三つ目の記録 温泉旅行は二の次に ⑥
注意※分かりにくい表現、誤字脱字があるかもしれません。そしてもうホラーは存在しません。戦闘しかありません。私の作品がホラーじゃないと言えばそれまでですが……。「そんな駄作見たくねぇよケッ!」と言う人は見ないでください。
ご了承下さい。
昴の頭部に強烈な衝撃が走った。
昴は反応が出来なかった。それは単純に、純粋に、昴の反射神経を上回る速度で殴られたからだ。それはつまり昴の身体能力を上回る可能性が有る。
一瞬意識が吹き飛んだ。
その次の景色は星が輝く夜空。その星々に一瞬だけ目を奪われたが、昴は自身の状況を掴もうと辺りを見渡した。
居た場所から直線距離でおよそ300m。何だ。何で俺は飛ばされた……。
思い出したのは牛のような角。昴はまだ何も思い出せない。だが、答えはすぐに現れた。
それは昴の腹部を殴りつけ、そのまま服を掴み更に遠くに投げつけた。
昴は空中でその姿を視界に押さえた。
それは伝承通りの鬼であった。
牛のような角が側頭部から二本伸びており、その頭部から生えるのは石炭のように黒く長い髪。その髪が地面に付くまで伸びていた。
それは女性だった。ただ、身長は目測で2mを超えており、顔は凛々しく笑っていた。
着物のような物を着ており、帯の上も下も大きく大胆に開いており、そこから見える腕と脚は目に見える筋肉が大きく映えていた。見える胸の谷間には包帯のような晒が僅かに見える。
足には下駄を履いていた。
そして、それより目を瞠るのは、首と両腕と両足に付けられた罪人を拘束するための鉄の枷と繋がった鎖とその先に付いている直径50cm程の鉄球。
昴は衝撃を殺しながら着地した。
凛々しい女性は昴の前に現れた。
「よう、お前、名前は」
威圧的に、そして楽しそうに笑いながら昴にそう聞いた。
「……まずそっちが名乗ったらどうだ」
「お前凄いな。頭領にそんな口調でいるなんてよ。俺の名は……そうだな。"禍鬼"とでも呼んでくれ。もう名前も忘れた」
「……五常昴だ」
「ん? 男か?」
「……男性だ」
「そうか。女かと思ってたぜ」
何だこいつ……。と言うか何処から来た? 来たのは多分北東方面……貴船神社はどうなった……!? しかも北東って言ったら鬼門か……!! こいつ……!!
「鬼か……!!」
「今はそう言われてるらしいな。最近の言葉を色んな奴から学んでな。――っと、始めようか、時間が勿体無いよな」
そのまま禍鬼は昴の視界に捉えられない程素早く動き、昴の頭部に拳を当てた。
拳は昴の頬に激突し、歯を砕いた。
昴は反応出来ずにその場でよろめいた。禍鬼は間髪入れず腹部に膝蹴りを入れた。
昴は無意識的に、咄嗟に、腹部を押さえた。禍鬼はそのまま腕を薙ぎ払い、その枷の先に繋がっている鉄球を昴の頭部に激突させようとした。
昴はそれを片手で止め、両手で掴み鎖に繋がった枷と禍鬼の体ごと投げ飛ばした。
鎖を掴み、下に動かしそのまま空中に飛ばされたその体を地面に叩き付けた。
禍鬼が叩き付けられた周辺の地面は衝撃で僅かに窪み、ザラザラとした土煙が舞い上がった。
すると、鎖が重機に強く引かれるように動いた。昴は危険を感じ、その手を離した。
夜の土煙の中から、月光に照らされた女性が立っていた。鉄球を引きずりながら、しかしその鉄球の重みを感じさせない歩きで昴に足を進めていた。
「良い動きだ! 俺の見立ては正しかったみたいだな」
「あれで生きてられるのかよ……」
昴はそう言いながら口の中に残っている折れた歯を吐き出した。
その体には、傷と言う物は付いていなかった。着物に土の汚れが付いているだけで、その体には未だに健康的な筋肉が見えるだけだ。
「久し振りに外に出てみたが、お前みたいな強い奴が生まれた時代に出れて良かったぜ。……あぁ……ほんっとうになぁ――!!」
禍鬼の顔には笑顔が浮かんでいた。だが、それは愉快に、そして狂気的に、そして何より戦いを、殺戮を、鏖殺を楽しんでいるように見えた。
「何だよ、何か喋れよ。強い奴と喋るのは好きなんだぜ?」
「……何が目的……いや、戦いか」
「ああ。勿論。目の前の奴を潰す快楽! そいつが出すきったねぇ叫喚! それにそいつが出すドス黒い血も! 俺から流れる血も! その全てが俺を酔い痴れる!! お前なら分かるはずだ! お前程の力を持つお前なら!!」
「分からないな。人を傷付けるのはあんまり好きじゃ無いんだ」
「その血の匂いでか?」
禍鬼は更に口角を上げた。それは昴を嘲笑っていた。
「まぁ良い。俺を楽しませてくれるなら全てがどうでも良い」
昴の体はもう万全では無い。口の中が切れ、中に血の味がある。とても苦く鉄臭い味だ。
そして、未だに腹部と頭部に痛みが犇めいている。まともな動きはもう出来ないだろう。
それに加え、鉄球が五つ引きずっているはずなのにも関わらず、自身を超える身体能力。
そして、音を聞くと、辺りにも何かがいる。光に近付く危機と、救出を急ぐための焦り。昴の精神的にも弱り始めていた。
禍鬼は勢い良く昴に向かった。繰り出された技術の文字が無いただただ真っ直ぐ飛んでくる右の拳を、昴は左腕で防いだ。あまりの衝撃に骨が折れ筋肉がはち切れそうだったが、限界まで硬直させた筋肉の壁で難を逃れた。
しかし、禍鬼は左足を空に向け高く上げ、その足を昴の頭部に振り下ろした。昴は体を動かし、頭頂に激突することを避けたが、そのまま肩に振り下ろされた。
あまりの衝撃に体勢を崩した。そのまま肩を流れるように落としながら地面に強く踏み込んだ。
昴の背後に鉄球が重々しく地面に衝突した音が聞こえる。それはいとも容易く常人の骨を砕く怖ろしい凶器である。昴はその全てに気を配らなければいけない。
昴は姿勢を低くし、そのまま脚を回し足払いを企てたが、その人間にとっては圧倒的な速度よりも、人間を遥かに超えた人外の速度の方が上回った。禍鬼の体は既に空中に浮かんでおり、足の枷の鎖に繋がれた鉄球が昴の左足に激突した。
あまりに速く、そして予想外の行動に昴の左足の筋肉の硬直は間に合わず、骨を砕く音が聞こえた。そして何より、姿勢を低くしたのが悪手であった。
禍鬼は未だに滞空中だ。空中で腕を下に薙ぎ払い、昴の背に鉄球を激突させた。昴は衝撃により地面にそのまま胴体を叩き付けられた。
落下の勢いのまま、禍鬼は昴の頭部を上から足で押し付けた。
何かが割れる音、そして何かが潰れる音。地面に僅かに流れた赤い血は、昴の傷を表した。
そのまま禍鬼は何度も昴の後頭部を踏みつけた。何より狂気的に笑い、そして自分が強者を殺した優越感に浸っていた。
昴はもう悲鳴も出していない。禍鬼は昴が死んだと結論付け、動きを止めた。
「久し振りにしては楽しませてもらった! それじゃあな、昴」
禍鬼はそのまま別の人間に向かった。殺すために、そして強い者と戦うために。禍鬼は修羅であった。
すると、自身の背後から何かが動いたような音が聞こえた。振り返ると、突如として自身の視界の半分が暗くなり、頭部に衝撃が走った。
そのままその衝撃によろめいた。
「油断したなァ!! 力むことも出来ずに半分の目が潰されてるなァ!!」
昴は立ち上がっており、頭から止めどなく血を流していた。左足を引きずりながらも、禍鬼の頭部に一発拳を叩き込んだ。自身の痛みをごまかすためか、大きく口を開き下品な笑い声を上げていた。
禍鬼は右の瞼を押さえ、嬉しそうに笑っていた。
昴を殺したと思い、少しだけ収まった闘争本能の昂りが、鼓動が、興奮が、また心臓を激しく動かし熱を帯びていった。更なる本能の殺戮衝動に駆られ、鋭く尖った口を剥き出しにさせ、唾液を口に留まらせることを忘れていた。
「お前は最高だ!! もっと来い! もっと俺の中を熱くさせてくれ!! 殺し合おうじゃねぇか!!」
「殺すのも殺されるのもこっちはごめんだァ!!」
だが、この戦いは明らかに昴が不利である。一発拳を叩き込んだとは言え、昴の方がダメージがあるのは確か。それに加え昴を大きく上回る身体能力。そして、昴は自身を超える実力者との戦闘経験が皆無であった。自分より強い強敵の対策が無であった。
それでも昴が強気な態度を取っているのは、勝算があるからでは無い。痛みをごまかすための麻薬物質が昴の脳内に溢れているだけだ。それも何時か弱まり、動くことさえ困難になる。
二人は獣のように睨み合い、そして動き出した――。
――私の隣にいるミューレンが苦しんでいる。そして、何故か何処からか大きな音が聞こえる。
「ミューレン! ミューレン! しっかりして!」
「……大丈夫……大丈夫……!!」
「大丈夫じゃ無いわよ!! そんなに苦しんでて!!」
すると、隣の部屋の方向から何かが壊れるような大きな音が響いた。
騒々しいなんて言っている暇は無い。すぐ近くに危険が迫っている。
私はミューレンの手を引き、その隣の部屋を覗いてみた。
夜の町並みが見える程壁が壊れており、何故かこの状況で光はまだ寝ていた。
その近くに牛のような角を持つ男性が立っており、それは鬼のようだった。
壁から崩れたであろう木片を持ち、私はそのままその鬼に向けその木片を頭に投げ付けた。
まさかのクリーンヒットをしたのか、そのまま倒れてしまった。
「倒した! 倒したわよ!」
一旦光を布団から引きずり出した。
「ほら、起きてよ光! 色々大変なのよ!」
「……んんしゅ」
「何語よ!」
「……ひかりご……。……すばるくんはどこ……」
「ああそうだったわね! ミューレン! 下に連れて行くわよ! 多分コーヒーがあるから!」
「……やーだー……」
私はミューレンと協力しながら光を下に降ろし、コーヒーを探し回った。
休憩室にコーヒーメーカーがある。
「で、ブラックで良いのよね?」
「……やーだー……」
「じゃあそれね」
時間は掛かるが、とりあえずは出来た。後は飲ませるだけなのだが……。
「……やーだー……」
光が顔を動かしながら頑なにコーヒーを避けている。
「ミューレン! 口開けて! 無理矢理流し込む!」
「了解!」
ミューレンは片手で光の顔を固定し、唇をめくった。私は頬を掴み、無理矢理口を開かせ、そのまま流し込んだ。
光は舌を出しながら苦そうに顔をしかめている。
「苦いー!」
「ようやく起きたわね光! 色々あって説明は後!」
「まず昴君は?」
「……あれ。知ってるんじゃないの?」
「いや……一緒に寝てたと思うけど……」
「……とりあえず戻ってみるわよ」
光と昴の宿泊室に戻った。
まだ鬼のような男性は倒れている。そして、壁が崩れている理由は恐らくこの男性が壊したのだろう。
昴は見当たらない。
……先に逃げたとは考えられない。まず昴だ。私達を見殺しにしようとした昴がそんな行動を起こすとは思えない。
と、なると、それ以上の脅威……。
とにかくここは危険なことには変わりない。それはこの鬼を見れば分かることでもあり、ミューレンの様子からでも分かっている。
光は部屋にある荷物を漁り始めた。
「ちょっと光! そんなことしてないで速く逃げるわよ!」
ミューレンが焦りながら苦言を呈していた。
そして、光は荷物の中からハンドガンタイプの新型銃を取り出し、少し大きめのリュックの中に入れた。
