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拾九つ目の記録 猫の居ぬ間に調査 ②

注意※分かりにくい表現、誤字脱字があるかもしれません。そして唐突な戦闘などがあります。「そんな駄作見たくねぇよケッ!」と言う人は見ないでください。


ご了承下さい。

 引き金を引くと、その衝撃にクラレンスの腕は思い切り上に挙がった。


 その銀の弾丸は確かに女性を貫いた。貫いたはずだった。


 その傷は当たり前の様に塞がり始めた。女性はにたにたと笑っていた。


 昴は隠し持っていた物と合わせ二丁の旧型銃を女性に向けた。引き金を素早く引くと、クラレンスとは違い腕が挙がることは無かった。あまりに強い筋力で反動を殆ど無くしているからである。


 その弾丸は確かに女性を撃ち抜いたはずだが、むしろ付けられた傷を物ともせずに女性はクラレンスの頭部に掴み掛かり昴と同程度の身体能力を使い、カウンターの後ろの酒棚に押し倒した。


 棚を壊し、酒瓶を割りながら女性はクラレンスの頭部を握り潰そうとしていた。


 だが、カウンターの影に隠れていたリーガンがその女性に向けて拳を振るった。その強固で黒い拳は女性の頭部に激突した。


 女性の体は軽々しく吹き飛び、クラレンスの頭部を掴んでいた手を離した。


「ありがとさんリーガン」

「油断しないで下さいよクラレンスさん!」

「分かっとるわ。銀の弾丸が効かんとは思わんかったわ」

「それと! 貸した金何時返してくれるんですか!」

「……今は関係無いやろ」


 女性は壁に叩き付けられながら、ただニタニタと笑っていた。


 昴はナイフを逆手に持ち、その女性の喉に突き刺そうと腕を動かしていた。その動きを女性の右手で止められたが、即座に床に付けていた足底を女性に突き出した。


 その足底は女性の体に蹴りを入れることは出来なかった。女性は左に避け、昴の腕を掴んでいた右手を離していた。


 昴の蹴りは壁を貫いただけだった。


 女性はカウンターの上に体を乗せ裏に回った。床に散乱しているクラレンスを押し倒した時に落ちた酒瓶の破片を手に持ち、それを昴に投げ付けた。


 昴はそれを素手で掴んだ。僅かに傷が付いたが、その程度の傷は意味が無い。


 逆にその破片を昴は女性に投げ付けた。その投擲物を、女性は僅かに頭部を左に動かすだけで避けた。投擲物は背後の酒瓶を一つ割ってしまった。


 そのまま女性は壊れたカウンターをその華奢な脚で蹴り上げた。上に飛んだカウンターだった木材の塊を掴みクラレンスとリーガンの二人組に投げ付けた。


 クラレンスは恵まれた脚の長さを、リーガンは生まれながらにして持っていた筋肉でそれを叩き落とした。即座に持っていた旧型銃を向けたが、そこには女性がいなかった。


 クラレンスは頭を動かすと、天井に腕一本でぶら下がっている女性を見付けた。その女性が、ナイフを片手に此方を睨んでいた。


 気付かれたからか、そのナイフをより強く握り締め二人に向かって落下を始めた。


 クラレンスは横にいるリーガンを突き飛ばし、自分は背中から倒れる様に後ろへ動いた。


 女性が着地する直前、昴がその女性の右にいた。その腹部に遠心力が十二分に加わった昴の回し蹴りが炸裂した。その一瞬でクラレンスから渡された旧型銃を向け、一回発泡した。その銀の弾丸は女性の首を僅かに削った。


 BARの中の机と椅子を壊しながら女性は床を転がった。その女性の上には、硝子の小さな瓶があった。その瓶は別室から戻った允が投げた物だった。


 允は両手でしっかりと新型銃をその小瓶に向け、引き金を引いた。


 当たり前だが銃声はしなかった。集束された熱は硝子の小瓶を貫通し、穴を開けた。その穴から中に満たされていた水が零れ落ちた。


 その少量の水は女性の体に降り落ちた。それと同時に、獣の様な悲鳴が中に響いた。


 人間とは思えない絶叫だった。それとも生者の悲鳴では無いだけなのか。答えは分からない。だが、分かることは目の前にいる存在は、伝承に伝わるかの有名なV()a()m()p()i()r()e()であると言うこと。


