二つ目の記録 運が良いが悪い今日。運が悪いが良い明日 ②
注意※分かりにくい表現、誤字脱字があるかもしれません。そして唐突な戦闘などがあります。「そんな駄作見たくねぇよケッ!」と言う人は見ないでください。
ご了承下さい。
『……白神黒惠……?』
何を言っているのかは分かる。だが、声から性別も年齢も分からない程人間の様には思えない曖昧な声だった。
「ええ、そうね。貴方は誰なの?」
『……ミューレンって知ってる?』
「ええ。私の友達よ」
『その子に頼まれて貴方を守る。対価はもう貰ってる』
「どう言うこと?」
『ミューレンに憑きそうな奴はもう倒した。貴方はまだ狙われている。だから守る。でも一回だけ』
「話が分からないわ」
『対価はもう貰ってる』
「……その対価って?」
『……とても大きな力。とてもとても大きな力。けど大丈夫。でも、いつか元に戻る』
「貴方は一体何者なの?」
『……バイバイ』
目の前が白い光に包まれた。視界は光より明るくなった。やがて視界が夜の闇で暗くなると、トンネルの出口に戻っていた。目の前で起こった出来事に理解を追い付かせると、ミューレンの安否が気になった。
強い力を対価として貰った。この言葉が何だか怖くなった。私はスマホでミューレンに連絡した。長い呼出音が不安を更に掻き立てた。ようやくミューレンと通じた。
「もしもしミューレン!?」
『どうしたのよ……』
眠たそうなあくびと一緒に、ミューレンの可愛い声が聞こえた。
『さっきまで寝てたのよ……?』
「ミューレン大丈夫!? 何かおかしいことは無い!?」
『貴方がこんな時間に電話をかけたこと以外はね』
「ちょっと待って? 今何時?」
『今? えーと……2時17分ね』
「本当に!?」
時間がそんなにたってるの!?
『とにかく何があったの?』
私はミューレンにさっき起こったことを話した。
『うーん……? 私には心当たりが無いわ』
「そうなの? でも……」
『あ、でも心当たりの無い通話記録があるの』
「それはどんなの?」
『貴方が教えてくれたオカルトの電話番号よ。確かその人が持っている一番貴重なものをあげると願いを叶えてくれるって奴よ』
「それよ絶対!!」
今まで忘れていたが、確かにミューレンにそんな電話番号を教えていた――。
「――もしもし、カナエさん。私の貴重なものをあげます。変わりに願いを叶えてください」
『……分かった』
スマホからそんな一言が聞こえた。
「私をいじめる叶恵ちゃんを殺してください」
通話は願いを聞くと、すぐに切れた。
小学生のような女の子は夕焼けに染まった田舎道を歩いていた。コオロギの鳴く声に囲まれながらその女の子は歩いていると、ふと後ろを振り向いたが、そこには夕暮れで赤く染まった空間しかなかった。
何がいる。そんな漠然とした何かに少し怖くなったのか、家に走って帰ろうとした。女の子は恐怖で歯を震わせながら「カチカチ」と言う音を鳴らしていた。
次の日、学校で叶恵ちゃんの席には花が飾られている花瓶があった。先生は悲しそうな顔で叶恵ちゃんが死んだことを朝礼でクラスメイトに伝えていた。私へのいじめを見て見ぬふりをした先生がそんな顔をするのが気持ち悪く感じた。でも、それ以上に愛ちゃんが死んだことが嬉しくて、隠れて笑ってた。
カナエさんの電話番号から電話がきた。お礼を言おうとその通話に出た。
「もしもし! ありがとうございました!!」
『じゃあ貰う』
私の胸がズキズキと痛くなった。胸を触ってみると、美味しい牛肉の様にブニブニとして、ドクンドクンと脈をうっている。触った手を見てみると、真っ赤に染まってた。
『一番貴重な、"命"を貰う』
何が私の体から落ちた。それは、心臓だった。私の胸に手を当てると、そこには穴があり、何も入っていなかった。
取られたのは、心臓だった――。
「――ってやつよ!!」
『でも私は心臓を取られてないわよ? それにもう対価は貰ったって言ってたんでしょ?』
「確かに……でも命より貴重なものって何なのかしら?」
『それは分からないわね……でも、私が今私が生きているのが証拠よ。私には命より貴重なものがあったのよ。それが何かを考えるのはまた後ね』
「そうだわ、その通話記録は何時?」
『2時44分ね』
「お酒のせいでどんなお願いをしたのか覚えてなさそうね」
『黒惠もその通話記録が残ってるの?』
「私はまた違うけど……どんなものだったか忘れたのよ……」
『とにかく狙われているのは確かね』
とにかく思考を回した。そして、一つの仮説を立てた。
「あの化け物って、私達を守ろうとしてるのかしら」
『どう言うこと?』
「私が刃物で刺されそうになった直後にあの化け物が現れて、私をあの公衆電話に連れていった。刺すのを中断した理由にはあの化け物が関係しているし、わざわざ私を守ってくれるって言ったのよ」
『……そう言えば、あの化け物が現れる前に上から嫌な気配がしたの。それに、あの化け物には嫌な気配が全くしなかったわ』
「『ミューレンに憑きそうな奴はもう倒した』って言っているのはそう言うことね。ショッピングモールには別のやつがいて、それからミューレンを守った。私は廃墟から追いかけてきたあの少女から守るために現れたなら説明はつくわ」
『じゃあショッピングモールで貴方の前に現れたのは何でかしら』
「それは……何かいたのよ」
『「でも一回だけ」とも言ってたんでしょ? それでショッピングモールに現れた黒惠を狙う何かを倒したら貴方の前にもう一度現れた理由が説明できないわよ』
「……じゃあ……」
すると、私の背後に風を切る音が聞こえた。咄嗟に右に体を反らすと、左腕に少しだけ切り傷を負った。少しだけ痛みが襲ったが、そんなことはどうでも良い。私の背後には少女が鋭利な刃物を振り下ろしていた。
「ごめんミューレン!! 一旦切るわ!!」
『どうしたの黒――!!』
私はミューレンとの通話を切った。ようやく少女が出てくる条件が分かった。
「私を殺すつもりなのね……!!」
境の向こう、そして、私を傷つけられる距離で現れる。最初は遠くて、次は窓が邪魔して、その次は玄関をすぐに閉めたから、その次は守られたから。ようやく辻褄が合い始めた。だがまだ謎は残っている。
ミューレンの『「でも一回だけ」とも言ってたんでしょ? それでショッピングモールに現れた黒惠を狙う何かを倒したら貴方の前にもう一度現れた理由が説明できないわよ』と言う意見だけが引っ掛かる。
それを考えるのはこの状況では難しい。今は逃げるしかない。やはり少女はすぐに消えた。それでもこの場から逃げ出した。
少女が一瞬だけ現れてすぐに消える理由も倒されるからなら、全部理由がつく。つまりこのまま逃げてもいつか殺されるかもしれない……!!
「けどようやくあの少女の行動原理が分かったわ!!」
私はとにかく走っていた。殺されるかもしれないのに私の心には死への恐怖は一切なかった。自分でも不思議だ。ただあの日垣間見た世界の法則を暴く為の一歩を歩みだした事が何よりも嬉しかった。
気付けば住宅街に逃げ込んでいた。人影一つもない暗闇に浮かぶ街灯の光に照らされ、私は走っていた。
何処まで逃げれば良いのだろう。いつまで逃げれば良いのだろう。果てのない逃亡に、私はようやく恐怖した。
疲労が溜まり、足は鉄球を引きずる様に重くなっていった。
「い、いつまで逃げれば……いいのよ……!」
疲労に耐えきれず、一旦足を止めた。呼吸も整えながら体を休めていた。
すると、私の目の前に広がる闇から月光とも街灯とも違う光がこちらに風を切りながら向かっていた。それは、刃物だった。その刃物は私に当たることはなかったが、私の腕をかすめていった。
今はまだ致命傷を負うことはないが、少しずつ確かに追い詰められている。このまま足を止めればいつか死ぬだろう。疲れきった足を引きずりながら逃げるしかなかった。
どれくらい逃げたのだろう。体内時計は当てにならないが疲労から考えると30分はたったとは思うが、正確には分からない。スマホを見ている暇はない。その瞬間に背後からグサッと殺られる。
私の前に小太りの中年の男性がいた。私を見つけると、こう言っては失礼かも知れないが気持ち悪い笑みを浮かべていた。灰色のコートを着ており、裾は地面についていた。
「どうしたんだいそんなに慌てて」
前の道を遮りながら男性は私にそう聞いた。
「邪魔です!! どいてください!!」
「まあまあ、落ち着いて。それよりおじさんの大事なものを見せてあげよう」
「急いでるんです!!」
そう言って中年の男性はコートの前裾を握ったが、背後に迫る恐怖に怯え私の足は中年の男性に蹴りを入れた。
「急いでるって言ってるでしょ!!」
私の蹴りは、中年の男性にとっては不幸にも睾丸に直撃した。私には分からない痛みだが、相当な激痛が走るのは知っている。
睾丸にある性器大腿神経と精巣神経と腸骨鼠径神経は女性の場合は卵巣に関わる大事な神経で、睾丸の皮にある神経と大陰唇に通ってるその神経は発生学的には同じものだったはず。
男性ではほとんどいらないその三つの神経に強い刺激が加わると生命維持に関わる重要な神経系に過剰すぎる刺激が伝達されて内部の恒常性が著しく乱れて痛みによって悶絶すると、言うことも知っている。ただ、今はそんなことどうでも良い。
中年の男性はあまりの痛みに背中を丸め、うずくまりながら言葉にもならない声を出していた。
背後からまた風を切る音が聞こえた。何とか体を反らすと、少女の刃物は中年の男性の背中に刺さっていた。中年の男性の悲鳴が夜の闇にこだました。
少女は憂さ晴らしの様に何度も中年の男性の背中をめった刺しにした。血が吹き出していた。私は初めて人が人のような存在に殺される様子を見た。殺人現場を目撃すればこんな光景が広がっていると理解し、次は私がこうなると理解した。
ずっと嫌な汗が流れている。その汗を吹き飛ばす様に背を向けて走り出した。
走り続け、いつの間にか公園の自動販売機を背に、地面に座り込みながら休んでいた。
「取り敢えずこうやって背に何かあれば前からしか来れないはずよね……。これで後ろから突然襲われることは無くなったけど……」
スマホから着信音がなり響いた。見ればミューレンからだった。少しだけ落ち着いた私はその通話に出た。
『黒惠!? 大丈夫!?』
「絶賛命の危機よ」
『今何処にいるの!?』
「この公園の名前何だったっけ……。とにかく公園にはいるわよ」
『あ! 見つけたわよ!!』
「本当に? すごい偶然ね……」
何処かで私の名前を呼んでいる声が聞こえた。その声はスマホからも聞こえている。ミューレンの優しい声だ。何だか安心できる声に死に怯えていた私の心が安いでいった。
ミューレンは私に駆け寄り、泣き出しそうな顔で私を抱きしめた。その際にミューレンの豊満な胸の膨らみに私の顔が埋もれた。微かに甘くふくよかな香りが鼻を通った。
「良かったわ……。無事なのね」
ミューレンはようやく私を開放してくれた。もう少しだけ嗅いでいたかったが、今は私の友人と出会えたことに笑みがこぼれた。
「どうにか生き延びてるわよ」
「でもまだ追われているんでしょ?」
「さっき一人殺されたわ」
「だったら早く逃げましょう!?」
「ちょっと待って。足が痛くて痛くて……」
「けど……」
「すぐに逃げ始めるからもう少しだけ」
「分かったわ……」
ミューレンは不安そうな顔で微笑んでいた。
けど、ミューレンがいれば何でも出来る気がする。何故私はこう思っているのか分からないが、今まで何とかなってきた事だけが証拠だ。
5分か10分か、足はある程度疲労が抜けてきた。まだ本調子ではないが、これ以上休んでいるとまた少女が現れそうで怖かった。
私は立ち上がり、体を伸ばした。
「さて、そろそろ走れるわ」
「大丈夫?」
「ええ。もちろん」
「そう言えば、ずっと追いかけられてるんだと思ってたんだけどあんまり出てこないのね」
「ミューレンの願いが私を守ってるのよ。だから一瞬だけたまに出てきて倒されない様にしてるんじゃないかしら」
「つまり唐突に来るのね。流石の黒惠でも怖かったでしょ?」
「私だって死ぬのが怖いとは思うわよ」
「それに解決策が今は何も思い付かないし逃げるしかないのよね。いつか疲れて殺されちゃうわ」
「そうなのよね……ずっと逃げるわけにはいかないだろうし……」
すると、ミューレンが切羽詰まった表情で私の手を引っ張った。私の顔はまたミューレンの胸に埋もれた。同時に地面に何かを力強く突き刺したような音が聞こえた。
「貴方の言う通りね……!! 突然現れたわ……!!」
「え? 襲われたの?」
「ええ。自動販売機の上から狙ってたわ」
「助かったわミューレン!」
「襲ってくる直前に嫌な予感がしたのよ。私はこんなのも分かるのかしら」
「それはまだ分からないけど、また感じたらすぐ教えて欲しいわ」
「分かってるわ」
「襲われる前に分かるのならミューレンのおかげで走らなくても大丈夫そうね」
ミューレンと手を繋ぎながら夜を歩いていた。いつ来るか分からない恐怖はあるが、ミューレンの手の温もりで落ち着いた。
「それにしても体が作り物みたいに見えたわ。本当にマネキンの呪いなんじゃないかしら」
「意外とあり得るのよ……」
「貴方はマネキンの頭を潰して、あの少女みたいな存在は頭以外が作り物みたい。これは本当に偶然かしら?」
「偶然なら出来過ぎよね。けど私にはどうしようも出来ないし……」
「今は逃げるしかないわね」
ミューレンの胸に埋もれた時の感触、匂いを何度も思い出しながら私は歩いていた。
歩いて歩いて歩き続けて、何処までも何処までも歩き続けた。たまに「カチカチ」と音が聞こえるが、私を守るためだと思い込めば気が楽になる気がする。
少女はなかなか現れない。だがまだ私を狙っているのは確かなはずだ。「カチカチ」と音が聞こえる以上、その少女を倒せていない証拠なのだから。
「……ミューレン」
「どうしたの?」
「人って目に見えないものに恐怖するのね」
「どうしたのよ急に」
「いつ襲われるか分からないこの状況が何よりも怖いのよ。そうね……例えるなら近くで殺人事件が起こった次の日に外を出歩くくらい」
「少し分かりにくいわね……」
「誰が殺したか分からない状態で、それが周りにいる誰かの犯行かもと考えたら理屈を考えずに次は自分かもしれないと思うでしょってことよ」
「けど貴方ならそのまま犯人を探し当ててそうだわ」
「好奇心のまま動いたらそうなるわね」
「いつもじゃない」
「そうでした」
「それで? 現状を打破する案は思い付いた?」
「全然よ。でも、思い出したことがあるの。初めてあの黒い化け物を見た前に足音がしたのよ。私を追いかけるみたいに」
「いろんな所に行き過ぎて何が原因か分からないわね……」
「私の家からも足音は聞こえるのよ」
「他にも足音が聞こえた心霊スポットなんて山程あるわ」
「うーん……分からないわね」
足音の正体を倒すために私の前に現れたのだとすれば……それで一回よね。私の家の心霊現象が収まらなかったことを考えると敵意がなければ倒さないのかしら。足音の正体は私に敵意を与えるつもりはなかったから黒い化け物も倒さなかった……だとすると、出た理由が分からなくなるのよね。でもミューレンは上に嫌な気配があったって言ってるし……。
ミューレンが私を呼んでいたが、私は思考を止めることが出来なかった。
つまりあの足音の正体は私に敵意を向けていた……? でもそれで一回よね。もしくは……倒しきれなかった……? そう言えばミューレンと別れた後に足音が聞こえて、あの少女もミューレンと別れた後……。偶然かしら? いや、そんな偶然は無いわね。つまりあの足音の正体はあの少女……?