「まず明らかにおかしいよ。それはミューレンなら分かってると思うけど。この人の容姿は完全に鬼。まさか本当にいるとは思ってなかったけど、目の前にいるから信じるしか無い。そして、こんな所にだけいるとは思えない。昴君がいない理由も、何かに襲われた可能性も高いなら、もしもの為に昴君が用意した武装はある程度持って行った方が良いでしょ」
ミューレンは納得したような声を出していた。そして、光が漁っている荷物から一緒に使えそうな物をリュックに詰め始めた。
「それで、何処に逃げるのよ。武器を持つのは分かったけど」
私はそう光とミューレンに聞いた。
「……鬼門は避けた方が良いわよね」
ミューレンがそう呟いた。だが、それは確信が無く、光に判断を委ねているように聞こえた。
「……どうだろう。この人が確かに鬼なら鬼門から来たと思うけど……。……私は裏鬼門の方が危険な気がする」
「それはどうして?」
ミューレンが光にそう聞いた。
「……鬼門って言うのは鬼が出入りする方角って言うのは有名な話だけど」
私は知らなかった。
「裏鬼門の方角も同じくらい嫌われてるんだよね。それで、鬼門を入り口として、裏鬼門を出口と仮定すると、鬼は裏鬼門に向かうんじゃないかなって」
「……けどここからじゃ分からないわよ」
「ちょっと待ってね。何処かに私特性の探査機器が入ったやつが……」
光は鬼の体に下敷きにされたボストンバックを見た。
光は鬼の体を転がし、そのボストンバックを漁った。
「えーと……これは昴君の位置を知れる……これは取っておこう。これは……簡易式AED。こーれーはー? あ、そうだそうだ。小型発電機だ。1100kwhくらいの発電量だっけ? 結構少ないや」
一つ明らかにとんでも無いテクノロジーを持っている物がある。それを持ってくるのはどんな事態を想像したんだろうか。一斉停電くらいしか思い付かない。
「あ、あった! 超小型探査機!」
光が取り出したのは小さな丸く白い箱を取り出した。
箱を開けると、そこには小さな機械のような物があった。恐らく1cmにも満たず、目視で確認するのがやっとで細かな造形は分からない。
光はそれを外に投げ飛ばした。
「良し! ちょっと時間がかかるけど外に逃げながら!」
光はリュックサックを背負い外に向かって走っていった。
私達もその背中に着いていった。
「光、昴は大丈夫なの?」
私はそう聞いた。
「……大丈夫だよ。私が生きてる限りきっと……」
そう言った光の顔は辛そうに見えた。やはり心配なのだろう。
すると、何かが這ってくる音と共に、竹垣を突き破った大きな白い蛇が現れた。
もうこの二日か三日で何度も見てきた蛇だ。その上にはやはり斎さんがいた。
「ここにいましたか! 説明は後に! 早く乗って下さい!」
私達はその大きな白い蛇の胴に乗った。
「斎さん! 何があったんですか!」
私は好奇心を出し、その質問をした。
「……ここは境が曖昧です。それ以前は本当に魑魅魍魎が跋扈し、それこそ人が住めない地となっていました。すると、突然鬼が現れ、同時期に正鹿火之目一箇日大御神と經津櫻境尊が近くの村に祀られました。妖も鬼に喰らわれ、鬼の勢力は徐々に大きくなりました。妖も困り、そして山の神の齎しがあるこの地を得るために正鹿火之目一箇日大御神と經津櫻境尊が妖と契を交わしました。その契は、『鬼を閉じ込め、安全を保証する代わりに牢屋に近い身の安全を保証する世界を作り上げる』。これが正鹿火之目一箇日大御神がつい先程教えて下さった話です」
「その鬼が何で今この街にいるのよ!」
「……それが分からないのです。確かにここ最近正鹿火之目一箇日大御神の力が弱まってはいましたが、鬼はまた別の世界に居たはずなのです。そう簡単にこちらの世界に入るなんて……」
「……經津櫻境尊」
「……やはりそう思いますよね」
そうだ。こんなことが出来るのは經津櫻境尊しか私は知らない。境を司る經津櫻境尊しか、こんなことが出来ない。
貴船神社に近付けば近付く程、辺りに炎が燃えている。
少し思った。こんな状況なのにも関わらず、誰もいない。
異様な空気感が上に乗っており、私の頭を混乱させる。静かな世界に偶に聞こえる異質な程響く重い足音。
蛇はその足音を避けるように動いている。数からして相当いる。
とても長く時間が経った頃、蛇は神社の階段を這っていた。そのまま上にまで登ると、神社の周辺を囲うように炎が巻き上がっていた。
そのまま蛇はその炎の中を突き破った。
炎にしては熱く無い。そして、そのまま拝殿にまで蛇で入った。奥では弓絃齋さんが座っている。祝詞のような物を唱えており、深刻そうな顔をしている。
弓絃齋さんはこちらに気付くと、その祝詞を中断した。
「戻ってきたか斎。……透緒子はどうしたのじゃ」
「居ませんでした。ここに来る途中にもこの方々以外は誰一人として」
「……そうか。……やはりこれは……」
弓絃齋さんは「うーむ……うーむ……」と唸っていた。
「……昴も居ないようじゃが」
「……少し遠くに、気配は感じました。その近くには……一際強い力の持ち主が」
「いの一番に飛び出たここらの鬼の頭領か……。……もう助からぬかも知れぬ」
すると、光が小さく呟いた。
「大丈夫ですよ。私が生きているので。きっと」
「……済まない。失言じゃったな」
そしてまた弓絃齋さんは「うーむ……うーむ……」と唸っていた。
「せめて昴がいれば鬼を殲滅出来る可能性が残されておったのじゃが……。……"八重"が動けば可能性はあるんじゃが、このような事態になっては信用も出来ん」
「……それはどうしてですか。ひぃお婆様」
「……人が居ないと言ったな。斎」
「はい」
「……この世界は現世では無い。正確には現世と經津櫻境尊が作り出した鬼を封じ込める世界が重なり合った世界じゃ。境が曖昧になり、重なり合っているのじゃろう。そんなことが出来るのは經津櫻境尊だけ。その經津櫻境尊に仕える八重が協力するとは思えん。あの神は敵じゃ。それに仕える者もな」
「……しかし、おかしなことがあります」
斎さんは弓絃齋さんの意見を否定する声を出した。そこには確固たる自信が見える。何時ものおどおどとしている態度とは違う。
「まず鬼を現世に出すのなら、こんな回りくどいことをしません。直接鬼を現世に連れていけば良いのです。それをやらないのは、それが出来ないのか、このような事態を望んでいるか、そのどちらかの可能性が高いです。前者の場合、まずこの四人が現世に帰っていることからそれはありえません。そして後者ですが、まずこの世界に私達のような事態を収束出来る可能性が僅かに残っている方々を招く必要がありません。それこそ正鹿火之目一箇日大御神や高龗神まで招く必要もありません。ここから、經津櫻境尊は鬼をあの世界から出しはしましたが、この事態を収束することを望んでいる可能性が高いです」
弓絃齋さんは突然饒舌に喋り始めた斎さんに鳩が豆鉄砲を食ったように驚きもしたが、その発言に納得したように頷いていた。
「……經津櫻境尊は何を望んでいると思う」
「……そればかりは分かりません。しかし、収束出来る方々を招いていると言うことは、収束を望んでいる可能性が高いです」
「……しかし、經津櫻境尊がこの境を閉じるとも思えん。裏鬼門から現世に出れば、大勢が死に至る。その他の境を閉じる何かを用意しなくては……」
私は話を頭に留まらせながら、經津櫻境尊と会話した記憶を泥から掬っていた。そして、一つだけ思い出した。
私は被っている帽子を手に取り、そこから桜の木の枝を取り出した。
「弓絃齋さん! これ! これ何かに使えますか!」
弓絃齋さんは怪訝そうな顔で桜の木の枝を見ていた。すると、突然目を見開き、私の頭を叩いた。
「いったー!」
「なんて罰当たりなことをしておるのじゃ! その中におるのは八幡神じゃ!」
「何よそれ!」
「お主にも分かりやすく伝えるなら建速須佐之男命じゃ!」
「あー知ってる! 何か凄い神!」
「あぁそうじゃ! だから罰当たりな……いや待て、何処でそれを手に入れた」
「經津櫻境尊がくれました」
弓絃齋さんはまた何かを考え始めた。
「……何とかなるやもしれん」
弓絃齋さんは何かをひらめいたようだ。
「……良いか。今から言うことを良く聞くのじゃ。その木の枝を裏鬼門の方角の神社に祀るのじゃ。そうすれば八幡神が裏鬼門を封じることが出来るやもしれん。祀る方法は斎が知っておる。儂はここで鬼門を封じる作業に戻る。斎一人でそこまで行くことは難しい。お主らも行くのじゃ」
「それは別に構わないわ。好奇心が満たされそうだし」
私はミューレンと光を見た。少し不安そうだが、もう覚悟を決めているようだ。
すると、斎さんと弓絃齋さんが目を見開き、何かに怯え、怖ろしい物を見るように外を見た。
「……ひぃお婆様」
「……一つ、二つ。何じゃこの力の大きさは――!」
何だか不穏なことを言っている。行く直前に不安になることを言わないで欲しい。
「……覚悟して行くのじゃ。死ぬ可能性の方が高い」
「行く直前に不安になることを言わないで下さい!!」
「大丈夫じゃ。正鹿火之目一箇日大御神、もしくは高龗神と合流さえ出来ればな」
「大分難しいと思うんですが……」
「それも大丈夫じゃ。その方々は斎なら何処に居られるかが分かる。ほれ、さっさと行け」
私は苦い顔をしながらも、もうそれ以外することも無い。それにさっきから好奇心で頭がいっぱいだ。
また斎さんの蛇に乗り、私達は南西に向かった――。
――昴はその場で倒れていた。全身打撲で血を流し、立てる程の力はもう有していない。
それに対して禍鬼はまだ余裕があり、外傷は右目だけだった。
禍鬼は吸った息を大きく吐き出し、倒れた昴を見た。
「どうしたァ! もう終わりかァ!!」
禍鬼の声に昴は反応しない。ただ、ゆっくりと、弱々しく立ち上がるだけだ。
昴は禍鬼にゆっくりと近付き、仁王立ちで立っている禍鬼の腹部に拳を叩き込んだ。
疲弊と外傷塗れの昴の拳は禍鬼にとって赤子の拳に等しく、もはや敵意も弱々しくなり、無に等しい。
禍鬼は昴の頭部を上から殴り付け、倒れた昴の服を掴み、そのまま振り回し地面に叩き付けた。
鈍く痛々しい音を響かせた。
「ッ――そうだァ!! 最後まで俺に抗ってくれェ!! その生命が果てるその時までェ!! 俺の前に敵として立ちはだかってくれェ!!」
昴はもう一度立ち上がった。
禍鬼は更に激しく笑った。それはどれだけ遊んでも壊れないおもちゃを見つけたような子供に近い感性だった。
「しっかしィ、悲鳴を出さねぇなァ。何だァ? 恐怖が元からねぇのかァ?」
「……生憎、感情を失くした時期があってな。まだそれを引きずってる……」
昴は言葉を発しながら口にたまった血を吐き出していた。
「……まだ終わって――」
「そうだよなァ! まだ終わらせてなるものかァ!! ひっさしぶりなんだよこの感覚はァ!! こんなに俺の中が熱くなって昂ぶるのはなァ!!」
禍鬼はその拳を思い切り振り、昴の胸部を殴り付けた。
鈍く、何かが割れるような音と共に昴は吐血した。
その腕の枷の鎖を掴み、禍鬼は鉄球を昴の頭部に激突させた。
昴は防御さえも出来ず、意識を失った。
禍鬼はそのことを知らず、そのまま動かなくなった昴を何度も立たせ、殴り付けた。
やがてその様子から気を失ったことを知り、少しだけ残念そうな顔をしながら向こうに力いっぱい投げ飛ばした。
