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拾八つ目の記録 2649、1989、64の九月十一日 ⑦

注意※分かりにくい表現、誤字脱字があるかもしれません。そしてもうホラーは存在しません。戦闘しかありません。私の作品がホラーじゃないと言えばそれまでですが……。「そんな駄作見たくねぇよケッ!」と言う人は見ないでください。


ご了承下さい。

「明治、大正、昭和、平成、令和……その後は何でしたっけ」


 斎がそう呟いた。私も知らない。


 私は斎と一緒に歩いていた。


 まだこのPoP発生地域には謎が多い。何処かにいる他の皆が情報を見付けていたのならそれで良いが。


 それにしても、斎が式神を扱えないのならただの気弱な女性。こう言うのは酷いが。


 ただ、それだと私が力を使える理由が分からない。經津櫻境尊と言う境を操る神仏妖魔存在の力を使っている所為だろうか。いや、関係無さそうだ。


 今、私達が考えるべきことは唯一つ。この異世界から出る為にはどうすれば良いかだけ。


「斎、異世界に迷い込んだ時の対処法は?」

「基本的には……そう言う世界へ招くのは大抵神の戯れですので、その方が満足する様な行動を起こせば……」

「でも私が作った鳥居からこの世界に入ったから……あ、詰んだ?」

「いえ、入った時と同じ様な行動を起こせば帰れる場合もあります」

「それは何度も試したわよ。けど駄目だったわ。境界の罅は見えないし」


 幾ら狐の目で見渡しても何も見えない。いや、時々白い靄が見える時もあるが、それがPoP発生地域の所為なのか何かがいた痕跡なのかの見分けが付かない。


 私としては神仏妖魔存在か怪異存在の何方かがいる方が都合が良いけど。


 この世界から出る為に必要なこと、恐らくあのVHSビデオデッキを全て破壊すれば、この世界は崩壊する……はず。実際人為的に作られた世界だからかどうなるかは分からない。


 それでも異常性を作っているのはVHSビデオデッキから出て来る音だ。音を出す機構が無いにも関わらず音が出ていることから、やはりそれも超常的な物品なのだろう。是非回収したい。


 危なくて回収が出来るかはまた別問題だが。


 もしくは私の力で、世界を別ける"境"を開けるか。それが出来ないから私は悩んでいる訳だが。


「……あ、そこに、呪物があります」


 斎が指差した方向に向けて狐の目を使った。確かに黒い靄が見えた。それを追い掛けると、確かにVHSビデオデッキがあった。


 私は帽子を手に取り、中に手を入れた。掴み、そして引き抜いた。


 やはり刀が出て来た。これを使うと"扉"や"窓"が使えなくなる可能性があるが、まあ仕方無い。頭痛がしたら、力を使うのは辞めよう。


 その刀を振り下ろし、そのビデオデッキを破壊した。


 これで、この世界が終われば良いが。まあ難しいだろう。


 こんなことでこの異世界から脱出が出来れば苦労は――。


 突然、何かの奇声の様な音がVHSビデオデッキから聞こえた。それはただの音では無いことくらい簡単に予測出来る。


 耳の奥の鼓膜が破れそうな程なその強烈で嫌な音。耳の穴を塞いだ所で頭に直接響いているのか意味が無かった。


 更に強まるその奇声の所為か、脳の血管が破れそうな程の痛みに襲われた。


 ようやく収まると、この世界から音が無くなった。


 虫の鳴き声や、風の音さえも、全てが聞こえなくなった。あるとすれば私と斎が原因の音だけだろう。


 それがあまりにも異質で、あまりにも好奇心を湧き立てる。


 私の好奇心はまだまだ溢れる。ふと空を見上げた視界の青空には、異常な光景があった。


 硝子で作られた青空を砕いた様な罅が向こうの空に見えた。ここからそう遠くは無い……はず。


「な、何が起こったんですか!?」

「分からないわ! けど! 行くわよ!」

「やっぱりそうですよね!?」


 私は走り始めた。追い掛ける様に斎が私の後ろを走っていた。


 好奇心は止められない。止めることは出来ない。止めてしまっては勿体無い。止めてしまえば、私は一生後悔してしまう。


 それを思えば疲れなんて感じない。感じてしまえば止まってしまう。止まらないからこそ、私は私でいられる。私の心は好奇心に染められる。


 数十分程走り切った頃、私は空に見える罅の真下辺りに来ていた。もう夕暮れの赤色をしてしまっていた。


 顔を真っ直ぐ上へ向け、その罅に向けて狐の目を使った。


 白い靄が僅かに見えた。見間違いでも無く雲でも無い。あれは確かに境界の罅だ。絶対に。


 だが、高過ぎる。遥か上の青空に走った罅に手を伸ばせる程、私の体は大きくない。


 やがて斎がようやく追い付いた。息切れをしながら、何とか上を見上げた。


「……ええ。確かに世界が壊れています……。……疲れた……」

「じゃああそこから出られるのね!」

「それはそうですが……やはり難しいかと。確かにあの上空まで行けることが出来れば、可能ではあるのでしょうが……」

「高龗神って飛べなかった?」

「……確かに。流石に神の方まで力が封じられている訳がありませんし」

「じゃあ今はこの異常に気付いた皆が来れば良いのね」


 住居が建ち並ぶ道の中心で、私は座り込んだ。何故か人が見えない。いない訳では無いはずなのに。


 ……もしかしてではあるが、ここにいた人々は最初から死んでいたのだろうか。あくまで繰り返しているだけで、それは生きている訳では無かった……とか。


 まず昭和に生きていた人が、百年、二百年も、一日を繰り返しているとはいえ、生き続けられる訳では無い可能性もある。私達は外から入ったからこそ生き続けている。


 この世界の情報が帝国特別宗教学研究結社が作り上げたくらいしか分からなかった。一応動機はある程度考え付くのだが……。それも正しいのかは分からない。あくまで私の主観だ。


 少しだけ待っていると、何か違和感を覚える。


 私の経験から、こんなに簡単に終わるのは違和感を覚える。それに……帝国特別宗教学研究結社の人物の妨害があってもおかしく無い。むしろ妨害してくるのは当たり前だ。


 その予感は当たっていた様だ。複数の足音が聞こえる。これが他の皆なら良いのだが。


 ……やはり、来てしまった。分かってはいたのだ。


 縦長の瞳孔をしている男性が、その道の先にいた。


「……何をした」


 口を開いていないのにも関わらず、私はその声が聞こえた。


「この世界に、何をした。ここに暮らしている人々は、変わらぬ日々を幸福に暮らしていたと言うのに……何故壊そうとしていた。それとも……知らなかったのか? 答えろ。日本人を殺したくは無い」