「黒惠!!」
ようやく私の頭にミューレンの呼び声が響いた。ミューレンは何か恐ろしいものでも見てしまったかのような顔をしていた。
「どうしたの?」
「少女とは違う嫌な気配がするの!! 近付いてるわ!!」
「何処から!?」
「分からないの!! でも近付いてるのは分かるのよ!!」
ミューレンは怯えた表情で視線を回していた。周りは不気味な程に静まり返り、うるさかったセミの鳴き声も何かに怯え隠れる様に止まってしまった。
自然と繋ぐ手の力が強くなっていく。ミューレンの手は震えていた。ミューレンが突然後ろを振り向くと、私の視界は暗闇に支配された。
手を離せば、二度とミューレンの手を繋げないと何故か思い、力強く握り続けた。
次に視界が月光に照らされたのは夜空だった。私達は夜空に浮かんでいた。下に地面は見えないが、変わりに星が浮かんでいる夜空が広がっていた。月は私達の真上を上弦の月で照らしており、真下を下弦の月で照らしていた。
落ちているような浮かんでいるような曖昧な感覚に襲われる。前にも後ろにも右にも左にも上にも下にも進んでいるのかも分からない。
ミューレンは頭を抑えながら苦しそうなうめき声を出していた。握っている手が小さく震えており、唇も冷え込んでいる様に震えていた。ガチガチと奥歯が当たる音も聞こえてくる。
「大丈夫!? ミューレン!?」
ミューレンは私の呼び掛けに答えることも出来ないのか、身震いをしているだけだった。息も荒くなり、目に涙を浮かべていた。
「落ち着いてミューレン!! ほら、息を吸って、吐いて」
私の声に合わせる様にミューレンは息を整えていた。やがて声を出せる程には落ち着いた。
「ええ……大丈夫……。大丈夫……」
「どうしたの?」
「周りに何かいるの……。ずっと嫌な気配がする……」
「様子からもうヤバイことは分かるわ」
「もちろんそれもあるわ。けど、それ以上に嫌なものがいるの……」
「あんまり会いたくないわね……。どっちにいるかは分かる?」
「分からない……と言うよりかは分かりづらいって言う方が表現としたは正しいわ……」
「どういうこと?」
「右からも左からも上からも下からも同じ気配を感じるの」
「この空間その物の嫌な気配を感じてるのかしら。とにかく出口を探さないと。歩ける?」
「ええ。大丈夫」
地面は見えないが、透明なガラスの板が貼っている様に歩ける。浮遊感を感じながら私達は歩き続けた。この空間の距離感が掴めず、どれだけ歩いたかも分からない。ミューレンはまだ怯える様に重たい足を引きずっていた。
ミューレンの気持ちは私には分からない。どんな風に感じてどんな風に苦しいのか。私は知ることも出来ない。ミューレンの様子に胸を痛めることしか出来ない。
ミューレンの顔色が少しずつ青くなっている様に見えた。相当なストレスをずっと感じているためこうなってしまうのは自明の理だ。やがてミューレンは足を止めた。
「ごめんなさい……少し休ませて……」
「分かったわ。無茶はしないでね」
ミューレンはその場に座り込んだ。私は寝転びながら星空を眺めた。
「……ここは何処なのかしらね……」
星空を眺めながら私は呟いた。
「上にも月があるし下にも月はあるし……」
「地面が見えないこともね」
「そう言えばミューレンは星座が分かるのよね? 現実にある星座か分かる?」
「そうね……あれは南十字星かしら」
ミューレンは指差しながらそう言っていた。下にも視線を移し、また星空を指差した。
「あれは北極星かしら。良く見ると北半球の星座は下で南半球の星座は上にあるわ」
「つまり反対の地球が無い星空みたいなこと?」
「星座を見る限りそう思うわ」
「変な空間ね……」
「そんなこと初めから分かってるわ」
「あの少女と関係があるのかしら」
「無いと思うわ。この空間に入る直前に後ろに何かいたもの」
「そう言うのは早く言って欲しかったわ!?」
「この空間に入ってからずっと怖かったから言える元気が無かったの」
「じゃあ仕方ないけど……」
「頭は私達が入るくらい大きな黒い穴で、黒い胴体と足みたいなものが付いている化け物だったわ」
「それはカナエさんみたいな?」
「そんなに大きな身長じゃないわ」
つまりその化け物のせいではありそうなんだけど……。何もないのならこんなに理不尽なことは無いわね……。
「もう大丈夫よ」
「分かったわ」
私達はまた手を繋ぎ歩き始めた。疲労は何故か感じないが、時間も距離も分かりづらいこの空間ではどれだけ歩いたかも分からない。
「……そう言えば昴に頼めばあの少女は何とかなるんじゃないかしら?」
「……あ、確かに……」
ミューレンの案に納得してしまった。昨日のグロい生物ともある程度戦えていた昴なら少女の姿をしている存在なら簡単に倒せそうに思ってしまった。
「でも昴は光のため以外は何もしなさそうよ」
「そこは最初に光に頼めば大丈夫よ」
「でも起きてるかしら」
「そうなのよね……」
「そう言えば昴が何であんなに強いのかミューレンは知ってる? 明らかに人間離れした強さよ」
「私だって驚いてるわ」
「光の為にとんでもない努力でもしたのかしら」
それにしては強すぎるのよね。普通の人間の動きには見えなかったし。
取り敢えずスマホで連絡をとろうとしたが、やはり電波は圏外だった。助けは呼べないことが分かったが、この空間に入ってなんとなく予想していたことだった。
前を凝視すると、色が抜けた鳥居が見えた。鮮やかな赤色が抜けており、数人しかくぐれない程小さくこじんまりとしていた。しめ縄もほとんど程けていた。向こうには同じ様に星空が広がっていた。
「怪しさ満点の鳥居を発見!」
「こんな状況の鳥居は危ないものなんじゃないかしら!?」
「何言ってるのよミューレン!! もしかしたらここから出られるかもしれないわよ!!」
ミューレンは呆れる様にため息をした。
「……分かったわ。私は貴方の好奇心に着いていくわよ」
「じゃあ行くわよ!!」
私達はその鳥居の前まで歩いた。
私達は、鳥居と言う"境"を越えた。
目の前には広がったのは果てしなく上にまで続く石造りの階段だった。
上を見上げても青空が広がっており、下には雑草が少し生えている地面だった。鳥居の後ろを振り向いくと、先程までの星空が消えていた。変わりに地平線まで続く広野だった。
「また違う場所に来たわね」
「嫌な気配は消えたわ」
「じゃあ大丈夫かもね」
「それでも危ないかもしれないからね」
私達はその階段を上がっていった。上へ上へと進むと神秘的な雰囲気を囁く様に月下美人が咲き誇っていた。
「上が見えないわね……」
「でも疲れないわね」
「現実じゃないとは思ってたけどまさか疲れもないとは……」
「……また休んでも良いかしら……?」
「良いわよ」
ミューレンは石造りの階段に座り込んだ。
「……黒惠は凄いわね。こんな状況でも元気なのは」
「それはミューレンが一番知ってるでしょ」
ん? ミューレンはそんなこと知ってるはずだからつまりここにいるミューレンは偽者……?