昴は建物の壁に叩き付けられ、その壁を突き破った。
「……あぁぁぁァ!! こんなに滾らせてェ! こんなに昂らせてェ! こんなに熱くさせてェ! 目を覚ませェ!! まだ終わらせてなるものかァ!! 起きろォッ!! 起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろォッ!! アァァァァァァァァァッ――!!」
禍鬼は怒りをその顔で表し、昴を飛ばした方向に獣のように叫んでいた。
もう禍鬼の視界には昴が見えていない。それ程遠くに飛ばし、それ程痛みつけた。
「……くっそたれェッ――――!!」
禍鬼はそのまま地面を殴り付けた。その衝撃に地面は僅かに揺れた。その後に禍鬼の周りの地面に亀裂が走った。
「……初めて何だよこんなに執着するのはァ……てめぇだけは俺と永遠にィ……あァァァ!!」
禍鬼は未練を残し、その場を立ち去った。もうこれ以上の戦いは望めないと知り、絶望しながら。
だが、どうやらその考えは間違いだったようだ。禍鬼はその大きな呪いを見た。
絶望した禍鬼の顔に、狂喜がもう一度宿った――。
――昴の体は生命活動を終わらせようとしていた。もう再起は不可能であり、先程まで動けていたのがおかしかったのだ。
八尺様は昴が壁と激突する前に昴の背で支えていた。それによって壁と激突する衝撃は八尺様が肩代わりしていた。
「……ぽ……ぽぽぽ」
八尺様は昴の体を触れ、その鼓動が失われていることを知った。だが、それは自分ではどうにも出来ない不可逆なものであり、それを克服することは罪である。
すると、その前に女性が現れた。片脚を引きずり、片方の白色の目ではなく、片方の灰色の目で昴を見ていた。
何かが燃え尽きたような灰色の髪を持つ女性は、昴の身長と対して変わらない。
女性はその手に持っている刀で自分の手首を切り付けた。その血を昴の口に流した。
だが、それは昴の中に入らず、そのまま重力に従い地面に流れた。
「……そこの女子。昴を護ってくれたのか」
「……ぽぽぽ」
「……そうか。良くやった」
女性は自分の血を口に入れた。そして、鼓動が消えかかる昴と唇を重ねた。
女性は昴の口から無理矢理自身の血を入れた。
口から血が無くなった。全てが昴に流れたと確信し、女性は唇を離した。
「……もう大丈夫だ。後は、昴次第だがな」
女性はその場から立ち去った。
すると、昴の髪に異変が起こった。
黒い髪は燃え尽きたような灰色に染まり始め、そして長くなり始めた。
元より女性的な体型をしていた昴の胸部が膨らみ始めた。
下半身にある物が無くなった。
そして、昴は目を覚ました。
その目は片方は灰色で、片方は白色になった。
昴は立ち上がり、遠くを眺めた――。
――禍鬼の前には昴が立っていた。だが、それは昴と言うには容姿が変わっており、そこから発せられる威圧感も変わっている。
中に抑え込まれた呪いとも言える異様な黒は、何かが混ざり赤く燃え盛っていた。それは荒々しい力を持ち、更なる力を昴に与えていた。
「何だよォ……!! まだ生きてるじゃねぇかァッ!!」
昴は何も答えない。その体の疲弊のせいか、目の前にいる存在を脅威とも思っていないのか。
禍鬼は狂気的に笑いながら昴に鉄球を投げ付けた。昴は避けることもせず、激突した。
だが、その衝撃はまるで無かったかのように昴の体を抜け、地面に流れた。確かに当たり、昴は体を仰け反ったはず。だが、何事も無かったかのようにその場で立っているだけ。
「何だァ……? てめェ……何が変わったァ……?」
すると、昴は足を一歩前に出した。それと同時に禍鬼は震え上がった。
ただ一歩踏み出しただけなのだ。その一歩がとても恐ろしく、とても怖ろしい。この無尽蔵に溢れ出す圧倒的な殺意こそが、昴の父、"五常真一"が昴に求めた自身を超える才能であった。
昴は光を護るためなら並外れた努力を重ねた。だが、武術だけは会得出来なかった。
昴にとってはある程度見様見真似で動けるが、それは武術の真髄に至ることは絶対に出来ない。それは昴の圧倒的な身体能力で全てをねじ伏せてしまうからである。
昴が最初に武術を会得出来たのは五年前。一卵性双生児として共に産まれた"五常青夜"の動きを模倣したからだ。
一卵性双生児だからか、体の構造が良く似ていた。その武術を良く観察し、その餌食となることで体で覚えた。
そして、今、昴は力の流れと言う物を理解出来た。それは生命活動を脅かされそうになった防衛本能が働き、その動きを記憶から覚えた。
禍鬼はその恐怖を狂喜に変え、昴に殴りかかった。だが、その拳は昴に当たることは無かった。
禍鬼は昴に向け拳で殴ろうとした。だが、その全てが昴のほんの僅か横を掠めただけだ。
「良いぞォ!! その調子だァ!!」
昴はその連打の拳の間を歩いていた。だが、その拳は昴の僅かな体の動かし方で当たることは無い。それは舞い散る木の葉を相手にしているようで、決して当たることは無い。
昴はその一瞬で距離を詰めた。禍鬼が身構えたが、昴はその顔の前で手を翳しただけだ。
だが、何故か禍鬼はその場で体勢を崩し、倒れてしまった。
昴はその倒れた禍鬼の腹部を蹴り、吹き飛ばした。
禍鬼は向こうに飛ばされ、その場で吐血した。
「……んだよォ……!! やれば出来るじゃねぇかァ!!」
昴の髪と瞳に変化が起こった。
それは突然燃え上がり、荒々しい火の力を表した。
その火が消える頃には、髪も瞳も燃え盛る焔のような色に変わった。
昴は禍鬼に手を向けた。すると、禍鬼を縛り動きを制限した枷が全て壊れた。
「……優しいじゃねぇかァ……。うっとおしかったんだよォ」
「……」
昴は何も答えない。感情の起伏は表情からは見えず、常に無だった。
そして、昴は走り出した。本能は理性を支配した。その殺戮衝動に駆られ、約束さえも忘れ、無意識に敵を殺す獣と成り下がった。
禍鬼はそれを迎え撃つために防御もせずに仁王立ちで迎え撃った。
「さぁ来いィ!! 永遠にィ!! 永久にィ!! 悠久にィ!! 果無く殺し合い殺戮衝動を共に満たそうじゃねぇかァ!!」
昴は力を込めた拳を禍鬼に放った。
禍鬼はそれを迎え撃つためにその拳に自身の拳を激突させた。
その力は禍鬼の方が優勢であり、昴は簡単に押し込まれていた。
すると、突然禍鬼の腹部に強烈な衝撃が流れた。それは拳の力を緩めてしまう程強烈だった。
その衝撃の正体は、昴の拳だった。だが、それは渾身の力を込めた拳では無く、極限まで力を抜いた殺意を含んでいない拳であった。
だが、その拳は死角にあり、かつ力が抜けていたため、禍鬼は力むことをしなかった。だからこそこの一撃は強力で強烈な物になった。
そして、昴は腹部に当てた拳を開き、掌を腹部に当てた。
その直後に昴の掌に熱が貯まった。そして、それは更に熱くなり、爆発した。
その爆発の衝撃は禍鬼の腹部に存在する内蔵や骨にまでダメージを及ぼす物であった。
昴は禍鬼の肩を掴み、首元を食い千切った。
肩から手を離し、姿勢を低くすると同時に自身の柔らかい体を使い、禍鬼の頭部を蹴り上げた。その衝突と共に昴の足から強力な爆発が起こった。
禍鬼はその爆発によって空高く上がった。昴はその上昇よりも速く、更に上から禍鬼を殴り付け地面に叩き付けた。
地面に倒れ、禍鬼はもう疲弊した体は動かせなかった。
角は一本折れてしまっていた。
昴は着地し、禍鬼の頭を踏み潰そうと足を空に向けた。その足を振り下ろす直前、昴は理性を取り戻した。
その足を僅かに横にずらし、禍鬼の頭部の横の地面を踏みつけた。
衝撃が走り、その周辺に亀裂が走った。
「……何だよォ。情けでもかける気かァ……? それとも俺が女だからかァ……」
「……違う。殺すのも、殺されるのも、ごめんだ。お前が人間に近いから殺せないんだよ。せめてもっと化け物になったらどうだ」
「へッ……それをお前が言うのかァ……。化け物がァ……」
「誰よりも知ってるさ。俺が化け物だってくらい」
昴は禍鬼の片脚を踏み潰した。その一撃で禍鬼の足の骨は折れた。
「こうすればもうまともに動けないだろ。別に殺しに来ても良い。相手してやるよ」
今の昴は、名実共に化け物と成った。昴の側頭部から一本の角が生えており、その燃え盛る焔のような髪は、一部分に黒い髪に染まった。
胸部は更に膨らんでいた。
もはやその姿は人とは言えず、魑魅魍魎か妖か。それとも神と形容するのか。それは目の当たりにした人にしか分からない――
――早苗は夜に、外を歩いていた。何故か寝付けなかった。
「あー涼しいなあ。昼に比べて断然涼しいなあ。……そうや。貴船神社のあのお婆さんに教えてもろうた神社にでも行こ」
早苗は一人でいるからか、自然な言葉で独り言をしていた。
すると、北東から嫌な気配がした。それははっきりと分かるものでは無く、何かが迫ってきているような第六感。
その次には、早苗の眼中に鉄球が写った。早苗は咄嗟に手を出し、その鉄球を受け止めた。
だが、その勢いは殺されること無くそのまま吹き飛ばされた。
ある建物の壁に当たり、壁にもたれかかった。
「……何や急に――」
すると、早苗の視界には鬼が現れた。
額には一本赤い角が映えていた。
それは筋骨隆々の大男であり、浴衣のような物を着ていた。
足には枷が付いており、その鎖の先には鉄球が付いていた。
「は……?」
早苗はあっけに取られるしか出来なかった。目の前にいるのは架空の存在であり、存在しない生物、今の世界に存在してはいけない生物であったからだ。
その鬼は早苗を睨むと、その剛腕を薙ぎ払い早苗の腹部に叩き付けた。
その衝撃により、早苗の背にあった壁は砕かれ、その瓦礫と共に早苗は倒れた。
その下敷きになったことを確認した鬼は、その場を後にした。
「つまらん。頭領に譲ったは良いが、碌な人間が残っておらん。經津櫻境尊が強い者だけを集めたと言ったが、これでは約束と違うぞ」
すると、鬼の足の枷に繋がった鎖が何かに引かれたような感触を覚えた。しかしそれは弱々しく、鬼にとっては大したことは無い。
鬼は後ろを振り向いた。
地面を無様に這いながら、その鎖を体で止めていた。
早苗は鬼の向かう場所が友歌の宿泊先であることが分かっていた。
早苗はIOSPと言う秩序維持の正義を掲げる組織の一員である。例えその生命が消えかかったとしても、誰かを護ることは当然だった。
だが、その抵抗は鬼にとっては蟻が自分の髭を抜こうとする程不可能で弱々しい物である。鬼は少しだけ足を動かし、鎖を動かした。
しかし、早苗はその鎖を手放さなかった。鬼はそのまま足を動かした。
鎖は動き、やがて早苗の体が鬼の前に転がった。鬼は早苗の胴体を踏み潰した。何度も何度も踏み潰した。
そこにいるのは踏み潰された虫けらと同義であった。鬼はもはや早苗のことなど眼中に無く、そのまま歩いた。
すると、鬼の足に何かが掴んだ。
それは、虫けらと同義の男性であった。その男性は最早正常な呼吸も出来ておらず、死にかけの男性だった。
鬼にとっては眼前を彷徨きまわる蝿のように鬱陶しく不快な存在であり、早苗を蹴り飛ばした。
早苗は、地面に転がり自分の無力さを嘆いていた。
あー……何で僕はこないに弱いんや……。もっと強くならな……。……は……? 何言うてるんや……僕……?