「壊す意志はあったわ。この世界から出る為に」

「……そうか。……そうか……。……心苦しい。ああ、とても嫌だ。とてもとても、今日は我々にとって最悪な日になってしまう。何故我々は――」


 その男性の左腕は、無数の蛇に変わった。そして右目は腐り落ち、左目は更に巨大化した。


 その左目から大粒の涙を流していた。それの意味は、私には分からない。


「――幸福になれるはずの国民を殺さなければならないのだ」


 タケミナカタ部隊、その起源は大日本帝国陸海軍特別研究部隊の一員だった。そうなると他にも部隊がありそうだ。その全てが帝国特別宗教学研究結社に吸収されているとは思えないが。


 青い津波の様な蛇の大軍は、私達を襲おうと這い回った。その津波が私達の眼前に迫った頃、私の視界は赤に染まった。


 燃える様な赤色。炎が揺らめく赤色。この炎には見覚えがある。


 火が消えると、結社の男性の頭に蹴りを入れている昴の姿が写った。その左の瞳は赤く輝いていた。


 男性の大きな左目に昴の飛び蹴りの踵が当たっていた。そのまま衝撃で空中に吹き飛ばされていた。


「ま、後は自由にしてくれ。"禍鬼"」


 空中に飛ばされた男性の腹部に、禍鬼の振り被った拳が入り込んだ。爆発音にも似た音が響くと、男性の体は更に向こう側に飛ばされた。


「ようやく見付けた。黒恵、斎。その様子だと無事そうだな」

「無事じゃ無いわよ! 一回死んだのよ!?」

「今生きてるなら良いだろ。それで――」


 昴は上空を見上げた。


「――あれは何だ。二人がやったのか?」

「VHSビデオデッキって分かる?」

「……あの呪物か。あれを壊したのか?」

「あら、昴も分かってたのね」

「新しく魔魅大隠神って言う神仏妖魔存在が俺の中にいるからな。どうやらこの世界に長年囚えられていた神仏妖魔存在らしい」

「まさか現実世界の二ッ岩神社って元はその魔魅大隠神の神社?」

「恐らくな。地形も一致してる」


 すると、後からミューレンと光と狛犬がやって来た。何だか狛犬の顔付きが違う様な気がする。一皮剥けたと言うか、うーん? それに手には昴が持っている物と同じ形状の旧型銃を握っていた。


 ミューレンから色々な情報を聞いた。光と共に行動していたからか、好奇心が向けられていた未知の様々な情報を持っていた。


 そして、私が予想していたこの世界を作った動機は案外当たっていたらしい。


 それにしても……これ以上はどうすれば……。


「神仏妖魔存在も力は使えないの。空に飛ぶことは出来ないわ」


 ミューレンがそう言った。だが、何故かミューレンは力が使える。昴は分かる。ミューレンもまあ分かる。光もミューレンの力を使っていると言えば分かる。なら、私は何故力が使えるのだろうか。


 私は神仏妖魔存在を超える力を持っている訳では無い。だからこそおかしいのだ。


「取り敢えず、ここから移動するぞ」


 昴がそう言った。


「禍鬼の酒虫誘瓢箪がこの世界の何処かにある。禍鬼の身体能力は据え置きらしいからな。その瓢箪が見付かれば――」

「酒虫誘瓢箪? じゃあ私場所知ってるわよ?」

「……は?」


 昴の素っ頓狂な声が聞こえた。


「あれでしょ? 多々良鬼女が持ってるって言われたあの瓢箪。多分それだと思うんだけど……」

「……まじか。いや、それでも……」


 昴は何かを考えていた。


 すると、斎が声を出した。


「あの……私程度の意見で申し訳御座いませんが、あの世界の罅を境として破壊出来る神を下ろすことがもしかしたら……出来るかも知れません」

「つまりどう言うこと?」

「經津櫻境尊を、黒恵さんに下ろすことが出来れば恐らくこの世界から脱出することが出来ると思うのです。丁度外の世界と繋がる罅が上空に走っているので。それに黒恵さんは經津櫻境尊の御神体を食べたので繋がりがあるので……」

「確かに。じゃあすぐにやって!」

「……時間は、掛かると思います。まず經津櫻境尊に届くかも分かりません。私一人の舞なので……」

「その間にも結社の人間が襲って来ると思うと……あんまり現実的な話じゃ無いわね」


 その話を聞いていた光が、語り始めた。


「……うん。じゃあ、昴君はここで黒恵達を守って。私とミューレンと狛犬でそこに行くから。そうすれば禍鬼の力が強まってより時間稼ぎが出来るはずだし」

「光が行く必要は――」

「ミューレンの力を十二分に扱うなら私が必要でしょ? 昴君が納得出来ないのは分かるけど、全員が生き残る為だよ」

「……分かった。……死なないでくれよ」

「大丈夫だよ。貴方を一人にさせないよ」


 そのままミューレンはルーン文字を刻んだ石を光に手渡した。その石は馬車の様に変わった。


 場所は光に教えておいた。理解力が高いからか簡単に納得してくれた。


 私は、この場所で正座で座ることを強要された。


「經津櫻境尊の境は、饗と変える場合もあるらしいです。祭り好きなその性格から言われているのでしょう。つまり、擬似的な祭を始めようと思うのですが……少し難しいですね。やはり舞が一番でしょう」


 斎が私の前で何度も歩きながらそう呟いていた。


 私の周りには、何故か正鹿火之目一箇日大御神と高龗神がいる……。何で……。


「他の神々も傍にいれば、恐らく来るとは思うのですが……どうでしょう。やってみなければ分かりませんね。やってみましょう」


 そのまま斎は私の前で綺麗な舞を踊り始めた。何だか色々いきなり過ぎて訳が分からないが、まあ仕方が無い。


 ……ただ、こんな時に動けなくなった所為で、止められた好奇心が私の心の中に満たされた。


 速く来て經津櫻境尊! そうじゃ無いと私の好奇心が爆発しそうなのよ――!


