


 ……冷静に考えたらこれって……。間接キスよね……。


 そのことをからかうようにかき氷の屋台の女性がにやにやと笑っていた。


 私の耳の先が熱くなる感覚がした。その熱を抑えるために、かき氷を掻き込んだが、アイスクリーム頭痛が私の手を止める。


 かき氷を掬う木の匙を、妙に意識して私の熱が冷める気がしない。せめてそう言う物に鈍感な黒恵にはバレないように。


「そう言えばさっきの間接キスよね」


 何でそう言うところばっかり察しが良いのよ貴方は!


「そ、そうね……。けど、あまり気にすることでもないでしょ?」

「私だって恥じらいくらいあるわよ」

「えぇ!?」

「何で驚くのよ!?」

「だって……ねぇ?」

「私そんな人だと思われてたの!?」

「恥じらいのある人は街中で突然走らないと思うの」

「それは恥じらう必要がなくない?」

「それに突然私の胸を触らないと思うの」

「あの時誰もいなかったし」

「誰もいないから友達の胸を触るのもどうかと思うわよ!?」

「あの時はご馳走様でした!!」

「何の感想よ!!」


 やはり女性はにやにやと笑っている。


「はいはい! 私の屋台の前で痴話喧嘩なんかしないでくれ! 客が寄らなくなるだろ!」

「痴話喧嘩なんかじゃありません!」


 私達はまた歩き始めた。


 ミューレンはいつの間にか私の帽子を被っていた。


「……どうしたのよミューレン」

「……何でもないわよ」

「そう? じゃあ經津櫻境尊を探すわよ」

「……そうね」


 ミューレンは私の目には何かに恥ずかしがっているように見えた。多分気のせいだ。理由が見当たらない。


「あ、忘れてたわ」


 ミューレンは被っていた私の帽子を手渡した。


「……もしかして裏を見た?」

「えぇ。確かに見れば一発で貴方だって分かるわ」

「墓場まで見せないつもりだったのに」

「貴方だけの秘密じゃなくて、私と貴方の秘密になったわね」

「それはそれで……」

「触り心地で思ったんだけど、ひょっとして貴方の帽子って兎の毛を使ってるの?」

「えぇ。フェドラハットのね」

「高級品じゃない」

「祖母の遺品よ。私のお母さんでもなくお母さんのお兄さんでもなく私に残したのよ」

「貴方がほしいって言ったんじゃないの?」

「確かに……小さいときに言ったわね」


 すると、突然私の手が誰かに引っ張られた。突然のことに意味のない言葉を出してしまった。


 すぐに後ろを振り向くと、赤い浴衣姿の少年が立っていた。オカルトに身を置く私にとっては赤い浴衣なんてヤバいことに巻き込まれるフラグにしか見えない。


 少年は何も喋ることはなく、私の手を引っ張るだけ。恐らく明確な意志がそこにはあるのだと理解した。……と言うのは建前で、実際は着いていけば何かあるのではないのかと言う好奇心からだ。