恐らく私はこの異様な空間のせいで、精神的に疲弊していたのだろう。根拠も乏しい訳の分からないすっとんきょうな考えになってしまい、さらに私の好奇心が悪い方向に向いてしまった。
私はミューレンの豊満な胸を右手で左乳を左手で右乳を揉んだ。しかもこれをミューレンが偽物かどうかを確かめるために起こした行動だ。意味が分からない。ミューレンの胸に顔が埋もれた時にもしかしたらミューレンの胸の感触を知りたかったのかもしれない。それで行動を起こすのも犯罪者の思考だ。
自分でも何をやっているのか分からなかった。いきなりのことに私もミューレンも目を白黒させた。私の指はミューレンの胸に沈んでいき、ふわふわとした感触がした。
ミューレンは顔が炎の様に耳まで真っ赤になっており、その顔に私の心の奥から何かが込み上げるような感覚がした。可愛らしく「きゃん」と声を出し、私の頬を平手打ちした。
いや、正確には平手打ちではない。手は広げておらず握りこぶしで私を殴っていた。そう、パーではなくグーで。
視界に白い光の玉のような物が飛んでおり、私はその場で倒れてしまった。
「何するのよ!?」
「ミューレンが偽物かどうか確かめたくて……」
「それで何で私のむ、胸を揉むのよ!?」
「……何でなのかしら」
「もう一回ひっぱたくわよ!?」
「さっきのは殴ってたでしょ」
「そう言う問題じゃないのよ!!」
「……それで本当に本物なの?」
「そんなに疑うのなら私しか知らないことを聞いてみたらどうかしら」
「バストサイズは!!」
「さっきからセクハラみたいなことばっかりしてるわね!?」
「じゃあ私の誕生日は?」
「五月六日」
「よし! 本物ね!!」
「私が言うと変だけど簡単に信じるわね!?」
「最初から信じてたわよミューレン!」
「なら何で胸を触ったりする必要があるの!?」
ミューレンは少しだけ落ち着くと、私の目を真っ直ぐ見た。
「……貴方がその時の私を偽物だと思ったのなら、胸じゃなくて頭を触って。小さい時についた傷があるから」
「もう胸は触ったから胸でも判断できるわ」
「公衆の面前でそんなことさせるわけ無いでしょ」
「確かに。じゃあ私は帽子を取ってみたら分かるわ」
「それは何でなの?」
「その時に分かるわよ」
ミューレンは立ち上がり、私の手を握った。
「もう大丈夫よ。行きましょう?」
「分かったわ」
私達はまた階段を上がっていった。やがて上りきると、ある程度大きな拝殿が目の前に現れた。その拝殿はあまり修復をされていない様にぼろぼろで、周りには何故か月下美人が咲き乱れていた。
ミューレンはその場でうずくまった。苦しそうに声を漏らしながら頭を押さえていた。
「あら、こんなところに人なんて。珍しいわね」
そんな声が聞こえた。前に視線を移すと、そこには女性がいた。美しく、肌は透き通っていた。顔には薄い笑みを浮かばせており、人間とは思えない程の存在感を発していた。
白い髪と銀色の瞳を持ち、月下美人の様に艶やかな美人だったその女性は私を見ると更に口角を上げた。
「ひょっとしてここに迷ったのかしら? それならこちらに来なさい。もとの世界に帰してあげるわ」
「本当ですか? あと友達が苦しそうで……」
「ええ。大丈夫よ。さぁ、早くこちらにいらっしゃい」
私はその女性に歩み寄ろうとした。すると、ミューレンが突然声を荒げた。
「黒惠!! あれに近付かないで!!」
「どうしたのよミューレン? 帰れるのよ?」
「あれは人じゃない……!!」
ミューレンの言葉に女性は不気味な笑顔を浮かべた。高い笑い声を発した女性の顔の半分が黒い霧のような物になっていた。
「まさか気付くなんて……! やっぱり貴方はここに入れるわけにはいかなかったわね」
やがて黒い霧のような物は顔に戻った。その顔の女性の髪色は、吸い込まれる程に黒色だった。
今日は私にとっての厄日なのだろう。私が何をしたのだろう。そんなことさえも、私の恐怖はそれをかき消す。
「……騙したのね」
「えぇ。そうした方が簡単だから」
「……殺すつもり?」
「勿論。貴方は美しいのだから。さらに美しくなるためには一度死ぬ必要があるのよ」
「……意味が分からないわね」
私の問いかけに簡単に答えると言うことは、隠さなくても殺すことが出来ると遠回しに仄めかしている。つまりここから逃げることは不可能だ。あちらに私を殺す手順が整っていると言うことなのだから。
殺される。何故私ばかりなのだろう。
「そこの憎いお嬢さんは良いわ。美しい貴方を殺せるならそれで良いの。ほら、こちらへ。そこの憎いお嬢さんは殺さないわ」
「……本当に……?」
「ええ。本当に」
私はミューレンのことを考えると、ミューレンの手を離しあの女性に殺される方が私にとってはましだ。だが、ミューレンの手はそれを許さず、更に力を込めていた。
「黒惠……! 行ったら駄目……!!」
「けど……それだと――」
「今まで何とかなってきたでしょ……! だから……!!」
「……分かったわ!! 死ぬ時は一緒よ!!」
女性の笑顔は更に狂気に、狂喜に染まった。女性の両腕は黒い霧のような物に変わった。その黒い霧は私達を囲った。
私の首に黒い霧が集まると、締め付けられる力が加わった。その力はどんどん強くなり、呼吸さえも困難になり私の意識が薄れていった。必死に息を吸おうと横隔膜を使い肺を動かしても血液に酸素が溶けない。
ふと、ある言葉が頭に浮かんだ。何処かで聞いたことが、呼んだことがある名前だった。
「"アイグ=マルティ"……」
その名を呼んだあと、私の首を締め付ける黒い霧の力が緩んだ。ミューレンが私と繋がっている手を引き、黒い霧を程いた。
ようやく肺に貯まった新鮮な空気で脳に酸素を取り込めた。まだ息苦しいが助けてくれたミューレンに感謝した。
「大丈夫!? 黒恵!?」
「ええ……大丈夫……大丈夫……」
女性の方を見ると、私を見ながら静かに泣いていた。その涙はまるで失恋のような切ない声と共に両腕を交差させ、自分の体を締め付ける様に肩を握った。
「あぁ……やめて……。その美しい唇で私の名前を呼ばないで……!! その美しい眼で私を見ないで……!!」
涙は止まるどころか更に溢れだし、天を仰いだ。膝を地面につき、許しを乞うかの様に言葉を漏らしていた。
「言いつけを守らずに黒恵と昴を殺すことを貴方は許さないでしょうね……。それでも私はあの美しく醜く完璧で瑕疵で神々しく禍々しい貴方に……!!」
この空間は女性の感情に呼応する様に紙粘土の様にこねくりまわされ歪み、女性の体も人間の原型を留めておらず黒い霧が漂っていた。
「あぁ……あぁ……!! ごめんなさい……!! ごめんなさい……!!」
声は悲しく木霊していた。歪んだ空に硝子細工を叩き付けた様に罅が広がった。砕け散った硝子の破片のような物がぱらぱらと雪の様に降ると、大きな黒い穴が開いた。その穴から頭部が異様に大きく背が高く手足が長く髪の毛が長かったあのカナエさんの黒い化け物が無数に降り注いだ。「カチカチ」と音をならしながら女性を襲った。
「私の神域に怪異ごときが無理矢理入るなんて……!? そう……!! ミューレン貴方なのね!! やっぱり貴方は邪魔になるわね!!」
黒い化け物が女性に向けその長い腕を振りかざした。体に直撃した様に見えたが、体は黒い霧のような物に変わり当たっていなかった。
女性は涙を拭い黒い化け物に向けて手を伸ばした。黒い霧のような物から黒い影のような塊が地面に落ちた。不定形の塊は軟体生物の様に蠢きながら大きくなり、やがて人の背をゆうに越える大きさになると、その姿がはっきりと像を結んだ。私はソレを見たことがあった。私だけではない。ミューレンも見たことがあった。
ソレは、人類の進化論を限りなく冒涜する存在だった。
犬のような胴体に足はなく、代わりに人間の肩が九つあった。その肩に付いている腕は人間のようだったが、約30cmずつに間接があり、間接の数を数えると十七あった。
その腕を四本使い蜘蛛の足の様に体を支えていた。
本来頭部が付いているであろう所には大きな肉の塊があり、そこには人の顔が貼り付けられていた。その全ての顔は不気味にケタケタと笑っている表情だった。
五本の腕は黒い化け物に向けられ伸びた。しかし黒い化け物はソレの腕を自分の腕で引き千切った。
黒い化け物が何体も私達を隠す様に囲うと、視界は闇よりも暗くなった。視界が晴れると、そこは見たことがある住宅地だった。
「あ! 帰ってこれたわよミューレン!!」
「……まだ……!! また来るわ……!!」
追いかける様に朝日が上った空からソレが落ちてきた。住宅の屋根に落ちてきたソレは「ドスン」と大きな音が響いた。ソレの上にはあの女性が乗っていた。
頭部の肉塊の人の顔は大きく口を開け、木霊する程に理解を拒む程の笑い声を発した。何処までも何処までも響き、人々の恐怖心を掻き立てていた。
何処かで悲鳴が聞こえた。通学か通勤の人達の悲鳴なのだろう。あまりに現実離れした存在は誰もが恐れ畏れ怖れ慴れるのは当たり前のことだった。
私とミューレンはとにかく逃げる様に路地を走った。横の住宅の屋根を飛び移る様にソレは私達を追っていた。女性は呑気に歩きながら追っていた。やがて見えなくなってしまった。
「ミューレン!! 大丈夫!?」
「ええ……大丈夫……」
そう言ったミューレンの顔はあまり元気の様には見えず、どこか青白い顔をしていた。疲労は何故か治っていたが、それでも今の死が迫る感覚に精神がやすりで削られる。私達は知っている。あのグロい生物がどうやって人を殺すのか。
何故だろう。確かに恐怖は感じる。死ぬのも怖い。けど、私の心には、確かに、しっかりと、好奇心がある。死への恐怖よりも、大きい感情がある……。
角を曲がると、パトカーが一台道を塞ぐ様に止まっていた。車両の後ろには警察官の二人組が戦慄し身震いしながら私達を追っているソレを見ていた。新型銃を震える手で構えていたが、ソレは住宅の屋根から消えていた。私はこれも見たことがある。次に出るのは誰かの背後だ。
「そこのポリスオフィサー!! そこから速く逃げて!!」
私は声を出していた。警察官の背にはソレがいた。
九本の指を持っている霊長類のような手は二人組の警察官の頭部に触れた。直後にその二人組の喉元から横に真っ直ぐ血が流れ始めた。警察官の二人組は力が抜けた様に倒れ、首無しの遺体になってしまったそれはミューレンの心を深く抉ることなど容易かった。
ソレは私達を見ていた。全ての人間の顔は私達を見つめながら不気味に笑っていた。次は私達だ。誰もがそれを理解できた。
恐怖と頭痛による苦痛からミューレンの胃から吐瀉物が口に出て撒き散らかされた。臭いが近くにいた私の鼻にもつく。あまりに嫌な臭いだった。
私はある一抹の希望を託し、スマホを取り出した。呼出音が急かす様に鳴っていると、「カチカチ」と金属音が上から聞こえた。同時にソレの頭部の肉の塊が黒い化け物の長い足で砕いた。何体も何体もソレにスズメバチを殺そうとするミツバチの様に集まり、次々と肉を剥ぎ取った。辺りに撒き散らかされた血は大量殺人の現場の様になっていた。
血を噴き上げたソレは黒い塵に変わり消えてしまった。役目を果たした黒い化け物は消えてしまっていた。
ミューレンのスマホから着信音が鳴っていた。ミューレンは震える手で何とか通話に出た。
『もう貰ったけど一応連絡した』
この声をミューレンは聞いたことがあった。それはカナエさんの声だった。
『……頑張れ』
「ちょっと待って!」
『……言っておく。あんまり命を無駄にしない方がいい』
黒い化け物が消えたことを喜ぶ様に狂喜の笑い声が聞こえた。見えないからこそ分からないからこそ、その狂喜に私達はそれに恐怖していた。
あまりの恐怖心からか私は後ろを振り向いた。後ろにはあの少女がいた。左手にテディベアを抱き抱え、右手には血に染まった刃物を握っていた。顔は、私をようやく殺せると思っているのか頬が裂けそうになるまで口角を上げていた。
私はミューレンの手を引き走り出した――。
「――……あら、お気に入りの子が壊されちゃったわね」
人外の女性は悲鳴を叫びながら逃げ惑う人混みを掻き分けながらそう呟いた。
女性はすれ違った人間を右手で触った。痙攣しながら人間は黒い鎧を纏う様に影に呑み込まれていった。この異様な光景に更なる悲鳴が木霊した。人々はどちらへ逃げればいいのかさえも分からず化け物のほうへ戻ってしまう人もいれば恐怖で身動きが出来ない人もいた。だが女性は目の前の人間を例外無く黒い何かにしていた。
女性を神輿の様に抱えた黒い何かはとてつもない速さで走った。他の黒い何かも女性を追いかける様に獣の様に四足歩行で走っていた。
「黒恵を早く殺さないと……! あぁでも……!! 不完全なものもそれはそれで美しいわね……!! 甲乙つけがたいわね……!!」
女性は体を震わせながら呟いていた――。
「――黒恵……! もうこれしかないのよ……!!」
ミューレンはカナエさんと通話をしながら私にそう叫んでいた。
「私の命でも何でもあげるわ! だから……!! 黒恵だけでも……!!」
『……言っておく。黒恵を狙う奴はその少女だけじゃない。それにまた同じことの繰り返し。隠れたらこちらからは何も出来ない』
私の目の前に少女が現れた。振りかざした刃物は私を突き刺そうとした。ミューレンは私の体を突き飛ばした。刃物は私に突き刺さらず腕にかすめた。
通報をうけ、来た警察官は少女が刃物を持っていること、その少女に襲われている女性が二人いることをを瞬時に理解し、少女に向かい走った。訓練通りの動きで少女の手を掴み背に回した。そのまま地面に押し倒し刃物を手から離させた。
私はまたミューレンの手を引き走り出した。
警察官が取り押さえた少女が、もし普通の人間ならこれだけで解決したはずだろう。しかし少女は普通でもなく、人間でもなかった。
取り押さえたはずの少女はその場から消え去り、警察官の背後にいた。不機嫌そうな顔をしながら何度も何度も警察官の背に刃物を突き刺した。血はキングファハドの噴水の様に空高く吹き上がった。獣のような野太い悲鳴が私の背後に響いていた。
「ミューレン! 簡単に自分の命を捨てるのはやめてほしいわ!」
「じゃあどうすれば良いのよ!」
ミューレンの声は怒号に近かった。
「貴方と出会えて私の心に好奇心と驚愕と非日常に満たされたの。だから貴方は、貴方だけでも、私は楽しく生きててほしいの。だから……」
「それだったら私も色々言いたいことがあるわよ! ミューレン!」
私がミューレンに死んでほしくないのは初めての親友だからと言う理由だけではない。