 ――私達は黒恵から教えられたお寺へ向かった。


 確かにそこには高い山と階段があった。


 こんな時ばかり思ってしまうのは、日本の宗教施設が山の上にある所為で辿り着くまで時間が掛かることだろう。こんな状況だとそれが致命的だ。


 私達はその階段を思い切り走り始めた。


「あのミューレンさん! 光さん! 何で俺まで来たんすか!?」

「人手は多い方が良いから!」


 すると、お寺へ向かう階段の上から一人の男性が降りながら襲って来た。


 その男性を、狛犬は持っていた旧型銃のグリップで頭を殴り付けてそのまま後ろに投げ飛ばした。


 簡単に下へ転がってしまい、そのままちょっと悲惨な体になってしまっていた。まあ仕方無い。


「ほら、人手は重要でしょ?」

「あんまり関係無い様な気が……」


 私達はそのまま階段を息を切らしながら登り切った。もう足がはち切れそうだ。


 光はそれでもすぐにお寺の中へ入った。時間が無いことは分かっている。ただ……少し休ませて……。


 何とか足を引き摺りながら、私達はその酒虫誘瓢箪を探した。


 ここには誰もいない。ある程度大きなお寺なのに。


 すると、別の方向を探していた狛犬の悲鳴が聞こえた。


「ギャー!? ミューレンさーん! 蛇ッスー!」


 その絶叫と共に、壁が突き破られる音と、何かが這う音が聞こえた。


 絶叫が聞こえる方向には襖があった。その襖に飛び込んで突き破った狛犬がやって来た。少しだけ涙目だった。


 すると、その狛犬の後を追い掛ける様に、人の身長を遥かに超える白蛇が襖を破ってやって来た。尻尾を振り回しながら、お寺を破壊しながら此方へ這って来た。


 狛犬に手を差し伸ばした。掴んだ手を引っ張って、後ろに投げた。それをしながらその床に、ペンでルーン文字を刻んだ。


 刻んだのはISだ。停止の、ルーン文字。


 そして、後ろへ全速力で走った。後ろで何が起こっているのかは分からないが、狛犬が私の後ろへ走っていた。


 その次に聞こえた音は、銃声だった。その爆発音の後に蛇の甲高い絶叫と共に、何か重い物が倒れる様な音が聞こえた。


 私は後ろを振り向くと、そこには頭に一つの銃痕を残して舌をだらりと外に伸ばしていた大蛇の姿があった。


 その前には、未だに震えた手で旧型銃を構えながら尻餅を付いている狛犬がいた。


「……は……はぁぁぁぁ……ぁぁぁぁぁぁ……」


 錯乱の一歩手前にいる狛犬の体を揺すった。


「ありがとう狛犬。助かったわ。早く立って、私達はまだ元の世界に戻っていないでしょ?」

「……はぁぁ……大丈夫ッス。……はい。……良し、俺は出来るッス。ちゃんと撃てたっす」


 狛犬は深く深呼吸をした。すると、目付きがまた変わった。


「ようやく、変われたッス」


 すると、光の大声が聞こえた。


「おーい! ミューレン! 狛犬! 瓢箪見付けたよー!」


 その光を探していると、光は一抱えの大きな瓢箪を持っていた。


「多分これ! どうミューレン!?」


 私は瞳を銀色に塗った。


 確かに、黒い靄が見える。


「多分それよ! 黒い靄が見えるわ! 呪物よ!」

「分かった! 戻るよ!」


 私達は石の階段を駆け下りた。殆ど落下している様な感覚に襲われた。


 すると、降りた場所に一つ目の男性がいた。ただ大きな一つの目玉をぎょろりと動かし、両手に剣を持っていた。


 ただ、私の横から深い呼吸の音が聞こえた。それと同時に、また大きな爆発音が聞こえた。


 一瞬、世界から音が無くなった。いや、違う。あまりに近い場所で大きな音が響いたから頭が驚いたんだ。


 聴覚が戻った頃、今度は煙の匂いが鼻に入った。


 その一つ目の男性は目玉を撃ち抜かれ、血を吹き出して倒れていた。


「ふぅー……流石俺ッスね!」


 狛犬は屈託の無い笑顔を私達に向けた。


「何度も助かってるわね狛犬」

「いやいやそれ程でも!」


 昴に一夜で教えたはずなのにも関わらず、あそこまでの射撃能力を有しているのは、正しく才能としか言えない。日本言語学の大学生がここまでの旧型銃の才能があるのは驚いた。


 そのまま私達は、黒恵達の下へ戻った。いや、その前に禍鬼の方だろうか――。


 ――昴は、南西の方からやって来る大勢の人間を前に、不快な顔をしていた。


「ただの人間じゃ無いな。怪異存在か?」


 昴の耳には、19Hz以下の音が聞こえていた。


 前髪を左手で掻き上げ、その左目を赤色に染めた。


「さて、光と出会って今の俺は絶好調だ。幾らでも掛かって来い」


 昴は、何かが起こりそうと言うふんわりとした予感があった。その不確定な予感に、昴は笑っていた。


 何故か心が落ち着くのだ。光が傍にいる様な感覚が、昴の中にあった。安らいだ心とは裏腹に、昴の腹にははっきりとした殺意が込められていた。


 素早く走った。視界から消える程に。


 一体の怪異存在の腕を掴み、そのまま大軍に向かって振り回した。


 投げ飛ばし、新しく襲って来た怪異存在の胸倉を掴み、投げ飛ばした。


 一投で最低でも三体の怪異存在を倒し、蹂躙の限りを繰り返していた。


 この場において、昴と言う生物はあまりにも強者だった。神や妖さえも力を封じられるこの異界においてその異能を扱える力の巨大さを誇る未曾有の人類。いや、人類とも言えない。


