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三つ目の記録 温泉旅行は二の次に ①

注意※分かりにくい表現、誤字脱字があるかもしれません。そして唐突な戦闘などがあります。「そんな駄作見たくねぇよケッ!」と言う人は見ないでください。


ご了承下さい。

 黒恵は眠っていた。朝まで逃げ続け、警察からの事情聴取のせいで昼まで拘束されてしまった。その疲れのせいで一眠りしていた。


「……っは……!!」


 黒恵は目を覚ました。


 お腹が空いた!!


 私は食欲で目を覚ました。右にある時計を見ると、今は昼の2時らしい。


 私の左に何か人肌程の暖かい何かが掴んでいた。ふわふわとした柔らかい匂いが鼻に流れた。ふと左を見ると、ミューレンが可愛らしい寝顔で寝ていた。


 それだけならまだ良い。問題は下着姿で寝ていることだ。


 私の思考はその場で止まった。


 決して胸の谷間を凝視しているからではない。決して、谷間を、凝視、している、からではない。


 見てみると、私まで下着姿になっている。ここで私はとんでもないことをやってしまった可能性が浮かびあがった。周りには私とミューレンの服が丁寧に畳まれていた。


 取り敢えずミューレンを起こさないと……待てよ……。今ならミューレンの乳房が覗けるのでは……?


 少し待てば温泉街で乳房を見ることになるだろう。だが、それとこれとは話が別だぁ!!


 人は三大欲求が関わる行動をする時、類を見ない程の行動力を見せる。


 ミューレンが眠っている今なら……。


 カップに指を引っ掛け、少しずつずらしていった。


 性欲による興奮のせいか、鼓動が早くなっていた。


 ミューレンの谷間にたまる汗、少しずつ露になる曲線を描く胸、官能な体つき。


 官能的な格好をしているミューレンが悪いのよ……!


 ようやく見えると思った直後、ミューレンの喉から音が聞こえた。


 私は驚き指を離してしまった。


 ミューレンは目を擦りながら起き上がった。


「みゅみゅみゅミューレン! おはようございます!!」

「何でそんなに畏まった言い方なのよ」

「何もやましいことはありません!!」

「何かやましいことがあるのね」


 ミューレンは私を疑念の目で見ていた。震える声で何とか弁明をした。


「まままままままままさかかかかかかかか!!」

「……まぁ良いわ」

「そ、それより何で下着姿なのよ!」


 ミューレンは自分が下着姿だったと忘れていたのか、突然顔を赤くした。


「ち、違うの黒恵! 暑かったからよ!!」

「なーんだそうだったのね。てっきり私は一線を越えたかと……。ん? それだと何で私の服まで?」


 ミューレンは露骨に私と目を合わせない。額から汗を流しながら震えていた。


「ねぇミューレン? 何で?」

「……何でかしらねぇ……」

「……私は自分で脱いだ記憶が無いんだけど。私の服まで脱がしてくれたなら分かるけど、そんなに疲れることをするはずもないし、何なら丁寧に畳んでるし、もしかして何かやましいことが……?」

「そっ、そんなわけ無いじゃない……。きっと妖精さんの悪戯よ……」

「……私の目の前には可愛らしい妖精さんが一匹しかしかいないけど」

「そ、そそそんなことよりお腹空いてるでしょう!? 冷やし中華でも作るわね!!」


 ミューレンは服を急いで着て、逃げるように寝室から出てしまった。


 ……セーフ! バレてないわ!!


 私は服を着ながら安堵した。


 私はミューレンと一緒に冷やし中華を作っていた。


「いつの間に材料買ったの?」

「貴方が寝た後よ」

「そうだったのね」


 ミューレンの器用な手付きで綺麗に盛り付けられた冷やし中華を机に置いた。


 黄色い麺の上に細く切られた鮮やかな緑色のキュウリと、赤いトマトと、細く切られた桃色のハム、てっぺんには半熟のゆで卵が乗っていた。


「「いただきます」」


 かけ汁を絡めながら音をたてすすった。ふと、ミューレンに問い掛けた。


「ねぇミューレン。酢豚にパイナップルは入れる?」

「私は入れるわね」

「私は入れないわ」

「……そう。分かったわ」


 ミューレンは笑顔のまま箸を置いた。


「……よろしい、ならば戦争(クリーク)よ」

「少佐!?」

「冗談よ。好きに食べれば良いと思うわ」

「そう聞いて安心したわ。……じゃあシュウマイにグリンピースは乗せる?」

「乗せないわね」

「私は乗せるわ」

「……そう。分かったわ」

「あ、デジャブ」

「よろしい、ならば戦争(クリーク)よ」

「私はどれだけ貴方の地雷に触れるのかしら!?」

「冗談よ。好きに食べれば良いと思うわ」

「……最後に聞きたいのは、きのこかたけのこか」

「たけのこ」

「きのこ」


 ある意味禁断の質問の答えは対立と言う最悪の展開に発展した。


「……そう。分かったわ」

「……何が起こるの?」

「第三次世界大戦よ」

「将軍!? って言うかもう終戦してるわよ!!」

「きのこたけのこ戦争は、日本を分断したわ。これが後の大惨事大戦よ」

「貴方がボケに回ったら私がツッコミになるからやめて!!」

「冗談よ。好きに食べれば良いと思うわ」

「私がツッコミをするなんて屈辱的だわ……!!」

「あら、ツッコミの大変さが分かったかしら」

「じゃあ簡単なボケのほうが良いわ!」


 私達は少し暖かくなった冷やし中華を食べていた――。


『――そのまま前進して』

「……なあ美愛さん……。禱さんみたいに正面から戦闘したいんや……」

『早苗はそんなこと出来ないでしょ』

「やっぱり僕はいらないんやないかな。……いや、駄目やな。禱さんみたいに強くならないと」

『……早苗は自分の強さを理解してないからの気もするけど』

「僕の強さは柔らかい体だけ。これじゃ役に立たんで」

『……自分に無い物ばかりも求めてる気がするけど』


 早苗は特殊な手袋と靴を天井に引っ付け、蜥蜴のように動いていた。耳には通信機を着けており、そこから美愛と通信をとっていた。


『作戦は忘れてない?』

「忘れてないで。僕が武器の売買の証拠の写真を撮って、禱さんが突撃して全員捕まえる。分かってる」

『なら良かった』

「……そろそろや。通信を切るで」


 新型銃などの新型兵器と言う物は、熱、つまりレーザーで撃つ。その出力を上げれば分厚い装甲さえも貫くため、各国はこぞって装甲を熱に強い物に変えた。


 すると、装甲の厚さは二の次になり、昴が使う旧型銃などの弾を飛ばす兵器に対する防御力が低くなってしまった。


 その影響からか、旧型銃などの価値が上がっていた。当たり前のように非合法の取引も増大するため、IOSPはその対策に急いでいた。早苗はその非合法の取引現場を押さえるために派遣された。


 早苗は天井にある通気口の蓋を無理矢理壊し、柔らかい体を使い体の面積を小さくしながら中を這った。


 廃ビルで取引なんて漫画みたいなことを……。まあ僕も漫画みたいな体と組織に入ってるけど。


 通気口を這いながら指定の場所から下の空間を覗いた。そこには形状からして重機関銃とその弾丸があり、複数の男性が何かを話し合っていた。


 早苗は通気口の蓋を無理矢理壊し、持っていたカメラでその様子を上から撮った。


 小声で早苗は呟いた。


「大丈夫や禱さん」


 すると、隠す気もない足音が聞こえた。取引をしていた男性は警戒のためか、一人を除いて扉の前で新型銃を構えた。


 すると、通信機から美愛の声が聞こえた。


『早苗! ヘリが来た!! 今すぐ禱さんを止めて!! あの人通信機が煩わしいって言って着けてない!!』

「すまん、もう無理そうや!!」


 足音が扉の前に止まると、警戒心は更に大きくなったが、入ってくる気配がない。取引をしていた男性は隣の男性にアイコンタクトで開けるように促した。


 男性が手を伸ばすと、その男性ごと扉が吹き飛ばされた。すぐに真二はその近くにいる男性の頭に拳を振り下ろした。


「だ、誰だてめぇ!! 何も持たずに突撃しやがって!!」

「うるせぇ!! 俺は素手のほうが戦いやすいんだよ!!」


 真二は扉の前にいた人を全て拳で気絶させた。唯一離れていた男性は窓を素手で割り、上から落ちてきた縄梯子に掴まり、上に登った。


 縄梯子は真二が追い付けない速度で上がり、見えなくなった。


 早苗は通気口から降りた。


「禱さん! ヘリや! ヘリで逃げる気や!!」

「ナニィ!? 何で教えなかった早苗の坊主!!」

「禱さんが通信機を着けてないからや!!」

「あんなもんなくても何とかなるだろ!!」


 真二は重機関銃の弾丸が詰められた弾帯を腰に巻き、重機関銃を抱え走り出した。


「ヤバイわ美愛さん! 禱さんが重機関銃抱えたまま走っていったわ!!」

『絶対ろくなことが起こらない!! 早く止めて!!』

「無理に決まっとる!!」


 真二は屋上まで昇り、高度を上げていくヘリに重機関銃を向けた。引き金を引き、けたたましい火薬の爆発音が聞こえた。反動は凄まじい筈だが、真二の強靭な体感で直立したまま撃っていた。


 最近の兵器の装甲はそこまで厚くなく、しかもヘリは飛行するために軽い素材を使っているため、無数の弾丸はいとも容易くヘリを貫いた。


 ヘリはブレードの回転速度が徐々に落ちていき、やがて地面に激突した。


「うし! 解決!」


 ようやく追い付いた早苗は、疲れきった体を引きずりながら腕を鞭のようにしならしながら真二の頭部を叩いた。


 真二は頭を押さえ、痛そうにうずくまった。


「何すんだ早苗の坊主!!」

「禱さんが勝手に動くからや!! 全く……!!」

 早苗はもう一度腕を鞭のようにしなられせて叩いた――。


「――はい、はい。禱さん」


 長身の女性が何処か侮蔑と軽蔑の二つを目に宿しながら真二を見ながらスマホを手渡した。真二は冷や汗を流しながらスマホを耳に当てた。


『おいゴラァ!! 真二ィ!!』


 そんな怒号がIOSPの日本支部の建物の中で響いた。聞こえていた構成員は「またか……」と思っていた。


「うるせぇな嗣音! 解決したから良いだろ!」

『それは良くやったと評価しよう! だがなァ!! 民間人に被害が出るような行動はするなと何度も口を酸っぱく言っているだろォ!!』

「それで逃がしたら元も子もないだろ!!」

『それは他の人員を使い追尾して安全なところで落とせば良いだろォ!!』

「んな時間がかかることやるわけないだろ!!」

『あァそうか!! 俺が本部から帰国するまで日本支部から出るなよォ!!』


 そう叫び、通話は切れた。


 真二は不愉快そうに眉をしかめた。


 隣に立っていた長身の女性は真二からスマホを奪い、また軽蔑の眼差しを向けた。


「何回目ですか禱さん」


 女性の名前は十二月晦日(ひなし)深華(しんか)。真二のように直接的な犯人の逮捕をするのに有利な能力を持っておらず、緊急事態以外では主に事務作業を担当している。


 とにかく真二を嫌っている。


「昴さんを見習ってください」

「んなこと言ったってなぁ……」


 すると、黒いスーツに着替えた美愛が向こうから真二に向け、怒りを含んだ表情をしながら歩いてきた。


「禱さん! 貴方のせいで私まで処罰を食らったんですよ!! 自重してください!!」

「あれ以上良い方法はなかったろ」

「もう少しありますよ!」


 美愛は真二の胸部に大して強くもないストレートパンチを何度もしていた。


 早苗は黒いスーツに着替え、休憩室で頭を抱えていた。すると、早苗の頬に冷たい物をが触れた。


 驚いた早苗は身震いし、後ろを振り向いた。後ろには髪を後ろでまとめ、煙草を一本咥えた女性が冷えた缶コーヒーを早苗の頬に当てていた。


「また禱さんが何かやったんだろ?」


 早苗は差し出された缶コーヒーを開け、半分程飲み干した。


「ここは禁煙や」

「そうだったな」


 女性は胸ポケットに入れていた丸い金属の箱の中に煙草の火を押し消した。


 女性の名前は蔀友歌(しとみゆか)。早苗と美愛の同期であり、早苗の良き理解者である。


「それで、またやったんだろ?」

「あぁ……。またやったんやあの人……」

「いつも通りだな」

「そうなんや……。また僕にも処罰がくるんや……」

「そんな可哀想な早苗に今日は奢ってやろう」


 友歌は子供をあやすように早苗の頭を撫でた。早苗はその手を振り払った。


「何だよ。せっかく慰めてやろうと思ったのに」

「僕を子供かと思ってないか!?」

「……まっさかーハハハ」


 友歌は貼り付けた笑みを見せた。


「わっざとらしいわ。まぁ次の休日に旅行するから楽しみやわ。ようやくゆっくり出来るわ」

「俺に言わずに旅行に行くのか?」

「お土産は買ってくるから勘弁してや。それにしても、秘密組織なだけあって給料はいいんよな。そのお陰で二泊三日の豪勢な旅行に行けるしな」


 友歌は早苗に聞こえない声量で呟いた。


「……鈍感野郎が」

「ん? 何か言ったか?」

「何でもねえよ」


 早苗は頭をひねらせていた――。


 ――アメリカ合衆国[削除済み]州IOSP本部。


 今、昴の対面にいるのは、IOSP本部長ファレル・アルドン・J・ラッシュフォード。


 遺伝的に肌が黒い容姿をしており、何よりIOSPと言う世界的大組織のトップに上り詰める程の確かな実力と頭脳と実績から構成される自信と勇気がその男性的な体から満ち溢れていた。


 昴の隣には筋骨隆々の体でスキンヘッドの男性が、片腕が黒い金属で作られた義手と、生まれたときから持っている本来の腕と組みながら、怒りを抑え座っていた。


 この男性こそがIOSP日本支部長の十二月晦日嗣音。真二とはある意味悪友とも呼べる仲だが、真二の問題行動にいつも頭を悩ませながら胃に穴を開けられる可哀想な人間である。


「……何やら大きな怒号が聞こえたが……」


 ファレルは流暢な日本語で嗣音にそう聞いた。


「ご心配なく。またあの馬鹿が問題を起こしただけですから」


「……そうか」


 ファレルは対面に座っている昴に視線を移した。


「さて、話をしようか。五常昴君」

「……はて、一体何の話か分かりません」


 昴はとぼけるようにそう答えた。


「分からない筈ないだろう。現代技術基準遠未来装備HIKARI MARK Ⅳの無断使用の件だ」

「……光には許可を取りましたが」

「そう言う問題ではない。君が、IOSPでもない君が、こちらの許可無しに無断使用することが問題なんだ」


 ファレルは指を交差に組み、口元にまで動かした。


「天下のIOSP様は余程狂犬が怖いみたいですね」


 昴は煽るように笑いかけた。


 ファレルは組んだ指を崩した。


「当たり前だ。首輪は何のためにある? 狂暴な飼い犬の自由を制限するためにある」


 そう言ってファレルは自分の首を指で叩き、昴の首を指差した。


 昴の首には黒いチョーカーがあった。まるでそれが狂犬に着ける首輪のように。


「右腕を噛み千切ろうとした狂犬の自由を制限するのは当たり前だろう?」

「それなら餌で飼い慣らせば良いだけの話です」

「……それだけ餌が欲しいのか」


 昴は臆することなく答えた。


「もちろんです。餌があれば出来ることが増える。餌があればそれ以上に大切な物を守れる。こんな素敵な餌を欲しがらない人間は、それがなくても大切な物を守れる強い人間だけです。ですが、そんな人間は存在しない。残念ながら」