 その体は人間から掛け離れた。小柄な狼へと姿を変え、昴にその鋭い爪を振り下ろして来た。


 その爪は昴を傷付けることは出来なかった。薄皮を剥がすことは出来たが、昴の高密度の筋肉に爪を食い込ませることは出来なかった。


 その腹部に、昴は下から拳を突き上げた。


 犬の様な鳴き声が聞こえたかと思うと、その姿をまた変えた。今度は人の手の大きさ程の黒色の毛をした鼠に姿を変えた。


 その鼠は地面を素早く動き回り、逃げる様な動きを見せていた。


 その姿はまた変え、小さな小蝿に変わった。それは小さな隙間を通って逃げ出した。


 昴とリーガンはそれを追い掛け、外に出た。


 だが、東京の昼の様に明るい夜で、一匹の小蝿を見付けること等昴でさえも不可能に近かった。


 昴は舌打ちをした。


「逃がした。クッソ……まだ気付いていないと良いが……」

「恐らくまだでしょう。依頼執行人が女性と言う情報があちらにある以上――」

「そこからはあまり言わない方が良い。小蝿になった以上何処で聞いてるか分からないからな」

「……了解ボス」


 リーガンは一度の小さく頭を下げながら呟いた。


 中に戻れば、クラレンスが床に横たわりながら叫んでいた。


「あー痛いー!! 何なんやあの馬鹿力!! 頭潰される思ったで!? ボスや無いんやから……」

「ヴァンパイアならあんな物だ。傷は無いか?」

「ボスに鍛えられたお陰で何とも無いで。強いて言うなら瓶に思い切り打つかって後頭部が痛いくらいやな」

「それなら良かった。クラレンスが死んだらアンジェリカに見せる顔が無いからな」

「そーやなー……あーあったま痛いわ……」


 昴は酒棚に飾られてあるまだ無事の酒瓶を手に取り、クラレンスの顔に上からかけた。


「どうだ。目を覚ましたか」

「……いや……違う意味で頭が痛くなりそうや」

「そうか」


 すると、何時の間にか禍鬼が酒棚の物色を始めていた。


「……洋酒しかねぇのかここには」

「日本酒もあるはずだ。飲みたければ飲め。自重はしてくれよ」

「よっしゃ」


 禍鬼は酒棚から瓶を手に取り、そのまま酒を流し込んだ。禍鬼の表情は一瞬で歓喜の顔に変わった。


「甘いなこれ! 果物の甘さだ! 米の甘さとはまた違うな!」

「それなら良かった」

「……何だよその顔」

「いや……。……そうだな。昨日から様子がおかしかったからな。何時も通りに見えたから安心しただけだ」


 禍鬼は酒を飲む手を止めた。


「……そうだな。昴、お前は強いよな」

「そうだな」

「そして、俺も強いよな」

「……そうだな」

「じゃあよ、俺とお前の子供が出来ればそいつは最強ってことだよな」

「そう――いや待て、さらっと恐ろしいことを言ったな?」

「と言う訳だ。俺を抱け」


 その言葉と同時に、昴は禍鬼の頭部に向けて飛び蹴りを入れた。


 もう壊れているカウンターを越え、禍鬼は壁に叩き付けられた。

「どうした。酒が頭に回り過ぎて訳の分からない言葉を口走ったのか? そうだろ? そうであってくれ」

「本気で言ったんだが……伝わらなかったか」

「伝わる伝わらない以前の問題であってだな? 分かるだろ何が問題か?」

「何が問題なんだ」

「もう一回蹴るぞ」

「まぁ待てよ。俺は最強の半人半妖が産めて、お前が寿命で死んだ後も楽しめる。お前は幾らでも俺を抱ける。子供は何人いても良いからな。好きな様にしてくれ。俺も嫌じゃねぇ。むしろ喜んでお前に体を預ける。さぁどうだ。何が問題だ」


 昴は勢い良く息を吸った。吐き出すと同時に声を放った。


「俺が! 禍鬼を! 抱くって所だよ!!」

「そこの何が問題なのかを聞いてんだ俺はよォ!!」

「分かるだろ!? 分からないのか!? 価値観の相違か!? ああそうか禍鬼は俺と生まれた時代が違うからな!! 当たり前だよな価値観が違うのは!!」


 昴は荒げた声を疲れを、ため息で一気に吐き出した。そのまま電子煙草を咥えた。


「……ふぅ……全く別の疲れが溜まった気がする……。……允」


 散らばった破片を片付けている允が、昴の声に答えた。

「ここの掃除を任せた。クラレンス、今日は京都で会合があるだろ? 新幹線に乗れば53分で着く。何事も無かったかの様に振る舞ってくれ。アンジェリカと一緒にな。リーガンにはまた別の使令を出す。あの吸血鬼の顔は覚えたな? あいつの特定を頼んだ。クラレンス、俺とリーガンは会合は欠席する。幹部連中には『ボスは容態の悪化で欠席した』『リーガンはそのボスの命令でまた別の使令を下された』とでも説明してくれ」