早苗は、自身の考えに疑問を投げかけた。それは自分がこれまで築き上げた価値観であり、それを崩すと言うことは今までの考えを改め壊すと言うことだ。それは新たな自分に変わると言うことであり、それを可能とするには相当な労力が必要である。
本来長い時間をかけて変える物である。それを一瞬で変えるなど、相当なきっかけが無くてはならない。
いや……強くなるんは当たり前や……。……何かおかしいで……。何や……何がおかしいんや……。……僕は……強なるために……IOSPに……。
……は? ちゃうやろ……。僕は……あれ……?
「……あーーーあほくさ」
早苗は立ち上がった。弱々しくも、微かに力強く。
彼は最早強さを求める男性では無く、何かを護るための男性に変わった。
「……けったいな話や。ずぅっと間違えとった。簡単な話やのに」
鬼はその異様な雰囲気に気圧された。まずありえないのだ。こんな弱々しく立っている男性に気圧されるなど、ありえなかった。
「……それで、あんたは鬼……やんな。何や、ご先祖様がもう退治したで。僕が退治できひん道理はあらへん思うで。そのまま豆を撒いたように逃げ惑うた方がええ。あ、そうやった。僕は豆撒きやらんで良かってん」
早苗は饒舌に語り始めた。京言葉が多分に含まれ、標準語には程遠いアクセントだった。
目の前にいる鬼は、想像通り顔を赤くした。
早苗にとって自分の方言は、弱い自分が使うと言う物だった。使うことは自分の弱さであり、標準語で話すことが本来の自分への否定であり、嫌悪であった。
だが、早苗が目指すべき像は変わった。先程までは真二のように人間離れした力を目指し、自分を否定した。だが、彼は変わった。目指すべき目標は誰かを護れる存在であり、そのために自分を肯定した。
今の彼は自分を誰よりも理解した。その才能も、実力も。
「何や何や。お顔真っ赤になってるで。もしかしてカチンと来てるんか? それともわしは鬼やとアピールしてるんか?」
「殺す」
「さっきのは凄かったで。あないな筋力素直に尊敬するで。そやけど僕はなりたない。おつむも鍛えられるみたいやし」
おつむは京言葉で頭を意味する。しかし、これは幼児に対する語であり、鬼が京言葉を知らないことを良い事に馬鹿にしている。どうやらメンタルまで強化されているようだ。
鬼は大きく重い足音と共に走って来た。明らかに身体能力は鬼の方が上であり、傍から見れば殺されるのは変わらず早苗であるはずだ。
鬼はその屈強な腕に力を込め、拳を作った。その拳を大きく振りかぶった。
早苗はため息をついた。
「もっと遅う来てもええんやで」
早苗は足を横に滑らせ、開脚しながら姿勢を低くした。
「やらこいやろ。僕の体。あ、あんたには一生分からへんな」
そのまま両手を地面に付き、逆さ立ちの体勢になった。そのまま勢い良く足を動かし鬼の頭部に蹴りを入れた。
足を地面に付けると同時に、その反動を使い鬼の足に腕をかけた。
鬼は容易く姿勢を崩した。姿勢が崩れれば力むことも難しくなる。それはつまり、早苗程度の力でも、鬼の筋肉の壁に傷を付けることが可能と言うことだ。
その早苗の拳は鬼の腹部を叩いた。
鬼は混乱していた。目の前にいるのは虫けらのはずだ。虫けらだったはずなのだ。その男に何故、ここまで追い詰められているのだと。
「……何や、命乞いか?」
「……名前は何だ」
「僕か? 渡辺早苗。あんたらが聞いたら卒倒するんやない?」
「渡辺の子孫か……!!」
「まぁ……本家とちゃうけど。それでもわりかし怖がるんやな」
鬼は錯乱し、ただ真っ直ぐ拳を動かした。それはもう早苗にとって無理だと分かっているはずなのに。
早苗はその腕に踵を置いた。その腕は力強く、足場にするのに丁度良かった。
その柔らかい体を使い、早苗は上に跳躍した。空中で脚を伸ばし、体を回して遠心力を乗せ鬼の頭部に蹴りを激突させた。
鬼はそのまま吹き飛び、建物の壁に激突した。
鬼はその建物の壁をえぐり、大きく崩れた瓦礫を早苗に投げ付けた。
それは早苗の着地点に向けて飛んでおり、回避は容易ではなかった。
早苗は着地したと同時に体を仰け反らせて、膝と背中と頭を地面に付いた。
そして、起き上がる瞬間のバネを使い、とんでもない速度を出した。
鬼の頭部に早苗の拳が激突した。その刹那にも満たない瞬間の速度は、昴を超えた。
鬼の頭部は頭蓋骨が砕け散り、目玉は潰された。
それは潰され、もう生存もしていない。
早苗は友歌の元へ走った。
友歌は鬼と戦闘していた。しかし、その鬼は手にも足にも枷は付いていなかった。
鬼の蹴りは友歌の脚に当たった。
しかし、友歌はその脚を逆に蹴り返した。
蔀友歌の特徴はその脚にある。IOSP日本支部第六機動部隊隊長の友歌の脚は、特殊な筋肉構造をしている。平均よりも筋肉が傷付きやすいが、その分筋力が見た目にそぐわず強すぎる。
それに友歌独自の走行技法により、僅かな距離で最高速度に達することが可能となっている。
早苗は鬼を見た瞬間、高く跳躍した。
鬼の頭を空中で掴み、脚を広げた。そのまま遠心力で二回転した。二回転である。
もちろん鬼の骨は折れており、絶命した。
「助けに来たで。友歌はん」
「……んだよ。俺一人でも何とかなったんだ」
「強がりなんてせんでええ」
「……何かお前口調変わったか?」
「あぁ、自然になったやろ。それとも前の口調の方が良かった?」
「……いや、喋りやすい方で良い」
友歌はポケットからしなびた煙草を取り出した。ライターも取り出したが、壊れていた。
友歌は少しだけ残念そうな顔をしていた。
「それで、何が起こってる。何だあの生物は」
「僕にも分からへん。多分鬼やけど」
「じゃあお前は『僕は渡辺やー!!』って叫びながら歩けば良いんじゃないか?」
「そんなんで逃げるわけあらへんやろ」
「それもそうだよな……」
すると、重く大きい足音がこちらに近付いた。それは一つでは無く、複数いた。
やがて、その姿が見えた。様々な角を持っている鬼が、こちらを見ながら近付いて来る。
「……早苗。ノルマはどれくらいだ」
「そうやなあー……。全員や」
友歌はにっと笑った。
「俺が先に行く。お前は俺を守れ」
「なら僕は援護する。友歌はんは僕を守ってな」
「分かってるよ」
友歌は煙草を吐き捨てた。その煙草が地面に落ちると、友歌は走り出した。
その速度から繰り出された蹴りは、簡単に骨を砕き、鬼の体を吹き飛ばした。
どれだけ戦い続けたか。数日間のようにも思えるが、それはありえない。恐らく五分か、十分か。もしくは更に長い数十分。
「……なぁ、お前はどれだけ倒した……」
「……六……」
「よっしゃ……。俺は十一だ……。……俺の勝ちだ」
二人は逃げる気力も無くなり、地面に横たわっていた。辺りには様子を伺っている鬼が数人、そして倒れている鬼が十七人いた。
「……逃げるなら今のうちだぞ」
「……無理や。もう動けへん……」
「……こんな奴の隣で悪いな」
「いーや……最高や……」
「……んだよ……恥ずかしいな」
「……まだ伝えたいことあるんや」
「早く言っておけ。後悔するぞ」
「……一緒に天国行ったら教えたる」
「へっ……そうかい」
「……死にたない」
「そう言う星の下に生まれちまったんだよ……」
二人は笑いあった。そして、夜空を見上げた。
星々の間に、人影が見える。それは徐々に降りて来た。
それは豪快な着地音と共に、腹から大声を出した。
「俺の部下が世話になったようだな!! 化け物共がぁ!!」
その豪快な声は、真二であった。何故空から落ちてきたのかはこの際どうでも良い。真二とはそう言う人間だ。
「よぉ早苗の坊主。何かいきいきとしてるな!」
「そうやろ」
「お前はその方が良いぞ! 下手くそな標準語を辞めてな!!」
「ならそうするで」
「後は俺に任せろ! お前らはゆっくり逃げておけ!!」
そう言って真二は豪快に笑っていた。
早苗と友歌はゆっくりと立ち上がり、お互い協力しながら動いていた。
そして、真二は鬼を睨んだ。
「さて……お前らは化け物だが、俺はそれ以上の化け物だ! そしてー! 俺よりも更に化け物やってる男がいるー! 降伏するなら今の内だー!」
鬼は右から左に話を流しているようだ。
「……面倒くさいが、全滅だな」
真二は真っ直ぐ走り、鬼の角ごと頭部を殴り付けた。角は砕け、頭蓋も同じ様に砕けた。
「次! さっさと来い!! こっちはまだ避難勧告も出来てねぇんだよ!!」
真二は襲ってきた鬼を全て返り討ちにした。それはいとも容易く、いとも簡単に、いとも容易に殲滅された。真二は未だに息を切らしていない。
「うし、ここは一先ず制圧完了。後は……」
すると、空から男性が降りて来た。着地と同時の爆音は戦車の砲撃音と見間違う程だ。
男性は額に角を二本生やし、手と足に枷が付いていた。その鎖の先には鉄球が付いている。
「俺の部下が世話になったな。鬼よりも鬼が似合う男よ」
「何だお前。鬼の癖に無駄に顔が整って」
「鬼なら無条件に顔が崩れていると思うのは偏見だ」
「そりゃそうか」
真二はその鬼の頭部をその拳を叩きつけようとした。だが、その拳は鬼が受け流し、そこで空いた胴体に鬼のもう片腕で拳が連続で三発叩き込まれた。そのまま受け流した腕を掴み、投げ飛ばした。
真二がまだ空中で滑空している途中、鬼は距離を詰め胴体に二発蹴りを入れた。
真二は着地もろくに出来ず、地面に体を叩き付けられた。
「いってぇ……。桁外れに強いじゃねぇか」
「当たり前だ。そこらの鬼と一緒にするんじゃない。この枷が何の為に付いていると思っている。行動を制限するためだ。我等を異界に押しやった忌まわしき正鹿火之目一箇日大御神が我等の中からより強い者の力を制限するために課せられた」
「何だそのまっさか火が一つの日の狼って」
鬼は呆れてため息をついていた。
真二は思考を回していた。
だが、あいつが俺より強いのは事実。このまま野放しにするのはヤバイが、このまま戦っても確実に負ける。せめて昴くらいの身体能力があれば……。
すると、鬼の足の甲が真二の頭部に引き寄せられるかのように激突した。それは空手の廻し蹴りに酷似している。その足の動きのまま、軸にしていた足を浮かし、その踵で頭部を蹴った。
真二は一瞬だけ死を覚悟した。だが、意識はまだ残っている。そして、真二は隠し手がまだ残っている。
鬼の手の枷に繋がる鎖が真二の体を締めた。そのまま腕を動かし宙に浮かせ地面に激突させた。それを何度も繰り返した。
鬼はその手を止めた。
「……死んだか」
「……残念。頑丈に産まれたもんでな」
「そうか。だがどうする。もうお前は死ぬぞ」
「……お前はすげぇよ。本当に。何せ、俺が全力を出さないと負けるんだからな」
「……ならば何故見せなかった。見せなかったことがハッタリだと言う証明になるぞ」
「簡単に使えないんだよ。これを使えば俺もただじゃすまねぇ」
真二は鬼の顔を見た。それは戦いその物を楽しんでおり、早く見せてほしいのか、うずうずしていた。
「まず人間の体って言うのは無意識的に力を押さえているわけだ。火事場のクソ力って言うのはそう言う危険が迫った時にだけ無意識的に押さえた力を使っているからだ」