「さぁ何処に行くのかしら! ひょっとしてあの世? 見たことない景色なら何処でも良いわよ!!」


 私は引っ張られるまま走っていった。ミューレンも焦っているように追いかけている。


 連られて来たのは一つの木造建築の店だった。入り口は開けられており、そこから多くの本棚が見える。


 そして、その中では本を一冊一冊丁寧に埃を払う男性がいた。


 年は私とあまり変わらない程度で、青い浴衣も気になったが何より黒い髪の美形であろう顔に黒い狐の面を被っていた。


 その男性は少年に気付いたかのか、声を出した。


「おや、"賢吉(けんきち)"。その人は……?」

「ん」

「あぁその人が。もう一人は?」

「ん」

「成程。しかし賢吉。無理矢理連れてくるのはお辞めなさい。きちんと事情を説明して、こちらに連れてこないと」

「ん」

「……なら私を呼べば良かったでしょう……」


 その男性はため息をつくと、こちらに歩いて来た。


「すみません私の弟が。恥かしいからか喋るのが苦手な子なんです。いきなり連れてこられて驚いたでしょう」

「經津櫻境尊発見!!」

「違いますよ。まず女性じゃないでしょう? それにあの方は趣味で狐のお面を被っていますから。私は顔を見せるのが恥ずかしくてお面を被っているだけですよ」


 男性は面に隠れて見えないが、笑顔を見せていると思う。


 ようやく私にミューレンが追い付いた。男性はミューレンの姿を見ると、また笑顔を見せていると思う。


「待っていましたお二人共。事情は……まぁあの人に聞けば大丈夫でしょう」


 私達はその本棚の奥に案内された。


 西洋風の椅子に座りながら、一冊の本を熟読している男性がいた。ハーバルノートの穏やかな匂いがその男性から香った。恐らく香水だ。


「……やはり聖騎士は……。……厄介だな……」

()()()さん。この二人でしょう?」

「……あぁ……すまない……もう少し待ってくれ……。……あぁ!! いや待たなくて良い! "良吉(りょうきち)"君!! 二人が来たのか!! 通してくれ!! あぁもう目の前にいた!!」


 何だか変な人だ。本をぱたんと閉じると、薄ら笑いを貼り付けた。


「初めまして、()()()()君、()()()()()()()()()()()()()()()君」


 初対面で私達のフルネームを言ったことに、ミューレンは驚いたような声を出していた。


「さて、僕が君達を呼んだ理由は……」

「誰よ貴方!」

「あぁ、すまない。名乗るのを忘れていたね。僕の名前は御幡詩気御。聞いたことあるだろう?」

「誰? 有名人?」

「ちょっとショックだね……」


 だが、ミューレンは何かを思い出したように「あっ」と声を出した。


「資本家の御幡詩気御さん! そうだわ!」

「ありがとうミューレン君! 僕を知っている人がいて良かったよ」

「何でそんな有名人がこんなところに?」

「……まだ喋れないことが多いんだ。極楽下温泉街に来たのはただの観光だけどね。君達に会ったのは偶然さ」

「じゃあ何で私達の名前を?」

「……そうだね……。何故だろうね?」


 ミューレンは言えない何かが理由にあると分かったが、黒恵は好奇心を止められなかった。


「どうやってここに来たんですか! 教えてください!」

「……それくらいは良いかな。經津櫻境尊とは友達なんだ。だからたまにここに招待してもらってる。……ってそんなことはどうでも良いんだ」

「神様と友達って何者よ!」

「そこはどうでも良いんだ。君達は早く帰りたいんだろ? だからある物を經津櫻境尊から貰っている」


 そう言って、詩気御さんは二つのお猪口を私達に手渡した。中には透明な液体で満たされており、その一つには桜の花弁が浮いていた。


「これを。あ、桜の花弁が浮いている物は黒恵君が飲み干してくれ」

「毒じゃないわよね?」

「神便鬼毒酒さ。ただのお酒だよ」

「えぇ……怖い……。ミューレン! 神便鬼毒酒って何!?」


 ミューレンは何かを思い出すような素振りを見せた。


「確か鬼が飲むと酔い潰れる毒よ。人が飲むと力が増すはず?」

「何でそんな物を?」


 詩気御さんは未だに薄ら笑いを貼り付けていた。


「本当はミューレン君だけでも良いんだけどね。後々のことを考えると黒恵君にも飲ませた方が良いと思ったからね」

「まぁ摩訶不思議な超常的なオカルト的すーぱーぱわーが手に入るなら良いけど……」

「いつか分かる。それを飲ませた理由が。明日か明後日か」

「結構すぐね……」


 私達はそのお猪口の液体を喉に流し込んだ。


 純米酒だろうか。中々に美味しい日本酒だ。まさか本当にお酒を飲めるとは。


「……飲んだね。それなら僕の用事はもうないよ。さようなら黒恵君、ミューレン君。運命が壊れた世界でも、また遭逢するだろう。君達なら必ず、()()()を知って僕を知るだろう。君達は好奇心旺盛な人の子だからね」