 人類を遥かに越えた進化した何か。最早神仏妖魔存在と言える彼の存在は、ただ彼女の為だけに振るわれていた。


 最早昴にとって周りにいたのは敵では無かった。ここまでの圧倒的な鏖殺の場面においては、鯱が海豹で遊んでいる様な光景にも見えてしまうのだろう。


 彼は全ての怪異存在を塵に変えた。


 怪異存在と言えど、人型の存在を無慈悲にも皆殺しにした昴の心情は、とても荒い物だった。


 精神的に衰弱してしまい、それと同時に止め処無い罪悪感に襲われた。それを怪異存在だと何とか納得していた。そうでしか自分の心の中の平穏を保つことは出来なかったのだ。


「……終われば光に甘えるか」


 その場で座り込み、電子煙草を咥え、煙を思い切り吸った。電子煙草を口から離して煙を吐くと、昴はまた立ち上がった。


 その背には、神仏妖魔存在とも言えない継接の何かがいた。


 その男性の頭は蛇だった。むしろ蛇の頭に人間の体が付いていると言える。


「まず、人間――いや、人間では無いことくらい見れば分かるが、神でも無いだろ。どうなってるんだその体」

「それは此方の意見だ。本当に人間なのか」

「いや、化け物さ。とびきりの悪魔さ」

「そうか」


 昴の眼前に、影が落ちた。


 上体を地面に触れそうな程反らせ、それを避けた。


 後ろを見ると、注連縄が巻かれている大木が転がっていた。


「御柱祭でも始めるつもりか? ああ、建御名方神は諏訪大社にも祀られているからか。だから蛇、だから御柱か」


 その直後に昴の頭上に巨大な御柱が浮かんだ。それは簡単に地面に向かって勢い良く落下した。


 その上に蛇の頭をした男性が乗っていた。ただ昴を潰されたと見下していた。


「俺を見下すな」


 その声と共に、その男性はその御柱の上から叩き落された。


 何も理解出来ずに、地面に叩き付けられたと同時に開かれた掌にナイフが突き刺された。


 昴はその男性を椅子代わりにした。掌に突き刺されたナイフを抜き、そのナイフを手の上で遊ばせていた。


「さて、色々聞きたいことはあるんだが、まず一つ。お前達は死屍たる赤子の教会と関係があるのか?」

「死屍たる赤子の教会……!? まさかあの教会と――」


 昴はその蛇の片目にナイフを突き刺した。そのまま横に切り裂き、鼻頭まで切った。


「良いから答えろ。俺が聞いたのはそう言うことじゃ無いくらい分かってるだろ?」


 蛇の悲鳴が聞こえるだけで、昴の問い掛けに答えることはしなかった。それに昴は、更に苛立った。


 立ち上がり、その男性の体を蹴り飛ばした。


「さっさと答えろ。俺は気が短いんだ。それとも何だ? 俺の慈悲と慈愛で片目だけは残してやったのに、その片目も取られたいのか?」


 昴のその目はとても無慈悲な物だった。慈悲も慈愛も無く、そこにはただ徹底的な憎悪があった。


「……はぁ。喋らないのか、分からないのか、それは答えろ」

「……死屍たる赤子の教会とは……関係が無い訳では無い。むしろ敵対していた。彼等は我々が救われたこの地に住まう神々を愚弄した! それがどれだけ罪深い物か! 我々は彼等を愚弄しないのにも関わらず! 我々は彼等を否定しないのにも関わらず! 彼等が信じる神も人々を救ったことは分かっている! 知っている! だが我々が救われた存在を愚弄するのだけは許さない!!」

「……じゃあ何で第弐番の龍を死屍たる赤子の教会は狙ったんだ」

「第弐番の……まさか一目連の失敗作か!? 彼等はそれさえも手を出したのか!?」


 昴の瞳には、目の前の蛇の頭が嘘を付いていないと分かっていた。だからこそ、この怒りを何処に向ければ良いのかが分からなかった。


 昴はその男性をもう一度蹴り飛ばした。


「……結局分からないか……。まあ、仕方無いか」


 すると、昴は突然空を見上げた。


 ただ自然に、そこに誰かがいると分かっていたからだった。五感では無い。ただ、もっと別の、感情で。


 白い鳥の様な翼を羽撃かせながら、まるで天使が降臨したかの様に佇んでいた。


 ただ、真っ白な女性だった。ただ白色が人の形をしているだけ。夕暮れの赤には似合わない。


 銀色の瞳を持つその女性は、昴を見詰めた。


 昴は、妙な感覚に襲われていた。本来あり得ないはずの母親の愛に抱き締められている様な感覚に襲われていた。それがあり得ないことも、それを求めていないことも分かっているはずなのに。


 いや、昴はそれを光に求めていた。無意識的に、それを光に求めていた。


 つまり目の前にいるのは――。


「――光?」


 光では無かった。それくらい分かっていた。分かっているからこそ、昴の頭は更に困惑した。混乱と困惑を何度も頭の中でぐるぐると、無駄に思考速度だけは速い昴の脳味噌の中でぐるぐると。