「りょーかいやでボス。アンジェリカは悲しむやろなぁ。一夜とは言えボスとの京都旅行が潰れたんやから」

「俺の心を締め付けるのは辞めてくれ」


 昴はするべきことがあった。


 クラレンスは急いで駅へ向かった。


 アンジェリカと合流すると同時に、顔を思い切り殴られた。


「何するんや!」

「どうせ失敗したんだろクラレンス。お前の所為で」

「いーや! あれはボスにも責任があるで!」

「煩い全てお前の所為だ」

「何でや!」

「それで、ボスは」

「今日は欠席するらしいで。リーガンも」

「は?」


 アンジェリカの顔は険しい物になった。


「ほらほら、理由はまた後で言うわ。今は新幹線乗るで」

「おい待て。理由を今すぐ言え殺すぞ」

「殺す!? 何や今日は何時もより不機嫌やんか」

「煩い目障りだ」

「もう視界に入れることさえも否定するんか?!」


 クラレンスとアンジェリカの二人は新幹線に乗り込み京都へ向かった。


 クラレンスはとっていなかった夕食を買った弁当で済ませていた。


「……それで、ボスはどうした。何があった」

「ちょいと面倒臭いことになっててな。ほら、吸血鬼おるから色々準備してくれって言うとったやろ。その吸血鬼が逃げたんや」

「その捜索はリーガンに頼めば良いだろ。何故ボスが欠席する必要がある」

「……確かに」

「……馬鹿なのかクラレンス。……まあ良い。私はあくまでボスの意向に従うだけだ」

「焼き肉弁当美味いで。食べるか?」

「……食べる」


 アンジェリカは慣れた手付きで箸を扱い、クラレンスが食べていた弁当から焼き肉を取った。


 肉にかかっている垂れは薄味の醤油ベースであり、あくまで肉の旨味を引き出す為の物である。主役は肉だ。


 アンジェリカはその肉を口に入れた。醤油のアミノ酸から作られる旨味は出しゃばらず、肉汁と混ざりあった。柔らかい肉だからこそ、あまり噛まずに飲み込めた。


「……美味しいなこれ」

「そうやろー。ボスからお勧めされた弁当なんや」

「そうなのか。それを早く言え」


 アンジェリカの表情は僅かに緩んだ。クラレンスはその僅かな変化に気付き、安堵の息を吐いた。


 どれだけ暴言を吐かれても、彼にとっては彼女は妹なのだ。クラレンスにとってアンジェリカは未だに守るべきか弱い妹から変わっていない。


 アンジェリカが生まれ、その裏切者の証である赤髪を白に染められた時から、クラレンスにとってアンジェリカの敵は全て殺すべき害虫である。むしろ、彼にとっての人間とは自らが心酔するボスと、血の繋がった実の妹だけなのかも知れない。


 それが分かるのは、きっとこの世界には一人もいないのだろう。クラレンスにさえも分からないのだから。


 およそ53分の東京から京都の旅を楽しみ、兄妹は卯と酉を繋ぐ新幹線から降りた。


 京都、そこは今尚日本が他の文化を取り入れようとしなかった時代の名残が残っている。だが、結局それも海の外の文化に僅かに汚染されてしまっている。


 だが、この二人はそれを理解していない。この二人の視界に写っている視界と言うのは、昔の風景も理解出来ていない現代に生きる者なのだから。


 そして、二人はある場所へ向かった。


 そこは京都に置かれているアブサーダディーの拠点の一つであった。ただしあくまで会合の為にだけ使われる為、何時もは使われない。


 そこの中にいたアブサーダディーの幹部の付き添いの何人かが、クラレンスとアンジェリカの話をしていた。


「この組織の中で一番の狂犬、それがクラレンスさんだ。覚えておけ」

「何でですかパイセン」

「……パイセンとはどう言う意味だ」

「先輩を逆にしてパイセンです。それで何でですかパイセン。一回話したことがありますけど親しい人でしたよ?」

「いやー違うんだよ。やっぱり分かってない。No.2の恐ろしさを。あの人と親しくなれたのなら、まだ妹の方と話してないだろ」

「そうですね」


 風格のある髭を生やした日本人の男性は、葉巻を咥えた。その隣にいた若い日本人の女性が、葉巻の先に持っていたライターで火を灯した。


「大分昔だがな。あの人の妹が人身売買組織に攫われたらしいんだよ。……その場に残ったのは、あの兄妹だけだった。それ以外は全部タンパク質の塊さ。分かるだろ?」

「クラレンスさんが全員殺したんですか。やべぇっすね」

「……お前クラレンスさんの前でそんなこと絶対に言うなよ」

「つまりNo.2にとっての尾は妹さんってことですね。その妹さんも数少ないボスの素性を知っている人物ですし」

「依頼執行人との繋がりもある。俺達が迂闊に逆らっちゃいけない御方さ……逆らう気も無いがな」

「やべぇやべぇやべぇっすね」

「……聞こえるからこれ以上は辞めておこう」


 その二人はやって来たクラレンスとアンジェリカに一礼した。


 二人は奥へ向かった。その中には、質素ながらも具材本来の彩りを見せ付けている和の美しさを表現している料理を楽しんでいるアブサーダディー幹部達十数人がいた。


 その十数人は、クラレンスに視線が集まった。


「さて、ボスはちょいと体調が悪くなってな。今は療養中や。リーガンはまた別の使令で留守やと」


 すると、一人の幹部が口を開いた。


「それは残念だ。ボスの体が心配だが……私の経営する火葬場に運ばれて来ないことを願っている」

「冗談にしては、命知らずな物言いやな。まあ良いわ」


 すると、もう一人の幹部の女性が口を開いた。


「あのNi――」


 クラレンスはその女性に新型銃を向け、その引き金を何も思わず引いた。慈悲を掛ける必要も意味も無かったからだ。


 女性は頭を貫かれ、出血もせずに椅子から転げ落ちた。彼女はもう、死に絶えたのだ。


「確かに俺も黒人は苦手や。ただ、あくまで苦手や。トラウマやからな。だが嫌いや無い。特にリーガンとかはな。そんなリーガンに向けて、Nワードは駄目やろ」


 すると、隣にいたアンジェリカが呟いた。


「クラレンス、誰に言っているんだ」

「あ? あの差別主義者や」

「あの愚者はもう死んだ。死人が聞こえる訳無いだろ」

「お? 何や死んだんか。勿体無いことしたなー。あのまま綺麗に残しとけば良い商品になれたかも知れへんのに。顔だけは良いしな」


 クラレンスの瞳には、殺人を犯した時に溢れ出る特有の罪悪感を一切感じなかった。


 この兄妹にとって、殺人とは当たり前の自衛行為であり、今まで何度も繰り返して来た行為なのだ。そこに何故、罪悪感を感じるのかを理解することは出来なかった。


 ただ、アンジェリカは昴に心を動かされ、愛を向けてしまった。昴に歩み寄り共感しようとした結果、その考え方も少しずつ変わっていった。


「さー今日もやろうや。一人幹部が死んじまったけど、まあ良いやろ。ボスもきっと許してくれるわ。Nワード使ったあいつが悪いんやから」


 クラレンスは女性の名前を分からなかった。どんな性格なのかも分からなかった。


 何度も話したことはある。何度も親しく接して来た。だが、クラレンスにとってあの女性は、どうでも良い存在に成り代わってしまった。ただ、それだけの理由だ。


 アブサーダディーの会合は思った以上に簡単に終わった。先程の容赦の無い粛清の所為で萎縮していたのかも知れない。それが分かる程、クラレンスの観察眼は卓越していなかった。