「……何が言いたい」
真二は嘲笑しながらそれに答えた。
「俺の脳な、その体の力を無意識的に押さえる機能を司る部分がガキの頃から未発達だ。だから意識的にそのリミッターを解除出来る可能性があった。そして、五年前。偶然にも意識的にそれが出来た。後は訓練だ。意識的にそのリミッターを解除する方法を、五年間で叩き込んだ。……っと、話が長くなっちまったな。まぁつまり、これを使えば俺の体は壊れる。無事でいられる時間は……そうだな……一分くらいだな」
真二は左手で髪を掻き上げた。そして、右手で顔を触れた。
「大体20%くらいか。それが通常時の限界。俺は体に教え込んで、ある行動でそれを外す方法が完成した。……良く見ろ、そして良く味わえ。体験したこと無い衝撃がお前を襲うぜ」
真二は右手で髪を掻き上げた。
それと同時に真二の呼吸音が大きくなった。
鎖を素手で引き千切り、姿勢を低くした。
真二の体中に血管が浮き出ており、その危険性が見て分かる。
そして、何より目を引かれたのは頬に浮かび上がった黒百合を模した入れ墨のような紋。
鬼はその紋を見付け、目を見開いた。
「お前……!! そうか! あの一族の末裔か……!!」
「あぁ!? こっちはあの一族とはちげぇんだよ!! 俺は禱真二だぁ――!!」
その紋は徐々に体に広がった。それは、体を蝕む呪いのように。
真二の速度は、不格好ながらも昴を超えた。それは鬼の視界に捉えられず、轟音と爆音と共に真二は鬼の背に回った。
回避不可、そして予想外の動きと速さに混乱している隙に、防御さえも間に合わない。その強力な拳の一撃は例え鬼であろうとも、それは渾身の一撃となった。
そのままそれまでのお返しと言うのか、最早目にも見えない拳の連打を繰り出した。
その締めの一発は頭部を殴り付けた。
鬼は全身骨折による傷により、最早虫の息になっている。
「……あぁ……体いてぇ……」
真二は全身痛む体を引きずりながらその場を後にした――。
――夏日は、全員に置いていかれた。
「……え? あれ?」
と言うか全員に認知されていない。それ故、彼女は置いていかれた。
「……状況を整理すると、突然大きな音が聞こえて飛び起きたら、旅館の中には誰も居ない。……おにぃと光さんは?」
そう言って夏日は上に上がり、光と昴の宿泊部屋に入った。
壁に大きな穴が空いており、角の生えた男性が倒れていると言う理解不能の情報量の渋滞により、夏日は更に頭を混乱させた。
「えーと……角の生えた男性が倒れていて? 穴が空いている。はぁ。へぇ。ふぅ?」
必死に理解しようと思考を巡らせたが、答えなど出るはずも無い。すると、鬼が突然起き上がった。
夏日は全速力で逃げ出した。
「ハッハッハ!! 小さい頃晩ごはんを手に入れるために身に着けた脚力に追い付いてみろ!!」
そう言いながら少しだけ後ろを振り向くと、こちらを力強く睨みつけながら追ってきている鬼の姿が近付いていた。
「わー!! 舐めた口聞いてすみませんでしたー!!」
そして夏日は更に速く走り出した。
まるで大きな存在に破かれた竹垣を超え、夏日は走っていた。
「ひぃ、はぁ……疲れた……運動不足かなぁ……」
すると、夏日の前に黒い闇が現れた。それは黒い体を持っているが、迷い人のような鈍色の目を持っていない。
それは複数の口が胴体にある鹿のような形をしている。
よだれをその無数にある口からたらし、こちらを見ていた。
その鹿のような黒い何かは奇声を発した。夏日は咄嗟に耳を塞ぎ蹲ったが、それはその程度で防げるものでは無かった。
「……何で……嫌だ……」
夏日は恐怖していた。まず普通の女子高生。こんな状況で黒恵のように何時も通りの精神でいられるはずが無い。その声は徐々に夏日の体を蝕み、苦しめた。
それと同時に、夏日に異変が起こった。
雰囲気が変わった。ただ何となくではなく、明らかに何かしらが変わっていた。
その目は猫のようであった。しかし、夏日はキャッツアイ症候群でも無い。そして、急激な体の変化は、昴とミューレンで何かしらの力がある者だけと言うことは証明されている。
だが、これは夏日の意志では無い。もっと別の存在が、夏日の中から姿を表した。
やがて、夏日の頭部に三毛猫のような耳が現れた。それと同時に尾骨の辺りが服の下から膨らんだ。まるで尻尾をしまっているように。
「……煩い鹿だ」
空間は歪んだ。それは明るい日差しが差し込み、深夜にしては異質な空間。
「鹿なぞ喰ったことなど無いが、美味しいのか? それとも不味いのか。……まぁ、喰えば分かる」
そして、空間は戻った。鹿の首は食い千切られており、頭が地面に落ちた。
夏日の口から骨を噛み砕く音と共に肉を喰う音が聞こえた。
「……ふむ、鼠よりは良質。……しかし、此奴は……操られておるな」
夏日は空を見上げた。
「……夏日の兄とはあまり接触させたく無かったが、あの様子だと安心だな。せめて我は、夏日を逃がすように動くか」
そして、耳は消え、猫目は元に戻った。
先程のことは全て忘れているのか、辺りを見渡した。今にも心が決壊して泣きそうだが、しっかりと平常心を保っていた――。
――何かが燃え尽きたような灰色の髪をした女性は、太刀を片手に建物の屋根を歩いていた。その歩みさえも片脚が不自由なせいか、少し辛そうに見える。
その片手の手首には傷が付いており、昴に与えた血はそこから取り出した物だ。
「……ほう、そっちから来たのか。經津櫻境尊よ」
女性は振り返った。女性の背には狐の面を被った全身白い格好をした女性が立っていた。
「……久し振りですね。正鹿火之目一箇日大御神よ」
「事態は急を有する。よって話は端的に終わらせたい。何故このような暴挙に出た。共に人を愛し、共に遥か遠方の地の騎士を倒したお主は、嘘だったのか」
正鹿火之目一箇日大御神は哀しそうに微笑んでいた。それは友を切り捨てる覚悟を持ち、これからは敵として扱わなければならないことを悔やみながらもそれを押さえつけている。
「……嘘ではありません」
「ならば誰に唆された經津櫻境尊よ!!」
その声には、友である関係を無くし、敵としての敵意を滲ませた声だった。
「お主を変えた者は誰だ!! お主の目的は何だ經津櫻境尊!!」
「……一つ、勘違いしています。私は変わらず、人のために動いています」
「これも全て人のためと言うのか」
經津櫻境尊は小さく頷いた。
「……私、いえ、私達の目的は、秩序の名の下に混沌をこの世界に齎すことです。そのために、多少の犠牲は止むを得ない」
「……それは、お主の真の名があの者と同じことと関係あるのか」
經津櫻境尊はまた小さく頷いた。
「……全ては答えてくれぬのだな。……もう良い。お主を焼き殺してみせよう」
「……その力で。貴方はもう力など無い。貴船神社を守るだけで精一杯でしょう」
「ああ。そうだ。つい先程までな」
「……正鹿火之目一箇日大御神、何時体から抜けたのですか」
「つい先程、昴に血を与えた時にな」
經津櫻境尊はようやく正鹿火之目一箇日大御神が何をしたのかを理解した。
「その身に穢を宿したのですね。正鹿火之目一箇日大御神よ」
「穢だと? 昴の力は確かに忌むべき物だが、儂はこれを穢だとは思わん」
正鹿火之目一箇日大御神は炎に包まれた。暗い夜を照らす大きく天に登る火柱は、荒々しい火の力を表した。これが正鹿火之目一箇日大御神の力。
明治初期に湧き上がった温泉地帯。温泉があると言うことは地熱がある。それはつまり近くに火山があると言うことだ。正鹿火之目一箇日大御神はこの近くの火山の神格。そして鍛冶の腕前から製錬、及び火の象徴となった。
炎が晴れると、正鹿火之目一箇日大御神の服装は変わった。豪華絢爛な着物になり、業火絢爛な炎の羽衣。
そして、髪と瞳は燃えるような色に変わり、その力は全盛期を遥かに上回った。
「……昴さんの魂と一つになることで、昴さんの力を無尽蔵に使うとは」
「……何故だろうな。このような感情になったのは。……昴と一つに成れたことが、何故かこんなにも喜ばしい」
「……やはりあの人は相応しい」
「……やはり何も答えてくれぬのだな」
「ええ。答える必要もありません」
經津櫻境尊は鞘から刀を抜き、桜色の刀身を見せた。
正鹿火之目一箇日大御神は持っている太刀に炎を纏わせた。
「勝てると思うか。お主が儂に」
「……確かに昴さんの力は私を軽く超えています。それを使う貴方もきっと、私を超えているでしょう。しかし、貴方は私を知らない。私は何も教えていない。私がただの神だと、何時言ったのですか」
「……何を言っている」
經津櫻境尊は桜色の刀身を横に振った。刀身から桜の花弁が舞い散った。
經津櫻境尊は一歩踏み出した。次に現れたのは正鹿火之目一箇日大御神の背後。
瞬速による一突きが正鹿火之目一箇日大御神の体に突き刺さるはずだった。しかし、その刃先には二振りの刀で止められていた。それは火が微かに灯っていた。
そして、正鹿火之目一箇日大御神は振り向きざまに片手で持った鉄の棒を經津櫻境尊に叩き付けた。
經津櫻境尊は距離をとった。
正鹿火之目一箇日大御神が片手に持っていた鉄の棒は、火に包まれもう片手に構えている刀と同じ物に変わった。
そして、正鹿火之目一箇日大御神の背後に爆発が起こった。その衝撃と共に經津櫻境尊に相当な速度で距離を詰めた。經津櫻境尊の首に当てられた二振りの刃。そのまま切り捨てられようとした瞬間、また經津櫻境尊は姿を消した。
經津櫻境尊は地面に降りており、刀を地面に突き刺した。
「"狂咲――"」
「遅い」
經津櫻境尊の背後に現れた桜の幻影は、正鹿火之目一箇日大御神の声と共に轟々と燃え始めた。
「しかし……厄介だの。その力。境を司るが故にこの世界の何処にでも行けるとは」
「……それだけではありません」
「……それはまた後で聞こう。今はお主を焼き殺すことだけを考えようか」
すると、經津櫻境尊は刀を投げた。そんな投擲が正鹿火之目一箇日大御神に当たるわけも無く、遠くに落ちた。
經津櫻境尊がその場から消え、境を動かし正鹿火之目一箇日大御神の背後に現れた。その両手で構えた手には刀が一振りあった。
經津櫻境尊のフツとは、物を断ち切る擬態語と言われている。フツの名を持つ經津主神はそのことから荒ぶる神々を断ち切る刀剣、そして戦の神として崇められた。その神と同じ名を持つ經津櫻境尊も、その神格が存在している。
刀剣としての神の神格は、經津櫻境尊の手に刀を作り出した。
しかし、經津櫻境尊が振った刃が正鹿火之目一箇日大御神を断ち切る前に、正鹿火之目一箇日大御神の手が經津櫻境尊に触れた。
その掌は熱を帯び、強力な爆発をもたらした。
經津櫻境尊はその強力な衝撃に、吹き飛ばされはしなかったものの、その場に倒れてしまった。その場で苦痛の悲鳴を僅かに漏らしている。
正鹿火之目一箇日大御神は刃を經津櫻境尊の首に当てた。
桜の幻影は未だに燃え盛り、それは經津櫻境尊の現状を表しているようだった。
「……何か言い残すことは。数少ない友よ」
「……貴方の負けです。正鹿火之目一箇日大御神よ」