「貴方は私の初めての親友だから! あと貴方は私を否定しないで私と同じ景色を見てくれた! それが嬉しくて、私は貴方と一緒なら何処までも行けて、貴方と一緒なら何処までも見えて、貴方と一緒なら何処までも笑顔でいられる! そんな人が私の前にもう一度現れる保証なんて何処にもないわ!! だから私は貴方と一緒にいたい!! 分かった!?」
「少しは自分の命も優先しなさい黒恵のバカ!! いつも貴方は一人で行けて見えて笑顔でいてきたでしょ!! それに戻るだけよ!!」
「昔がそうでも私は貴方と一緒にいたい! 貴方と出会ってしまったから!! 貴方と同じ世界に生まれたから!!」
背後には快楽を満たすための殺意がこちらに向かって走っている。自分の命を優先するならミューレンを犠牲にすればある程度ましになるのだろう。だが私の理性も本能も知識も思い出もそれを拒絶する。
今まで気付いていないだけで、出会ったときから私はミューレンに特別な感情を抱いていたのだろう。それは親しい友人だからとも言えるが恋しているとも言える。まるで知識もない状態でバスク語を翻訳している様に難解で迷路の様に複雑な心境でも、私はミューレンには隣にいてほしいと言う気持ちだけは確かにあった。
すると、ようやく私のスマホから声が聞こえた。
『……もしもし……すばるくん……?』
スマホの向こうから緊張感のないあくびが聞こえた。
「昴じゃなくてごめんなさいね"光"! 黒恵よ!!」
『なんだ……おやすみなさい……』
「ちょちょちょちょっと待って待って待って!!」
『んー……?』
「貴方は私達に生きててほしい?」
『……いなくなるのはやだ』
「じゃあ昴に私達を助けてくれる様に頼んでくれない?」
『いいよー……。すーばーるーくーんー』
私が狙っているのは昴が助けてくれると言う希望だ。だがそのためには間に合うかどうかだけが分からない。
すると、ミューレンのスマホから声が聞こえた。
『……誰を呼ぶの。人間ならあの少女は殺せない。同じだから分かる』
私はこの発言に沸騰するお湯のような怒りが沸き上がった。つまり助かりたいならミューレンを差し出せと言っている様に聞こえたからだ。
「本名が分からないからカナエさんって呼ぶけど! だからと言ってミューレンの命は渡さないわよ!」
『……頑張れ』
だがミューレンは私が言った気持ちを何も分かってないのか、カナエさんにまた命を差し出そうとしていた。
「お願いカナエさん……!」
『………………』
長い長い沈黙が続いた。やがて納得したのか声を出した。
『…………分かっ――いや待って』
カナエさんは驚いた様に小さく短い言葉にもならない声を漏らした。
『……ミューレン、今君は本当に一人?』
「え……? 確かに黒恵がいるけど……」
『……そう、分かった。命はいらない。黒恵とミューレン二人を守る』
「本当に!? けど何でかしら?」
『とても大きな力。とてもとても大きな力。それは命より価値がある』
「よく分からないけれど助けてくれるのよね?」
『うん。でも少女一人だけ。けど少女はまた逃げる。だから罠にかける。今から言う所に来て。真っ直ぐ進んで十字路で右に曲がって曲がり角の七個目で左に曲がって二つ目の角を右に曲がって道をずっと真っ直ぐ進んだら私が立ってる小さな路地裏に入って。その間、絶対振り返ったら駄目』
「えーと……分かったわ。聞いてたわね黒恵!」
私はミューレンに微笑んだ。足を止めること無く走りながら私の体から汗が頬をつたり落ちた。
私のスマホから声が聞こえる。
『もーしもし』
「あ! 昴! ようやく出たわね!!」
『上手く考えたな黒恵。光に頼めば俺が断れないことをこんなふうに活用したことを評して助けてやるよ。ただし何かしら対価は貰うぞ』
「命には変えられないわ!」
『そうか。じゃあお前ら今何処にいるんだ?』
「分からないわ!!」
『は!?』
「色々あったのよ! だから頑張って私達を探してね!!」
『ちょっとま……!!』
昴が何かを言いかけたが私は通話を切った。
「さてミューレン! 振り向かずに行くわよ!!」
「本当に言わなくて良いの!?」
「いーのいーの。どうせ逃げながらだと分からないし」
救急車やパトカーのサイレンの音がいつにも増してうるさい。いつもうるさく夏を語っていたつくつくぼうしは恐ろしい何かから逃げる様に鳴りを潜めていた。「ウー」とサイレンが私達の近くを通っていた。
やがて十字路に着いた。私達は振り返らずに右に走った。すぐに一つ目と二つ目の角を曲がり角を通りすぎた。
逃げ惑う人達が私達の後ろを見ると、何かが裂けたような悲鳴が耳に入った。後ろに、あの、少女が、いる。恐らくはそれだけではない。私達の走る音に合わせるような足音と、どたどたと言う大勢の足音も聞こえていた。そして何よりミューレンが頭を押さえながら苦しそうにしていた。
だが私は好奇心に何度も支配されそうになり、後ろを振り向きそうになっていた。だがこう言う時の振り向くなと言う忠告は危険すぎる話しかない。
三つと四つ目の曲がり角を通りすぎた。
「ミューレン! 今振り向いたら流石に駄目よね!? 最悪死ぬわよね!!」
「当たり前じゃない! 振り向いたら駄目なのは怖い話の定番じゃない!!」
「そうよね!!」
上から静かに風を切る音が聞こえた。上を見上げるとヘリコプターが旋回していた。確かネットで見たことがある。あれは警察のヘリコプターだ。どうやら私が思っていた以上に大きな事件になっているようだ。
すると、人外の女性の声が聞こえる。私を何度も呼び止めようとしていた。
「黒恵! 待って! 貴方はもっと美しくなれる! 私が! 他の誰でもない私が殺せば貴方は違う世界で美しく醜くなれるの!」
振り向いたら駄目だ。足を止めては駄目だ。ミューレンと一緒にいるために。
民家の屋根に目を移せば多くの人の形をした黒い何かに女性が担がれていた。
五つ目の曲がり角を通りすぎた。あと少しだ。もうどれだけ走ったのかも分からない。どれだけ経ったのかも分からない。
前には「立ち入り禁止」と書かれている黄色いテープが道に貼ってあり、その向こうに警察官が立っていた。確かテープの名前は危険表示バリケードテープだったはず。
その一人の警察官が女性を見たからか腰につけていた新型銃を私達の後ろに構えた。その手を下ろす様に隣の警察官が手首を掴んだ。
「おい! 相手は刃物だ! 比例原則で警棒だ!」
「それで救える人を見捨てろと言うんですか!!」
手を振り払い新型銃を向け、引き金を引いた。音も出ないが、確かに女性に熱が貫いた。だか足を止めていないのか警察官は新型銃をまだ構えていた。
すると、屋根に走っていた人の形をした何かが私達の前に降りてきた。前には謎の生物、後ろには刃物を持って追いかけてくる少女。まさに窮途末路だ。だが、何故だろう。私が引いていた手がいつの間にかミューレンが私の手を引いていた。
私は心の何処かで諦めていたのか、それともミューレンが諦めずに進んでいるのか、それは分からない。だが、一つだけ分かる。進めば何とかなる気がする。
突然発砲音が響いた。弾丸は黒い何かの足に当たり体制を崩し地面に転げていた。やがて黒い霧のようなものになって消えてしまった。
そして民家の屋根にいた女性を倒すためか屋根を走っている女性のような容姿をして、仮面を被っている高身長の謎の人がいた。首に黒いチョーカーを着けていて、紺色のハーフパンツに白いTシャツを着ていた。
その上には夏にしては暑そうな裾の長いロングコートを着ており、手足には恐らく筋力を増強、負荷を軽減のための黒い機械を甲冑の様に着けていた。手の指先は鋭く刃物のような形状をしていた。
白い仮面は目元を隠すために着けている様に見えた。口には薄く唇紅を塗っており、軽めの化粧をしていた。
見た目は全く違うが、状況からしてそれが昴なのは明確だった。だがやはり女性の体型だ。何かを服の下に入れてそう見えるのかもしれない。だが昴が女性寄りの骨格をしているとは思っていた。
「もしかしてすば――!!」
ミューレンが名前を呼ぼうとしたが、昴は唇に人差し指を当てた。私達に名前を呼ぶなと伝えているらしい。
私達の前に突然少女が現れた。何かに焦っているようだった。だがその少女はあり得ない速度で降りてきた昴に蹴り飛ばされた。
「黒恵、ミューレン! 状況が分からないんだけど!?」
昴は私達の隣を走りながら年相応の女性の声で聞いてきた。胸には大きくも小さくもない膨らみがあった。
「えーと……色々聞きたいことがあるんだけど……」
ミューレンがそう聞いた。私も知りたい。だが恐らく姿を隠すためなのは分かっている。ただそのために性別を変えるのは流石だと思ってしまった。
私は危険表示バリケードテープを飛び越え、ミューレンは潜り抜け、昴は後ろにいる少女にハンドガンの弾丸を放った。そしてもう片手で民家の屋根にいる女性にロングコートの裏地に隠し持っていたナイフを投げた。しかし黒い何かが女性を守る様に庇った。
昴は危険表示バリケードテープを飛び越え私達の横を走った。
ようやく七つ目の曲がり角に差し掛かり左に曲がった。
「それで、状況を説明してほしいよ!」
「なーんかムズムズするわね。詳しいことはこっちも分からないわ。けど、私達は行くところがあるの。そこまで守ってくれたら良いわ」
「分かった!」
一つ目の曲がり角を越えた。目的地に近付いてきていた。
人外の女性を抱えている黒い人の形をした何かは私達の前に立ち塞がった。黒い影だからか輪郭がきちんとしていない。そのせいで明確な数が分からないが、昴は関係なしに襲いかかった。
一瞬昴の姿が消えた。次に現れたのは黒い何かの前だった。あまりに素早く鋭い指を黒い何かに突き刺した。
地面を蹴り体を捻りながら、そのすぐ左にいた黒い何かの頭部に円運動を利用した回し蹴りを当てた。
その後ろにいた何かにロングコートに隠し持っていたナイフを右腕で取り出し、空中に浮かんだまま腕をバックスイングさせてから力たくさん投げ飛ばした。
ナイフは昴の元々の筋力と黒い機械によって強化された力によってナイフが黒い何かの腕に突き刺さるだけではなく貫いた。黒い何かは霧の様になり、消えてしまった。
すると、更に向こうに人外の女性がいた。その顔は更に狂喜に染まっていた。背後には影の様に黒い蛇のような生物が蠢いていた。ただその蛇は普通の蛇ではなく、近くの民家にとぐろを巻く程大きく恐ろしかった。
「ようやく会えたわね昴!! さぁ!! 私に殺されなさい!!」
その女性は嬉しそうにそう叫んでいた。
「何あの人。何で私の名前を知ってるの?」
昴がそう言っていた。何故か一人称まで変わっているがそんなことを考えている暇はなかった。ミューレンが昴の問いに答える様に声を出した。
「あの人は人間じゃないわ! あと何故か私と黒恵の名前も知ってたわ!」
「理由は分かる?」
「流石に分からないわ!」
「分かった!」
すると、前に突然少女が現れた。明らかに私を見ていた。刃物を構えながらこちらに狂喜を振り撒きながら走ってきた。
だが昴は、黒い何かに投げ飛ばしたナイフを拾い、少女の刃物をそのナイフで弾き飛ばした。少女は苛立った表情にも見える顔をした。振り上げた拳を昴に向けたが、その行動よりも昴は速く、腕を掴み圧倒的な筋力で投げ飛ばした。少女の体は脆く、マネキンの様に壊れたが、壊れた破片が宙を舞い、体がみるみるうちに治った。
少女は不満そうな顔で昴を睨んだ。また少女は消えてしまった。
「消えた? それにしても作り物みたいな体みたい。しかも勝手に治っちゃうの?」
昴はその少女から聞こえたこともない低い音が微かに聞こえた様に思ったが、今はそんなどうでも良いものを考えている暇はなかった。
すると、ずっと前にいる黒い蛇がこちらに頭を動かし近付いた。私達のすぐ前の民家に頭を置き、二つに割れている舌を出しながらこちらを見ていた。
言葉にならない恐怖が私を襲った。それがあり得ない程大きいからではない。その目は私を蛙だと思っていた。私達人間ではどうしようも出来ない、怪物や妖怪の類いではなく神のような存在だった。その畏れが私を襲っていた。だが昴は神に敵意を向けた。
民家の屋根に一回跳躍しただけで届き、黒い蛇の頭を殴った。鈍い音が直撃と共に響いた。だが蛇は大きく口を開け昴を蛙の様に呑み込もうとしていた。
少女が昴がいなくなったからかここぞとばかりに現れた。私達を守る昴は民家の屋根の上で背を向けていた。刃物は私の腹部を狙い突き刺そうとした。
すると、一発の発砲音が響き、少女の頭部を弾丸が貫いた。それとほぼ同じタイミングで蛇の断末魔のような鳴き声が聞こえた。
昴は黒恵とミューレンの前にいた少女に左手で後ろに向けたハンドガンの引き金を引き、昴の前にいた蛇に向けてロングコートの裏地に隠し持っていたナイフを投げつけていた。そのナイフは蛇の胴体まで空気が通る風穴を開けた。
後ろの視界にも写っていない少女に、しかも的確に頭部を狙い撃つ技術を可能にしたのは昴の体質が関係している。
昴の「見る」は視界だけではない。昴の触覚と味覚と聴覚と嗅覚全てで全方向から空間を「見る」ことが出来る。卓越した五感と筋肉密度が常人の数倍以上である昴の人間離れした動きを可能にしていた。
昴は民家の屋根から私達のほうに飛び降りた。
少女は頭から血を流していたが、すぐに血は止まり傷は塞がった。立ち上がりまた黒恵を襲おうとした。すると、昴は少女の腰を掴み、赤ん坊を抱き抱える様に持ち上げると、人外の女性に投げ飛ばした。
女性に当たる前に少女は消え去り、また私の背後にいた。しかし昴が素早く黒恵の背後に走り瞬時に片足を上げ少女の脳天に打ち下ろした。頭部が血を撒き散らしながら潰れた。
私とミューレンは振り向かずに走り去った。昴はまた私達の隣を走った。
「あの少女はどうすれば倒せるの?」
私はカナエさんに言われたことを言った。
「人間にはあの少女は倒せないらしいわ」
「何でそんなことを知っているのかは今は聞かないよ」
前に走れば走る程人外の女性に近付くが私達は止まることを許さなかった。
「昨日も今日もさんざんな日ね! ミューレン!」
「そうね! けど今なら不思議と怖くないわ! 黒恵!」
「アドレナリンとドーパミンが過剰分泌でもしてるのかしら!」
何故か私達は笑っていた。
人外の女性の前には曲がり角があった。右に曲がるしかないが、女性の前に人の形をした黒い何かが現れた。だがそれは身長が2mを越えており、その上に1m近くの牛のような頭であり、頭と同じくらいの長さの角があった。片手には剣のようなものを振り上げていた。