 だが、クラレンスは信じていた。目の前にいる十数人の人間は、最早表の世界では生きられない程にイカれた裏面を持つ人物達であると。


 二人は、また別の場所にいた。


「……なぁアンジェ」

「そう呼ぶな潰すぞ」

「何をや!?」

「察しが悪いな」

「……まあ良いわ。アンジェリカは黒人嫌いか?」

「お前と同じだ。苦手だが嫌いじゃ無い。……ああ言う奴もいるだけだ。簡単な話だ。私がもう普通の人間になれない様に、あいつらも普通の人間になれなかっただけだ。恨んではいる。憎んでもいる。だがその感情を向ける相手は、もう死んでいる。もう無駄な感情だ。それに……黒人を一括りにするのも可哀想だ」

「ま、それもそうやな。あくまで恨むのは――」

「地獄に落ちた人間だけだ。そう言っているだろう? クレア」


 クラレンスの表情は穏やかな物になった。そのすぐ後に、満面の笑みになった。


「さっきお兄ちゃんのことクレアって呼んだよな!?」

「煩い黙れクラレンス。遂に難聴になってしまったか」

「いーや! 聞き間違いやあらへん! ぜーったい言った! クレアって言った!!」

 兄妹は京都の町並みを歩きながらそんなことを話していた。仲は良いのだ。本当に仲だけは――。


「――……色々凄いことになり始めたね」

「そうだなー……。色々あり過ぎて……」


 光と昴の二人はIOSPの日本支部に来ていた。


 そのIOSPの、理事長室へ足を運んでいた。


「さて、話は聞いてますよね嗣音さん」


 嗣音さんは腕を組み、左腕の私が設計した義手の二の腕部分を指で叩いていた。


「……もう信じないとは言わない。だが、此方としては白神黒恵とミューレン・ルミエール・エルディーの捜索を優先したい。超常的存在対策機動部隊を動かす訳にはいかない」

「流石にあんな過剰戦力は必要無いですよ。けど、いるでしょう? 暇な奴が」

「……あぁ……あいつか。……分かった。確かにあいつなら暇だろうな。と言うか仕事をやらないな」

「頼みました。情報次第連絡しますので」

「私も行った方が良いか?」

「理事長が前線に来たら駄目でしょう」

「それ以上に機動部隊長だ」

「それでも駄目でしょう」


 私達はあの屋敷に帰った。


 私はその屋敷にある本と資料を掻き集めた。それは全て吸血鬼、より言うのならヴァンパイアに関する資料である。


 机の上に乱雑している論文を隅に寄せて、本と資料を机の上に置いた。


「えーと……ヴァンパイアの……弱点は他にあるかな……。まずあの女性が吸血鬼で一括りにされているのかそれともヴァンパイアなのか……」

「それに違いがあるのか?」


 昴君が資料をパラパラと捲っている私にそう聞いた。


「吸血鬼って言う言葉は古くから中国で血を吸う悪霊とか亡霊とかの意味があるからね。今はそのヴァンパイアを指すことが多いだけなの。テオフィル・ゴーティエの死霊の声を芥川竜之介が訳した時はVampireのことを夜叉と訳したからね」