 私は一瞬瞬きをした。次に目を開いた視界には詩気御さんはいなかった。


 まるで最初からそこにいなかったように、そこには誰も座っていなかったように。持っていたお猪口も無くなっていた。


 私は辺りを見渡し、走り回り、詩気御さんを探した。だが本棚が立ち並んでいるだけで詩気御さんはいなかった。私はそれに恐怖をするでもなく更なる好奇心を掻き立てた。


「うおぉぉ!! 資産家が超常的存在! 見つけるわよミューレン!!」

「無理じゃないかしら!?」

「オカルト的存在の資産家! あの人を取っ捕まえて調査するわよ!!」


 すると、黒い狐の面を被った男性が声を出した。


「恐らくもういませんよ。あの人はそういう人ですから」

「えぇっ!? いつの間に!?」

「しかし、弟が突然連れてこられてすみません。再度謝罪を」

「いえいえ」

「確か經津櫻境尊を探していたんですよね? ならお詫びとして、その場所まで案内しましょうか」

「あとここの本をください!」

「それくらいなら良いですよ」


 男性は何かを引くように手を動かすと、本が辺りを飛び回った。まるで鳥のように羽ばたく本は、私が絵本で見た魔法の姿に良く似ていた。


「さて、どんな本をお探しで? ここには有名な物から、あまりに駄作過ぎて世界から忘れさられ、あまりに危険すぎて消し去られ、政治的な理由から焚書にされた本までありますよ」

「じゃあ魔導書!」

「危険な物を求めますね。そうですね……だとすると……貴方を求めている子は……この子ですね」


 そう言って男性は飛び回っている一冊の本を手に取った。その本を見定めるために男性が捲ると、その本から明らかに人外の手の形をしている白い肌の手が飛び出した。指の数は七本あり、爬虫類のように湿っていた。その腕が本の中から体を這い出そうとしているように何本も蠢いていた。


 男性はすぐに本を閉じた。


「……どうやら引きずり込もうとしていたらしい。だから求めていたんでしょうね。だとすると……流石に魔導書は辞めません?」

「そうします……。じゃあオカルト的な」

「そうですね……貴方達が言うオカルト的な物と言うと神や妖や霊ですかね。確か……何処かに分かりやすい説明書が……」


 男性は様々な本を見つめたが、どの本も手に取らなかった。


「賢吉、分かりますか」

「ん」

「そうなんですか。時間がかかりますね……」

「ん」

「そう言うのは先に言ってください」


 少年は指を鳴らすと、遠くの本棚に光る一冊の本が見つかった。男性は手を引くと、その本が鳥のように飛んで来た。


 男性はその本を捲ると、何故か「うーん……うーん……」と唸っていた。


「これは……まぁ危険は無さそうですが……厄介な物ですね……」


 男性はその本を私に手渡した。


「どうぞ」


 私はその本を捲ったが、鳥の羽で作られたペンが挟まれており、全てのページが真っ白だった。


「これは……本なんですか?」

「本なんですが……少し特殊でして、その本が記憶している記録をその本が書く、どちらかと言うとやはり魔導書に近い物ですね。どちらの要望も叶えてくれる本がいたとは」

「けど何も書いていませんよ?」

「そこが厄介なところでして、その本は気紛れなんですよ。きちんと頭を下げて頼むとようやく記憶している記録を書いてくれるんですよ」

「じゃあ……」

「あ、今は寝ているので無理ですね。保存もきちんと、そして手入れもきちんとやれば心を開いて何時でも教えてくれるようになるかもしれません。前の持ち主がそうでしたから」