 ファレルはもう一度指を組んだ。


「安心しろ。お前らが光のために動いている内は協力はしてやるさ。だがな、もし、お前らが光を世界のために見捨てるのなら、俺はお前の首を食い千切る」

「……そんなことする訳が――」


 ファレルの言葉を遮るように昴は声を出した。


「どうだろうな。自らを神と勘違いした善人は世界のために一人を犠牲に出来る。そしてその他の奴らから称賛の声でいつか忘れてしまうだろう。悪魔が愛した一人の犠牲を」


 ファレルは指を崩し、机に置かれていたティーカップに手を伸ばした。


「……十二月晦日嗣音。損害も犠牲もないと報告したな」


 ファレルは揺れる紅茶の水面を見つめながらそう聞いた。


 ファレルと昴の関係はティーカップに注がれた紅茶に良く似ている。表面上は不安定で薄いが、その奥には濃く確かな信頼関係がある。互いが互いに何を求め何をしたいのか、それが分かっているのだ。


 嗣音が少し思い出しながら声を出した。


「はい、むしろ我々では対処不可能な存在に対して一人で対処しました」

「……五常昴、規定変更だ。人身、及びその財産が侵されようとした場合にのみ独断での使用を許可する。ただし、分かっているな」


 ファレルは昴に対して脅すような口調で言った。昴は面倒臭そうに声を出した。


「仕事には使わない。分かっていますよ。勇敢な男よ」


 昴は立ち上がり、その部屋の扉から出ようとした。扉を開けながらファレルに対して深く頭を下げると、音もなく歩いてしまった。


「……嗣音、立花光を狙う組織はどうなった?」

「昴のお陰で昨日壊滅しました。もうIOSPの護衛もいらないでしょう」

「……そうか。日本支部は一斉は出来ないが休暇を与えてやれ」

「分かりました。……未だに昴が怖いですか」

「……あぁ。あの男は強すぎる」

「ですが日本の治安は昴のおかげで良くなっています。あの時の()()()()()()()も昴の意思ではなかったことが分かっています。ならば……」

「……首輪を外して様子見だな」


 昴は飛行機の個室に入った。二つの広い椅子があり、そこには光が心配そうに座っていた。昴を一目見ると安堵したように走りよった。


「昴君! 大丈夫だった!?」


 昴は優しい笑顔を光に見せた。


「あぁ。大丈夫だ」

「良かった……。昴君が捕まるかもって心配で心配で……」

「まぁちょっと怒られたが……」

「やっぱり? けど驚いたよ。昴君が黒恵とミューレンを助けるなんて」

「流石に依頼でだからな?」

「あれ? そうだったの?」

「そうそう」


 昴は疲れたように椅子に座った。光は隣に座り、昴の肩に頭を置いた。


「どうした?」

「今の私は甘えん坊さんなのです。昴君は私を甘やかす責任があるのです」


 光は昴の肩に顔を猫のように擦り付けていた。昴は光の頭を優しく撫でると、光は嬉しそうに微笑んだ。


「……あ、忘れてた」


 光は小さな帯状の色紙がまとめられている物を取り出した。パラパラと捲り、不適当に決めた物を昴に見せた。


「これは何色?」

「7fffd4」

「おー流石。じゃあこれは?」

「ff8c00」

「もはや怖いね。感情も見ているなかだと豊かになってるし、味覚の障害も治ってきてるし、良い兆候だね」


 光は安心したように微笑んだ。それだけ昔の昴にはストレスが原因の味覚障害と視覚障害が酷かった。今は光のメンタルケアや光その物の影響で治り始めていた。


「さて、また甘やかしてー」


 そう言いながら光は昴の体に抱きついた。


「本当に今日はどうしたんだ?」

「んー? 定期的に昴君に甘やかされることでしか摂取できない栄養素がありそうだからー?」

「研究のためにいっぱい甘やかさないとな」

「やったー!」


 光は猫のように顔を擦り付けた。


 暖かい体温に、好きな匂い。少しずつ速くなる鼓動。私は彼の全てが愛しく感じている。


 私は彼を幸せにする。彼は私が幸せなら幸せと言う。それなら私は我慢せずに彼に甘える。そして私が彼に甘えさせる。そうすることで彼の癒えない心の傷は隠れるだろう。いつか彼が気付かないくらい、私は彼を幸せにして見せる。


「ねぇ昴君」


 私は彼に問い掛けた。昔の彼なら何も言えずに口を閉ざしたままだった。だけど、今の彼なら、きっと。


「今、幸せ?」

「お前が幸せなら」

「そっか。私も昴君が幸せなら幸せだよ」

「何だそれ」


 彼は私に優しく笑いかけた。そんな笑顔が、昔の彼の無理矢理作った笑顔とは違うことは私が一番分かっている。


 心の底から溢れ出した、愛情から生まれた感情だ。


 ……何だか恥ずかしいや。


「あ、そうだ」


 昴君が声を出した。私そっちのけでスマホに触れ始めた。


「こら昴君! そんな板とにらめっこするんじゃなくて私を甘やかせー!」

「少し待ってくれ。えーと……あーあったあった」


 昴君は映像を見せた。そこには真っ黒な容姿をしている初めて見た生物とそれを殲滅する女性の姿が写っていた。


「俺が言った生物の映像だ。警察からちょっと拝借した。これがあり得るのかあり得ないのか、それだけでも教えてくれ」


 私はその映像に釘付けになっていた。初めて見た生物は私が知り得る科学に反していた。だが、この映像はそれがあり得ることを確かに表していた。


 久し振りだ。自分でも全く分からない原理の生物を見たのは。


 私の中の好奇心が、私が昴君への好意に初めて気付いた感情の高ぶりの大きさに似ている。


「……あり得るのかあり得ないのかって言ったら、映像があるからあり得るよ。現実で起こった出来事なんだから。ただ今の私が解明した世界の法則に反しているだけだよ」


「つまり何も分からないと」

「昴君と禱さんが言ってたことが正しいなら」

「そうか。分かった」


 私はすぐにでもこの生物の解明に頭を回したかった。だが、今の私は甘えん坊さんなのだ。好奇心に一度は満たされたが、頭の中が昴君とのイチャラブピンクに染まるのは簡単だ。


 私は一度起こした体をもう一度昴君の暖かい体温を求めるように抱きついた。


「ほらほら、話はおしまい。早く私を甘やかすのだ」

「仰せの通りに――」


 ――黒恵とミューレンは新幹線の四人分の席がある個室に座っていた。対面には昴と光が座る筈だが、二人とも何処かに行っている。


「ふっかふかねこの席!」


 私は椅子の上で跳び跳ねながら隣にいるミューレンに話しかけた。


「行儀が悪いわよ黒恵。ちゃんと座りなさい」

「まさかこんなに良い個室に座れるなんて思いもよらなかったじゃない」


 私が貰ったペアチケットは、どうやら交通費も負担してくれる物だったらしい。しかも泊まる旅館は向かう温泉街の中でも屈指の豪華さときた。


 あんなに簡単に当てた物としては、私達庶民が届く筈もない夢のような旅になりそうだ。


 ただしあくまでも妖怪の調査。旅行は二の次……いや、妖怪の調査が二の次ね!!


「そう言えば昔は個室がある新幹線は少ないって聞いたわね」

「この時代に生まれたことを感謝しないとね!」


 すると、ようやく昴と光が個室に入ってきた。


「いやーごめんね。ちょっと色々あって」


 光が微笑みながらそう言った。そんな光の首には虫に刺されたような痕と、耳が少しだけ赤くなっているからか、ある程度何をしていたのかは予想できた。


 昴と光は私の対面の椅子に座った。


「久し振りだよ、旅行なんて。ありがとうね黒恵、ミューレン」


 光はそう言った。


 そう言えば光はあまり外に出ないと聞いていた。理由は確か色んな人に迷惑をかけるから……だったはず。けどそれにしては外に出ているような……? 


「ねぇ光、そう言えば外に出られない理由があるみたいだけど、旅行は大丈夫なの?」

「あーそれはね。まぁ私を狙う組織は根こそぎ壊滅したと言うか何と言うか……。まぁ……うん……」

「つまり?」

「狙う人たちは色々あって社会的に死にました」

「成る程納得」


 いや納得は出来ないけど。社会的に死んだって。……まさか……?


 私は昴の方を見つめた。昴は私の視線に気付いたのか、何故か微笑んだ。


 ……狂信的な光ラヴの昴ならあり得ないこともない……――。


 ――早苗は新幹線の自由席に座っていた。お金はあるにしても、高級すぎる空気感と言うのは肌に合わないのだ。


「……やっぱり友歌さんか誰かと一緒に旅行すれば良かったか?」

「あ、それなら大丈夫だ」


 僕の隣の席から聞き慣れた女性の声が聞こえた。見ると、当たり前のように僕のちょっとした菓子を食べている友歌がいた。


 僕はその席から飛び上がる程驚いた。


「何でおるんや!?」

「一人旅は寂しいんだろ? 昨日有給申請した」

「ほぼストーカーや!!」

「人聞きが悪いな。あ、旧型煙草あるか?」

「そんな危ない物持ってるわけないやろ!!」

「それもそうか。それじゃ火をくれ」

「僕は煙草を吸わないからないで」

「気が利かないな」

「と言うか禁煙や!」

「そうだったな」


 驚いたが、何とか心を落ち着かせ、平常心を保つ。


「と言うわけで、昼飯奢れ」

「何でや!?」

「お前に奢ったせいで金がないんだよ。奢れ」

「それならまぁ仕方ないか……――」


「――つまり、妖怪はある意味神様なのよ」


 ミューレンはそう言った。


「色んな悪行が言い伝えられてるけど、基本的に日本だと強い力を持っている物を神様として祀り上げて色んな後利益をもたらす。神聖だったりは関係ないわ」

「けど鬼とかは悪い話しかないわよ? 豆撒きとか」


 光は私の問いに答えた。

「ううん。日本古来の()()はもともと祖霊とかと同一視されてたし、そこから日本の外からの鬼が入ると、仏教とかの鬼のイメージが合わさっちゃったの。それに鳥取だと鬼を祀ってる神社もあるしね」


 光は豊富な知識を存分に使い、私の好奇心を次々と満たしていく。


「妖怪が神みたいに祀られるのもそんなに珍しいことじゃないしね。手長足長さまって呼ばれる妖怪は荒ぶる巨人の側面もあるけど、手長と足長の夫婦の神様で、諏訪明神の家来って言われてるし」

「じゃあ妖怪と神の違いは?」

「うーん……根本的な違いはないよ。人間の理解を越える、それこそさっきミューレンが言ってた強い力が人間に害を及ぼすのか後利益をもたらすのかの違いだよ」


 ふと、私は昴の人間離れした動きと戦いぶりを思い出した。


「じゃあ昴も時代が時代なら神様として祀り上げられてたのかしら」


 光は何故か困ったような顔をした。


「うーん……多分」


 その表情から、昴の身体能力は例え光でも解明は出来ていないことが分かった。


 すると、ミューレンが疑問を口に出した。


「確かに人間が神になったのはいるけど、それは超常的な力を持っているとされたからよ? 昴はそんな超常的な力を持っているの?」

「持ってはいる……かな。昴君の身体能力は普通より数十倍あるけど……」

「それはあのミオスタチン関連筋肉肥大みたいな?」

「そうだと思ったんだけどね……。確かにそうなんだけど……にしては目に見える筋肉が付かないし、筋肉が付くってことは男性ホルモンが多いってことなんだけど昴君は平均より女性ホルモンが多いし……」


 私はとにかく世界の謎を知りたい。それはオカルト的な物だけではなく、身近な謎も知りたいのだ。私は昴の体に興味が湧いた。


 私が記憶しているミオスタチン関連筋肉肥大とは、確か異常な筋肉の成長だったはずだ。


 筋肉の成長を過剰に成長しないように抑制するミオスタチンと言うタンパク質が先天的に少ない、もしくは筋肉がミオスタチンを受け付けない体質の人が稀に生まれる。


 すると、運動をしていないにも関わらず筋肉が異常に発達した外見になる病気だったはずだ。


 だが、昴はそこまで筋肉質な体には見えない。それが私の好奇心を更に湧かせた。


 光はまだ昴の体の話を話した。


「筋肉の成長に栄養が取られるはずなのに昴君は平均男性の栄養で過ごせるし、それなのに筋肉が成長するし……。昴君の父方の家系は皆そうだし……もう私にも分からないよ」

「それはもはや人間って呼べるのかしら?」


 ミューレンはそう言った。


「人間だよ。デオキシリボ核酸は……」

「そんな答えしか持ってないの!?」

「今も研究中です!」


 まさかそこまでの謎が昴にあるとは。私はとにかく頭を回したが、私より頭が良いであろう光が解明できていないのだから私程度の頭脳では考えるだけ無駄なのだろう。


「それなら今の都市伝説は妖怪なのかしら?」


 私はネットでかき集めた様々な存在を頭に浮かべながら光に聞いた。


「例えばどんなのがあるの? あまり最近の怪談話は知らないの」

「都内に出る鮭の化け物とか」

「鮭!? 最近はすごい噂があるんだねぇ」

「あとパジャマを着てマフラーを巻きながら徘徊する男性」

「それはもう都市伝説なの!?」

「あと依頼執行人の二人とか。あ、でもこれは人間ね」


 光とあまり喋らなかった昴が驚いた顔をした。


「い、依頼執行人……!? ちょっと詳しく教えて?」

「良いけど……どうしたの? 昴も何か驚いているみたいだけど」

「それは後で、話を聞かせて?」

「依頼執行人の二人って言うのは、一人はいつも同じところにいて、大金を払えば殺人以外のことなら何でもやってくれて、もう一人はいつも何処かをふらふらしてて、頼めば対価も受け取らずに殺人しかやらないって言う話よ」


 すると、昴が突然声を出した。


「一人は知ってるぞ」


 私は都市伝説の存在を肯定する、それが昴の口から出てきたことに驚いた。


「殺人をしないやつは知っている。相当美人な女性だ」

「何で貴方が知ってるの!?」

「……お前にあげた金属のカードがあるだろ? それは元々依頼執行人に会うためのカードだ」

「うぇぇ!? じゃあ貴方が!?」

「だから女性って言ってるだろ!? 記念に貰ったんだよ。俺が似たような何でも屋やってるし、もう使うこともないからお前に無料券って言う形としてあげたんだよ」

「じゃあこれを使えば依頼執行人に会えるってこと?」

「有効期限は切れてないはずだ。それを何処かにいる案内人に見せないと会えないがな」

「そんなにすごいカードなのね……」


 そう言えばホッケーマスクを被った女性が「またあの人は無意識に女性を誑かして……」なんて言ってたけど……まさか……?