「ああ、クラリモンドが出るあれか」

「そうそう。つまり、私が知りたいのは日本で吸血鬼に分類される存在なのか、それともヴァンパイアと呼ばれる物なのか。変身はした?」


 昴君は思い出す様な素振りを見せると、口を開けた。


「狼に変わって、鼠に変わって、蝿に変わった」

「じゃあヴィクトリア朝以降のヴァンパイアかな。鼠に変身出来るのも虫に変身出来るのもヴァンパイアだし。聖水は効いたんだっけ?」

「ああ。少なくとも苦しんでた」

「じゃあ確定。ヴァンパイアだよ。銀の弾丸が効かなかった理由は……多分、心臓を貫かなかったからかな?」

「あくまで殺す方法ってことか」

「多分ね」


 すると、昴君の方から着信音が響いた。昴君はすぐに通話を始めた。


 通話相手は多分リーガンだ。


『ボス、付着していた血液から特定は出来ると思ったんですが、特定が出来ません。記録が失われたのか、もしくは記録が無い時代の人間の可能性もあります』

「……そうか。分かった。顔だけでの特定は可能か?」

『それも進めています。ですが、難しいでしょう』

「……そうか」


 話を聞いていると、少し思ったことがある。


「昴君。イギリスのロンドンに依頼執行人の話があったでしょ? もしかしたらそこにいるかも」

「……らしいぞ。聞いたなリーガン」

『分かりました。ロンドンで聞き込みをしてみましょう』


 昴君は通話を終えた。


「ようやく見付けた……わざわざ逃がすか。地獄の果てまで追い掛け回してやる……! ヘッヘッヘ! ヘーッヘッヘッヘ!!」


 昴君が悪巧みを考えている時の笑い声をしている……。


 いや、確かにもう一人の依頼執行人と思われる女性をようやく見付けたから、あんな笑い声をする理由は十分にあるけど。


 ようやく、ようやく見付けたからだ。依頼執行人の名前はもう一人の依頼執行人に汚れてしまった。そのもう一人の依頼執行人をどうにかして捕まえたいのだろう。


 けど……まさか神仏妖魔存在のヴァンパイアだったとは……。


 それにしても、昴君がここまで本気で特定を急ぐのは中々に久し振りな気がする。


 ……いや、案外あったかも? 死屍たる赤子の教会の特定とか。


 死屍たる赤子の教会、帝国特別宗教学研究結社、その前身組織である大日本帝国陸海空軍特別研究部隊。分からないことが多い。


 今、その三つは関係無いが。それに幾ら調べても情報が無いことはもう分かっている。取り敢えず今はあの女性のこと。


 ヴァンパイアなら、まあ対処法はある。神仏妖魔存在の特徴として信仰、まあ悪く言ってしまえば色んな人の思い込みで力を増す。


 その力を増すと言うのは、悪い方向にも働く可能性がある。つまり弱点を増やす可能性も存在する。まだ可能性ではあるが、銀の弾丸や聖水が効いたと言うことは可能性はある。


 ……いや? 聖水の場合はまた別の神仏妖魔存在の力があるのかも知れない。まあそれは分からない。とにかく銀の弾丸が効くのなら、あの女性は西洋辺りの神仏妖魔存在の可能性は高い。


「……行くか。ロンドン」

「また行くの?」

「ロンドンで待機してた方が良さそうだしな。それにどうせ暇人がいる」

「ちょっと待っててね! 荷物纏めて来る!」


 私は即座に荷物を纏めた。チケットは昴君が簡単に取得出来てた。


 昴君も相変わらず簡単に纏めている。しかも綺麗だ。私のぐっちゃぐちゃになっているキャリーバッグの中とは段違いだ。どうにもこう言う整頓だけは出来ない。


「……昴君お願いします……」

「仕方無いな」


 本当に昴君には頭が上がらない。足を向けて眠れない。まあ私は昴君と一緒に寝てるんだけど。


 昴君の動きはやっぱり残像が見える。頑張れば着火出来たりするかも。……いや流石に無理かもだけど。


 急にロンドンに行くことになったが、身支度も終わらせもう飛行機に乗っていた。


 窓から覗く日本の東京の夜はもう暗い。


 ほぼベッドルームにしか見えない席で、私は眠気のまま昴君に抱き着いた。


 昴君はただ優しく微笑んでいた。とても穏やかな笑顔。私が大好きな笑顔。私が見たかった笑顔。


 最近、と言っても一番大きな要因は青夜が生き返ったことだけど、昴君の心に深いキズが刻まれてしまった。私はそれを治すことは……出来ない。あくまでその傷を、隠すだけ。


 彼はもう、一生救われることは無いのかも知れない。少なくとも彼はそう思っているはずだ。私が出来ることは、彼のその考えを誤魔化すことだけ。


 この優しい撫で方も、私のお陰とは思えない。結局、自分の中で未だに何度もフラッシュバックする記憶を押し込めて私に優しくしているのだろう。


 ……あまり、考えたくない。胸が、締め付けられてしまう。


「……昴君」

「どうした光」

「……ううん。何でも無い。……ねむい」

「もう九時を回ったからな。眠くなったんだろうな」

「……うん」


 私は昴君の胸の中で、抱き締められながら瞼を落とした。大好きな大好きな大好きな大好きな昴君の温かみ。ずっと傍にいて欲しい、ずっと笑って欲しい、彼の温かみ――。


「――……おーい。起きてくれ。光ー? もうロンドンに着いてから数時間は寝てるぞー?」

「……ねむい」

「ほら、早く起きてくれ」


 私は無理矢理口の中に苦いコーヒーを流し込まれた。


「あー! にがいー! あー!」

「はいはい」


 昴君に軽くあしらわれ、私は辺りを見渡した。


 何時の間にか、イギリスにある昴君が所有している屋敷の綺麗で少し豪華なベッドの上だった。眠っている間に空港からここまで運ばれてあまりの寝相の悪さにシーツをぐしゃぐしゃにしていたらしい。


 食堂へ向かうと、朝食がもう出されていた。昴君の仕事は早い。


 ソーセージの少しだけ辛い香辛料を舌で感じていると、昴君が机に肘を立て、顔を手で支え微笑みながら此方を優しく見詰めていた。


「どうしたの?」

「いや、美味しそうに食べるなって」

「昴君が作ってくれた料理だからね。百年でも二百年でも三百年でも四百年でも五百年でも美味しいと思い続けられるよ」

「何だそれ」


 昴君は笑っていた。不器用な笑い方ではあるが、五年前よりは自然に見える。無理をして作った様な雰囲気は感じない。


「それで、私が寝ている間に調査はどれだけ進んだの?」

「一応ではあるが、あの女性の目撃情報からある程度の拠点は推測出来た。今もそこにいるとは思えないが……まあ、行ってみるしか無い。ここで待ってて欲しいが……まあ、そんなに聞き分けが良いならここまで着いて来てないか。今回はあいつも――」


 すると、食堂の扉が壊れそうなくらいに勢い良く開けられた。そこに現れたのは、禱さんだった。相変わらず大きく豪快に「ガハハ」と笑っていた。


「よぉ光の嬢ちゃん。昴と上手くやってるか? こいつ面倒臭いだろ」

「禱さん程じゃありませんよ」

「まるで俺が面倒臭いみたいな言い草だな光の嬢ちゃん」

「いやいや……それ本気で言ってます?」


 ビル二棟連続爆破、旅客機累計十機墜落、豪華客船沈没、民家全壊六十八件、半壊二百九件なんて大惨事起こしたのに?