正鹿火之目一箇日大御神は戯言だと思っていた。何故なら、今横たわっているのはもう死ぬ直前のかつての友だった。もう満身創痍の体でこれ以上何かをやるとすれば、境を動かし逃げること。
そして、一つの違和感に気付いた。經津櫻境尊の腰には、桜色の刀を収めた鞘が無かった。
何故こう思ったのだろう。境を動かし移動するのは生きている者だけだと。何故勘違いしたのだろう。
經津櫻境尊に投げられた刀は、突然鞘に収められた。
「――"万年桜花満開之時・十割狂咲妖艶桜・焔咲之奇々怪々花見之饗宴――"」
その言葉と共に、燃えた桜は急激に成長し、樹齢万年の桜のようになった。舞い散る桜の花弁は、焔を纏っていた。
それは正鹿火之目一箇日大御神を襲った。本来その火は正鹿火之目一箇日大御神にとっては何とも無い物だったが、その花弁は鋭い剃刀のように正鹿火之目一箇日大御神の体を切り裂いた。
瞬間、大きく爆発音が響いた。正鹿火之目一箇日大御神は死を覚悟し、空に高く爆発の衝撃で飛んでいた。
そのまま距離を離し、地面に降りた。
「……一体何が、お主をそこまで動かすのだ。經津櫻境尊よ……――」
――私は白い蛇の乗って南西を目指している。何故かって? 私の帽子に入れてる物を祀るため。
私の後ろでミューレンがハンドガンタイプの新型銃に昴の予備として置いていたナイフでルーン文字を刻んでいる。
「……ねぇ光。私はまだこの力を良く理解してないの。卓球の時だって使えなかったし……」
ミューレンは心配そうな声を出していた。
「じゃあ使える時と使えない時の違いを見比べてみよ」
「……貴方は使えたわよね」
「そうだね。つまり二つ以上のルーン文字を組み合わせたバインドルーンはミューレンは使えないけど、私だと使えるってこと。これさえ分かれば最低限の動きはきっと出来るよ」
「……そうね」
私にはそんな力が無い。少し羨ましい。やっぱり凄く羨ましい。
すると、蛇の動きが突然止まった。それは歩みを止めた、と言うより、無理矢理力強く止められたように。
「降りてください!!」
その斎さんの焦りが含まれた絶叫に近い声に私達は蛇から飛び降りた。
そして、その蛇の尾を人のような何かが掴んでいた。その人のような何かは蛇を持ち上げ、地面に叩き付けた。そしてその頭を殴り潰した。
その人のような何かは、やはりと言うべきか鬼であった。
額から生える一本の角。だが、両手足に枷が付けられており、その枷に繋がれた鎖に大きめの鉄球がある。
あれでまともに動いていることにまず驚いた。そして、あの鬼から発せられる威圧感。狼を前に萎縮する感覚に似ている。
「……不味いです……」
斎さんがまた不安になることを言っている。私は好奇心を口にした。
「何が不味いの?」
「……鬼と言っても強さはバラバラ。そして、枷を付けられた鬼は、強いが故に正鹿火之目一箇日大御神が作られた枷に縛られています。枷が一つでも付いていれば、普通の人間ではもう対処さえも難しいです」
「……つまり、あれって結構ヤバイ……?」
「……そうですね。倒せるかどうか」
「良しミューレン! 頑張って!」
私に戦える力があるわけ無い。今は不本意だが、ミューレンに頼むしか無い。
すると、鬼は腕を薙ぎ払い、枷の鎖に繋がれた鉄球が建物を壊しながらこちらに向かった。
私達はほぼ同時にしゃがんだ。その鉄球は私の帽子をかすった。そのまま帽子が落ちた。
あんな凶器に身の危険を感じないわけが無い。当たれば骨はぐちゃぐちゃ。内蔵はぼろぼろになるだろう。
ミューレンは手に持っていた新型銃の銃口を鬼に向けた。
新型銃に刻まれたルーン文字が明るい青に輝いた。
ミューレンは引き金を引いた。そこから発せられた目に見えないレーザーはその鬼の腕を貫いた。
だが、それは鬼にとって致命傷になり得ない。重く大きい足音と共に、こちらに走って来た。光はリュックから小型発電機と繋いだスタンガンを取り出そうとした。
だが、その鬼の腹から突然一振りの刀が貫いた。貫いたと言うより、中から生み出されたように思えた。それは血に塗れ、内蔵を外に出していた。
その刀は更に貫き、やがて鬼はその場で倒れた。
ミューレンと斎さんは空を見上げた。私と光はそれにつられ、上を見上げた。
上には大きく羽を広げた赤い鳥がいた。孔雀に近い姿をしている。一色だけの孔雀。色鮮やかな色彩と言う孔雀の特徴が完全に消えている。
その上に人影が見えた。その人は斎さんに似たような巫女装束を着ているように見える。
やがて、その人は降りて来た。私は見たことがある。その姿は、私達が向かう神社で見た高校生くらいの女性だ。長い髪を後ろで細かい装飾がなされた平打簪を使い束ね、狐の面と桜の花弁を模している耳飾りを付けている。そして、二本の刀を帯刀していた。
「……八重さん……!!」
「久し振りですね。斎。息災ですか?」
「……まず答えて下さい。敵ですか。それとも味方ですか」
「……私は經津櫻境尊に仕える身。本来は協力するべきなのでしょう。……しかし、それ以前に私は人を守るために經津櫻境尊に仕えたのです」
斎さんは安堵の息を漏らした。今なら分かる。この人めちゃくちゃ強い。ミューレンの顔を見れば分かる。
「あら、そこにいるのは黒恵さんとミューレンさん。無事に帰れたんですね。私の娘の宿はどうでした?」
ワタシノムスメ……? ワタシノムスメッテナニ……。私って……この八重って人でしょ。娘って……私達が泊まった旅館の女将は昴のお婆ちゃんで……つまり? この人は? 昴の? ひぃお婆ちゃん……?
斎さん以外は全員驚きの表情も声も押さえられなかった。
「わっっっっっっっか!? 若すぎでしょ!?」
「あら? 私の娘が教えていたと思っていたのですが……」
「……ついでに年齢は……?」
「そうですね……確か今年で……134才でしょうか」
「ギネス記録を塗り替えてる!!」
八重さんは光を見ると、その手を握った。
「初めまして光さん。私の娘から話は聞いています。私の曾孫を助けてくれてありがとうございます」
「あ……え……あー……」
光も困惑のせいで言語を発していない。ただただ八重さんの体を眺め続け、この若さの理由を何とか求めようとしている。
「何をしようとしているのかは經津櫻境尊から聞いています。恐らく經津櫻境尊はこの事態の収束を望んでいます。何者かに操られているのか、それともただのお戯れなのか、それとももっと別の理由があるのか。それは定かではありません。しかし今出来ることはこれだけ。道に私の式神がいますので、きっと助けてくれるでしょう」
すると、空から鳥の悲鳴が聞こえた。そして、赤い液体が滴った。
赤い鳥が空から落ちてきた。その胴体には切創のような傷が付いていた。
そして、その犯人と名乗り出るように、暗闇から男性が現れた。
「――やあ、今日は良い夜だね」
その声は、聞いたことがある。このハーバルノートの香水の匂いは、その男性の顔と結びついている。
それは、詩気御さんだった。私達を助けた詩気御さんが、薄ら笑いを浮かべながら立っていた。
「……白神黒恵君、ミューレン・ルミエール・エルディー君、立花光君、牟田神東斎君、安倍八重君。二人程初めましてじゃないけれど、再度挨拶を。初めまして。僕の名前は御旗詩気御。君達の、敵だ」
詩気御さんは私達に右手を向けた。だが、その次には、手首から八重さんに切られていた。
その速さに詩気御さんは驚愕しているように目を見開いたが、またすぐに薄ら笑いにその顔に宿した。
右手を下げながら詩気御さんは何歩か後ろに下がった。
「……流石だね。母方とはいえ、流石昴君の血縁」
「……少し答えて欲しい。この状況の黒幕はお前か」
八重さんの目つきはその刀のような切れ味を持っていた。
「黒幕なんて言い方は不本意だね。答えてあげよう。そうだ。この案の提案者は僕だ」
八重さんは殺意を刀に込めた。決して感情を顔に出さず、静かに、見せずに。
「……四人共、先に行ってて下さい。この人は私が殺します」
私達はその場を後にした。
八重は、詩気御を眺めていた。
「……追い駆けないのですか」
「問題は無いよ。僕達の目的は虐殺じゃ無いからね。あくまでミューレン君と光君だ。力を理解し、そして扱うためには危険が目の前にまで来ないといけないからね」
「訳が分からない。あの二人にそこまでの――」
「価値はある。理由もある。それに僕の目的は更に先さ。この世界に混沌の名の下に秩序を齎す。それが僕の目的さ」
詩気御の表現は、理解などさせない。何故なら八重が知る必要が無いからだ。
だが、答えに辿り着くヒントは与える。何故なら、自分はそうやってこの世界の答えに辿り着いたからだ。旅を続け、その答えに辿り着いた詩気御にとって人間とは可能性である。
八重は走り出した。その長年の経験による体の動きはまるで消えたように写り、詩気御の首を切り落とした。
刀を抜いた瞬間さえも見せず、切ったことさえも理解させない。
だが、八重の左肩から右脇腹に一本の傷が付いた。それは何かに切られたような傷であり、僅かに出血している。
「あぁ――酷いじゃ無いか」
首が落ちた詩気御の体は動き出し、落ちた首を抱えた。その首の上に頭を置くと、切断面は綺麗に治り、何事も無かったかのように立っていた。
「貴方、本当に人間なんですか」
「そうだよ。僕は人間さ」
「……本当の名は……」
詩気御は目を見開いたが、すぐに大きく笑った。
「そうか! そうかい!! あはははは!! 気付いたのかい!! そうか!! 君は旅人を知っていたね!! あははははは!! 良いだろう、僕の本当の名前を教えてあげよう!!」
詩気御さんは笑いをこらえながら、口を開いた。
「僕の名は、■□■□■□・■・□■□■・□■□■・□■□■さ」
そして、詩気御は左手を八重に向けた。ゆっくりとその腕を横に振り払うと、八重の首が落ちた。それは風に吹かれた果実のように、血と言う果汁を撒き散らしながら落ちた。
「ごめんね。君に興味は無いんだ。もう聞こえないだろうけど、君には心からの謝罪を」
そして、その八重から目を離した瞬間だった。自分の胸から刃が貫いた。詩気御は口から唾液と混ざった血を息と一緒に吐き出した。
詩気御は八重を見た。その首は自分と同じように治っており、まだ生きている。詩気御は心当たりがあった。
「人魚の呪いか……!! いや……呪いと言うには愛がある……!! 恋人かい? 友人かい?」
「……友人です」
「油断したよ。その力を見れば分かることなのに」
八重は近くの石を手に取った。その石を詩気御の頭上に投げ飛ばした。
その石は形を変え、赤子のような見た目になった。
目は無く、闇が灯る穴が空いており、その小さな体には腕も足も無かった。
大きく開いた口から十五個の足が生えていた。脚は伸び、その足裏は勢い良く詩気御を踏み潰し、体の骨を砕いた。
何度も何度も踏む砕き、大きな窪みがその場に出来ていた。
そこにあるのは最早人間の形をしておらず、赤い液体が流れる肉の塊だった。
だが、それでも詩気御の体は戻り始めた。やがて完璧に戻り、薄ら笑いを浮かべた。
「十二天将はどうしたんだい? それとも鬼退治のために使っているのかな?」
「……残っている式神はそれだけです」