私は走ることを躊躇ったが、ミューレンは私の手を引き、止まることを許さなかった。曲がり角を右に曲がろうと体の方向を変えると、背後から剣を振り下ろす音が聞こえた。だが振り向くことは出来ない。
直後に、金属同士がぶつかる音が聞こえた。だが振り向くことは出来ない。私達は走り続けた。遠くに見える前の十字路の向こうにはビル群が見えた。まだ封鎖出来ていないのか通行人や通勤人が多くいた
後ろから女性の声が聞こえた。
「ただの鎧じゃないわね。光の特別製かしら」
人外の女性は目の前の光景にそう呟いていた。
昴は牛の頭をしている人の形をした何かが振り下ろした剣を右腕で受け止めていた。剣は折れてしまい、その一瞬で昴は牛の頭を右手で殴り左手にハンドガンを構え二発弾丸を放った。牛の頭をしている人の形をした何かは倒れ黒い霧の様になり、消えてしまった。
昴の両手足に装着している装備は光の技術力の結晶である。名は現代技術基準遠未来装備HIKARI MARK Ⅳと少しだけ光のネーミングセンスを疑う名である。名前にHIKARIが入っているのもダサさを醸し出している。
それに名前を知られないためにヒガバクティ・ティアルと言う名前を使っているのだからこれにもヒガバクティかティアルを使えば良いと昴は何度も思っていた。
だが光はこの装備が盗られる可能性は万に一つではなく兆に一つあり得ないが、この名前は口で伝えるため情報の漏洩はあり得ないと思いふざけたのだ。
HIKARI MARK Ⅳの素材は軽く丈夫にするために炭素を含んだ特殊な方法で編み出された合金、NEW HIKARI ALLOYと言うネーミングセンスをかなり疑う合金を使っている。
だが素材だけでも現代では再現できないオーバーテクノロジーであり、加工の技術も現代では不可能であり、光が作った別の機械を使ってようやく加工が可能になる。
現在、現代技術基準遠未来装備HIKARIの持ち主は日本にいる三名だけである。
MARK ⅠとⅡはIOSPの日本支部トップの"十二月晦日嗣音"が、Ⅲは禱真二が、ⅣとⅤは昴が持っていた。
ただしその使用はあくまでIOSPの活動に重大な障害が発生した場合もしくは予想外の出来事で市民に危害が加わる可能性の排除にのみ装備が許される。
今回の場合は東京と言う首都に未確認生物が現れただけではなく恐らくその犠牲者が何十人もいると思われ、軍隊の要請までが検討されるまでの大惨事にまで発展した。その情報を仕入れた昴はそこに黒恵とミューレンがいると確信し、独断で現代技術基準遠未来装備HIKARI MARK Ⅳを装備した。
「けど貴方が黒恵を守るなんて思わなかったわ。昴」
「……初対面の人にそんなことを言われる筋合いはないよ」
「確かに貴方とは初対面ね。けど分かるわ。光は大丈夫なのかしら?」
「どう言う意味?」
「貴方が側にいなくて大丈夫なのかしら? 私が光も狙っていたら今頃光は……」
昴は女性を馬鹿にする様に口角を上げた。
「今、嘘をついたよね? 貴方が本当に殺したいのは黒恵と私でしょ?」
「私が言いたいのはそう言うことじゃないの。その危険性がありながら何故ここに来たのか。これが聞きたいの」
昴は優しそうに微笑んだ。
「愛する人の頼み事だから」
女性は張り付けていた薄笑いをはがした。すると、突然声を高くして笑うと、自分の目を取り除く様に目蓋に手を入れた。
痛みに悲鳴を出し、血を流していても女性は笑い続けていた。
自分の手の中にある血塗れの目玉を握り潰しながら女性は捲し立てた。
「やめて! そんなに美しい顔を見せないで! 殺せばさらに美しくなってしまう! これから貴方は光を愛して"深華"を愛してあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子もあの子も愛して、私も愛することで貴方はさらに美しく醜く完璧で瑕疵で神々しく禍々しい貴方になれる!!」
女性は狂気を撒き散らしながら天を仰いだ。
「あぁ……誰よりも……愛しているわ……!!」
愛とは一種の狂気である。昴が光を狂おしい程愛して、光を守るのと同じ様に、女性は昴を愛していた。
「ごめんけど、私は貴方が嫌い」
「それでも良いわ。もしかしたら、貴方は私を愛する。私を愛さなくても私を愛する貴方は何処かにいるのよ」
「……何を言ってるのか分からないや」
「今の貴方は知らなくて良いわ。私に殺された後きちんと理解できるから」
「死人に思考が出来るの?」
「それは貴方が一番分かっているはずよ。だって貴方は今までそう生きてきたのでしょう?」
女性のその一言はこの場の空気をがらりと変えた。その何か未知の大きな生物が全身に纏わりつく様に重々しく、獅子に睨まれている様に威圧的な空気は昴から発せられていた。
女性は恐怖していた。その重厚で威圧的な空気は自らを最強と自負し、その片鱗に触れてしまっているからだ。触れなければまだこの恐怖を味わうことはなかっただろう。だが女性は呼び覚ましてしまった。昴の奥深くに眠っていた人類の捕食者を。
だが女性は恐怖に正気を失うわけでもなく、むしろ喜びを表していた。昴の全ての行動を肯定し、むしろ怒りを自分に向けたことを喜んでいた。傷つけられようが犯されようが嬲られようが殺されようが女性は昴を愛しその全てを肯定する。それが狂気の愛なのだ。
「あぁっ!! 昴!! これ以上私の胸を締め付けないで!!」
昴は左腕で前髪を掻き上げた。そのまま人外の女性に向かい走り出した。昴の上半身は横向きになり、踵で横上段蹴りを頭部に入れた。頭を蹴られた人外の女性は吹き飛んだ。
だが女性の体は黒い霧の様に霧散した。
体中が黒い霧の様に変わり、空に舞い上がった。やがて黒い霧は民家の屋根に集まり、人の形に戻った。だが女性の腕はまだ黒い霧のようだった。その黒い霧は肥大化し、やがて三体の黒い人の形をした何かに変わった。
「菅原道真、平将門、顕仁。久しぶりの仕事よ」
直後に空は黒い雲に覆われ、雷鳴が轟いた。人の形をした黒い何かの一体が腕を振り下ろすと、空間が揺れたと勘違いする程に大きな音が聞こえ、空を割るような稲妻が落ちた。
稲妻は昴を襲おうと落ちたが、昴の上空で避ける様に曲がり遠くに見えるビルの避雷針に落ちた。
もう一体の人の形をした黒い何かは昴に走った。だが昴はその黒い何かを正面から殴ろうとした。だが黒い何かは体を薪にし、熱く燃え盛る炎を発した。
昴の拳は炎に臆することなく殴りかかった。すると、炎は昴の拳を避ける様に消えてしまった。黒い何かは昴の右拳に反応も出来ずに直撃し、まるでねじ切れそうに首が回った。
昴は伸ばしていた左腕を横に振り、鋭い刃物のような指先を使い獣の爪痕のような傷を付けた。黒い何かは霧の様になり、消えてしまった。
触覚と味覚と聴覚と嗅覚を最大限駆使し地面の揺れを感じた。やがて地面が縦に揺れた。昴は足下が於保付くことなく残りの二体を指で切り裂いた。やがて地震は収まった。
「……何だ。同じような奴だったや」
女性は自分の憶測が崩れる音が聞こえた。最後に殺すのは自分がやると考え、倒せるまでは出来ないとは思っていたが無傷で一瞬で全滅されるのは予想できなかった。
雷も炎も昴を避け、地震は収まってしまった。本来ならあり得ないが、女性だけに見える昴の体に纏わりつき漂っている異様な黒に理由を見出だした。
「貴方……蠱毒ね?」
「何それ?」
「……人間……と言うかもはや呪いのようね。まぁ良いわ。私がすることは変わらない」
女性の体から黒い何かが溢れだした。それは数えることも出来ずに人の形や蛇の形や狐の形をした。人の形をした黒い何かの中にはまだ立つことも出来ない赤子程の大きさのものが何体もいて、昴の足下に強い力で掴み、母親を見つけたかの様に体をよじ登ろうとしていた。
「今の私に貴方を殺すのは難しいのは分かったわ。せめてもの時間稼ぎを愛する貴方にプレゼントするわ」
女性は全身を黒い霧に変え、霧散した。昴は追いかける様に跳躍したが、民家にとぐろを巻いた蛇の尾が昴を叩いた。
昴は猫の様に着地した。昴の柔らかくしなやかな筋肉と人間離れした平衡感覚がそれを可能にしていた。
多くの黒い何かが昴に群がった。流石の昴でもある程度の時間をかけなければ殲滅は難しく、護衛対象を追いかけるには昴にとっての大幅な時間ロスが発生する。
「時間かかるなぁ……。それに黒恵とミューレンが……」
昴は黒恵とミューレンが走り去った方向を見た。誰かを見つけ、何かを確信した昴はいつの間にか取り出したハンドガンの弾丸を空に一発放った。
爆発音が辺りに聞こえた。
「よーし、頑張るぞ!」
昴は現在自分が演技しているイメージで、普段絶対に言わない口調でそう言った――。
――私達は手を繋ぎながら走っていた。
広い車道の横には多くの歩行者が歩いており、さらに横には高いビルが並んでいた。
多くの人が私達を白い目で見ていた。当たり前だ。車道で手を繋いで走っているのだから。
「ちょっと黒恵! 流石に車道を走るのは駄目なんじゃないかしら!?」
ミューレンはあまり考えずに走っていたからか、今さらになって文句を言い始めた。
「だって道には人が多すぎるわ! 車道なら物凄いスピードで車が突っ込んで来るだけよ!!」
「最悪死ぬじゃない!!」
すると、ミューレンは頭を押さえた。
「黒恵! しゃがんで!」
ミューレンの声と同時に私は膝に胸が当たるくらいしゃがんだ。上から刃物を振る音が聞こえた。私はしゃがみながら前に動き、ある程度移動したあと私の体を起き上がらせた。
「私の背に少女がいたのよね!? ミューレン!!」
「えぇ!! 危なかったわね!! 黒恵!!」
「そのまま頼んだわよ!!」
「分かってるわよ!!」
すると、私達の前に少女が現れた。
刃物を構えた少女はあくまでも私に殺意を向けていた。それ以外の殺害はあくまでも私の殺害の邪魔になるもの。よく分からない中年の男性と警察官が殺されたのもそれが理由だ。
「あーもう!! また私達の前に立ち塞がって!!」
「どうするの黒恵!! このままじゃ殺されるわよ!?」
「分かってるわよ!! けどもう戻ることも出来ないわ!!」
「分かったわ黒恵!! move forwardね!」
「ムーブフォワードって!?」
「前進って意味よ!」
「前進ってフォワード マーチじゃないの!?」
「それはマーチングの専門用語の前に進め! って意味よ! って言うかはっきりマーチって言ってるじゃない!?」
「そうなのね!! 勉強になったわ!!」
少女はこちらに走ってきた。私はミューレンの手を繋いでいる逆の手で握り拳を作り、近付けば殴ってしまおうと思っていた。
昴のような足音は聞こえない。だが後ろから一つの銃声が響いた。その音のすぐ後に少女の体は宙に飛んだ。
不自然な軌道だった。何かに引っ張られる様に上に突然吹き飛んだ。少女は邪魔なものを見つけたのか横に目を移した。私もそれにつられて目を横に移した。
二階建ての建物の上にはアイスホッケーのマスクを被った長身の女性が立っていた。だが昴ではない。腰まで届く美しい黒い髪もそうだが、こんなにすぐに服装を変えることは出来ないと思ったからだ。
片腕は上に上げられていて、その両手には様々な機械が取り付けられている白い手袋のようなものを着けていた。
指先からはチラリと光る細い糸が飛び出していて、その糸は少女の体に巻き付いていた。その糸の先には一つの小さなナイフが付いていた。
「何あれ!? 今日は13日の金曜日だった!?」
「違うわよ黒恵!! 多分あれは……!!」
上げた腕を力強く振り下げると、少女は地面に叩きつけられた。体は粉々に粉砕され頭を強く打ったのか血が流れていた。
だがその血もすぐに止まり壊れた体も元通りに直ってしまっていた。
ホッケーマスクを被った女性は地面に飛び降り、少女の体の一部を蹴り飛ばした。
ホッケーマスクを被った女性はこちらに視線を移した。
「……あの人が貴方達を守っているんですか?」
ホッケーマスクを被った女性はそう聞いた。一瞬意味が分からなかったがミューレンが気付いた様に一回頷いた。
すると、ホッケーマスクを被った女性は一つため息をついた。
「またあの人は無意識に女性を誑かして……」
よく分からないがとんでもない誤解をしているのだけは確かだ。この発言から昴と親しい人物だと言うことと、昴に好意を寄せていることが理解できた。
まさかの三角関係……。何やってるのよ昴は……。
両手の手袋からモーターが回る音が聞こえた。その音と共に片手ずつに三本の糸が手袋の中にしまわれた。糸の先に付いていたナイフを一つは人差し指と中指の間に、一つは中指と薬指の間に、一つは薬指と小指の間に挟んだ。
「あのー……何か勘違いしてないですか?」
私はそんなことを聞いた。
「……勘違い? まさか」
「いやいやいや、すば……あの人はひか……ヒガバクティと相思相愛でしょ!? 何で私達を誑かしているみたいな言い方になるの!?」
「無意識でそう言うことを言うのがあの人なんですよ」
「どんな生態よ!」
ミューレンは何かに気付いた様に声を出した。
「ひょっとして"深華"!? 私よミューレンよ!!」
ホッケーマスクを被った女性はマスクの下からでも分かる程驚いた顔をしていた。
「何故貴方がここに……!? いや、それよりも……そうか……どうやら私の勘違いだったようです」
「ようやく分かってくれたのね! 貴方があの人の仲間なら助けてほしいわ!!」
「もともとそのつもりですよ」
すると、ホッケーマスクを被った女性は耳に付けている通信機器のようなものに手を添えた。
「……はい……はい……ネーム"プレアデス"が護衛する民間人二人がこちらに。……そうですね……」
すると、ホッケーマスクを被った女性は私達の背後をじっと見た。
「……ネーム"プレアデス"は未確認生物と交戦中。……女性? いえ、見えませんが」
すると、隣にいたミューレンが突然苦しそうな声を出した。その直後に私の首元にヒヤリとした感覚がした。細く長い指が私の首を絞めていた。私の耳元に興奮しているような息がかかっていた。強く私の首を絞めていて、殺そうと言う殺意をその冷たさから伝わった。絞め付ける力はどんどん強くなり、息苦しくなっていった。
ホッケーマスクを被った女性は一つのナイフを私の後ろに投げつけた。すると、私の首を絞め付ける力は緩んだ。
「走りなさい!!」
その叫び声に一瞬躊躇ったが、ミューレンが私の手を引いた。その力に引かれる様に足を一歩一歩踏み出しやがて走り出した。
「こちらネーム"ディーパニング"! 貴方が言っていた女性がいましたよ! ネーム"祈祷"さん!! ――は!? ええそうですね!! 良い女ですね!!」
恐らく発言からあの女性がいたのだろう。
昴は一体何をしてるのよ!!