「元恋仲……?」

「何故そうなる!?」

「だって無意識女誑しだし……」

「誰から聞いたそんなこと!?」

「ホッケーマスクを被った女性」

「あー……あいつかー……」

「二股……!?」

「だから違うって!」


 昴は一回ため息をつくと、個室から出た。


 昴は人が見当たらない場所まで離れると、何処かへ通話をかけた。


「……クラレンス」

『どうしたんやボス! 緊急事態かいな!?』


 クラレンス以外の助けを求める悲痛な叫びが通話から聞こえた。昴はその悲鳴に怯えることなく会話を続けた。


「少し聞きたいことがある。依頼執行人は二人いるのか?」

『それはボスが一番知ってるやろ?』

「話によると、どうやら二人いるらしい」

『……なぁボス。ひょっとして都市伝説でも信じてはる?』

「まぁな。火のない所に煙は立たぬって言うだろ。依頼執行人と言う名前が偶然とは思えないんだ」

『……分かったで。こっちでも色々調べてみるわ』


 すると、通話から助けを求める声が聞こえた。


『た、助けてくれ……!』

『やから言ってるやろ。こっちは温情で二年待ったんや。それで金を用意できなかったのはあんさんやろ』

『あ、あと一週間ある! だから……! あと……!!』

『……しゃーないなー。じゃあ二週間や。それまでに用意できんかったら……そうやなー……。目か耳か手か足か、一つなくなっても困らんやろ。最悪脳も半分になっても生きてる人間がいるんやから大丈夫やろ』


 昴は通話を切った。


「……模倣犯か、それとも喧嘩を売る馬鹿か、誘ってるのか……」


 昴は考えうる可能性を全て仮定し、思考していた――。


 ――新幹線は滞りなく進み、また違う汽車に乗り、目的地に着いた。少し遠くには自然生い茂る山が見えた。


 昴は光の荷物も持っているのか、中々に大きな荷物を持っていた。


「ここからは歩きよ。黒恵は大丈夫?」


 ミューレンは私にそう聞いた。


「失礼ね。最悪荷物を昴に持たせるわ」

「一人で持ちなさい。友達に頼らない」

「はーいお母さん」

「誰がお母さんよ!」


 駅から離れるごとにどんどん私がタイムスリップでもしているかのように景色が変わっていった。周りの建物は趣や年期のある木造建築が建ち並び、私の心を数百年遡らせる。


「こんな景色も都内だと見ないわね」

「そうね。……走らないでよ?」


 私はとにかく走り出した。非日常の景色を求めながら走っていた。走ることは嫌いじゃない。何故なら走れば私が知りたい物に近付けるから。

「く、黒恵!? 走らないでって言ったでしょ!?」

「早く行くわよ! 三人共!!」


 私を後ろから追いかける足音が聞こえる。いつも私を後ろから追いかけてくれるミューレンなのだろう。私はミューレンと長い間共に走ってきたのだから。


 やがて温泉街の入り口にまで走り着いた。足を止めると、ミューレンが息を切らしながら私の手を掴んだ。


「や、やっと捕まえたわよ……!!」

「遅いわよミューレン」

「貴方が突然走るからよ!!」

「オカルトは待ってくれないわ!!」

「少し落ち着いたらまた見える物も変わるわよ! しっかり景色も楽しみましょうよ!!」


 すると、後から昴が光を背負いながら走ってきた。息も切れておらず、疲れている様子もない昴に流石だと思った。


「早いよ黒恵! もう少しゆっくりで良いよ! 妖怪は逃げないから!」


 昴の後ろからそんな声が聞こえた。


「今は妖怪より温泉だわ! だってミューレンのはだ……じゃなくて種類がいっぱいあるから沢山入りたいのよ!」

「何だか別の欲望が見えたような……? まぁ聞かなかったことにしてあげる」


 光は昴の背から降りると、私に近付き、私の頬をつねった。あまりに弱々しい力に痛みは感じなかったが、怒っていることは分かる。


「少しは落ち着くこと。分かった?」

「……はい」

「よろしい」


 私達は人力車を引く車夫と呼ばれる人達を探した。話によればある程度この温泉街、極楽下温泉街を回り、私達が泊まる旅館にまで人力車で案内してくれるらしい。


 あまりに都合が良いが、思えば本来ならほぼあり得ない程豪運なことを私はやったのだ。この豪運の都合が良い話に比べれば些細な話だ。気にせずとも大丈夫だろう。


 私達は私達を乗せる人力車を引く二人の車夫さんを見つけた。何故二人なのか最初は疑問に思ったが、その疑問はすぐに晴れた。


 昴が先に事情を説明し、四人乗りの人力車を用意してくれたようだ。だが、気になったのは何故四人乗りの人力車があるのか。


 本来人力車は二人乗りだ。確かに三人乗りの人力車もあるにはあるが、人が乗る台座が前と後ろに二つ。特別に作られたのなら納得はするが、わざわざ作る必要もないように感じる。


 私は昴にその事を聞いたが、「偶然だろ」と答えるだけ。車夫さんに聞いても言葉を濁されるだけで結局良く分からない。


 あまり深く詮索しない方が良い話なのだろうか。


 台座に繋がれた柄を二人の車夫さんが引いた。車輪はごろごろと転がり、ゆっくりと前進した。よく揺れるが、これも趣と言う物だろう。


「この街では大きく分けると、屋台が多く建ち並ぶ場所、旅館が多く建ち並ぶ場所、少し山の奥には多くの天然温泉がございます。昴様は幼い時に来たと聞きましたが?」

「一回ありますね。まぁ色々事情はありますが」

「やはりそうでしたか」


 とても気になる。その色々の事情を私は知りたいのに。


「街を出て少し遠くに、と言っても自動車で10分程ですが、海があります。泊まる旅館の夕食ではその海から取れる海鮮盛りが出るそうですよ」


 ……お腹が鳴りそう。昼食は新幹線で食べたはずなのに。


 少し長い坂道を上がりながら私はそんなことを思っていた。回りは和の空気を漂わせる竹垣があり、恐らく旅館で着れる白い浴衣のような物を着ている人が大半だ。


「今の季節だと桃湯かはっか湯が良いですかね。季節湯に入ったことはありますか?」

「柚湯ならありますね」


 ミューレンはそう答えた。


「やっぱり柚湯は人気ですよね。良い匂いですし」


 やがて赤く立派な鳥居が見えた。やはり観光客が多く、向こう側には上に向かう石造りの階段が見えた。ミューレンが少女のように見とれており、私もその神秘性に目を奪われていた。


「ここは貴船神社と言われていて、京都に総本宮がある神社ですね。荷物を置いたら龍神様に挨拶をしに参拝するのも良いですね」


 中々に広い街に一回りするにも時間がかかり、人力車はやがて私達が泊まる旅館の前に止まった。


 私達は人力車から降り、荷物を下ろすと、私達は車夫さんにお礼を一言言った。


 旅館は中々に豪勢で、豪華絢爛とは反対だが、質素ながらも確かにその存在感を門だけでも醸し出していた。


 門のような周りに竹垣があり、その中に数百年形を変えることなく残り続ける建物があった。砂利が敷き詰められた道を歩くと、入り口の横にはこの旅館の名前が書かれた提灯が飾られていた。


 この旅館の名前は安倍ノ極楽下旅館。


 入り口には黒胡麻色の柴犬が凛々しくたっていた。私、と言うかその後ろを見つめながら吠えていた。


「ようやく着いたわよ! ほら早く早く!!」


 私はミューレンの手を引きながら旅館の中に入った。


「元気だねぇ。黒恵は」


 光はそう呟いた。


 中は広く、木造建築とよく合う落ち着いた照明の色合いで照らしている。


 庭園から微かに響く鹿威しの音が心地よくさせる。誰が書いたのかも分からない掛け軸や盆栽もこの空間によく似合っている。


 恐らくお香に匂いと畳の匂い。とても良い檜の匂いと記憶している匂い。視覚と嗅覚と聴覚に訴えかける格式の高さに圧倒された。


 すると、着物を綺麗に着こなした女将のようなお婆さんが現れた。腰は曲がり、シワが増えた顔だが、若い時は中々の美人だったことが分かる顔立ちだった。


「どうもどうも。黒恵様とミューレン様でしょうか」

「はい!!」

「元気が良い子だ。感心感心。あとの二人はどちらへ?」


 すると、ようやく昴と光が中に入った。光はお婆さんに軽く頭を下げたが、昴は親しげに手を上に挙げた。


 すると、お婆さんは目を見開き、その老体からはあり得ない程の速度で走り出した。昴に足袋をはいた足で中段蹴りをいれようとした。


 昴はその蹴りを手でいなした。


「久し振りなのに大層な挨拶だな」

「五月蝿いわ!! あの後十五年も顔を見せんかったお主が言うことではなかろう!! 少しは顔を見せて婆を安心させるとは思わんかったのか!! お主の姉と妹は良く顔を合わせるぞ!!」


 曲がった腰を真っ直ぐにし、蹴りを何度も昴に向けた。その全てを昴は軽々といなしていた。


「それに関してはごめん。でも顔を出せない事情は婆も知ってるだろ?」

「知ってはおる! 知らなかったワシにも責任はあるが、お主ならここに逃げることも出来たはずじゃ!!」

「だから連絡をいれたんだよ。久し振りに会ってみたかったし、救ってくれた人を紹介したかったし」


 お婆さんは落ち着いたのか、もう一度腰を曲げた。


「全く……。……久し振りじゃのう。昴の坊。なんと立派な……立派な……男……? に育って」

「何でそこが疑問なんだよ!?」


 私は昴とお婆さんの関係を知りたく、ミューレンと顔を合わせたが、知らないと言うように首を振っていた。光にも顔を合わせたが同じように首を振っていた。


「え、えーと昴君? そのお婆さんはもしかして……?」

「ん? あぁ。俺の母方の祖母」

「「「えええぇぇ!?」」」


 私だけではなく、ミューレンも、光も驚いていた。確かに昴の祖母なら先程の動きも納得は出来る。


「ちょっと待ってね……。あー母方のお婆ちゃんなんだ。あれ? でも高い身体能力は五常の家系からの遺伝でしょ? その人の細かい年齢は分からないけどあんなに動けるの!?」

「それは良く分からない。何か動ける」

「あ、そうなんだ……」

「あんまり家のことを喋りたくないからな。そう言えば教えてなかったな」

「着く前に話しても良かったんじゃない!?」

「忘れてた。すまん」

「そっかー……うん……」


 お婆さんは光の顔をじろじろと見ると、光の肩に手をおき、頭を深く下げた。


「ワシの孫を助けてくれてありがとう……。あの家系から救ってくれて……本当に……」

「……いえ、昴君の傷はもう癒えることはありません。だけど、私が隠すことは出来ます。これからも頑張ります!」

「……そうかい。いやいや、もう涙も出ないと言うのに涙ぐんでしまったよ」


 また昴のデリケートな話になっている。私の好奇心を際限なく駆り立てるくせに私に人の心があるせいで聞くことも出来ない。


「ここの女将をやっております、安倍透緒子(とおこ)と申します。今年で94ですが、ご快適にお過ごし頂けるよう尽力いたしますので」


 そして、私とミューレンの荷物をその老体からは想像できない程軽々しく部屋まで運んでいた。


「なぁ婆。俺の荷物も持ってくれよ」

「意中の女の前なら自分で運べ。それにこんな老体よりお主の方が良いやろう」

「それもそうだ」


 私は光に耳打ちしていた。


「……光。言えないならそれで良いけど、もしかして昴の家庭環境って最悪?」

「えーと…………。……うん……。その……ね」


 すると、昴と私の目が合った。


「……聞こえてるぞ」

「だって聞きにくいじゃない!」

「……それもそうだ」

「じゃあ質問を変えるけど、貴方のお婆さん何歳で貴方のお母さんを産んだのよ」

「50って聞いてる」

「成る程」


 じゃあ昴がここに来たことがあるのはこのお婆さんに会うためなのかしら。にしては久し振りに会ったみたいな態度だし……。付き合いが悪かったのかしら。


 私とミューレンは一つの部屋に案内された。


 畳が広がる和室だった。和室と言う似たり寄ったりの部屋だが、確かに高級旅館と名乗れる程の格式の高さが視覚に語りかけてきた。


 綺麗な硝子細工の風鈴が二つ程あり、風が僅かに吹くごとに、美しく「ちりん」と耳に通った。


「黒恵」

「なに?」

「ここは私が日本に来る前のイメージその物よ。ここに貴方と来て良かったわ」

「何かむず痒いわね……」


 荷物を置くと、クローゼットに入っていた白い浴衣を見た。


「あら? 着るの?」

「着てみたいけど、着方を知らないのよ」

「私は出来るわよ。じゃあ着せてあげるわね」

「良いの? ありがとう。もうお母さんね」

「誰がお母さんよ! ほら、早く脱いで」

「何する気よミューレンのえっち!」

「貴方が着付けてほしいって言ったんでしょ!?」


 半ば無理矢理脱がされ、浴衣を羽織らされた。


「ほら、背筋を伸ばして。右側の衣を左腰に巻いて。なるべく奥にね。そして左側の衣を上にする。ここまでは出来るわよね?」

「流石に出来るわよ。分からないのは帯の結び方ね」

「じゃあバンザイして」


 私は両手を挙げ、ミューレンは帯を私の腰に回した。


 ふと、私の頭にある考えが浮かんだ。


「……ミューレン、無理を承知で頼むけど、後ろからやってくれない?」

「後ろから? 変なこと頼むのね。ちょっと難しいけど……」


 ミューレンは私の後ろに回り、帯を巻き付けた。


「衣をしっかり押さえててね」


 後ろで帯を交差させ、お腹の辺りで結び始めた。


 その時、私の背に柔らかい感触があった。私はこれを求めていた。


 帯をしめるとき、後ろからの場合、きちんとしめるにはどうしても体を密着させる必要がある。


 つまり、今、ミューレンの、胸は、私の背中に密着している! これよこれ!