 訳も分からず、昴はその混乱と困惑を気味の悪さに変えた。気味の悪さから、敵意に変えた。


 ナイフを逆手に持つと、その何かは、昴の頬を撫でる様に手を触れた。


 それと同時に、昴の瞳から一粒の涙が溢れた。


 愛する我が子を慰める様に、愛する我が伴侶を慰める様に、その何かは昴の頬を撫でていた。


 その白一色の頭に、口だけが現れた。


「――□□□□□、□□」


 昴の瞳は、銀色に輝いた。


 その髪は白色に変わってしまった。


 昴はその瞳から更に涙を流した。まるで子供の様に、泣き喚いた。


 その昴を、何かは抱き締めた。まるで母親の様に、昴が愛する光の様に。


 それは、何よりも優しかった。それは、何よりも恐ろしかった。


 昴の表情は、とても穏やかな物に変わった。


 優しく微笑んでいて、それでいて昴は、その何かから離れた。


「□□、□□□?」

「□□、□□□□」

「……□□□□。……□□□□□、□□」


 昴は優しく微笑んだ。


 その何かは、消えてしまった。


 それと同時に昴の中にいた神仏妖魔存在は全て肉体と、魂諸共離れた。


 魔魅大隠神は困惑した表情で昴を見た。ただ、それはあまりにも異質な姿だった。


「……誰なんだよ」


 飛寧は倒れた衝撃で取れた頭でそう呟いた。


 それも無理は無いだろう。何故なら目の前にいるのは、昴では無かった。昴ならば自分達が魂さえも昴から別れることなどあり得ないからだ。


 昴はただ、にっこりと笑っていた。そこには人の気配など無く、それでいて圧倒的な力の強大さを持っていた。


 最早、神仏妖魔存在でも無かった。この世界に存在してはいけない何者かだった。


 すると、魅白が昴の前に勝手に出て来た。


「ぽーぽぽぽ」

「□□……□□□□□?」

「ぽぽ! ぽぽぽぽ!」


 魅白は何度も頷きながらそう言っていた。


「□□□。□□□□」

「ぽぽ。ぽっぽ」

「……□□□、□□□□□□□□□□?」

「ぽー? ぽぽーっぽ」


 魅白はその場で座り込んだ。頭を昴の顔により近付けた。


 昴は魅白の顔を隠す前髪を上げた。そこから見えた可愛らしい顔の額に、唇を付けた。


 それと同時に、魅白の瞳は銀色に輝いた。


 昴はそのまま気を失った様に倒れてしまった――。


 ――禍鬼は昴に頼まれて北東からやって来る大勢の人間を前に、笑っていた。


「ただの人間じゃねぇな! 怪異か!」


 同じ顔をしている人間が何人もいながら、禍鬼に刀を向けていた。


 その大軍の前に、両腕が無い男性がいた。藤の木の枝を口に咥えながら、禍鬼を睨んでいた。


「お前は何だ? 神でもねぇな。継接だ。と、なると、粗方作られた神って所か」

「何処の神だ」

「喋れるのか。祀られた時はあったが、まああんまり気にしてないんだ。どっかで多々良何とかって言う名前で祀られた時もあったが、そればっかりだとつまらねぇだろ」

「……日本に仇なす悪神よ。死後には祠でも建ててやろう」

「いらねぇよ。わざわざそんなことをする必要もねぇしな」


 あいつは頭を動かし藤の木の枝を横に振るった。それと同時に周りにあった木造の住居さえも腐り落ちた。


 俺は残っている住居の屋根に乗ると、そこに無尽蔵の人の形をした怪異が襲って来た。


 久し振りに感じる昂ぶりと、長時間続くことが分かることに対しての歓喜。それがとても、心地良い。


「ああ……! これだよこれェ!」


 襲って来た烏合の衆の兵を、蹂躙した。一体の胸倉を掴み上げ、まるで晒布を地面に叩き付けるかの様に叩き伏せた。


 肉は破裂し、怪異だと言うのに血を吹き出した。その景色が、やはり俺の昂ぶりは更に燃え上がらせる。


 だが、何故か満足出来ない。ここまで感情が昂ぶっているのにも関わらず、何処か虚しい。俺の中に穴がある。何かが足りない。


 向かって来る怪異の頭に高く振り上げた踵を頭上から思い切り降ろし踏み潰し、そのまま地面に踏み込んで脚を横に伸ばし体を横にぐるりと回した。


 いとも容易く怪異を薙ぎ倒し、ただ暴力を侵し続ける。


 それでも未だにあるのは、空虚。虚無。虚構。ただ只管に虚しい。


 何故か分からない。こんなに昂ぶっているのに、こんなに心地良いのに、こんなに歓喜に満ち溢れているのに――。


「――足りねェんだよてめェらァァァァァ!! アァァァァ!!」


 吹き飛んできた岩さえも、拳で砕いた。何処までも単純で、何処までも虚しくて、どうすれば良いのかが分からないまま拳を振るい続けた。


 一瞬も埋まらない空虚に、ただ拳を振るい続けた。


 両腕の無い人間は、気付けばもう瓦礫に押し潰されていた。


「おい。起きろ。さっさと起きろ。てめぇならそんな瓦礫も退かせられるだろ。おい、さっさとしろ」


 目の前の奴は、もう動かない。


 怒りのままに、その頭を踏み潰した。何度も何度も何度も何度も、踏み潰した。


 最早こいつには期待しない。期待しても意味が無い。結局こいつは俺の中の空虚を満たそうとしなかった。


 ――胸に、何かが突き刺さった。久し振りの、死が迫る感覚。


 これが、これだけが、俺の心を満たす。


 見れば胸に突き刺さったのは矢だった。それを引き抜いてそこにいた人間に投げ付けた。


 それと同時に、頭上から大蛇が無数に降って来た。


 その大蛇に向けて拳を向けると同時に、その腕がまた矢に貫かれた。


 力が一瞬だけ入らず、そのまま重量の暴力に襲われた。


 大蛇の体を引き千切り、突き破り、その死体の上に立ち竦んだ。


 腕に突き刺さった矢を引き抜き、見渡した。


 そして、今一度自分の感情を整理した。何かが違う。やはり虚しい。胸から溢れ続ける血も、力が入らない腕も、昔ならこれだけで更に昂ぶっていたのにも関わらず。……何が、何か……おかしい。


 ……何時からだろうか。こんなに虚しい感情になってしまったのは。


 ……戦いは虚構を満たしてくれる。そのはずだったのに、何でこんなことになってしまった。


 ……ああ、そうだ。思い出した。


 次々と、新たな怪異が襲って来る。それさえも、更に蹂躙を繰り返す。


 すると、一人のおかしな男が俺が高く上げた脚を掴んだ。こいつだけ、少し違った。


 そのまま俺を簡単に投げ飛ばして来た。


「ようやくだなァ!」


 力比べをする様に、俺達は殴り合った。ようやく、少しずつ、俺の空虚が満たされ始めた。


 ようやく昂ぶりと比例する様に、俺の心は湧き上がった。


 力任せに俺を住居の壁に叩き付けた。その男は、少しだけ笑っていた。


 その男の胸元から刃が生えてきた。いや、違う。その背後から怪異が刀を突き刺した。その刃は男の胸から伸び、俺に突き刺さった。


 更にその男の体から刃が伸びた。俺の体に更に刃が突き刺さり、その必ず俺を殺すと言う狂気的な行動に、感服した。


 その男の頭を殴り潰し、その向こうにいる怪異の大軍に暴を振るった。


 腕が無数に切り刻まれ、時折降る矢に貫かれ、そしてまた、空虚に襲われた。


 まだ敵は無数にいる。怪異は眼前にいる。にも関わらず、酷く退屈だ。


 脚に力が入り辛い。腕に力が入り辛い。それでもまだ戦い続けたい。


 すると、見知った顔が遠くにいた。


「禍鬼ー! これー!」


 確か……えーと、ああ、そうだ。光だ。光の声が聞こえると同時に、見知った物が上空にあった。


 違うんだ。俺は別に蹂躙が楽しい訳じゃ無い。ただ戦に身を置いている時が、何処までも楽しいんだ。今でさえ退屈なのに、これ以上俺を強くしないでくれ。


 ……退屈になったのは、きっと昴を知ってしまったからだろう。あいつのあの他の追随を許さない強さと相対する時が、俺の中で一番の快楽になってしまった。そんな昴よりも強くなるのを、恐れていた。


 そんな考えと裏腹に、俺はもう太陽が沈んだ夜の闇の月に浮かぶ瓢箪を掴んだ。


 何故かは、最初こそ分からなかった。落下している途中で、ようやく理解出来た。


「……勝手に、あいつの限界を俺が決めるのは、駄目だよな」


 そうだ、あいつも言ってただろ。あいつの限界を勝手に決めるな。それに、このままだとどうせ俺は負ける。負けちまえば、二度とあいつと戦えねぇな。


「"冬に雪見酒""春に花見酒""夏に星見酒""秋に月見酒""月を見ては紅葉見えず""紅葉見ては月見えず"」


 この瓢箪にあるのは俺の力。言霊を重ねれば、簡単に俺の下へ帰って来る。


 ああ、気分が良い。酒虫を捕まえ水に浮かべさせて作った酒を、ただ朝になるまで飲み続けたい。


「悦に浸るは戦に身置き兵蹂躙せし怪力乱神振り回す時。ただもう一つ望むのならば星見上げ伝えよう。何時か望むは房事、後の破瓜する時」


 少しずつ、俺があいつに向けている感情が理解出来始めた。


 それをただ言葉にして、あいつもいないのにただ言葉にした。何故だが今は、戦わずとも心地良い。


 何処かで薄がざわめいている。今日は雲隠れの月。月見酒には、丁度良い。


 雨が、降り始めた。血が洗い流される。


 その雨水を瓢箪に入れた。その水を雨で作られた水溜りの河に流した。


 すると、勝手にやって来た虫。これが酒虫。


 山椒魚には似ているが、少し違う。鯰の様な髭を持っている。


 そいつを掴み上げ、また雨水を貯めていた瓢箪に詰め込んだ。


 ――怪異は、襲って来た。


 その直後に、紅葉咲き誇る大木が根を伸ばしながら怪異達の生気を吸い取った。


 それは神さえも餌とし、その血肉でより赤みを帯びる紅葉樹。久し振りのこの力よりも、今は昴のことを思い続けた。


 それを肴に、そして咲き誇り雨粒によって落ちる紅葉の葉も肴に、酒虫によって美酒に変わった雨水を飲んだ。


 幾ら飲んでも飽きることの無く、鬼も微酔いにする強く美味い酒だ。あいつも酒が飲めれば良いのにな。


「月も良いが、秋なら紅葉も良いよな。ああ、そうだったな。もう血肉に変わっちまったか。やっぱりあいつじゃねぇと満足できねぇ体になっちまってるな。責任は取って貰わねぇと」