「前の持ち主がいたんですか?」

「えぇ。持ち主が書いた記録を記憶していますから。ですがもう虹の麓で誰の物でもなくなりましたから、貴方が今ここでその本を所有すると言ったのなら貴方の所有物になりますよ」

「じゃあこれは今から私の物です!」

「……どうやら、きちんと相性が良かったようですね。良かったです。さて、そこの人も何かいりますか?」


 男性はミューレンに向けてそう言った。


「わ、私もですか!? そうですね……えーーーとーーー……」

「……悩んでいますね。そうですね……どこかに良い子が……」


 すると、突然少年が男性の頭を一冊の本で叩いた。中々に良い音が聞こえた。


「ん」

「頭を叩かなくても……」

「ん」

「……はいはい、成程。……これは……あぁ……また厄介そうな」

「ん」

「分かっていますよ」


 茶色い表紙をしている本をミューレンに手渡した。


「どうぞ」

「これは?」

「貴方を求めている本です。誰にも懐かなかった本ですが。どうやら貴方は本に愛されるようですね。羨ましいです」

「そうなんですか?」


 ミューレンはその本を捲った。頭を悩ませながら見入っていた。


「……神話?」

「……どうしてそう思ったんですか?」

「……文章の始まりに装飾頭文字(イニシアル)があるからです。それに挿絵が神話チックに見えますし。でもこんな文字を見たことがなくて……」

「……一つ聞きますが、この文字に見覚えは?」

「……どうでしょう。けど何処かでとは」

「例えば、ENIRVAUST(エニルバウスト) EGUAL (エグアルの) CRIME()だとか」


 ミューレンは驚いたような顔をした。


「確かに……!! 似てる気が……じゃなくてほとんど一緒です!!」

「……やはり……。だとすると……」


 男性はぶつぶつと何かを呟いていた。私は耳をすましてその声を聞いてみた。


「だとすると經津櫻境尊と詩気御さんは……まさか……いやでも……だが()()()なら……いや……理由がない……」


 その場で本棚の周りをぐるぐると回っていながら呟いていた。


「あのー……?」


 ミューレンの声に反応し、正気に戻ったのか顔を合わせた。


「あぁ、すみません」

「その本は一体何なんですか? それより何であの本のことを知っているんですか?」

「……私は世界中にある本が一体誰が書いて、何処にあるのかが分かるんですよ。その本の名前はUVUANAR(ウヴアナール)-ILTSEEG(イルセグ) WORLD(の世界) STORY()と言います。著者は……いえ、答えを教えても意味がないですね。答えは探して見つける物ですから」