「やっぱりやりにくいわね……」

「いえいえこちらは大満足ですよ……」

「? それなら良いけど……」


 右手側の帯を上に結び、左手側のほうでリボンのように結んだ。背中の襟を少し引っ張り、ミューレンは正面から出来映えを見ていた。


「良く似合ってるじゃない。後ろからは大変だったけど」

「ありがとうねミューレン!!」

「どういたしまして」


 ミューレンは私に着付けるよりも早く浴衣を着た。中々に可愛いらしい。ただ、不満が一つあるとすれば。


「谷間が見えない……」

「見せるわけないでしょ!?」

「良いじゃない少しくらい見せても!!」


 私はミューレンの浴衣の胸元の襟を掴み、無理矢理谷間を出そうとした。当然ミューレンも抵抗してくる。


「マンガのキャラに一人くらいいるでしょそう言うの!!」

「確かに少年マンガには一人くらいいるけど!! だからって現実でそんなことしなくても良いじゃない!!」

「良いから胸を見せろー!!」

「欲望に正直ね!?」

「まぁ冗談はここまでにして」


 確かに谷間が見たかったのは事実だが、後で好きなだけ見れるのだ。今は我慢すれば良い。


 私達は部屋の外に出ると、部屋の前には昴と光が立っていた。


「……あ、もう良いのか?」

「え? なに?」


 昴がそんなことを聞いたからか、私はそんな返しをした。


「いや、イチャイチャしてたろ」

「そ、そんなことないわよ!?」


 ミューレンがそう答えた。頬が少しだけ赤く染まっていた。


「黒恵が私の浴衣を引っ張っただけよ!!」

「……ふーん?」


 光はそう呟いた。ニヤニヤとからかうように口角を上げていた。


「そっかそっかー」


 光は昴に耳打ちした。


「どうですか昴君。あの二人は」

「ミューレンは分かってる。黒恵は分かってないな」

「成程成程」


 光はまた私達を見ながらニヤニヤとからかうように口角を上げていた。


「そっかそっか。楽しそうだねー?」

「な、何よ……?」

「いやいや何でもないでござるよ」

「何でそんな口調に!?」


 光の浴衣は綺麗に着こなしており、昴もやはり女性的な体型で着こなしていた。


「……やっぱり女性じゃない?」

「だから男性だって!?」


 私達はそのまま外を歩いた。


 夕食はまだ準備中らしく、その時間を潰すために右往左往していた。


「あ、そうだ。あのーえーと……ふねふね神社!」

「貴船神社?」

「そうそうそれ! 挨拶したいのよ神様に!」

「急に信仰深くなったわね」

「別に信仰深いわけじゃないわよ。オカルトにたまに堕ちた神様とかいるでしょ? もしかしたらね」

「成程ね」


 すると、突然私の後ろに光と隣り合って歩いていた昴が足を止めた。


「……あ、あーそのー……。三人で行ってくれ。俺は待ってるから」

「どうしたの昴君?」

「……そのー。ちょっと神社は苦手と言うか……」

「私と一緒なら大丈夫だよね? 怖いの? それとも……」

「……子供の時、助けを求めて祈ってたけど……そのー助けてくれなかったから……そのー……だから苦手と言うか」

「大丈夫だよ。今の昴君はきっと」

「……そうだな」


 徒歩で行くには遠すぎたが、景色を見ながらでも三人が私のオカルトの話を聞かせ興味深く聞いてくれる。私はこれからのことも話していた。


「いつか、怪奇現象を専門にする探偵事務所みたいな物を建てたいわね」

「事務所を建てなくてもそれくらいならサイトを作れば何とかなるんじゃないかしら?」

「そう? じゃあ帰ったら簡単に作ってみようかしら」


 ようやく神社の鳥居の前に着いた。


 私達は鳥居の前で一度頭を下げた。ミューレンと光が話すにはいわば神様への挨拶らしい。


 人が多くいる長い階段に嫌気がさしたが、私から誘ったのだ。上らなくては。


「そう言えば鳥居をくぐると変な感覚になるわよね」


 ミューレンはそう呟いた。


「そう? 例えば?」

「ほら、何か奥にこう……分かるでしょ?」

「んー?」

「何て言えば良いのかしら。えーと……くすぐられたみたいにぞくぞくぞくぅって」

「……ごめんミューレン。全く共感出来ないわ」

「私だけなのかしら?」


 私達はようやく参道に着いた。手水舎で手を洗おうとしたが、昴が水を柄杓に清水を汲み、左手を清めようとすると、突然熱湯を手にかけられたように手を素早く挙げた。


「あっち!? え!? 何で!?」


 昴の左手を見ると、赤い痕があった。ただ、すぐに治っていたが、何故私達は大丈夫なのかと目を白黒させていた。


「大丈夫昴君!?」

「大丈夫だが……え、逆に何で三人は大丈夫なんだ!?」

「何でだろう!? 分からないよ!」


 昴は何かを考えるような仕草をすると、何かを察したように光と目を合わせた。


「思えば、手水は穢れを清めるためにやる物だろ?」

「いやいや……まさかまさか……。穢れがあるからなんて……」


 光は昴の言いたいことを否定するように言葉を発したが、何処か心当たりがあるような顔をしていた。


「まさか……ね?」

「最近見たことない現象に出会ってるから可能性はあるだろ?」

「まぁ……うん。必ずあり得ないとは言えないからね」


 私とミューレンは頭をひねっていたが、昴と光は確証が持てないのと、隠している何かがあるからかこれ以上深堀りはしなかった。不服だけど。


 参道の横には多数の灯籠があり、観光客も来るからか、向こうに大きな拝殿が見える。だが、やはり少なくなってはいるが、人が拝殿の前で列をなしていた。


 すると、参道の隣にあった社務所から甲高い悲鳴が聞こえた。驚いて振り向くと、白い小袖と赤い緋袴(ひばかま)、所謂巫女装束を着ていた女性が怯えた表情でこちらを指差していた。いや、正確には、()を指差していた。


「……なぁ光。あいつは俺を指差してるよな?」

「そうだね。知り合い?」

「あんな美形の人忘れるはずないだろ」

「そう言うところだよ昴君」

「え、何がだ?」

「まぁ良いや。何かあの人に恨まれるようなことは?」

「人に恨まれるようなことなんか……なんか……心当たりしかない……!!」

「それもそっか」


 すると、拝殿からこちらに走る影が見えた。


 直後に昴はその影を睨んだ。


「……光、下がってろ。()()()()()は俺を殺す気だ」


 昴は目の前から消えた。その直後に人の列の丁度真ん中あたりで人を押し退けながら昴と誰かが睨みあっていた。


 その影は巫女装束を着ていた老婆だった。片手には目測で90cmはある大太刀を、もう片手にはおはらい棒とよく呼ばれる御幣(ごへい)を持っていた。


 その大太刀は二人の目前で、昴のナイフと押し合っていた。


「何だよ急に。と言うか銃刀法違反だろ」

「貴様もそうじゃろう!! それに貴様もすぐに反応できているんじゃから、襲われることは分かっていたんじゃろう!!」

「それはまぁ……そう言う環境に育ってしまったからな。殺意とかには敏感なんだよ」

「そうかそうか!! なら早く祓われるのじゃ!!」


 昴はその大太刀を力で押した。老婆は吹き飛ばされたが、くるりと体を回し、拝殿の柱に足を付けた。


 軽く柱を蹴るだけで老婆は音もなく素早く動き、昴の首もとに大太刀が触れた。昴はすぐに頭を下げると、もう片手に持っている御幣を昴の体に叩きつけようとした。


 昴は手でそれを受け止めたが、まるで熱せられた鉄の棒のように熱く、すぐに昴は後ろにバク転しながら手を離した。


「あっつ!! あっつ!!」

「どうじゃ妖よ! これがここの客人神である正鹿(まさか)火之(ひの)目一箇(まひとつの)(ひの)大御神(おおみかみ)の加護じゃ!!」


 昴は日本神話や古事記を思い出していたが、似たような名前の神様はいるが、そんな名前の神様は記憶になかった。


「いや、誰だよその神様。貴船神社の祭神は高龗神(たかおかみのかみ)だろ」

「そりゃ知らんじゃろう。何せ全国にここでしか祀られておらん」

「本当に?」

「何故疑うんじゃ」

「いや、初めて聞くし、そのー何だっけ」

「正鹿火之目一箇日大御神じゃ」

「その、なんか色んな神様の名前がある……」

「それぞれ意味があるのじゃ。正鹿は正真正銘、火之は火、目一箇は目が一つと言う意味じゃ。分かったか妖よ」

「その妖って呼ぶのが分からないんだよな」

「何を言っておるのじゃ。そんなに呪いを漂わせていて」

「呪いー?」

「……何とも自然な演技じゃな」


 すると、老婆は和紙を人の形に切り取った物をどこかから取り出した。


 その和紙が何故か老婆の手から消えた。昴は少しだけ気にはなったが、ただの紙に何かが出来るはずないと思っていた。そのせいかあまり気にも止めなかった。


 ただこれは、昴に知識がなかったからだ。いや、知っていたとしても常人ではどうにも出来なかったはずだ。


 昴は自身に向けられた殺意を感じた。隠すつもりもない獣のような殺意。老婆から発している殺意ではない。老婆と昴の間にいる、なにか。


 見えないが、確かにそこに存在しているのだ。微かに匂う獣の匂い、そよ風にも満たない空気の流れ、空間を刃物で切り裂く音、ホコリの核となる小さな小さな塵が切られたように崩れる。その全てから、確かに目の前に何かがいると確信できる。


 昴は高く飛び上がった。何かが自分の腹を切ると言う確信と勘だけで飛び上がった。だが、それは間違いではない。むしろこの状況においては最適解だ。


 ミューレンは黒恵の肩を揺すった。


「黒恵! 何かしらあの生物!!」

「どれ?! 何の話をしてるの!?」

「ほら、あの昴とお婆さんの間にいるあれよ!! えーと……!! シャキーンってしてグワーってなってるあれよ!!」

「私の視覚にはピョンってしてる人とヨボヨボってなってる人しか見えないわ!!」


 私には見えない。だが、光まで見えると言う。


「あれでしょ!? 両手が剣になってて目が三つあるあれでしょ!?」

「そう、それよ!!」


 昴は地面に着地すると、その必ずいるなにかの形を何とか想像していた。


 恐らく人間と形は同じ、だが、さっき聞こえた光の声から察するに両手に剣を持っているのか。だから切れたような……。大きさは俺より少し大きいくらいか。190か200か。だが……速いんだよな。


 昴は、恐らくなにかの首を掠める程度の場所にナイフを投げた。


 予想通り当たることはなく、だが何かの抵抗があったのか速度が極端に落ちていた。


「やっぱりそこが首か!」


 昴は高く飛び上がり、その首に切りかかるためにナイフを握る手に力を込めた。左手で髪を掻き上げ、空中で体を回し、遠心力で首を切り落とすように腕をしならせた。


 首にナイフが切り込む直前、昴は何もないはずの空間から生物の頭が浮かび上がった。


 黒い肌に目は三つあり、唇と言う物がないのか、鋭い歯が外に出ていた。側頭部には二本の角が生えていた。


 首を切り落とされたそれは簡単に塵となった。


「……なんだこれ。急に……」

「良くやるのう妖よ。じゃが、その程度の力で大丈夫かのう?」

「どう言うことだ?」

「虚偽は無理じゃぞ。今の貴様はその強大な呪われた力を隠しているではないか」

「なに言っているんだ婆さん。急に化け物が見えたり隠しているとか」

「……まぁ良いじゃろう。どうせ死ぬのじゃ」


 そう言って老婆は走り始めた。だが、その前に社務所で悲鳴を出した女性が昴と老婆の間に入った。


「ひぃお婆様! お待ちください!!」


 両手を広げ、立ち塞がった。


「なんじゃ"(いつき)"! そこの妖は危険と言うことはお主にも分かるじゃろう!!」

「違いますひぃお婆様! 彼を良く見てください! 彼は人間です!!」

「そんなわけがあるわけ……」


 老婆は昴を凝視すると、目を見開いた。


「斎!! 足を持つんじゃ!!」

「え!? あ、はいぃ!!」


 老婆は昴の額に指を当てると、昴の四肢は縛られたように動かなくなった。


「うぇぇ!? 動かないぃ!?」


 老婆が頭を抱え、足を斎と呼ばれた女性が抱え、178cmある昴の体を簡単に持ち上げ、逃げる兎のように素早く拝殿の奥に向かった。


「うわー!! だ、誰かー!! 助けてぇー!!」

「す、昴君ー!?」


 光は昴を追いかけ急いで拝殿の奥に走った。


「ねぇミューレン。これ、私も行ったほうが良いかしら」

「当たり前じゃない!!」


 私達も拝殿の奥に走り出した。


 昴を抱えた老婆と斎と呼ばれた女性は拝殿の奥に入り、昴は投げ飛ばした。


「貴様の力ならもう動けるじゃろう。早く立つのじゃ」

「そんな無茶な!? さっきから動けないの!!」


 昴は幼い少女のような口調と声で答えていた。


「なんじゃその口調と声は。やはり妖か」

「いやいや、人間だってそこの巫女さんも言ってたろ」


 昴は中年の男性のような低い声と落ち着いた口調で答えていた。


「声がころころ変わるの」

「混乱してるのよ」


 今度は若い女性のような色気がある声と口調で答えた。


 昴は起こり得ない事象に混乱していた。だからこそ口調も声も不安定になっていた。


 老婆は昴の額に指を当てると、昴の四肢が自由に動けるようになった。


「動けるじゃろう?」

「お、おぉ!? 動ける!?」


 昴は黒恵とミューレンを助けた日の声でそう言っていた。


 すると、斎と呼ばれた女性が水が入ったお猪口を持ってきた。


「これを飲んでください」

「これ?」


 昴は匂いを嗅いだが、特に毒や危ない物の匂いは感じなかった。


 昴はお猪口の水を飲み干すと、刃物のように舌を突き刺す苦味を感じた。


「にっが!? 何だこれ!?」


 昴は元の声に戻った。老婆は昴が苦味を感じたことによって何かを確信し、また御幣を持った。


「待て待て!!」

「安心せい。もう痛くはしない」

「嘘つけ!! 正鹿火之目一箇日大御神とか言う神の加護で暑くするんだろ!!」

「疑り深いの」


 すると、斎と呼ばれた女性が老婆の肩を揺すった。


「ひぃお婆様、良くご覧ください。悪霊は憑いていませんよ」

「ん? おぉほんとじゃ」


 昴は一度深呼吸し、心を落ち着かせた。すると、老婆と斎と呼ばれた女性は昴の前に正座で座った。


「すまんの。色々と早とちりしたようじゃ」

「大変申し訳ありません……! 私が悲鳴を発したばっかりにぃ……!!」


 そう良いながら斎と呼ばれた女性は何度も額を床にぶつける程に頭を下げた。


「やめろやめろ!? そんなに頭をぶつけるな!?」

「うぅ……」


 斎と呼ばれた女性は何処か涙ぐんでいた。この二人に敵意がないことが分かった昴は、自分から発していた敵意を落ち着かせた。


「……ん? なんじゃ。力を中に隠すのが上手いのう」

「どう言うことだ?」


 すると、拝殿に押し入った光が走ってきた。


「昴君!! 大丈ぶっ――!?」


 光は浴衣を足に引っかけ、前転するようにこけた。すぐに昴が駆け寄った。


「いたた……」

「大丈夫か!?」

「うん……大丈夫……」


 光は顔を上げ、老婆と斎と呼ばれた女性を見ると、少しだけ怒りを含んだ顔で声を荒げた。


「こらー!! 勝手に昴君を連れ去るなー!!」

「じゃからその昴とか言う男に謝ったんじゃ」

「あ、そうなんですか?」


 光はその場に座り、一度頭を下げた。


「ごめんなさい」

「もとはこちらの勘違いじゃ。謝るのはこちらじゃ」

「それで、一体何を……」


 すると、拝殿に黒恵とミューレンが入った。


「さぁ昴! 何があったか教えてもらうわよ!! 悪霊? 守護霊? それともヤバい魔物かしら!?」

「大丈夫かしら勝手に入って……」


 すると、老婆はミューレンの顔を見つめていた。


「……なんなんじゃお主ら。極端に強い力を持っておって」

「そ! れ! よ! り! 何で昴君を連れ去ったのか説明してください!!」


 光は強い声で聞いた。


「あぁその事か。そうじゃのう……襲った理由は簡単に言うと()()じゃ。拐った理由は()()()()()()と勘違いしたからじゃ」

「何ですかそれ?」

「……あとそこのお主」


 そう言って老婆はミューレンを指差した。


「お主の名は何と言うんじゃ」

「私!? 私はミューレン・ルミ――」

「ミューレン。お主は力の扱い方を覚えるのじゃ」

「急にそん――」

「じゃがワシは教えられん。今日本に伝わっている術ではないのじゃ。恐らくより原初に近い言霊のような……表現が難しいのじゃ」

「成程……?」


 ミューレンはあまり理解できていないらしく、頭をひねっていた。だが、私はある言葉を思い出した。


『……とても大きな力。とてもとても大きな力。けど大丈夫。でも、いつか元に戻る』


 カナエさんの言葉だ。この言葉を思い出した。


「……まぁその話は後にじゃな。今はそこの昴とか言う男じゃ」

「あ、話が戻った」

「お主の力はミューレンのように人を助ける物ではない」


 昴は特に驚く様子もなく表情を変えず聞いていた。


「それは、俺が穢れているとかか?」

「それも少しだけ気になるが、今の話とは違うのじゃ」

「じゃあいった……」

「お主の力の根元を聞きたいのじゃ」


 昴は話を遮られたことが少しだけ苛ついたが、特に気にすることでもないだろうと思った。


「……それより早く名乗ってくれないか。俺は五常昴だ」

「宮司の牟田神東(むたかみひがし)弓絃齋(ゆづるとき)じゃ。こっちは曾孫の牟田神東(むたかみひがし)(いつき)じゃ」

「珍しい名字だな」

「そんなことはどうでも良いのじゃ」


 弓絃齋は昴の顔をじっと見ていた。


「……もはや呪物じゃな。その血の一滴でも呪物としての価値は高いじゃろう」

「待て待て、話が進まない。何を聞きたいのかを話せ」

「なんじゃその口の聞き方は。まぁ良いじゃろう。ワシが聞きたいのはどうやって()()()()()()()()()