 美酒を味わう鬼神は、汎ゆる怪異を蹂躙した。そして罪深くも神を作り上げた愚者さえも、殺戮の限りを尽くした。


 それは全て紅葉へと変わり、鬼神の肴になった。


「月の日が、何れ途絶える、その時に、我はどの子を、宿すのか――」


 ――斎は未だに私の前で舞をしている。


 もう太陽が降りて月が見えている。長時間舞をしている所為で斎の動きには疲れが見えていた。最初の頃の綺麗な舞とは違い、今はもう見るのも良心が痛む程に辛そうな表情だ。


 すると、狛犬が私の視界に入った。


「黒恵さん! 瓢箪回収したッス! 今光さんとミューレンさんが禍鬼さんに渡しに行ってるッス!」

「これで一応の時間稼ぎは出来たけど……!」


 斎は足を止めなかった。私はこの場から動くこともしなかった。動けばここまでの斎の努力を無駄にしてしまう。


 すると、突然私の上に影が落ちた。それは夜の影じゃ無い。人の影、にしては大きい。


 上を見ると、魅白が私の顔を覗いていた。私の背から覗き込んでいた。


 だが、何か違う。その瞳は銀色だ。


「■■■」

「……ぽぽぽじゃ無いの?」

「……■■。■■■■」


 そのまま魅白はじっと私の目を見詰めていた。


 ……私の中に、おかしな感覚が広がる。


 あたまがいたい。


 もっと違う。


 あれ? 私は……。


 でもちがう。ああ、そうだ。わたしは――。


「――■■■」


 それが、わたしのなまえ。


 黒恵の瞳は金色に輝いた。そのまま虚ろな表情をすると、突然微笑み始めた。


 魅白の銀色の瞳はやがて元通りの黒色に戻った。魅白は不思議そうな顔をしながら、黒恵から離れた。


 そのまま狛犬の方へ歩き、狛犬にある物を渡した。それは昴が魔法使いから貰った金色の鎖のネックレスの小さな白い砂時計だった。


「何で見えるんすか? それにこれって……師匠の――」

「ぽぽ。ぽー、ぽぽぽっぽーぽ」

「……まさか師匠に何か起こったんすか?」


 斎は突然起こった黒恵の変化に舞を止めた。


「黒恵さん!? 意識をしっかりと!!」

「■■■■■■?」


 その未知の言語に、斎は頭を捻っていた。だが想定していた変化とは違う物に、斎は非常事態だと判断した。何度体を揺すっても、黒恵は戻らない。


 今の黒恵には力を感じない。經津櫻境尊の御神体を食べたと言うにも関わらず、肉体からも魂からも力を感じなかった。全くの、無だった。


 狛犬はそれよりも、昴の安否が気になっていた。狛犬は走り始めた。


 師匠から貰った銃にはもう弾丸が入っていない。もう何かを撃つことは出来ない。それでも走らないといけない。


 あの人が俺よりも強いのは分かっている。それでもあの人は人間だ。死ぬ時は死ぬ。


 何とか走り、ようやく師匠の姿が見えた。師匠は倒れていた。


 その師匠に向けて、刀を振り下ろそうとしている男性がいた。


 弾丸は無い。それに視界を動かせば他にも人はいる。


 逃げたい。逃げ出したい。そんなことをずっと考えて、その通り逃げて。だが、もう、俺は変わった。


 何時でも逃げて良い。怖ければ逃げて良い。嫌なら逃げて良い。


 ただ、自分を変えてくれた人を守る時だけは絶対に逃げるな。もし逃げたなら――。


「――俺は一生、臆病者だ」


 狛犬は銃口を昴を今まさに襲おうとしている男性に一瞬で向けた。舌を出し、そこにあるピアスを顕にした。そこから赤い焔が吹き出し、まるで狛犬が口から炎を吐いている様だった。


 その焔は旧型銃に集まった。


 狛犬は、無意識の最中で引き金を引いた。


 もう響かないはずの、発砲音がその銃口から放たれた。鉄で作られた弾丸は、昴を襲っていた男性の形をしていた怪異の頭を貫いた。


 狛犬は無意識だった。無意識的に昴が作り上げた呪物にも等しい物品の力を使い、爆発と鉄の弾丸を生成させた。


 すぐに狛犬は昴に駆け寄ろうとした。すると、突然昴は起き上がった。


 狛犬が生理現象として瞬きを一度すると、昴の姿は異形へと変わっていた。


 起き上がった昴は背中から何かが膨れているのが分かった。やがて服を破り、出て来たのは多数の腕だった。

 六対の腕、計十二本の腕を持っていた。

 一対の腕は炎を纏っていた。

 一対の腕は筋肉が一際目立ち、不格好な程大きかった。

 一対の腕は蛇の様な白い鱗を持っていた。

 一対の腕は女性の様だった。

 一対の腕は茶色い毛を生やしていた。

 そしてもう一対の腕は、胸の中央で手を合わせていた。それこそが昴の元々ある腕だった。

 それが全て昴の女性的な上半身にはあった。白く肌理細やかな肌と美しいくびれには似合わない異形さだった。


 二本の狸の様な尻尾を生やしており、そこから更に長く白い爬虫類の尻尾を天に向かって立たせていた。

 その頭には二本の巨大な角を生やしていた。

 首には赤い傷跡の様な物があった。

 最早人間とも言えないその姿は、狛犬が絞り出した勇気を容易く砕く物だった。

 炎を纏っていた腕が手を叩くと、昴の周りの植物を全て焼き尽くした。

 蛇の様な白い鱗を持っている腕が手を叩くと、あっという間に雲が動き、雨を降らせた。

 女性の様な腕が手を叩くと、首にある赤い傷跡に沿って昴の首が切断された。しかし血が吹き出ることも無く、そのまま筋肉が一際目立ち、不格好な程大きい腕によって支えられた。