 ミューレンは不満そうだったが、それ以上は何も聞けなかった。


「本を抱えたまま動くのも窮屈でしょう。賢吉、この人達の家に本を送ってください」

「ん」

「あー……大丈夫そうですか?」

「ん」

「テディベア……はもう大丈夫そうですね。あの男性は厄介そうですが。管狐(くだぎつね)を飛ばしておきましょうか?」

「ん」

「じゃあ頼みます」


 少年は私達の本を握ると、その本が光り輝いた。


 その光が収まると、本は消えていた。


「ん」

「ありがとうございます賢吉」

「ん」


 私は今日だけでどれだけの超常的な出来事に会えば良いのだろう。今日は忘れられない一日になるようだ。


「さて、經津櫻境尊の場所に行かなくてはいけませんね。あまりここにいるのもまずいでしょうし」

「ん」

「そうですね。心配ですね」

「ん」

「確かに。準備はしたほうが良いですね」

「ん」

「そうなんですか。それなら今すぐにでも行けますね」

「ん」

「それなら大丈夫ですよ。恐らく神便鬼毒酒を飲ませることが經津櫻境尊と詩気御さんの目的でしょうし。この世界にいる理由はもうありませんよ」

「ん」


 色々聞きたいことはあるが、この世界から出られるのならそれで良い。


「あ、忘れていましたね。私の名前は東狐良吉(とうこりょうきち)。弟は賢吉(けんきち)です。いやはや、最初に名乗っていたほうが良かったですね」

「白神黒恵です」

「えぇ。聞いております。そちらの方がミューレン・ルミエール・エルディーさんであることも」

「あの詩気御って人からですか。あの人……人? は何なんですか」

「お気付きの通り、ただの人ではありません。貴方達では想像もつかない程の力をお持ちになっている人です」

「それは人なんですか?」

「あの人が人ではないのなら、貴方もミューレンさんも人とは言えませんよ。それに私も賢吉も」

「私? ミューレンなら分かるけど……?」

「……自覚がまだないようですね。時期に分かるときが来ますよ」

「成程……?」


 私達は良吉さんに案内されながら歩いていた。


「ん」


 賢吉はミューレンにそう呟いた。


「えーと……? 何て言ってるの?」

「ん」

「本当に何て言ってるの?」

「ん」


 見かねた良吉さんは、賢吉の言葉を翻訳していた。


「……どうやら心配らしいです。經津櫻境尊が貴方達に目的がまだあるのかのかもしれないと」

「けど私達は經津櫻境尊なんて見たことがないですし、目的なんて私達知りませんよ?」

「神とはそう言う物です。目的なんて神事をする方達以外には教えずに超常的な力で何かをしようとする。それが人を助けるためなのかただの娯楽なのか」

「詩気御さんがくれた神便鬼毒酒もその目的の一つなら……私達に力を付けさせるために?」

「どうでしょうね……。まず力を付けさせるのならそれこそ神事をする方達に飲ませれば良い。わざわざ經津櫻境尊を信仰もしていない貴方達に力を付けさせる理由が見当たらないのです」

「じゃあ娯楽のために?」

「經津櫻境尊がこんな娯楽をするとは思えないのです。あの方は宴が好きですから」


 ふと、賢吉が後ろを振り向いた。


「ん」

「どうしましたか賢吉」

「ん」

「……心配ではありますね」

「ん」

「……黒恵さん、ミューレンさん。急ぎましょう。何か胸騒ぎがする」


 良吉さんの見えない顔は深刻そうに顔をしかめているように思った。


 ミューレンの顔が少しづつ青くなっている。何を感じているのかは私には分からない。ただ、この顔は碌でもないことが近付いていることは経験で分かっている。


 何かを間違えれば簡単に死んでしまう程恐ろしい何かが近付いている。


 突然、ミューレンが悲鳴を発しながら頭を押さえ蹲った。


「ミューレン!? ヤバいのがいるのね!?」

「……おかしい……!! だって……!! こんなに遠くに……!!」

「遠く?」


 すると、何処かから鐘の低い音が辺りに響いた。その音を更に広げるために大きな低い音が響いた。どんどんどんどん響いていた。


「何でこんなに……!!」

「落ち着いてミューレン! と言っても何かが近くにいるんだろうけど……」

「……遠くに……ずっと……!!」


 すると、良吉さんが駆け寄った。


「……分かるんですか……!! いえ、今は……。黒恵さん。ミューレンさんは恐らく自分に敵対する存在を感じると思うんですが、感知範囲は分かりますか?」

「目に見える範囲なはずです……!!」

「……神便鬼毒酒を飲み干したことで感知範囲が広がったのでしょう。より敏感に感じ取れるように……!!」

「こんなに苦しむのはいつもヤバい時です!!」

「分かっています……!! このくらいだとどれくらいですか!?」

「えーと……触れたら首が切断される化け物!! 綺麗な女性に、あと手足が長い人型の何かも!!」

「……まさか……!! 事態は思っていたより深刻そうです……!! 急いでください!!」

「え!? あ、はい!!」


 私はミューレンの手を握りながら走り出した。

最後まで読んで頂き、有り難う御座います。


いいねや評価をお願いします……自己評価がバク上がりするので……何卒……何卒……

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