 すると、禱さんは後ろから誰かに殴られた様に頭を抑えた。禱さんの大きな体に隠れていたのは、美愛さんだった。


「何時の間にこんな所まで来ているんですか禱さん! 勝手な行動はしないで下さいと何度も言いましたよね!!」

「何だよ美愛の嬢ちゃん……背後から殴るとは卑怯だぞ……と言うかどうやってここにいるって分かったんだ……」

「禱さんの問題行動には何度も悩まされましたからね! もう禱さんが何を考えているのかは大体分かる様になったんです!」


 美愛さんは胸を張りながらそう言った。苦労してそうだなぁ……。


「昴さん。候補となるであろう場所に数か所周って来ましたが、特に何かがある訳ではありませんでした。禱さんが壊して無ければ」

「分かりました。禱が壊して無ければそこは一旦候補から外しましょう」


 候補地が絞れたのは良いことだ。時間の削減にもなる。禱さんが壊して無ければ。


 そうだ。やっぱり結局は禱さんが壊して無いことが前提になる。その前提が禱さんの所為で簡単に壊れてしまう可能性さえある。まあ、前提が崩れるのは何度も経験している。と言うか研究していればそれくらい何度も起こる。だから大丈夫だ。


 朝食を食べ終わり、それと同時にクラレンスとアンジェリカが来た。


「リーガンの仕事は完璧でしたボス」


 アンジェリカは何処で印刷したのかカラーのロンドンの地図を食堂の広い机の上に広げた。


「基本的にはイーストエンドに目撃情報が集中しています」


 そう言ってアンジェリカがペンを持ち、地図に円を書いていた。


「特にホワイトチャペルが一番多いです。ただ……それにしては、あまりにも目撃情報が少ないです。ホワイトチャペルの目撃情報は合計五件。その他のロンドンの目撃情報は六件」

「ホワイトチャペルの目撃情報の詳しい場所は?」

「ダーワード・ストリート、ハンバリー・ストリート、ヘンリック・ストリート、ゴールストン・ストリート、そしてドーセット・ストリートに」


 アンジェリカは目撃情報があった場所を赤いペンで記していた。……何だか……いや、でも、偶然かな?


「……どうした光。考え事をしてる顔をしてるが」

「……偶然かな。……いや、でも……うん。やっぱりそうだよ。ダーワード・ストリート、ハンバリー・ストリート、ヘンリック・ストリート、ゴールストン・ストリート、ドーセット・ストリート。これ、()()()()()()()()()の事件現場だよ」


 カノニカル・ファイブ。ホワイトチャペル殺人事件の1888年の八月三十一日から十一月九日の間に起きた五件の殺人事件を指す言葉だ。被害者はメアリー・アン・ニコルズ、アニー・チャップマン、エリザベス・ストライド、キャサリン・エドウッズ、メアリー・ジェーン・ケリーの五人。


 この五件の殺人事件は、あの有名な()()()()()()()()の犯行だと言われている。


 未だに未解決、と言うか1800年代の事件なんて解明する必要性も無い。まあ未だに解決しようとしている物好きがいるのも確かだが。私もその一人だった。


 もう数百年前だ。証拠はもう全て消えてしまっている。記録として残っている証拠と言われる物だけで推測するしか無い。


 まあとにかく。目撃情報がそれと一致しているのは偶然だろうか。


「あのヴァンパイアが切り裂きジャック……なんて考えは飛躍し過ぎか。それだとJack the Ripperじゃ無くてJill the Ripperか」

「一応女性とする説もあるよ。アーサー・コナン・ドイルも女性説の指示者だったしね。私も女性説は推してるよ。あくまで可能性はあるかもだけど。この考えは変わるかもね」

「少し前から出てた今のイギリスにはジャックが出る、って言うのはバネ足も切り裂きもいた可能性があるのか。バネ足は怪異存在だからまた違うが」

「可能性としてはね。まずジャックで有名なのは切り裂きの方。バネ足も出て来たのは偶然なのか……それとも――」

「怪異存在を作り出したか。だろ?」

「そうそう。怪異存在を作り出すことが可能なのはここ最近の出来事で分かるからね。ただ……昴君が怪異存在を作り出した時は――」

「俺が怪異存在を? 何時の話だ?」

「……ああ、そっか。昴君気絶してたね。また後で教えて上げる」


 ……少し言い難いことがあるから。


 その話を聞いていた禱さんは混乱しながら頭を傾けていた。禱さんの脳の未発達は別に知能まで下がっている訳では無いはずなのに……。むしろ未発達以外の部分は平均よりも発達してるのに。


 禱さんの脳の一部の未発達は遺伝的な疾患だが、筋肉をセーブすることが不安定なこと以外は全て優秀である。それでも問題行動を起こすのは、もう本人の性格の問題だろう。


 美愛さんは地図を見詰めながら、口を開いた。


「私達が行ったのはダーワード・ストリートとゴールストン・ストリートです。そこには特に何もありませんでした。先程言った様に、何も見付かりませんでした」

「怪しい奴はいたがな」

「いました?」

「いたぞ。人間じゃ無い奴が」

「何でそれを言わなかったんですか!?」

「あー……忘れてた!」


 昴君は禱さんの頭を思い切り殴り付けた。


「忘れてた!? 忘れてたって言ったのか!? 何の為にロンドンに来たのか分かってないのか禱!」

「いきなり呼ばれていきなりロンドンに来ちまっただけだ!! 何の為かも聞かされてねぇんだよ!」

「ああ!? ……ああ、そうか。伝えれば暴走するって嗣音さんが判断したんだろ」


 禱さんは納得した様に一回頷いていた。


 嗣音さんが伝えなかった理由は昴君の予想で合っているだろう。そこまでの問題行動を起こすのが禱さんだ。流石嗣音さん。禱さんの扱い方を良くご存知だ。


「まあ、ここまで分かればいいか。報告ありがとう()()()()