「そうなのかい。それは良いことを聞いた」
そして、八重の左腕が肩を外れ消し飛んだ。
肩から血を流しながらも詩気御に向けて走り、刀を振りかざし力の限りをその脳天に切り付けた。……が、その手応えは無かった。それは幻影のように消えた。
「こっちだよ」
詩気御の声は後ろから聞こえた。そして、詩気御の腕は背から腹まで貫いた。その手には、自身の心臓があった。
「治すことは出来ないだろう? それじゃあ、さようなら」
詩気御は八重の体から腕を抜いた。血は腕にべったりと付いており、そして生暖かい。詩気御は自身の心臓を自分の胸に戻した。
だが、やはりまだ終わっていない。八重は少しだけ息が残っていた。
「……まだ生きているのかい」
八重の喉元から血が流れた。切創のような傷が付いており、そこから溢れた血だった。やがて鼓動が収まり、呼吸音が聞こえなくなった。
手を合わせ、しっかりと弔おうと思ったのか瞼を閉じようと肌に触れた。すると、微かに唇が動いたことに気付いた。それは見間違いではなく、確かに言葉を発した。
「……一、二……」
詩気御はその強大な呪力と形容する力を前に距離をとった。
「……三、四、五、六……」
言葉は途絶えた。だが、微かに心臓の鼓動が熱くなった。
「……七、八、九、十……」
八重はまだ死んでいる。何故なら魂が抜けているからだ。だが、まだ体は動いている。
「……布留部……由良由良……。…………布留部」
その体に、もう一度魂が宿った。八重は、生き返ったのだ。
「そうか!! 布留の言か!!」
八重が唱えたのは祝詞である。そして、その祝詞の中でも古代神道の秘事である。
それは死者蘇生の言霊である。しかし、死者蘇生を可能とするには足りない物がある。何故足りないのに蘇生が出来たのか、詩気御は理解出来た。
「まさか、人魚の呪いがこんな形で作用するとはね。少し驚いたし、予想外だったよ」
八重は立ち上がり、詩気御を睨んだ。
そして、八重から溢れ出した力は人間の物では無かった。
元々人魚を喰らい、人間とは呼べない存在にはなったが、それを更に超えた。何故なら一度死んだことにより、魂の力を知覚し、扱う方法を理解した。魂から溢れ出した力を使える現状、詩気御に殺される未来は無くなった。
八重は耳飾りを外した。その二つの耳飾りは一つ一つが大きな白い狐に変わった。一匹の狐は四本の尾を持っており、もう一匹は尾が無かった。
「天狐と空狐――! 成程、君の力は昔から人間を超えていたようだ!」
「どれだけ神に仕えてきたと思ってるんですか……!!」
詩気御の目は黒から金に変質した。
そして、詩気御は腕を横に振った。しかし八重の前に尾が無い狐が前に出ると、八重の体は切られなかった。
舞い散った桜の花弁は詩気御の腕を囲い、そのまま僅かな傷を重ね切り落とした。
そして、詩気御の背に八重が現れた。詩気御は撃退するために後ろを振り向いたが、視界に捉えその気配が八重では無いことを理解した。
「これは……天狐……!?」
あまりの衝撃と驚愕の繰り返しに、何時も通りの判断を出来なかった。それは詩気御にとっての敗因であった。
「お返しです」
そして、詩気御の腹に刀が突き刺さった。その刃から桜の花弁が体中を切り裂いた。そのまま詩気御はその場に倒れた。
様子を見る限り、治療に手こずっているようだ。すぐには治らず、徐々に塞がっている。
「……死ねないなんて、お互い難儀だね……」
小さく振り絞った声で詩気御はそう呟いた。
「私はそうは思いません。百年以上生きれば、貴方にも分かりますよ――」
――私達は山に向けて走っていた。偶に鬼が現れるが、鬼より悍ましい怪物が戦ってくれる。
「……前方鬼!!」
光がスマホの液晶を見ながらそう叫んだ。私達は横にある程度走り、また神社に向かって走った。
光の超小型探査機に写った画像が、光のスマホに写っているらしい。この技術力は本当に感服する。
すると、突然辺りの地面が揺れた。それは下で何かが移動しているような印象を受けた。
そして、下の地面の土が盛り上がり、爆発のような衝撃が起こった。
ミューレンは突然のことのせいか、その場で転び、新型銃を手から離してしまった。
地面から這い出たのはやはり鬼だった。両手に枷を付けている。
全員動こうとした。その中で一番速く動いたのは私だった。落ちた新型銃を拾い、その鬼に向け引き金を引いた。
しかし、まず私は銃の経験は全く無い。それに加え動揺と焦りで銃口が定まっていなかった。
そのレーザーは鎖に当たり、貫通した。鎖は熱によって千切れた。
次、引き金を引く前に、確実に鬼の拳が当たる。その瞬間、更なる爆発に近い衝撃音が鳴り響いた。
そして、その鬼は吹き飛ばされ、太い木の幹を何本も突き破った。
助かった、そう安堵したのも束の間。私の前に立っていたのは角の生えている女性の背。
豪華絢爛な着物を着ており、燃え盛る羽衣を身に纏っている。
長い髪は燃える炎のような色と黒い炭のような色の部分がある。
すると、光が声を出した。
「昴君……?」
その女性は、振り向いた。
確かに昴だった。確かに顔は昴だったのだが、目の色が違う。それに、爆発的なぼでぃ。胸がミューレンより大きい。巨乳じゃなく爆乳だ。……私は何を言っているんだろう。
着物を着崩しているせいで、胸の谷間も見えるし、白くすべすべしてそうな、柔らかそうな生脚も見える。健全な小学生の性癖が歪んでしまう。
「……良かった……」
そう呟いていた。
あ、昴ね。見た目こそ変わり過ぎてるけど、昴ね。
とりあえず胸を触ってみた。
昴は私の額に軽いデコピンをした。
「いったー!!」
私はあまりの痛さに額を押さえた。
「セクハラ野郎には丁度良い体罰だろ。それで、何をすれば良い」
「スサノオを祀るから鬼から守って」
私は端的に目標を、そして障害を教えた。
「了解」
すると、光が斎さんに耳打ちしていた。その様子を見て、昴は斎さんに近付いた。
「……何を対価に払える。タダ働きはごめんだ」
「……光さんの、安全です」
昴は悪魔のような笑みを浮かべた。だが、何処か穏やかにも見える。
「さーて、今調子が良いんだ。何でも出来る気がする」
昴は私達の前に走っていた。勿論現れた鬼はいとも簡単にばったばったと薙ぎ倒している。何だか鬼の方が可哀想になっている。
すると、昴は足を止めた。
「……誰かいる」
そう呟いた。その昴の顔は少しだけ怯えているようにも見える。
ミューレンも、何かに怯えている。
「……一人、私達を殺そうとしてる」
すると、昴が声を出した。
「違う、二人だ」
「え? 一人よ」
すると、斎さんも声を出した。
「あの……私程度の意見で申し訳ありませんが……気配は一人分しか……」
すると、光はスマホの液晶を見せた。
「二人いるよ! 男性と女性!」
確かに二人写っている。ミューレンは不思議そうな顔をしており、斎さんは土下座の体勢になり、頭を地面に擦っている。
すると、光の液晶に写っている二人組がその場から消えた。そして、昴は前を睨んだ。
その瞬間、私は空を見ていた。。一瞬何が起こったか分からないが、遅れて腹部に衝撃が走った。胃の中の物が全部吐き出されて、そこから更に内蔵まで口から出しそうな威力だった。
地面に激突した。
ミューレンが心配そうな、そして泣きそうな顔で見ている。何かを叫んでいるが、何を言っているのか良く聞こえない。
昴は、自分が反応出来なかったのを悔いた。そして、目の前の二人を畏れた。
一人の男性は左腕だけの隻腕であり、黒い髪に瞳。そして筋肉質な体。
もう一人は華奢な女性だった。と言っても身長は黒恵より少し高い。血のような赤黒い髪と目で、こちらをその鋭い眼光で見ていた。
「……あー……」
男性は無気力に声を出した。
「……□□□、詩気御から言われたのはミューレンと光だが、あいつら□□□□□だよな。戦いづらいんだが」
「□■□様、□■□■□■は臨機応変にと言っていました。それに、私は貴方の御心のままに」
「……そうだな。お前に任せた。あーあと、ちゃんと詩気御って呼んでおけ」
そして、男性は昴を見た。
「と言うわけで、お前と黒恵の相手は俺だ」
「……させるか。二人まとめて――」
そして、男性は昴の顔を鷲掴んだ。そのまま地面に昴の頭を押し付け、投げ飛ばした。
その行動の刹那の後に、黒恵の腕を掴み昴と同じ方向へ投げ飛ばした。
ミューレンと光、そして斎の前には女性が立っていた。その女性は無表情で、こちらを見ていた。目つきの悪さは生まれつきだろう。
「……最初に謝罪を。私は貴方達を殺します。とても心苦しく、とても悲しいことではありますが」
その言葉は妙な説得力があり、そして威圧感があった。ミューレンは自身に向けられた殺意はこの人から発せられた物だと瞬時に理解した。その殺意に当てられ、気圧され、咄嗟にルーン文字を刻んでいたナイフを構えた。
「……光」
ミューレンは小さく声を出した。
「貴方は見ただけで状況を完璧に理解出来るわよね」
「状況によっては」
「……じゃあ二人は時間稼ぎと注意を引いて。そうすれば何とかなるわ。……多分」
「……まぁ、昴君に助けられてばっかりじゃ嫌だし、私も頑張るよ!」
斎は少しだけ理解は出来なかったが、とりあえず時間稼ぎと注意を引けば良いと理解した。
光はリュックから手榴弾のような物を取り出した。ピンを外し、女性に投げ付けた。
女性の指先から血が肌を破り、それは物理法則を完全に無視した動きで手榴弾のような物を貫いた。すると、そこから白い煙が噴出した。
夜の山の暗闇に加え、煙の視界不良。視界で捉えるのはほぼ無意味になった。しかし、ミューレンは元より女性に攻撃することが目的では無く、光はサーモグラフィー搭載のメガネをかけ、斎は気配で女性の場所が分かる。この状況でも三人は大して問題は無かった。
だが、女性は足音で三人の正確な位置を把握した。その方向に向け赤黒い血が銃弾のように吹き飛んだ。
それは斎の眼前に迫った。斎はその軌道に小刀の刃を置いた。その小刀は熱が急激に上昇し、赤熱した。
血は刃に当たると蒸発した。
どうやって気付いたのでしょうか……。……目では無い。ならば恐らく音……。なら、丁度良かった。
斎は懐から三枚和紙を取り出した。その和紙は手元から消えた。
そして、足音が三つ増えた。
女性は困惑しているようだ。それは光がかけた眼鏡に搭載されたサーモグラフィーで分かる。
光は走り回りながら思考を回した。
……まず遠隔拘束具はあんまり良い物を作ってないんだよね……。射程距離は20mくらい。しかも火薬で飛ばすから音でバレるんだよね。さっき血を飛ばしてたし、ただ拘束しただけじゃ反撃を食らうし。……ならスタンガンだけど、当てられるわけ無いし。危険だからテーザーガンは作ってないし。まぁ、ミューレンの狙いを見てから細かな行動をしよう。
光は斎に近付き、耳打ちした。ミューレンにも近付き、耳打ちした。
そして、ミューレンが何をしているのか、それも刻んでいるルーン文字で理解出来た。
女性は自分に近付いた足音に向け血を飛ばしているだけだ。しかし、少しずつどれが偽物かが分かったのか、もう一度斎に血が飛んだ。斎はまた同じ方法で防いだ。