そんなことを考えたいたが、ふと疑問と好奇心が浮かんだ。
「プレアデスって何かしら?」
「逃げてる最中にそんなこと聞くの!?」
「だって気になったのよ!! 仕方ないでしょ!!」
「プレアデスって言うのはおうし座にあるプレアデス星団のことだと思うわ!! 昴って名前はそのプレアデス星団の和名だからそう呼ばれているんだと思うわ!!」
「成程ね!! 勉強になったわ!!」
すると、後ろからまるで虫が誰かにはらわれた様にホッケーマスクを被った女性が吹き飛ばされていた。
ホッケーマスクを被った女性は体をひねり、とても繊細に動く指先を駆使し糸を巧みに操り、街灯に糸を絡ませ遠心力を使い体が上に下に風車の様に回った。
ある程度回り、遠心力が小さくなったからか最後に一回ぐるりと回ると地面に着地した。
「クソッタレ……!!」
ホッケーマスクを被った女性はマスクの下からでも分かる程私達の後ろを睨み付けた。
ミューレンが私の隣で苦しんでいるような声を出していた。夏の朝日のせいかもしれないが額に汗もかいていた。
「ねえミューレン……後ろにヤバイのがいるのよね……!?」
「ええ……!! 少女とも女性とも違う何かが……!!」
すると、上に何か大きなものが空を隠している様に私達の下に影が写った。上を見上げると、隣のビルよりも高く、空に手が届く程に腕と脚が長い人の形をした何かが私達をまるで蟻でも見下ろしている様に見ていた。
「いやいやいや!! ヤバイのがいるとは分かってたけどこれはヤバ過ぎない!?」
「そんなこと知らないわよ!! とにかく走るしかないわ!! 他の人も襲われるかもしれないのよ!!」
すると、その背が高い人の形をした何かは私の腰を黒く長い指で掴んできた。私とミューレンの手は離れ、私を虫の様につまみ上げた。
「高い高い高い!! ミューレンー!! 助けてー!!」
ミューレンは立ち止まり私を見上げながら叫んだ。
「私で何とかなるならこんなに危険になってないわ!!」
「友達を見捨てるの!?」
「この状況で助けられるのなら助けたいわよ!!」
私は持ち上げられながらも後ろは振り向かなかった。
流石に死にそうだし……。
どうにか黒い指を離そうと動いたが、全く指は動かない。当たり前と言えば当たり前だが、抵抗を止めることは出来なかった。
どんどん地面から離れ、やがてビルの天井を見下ろす程高く持ち上げられてしまった。もうミューレンの顔が見えなくなっていた。
何故か後ろから足音が聞こえた。地面なんてあるはずが無いのに。そして下から黒い霧のようなものが私の前に現れた。
黒い霧の一部は私の首に集まり、首を絞め付けた。他の黒い霧の一部が集まると、あの人外の女性の顔になった。
「さっきぶりね黒恵! さぁ!!」
すると、後ろから聞こえる足音が近付くと、首を絞め付ける黒い霧が私の後ろに流れた。
「怪異ごときが黒恵を殺そうとするのは許さないわ。お嬢さん」
すると、横のビルの天井から男性が飛び出した。紙袋を頭に被り、両手に30cm程の刃物を持っていた。刃にはのこぎりのような小さな突起が付いていた。
その刃物の一つを私の後ろに投げ飛ばし、片手に持っていたもう一つの刃物を使い黒い霧を切った。
「お願いします祈祷さん!!」
すると、紙袋を被った男性が飛び出した横のビルの天井から、何故か100均で売っているような星形のサングラスとビンク色のアフロを被っている男性が飛び出した。
片手で2m程の黒い大剣のようなものを持っていた。柄の部分には大袈裟な機械が付いていた。
「とんでもねぇデカブツだなぁ!!」
星形のサングラスを着けている男性は私をつまんでいる手首を大剣を使い切り落とした。
この高さから落ちればただではすまない。流石に死を覚悟したが、私の下に十字型の黒い金属の塊が浮かんでいた。大きさは丁度私が寝転べる程であり、私はその金属の塊の上に落ちた。
全身に痛みがじーんと広がったが、私の意識はしっかりしている。十字型の金属の塊の下を覗くと、それぞれの突起の裏に横向きに金属の筒があり、下向きに同じような金属の筒から強力に空気を吹かしていた。
「こんな小さな筒から私を浮かばせることが出来るの!?」
私は命の危機をそっちのけでこの機械に対しての好奇心が私の心に浮かんだ。
すると、十字の突起を星形のサングラスを着けている男性が掴んだ。腕の強靭な筋力を使い、上半身を十字型の金属の塊の上に置いた。そのまま私の顔を見た。
「お? そこの嬢ちゃん、どっかで会ったか?」
「星形のサングラスを着けている男性なんて知らないわ!!」
「あー思い出した!! 昨日の夜昴と一緒にいた嬢ちゃんだ!! となると……」
星形のサングラスを着けている男性は下の地面をざっと見た。
「やっぱりいたか金髪の嬢ちゃん。昴が何処にいるか分かるか?」
ようやく思い出した。昨日昴が呼んだ男性だ。確かIOSPのいのりと言う男性だ。
っとなるとさっき黒い霧を切ったのは渡辺早苗さんね。
「確かいのりさんでしたっけ?」
「お? 昴から聞いたのか? 禱真二だ」
「白神黒恵です。昴は後ろに」
「やっぱあの発砲音は昴のだったか。深華の嬢ちゃんが気付いたのはそういう理由か」
十字型の金属の塊は地面に降りた。私は地面に足をついた。
「まぁ早く逃げておけよ。あのデカブツは俺達で何とかするからよ」
私は一度頭を下げるとそのままミューレンに向かって走った。ミューレンが振り向かずに私に手を伸ばしていた。私はその手を力強く握った。
「大丈夫ね黒恵! ほら行くわよ!!」
私達はまた一緒に走り出した。ふと前に目を凝らすと、遥か向こうに人混みの中に微かに黒い人の形をした何かがいた。だがそれは3m程の背に頭部が異様に大きかった。そしてそこには脇道が見えた。
「ミューレン! 多分あれよ!! ようやく見えたわ!!」
「そろそろ足が限界だから助かったわ!」
すると、また少女が私達の前に現れた。そろそろ慣れてきたのか恐怖も無くなった。
「そろそろめんどくさいわね!」
「他のやつのせいで全然怖くないわね!」
私の頭部に刃物を投げてきたが、早苗さんが前に出て、持っている刃物で弾いた。
「なんやこのお嬢ちゃん!? 本当に人間か!?」
少女は弾かれた刃物を拾い、早苗さんに向けて走った。早苗さんは構えながら迎え撃とうとしたが、恐らく真二さんが投げ飛ばした小石が少女の胴体に直撃し、その衝撃で吹き飛ばされた。
「やっぱり凄いな真二さんは!! 僕もあんたみたいになりたいわ!!」
この言葉使いとイントネーションで京言葉に近いものを感じた。だがわざとその方言を隠している様に思った。
すると、大きな音が後ろから聞こえた。獣が走るような音は私達の横を通った。横のビルを見ると私をつまんだあの高く黒い人の形をした何かが四足歩行でビルの壁をトカゲの様に走っていた。
それは四足歩行のまま、手と足をビルの天井に置き、胴体を下に私達に顔を向けながら道を塞いだ。
「やっぱりデカイわね!!」
「今度こそどうするの!?」
「さぁ……?」
「本当にどうするの!?」
「前進よ!!」
「やっぱり!? それしか無いわよね!?」
あの存在は真二が切り落とした右手は当たり前の様に治っていた。
真二と言う普通の人間を越えた身体能力を持っている男性だからこそ何とか切り落としたのであり、今この場において誰もあの存在を何とかすることは出来ない。ただ一人を除いて――。
――昴は大勢の黒い何かを殲滅し、滅尽し、討滅し、撃滅していた。口の中で黒い何かを咀嚼していた。あまりに不味いのか顔をしかめていた。
「まずい……。……少し手間取ったかな」
昴は精神的な原因により様々な疾患が心身ともに出ていた。その疾患も光のメンタルケアや光自身のおかげでその疾患も減っていたが、僅かに残っている疾患も存在する。
その一つが、感情が高ぶるとその場にある肉だろうが植物だろうがコンクリートだろうが口に入れ呑み込む癖のようなものである。
光のメンタルケアが開始された時点ではその疾患は確認されなかったが、感情の上下が大きくなるにつれ発現した疾患である。
「――ってうわ!? 何あれ!?」
昴は遠くにいてもなお分かる異常な程の大きさの人の形をした何かを見た。だが恐怖を感じるでもなく依頼の達成が困難になったことの危惧をしていただけだった。
だが、情がない訳ではない。
「――LEGS RELEASE. USER NAME『Pleiades』」
すると、昴の脚部に着けている黒い甲冑のような機械から人間の声に限りなく近付けた合成音声が聞こえた。
『……承認しました』
「Right70% Left70%」
『安全装置解除…………完了。エネルギー残量99%。時間制限装置解除………………却下。起動開始。カウント開始。3……』
昴は裾の長いロングコートの袖を腰に回し蝶々結びを作った。そして陸上のクラウチングスタートのような姿勢をした。
『2……』
黒い鎧のような機械からモーターのような音がけたたましく響き、ふくらはぎの部分に縦に2列の複数の穴が空いた。穴からは空気が吹き出し、吹き出す空気の勢いが強くなっていった。
『1……』
何故この装備に光が現代技術基準遠未来装備と名付けたのか。それは光が生きているうちにはこの装備の技術力が数千年単くらいで追い付くことはあり得ないからだ。
空気を極限まで圧縮する機械。熱を冷ますための機械。その機械達を動かすためにの電力を貯蓄するためのバッテリー。その全てをマクロ単くらいで小型化する技術。全ての技術は光が生み出した現代基準のオーバーテクノロジーである。
遠未来の人間が見れば、現代ではあり得ない技術にオーパーツと言うだろう。
昴はカウントが0になる前に一歩踏み出した。
『――0』
瞬間、ふくらはぎの部分の穴から簡単に人を吹き飛ばせる程強く空気が吹き出された――。
――私とミューレンは足を止めなかった。背が高い人の形をした何かはビルの上にあった手を私達に伸ばした。
後ろから何かが迫るような音が聞こえた。最初はペットボトルロケットのような音に似ていたが、そんな小学生が作るものとは比べ物にならない程に大きく強い音だった。
けたたましいモーターの音から私が想像できる事象の遥か向こうの景色にいることだけは分かった。だが、誰が後ろからやって来るのかは何故か分かった。
すると、私達の前にあった手が無惨に切り刻まれた。
ミューレンは一瞬、言うなれば動画のフレームレート40fpsの一つの静止画程の一瞬だけ見えた違和感を見た。小指の第一関節が何かに噛み千切られているような傷が見えた。
人が吹き飛ばされる程強い風が起こった。すると、背が高い人の形をした何かの腕が切り刻まれた。
すると、後ろから真二さんの大きな声が聞こえた。
「おい昴!! 勝手に俺の装備を奪うな!!」
それに答える様に何処かから女性の声が響いた。上に聞こえたり右から左から追い付けない程素早く聞こえる場所が変わっていた。
「少し貸してよ祈祷さん!! こんな大きな怪物なんだから!!」
背が高い人の形をした何かはもう片方の腕を虚空に向かい振った。すると、何かに激突する音が聞こえ昴が私達の前の地面にしゃがんだ体勢で落ちてきた。片手で真二さんの黒い大剣を持っていた。
「Right0% Left0%」
すると、けたたましいモーターの音と人が吹き飛ばされる程の風が止んだ。
「SOLE OF FOOT RELEASE. USER NAME『Pleiades』. SOLE OF FOOT Right10% Left10%」
すると、またけたたましいモーターの音が聞こえた。爆発音のような音とともに昴はロケットの様に垂直に飛び上がった。背が高い人の形をした何かの頭部に触れられる程飛ぶと、右足の裏を頭部に向けた。