 その言葉が昴君を発すと、アンジェリカがその場で膝から崩れ落ちた。


 紅潮させながら、口を手で隠しながら目から涙を流していた。


「……ボス……もう一回言って下さい……!」

「アンジェリカ?」

「そうでは無く……。……ああやばい意識が……」


 アンジェリカはそのまま幸せそうな笑顔を浮かべたまま、その場で倒れてしまった。


 ……愛称で呼ぶだけで気絶するとは……。何と言うか……愛ってここまでのことが出来るんだなぁ……。


 妙な関心をしてしまった。


 クラレンスは気絶したアンジェリカを抱えながら叫んでいた。


「何でボスが愛称で呼ぶと喜ばれてお兄ちゃんは嫌がられるんや!!」


 何だか悲しいことを聞いた気がする。


 その後、私と昴君はハンバリー・ストリートに向かった。


 飛寧の頭の三つを飛ばして、私達はあの女性の捜索を始めた。ハンバリー・ストリートに面している公園のベンチに腰を降ろしていた。


 飛寧のもう一つの頭は、魔魅大隠神とロンドンを周っていた。


 子供が何人か遊んでいる。それに紛れて、魅白が遊んでいる。どうやら子供には魅白が見えているらしい。


 ホラー作品だと、子供が幽霊の姿が見えると言うのはある意味に置いて鉄板だ。まさか本当に見えるとは。


 七つまでは神の内と良く言われるが、案外正しいのかも知れない。


 一人の子供が同行しているお母さんに話し掛けていた。


「Mom.I was playing with this big woman」


「Big woman? Where is that person?」


 ……怖いだろうなぁ……あのお母さん……――。


 ――私と禱さんはヘンリック・ストリートを調べていた。


 まず、調べるとは言ったがどうするのか。やり方は簡単だ。


 首藤飛寧の頭の一つを禱さんが持っているらしい。私では見えない。あくまで私は禱さんの暴走を止める役割だ。


 念の為私達が調べた場所ももう一度調べ直したが、もういないのは当たり前だろう。


 まず、日本からロンドンへ逃げられるだろうか。昴さんの報告では身元不明の女性。そんな女性が海を渡れるとは思えない。


「なあ美愛の嬢ちゃん」

「どうしました禱さん」

「説明は出来ないんだが……嫌な予感がする」


 禱さんは険しい顔をしながらそう呟いていた。


「嫌な予感……ですか。そんな予感が当たったことなんてありましたか?」


 禱さんに冷ややかな視線を送っても、禱さんの険しい顔は変わらない。


 予感と言う物はあまり好きでは無い。どうにか科学的に説明するとすれば……禱さんのあの髭は鯰の様な感覚器官だったり。……いや、あり得ないわね。


「しっかし、ここ二ヶ月にいかないくらいで色々あったな」

「そうですね。今でさえまだ信じられない出来事が多いですし」

「そう言えば、美愛の嬢ちゃんはまだあんまり出会ったことは無いのか」

「蝉が集る怪異存在、それとあの天使でしょうか」


 ……私は、果たしてIOSPにいて良いのだろうか。


 何度も思い続ける。IOSPの業務内容に一つ加えられた超常存在の対策。


 対人間の機動部隊とすれば、私の能力は有力なのだろう。だが、超常存在と言うあり得ないことが起こることが当たり前の存在、現象を前に、私はどれだけ戦えるのだろうか。


 本来、それに抗えることも出来ずに、簡単に散ってしまうのが人間と言う物なのでしょう。私は、何も持っていない。何も見えない。何も出来ない。


「……禱さん」

「どうしたしんみりとした顔して」

「……私は、超常的存在対策機動部隊にいて良いのでしょうか」

「知らん。それを決めるのは俺じゃ無いしな。そう言うのは嗣音が決める物だろ」


 ……違う。私が求めていたのはそんな答えじゃ無い。私はただ――。


 すると、突然禱さんが横道を見た。建築物と建築物の間の暗い道を見詰めていた。


「どうだ? ああ、美愛の嬢ちゃんじゃ無い。この頭だけの嬢ちゃんだ」


 やっぱり見えない。


「……あっちか! 行くぞ美愛の嬢ちゃん!」


 そのまま禱さんは全速力でその脇道へ走った。ただ、問題があるとすれば、あの人の全速力は私の様な鍛えただけの一般人では追い付けないと言うことだけだ。


 そう。もう私の足では追い付けずに視界へ消えてしまった。


「禱さーん!!」


 その声は恐らく禱さんに届かないのだろう。届いたとしても絶対に帰って来ない。そう言う人だ。


「あぁ……!! また怒られる……!!」


 私はその脇道の中を走った。


 左に伸びる道もあれば、大きなゴミで道が塞がっていることもある。


 こんな場所でも禱さんはとても簡単に飛び跳ねながら走り回るのだろう。私はそれに追い付けない。あの人を止められるのはIOSPの中だと理事長と昴さんくらいだろう。


 それに昴さんはあくまでIOSPの協力者であり、所属はしていない。


 急いで禱さんに連絡しようとしたが、あの人が出るとは思えない。


 待機音だけが鳴り響く私のスマホに、苛立ちを覚えた。


「やっぱり出ない! あーもう!! 何であの人はいっつも……!!」


 怒りのまま、近くの壁を殴った。


 あまり殴ることに慣れていない所為か、拳のじんとした痛みに少しだけ涙が出てしまった。


 全部禱さんの所為にしてしまおう。この怒りが湧いて来たのも禱さんの所為だ。


 念の為、このまま待機して……。


 すると、私の足下に一匹の鼠が走った。