 昴は何を言っているのか分からなかった。


「例えば一族に伝わる儀式じゃとか、何かの呪物を食らったじゃとか」


 黒恵はそのオカルト全開の話に興味を示した。


「何々!! 昴はもしかしてヤバい新興宗教の信徒だったりするの? オカルトの匂いが漂ってきたわー!!」


 すると、弓絃齋が黒恵の頭を良い音で叩いた。


「いったー!! 何するのよお婆さん!?」

「話が進まないから黙ってるんじゃ」

「そんな!?」


 昴は何も心当たりがないのか、悩んでいた。


「……分からないのじゃな。そうじゃのう……呪物を食らったのかもしれんのう」


 弓絃齋は衰えた記憶を何とかまさぐりながら話し始めた。


「妖の肉でも食らったか。じゃがそれだとそこまでの力は……」

「……例えば、可能性としたら何がある?」

「そうじゃのう……簡単な物だと()()じゃな」

「蠱毒って?」


 昴は光の顔を見ながらそう聞いた。


「確か中国から伝わった呪術かな? 毒を持っている虫を集めて壺の中に閉じ込めて生き残った虫を呪術に使うって言う」

「成程」


 弓絃齋は話を続けた。


「あとは()()かのう」


 昴はまた光に意味を聞いた。


「犬神って言うのは、犬を首だけ出して埋めて、目の前に餌を置いて、死ぬ間際に首を落とす。その首を呪術に使うって言う」

「えげつないな……」


 だが、昴は心当たりが何一つなかった。その様子から弓絃齋も分かったのか、更に可能性のある物を思い出していた。


「何か神聖な物を食らったか? 例えば御神体じゃとか」

「そんな物俺でも食わないぞ。それに大嫌いな俺の一族は神様に嫌われるようなことばっかりしてるからな。神社にも近付かない」

「そうか……。なら何か異形のミイラの骨などを食らったか?」

「骨……? あー骨噛みみたいなか?」

「そうじゃ。もうやる家もないと思っていたが、やっておったのか?」

「まぁそうだな。だけどちょっと変な方法なんだよ。俺は少し特殊な体を持ってる五常の本家なんだが」

「特殊?」

「何故か本家の血を継いでしまった人間の三親等以内の奴らは全員筋肉密度が高いんだ」

「成程……」

「話に戻るが、次の本家の跡継ぎにその三親等以内の遺骨を一人で全部食うんだ。この場合俺がな」

「成程……」

「二回言ったな」


 弓絃齋は何かを考えていた。早く対処しなければ手遅れになる可能性があるからだ。


 黒恵とミューレンはその話をじっと聞き入っていた。身近な人に漂うオカルトの匂いを知りたいからだ。


「……弓絃齋さん、さっきから食べたかしか聞いてこないが、他の理由はないのか? 例えば……呪いのこもった鞭で叩くとか、呪いのこもったナイフで切り付けたからとか」

「それは呪われるだけじゃ。人間でありながら呪物になどならん。食らうと言うのは一つになると言うことじゃ。その者の血と肉となり、そして力を得る。だからこそ人間が呪物を食らえば人間でありながら呪物になるじゃろう」


 昴は記憶を遡らせていた。そして、たった一つだけ、心当たりを思い付いた。だが、それはあまりにも忌々しい記憶だった。


 昴が自分自身を嫌悪している理由である記憶。


 昴は震えていた。吐き気も感じる。それは恐怖による物なのか、それとも自身への嫌悪からか、弱々しく震えていた。確かなのは思い出した記憶は昴にとっての精神的外傷(トラウマ)と言うことだけである。


 光は詳しい理由は分からなかったが、心配そうに昴を抱き締めた。


「……あぁ…………あ……」


 言葉にもならない言葉を発しながら涙を浮かべていた。


「大丈夫、大丈夫だよ。私がいるから。大丈夫」


 まるで、子供のような、いや、それよりも弱々しい怯えきった小動物のように震えていた。


「昴君……。私がいるから……。大丈夫……大丈夫……」


 昴は震えながらも、確かに思考をしていた。


 伝えたほうが良いと、思っていた。だが、声を出すまで時間がかかった。


 口を開くと、震えるように声を出した。


「……弓絃齋……さん……。斎さん……。……出来れば……人が目の前にいない方が良い……。黒恵とミューレンは……そして斎さんも……」


 そう言われ、弓絃齋は一度頷いた。


 斎は黒恵とミューレンの手を引っ張って拝殿の外に出そうとした。だが、ミューレンはある程度聞いてはいけない話だと察していたが、黒恵は自身の好奇心を今度こそ抑えることが出来なかったのか抵抗していた。


「イヤだー!! 私は聞いていたいのー!!」

「そうは言っても……! 早く行きますよ……!!」

「えーと確か斎さん! お願いだから離してー!!」


 黒恵はそう喚きながら拝殿の外に連れ出された。


「……これで充分じゃろう?」

「……あぁ」


 黒恵は拝殿の扉に耳を引っ付け、話し声をなんとか聞こうとしたが、逆の耳をミューレンにつねられ、その耳を離した。


「何するのよ!」

「聞かれたくない話を聞こうとしない!」

「むー……!!」


 黒恵は不満そうに声を出した。


「そう言えばミューレン。貴方には何か特別な力がありそうね」

「そんなこと急に言われても……」

「けどカナエさんも同じようなことを言ってたでしょ? 多分あるのよ」

「そうなのかしら……。けど使い方を知れって言われても……」

「けど羨ましいわ。貴方には霊感みたいな何かも持ってるし特別な力もあるみたいだし!」


 外に出されたことに不満だったが、話が終わるまで待っていた。


 すると、中から子供のような泣き声が聞こえた。だが、まだ中には入れない。


 数分程たった頃、斎さんは床を見た。ミューレンもその床を見ると、怯えるように私に飛び付いた。


 胸が当たったが、私は意識などし、していない……! 


「黒恵! 蛇! 蛇よ!!」

「蛇? 何処にいるの?」

「あの斎さんの下によ!!」


 その言葉を聞いて、斎は驚いたような表情をした。


「見えるんですか?」

「え、えぇ……。見えるわ……」

「……そうですか。もしかしてですが、()()()ですか? ……いえ、今は関係ないですね。もう入って大丈夫だそうです」


 私はその言葉を聞くと、急いで拝殿の中に押し入った。


 そこには、昴が光の膝で子供のようにすすり泣いており、光が心配そうに頭を撫でていた。


 弓絃齋さんは難しい顔をしながら「うーむ……うーむ……」と唸っていた。


 弓絃齋と光は話していた。


「そんな忌まわしき儀式とは……。それが一族で受け継がれていたとはな」

「……あの、このせいで何か起こるとかはあるんでしょうか」

「それは大丈夫じゃろう。昴の力は外に発せられておらん。ワシと戦う時に僅かに溢れておったが、ワシには効かん。と言うか呪えても少し体調が悪くなる程度じゃろう。恐らくじゃが、強すぎる力を制御するための何らかの措置が取られておるんじゃろう」


 弓絃齋はまた「うーむ……うーむ……」と唸っていた。


「しかしそれだと骨噛みがとても危険な行為になってしまうんじゃ……。恐らく本家の血の三親等以内の者も呪物なのじゃろう。本家の跡継ぎにその儀式をやって呪物となったのならその子供もまた呪物」

「……力を受け継いで同じ大きさの力を持たせる儀式をして世代がたつごとに力を増していく……。まさかそんな……」

「……一つ聞きたいんじゃが、本家の血の三親等以内の生きておる者はおるのか?」

「話を聞く限りでは一人だけ。それに昴君のお父さんも死んでいますし、あ、骨噛みはしていません。昴君は骨噛みが哀悼の意だと言うことは知っていましたから」

「ふむ……他の血縁は?」

「姉はいますけど母親の連れ子らしいです。双子の弟は……死にました。この人の遺骨は食べてました。妹とは血が繋がっていないらしいです」

「なら安心じゃな……いや、もう一人の者が心配じゃが。もしその者が中にある力を外に発し、その力を使い誰かを呪うことがあれば……。昴の力を存分に使えば日本どころか人類の危機じゃ。その力より小さくても、日本の危機なのは確かじゃ」

「大丈夫です。その人は正義感が強いですから。まぁちょっと問題行動が多いですが……」


 しかし弓絃齋はまだ危機感を持っていた。それ程までに昴の力は強大で、恐ろしいのだ。


「……あの、さっき言った()()()()()と関係あるんでしょうか」

「三親等以内の男にしか現れない呪いか……。……ワシからは何も言えない。見たところそのような呪いは見えないの」


 弓絃齋は斎の顔を見たが、斎は首を振った。


 昴はまだ泣いていたが、落ち着いたのか体を起こした。


「大丈夫? まだ辛いなら……」

「大丈夫……大丈夫だ……」

「……」


 光は一度昴の頭を優しく撫でながら微笑んだ。昴もその微笑みを返すように無理に作った笑顔を見せた。


「……なぁ弓絃齋さん、この力を失くす方法はあるか?」

「……お主は湯と水を混ぜたぬるま湯をまた湯と水に別けることは出来るかの?」

「……成程。じゃあこの力が光に危害を及ぼす可能性はあるか?」

「無い。絶対にじゃ。呪いと言う物は呪いをかける者に強い怨みを持たんといけないのじゃ。お主が光を愛しておるのなら大丈夫じゃろう」

「……良かったー……」


 昴は安堵の息を吐いた。話を聞いている限りでは何か恐ろしい厄災でも起こすかと危惧していた。だが、それは杞憂だと分かった。


「……ありがとうございます。弓絃齋さん」

「あくまで話を聞いただけじゃ。礼を言われる理由もないじゃろう」

「……それもそうだな」


 昴は何事もなかったかのように元気に声を出した。


 光は昴の元気が無理に作った物だと分かっていたからか、やはり心配そうな顔をしていた。


「ほら、光、黒恵、ミューレン。さっさと参拝して帰るぞ」


 昴はそんなことを言っていたが、私の好奇心はまだ昂っている。この好奇心を少しでも抑えるため、私は弓絃齋さんの肩を掴んだ。


「弓絃齋さん! この土地に伝わるオカルト的な伝承があれば教えてください!!」

「なんじゃ急に!? と言うか誰じゃ名乗れ!!」

「黒恵で――!!」

「そうか黒恵か。良かろう。話してやろう。そこに座るのじゃ」


 黒恵は言葉を遮られたが、オカルト的な話が聞けるならと大して気にしなかった。


 ついでにと言うことでミューレンも光も昴も聞くことになった。


「そうじゃのう。()()()の話しでもするかの」

「何ですかそれ?」


 私はそう聞いた。


「何、別に妖でも神でも魔物でもない」


 ならばその正体は何なのだろうと私は思った。


「……常世にも現世にも行けない人間がたまーに、極々たまーにじゃが、いるんじゃ。そう言う者達はこの土地の古い神、とは言ってもワシは名を知らんが。この神社の逆の裏鬼門の方角、まぁ分かりやすく言うと南西じゃな。そこに祀られており、その神に招かれ、現世と常世の狭間に行くと言う」

「それが迷い人ですか?」

「まぁ話を聞け」


 このお婆さんには言われたくない。


「じゃがの……生前に罪を犯した、と言っても正しくはその神に救われるべきではないと判断された物は何処に行くでもなく彷徨い続ける。この魂が()()()じゃ」


 光もよ程興味があるのか聞き入っている。初めて聞いたのだろう。


「何せこの迷い人は人だったころの記憶も持っておらず魂だけの存在じゃ。神とも言えず妖とも言えず純粋な魂。元はただの人じゃから力はないが厄介なことに人を襲い常世へ共に行こうとするのじゃ」

「あの世へ連れ去るみたいな?」

「少し違う。常世へ行く殺した人の魂にしがみつき共に行くのじゃ」

「成程……」

「……そうじゃのう。もう一つ話すとするかの」

「ありがとうございます!!」


 弓絃齋さんの話は私の知りたい謎に迫る気がする。神とは何か、妖怪とは何か、その全てを知りたい。そして今は関係ないが霊の出現条件もだ。


「まぁ何かあるとすれば妖の街かの」

「やっぱりいるのね妖怪が!!」

「いるぞいるぞ妖怪は。たまに迷う人がいるが極々たまーにじゃ」

「えぇー……」


 何だか残念だ。その低確率を引き当ててみたいが。


「そこには神とは崇められていない方々がお住まう街じゃ。まぁ神と呼ばないから妖と呼ぶんじゃが」


 そう言えばミューレンと光が神と妖怪に本質的な違いはないと言っていた。だからこそ弓絃齋さんはこんな表現をしたのだろう。


「それはもう様々な妖がおる。人に害なす方や最近生まれた方等おられる。まぁ人に害なす方は素早く退治しなければならん」

「あーやっぱりそうなんですか」

「遥か昔、それこそ記録にも残っておらん時代でここの客人神である正鹿火之目一箇日大御神と南西に祀られておる神が妖と互いに契りを交わし不可侵の結界を作り上げたんじゃが……。正鹿火之目一箇日大御神の力が衰え、結界が不安定になり人が迷うようになってしまったのじゃ」

「まろうどかみって何ですか?」

「この神社の主神は高龗神と言う神なのじゃが、外からやって来た客人の神としてこの土地で祀られた神じゃ」

「つまりその高龗神の後に正鹿火之目一箇日大御神って言う神が来たってことですか?」

「……まぁそれはどうでも良いのじゃ。他に何かあったかのう……」

「契りを交わしたって言いましたけどその契りって?」

「ワシも知らん。教えてくださらぬのじゃ」


 私はこの弓絃齋さんの表現が少しだけ引っ掛かった。まるで誰かが教えてくれたように、しかも神様本人から聞いているような表現だからだ。


「ワシが知るこの地域の話はこれくらいじゃな」

「ありがとうございます。今から南西のほうにも行ってみます!!」

「彼処か……あまりお勧めはせんぞ。彼処を管理しておるのは人から外れた存在じゃ」


 その言葉に私の好奇心は掻き立てられた。軽く頭を下げて、拝殿から飛び出した。


 人から外れた存在が管理する神社なんて私の体が簡単に動くことくらい当たり前だ。


「えぇ!? く、黒恵ー!? 何処行くのよー!!」


 ミューレンは私を追いかけた。


「何なんじゃあの二人は……嵐か何かか……」

「……黒恵……何処かで聞いたことがあるような……?」


 斎はそう呟いた。


 斎はその記憶に自信が持てなかった。曖昧に、そしていつ聞いたのかも分からないからだ。


「昴君、追いかけられる?」

「もう少し、待ってくれ」


 昴は呟いた。光の手に震えながら触れて、暖かさを感じながら心を落ち着かせた。


 どれだけたったのかは分からない。弓絃齋も斎も何を言うでもなくその場に座っていた。


「……あの、ひぃお婆様。どんな儀式だったのですか?」

「……これを作り出した、ましてや一族に継いだ者の気が知れん。妖にでも取り憑かれていたのか……いや、もしそうだとしても許されるべき儀式ではないじゃろうな」


 詳しいことを弓絃齋は話さなかった。本来ならより知識を深め、斎から人々にその儀式を教え注意を促すのだが、これをする人はそうそう現れない程おぞましい物であるため注意喚起をする必要もないのだ。