「SOLE OF FOOT Right100% Left0%」
辺りに響く爆発音が響いた。すると、その背が高い人の形をした何かの胴体が何かに押される様に強く仰け反った。その反動で昴は後ろに吹き飛ばされた。
「うわー!! 祈祷さーん!! ディーパニングー!! 助けてー!! SOLE OF FOOT Right0%ー!!」
昴の腰に糸が巻かれた。それでも昴は止まらなかったが、ホッケーマスクを被った女性の手袋に繋がっている糸を真二が強靭な筋力で引っ張った。
昴はビルの壁に足を付けた。ホッケーマスクを被った女性は指を巧むに使い昴の腰に巻き付いている糸を外した。
昴はビルの壁にを強靭な脚力で蹴ると、また声を出した。
「LEGS 100!! SOLE OF FOOT100!!」
また爆発音が聞こえた。同時に人を吹き飛ばす程の風が吹き荒れた。昴は爆発音とともに姿を消した。
何か大きく強いものが激突する音が響くと、背が高い人の形をした何かはビルよりも高く上に吹き飛ばされた。
背が高い人の形をした何かのもう片方の腕をまるで引き千切るようなに千切れていた。
現代技術基準遠未来装備HIKARI MARK Ⅳの脚部の中には空気を圧縮している容器がある。その圧縮された空気をふくらはぎと足裏から放出することが出来るが、昴の動きが目で追い付けない程の推進力から体にかかる力は大きいものであり、装備者の限界を考えどれだけ長くても一分の稼働分の空気は入っていない。
ただしそれはあくまで真二が基準であり、昴は空気さえあれば更に長時間の稼働は可能である。
「手も足もまずい……」
昴はそう一言呟くと、背が高い人の形をした何かの下半身と上半身が何かに切られた様に離れた。すると、下半身が何かに激突した様に上に吹き飛んだ。
上半身が道に落ちそうになったが、何かに激突する様に上に吹き飛んだ。
今度は首が切断され、頭部が更に上に吹き飛ばされた。頭部は目に写るまでもなく輪切りにされた。
回復も許さず黒い塵の様になり消えてしまった。
すると、現代技術基準遠未来装備HIKARI MARK Ⅳから合成音声が聞こえた。
『機能停止します』
「うぇぇー!? 今ー!?」
けたたましいモーターの音がなくなり、爆発音と人が吹き飛ばされる程の風がなくなると、昴は地面に背を向けながら落ちていった。
「えーとえーと……!!」
昴は体を回し、持っていた大剣を地面に向け投げ飛ばした。
「DETACH!!」
昴の腕と脚に密着していた現代技術基準遠未来装備HIKARI MARK Ⅳは僅かに肌と隙間が空いた。
現代技術基準遠未来装備HIKARI MARK Ⅳを外し、全て地面に投げ飛ばした。
昴は四肢を広げた。地面に激突せずに黒恵とミューレンの前に猫の様に着地した。
「ふー……セーーフ」
「どうやってあの高さから無傷なの!?」
ミューレンがそう叫んでいた。昴は何事もなく立ち上がった。
「無傷だから良いの!」
「いや良くないわよ!?」
「大丈夫だよ!」
「貴方本当に人間……?」
「まあー普通の人間とは言えないけどさ」
すると、突然昴は腰に袖で巻いていたコートからハンドガンを取り出し一発私の背後に撃った。
「早く逃げたほうが良いよ。私が守っておくから」
私達はまた走り出した。
「さてさて……名前は……まあ知らなくて良いや」
「……まさかその身体能力は自前なのかしら」
人外の女性はそう言っていた。だが苛立ちもなく薄ら笑いを張り付けていた。
「だとしたら人間なの? ……いえ、もうどうでも良いわ。もう手段は選ばない。ここにいる人間を全員鏖に……」
すると、昴は人外の女性を馬鹿にする様に笑い声を出した。
「まさか私をそんなことで止められると思っていたの?」
「……貴方は光との約束で全員を助けるのでしょう? なら誰も見捨てることは出来ないでしょう? どれだけ貴方が強くても不可能よ」
そう言いながら人外の女性は体から黒い何かをおぞましい程の数が飛び出していた。
「それで?」
「……大した自信ね」
「自信? 違うよ。自信でも憶測でも想像でも自意識過剰でもないよ」
昴はコートからナイフを一つ出した。そのナイフを人外の女性に向けた。
「この場にいる人間を全て守る。それはこれから起こる事実って言うんだよ?」
人外の女性から飛び出していた黒い何かを辺りに撒き散らした。昴は自身に向かってきた存在を当たり前の様に殲滅した。
その速さは人外の女性に想定していたものとは遥かに違っていた。素早く殲滅した昴は一瞬のうちに人外の女性の首にナイフを投げ、突き刺した。
人外の女性に向け走りながらコートからナイフを取り出した。
人外の女性は迎え撃つために自身の体を霧に変えようとしたが、昴は突然人外の女性の視界から消えた。霧に変えることも出来ず腕を肘の辺りから切断された。
すると、昴は目に写すことも許さず人外の女性の背にナイフを突き刺した。
腕を……切られた……!?
柔らかい体を使い体を一瞬で低くし、背に刺さったナイフを抜き、両足のふくらはぎを切った。
背中を刺された?! はや……!?
低い姿勢にもかかわらず片手で逆立ちし、片手で人外の女性の背を越える程跳躍し、ハンドガンの弾丸を一発頭上めがけて撃った。
脚を……?!
ようやく人外の女性は後ろを振り向いた。
昴はハンドガンを後ろに投げ捨て、人外の女性の首に突き刺さっているナイフを抜き、体を回し人外の女性の腹を切り裂いた。回した体の両足は地面から離れ踵は人外の女性の頭部に激突し、横に吹き飛んだ。
無数の黒い何かは体が歪み縮み、膨張し、やがて塵になって消えた。
「ラッキー。全部消えた」
人外の女性は何故自分が倒れたのか理解出来なかった。
昴は人の死角に潜り込むことが得意だった。その特技と人間離れした身体能力が合わさると、必ず思考が追い付けない。
「……どうやって……昨日は……あんなに動きが……」
「やっぱり生きてるよね。昨日? 昨日は一昨日のハードすぎる筋トレで筋肉痛が酷かったんだよね。いつも通り体が動かせなかったしすぐ疲れちゃったし」
「……それでも……人間の形をした……私を殺すつもりで……」
「あーそれね。私は前に貴方を蹴ったでしょ? ほら、牛の頭をしたあの黒い怪物を倒した後。その時感触がおかしかったんだよね」
昴は五感が優れていた。そして誰よりも人を傷付けるときの感触を知っていた。
「貴方、内蔵が存在しないんでしょ?」
女性はゆらりと立ち上がった。その傷からは血が流れていなかった。
「最初は疑ったけどね。背中を刺した時に確信したよ。血も流れてないし骨もないしビックリしたよ」
「当たり前よ。この姿はあくまで皮にすぎないわ」
「成程成程……」
昴は後ろを振り向いた。黒恵とミューレンが思ったより遠くに走っていた。
「あーちょっと遠いなー……。仕方ないかな……」
昴は人外の女性の視界から消えた。次に人外の女性が見た景色は空だった。次に体中に衝撃が電撃のごとく走った。前に前に吹き飛び黒恵とミューレンを通り越した。
地面に滑っても、まだ人外の女性は薄ら笑いを張り付けていた。黒恵を前にし、その笑いは裂ける様に更に口角を上げた。
だが黒恵の背を越える程に高く跳躍した昴のドロップキックが人外の女性の体に激突した。更に向こうに吹き飛ばされた。
「頼んだよ祈祷!!」
空中を飛んでいた人外の女性の頭部を、いつの間にか先回りしていた真二が殴り付け、地面に人外の女性の体を叩き付けた。
「こうで良いんだよな!! 昴!!」
「昴って言わないで!!」
「おっと忘れてた。プレアデスだったな」
すると、黒恵が声を出した。
「オーバーキルにも程があるわ……」
「いーや、まだ終わっちゃいねぇよ。手応えがしねぇ」
真二さんはそう答えていた。見ると人外の女性の頭は黒い霧に変わっていた。すると、人外の女性の体は黒い霧に変わり、辺りに漂った。灯りが付いてもいない街灯の上に黒い霧が集まり人の形になった。
「プレアデス、弾をつめておいたぞ」
「ありがと祈祷さん」
真二は昴にハンドガンを投げ渡した。
真二は街灯の上にいる人外の女性を眺めていた。まるで自分の拳が効いていない様に佇んでいた。
だが、昴が付けた傷はある程度痛んでいる様に見えた。
「なぁプレアデス。俺の拳が当たってねぇ」
「けど私が付けた傷は残ってるよ」
「つまり?」
「理由は分からないけど私しか傷を付けられないってこと」
「あぁ、成る程」
黒恵とミューレンが走り出し、それを追いかける様に人外の女性は体を霧に変え空を泳いだ。
真二は右手で前髪を掻き上げた。すると、昴程では無いにしても速く前に飛んだ。その霧を殴ると、人の形に戻り地面に叩き付けられた。
「ん? 今度は効いたのか?」
人外の女性の体から、鹿のような動物の頭部が飛び出た。頭部の角が真二の体を引っ掛け、頭部を横に思い切り振った。真二は横に飛ばされた。
人外の女性の腹から無数の黒い兎のような何かが現れ体を運んだ。
「何かたくさん来るわよ黒恵!」
私の隣で一緒に走っているミューレンがそう叫んでいた。
「たくさんって!?」
「50……いえ、60はいるわ!」
「何それ多すぎない!?」
「けど小さいわ!」
すると、また私達の前から少女が現れた。諦めが悪すぎる。もうめんどくさい。
すると、早苗さんが姿勢を低くし、私とミューレンの間を通り抜けた。
「ちょい失礼」
早苗さんは低い姿勢で少女の足首を切断した。
倒れかけた少女の腰に糸が巻かれた。その糸は街灯にも巻かれており、ホッケーマスクを被った女性の手袋の指先に繋がっていたのは容易に想像できる。
少女の体が糸に引かれるがまま宙吊りになった。だがその糸に捕らわれた少女は、その場からまた消えてしまった。
次に現れたのはホッケーマスクを被った女性の背後だった。真二や昴なら対処など容易いが、ホッケーマスクを被った女性は基本的に人間よりだ。ほとんど人間をやめている二人を比較に使うのも適当ではないだろう。
苛立ちの表情をしていた少女はホッケーマスクを被った女性の背を突き刺そうとした。しかし十字型の機械が縦向きにホッケーマスクを被った女性を守る様に少女の間に入った。
もう一つの十字型の機械が横向きで宙に浮いていた。その上には真二と同年代のスキンヘッドの男性が立っていた。目に見える筋肉はボディービルダーとまでではないが、なかなか大きな筋肉を付けており、左腕が黒い義手になっており、ハート型のサングラスをかけていた。
「何て変なサングラスかけてるんですか!?」
その問いに男性は声を出した。
「祈祷よりは良いだろ。あんなアフロよりは」
「スキンヘッドにハートのサングラスは逆に怖いですよ!?」
すると、昴は少女を投げ飛ばした。
「"鬼の醜草"さん!」
「もう少しその名前をどうにかならないのか……」
「じゃあ"思い草"さん!」
「まあ鬼の醜草よりはましか」
「前に祈祷さんが言った女性がいるからサポートお願い! あ、それと私の装備は後で回収してて! 私は依頼があるから!!」
「祈祷よりはマシだがお前も自由だな……」
すると、昴は一瞬で人外の女性と距離を詰めた。そのまま蹴り飛ばした。
人外の女性の体はまた黒恵とミューレンの前にまでまた吹き飛んだ。
「また飛んできたー!?」
「そのまま目標まで頑張れ黒恵!!」
人外の女性は大きく笑った。
「あぁ……!! 痛いわぁ……!! ねぇ昴……!!」
「嘘付かないでよ! 痛みも感じないでしょ!!」
「何でそんなに分かるのかしら……!! あぁ……本当に貴方って素敵……!!」
昴はいつの間に無意識に魅力したのだろうと思っていた。
私達が目指していた脇道まであと少しだ。
あと少し……!!