 茶色い毛を生やしていた腕が手を叩くと、その昴の頭から角が消えた。しかし、すぐに戻ってしまった。

 一対の腕は昴の頭を首の上に戻していた。


 すると、突然昴の頭部が誰かに殴り付けられたかの様に蹌踉めいた。


 突然昴の前に、拳を振り下ろしていた体勢をしている狛犬が現れた。その首にはあのネックレスがあった。


 およそ十秒間、狛犬はその短時間を使い昴の正気を取り戻す為に拳を握り殴り掛かっていた。


 だが、所詮は人間の打撃。昴には、効かなかった。


 昴は筋肉が一際目立ち、不格好な程大きい腕を狛犬に向けて振り被った。


 その直後、昴のその腕は処刑のギロチンによって切り落とされた首の様に落ちた。


 それを切っ掛けに昴の全ての腕が切断された。


 狛犬がその昴に背を向けて逃げる様に走り始めると、その目の前に見慣れない誰かがいた。


 狛犬にとっては初対面だった。だが、その男性は詩気御だった。昴に右腕を向けながら、立ち竦んでいた。


 狛犬に気付くと、薄ら笑いを貼り付けながら親しげに話し掛けた。


「初めましてかい? 僕は御旗詩気御、まあ、昴君とは上手くやっているよ。君のその髪は地毛かい?」

「えっと……この髪は――」

「ああ、答えなくても良い。勝手に読むからね。……ああ、染めているのかい。それは残念。地毛なら君は――」


 突然詩気御に向かって炎が放たれた。その炎は、詩気御に直撃する前に空中で動きを止めた。


 昴の切断されていた腕はもう治っていた。


「――昴君、僕は今狛犬君と話しているんだ」


 手を力強く握ると、静止している炎が煙を出しながら消えた。


「全く……□□□□□君は……。……いや、予想が出来なかったのは分かっているが……」


 詩気御はため息を吐いた。すると、突然詩気御は空を見上げた。


「ああ、ようやく来たか。□□□□□□□君。さて、昴君、そろそろ止まってくれないかい? 光君が泣いてしまうよ」


 その言葉に、昴の一対の腕が首を締め付け始めた。


「おや、思ったより自我がある様だね。と、なると、原因は力の暴走か」


 詩気御は昴に臆することなく歩み寄った。


 その頭に、手を置くと、昴の姿はあっという間に元に戻った。そのまま安らかな眠りに入った様に、目を瞑って倒れた――。


 ――黒恵は突然顔を上に向けた。


 雨雲に写っている罅から、白く光る何かが落ちて来た。それは白い翼を広げ、空を飛んでいた。


 それは、經津櫻境尊だった。


 その場から黒恵が消えた。


 經津櫻境尊は狐の面を外し、黒恵と瓜二つの顔を見せた。


 經津櫻境尊の目の前には、黒い鳥の様な翼を広げている黒恵がいた。


 金色に輝かせた瞳の黒恵、銀色に輝かせた瞳に經津櫻境尊、髪が漆黒に染まる黒恵、髪が純白に染まる經津櫻境尊、黒と白は、出会ってしまった。


 黒恵は腕を伸ばした。經津櫻境尊は腕を伸ばした。


 黒恵は經津櫻境尊の左腕を右腕で掴んだ。經津櫻境尊は黒恵の右腕を左腕で掴んだ。黒恵は經津櫻境尊の右腕を左腕で掴んだ。經津櫻境尊は黒恵の左腕を右腕で掴んだ。


 そして經津櫻境尊は逆様になり、地面に頭から落下を始めた。そして黒恵は空を見上げ、天空に頭から上昇を始めた。


 經津櫻境尊は戻って来ていたミューレンが持っていた桜の木の枝を受け取った。


神阿多都比売(かむあたつひめ)、この醜女によって静止した世界を再度進めなさい」


 黒恵は空にある罅に、触れた。


木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)、この醜女によって歪になってしまった世界を正常に戻して」