 昴はゆっくりと立ち上がった。光も昴と手を繋ぎながら立ち上がった。


「よし、大丈夫だ」

「それじゃあ、二人を追いかけよっか」

「あぁ」


 私達は貴船神社の拝殿を後にした。石の階段を降りながら、二人は顔馴染みとすれ違った。


「あれ? 早苗さん?」

「光さん? 何でここにいるんや? あーデートか」

「少し違いますけどそうですね。そう言う早苗さんも友歌さんと一緒に来てますけど」

「へ?」


 早苗は後ろを振り向くと、白いわたあめを食べていた友歌がいた。予想外だったのか、階段を踏み外しそうになった。


「な、何でおるんや!?」

「いや、一緒に来ただろ?」

「僕は別行動なら良いって言ったで!? しかも見えなくなってから来たのに!?」

「俺の武器を忘れたか?」

「何で久し振りの休日に友歌さんと回らないといけないんや……!!」

「諦めろ。そう言う星の下に生まれたんだ」


 相変わらず仲が良いなと思った光だった。


「あ、そうだそうだ。黒恵とミューレンを見ませんでした?」

「黒恵とミューレン……あーあの時の二人やな。確かすれ違ったで」

「じゃあやっぱり行ったんだ。ありがとうございます」


 光は昴と一緒に小走りで鳥居をくぐり抜け、二人を追いかけた。


「昴君、場所は分かる?」

「……音は聞こえない。それにあの二人は特徴的な匂いはないしな」

「じゃあ南西のところに行こっか」

「そうだな」


 七味やわたあめやたこ焼きの屋台を横に憑かれない程度に歩いていた。


「黒恵の性格的に山のほうに行ったら絶対ろくなことにならないよね……」

「最悪山を燃やすぞ」

「昴君は黒恵を何だと思ってるの!?」

「……まぁ親しい間柄とは思うが、じゃないとこんなところに四人で来ないしな。ただな……黒恵は色々な意味で()()()()()()。いやミューレンもだな。まだマシだが」


 七味やわたあめやたこ焼きの屋台の横を歩きながら昴君はそう言った。


 すると、昴君から見た黒恵とミューレンを語り始めた。


「言ってなかったが、あの二人は目の前で人が死ぬ光景を見ているんだ。にも関わらずあの二人は何事もなかったかのように笑っていられる。確かにミューレンはその場で泣いて嘔吐していたらしいが、黒恵はそんな様子もなかったんだよ」


 確かに胆が座りすぎている。昴君がこんな表現をする理由も分かった気がする。人が死ぬ光景を見たら少なからず精神的外傷を負うと思う。特にトラウマになることもなくあんなに楽しそうにいられるのは凄い。


「あの二人の精神状態はどこか狂ってる。特に死体を見たなんて言う報告も警察にはないのにだ。俺みたいに理由のある狂気じゃないんだ」

「うーん……オカルトに身を置きすぎてとか?」


 私は七味やわたあめやたこ焼きの屋台を横目にそんなことを聞いた。


「……さぁな」

「後で聞いてみよっか」

「そうだな」


 私達は七味やわたあめやたこ焼きの屋台を通り過ぎながら歩き続けていた。


「……ねぇ昴君」

「……言わなくて良いぞ。俺も分かってる」

「あーやっぱり?」


 私達の横には七味やわたあめやたこ焼きの屋台があった。私達は何度も何度もこの屋台達を通り過ぎたはず。私は初めて黒恵から聞かされる怪談話のような世界に迷い混んだと理解した。


「……よし、いっせーので、で振り向くよ」

「何だか可愛らしい掛け声だな」

「いっせーので!」


 私達は後ろを振り向いた。


 景色が違う。七味やわたあめやたこ焼きの屋台の後ろにあった屋台も無くなっていた。私達はあまりに驚愕したからか目を白黒させながら互いに顔を見合った。


 急いで横を見ると、横にあった七味やわたあめやたこ焼きの屋台も無くなっていた。昴君と一緒に同じわたあめを食べようと思っていたから少し残念だ。


「……あー光、逃げられる方法があるならすぐに言えよ。抱えて逃げるから」

「分かるならすぐに言うよ」

「帰る方法は黒恵が何か言ってたか?」

「言ってたら覚えてるよ」

「だよなー……」


 私達はとにかく手を繋ぎながら前を歩いた。


 辺りは変わり果てた景色に変わっていた。上には紅く灯った提灯が無数に浮かんでおり、更に上の空は夕焼けに染まっていた。


 明らかにおかしい。何故なら時間はたっているが、まだここまで真っ赤に染まる程の夕焼けの時間にはなっていないはずだ。空は紫に染まり、逢魔時の空に変わってしまった。


 私の頭はこの現象を否定した。否定したところで目の前に起こっているこの現象は確かなる事実だと言うことを伝えていた。


 どれだけ思考をしても否定され、否定される度に私の中に僅かに存在した恐怖と言う感情が空気を吹き込んだ風船のように膨らんだ。


 昴君と体を寄せ会うのは、私にとっては割れれば泣き叫んでしまいそうな風船の中のその空気を抜く行為と同義だ。


「……大丈夫か? 光」

「だ、大丈夫だよ昴君!」

「……俺はお前に甘えてばっかりだからな。たまには甘えても良いんだぞ?」

「何言ってるの! 私だって良く甘えてるよ! ご飯作ってくれるし、掃除もしてくれし、寝癖も直してくれるし、欲しい物も集めてくれるし、お風呂もいれてくれるし、寝かしつけてもくれるし、起こしてくれるし……あれ? 私、私生活でなにもしてない!?」

「お、気付いたか。いつの間にか俺に依存しきっていることになヘッヘッヘ!」

「こ、今度は私がご飯作るから!」

「……それは、その、あー、そうだな」


 昴君は何やら言葉を選んでいるように声を出した。それもそうだ。何故なら私の手作り料理はとんでもなく出来が悪い。そして何より包丁と言う凶器のせいで私の指が切れかけたことがある。その恐怖がまだ残っている。


「……あれだ。脱いだ服をその辺に散らかさずにしてくれるだけで良いから」

「……はい。分かりました……」


 ま、まずい……。このまま私が自堕落な生活をすれば……昴君に愛想をつかれて家出される……!! 早くなんとかしなければ……!!


「いや、それより早くここから出ないといけないだろ。何で私生活の話になってるんだ」

「あ、確かに。忘れてた」


 早く出なくては私生活にも戻れない。何か方法を考えなくては。


 歩けば歩く程、時間が経てば経つ程私の中に焦りと不安と恐怖が溢れ出した。空は逢魔時から変わっていない。


「……いや、でも……じゃあ……ううん、違う……」

「大丈夫か? 光?」

「……焦ってる」

「……そうか」


 こんな状況ならむしろ黒恵やミューレンのほうが詳しいだろう。だが、私達はその二人を探しに歩いていた。今はどうしようも出来ない。


 ここから出る方法は分からずとも、ここは何処か分かれば自ずと脱出方法も分かるかもしれない。

 まず私達は歩いた。つまりここは極楽下温泉街から歩いてこれる距離だ。逢魔時になるまで歩いたなら数十㎞……いや、あり得ない。


 昴君なら分かるけど私の足が疲れていない訳がない。この前提から、つまりここは極楽下温泉街の中だ。


 そしてここの空は逢魔時。逢魔時の風情を描いた物に鳥山石燕(とりやませきえん)作の今昔画図続(こんじゃくがずぞく)百鬼(ひゃっき)には実体化する妖怪の姿が描かれてる。つまりここは……。


「……妖怪の街」

「妖怪? ……そう言えば弓絃齋さんがそんなことを言ってたな」

「私の予想だと、ここは逢魔時で止まっている世界。だから妖怪……と言うか魑魅魍魎がずっと姿を現せる、けどまだ万全じゃない状態でね。逢魔時はその時間から本領発揮出来るって言う時間だと思うから」

「……まるで監獄だな」

「けど、そうしないといけない理由があった。じゃないと契りなんて交わさないよ」

「その契りは今はどうでも良い。ここがそんなに危険なら尚更早く脱出しないと……!」

「……うん……」


 まだだ。まだ何か足りない。


 ……そうだ。ここは極楽下温泉街の中と言う前提が存在している。私はその前提の証明を私が疲れていないからとした。この前提なら、この世界は私達の世界と繋がっていることになる。


 二柱の神様が街の中に妖怪の隔離世界を? 妖怪から人間を護るならそんなことはしない。こんな世界を作れるなら、近くにあるあまり人が出歩かない山の中と地続きにすれば良い。確かにそこまでの力はなかったのかもしれないけど、もしそうじゃなかったら……。


「……山も危険……」


 すると、私は足元にある大きな丸い物を蹴飛ばしてしまった。思考を回しすぎて足元を気にしていなかった。


 私はその丸い物を見た。


 人の頭だ。短く切った黒い髪をした女性の頭。恐らくまだ20代程の女性の頭に私は一歩後退りした。


「うわぁ!? びっくりした!!」

「……なぁこれ」


 そう言いながら昴君はその頭を触った。


「ちょ、ちょっと昴君!? 事件性がありそうだからあんまり触ると鑑識の人に……!」

「いや、生きてるぞ」

「うぇぇ!?」

「ほら、頭に血も流れてるし、寝息も聞こえる。寝てるだけだ」

「た、確かに首から出血してないし顔も青くないし……」


 昴はその頭の目蓋をめくり、目を見た。ぐるぐると活発に動いていた。


「……レム睡眠だな」

「えぇ……こんな地面で……」

「おい、起きろ」


 昴君はその頭を揺さぶった。目をしぼませただけで起きる気配がない。辺りを見渡すと、少し向こうに恐らくこの女性の体があった。


「……昴君、ちょっとあの女性の体をかいぼ……良識的で人道的な研究をしてきます!」

「じゃあ後ろを向いておく」

「確かに。じゃあお願い」


 目の前に倒れるように寝ていた女性の体には、現代的な服を着ていた。迷彩柄のパーカーに、白いジーンズを剥がした。


「おい、早く起きろ」

「んー……むにゃむにゃ…………人間がいっぱいだよ……むにゃむにゃ…………」

「……起きないとまずいぞ。光はああなったらとんでもないことしでかすぞ」


 すると、昴が持ち上げていた頭が突然目を見開いた。


「……あ、どうもだよ……?」

「やっと起きたか。……俺は悪くないからな」

「へ?」


 すると、その頭は突然くすぐられたように笑い始めた。


「ひゃひゃひゃひゃ! ちょっ、あひひぃ!? だ、誰かが僕のあひゃあううん!!」

「……俺のせいじゃないぞ」


 涙目になりながらその頭は長時間笑い転げていた。


「はっ、はあぁ……。もうお嫁にいけないんだよ……」

「そこはまぁ大丈夫だろ。光が何をしたのかは分からないが」

「僕の体をまさぐったんだよ……うぅ……」

「……光、もう少しその……な?」


 私はその昴君の言葉を聞きながら、文句を言うように唇を尖らせた。


「あくまで良識的で人道的なことしかやってないよ!」

「嘘つきだよ! この女の子は嘘つきだよ!」

「昴君の前で嘘なんてつくわけないでしょ! 解剖よりは良識的で人道的な物だったし!」

「解剖が基準なのはおかしいんだよ!」


 昴君に持ち上げられながらその頭は叫んでいた。やがて、この女性の体が立ち上がった。


「ひどい目にあったんだよ……。……今更だけど、誰なんだな?」


 女性の体は私から隠れるように昴君の後ろに周り、頭はふわふわと浮かび昴君の頭の上に乗った。少し馴れ馴れしいなと思ってしまった。


「私は立花光、そしてその人が()()()()の五常昴君」

「あれ? お前男だったんだな?」


 昴君は上に乗っている頭に向けて喋り始めた。


「変な語尾だな」

「バカにされたんだよー!!」

「まぁ男性だ」

「二人ともひどいんだよー!!」

「……さぁ光。早くここから出よう」


 昴君は私の背を押しながら前に進ませた。それに着いてくるようにその女性は頭を浮かばせながら体を動かしていた。


「ねーえー。僕の名前を知りたいんだよなー?」

「あ、そう言えば聞いてなかったね。何て言うの?」

「ほーらー。美味しそうな匂いをしている旦那も気になるんだよなー?」


 昴君は一回ため息をついた。


「ソウダナーキニナルナー」

「じゃあ教えてあげるんだよ! 首藤飛寧(すどうあすね)なんだよ!」

「思ったより日本人の名前だった」

「人間じゃなくて()()()なんだよ」

「光、抜け首ってなんだ?」


 私は知っている知識を口に出した。


「簡単に言うとろくろ首の原型とされてる首が飛ぶ妖怪だよ。中国だと飛頭蛮(ひとうばん)とか呼ばれてるね。ペルーにはウミタ、チリにはチョンチョンって言う似た妖怪もいるよ。あれ? でも抜け首は首しか動けないはずだけど?」

「僕は少し違うんだよ。他の皆は夜で首しか動けないけど、僕は人間との子供らしいから朝でも首が飛ばせるし体も動かせるんだよ。でも皆みたいに大きな力がないんだよ」

「そうなんだ……」


 妖怪と人間は子供をつくれるんだ……。つまり妖怪と人間は遺伝子が近い? ホモ・ネアンデルターレンシスとかホモ・エレクトゥスとかみたいに近いのかな。


 遺伝子的には同じホモ・サピエンス・サピエンスだけど、超常的な力で首が飛んでいるだけ?


「うーん……分からない」


 私は精一杯思考を回していた。未だに飛寧は昴君の頭の上でポンポンと跳ねていた。


「昴の旦那」

「何だその呼び方」

「昴の旦那は昴の旦那だからだよ」

「じゃあ光は何だよ」

「……光の嬢?」

「……何だその呼び方」

「昴の旦那。美味しそうなんだよ」

「何がだ?」

「昴の旦那がだよ」


 昴君は頭の上に乗っている飛寧の頭をわしづかみ、向こうに投げ飛ばした。恐らく最高時速200㎞は出ていたと思う。比喩表現ではなくそう見えたからだ。


 飛寧の頭は空中で止まった。


「何するんだよ!」

「じゃあ俺が飛寧を食べるって言ったら逃げないのか」

「食的な意味なんだな?」

「食的な意味」

「……じゃあ逃げるんだよ」


 私達はまた歩き始めた。相変わらず飛寧は昴君の頭の上でポンポンと跳ねていた。


「……ねぇ飛寧、ここから出る方法はあるの?」

「あるんだよ。ずっとずっと向こうの鳥居をくぐれば出られるんだよ」

「鳥居?」

「そうなんだよ。道祖神(どうそじん)としての力も持ってる經津櫻境(ふつさくらきゃうの)(みこと)がたまに出て良いって言ってたからそんなのがあるんだよ」


 また聞いたことのない神の名前が出てきた。經津櫻境尊の經津は經津主神(ふつぬしのかみ)からかな? それとも逆?