人外の女性はまた大きく笑った。背中から30mを越える黒く、体節が複数あり、奇数対に複数の鋭い脚があり、固い鎧のような甲殻がある百足のような何かが現れた。
「さぁ!! 終わらせましょう!! 昴!!」
「いやーごめんね。私はあくまで黒恵とミューレンからの依頼で二人の護衛をしてるの。それにもう疲れたし、私の次に強い人間とその仲間が闘うから」
すると、百足の足は二つの黒い十字型の機械が乗り、空に上がった。体をくねらせ無理矢理降りたが、まるで蜘蛛の糸に絡まった様に空中に浮かんでいた。
だが、百足は足を使い、糸を千切ろうとしていた。
早苗が辺りに張っている糸に足をついた。本人が大したことないと思っている並外れた三半規管と体の柔軟性を使い、糸の隙間を縫いながらあっという間に百足の足をほとんど切断した。
未だにおぞましく蠢いていたが、貫く様に熱のレーザーが百足の頭に穴を開けた。およそ300m後ろに銃身が長い銃を構えており、舌打ちでクリック音を鳴らしている女性がいた。黒い髪を後頭部にまとめ、黒縁の眼鏡をかけており、口元をマスクで隠していた。
ここまで協力し、完璧な状況に、真二は感謝していた。
真二は大剣で辺りに張っている糸ごと百足を自身の並外れた筋力で真っ直ぐ切断させた。
百足は黒い塵に成り下がった。
黒恵とミューレンは脇道に入った。だが、その暗闇の向こうには少女が口角を上げながら二人に向かった。
だが、二人の後ろから一発の発砲音が響いた。少女の額に弾丸が貫いた。
二人の視界は闇よりも暗くなった。
昴は少女と二人の姿が目の前から消えたのを見た。常人なら不思議と恐怖で自分を疑うかもしれないが、昴は「二人なら目の前から消えるか」と思っていた。
「依頼執行! さーて、あ、と、わぁ、貴方だけだよ」
昴は人外の女性を見た。
まだ人外の女性は笑っていた。
「……黒恵が逃げちゃったわね……。仕方ないわねぇ……」
「え、まだ何かあるの? 流石に疲れたよ?」
「えぇ……。これだけはやりたくなかったけど……!!」
すると、人外の女性の背中から胸に向けて大剣のようなものが突き刺さっていた。
昴は初めこそ真二が突き刺したと思っていたが、大剣は白と黒が合わさった色、しかし灰色ではない色をしていた。白と黒が灰色ではなく、本来は反発するものが同時に存在していた。あり得ないが、例えるなら水と油が混ざっているようなものだと昴は理解を拒む頭で一旦そう言うものだと言い聞かせた。
「え……?」
人外の女性はゆっくりと後ろを振り向いた。
そこにはナニカがいた。
男性かも女性かも分からない、いや、この表現は正しくないだろう。女性であり、男性でもあるような人の形をしたそれは一枚の大きな布に首を通すための穴を開けているだけの無縫の服を着ていた。その服さえも白と黒が合わさった色、しかし灰色ではない色をしていた。
そして頭部は顔などなく、白と黒が合わさった色、しかし灰色ではない色をしていた。
「何で……■□■が――!?」
人外の女性は絶やさなかった薄ら笑いが崩れ、驚いているような顔をした。
「□■□■□■□■□■□■□■□■□」
「違うの……!! 私は……!! □■□の……!!」
ナニカは白と黒が合わさった色、しかし灰色ではない色をした大剣を引いた。
すると人外の女性は心の底から溢れた笑顔をしながら、その場で倒れてしまった。昴が傷付けた傷から血が流れ始めた。
「な……何を……?」
「■□■□■□■□■□■□」
「……私は……」
抜けていく血と低くなる心拍と薄れ行く意識のなか、乱れている呼吸は何かに興奮しているようだった。
ナニカは人外の女性の顔を片手で触れた。そして顔のような部分を近付け、唇のような部分を人外の女性の唇に合わせた。
人外の女性の傷は塞がり、こてんと眠る様に目を閉じた。
「□■□■□■□■□■□■」
ナニカは人外の女性を抱き抱えた。
昴はこの存在に見覚えがあった。
「……もしかして貴方は……あの時の……!?」
ナニカは一目昴を見る様に頭部を回すと、その場から不気味なものを残し消えた。その不気味なものは神々しく禍々しいものから浮かび上がる感情だった。
「……あ、逃げられた」
すると、遠くからパトカーのサイレンの音が響いた。
「あ、私IOSPじゃないから逃げるね! 私の装備は回収してねー!!」
そう言って昴はビルの窓枠を掴んだ。腕を使い上に飛び、またビルの窓枠を掴んだ。そんなことを繰り返し、ビルの上にまであっという間に登っていった。
ビルの上で思い切り走り、四肢を広げ、上から飛び降りた――。
――私とミューレンはある場所にいた。ミューレンは始めてみる景色だが、私は一度見たことがある。公園のような場所に、もう何処にも残っていないはずの電話ボックスの公衆電話だけあった。それ以外は何もない。
「ジリリリリ」とその公衆電話から鳴っていた。
すると、前から少女が現れた。だが、まるで予想外の出来事が起こった様に辺りを見回していた。
すると、電話ボックスの扉が開いた。黒い何かが電話ボックスの中を満たし、その黒い何かから無数の腕が少女が抱えていたテディベア目掛けて伸びてきた。
無数の腕はテディベアと少女を引き離そうとしていた。少女は声を出さなかったが、その少女の顔からは想像できない程恐怖と苦痛の表情をしていた。
悲鳴が聞こえるような表情にミューレンは恐ろしく思っていたのか、口を手で抑えながら目に涙を浮かべていた。
少女の手からテディベアが離れ、電話ボックスの中の黒い何かに呑み込まれた。少女の作り物の体は腐る様に変色し、崩れ落ちた。頭は私を睨みながら何か大きな力が加わったのか血を撒き散らしながら潰れた。
電話ボックスの中の黒い何かは消え去り、そこから小学生のような少女が現れた。
少女は顔を隠しながら受話器を取った。すると、ミューレンのスマホから着信音が鳴った。
「……もしもし?」
『……もうこれで会うこともないと思う。バイバイ』
そして少女は電話ボックスから消えてしまった。
「……ようやく終わったわね黒恵。帰りましょう?」
そしてミューレンは帰るためか後ろを振り向こうとしていた。
私は何か考えていた。私の思考はまだ止まっていなかった。まだ安心していなかった。何か違和感を感じていた。
「……ミューレン、前を見てて」
「え?」
私はミューレンの手を引きながら電話ボックスの中に入った。
「ねぇ黒恵? どうしたの?」
「……帰れるとも言ってないし、振り向いても良いとは言ってないわ」
するとミューレンは頭痛がしたのか、頭を抑えた。私は落ちていたテディベアを抱えた。
すると、上から頭を逆さまに私の顔を覗いている真っ黒な顔があった。
「なンでキづいタノ」
そんな声が聞こえた。
「やっぱり貴方は……!!」
目の前は黒く染まり無数の腕が私達を向こう側に引っ張った。私の意識はそこで途絶えてしまった――。
――黒恵……。黒恵……! 黒恵!!
私は願った。見えないが確かに感じる手の温もり、向こうに黒恵はいる。
「黒恵!!」
その声は闇に消えた。
すると、心の奥から何かが溢れた。
私の意識は光に包まれ消えた――。
――そこは黒恵の家だった。黒恵はミューレンの足元で気絶していた。
そのミューレンの金髪は神々しい白髪に変わり、銀色の何処か虚ろな目をしていた。その目にはミューレンの人格は消えているようだった。
ミューレンはまばたきをすると、神々しい白髪は金色に戻り、その目は金色に戻りミューレンの人格が戻っていた。
「ここは……? って黒恵!? 大丈夫!?」
黒恵の家だと分かったミューレンは、黒恵を寝室に寝かしておいた――。
――っはぁ!? ここは私!! 私は何処!! つまり世界は私!! と言うことは私は世界!! 証明完了Q.E.D.!!
黒恵は目が覚めた。
見慣れた天井に少しだけ安心したが、何故ここにいるのか分からなかった。すぐに頭を回したが、次に私はミューレンの安否を心配した。
私は疲れきった体を動かしながら寝室から出た。
「ミューレン……!」
リビングにはミューレンが心配そうな顔で同じところをぐるぐると回っていた。私の顔を見ると、目から涙を溢れさせた。飛びそうな勢いで私を抱き締めた。
「黒恵ー!! 黒恵黒恵黒恵黒恵!!」
「オカルト一筋の白神黒恵さんよ」
ミューレンは私の胸で顔を擦り、涙が薄い布に染み込んだ。むせび泣く声に少しだけ罪悪感を感じたが、椅子に座り優雅にコーヒーを飲みながら、机の上にある少女のテディベアを眺めている昴の姿に疑問を感じた。
「ねぇ昴、その胸はパッドよね?」
「私に最初に聞くのがそんなセクハラ発言なの!?」
女性的な昴の声に違和感が有りすぎる。目元を隠しているから身柄を隠すためとは分かっているが口調も声も違和感が有りすぎる。
「まぁそうだけど、そんなことより早く報酬の話に移ろう? 足りないなら最悪風呂に沈めるから――」
私は抽選で当てた温泉旅行のペアチケットを一枚渡した。
「はいこれ」
「何これ?」
「極楽下温泉街のペアチケット。光は多分あんまり外に出ないから行かせてあげたら?」
昴は少しだけ驚いているような顔をしたが、何処かから金属のカード状のものをこちらに差し出した。まるで芸術品の様に細かい装飾が施されており、表面にはspecial Permissionと書かれていた。
「何これ?」
「もし何か私に依頼を頼む時に、紹介料と仲介料と入場料と依頼料が無料になるすーぱーすぺしゃるごっとかーど。光を笑顔にすると言う無限の価値を提供してくれたから特別に。大事に使ってよ? これをあげたのは黒恵が初めてだし、再発行は出来ないからね」
まだ私の胸でミューレンは泣いていた。
ようやく追い付いてきた疲労と眠気が襲ってきた。意識が陽炎の様に曖昧に揺らいだ。
「……あー……黒恵、ちょっと人質になってね」
昴が何かを言っていたが理解をする頭が回らない。すると昴は私の背に周り、私のこめかみにハンドガンの先を当てた。
すると、私の玄関の方向から何かが蹴破られる音が聞こえた。三つの足音がこちらに迫り、その正体は武装した人達だった。
「武器を捨てろー!! この二人がどうなっても良いのかー!!」
「ひ、人質とは卑怯な……!!」
「市民を守る人達はこれで動けなくなるから簡単だよねヘッヘッヘ!!」
昴は私の背にあるベランダに走り、その場から頭から落ちた、かと思ったが、上から縄梯子が降りてきた。すると、縄梯子が上に昇り、昴はその縄梯子に逆さまで乗っていた。
「バイバーイ! 機動隊の諸君!!」
昴は手を振りながら満面の笑みでそう言っていた。縄梯子は向こうに離れると、その縄梯子は物資を運ぶ様に大きなヘリから降ろされていた。
髪と目が赤く、眼鏡をかけており短髪の女性が縄梯子を昴ごとヘリに入れていた。
「ボス、お手を」
「ありがとうな。"アンジェリカ"」
「報酬は結婚で」
「いつものところに金を振り込んでおくから勘弁してくれ」
昴はヘリの操縦をしている髪と目が赤い男性の横に座った。
「クラレンス、お前はいっつも役に立つな」
「報酬はきっちり貰うでボス!」
「お前は隠しているぞ」
「何でやボス!」
「見つけたら三割増しで振り込んであるぞ」
「大好きやでボスー!!」
すると、アンジェリカと呼ばれた女性がクラレンスの頭を掴んだ。手に力を入れているからか、血管が浮き出ていた。
「例え兄でも殺すぞ」
「冗談に決まっとるやろがい。第一、ボスみたいな男は好みじゃないんや」
「ボスの何処に不満がある?」
「俺の弁明が意味をなしてないで!? お兄ちゃんはアンジェリカの恋路を応援しとるんや」
昴は化粧を落としながら言葉を漏らしていた。
「本当に応援してるなら無駄だって教えろよお兄ちゃん」
すると、後ろから警察のヘリが追いかけてきた。アンジェリカは後ろに積んでいる木箱からRPG-7を取り出した。扉からRPG-7を後ろのヘリに向けた。
「おい待てアンジェリカ!」
「ボスに仇なす者達を血飛沫に変える花火が駄目なんですか」
「駄目だろ!! 地上には警察がいないから、クラレンス! 分かってるな!!」
クラレンスは笑っていた。
「無茶言うでボス!!」
昴は後ろに乗っていた黒い布が被っており、縄で縛られたものの近くに置いてあったバイクヘルメットを被った。
縄を解き、黒い布を取ると、黒い大型バイクが現れた。昴はすぐに乗り、エンジンを吹かした。
このバイクは昴が(ちょっとだけ光が)、普通の人が頭を抱える程改造をしている。最高速度も馬力も強度も壊れにくさもガチガチに改造しているため昴の愛用のバイクになっている。
「アンジェリカ! そこを開けてくれ!」
昴に答える様に頷くと、前の扉を開けた。
更に強くエンジンを吹かすと、ヘリは突然急降を始めた。まだ地面まで20mはあると言うところでバイクは前進した。
「それじゃあなー!! クラレンス! アンジェリカ! 上手く逃げてくれよ!!」
昴はそう言い残し、ヘリからバイクと一緒に飛び降りた。
昴は風になっていた。
最後まで読んで頂き、有り難う御座います。
ここからは個人的な話になるので、「こんな駄作を書く奴の話なんて聞きたくねぇよケッ!」と言う人は無視して下さい。
本当はこの話でミューレンを出す予定はありませんでしたが、ミューレンの胸と嘔吐する姿が書きたいので出しました。
(……もう何もないからどうでも良い設定でも出すか……)
黒恵 好物:だいたい。大抵は食べられる。
「さすがにハカールは無理よ?」
ミューレン 好物:薄味のもの。
「素材の味を生かしているものとかね」
光 好物:昴君の作ったもの。
「不味いわけがないよ」
昴 好物:味の濃いもの。
「特に甘いもの。好き嫌いを無視すれば何でも食える」