 その突然のこと、そして鼠の灰色の汚い毛に嫌悪感に悲鳴を出してしまった。


 その悲鳴は私の感情を更に荒立たせてしまい、足を真艫に動かすこともままならない。そのまま体勢を崩し、転んでしまった。


 見渡せば、もう鼠は何処にもいなかった。なんて素早い鼠だろうか。


 立ち上がろうとすると、私の卓越した耳に足音が聞こえた。


 後ろを見ると、そこには男性がいた。あまり良い身なりでは無い。


「大丈夫ですか?」


 その男性は話し掛けて来た。


「ええ。大丈夫です」


 すぐに立ち上がり、私はその男性に一礼してから禱さんを探そうとした。しかし、男性に呼び止められた。


「済みません。人を探していまして。話を聞きたいのですが」

「……そうなんですか。特徴は?」

「男性です。ああでも、一目だと女性に見えますね」


 ……その特徴だと、私の頭にはあの人の姿が浮かぶ。……ああ、禱さんの嫌な予感と言うのが少しだけ理解出来た。


「いえ。知りません。この辺りには来ていないんじゃ無いですか?」

「そうですか」


 嫌な予感は、少しずつ現実味を帯びて来る。


 ずっと違和感があった。


 妙に静かだと思った。


 この人からは、心音が聞こえない。


 呼吸はしている。だが、それも何処か不器用に、それでいて意識的に口を動かしているだけに見える。


 嫌な予感は、確かな現実になった。


 心音がしないことがこんなに不気味なことだなんて知らなかった。当たり前の様に聞こえて、耳障りだと思うくらいに聞こえる心温が消えると、こんなに冷たい無音が響くなんて思わなかった。


 無音が響く。私の鼓膜は無音で揺れている。ただ無音は響く。ずっと聞こえる音は、私の鼓動の音だろう。


 私は咄嗟に走り出そうと背を向けようとした。それも出来ずに、私の左の腹部に、熱くなった。


 痛くは無い。ただ、熱い。熱くて熱くて嫌なくらいに。


 見れば、そこには刃物が突き刺さっていた。その刃を通じて、私の腹から恐ろしい程赤い物が流れていた。


 反撃に一歩遅れた。腹部に突き刺さった刃物を握った男性は私の頭部を殴り付けた。


 痣が出来た痛みだろう。それくらいは分かってしまう。


 すると、刺された傷に男性は殴り付けた。あまりの痛みに上体を下げると、その頭に拳を突き上げられた。


 頭が揺れる。そして痛み。一瞬だけ意識が飛ぶ感覚がしたと思えば、右の頬を殴られた。


 そのまま私の頭を鷲掴み、そのすぐ横の壁に叩き付けた。嫌な音が聞こえてしまった。後頭部に、また熱い感覚が訪れた。


 そのまま腹部を何度も殴り付けられ、もう力が入らない頃に、壁に体を押さえ付けられた。


 男性の顔はあまり見たくない。恐らく見たとしても覚えられないだろう。それくらい私の視界はもう頼りにならない。


 こんな時に、私の長所の耳の良さを呪ってしまう。血が滴る音が、私の体から血が落ち続ける音が良く聞こえてしまう。見えなくても、聞こえてしまう。


 男性の力は強かった。そして壁に押し付けられている所為で、投技に動くことも出来ない。


 もう一度、腹部を刺された。そのすぐ後に、口角に刃先を当てられた。刃は、ゆっくりと私の顔の後ろへ進む。


 口角は切られ、頬によって隠される奥歯が涼しくなった。もう痛みなんて感じない。ただ感じるのは、目の前にいる恐怖だけ。


 そのまま頭部を掴まれたまま、右に倒された。


 匍匐前進でも逃げようと、腕を動かせば、その腕を力強く踏み付けられる。


 頭頂の髪を掴まれ、無造作に頭を上に向けられた。


 伸ばされた喉元に、その冷たい刃を当てられた。


 少しずつ、また少しずつ、その刃は私の肌の奥へ進んだ。聞こえる音の距離からしてもう筋肉を切っているのだろうか。


 ……ああ、結局そうだ。


 私は、泣いていた。もう声を出せない。「たすけて」の四文字も出ない。混乱している人間と言うのは、どれだけ無口になるのだろうか。


 ……何に、泣いているのだろうか。死だろうか。それとも痛みだろうか。それとも……もう、それを考えることさえ無意味なのだろうか。


 私に、早苗の様な充分に戦える長所があれば良かったのに。私に、深華の様な特異な力があれば良かったのに。私に、禱さんの様な力があれば良かったのに。


 ……最後に……嫌な禱さんの記憶が蘇るのは……なんて無様なのだろうか。


 もう喉に半分程刃が食い込んだ頃、私の良く出来た耳に、一つの豪快な足音が聞こえた。


 ……ああ、本当に……。

最後まで読んで頂き、有り難う御座います。


ここからは個人的な話になるので、「こんな駄作を書く奴の話なんて聞きたくねぇよケッ!」と言う人は無視して下さい。


そう言えば、美愛の話をあまりしませんでしたね。と言うことで美愛の話を。


焦点が当てられた人物は酷い目に会う呪いみたいな物です。またの名を私の趣味と言うのです!

女性がボロボロになり、男性が大泣きする。それが私の趣味です。あとついでに百合と薔薇。薔薇要素はあまり入れる訳ではありませんが。


ジャックザリッパーに気をつけろー。夜道でお前を待ってるぞー。死にたくなけりゃどうするかー。お前も血まみれになるこったー。

……夜道じゃありませんね。


いいねや評価をお願いします……自己評価がバク上がりするので……何卒……何卒……

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