「その場所を教えてくれない?」

「んー……昴の旦那の血でも良いからくれたら考えてあげるんだよ」


 昴君は嫌そうな顔をしていたが、ため息を一回ついた。


「……分かった。教えてくれ」

「約束だよ! ここを寄り道せずにずっと真っ直ぐ進めば良いんだよ!」

「……成程。ありがとうな」


 すると、昴君は私の膝と腰に手を回し、いわゆるお姫様抱っこをした。そのまま飛寧の頭と体を置いて勢い良く走り出した。


「ごめんな飛寧! こっちは急いでるんだ!!」

「大丈夫かな……」

「大丈夫だろ。追い付いたら俺が食われるだけだ。念のためもう少し速くするぞ。しっかり掴まってくれ」

「う、うん!」


 私は昴君の首に腕を回した。すると、更に昴君は速度を上げた。何度も助けられ、その度に私は昴君に抱えられる。この圧倒的な速度の風も慣れたが、あまりぴょんぴょん跳ねるのだけは止めて欲しい。


 昴君は圧倒的な脚力で高く跳躍した。建物の壁を蹴り、向かいの建物の天井に着地し、その上を走った。


「またそんな無茶してー!」

「ごめんな! ちょっとアクロバティックに動きすぎたな!」


 すると、突然昴君の足元から一つの房のような物から、無数の真っ白な腕が伸びてきた。昴君はどうでも良いように腕を踏みつけ更に高く跳躍した。


 体を回しながら地面に着地したが、私の三半規管は昴君のように鍛えられていない。当たり前のように目を回していた。


「頭がくらくらするよー……」

「善処する!」


 ある程度走っていると、昴君は私の顔色が悪くなっているのに気付いたのか足を止めた。


「大丈夫……ではなさそうだな。ごめん」

「三半規管が……」

「……まぁここまで走ったら追いかけて来れないだろ」

「そ、そうだね……。頭がくらくらして気持ち悪い……」


 私は昴君の腕から降りた。昴君は私の横を歩きながら辺りを警戒していた。


「……変だな」

「どうしたの?」

「こっちを見てる奴がいない。妖怪の街なら見境なく襲ってきても良いように感じるが……」

「うーん……もっと強い何かがいるからとか? なんて……。……まさかね?」

「ハハ……まさか……」

「……こう言うのってさ、フラグって言うよね」

「……いやいや、まさかまさか」


 私は最初に出会ったのが飛寧だったから、そして昴君の強さに信頼していたからか、何処かで大丈夫だと思っていたのかもしれない。


 辺りは不自然な程静まり返っていた。夕焼けが不気味な程に私達を照らしていた。


 前へ進めば進む程、目の前にある空間は真っ赤な色しか見えない。それ以外の色は全て眩しい赤に染め直されている。


 歩いていると、いつの間にか私が昴君を追い越していた。少し珍しいとも思い、後ろを振り向いた。


「どうしたの昴君?」


 一瞬だけ、しゃがんでいたように見えた。


 昴君は下をうつむき小さく呻いていた。すると、こちらにゆっくりと向くと、何処か違和感を感じながら顔を見せた。


「……あぁ。大丈夫だ」

「そう? 何だか変だよ? 疲れたのかな?」

「そうかもな……」


 そう言って昴君は笑った。


 様子がおかしい。何がおかしいのかは上手く説明が出来ないが、何かがおかしい。


「適度に休みながら進もうか」

「あぁ」


 やはり何かがおかしい。理論ではなく本能で彼に異変が起こっていると訴えかけている。考えれば分かるはず。


「それより光。少し寄り道をしないか?」

「何で?」

「何でって……そうだな……あっちから誰かが歩いてきてるからだ」

「成程……」


 おかしい。絶対におかしい。絶対に絶対におかしい。昴君はこんなに遠回しに言うだろうか? 最初に誰かが歩いてきてるからって言うのが何時もの昴君だ。


「……どうした? 来ないのか?」


 私の前に立ちながら昴君はそう言った。


 ここで、私は確信した。


「……誰」

「……昴だよ。お前が大好きな」

「……昴君は、私の横か後ろで歩くの。私を護るために。自分から前には絶対に歩かない」

「……」

「貴方は……誰」

「……そうか」


 私の背に百足が登るような不快感に襲われた。彼は昴君じゃない。


 じゃあ本物の昴君は……?


 光は頭が良かった。故に誰よりも早く真実にたどり着く。故に一番可能性が高い物を考えてしまった。


 昴君の姿をしたあれはまるで蛹から蝶に羽化するように体を突き破り、()が現れた。闇は複数の人の形に変わり、それは霧のように特定の形を作れずに揺らめいていた。


 目は鈍色に光り、私だけを見ていた。その他の物は見えてもおらず生きている者達を見つめ、羨み、妬んでいた。


 私は咄嗟に走り出した。


 光は頭が良かった。いつもは昴と言う絶対的な強者がいるが、その昴が何故側にいないのか。その謎の一番可能性が高い答えは、死亡。


「あっ……ぅ……!! すぅっ…………!!」


 光は泣いていた。あくまでも可能性ではある。だが、光は昴だけが心の根幹であり、支えなのだ。その彼が死んでしまったなんて可能性も決して考えたくはないのだ。


 昴君……! 昴君……!! 嫌だ……!!


 何度も何度も最悪の可能性を反芻する。もうまともな思考も出来ない。窮地に陥った時は昴君と一緒にいるために私は必死に頭を回す。だが、ここには昴君はいない。一緒にいたい昴君はここにはいない。暖かい昴君はここにはいない。大好きな昴君はここにはいない。


 孤独の穴が私の心に開いている。駄目だ。


「……何処に行ったの……」


 近くの建物に入り、私は泣いていた。


 何も聞こえない。何もない。そこに写っているのは赤い景色だけ。そこに彼はいない。


 木造の建築、赤い景色、そして闇。


 私は建物を飛び出た。


 逃げるしか出来ない。私は何も出来ない。自分で自分の身を守る力も知恵も今の私には何もない。


 闇は私の腕を掴んだ。だがその力は赤子よりも小さく弱く、簡単に振り払うことが出来た。


 だが、その数が問題だった。私の体を引っ張る手は後ろから何本もある。一つ一つは簡単に振り払えるが、手を引っ張り髪を引っ張り首を引っ張りと、私の体力を消耗していた。


 後ろは振り向けない。支えを失ってしまった土台がこれ以上不安定になれば、私の心は壊れてしまう。


 私は夕焼けを走った。それが今の私に出来る唯一の抵抗だからだ。今の私が心を落ち着ける、唯一の方法だからだ。


 走れば彼がいるはずなんだ。走れば彼を見つけられるはずなんだ。走れば彼が追いかけてくれるはずなんだ。きっと何処かで、また私を助けてくれるはずなんだ。


 何で、何処にもいないの。


 彼はいない。何処にも。


 分からない。


 何で。


 嫌だ。


 嘘。


 違う。


 何が?


 いなかった。


 違う。


 いなかった。


 違う。


 何処にもいなかった。


「違う違う違う違う!! 昴君は……昴君は……!!」


 光は頭が良かった。誰よりも何よりも。だからこそ彼女は目の前の残酷な現状を、不条理な今を理解していた。だが、その焦りと不安の原因はあくまでも可能性の一つという論理的で冷静な判断が出来なかった。彼女はその焦りと不安という感情を消し去ることが出来ない程昴に依存していた。


 何処まで走ったのだろう。記憶も定かではない。疲労も忘れる程走っていた。


 建物と建物の間、その小さな隙間に入った。もはや暗闇その物なその空間を進んでいた。


 暗闇は生物の根源的な恐怖である。正しく言えば先の見えない、一抹の光さえも通らない、正体不明の物に生物は恐怖する。それは頭の良い光でも例外ではない。


 正体不明の敵対存在が追いかけてくる状況で、先の見えない道をたった一人で進むのは、心の根幹を失った彼女にとっては今にも泣き出しそうに成程だった。


 奥に進むと、鉄の錆びた匂いが漂ってきた。私はまた最悪の可能性を導き出してしまった。


 赤い液体が流れている。その液体から鉄の錆びた匂いが漂っている。


 吐き気がする。それが、匂いからなのか、不安からなのか、恐怖からなのか、私には分からない。もしくはその全てかも分からない。


 全てなのだとしたら、私はこの先に行かなくてはならない。


 赤い液体を辿った。匂いは更に濃くなっていく。これ以上進むのを本能が拒絶している。見れば必ず私は壊れてしまう。見なければ、私は分からなくなってしまう。


 先に進んだ。


 奥だけは赤い夕暮れが差し込んでいた。赤い光に強調され、その姿は現れた。


 そこにいたのは、昴君だった。


 顎は何かによって千切られており、その顎が昴君の足元に転がっていた。左目は向こう側が見える程貫かれており、見える胸には木で出来た杭が突き刺さっていた。


 その姿だけで、私は感情を口から吐き出した。


 胃から、昼食に食べた昴君が作ってくれたお弁当のからあげだと思う物が吐き出された。黄色い胃液に塗れたそれは、気持ちの悪い異臭を放っていた。


 私は、彼に近付いた。覚束ない足でゆっくりと、ゆっくりと。


「……良かった……昴君じゃない」


 突然、うつむいていた顔がこちらを向いた。目が大きく開き、その瞳は鈍色だった。顎が失くなっているにも関わらず、その顔は何処か笑っていた。


 にたにたと、笑っていた。


「……やっぱり違うや。昴君は……もっと優しい笑顔だもん」


 昴君の形をした何かは、額にあるもう一つの鈍色の目を隠していた瞼を開けた。


 その鈍色の目が私を睨みつけると、記憶が遡っていった。


 突然沸き上がる、私の過去の記憶――。


「――お母さん! 見て見て!」


 幼い私はお母さんにノートにびっしりと書かれた数式の羅列を見せた。


「これはバーチ・スウィンナートン-ダイアー予想って言ってね!」

「あー光、いい? そんなお金にならないことはやらないでって何度も言っているでしょ? そんなことよりお母さんは新しい発明品が見たいのよ」

「……はい」


 私はお母さんの言う通りにしていた。恐らく幼い私は母性愛を誰よりも求めていたのだろう。喜ばれるように、言われた通りにしていた。


 変わるきっかけになったのは中国地方の地震の影響によるインフラの崩壊。電力を五歳の私が設計した核融合炉で賄った後だ。


 その前の私は自分の知恵を人類に使っていた。だが、間違いだった。


 核融合炉は今の人類の技術力を遥かに越えていた。エネルギー効率が良すぎる。同じ量の燃料でも発電量が三倍は違う。


 私が更に知識を蓄え、同じように私の技術力で発展させると、人類はおよそ数百年、下手すれば数千年単くらいであらゆる物が停滞する。それは避けなければいけない。


「早く! 答えなさい! あの部品の整備の仕方を!!」

「……やだ……!!」

「何でよ! 昔はもっと聞き分けが良かったでしょ!?」


 自分の懐にあるお金がなくなることを危惧したのだろう。


 苛立ちの表情に、もはや私に向けての愛情などなくただの奴隷のように勘違いした哀れな女性。それが私の母親だった。


 向けられた拳は私の顔に当たった。


 片寄り始めた食生活に、まともに寝ることも出来ず、体調不良に耳を傾けることもしなかった。


 死にかけた、中学一年生の春、私は子供が産めなくなった。


 私なら子宮を治すことも出来るだろう。だが、母親の血を受け継がせたくなかった。何故そう思ったのかは分からない。あんな母親の子供である私が嫌いなのかもしれない。


「よぉ、光の嬢ちゃん。今から嬢ちゃんは俺達に護られるわけだが、母ちゃん……は最悪だったな。じゃあ父ちゃんに挨拶でも……」

「死にました。私が産まれた日の次に」

「……おい嗣音。そう言うのは早く言ってくれ」


 私は私が嫌いだ。あんな母親の血が流れているからじゃない。


 今、私を見て哭いている彼に最後の言葉を残そうとしている。そんな言葉を残せば、彼を一生呪ってしまう。


 血塗れの彼は、私を抱き寄せた。


「……大好きだよ……昴君」


 彼は哭いている。


 私はずるい子だ。最後に彼にこんな言葉をかけるなんて。私は私が嫌いだ。


「ずっと一緒に……な……? やめてくれ……頼むから……」


「……嬉しいや――」


 ――光は哭いていた。喚くわけでもなく静かに。何かをする気力もないのか抵抗もなかった。


 闇は光の周りを囲んだ。光の体を揺らめいている手で握りしめ力を込めた。骨が折れそうになったとしても光は生きる気力を失くしていた。


 すると、一発の銃声が響いた。


 私の体は誰かに抱き抱えられた。この暖かみは知っている。大好きで大好きで仕方がない、彼の暖かみだ。


「生きてるな光!」


 私は泣いたままだった。彼の胸で、泣いていた。


 彼が何かを叫んでいる。分からない。何も分からない。彼の優しさも、彼の後悔も、私は分かっているはずなのに。


 光は気を失ってしまった。不安からか、恐怖からか、もしくは愛している彼の暖かさに安堵したのかは分からない。


「光!? おい!? 大丈夫か!?」


 くっそ……!! 俺があの黒い奴に拐われたばっかりに……!!


 闇は走る昴に群がった。光を狙っているだけではなく、生きる者全てに対しての殺意だけがあった。


「邪魔だ!」


 昴は両手を光を抱えるために使いながらも、その脚力で闇を蹴散らしていた。


 あの闇の鈍色の目に見られると、自分にとってトラウマの記憶が蘇る。何故昴が無事なのかは、闇にも種類があることが一つ、そして昴の中にある強大な力で護られているからである。


 昴の力は外に発することは出来ないが、外から中に向けられた敵意のある力は、昴の強大な力で押さえ込まれ無効化させれていた。昴はその事を知らない。知ることが出来ないのだ。


「邪魔だって言ってるだろ!!」


 闇は路地から何体も溢れだした。昴は闇に対する恐怖はない。だが、今、ここで光を失うかもしれないと言う恐怖はある。


 胸にいる光は自分が護るしかない。そう思っていた。


 昴は命の危機を感じた。目の前には、影から出てきた闇が佇んでいた。


 夕焼けの赤い色が闇の黒い体をまるで血のように染まらせ、その巨体は人の形をしていなかった。


 背からは五対の腕が生えており、それぞれに剣のような物を持っていた。


 頭から腹には、縦に口のような物が開いていた。白い息のような物を腹から吐き出していたが、その白い息は夕焼けに染まり赤く見えた。


 頭には無数にこちらを見つめる鈍色の目があった。数を数えることも忌避する程おぞましい。


 超常的に、そしておぞましいその巨体に昴は恐怖した。


 夕焼けが昴を何処までも馬鹿にした。助けられるのなら、お前ごときにそれが出来るのなら、やってみろと。


 自分を犠牲にすれば光を生き延びさせる方法は思い付いている。だが、それは光にとって幸せになる方法ではない。昴は生き延びるしかないのだ。


「邪魔だ!! 化け物が!!」


 一つの腕で剣を握り、昴に振るった。だが昴はその剣を蹴りで砕いた。すると残りの九本の腕に握っている剣を一斉に昴に振るった。


 昴は光を抱えながら姿勢を低くし、その巨体の足を潜り抜け向こうに走った。


 すると、昴の足を何かが掴んだ。昴の体は思い切り持ち上げられ、投げ飛ばされた。昴は空中で体を回し、胸にいる光を傷付けないように背を地面に向けた。


 地面に背中から着地し、走り出そうとしたが、左足に激痛が走った。


「っは……!? 嘘だろ……!? 折れてやがる……!!」


 五感が卓越している昴はそのことにすぐ気付いた。無理矢理走ることも出来なくはないが、光を抱えながらだとすぐに足が駄目になる。


 昴は後ろからこちらに向かう気配をすぐに感じ取った。昴はまだ動く足を使い左に飛んだが、右腕を巨体の腕に掴まれた。


 咄嗟に光を手放した。それは昴にとって正しい判断だった。


 昴の体は何度も何度も地面に叩き付けられた。昴は悲鳴も出さなかった。いや、出すことが出来なかった。


 昴の右腕があの巨体の握力で折れても、地面に叩き付けられ肩の骨が外れても、顔にいくつ物傷がつき血を流していても、肋が折れ肺に刺さり呼吸が出来ずらくなっても悲鳴を出さなかった。