 二人の言霊は、この世界の境界を破壊した――。


 ――私の視界は一瞬で変わってしまった。


 そこは、雨雲に一番近かった。そこは確かに現実世界だった。それは分かっている。


 夜だからか、人類の発展の証である電気の色が見える。私はそれよりも、もっと高い場所にいた。


 すると、私の腰を誰かに掴まれた。


「無事ですかミューレン。他の方は……まあ、避難させてから言いましょう」


 經津櫻境尊の声だった。また私の視界は変わった。


 そこは高層のビルの上だった。雨粒が痛い。


「待っていて下さい。今、光さんを連れてきます」


 そう言って經津櫻境尊はその場から消えてしまった。


 少し向こうを見ると、見慣れた服を着た女性が落ちている様子が見えた。


「黒恵!!」


 その黒恵の姿は、一瞬で消え去った。


 すると、私の目の前にまた經津櫻境尊が現れた。その脇には光を抱えていた。


 光を私の隣に降ろし、また經津櫻境尊は消えてしまった。


「え、何が起こったの!?」

「私も分からないわ光……でも、帰って来れたわ」

「それは分かるけど……――」


「――ししょー! 起きて下さいッスー!」

「……あ……? ……ああ……頭痛い……出れたのか?」

「多分出れたッス!」


 すると、昴の前に何かが落ちて来た。


 黒い羽根を未だに羽撃かせている黒恵が、そこにはいた。黒恵の右手には、雨に打たれて美しい輝きを見せている太刀があった。


「あれ……黒恵さんッスよね?」


 昴は立ち上がりながら、その黒恵を睨んだ。


「……いや、黒恵じゃ無いな。何かおか――」


 黒恵は太刀を横に振るった。それと同時に昴の首筋に一線の傷が刻まれた。


 傷としては浅い。だが、問題はその太刀の斬撃が必ず当たらない、それこそ五歩の距離が離れているにも関わらず自分の首を切ったことに、昴は危機感を覚えていた。


 すると、聞き慣れた足音とエコーロケーションをしている舌打ちの音が聞こえた。昴は近くにIOSPの第一機動部隊がいると判断した。


「機動部隊! 光の居場所が不明! 黒恵が未知の暴走!」


 その声が辺りに響いたと同時に、黒恵の背後に跳躍していた早苗の姿が写った。体を回し黒恵の頭部に蹴りを入れようとしていたが、その次には黒恵はそこから消えていた。


 早苗はそのまま地面に着地すると、突然自分の左腕が二の腕辺りから無くなっていた。


 目を見開いてその腕を動かすと、無くなっていた腕は元通りになっていた。


「何や何や急に!?」


 すると、黒恵は着地と同時に早苗に向けて太刀を横に振った。その直後に、早苗を庇う様に真二が前に出た。


 真二の服の胸元が即座に切られた。あくまで皮膚までは切られなかった。


 真二の頬には黒百合を模した入れ墨の様な紋があった。


「うぉっ、切れた」

「禱はん!? 急にどうしたんや」

「何か危なそうだったからな」


 真二は切れた服を破り、上裸になった。切れた部分がひらひらしていて邪魔だったからだ。


 男性的で、筋肉質な体が躍動していた。胸筋はあまりに大きく、全身に見える筋肉は真二の力強さを現していた。


 その一方、背には酷い火傷の跡が残っていた。


「さて、黒恵の嬢ちゃん。何があったんだ? おい昴!!」


 昴は何時の間にか黒恵の背にいた。黒恵にナイフを振っていた。


 その刃は黒恵に当たることは無かった。また消えたのだ。


「經津櫻境尊の瞬間移動か……。禱! ひぃ婆は呼んでないのか!?」

「お前のひぃ婆さんは呼んでるが、まだ来てない! それよりあの黒恵の嬢ちゃんには何があった!?」

「傍に狛犬と斎がいるはずだ! それに光とミューレンが何処にいるか分からない! 第一機動部隊はさっさと光を探せ! その後ミューレン!」

「俺が聞いたことを喋れよ!!」

「そんなことより光の保護を優先! ほら行け! さっさと行け! 黒恵はこっちで対処する!」


 昴は雨雲が立ち込める夜空を見上げた。


 そこに、空中で静止した黒恵がいた。


「黒恵……だよな。何時の間にか戻って来たのかは分からないが……何があった」

「私は、イチジクの実を食べた。私は、全てを理解しているのよ」


 黒恵は雨粒に打たれながら、天を仰ぐ様に上体を逸らした。


「私は私は私は私は! あはははははははははは! 空気中の水蒸気の量を表す指標として相対湿度、単に湿度とも呼ぶわね! これは飽和水蒸気量を100%とした時に実際に含まれている量を最大量に対する割合で――」

「湿度の話はもう良い。何が言いたい」

「空気の相対湿度が増して100%に達することを飽和、飽和した空気では水蒸気が凝結して微小な水滴を形成するわ! これが雲! これは中学校でも習うわね! あはははは!」

「……良いからそこから降りてくれ」

「私は! 全てを知っているのよ□□□□□□□!! 私が■■■と言うのも! 理解している!!」

「早く降りてくれ良い子だから」

「何故なら私は■■■だから! 貴方は良い子! 何故なら□□□□□□□だから!!」


 すると、黒恵の背後に黒い何かが現れた。


 昴はそれに見覚えがあった。それはパンドラが生み出している存在だった。


 それは黒恵を叩き落とした。


 地面に落下した黒恵に向けて高く上げた足を、昴は振り下ろした。


 その足は地面に減り込んだ。そこに黒恵はいなかった。その昴の五感は、黒恵は自分の背後にいると分かっていた。


 昴の反応速度よりも速く、黒恵は太刀を振るった。


 その瞬間、昴と黒恵の間に割って入る様にその場にパンドラが佇んでいた。


「ああ……美しいわ……。その無垢金色に輝く魂……あぁ……!!」


 パンドラの腹部から無数の黒い存在が溢れ始めた。それと同時に黒恵はまたその場から消えた。


 次に現れたのは遥か上空。パンドラは地上から見詰めると、全身を黒い霧に変えた。その黒い霧は空を飛び、空を飛んでいる黒恵の周りを囲った。


 その濃い霧の中から、異形の存在達が黒恵に向けて腕を伸ばしていた。魑魅魍魎が跋扈し、百鬼夜行がその場だけで完結していた。


 黒恵は、また消えた。


 そして現れたのは昴の目の前だった。即座に拳を握り、その頭に向けて拳を振るった。


 昴の視界には、黒恵に拳は届いていなかった。むしろその手首から先が無くなっていた。


 昴は即座に後ろへ飛んで黒恵と距離を取ると、その手首の先は確かにあった。


「……"窓"か! "扉"以外あんまり使えないと思ったのに……」


 昴が舌打ちをしながらそう言うと、その隣には何時の間にか經津櫻境尊がいた。


「うぉっ!? びっくりした!」

「……済みません昴さん。少し、面倒臭いことが起こりました。黒恵の足元を見て下さい」


 昴は黒恵の足元を見ると、右脚の半分が蜃気楼の様に僅かに揺れていた。


「……揺れてる」

「まさかこうなるとは思いませんでした。今の彼女は、その知識で最も大きなことを成し遂げようとしています」

「妙に話をぼかさないでくれ。端的に、黒恵の身に何が起こってる」

「……私の力の真骨頂、それは一つの物を別けること。空と海に境界を作り、海と地面に境界を作ったことが一番大きいでしょう。空と地面の境界が曖昧なのはそう言う理由です。そしてもう一つ、本来違う物を一つにすることも真骨頂です」

「つまり?」

「……彼女は、先程空に境界を一つ増やそうとした。それは私が止めましたが。今の彼女は、世界と一つになろうとしている」

「世界と一つになるとどうなる」

「世界とは生を殺し死を生かす。生と死の基底である世界、そこに生も死もあるはずがありません。生きている状態で死んでいる、今の黒恵さんは消えます」

「何でそんなことを……」


 昴は困惑を黒恵に向けた。


「それは先程言った様に、知識で最も大きなことを成し遂げようとしているだけなのです。止めなければ」

「分かっ――」


 突然、昴と經津櫻境尊の首に赤い線が真っ直ぐ付いた。


 そのまま二つの頭は果実がの様に落ちた。

最後まで読んで頂き、有り難う御座います。


ここからは個人的な話になるので、「こんな駄作を書く奴の話なんて聞きたくねぇよケッ!」と言う人は無視して下さい。


うーん、大惨事になって来た。不味いことになって来ましたね。

……昴の上半身裸の姿って規制されないですよね。どれだけ女性的なことを前面に出しても男性だからセーフですよね? それより真二の方がえっちだと思うんですけど。あの胸筋とか。

ここでどうでも良いことを言いますが、狛犬を出した理由でも話しましょうか。

ぶっちゃけノリです。あの子はちゃんと怖がるので。それに人の過去に簡単に踏み込もうとするのでやりやすいんですよね。性転換の設定は私の趣味です。どうにも私は人に闇を持たせたいんですよね。


そうそう。飛寧の口癖の一つの「〜だな?」はだ↑な→では無くだ↑な↑です。


それと、禍鬼の「月の日が、何れ途絶える、その時に、我はどの子を、宿すのか」と言う短歌(短歌って気付いた人何人いるんだろ……)は簡単に言えば、「月の日」は月経、「何れ途絶える」と言うことは月経が途絶える、つまり妊娠、まあここまで言えば後は察せると思います。

もう一つ言うなら「ただもう一つ望むのならば星見上げ伝えよう」の「星」は昴のことです。つまりこの一文は「昴に一つ望むことがある」と言う意味です。

……何で私はこんなことを解説してるんだろ……。


いいねや評価をお願いします……自己評価がバク上がりするので……何卒……何卒……

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