 いや、出せなかった。確かに痛い、そして呼吸がしにくくても、悲鳴が出せなかった。


 腕を引っ張られ、その巨体は鈍色の目で昴を覗いた。昴はうつむいていた。


 巨体の腕は昴の右腕とその肩を掴み、無理矢理引き千切った。


 突然昴の腰が動き、昴の折れていない踵が巨体の胴体に当たり、10m程吹き飛んだ。


 昴は左腕と右足を使い、地面に横たわっている光に這いよった。


 昴は光を守るように、腕と足で光を囲い、上に背中を向けた。


「光……大丈夫だ…………きっと……」


 昴は口から血を吐き出しながらそう呟いた。


 昴の胴体を剣が貫いた。胴体にある内蔵も貫かれていた。血は抜け、気を失いかけたが、昴はたった一人のためにそんなことは許されるはずがなかった。


 今、下にいる光を傷付けないように胴体の筋肉を固め、剣がそれ以上貫かないように止めた。


 ……光、生きてる……な。……良かった……お前が生きてれば……俺もきっと…………生きて……いれるから…………。


 何本も何本も剣を突き刺された。どれだけ突き刺されても昴は悲鳴を出せなかった。


 九つの剣は昴の胴体を貫いた。当たりに撒き散らされた血は夕焼けのせいで見えなかった。痛く、甚く、辛く、苦しく、やはり痛い。


 ……光……。


 運命など存在しない。あるのは目をつむりたくなる程の浮世だけ。足掻き続け抗い続けたところで力のない者は淘汰される。


 生きたいのなら強くあれ。

 護りたいのなら全てを恨め。

 彼女以外の全てを憎め。

 それを望まぬ彼は、力だけで強くなる。


 思いやりも正義も礼儀も叡知も信用も彼女のために軒並み捨てろ。


 昴の何かが変わった。それは中から溢れ出す黒い力が原因だった。


 昴は左腕と右足で剣が突き刺さりながらも立ち上がった。


「……光……は…………。…………あぁ……。俺は…………誰だ……」


 昴の黒い両の目は美しい銀の目に変わっていた。昴の根本的な何かが変わっていた。


 それは呪いだ。黒く淀んた呪いだ。


 中にある強大な力は、光を守ると言う、たった一つの目的のために溢れだした。


 神をも殺す大きな力は昴の罪だ。その罪を許し、そしてそれさえも愛した光を、護るために。


「あ…………ぁ……思い出した……。私は………………いや……違う…………。……僕、違う……。俺は……昴だ。……思い出した……」


 あの巨体は昴に向けて恐怖を抱いた。人間を越えた力を有した存在にも関わらず恐怖していた。何故なら、今、目の前にいるのは人間を越えた力を持つ生き霊も、怨霊も、妖怪も、魔物も、魑魅魍魎も、神をも越えた力を持つ人間以下の獣であるからだ。


 やがて昴はゆっくりと歩き出した。


「お前は……光を殺そうと…………した。……そして……何だったかな…………忘れてしまった……」


 巨体は昴に襲いかかった。


 夕焼けは赤かった。


 恐ろしい程赤かった。


 血のように赤かった。


 獣が蔓延る夕焼けは赤かった。


 何処までも赤かった。


 何かが赤かった。


 何もが赤かった。


 何かを赤かった。


 何かは赤かった。


 何かしらが赤かった。


 何よりも赤かった。


 何が赤かった。


 何しろ赤かった。


 何せ赤かった。


 赤かった。


 赤かった。


 赤かった。


 赤かった。


「……まずい」


 巨体はただの肉の塊になった。昴はその肉を食らっていた。赤い景色は夕焼けのせいだ。きっと、恐らく。

 肉の塊は粘土をこねた物のように歪み、昴に刺さっていた九本の剣は肉の塊に突き刺さっていた。

 腕は全て力任せに引き千切られており、やはりその腕も歪んでおり、間接が何十個にも増えていた。

 腹にある歪んだ口には黒い液体で満たしていた。黒い液体は口から溢れると、蒸気となって空に消えた。

 頭にある無数の目は全てくりぬかれており、落ちていた。落ちていた無数の目は裁縫されているように一つの塊となっていた。


 昴は光を抱き締めた。銀の目は黒い目に戻っていた。


 近くの建物に体を預けた。


 神を信じない昴が薄れ行く意識の中でこの時だけは祈っていた。


「……お願いします…………光を…………。この子は……何も罪を犯していません……だから…………」


 昴は自身の生存を諦めていた。


 肺に血が溜まり呼吸する度にごろごろと鳴っていた。


 左足は完全に折れており、もう歩くことも出来ない。


 右腕を失い出血が止まらない。


 胴体には九つの刺し傷があり、それぞれから血が止まることなく流れ続けた。


 ……あぁ…………死ぬ……。意識が遠退く…………。……まぁ……光を助けて死ねるなら……それでも良いか……。こんな俺の……最後なら上々だろ……。…………光は泣くだろうな……。……死にたくないな…………。最後くらい…………。


 すると、昴の体に大きな影が落ちた。昴は見上げると、そこには女性がいた。


 身長は2mを優に越えており、顔は麦わら帽子を深く被っており良く見えない。少し汚れたワンピースから、何処か子供のような印象を受けた。夏休みで外ではしゃぎ回った後の汚れ具合だ。


 しゃがみながらこちらを見ていた。


「……ぽぽ」

「……ぽぽ……?」

「ぽぽぽ。ぽぽ」

「……?」

「ぽぽぽ」

「……日本語で喋ってくれ…………」

「……だい……だいじょうぶ……?」


 まるで少女のような声でそう言った。あまり喋るのに慣れていないのか、つたない喋り方だ。


「……もうお前でも良い……。こいつを……元の世界に返してくれないか…………」

「ぽぽ。ぽぽぽぽ」

「……駄目だ。……会話が出来てない…………」


 あ、ヤバい……。意識が遠退く……――。


 ――私は目を覚ました。すぐに昴君を探した。私の横で眠っていた。


「……良かった……」


 私は傷一つない昴君を見て安心した。


 和室のような部屋の畳の上に私達は寝かせられていた。昴君がここまで運んできてくれたのかは分からないが、私を助けてくれたのは彼なのだろう。


「ありがとう。昴君」


 すると、この和室と他の部屋を分ける襖が開いた。


 そこに立っていたのは、狐のお面で目元を隠している女性だった。髪は白く何処か神々しい。白い小袖と白い袴を着ており、全身白い。とにかく白い。そして腰には刀を帯刀していた。


 右手にはお盆を持っており、そのお盆にはお猪口が二つあり、左手には瓢箪を持っていた。


「おや、起きましたか」


 お盆と瓢箪を畳に置き、正座をしながらこちらを向いた。


「あ、はい! ありがとうございます!」

「状況判断が速いですね。流石です」


 何だかこの人と話すとふわふわする。


「昴さんはまだ起きていないようですね。仕方ないですね。貴方を守るためにあそこまで傷だらけで生きていたほうが奇跡です」

「傷? 何処にもそんな外傷は……」

「……その前に付いた傷跡は治ることはないです。貴方なら治すことは出来そうですね。それをやらないのは……あまり聞かないほうが良さそうです」

「……ありがとうございます」


 すると、突然昴君が目覚めた。首を回し、辺りを見渡し私を見つけると、突然涙を流した。


「えぇぇ!! どどどうしたの!?」

「良かった……!!」

「え、あ、うん!! 良かったね!!」


 私は困惑しながらも昴君を抱き締めた。昴君の震えから不安や恐怖を感じていることが伝わった。


 うん。本物だ。とっても弱くて、甘えん坊で、泣き虫だ。本物だ。


 やがて泣き止むと、昴君は自分の体を見た。


「え、えぇ!?」


 昴君はそんなすっとんきょうな声を出した。


 そして突然その場でバク転を二回程して、高く飛び上がり天井や柱を使い跳ね回った。


 右手を軸に体を何度も回し、右腕の小指だけで逆さになった体を支えた。


「右腕も左足も肋も傷も治ってる! 怖っ!!」


 すると、狐のお面を被っていた女性を見つけ、理解したのかお礼を言った。


「ありがとうございます!」

「お礼が速いですね。流石です」

「ついでにどうやったかは聞いても?」

「何故そんなことを?」

「いやー……そのー……ほら、失くなった腕が治ればいくらでも犠牲に出来ると言うか」

「……私は知りませんよ。貴方を治したのは□□□□……恥ずかしがり屋のあの人です」

「誰ですか」

「……どうせ聞こえないですよ」

「成程……?」


 昴君はそれ以上何も聞こうとしなかった。恩人だからなのかは分からないが、それ以上聞くことはなかった。


「お礼を言うのは私だけではないですよ」


 そう言って夕焼けで赤く染まる襖を指差した。そこには人の影が写っていたが、何処かおかしい。


 背が高すぎる。襖の大きさから考えると、恐らく身長は240cm程。数cm程の誤差はあるかもしれないが、その影が右往左往していた。


 不気味な感覚は私の心を蝕んだ。忘れていた。ここは妖怪が跋扈している。目の前にいる人も味方とは限らないのだ。


 だが、昴君は気にせずにその襖に手をかけた。


「ちょっ、ちょっと昴君!?」

「多分大丈夫だ」


 襖の奥には女性がいた。白く薄汚れたワンピースを着ており、麦わら帽子を被っていた。


 昴君の顔を見ると、久しぶりに父親に会った少女のように飛び付いた。昴君は予想外の行動に、その巨体に押し倒された。


「ぽぽぽ。ぽぽ、ぽぽぽぽ」

「本当に何を言ってるんだ……」

「ぽぽ? ぽぽぽぽぽぽぽ。ぽ」

「……分からない」

「ぽぽぽぽ」


 昴君は「ぽぽぽ」としか話さない女性の巨体から這い出た。


「それで、こいつは何なんだ。分からないか光?」

「さぁ……?」

「……まぁここにいるってことはこいつも妖怪なんだろ」

「にしては大分現代的な……」

「それは飛寧もそうだろ?」

「確かに」


 すると、狐のお面を被った女性が声を出した。


「最近入った子ですよ。可愛いですよね」


 私は畳に寝転んでいた女性の長い髪を掻き分け、麦わら帽子を少しずらすと、確かに可愛らしい顔が見えた。


「その子が貴方達をここまで運んだんですよ」

「そうなの? ありがとうね」


 背の高い女性は少しだけ微笑んだ。どうやら言葉は喋れないが理解は出来ているらしい。


「喋れるの?」

「ぽぽ」

「……否定か肯定かも分からない……」

「ぽぽぽ」


 すると、昴君が口を開いた。


「確か喋れるだろ?」

「ぽぽ」

「……肯定なのか?」

「……こ、こう……てい」


 少年のような声でそう呟いていた。背の高さと反比例している幼さを感じた。


「喋れるが喋りにくいか?」


 女性は頷いた。


「だそうだ。光」

「伝えるって言う言語能力が低いのかな」

「もしかしたら『ぽぽぽ』が一種の言語として確立してるのかもな」

「だとすると何度も聞くといつか分かるかな」


 すると、狐のお面を被った女性はお盆に置いていたお猪口をこちらに差し出した。


「どうぞ、こちらをお飲みください」


 差し出されたお猪口には、透明な液体で満たされていた。昴君はその液体の匂いを嗅いだ。


「……酒だな」

「お酒?」

「毒はない。まぁ酒が毒と言われたら何も言えないが」


 私は狐のお面を被った女性の言われた通りにそのお酒を喉に通した。


 私の体に少しだけ温かい物が通った。ふくよかな味わいの中には、米の旨味やコクが良く出ている。とても美味しい醇酒と呼ばれる日本酒だ。


「美味しい」

「それは良かった。さ、昴さんも」


 昴君は飲もうとしなかった。


「すみません。下戸なんです」

「でしたら水で薄めましょう」


 お猪口の中の日本酒を瓢箪から出てくる水で薄めた。まるで最初から知っているかのように用意が良いなと思った。


 昴君はその日本酒を飲み干した。


「あっー……! やっぱり酒は苦手だ」

「あんまりいっぱい飲まなくても良いんじゃない?」

「あー……頭痛い……」

「大丈夫?」


 昴君の頭を優しく撫でながら私はそう聞いた。


「よしよし。いたいのいたいのとんでけー」

「やっぱり俺のことを子供か何かだと思ってるだろ……」

「それよりこのお酒は何なんですか?」


 私は狐のお面を被った女性にそう聞いた。


「そうですね……。神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)は知っていますか?」

「はい。鬼が飲めば酔ってしまう毒になり、人が飲めば力を得る薬になるって言う」

「それに似た酒ですね。違いはどんな物でも等しく力を与えるとんでもない代物です。簡単に言うと皆等しくぱわーあっぷじゃぱにーずあるこーるです」

「皆等しくパワーアップジャパニーズアルコール……!!」


 凄く良い名前だ……!!


 光のネーミングセンスは終わっていた。


「……さて、ずっとこの世界にいるわけにもいけませんね」


 そう言いながら狐のお面を被った女性は立ち上がり、私達の背のほうにある襖を開けた。その奥に僅かに歩くと、こちらに手招きをした。


 私達はその狐のお面を被った女性の後を歩いた。


 赤い夕焼けに染められた白い髪と小袖と袴はやはり神々しい。


 静かな静かな空間に響くのは足袋と床が擦れる音だけ。


 やがて木造建築に囲まれた野原に出た。そこで狐のお面を被った女性が四回手を叩いた。


 すると、目の前に鳥居が現れた。


「ここから帰れます。多分恐らくきっと」

「そんな心配になりそうなことを言わないでください!?」

「大丈夫です」

「なら良いんですけど……」


 鳥居は赤いはずだが、無数のお札が貼られておりその鮮やかな赤は見えなかった。


 私と昴君は手を繋ぎながらその鳥居を潜った。


 後ろから声が聞こえた。


「さようなら。昴さん。光さん。運命がなくとも必ず、また出会うことになるでしょう。黒恵さんとミューレンもお願いします」


 昴と光は鳥居を潜り抜け、その場から消えてしまった。神隠しのように消えてしまった。


「……何故来たんですか。()()()


 狐の面を被った女性は後ろに気配を感じていた。それが誰かはまるで霧が籠もったように分からないが、分からないということは詩気御だと理解出来た。


「おや、力まで使ったのに、流石だね」


 狐の面を被った女性の視界には、様々な美を探求した男がいた。


「貴方の目的は何なのですか」

「言っただろう?」


 詩気御は薄ら笑いを貼り付けながら狐の面を被った女性を試すように問いた。


「その目的のために昴さんと黒恵さんを更に強くする理由が見当たらないと言うことです」

「成程……。例えば、()()()が復活し、死滅したきっかけは身近な他人だっただろう? ミューレン君にも光君にもこれが当てはまるのなら関係の深い黒恵君と昴君が変われば……。どうなる?」

「……納得はしました。ですが、あの方が望んだことは安寧と平穏。わざわざ……」

「あの方は不穏も望んだ。それを忘れてしまったか?」


 狐の面を被った女性は考え込んでいた。


「……それが、今ではなくても良いでしょう」

「いいや、今じゃないといけない。聞いていただろう? 不幸と破壊と混乱と混沌を齎す()を対処するには力が必要だ。それが何時来るかは()()()にも分からない。ひょっとしたら知っているかもね」

「……そうですね」

最後まで読んで頂き、有り難う御座います。


ここからは個人的な話になるので、「こんな駄作を書く奴の話なんて聞きたくねぇよケッ!」と言う人は無視して下さい。


温泉シーンが書けていない‼ 書けていないうわァァァ‼ 黒恵とミューレンのイチャイチャが書けていないィィぃ‼ ……はぁ……次こそ……次こそ書いてやる……‼ 次こそ書いてやる……‼

(……今回もどうでも良い設定でも出すか……)


黒恵 身長:171cm

結構高い。と言うか日本人女性にしては凄い高い。


ミューレン 身長:162cm

日本人の二十代の平均身長より高い。


光 身長:159cm

普通。ちょっとだけ平均より高い。


昴 身長:178cm

人権がある。

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