そして、煙も徐々に晴れてきた。女性が薄れた煙の隙間に見たのは、また手榴弾のような形状をしている物。そのピンはもう外されており、光はそれを空高く投げた。その瞬間、あの女性以外は耳を手で塞いだ。
そして、それはとても強い音を響かせた。あの女性の卓越した聴覚に常人以上のダメージを与えた。平衡感覚を失いかけたが、そのダメージは常人以上の回復速度で治った。
その鼓膜が捉えた次の音は、火薬の爆発音。
女性の体に拘束具が巻かれた。それは常人以上の力を有する女性にとっても取り外すことは難しく、無理矢理千切ろうとした。
「斎さん!! あっち!!」
光はそう叫んでミューレンの方を指差した。そのミューレンが触れている木の幹には記号が刻まれていた。
右の縦線と、それより短い左の縦線。その二つの縦線の頂点を斜線で結び、その二つの縦線の中に三つの斜線が刻まれていた。
斎は女性に、ひぃお婆様直伝の蹴りをその動けずにいた女性に命中させた。
常人以上の力を持つとは言え、女性は吹き飛ばされ、その木に激突した。
それと同時に拘束を引き千切った。そして、その木に触れているミューレンに対しての攻撃体勢を整えようとした。そして、光がそのルーン文字に触れた。
女性は、ミューレンだけがこの魔法を使えると予想していた。何故なら準備を重ね、記号に力を込めているのはミューレンだった。それが、敗因となった。
ミューレンは単独のルーン文字なら扱える。しかし、二つ以上のバインドルーンは光であった。ミューレンはただ記号に魔法を込めただけだ。本当の狙いは、光が完璧に理解していた。
そのルーン文字は深い緑に暗い緑に黒が混ざり輝いた。その暗い色はやがて木を変質させた。女性の体は幹から生えた木の枝に巻き付かれ、捕縛させられた。
カバの木を象徴するベオークに、荒々しく大きなエネルギーを表すウルで破ることを不可能にし、停滞を意味するイスでそれを半永久的にする。それを思い付いたミューレンと、それを瞬時に、そして完璧に理解出来た光の勝利である。
光とミューレンは互いにハイタッチした――。
――昴と黒恵の前には隻腕の男性が佇んでいた。
「……どうした、早く来い。こっちは色々立て込んでるんだ」
昴は動けずにいた。それは、楽に倒せると言う事実からではなく、あまりの佇まいに動けずにいた。どれだけ想像しても強烈な反撃を食らう予想しか出来なかった。
「ほら! ああ言ってるから早くそのご自慢の拳で!!」
黒恵は昴の背中を叩きながらそう言っていた。その昴の顔は、汗が良く見える。それは暑さによる発汗ではなく、恐怖による物だとすぐに分かった。
「……駄目だ。強すぎる」
「……じゃあどうするの」
「……倒さないといけないが、倒せる気がしない。油断を誘って何とか出来るかもしれないが……」
「……私は無理よ」
「大して変わらないから安心しろ」
男性は素早く動いた。その動きに技術など無く、何処までも単純だった。しかし、それを問題にもしない身体能力がその男性にはあった。
即座に昴の目の前に現れ、拳を構えた。昴はその前に頭部に殴りかかったが、その拳は空を切った。
そして、昴は音から背後に回ったと理解出来た。しかし対処するには圧倒的に身体能力が足りず、背中に強力な一撃をまともに食らった。
そのまま吹き飛んだが、身に付けた力の流れを完璧に理解し、ほとんどの衝撃を0にした。しかし、男性は黒恵を昴に向けて投げ飛ばした。
昴はそのまま衝撃を逃しながら黒恵を優しくキャッチした。
「いった――くない!!」
「それなら早く逃げてくれ」
すると、男性が声を出した。
「良い動きだ。技術だけなら俺を遥かに超えるか?」
「……ありがとう……で良いか?」
昴は無気力にそう答えた。
「……しかし、さっき殴って分かったが、良く動けてるな。本来ならもう動けない――いや、死んでいるはずだ。そこまでやったならもう充分だろ?」
すると、昴は分かりやすく顔をしかめ、苛つきを見せた。
「傷付いたら下がって良いのか。大事な人がいると言うのにみすみす尻尾を巻いて逃げろと?」
「ああ、すまない。不快にさせるつもりは無かったんだ。どっちが大切だ? 光か? ミューレンか?」
「……光だ。……何で知ってる」
男性は少しだけ意外そうな顔をした。
「まず何だそのこびり付いている女性の匂い。何人と重なったんだ」
昴はそう言った。
「……答える必要は無いだろう?」
「恐らく四人。この浮気野郎が」
「心外だな。俺はそいつらを等しく愛している。まず、何故一人だけ愛する。何故一人だけしか愛せないと思っている。……いや、それはお前の自由か。まぁあれだ。俺が言いたいことは、お前の考えで俺を語るなってことだな」
「……怒らないんだな。さっきのは罵倒だぞ?」
「何故怒る? その部分は俺を構成する重要な要素だ。それに怒ると言うことは自分を否定することと同義じゃ無いか?」
昴とこの男性には、明確な価値観の違いがあった。そして、今度は昴が動いた。男性は不気味な笑みを浮かべるだけで、その場で立っているだけだ。
昴が男性の間合いに入った瞬間、男性は動いた。昴に拳が当たる直後に、男性は投げ飛ばされた。それは一見触れずに投げ飛ばしたようにも見える。しかしそれは男性の動きと昴の動きが完璧に合った状態でより力を抜いた状態で、触れずに投げ飛ばしたように見えたのだ。
昴は体を回し、踵を激突させた。その踵は爆発し、男性を横に吹き飛ばした。
だが、男性にはまともな外傷は見られなかった。しいて上げるのならば、ささくれ程度。
「"糸切鋏"」
男性の首元に火が灯り、普通の物より大きな糸切り鋏が現れた。それは男性の喉元を断ち切ろうとしたが、刃はあまりの硬度に砕けた。
「"布裁鋏"」
大きな火が巻き上がり、人の身長程の大きさの裁ち鋏が男性の肩に現れた。しかし、その鋏もやはり砕け、男性の硬度を物語った。
すると男性の頭上に火柱が立ち込め、その炎の中から無数の刀の刀身が現れた。しかしそれは普通の刀身ではなく、長さは10mを軽く超えている。それが何十振りも男性の頭上から雨のように落ちてきた。しかしそれは全て男性によって砕かれた。
昴は、正鹿火之目一箇日大御神から血を分け与えられたことにより、魂が一つになった。よって正鹿火之目一箇日大御神の権能を使える。しかし、その力の制御は全く出来ておらず、作り上げる物全てが大きくなるのはそれを象徴する。
「……その手、そしてその足、力をまだ扱いきれて無いようだな。残念だ」
指摘された部くらいには、火傷があった。それは力を制御できていないが故に自身の炎に焼かれた物だった。
男性は残像を残し、昴の腹部に拳を何度も叩き付けた。いくら衝撃を逃したとしても、その不格好かつ真っ直ぐな衝撃に吹き飛ばされた。
昴は吹き飛ばされた軌道に存在する木に激突し、それを薙ぎ倒しながら地面に転がった。
男性は更に動き、黒恵の前に現れた。蹴りが、黒恵の腹部に激突した。その衝撃を逃がせること無くその場に蹲った。
「安心しろ。殺す気は無い」
そして、男性は飛ばされた昴を見つめた。
「……お前は俺と同じだ。どれだけ傷付こうが目の前の全ての敵意に噛み付く狂犬だ。俺と、同じだ」
そう言って、地面に転がっている昴に歩みを寄せた。
そして、昴は立ち上がると共に、右腕を男性に押し付けた。
「クタバレ重婚野郎」
先程よりより高い熱が集まった。それと同時に、更なる爆発が起こった。
昴は吹き飛ばされたが、男性はやはり傷の一つも付いていない。
「……やめておけ」
昴の右腕は火傷で皮膚が爛れていた。再起不能の火傷を負っており、その荒々しい炎を操りきれていない。
「……お前は良くやった。もう休め。俺の目的は殺戮じゃない。光にも手を出さないと約束しよう」
「……それでも、お前は光の敵だろ……」
「ああ、そうだ。残念ながらな」
男性は、哀れみ悲しんだ目で昴を見ていた。それは昴にとって屈辱であり、弱さであった。
すると、男性は突然後ろを振り向いた。
そこには、黒恵が立っていた。
確かに殺してはいない。骨も折れていない。歩くことは出来るだろう。だが、何よりも、音をたてずに自分の後ろに立ったことに驚愕していた。
「……お前、どうやって俺の後ろに立った」
「んー? そうねー。あはは!」
その目は正気を失っており、金色に輝いた。何処までも愉快そうに、楽しそうに笑っていた。
「私は今! 世界の未知を全て!! あはははははははは!!」
「……そうか……! イチジクの実を食ったのか!」
「んー? 美味しいわよねー!! イチジクのパイって!! 作り方は全部私の頭の中に!!」
「なら今のお前の名前を知っているはずだ」
本来ならその問の意味は分からない。だが、黒恵は狂っていたのだ。
「そうね!! そうよそうなのよ■□■!! けど私と貴方は違う! 何故なら私は□□□□□□□だからよ!! □□□と■■■はまぐわい子を産み!! □■□が生まれた!! □□□□□□□と■■■■■■■はまぐわい子を産み!! ■□■□■□■が生まれた!! しかしそれは間違いだった!! そんな事実は無かった!! しかしそれは生まれていた!! つまり□■□が■□■□■□■を生み! □■□■□■□が■□■を生んだ!! しかしこの二人は一人であり! この一人は二人である!! 白と白は黒と黒を生み出し!! 黒と黒は白と白を生み出した!! しかしそれも間違いよ!! あはははははははははははははははははは!! あはははははははははは!!」
それはもう正気では無い。あまりの恐怖と痛みと衝撃によって、狂気に触れていたのだろう。その言葉に意味など無かった。決して、深い意味は無かった。意味があるわけが無い。意味など無い。決して無い。意味が無いのだ。何故ならそれは狂気に犯された狂言であるからだ。意味を見出すことはしない方が良い。深掘りも、しない方が良い。理解する必要も無い。意味など無いからだ。
黒恵は両手の人差し指と親指で長方形を作った。
「"窓"」
その作られた長方形の空間から無数の桜の花弁が舞い散った。それは桜色の塊が水のように流れ、それは男性を襲った。
しかし、その無数の桜の花弁の刃は男性を傷付けることは出来なかった。
男性はその花弁を蹴散らしながら黒恵に迫った。だが、黒恵に触れるその瞬間、男性の体は夜空に浮いていた。それはまさしく、經津櫻境尊の力であった。
男性の危機感知は黒恵に向いた。
男性の目は片方は金に、もう片方は銀に変質した。その黒い髪も一部分が白く変わった。
だが、その男性の更に上、そこには拳を構えた昴がいた。
跳躍したなら分かるはずなのだ。それでも分からなかったのは、黒恵の力による移動だったからだ。
焼けただれた右拳を男性に叩き付けた。その右腕は、爆発した。
その勢いのまま地面に叩き付けられた。すぐに立ち上がったが、目の前には刀を構えた黒恵の姿。
振り下ろされた刃は、いとも容易く男性の体を切った。左肩から右腰にまで深い切創を刻み、男性はそのまま倒れた。
「……そうか。お前たちは……。……旅を続けろ。答えを見付けろ……」
男性はその一言を残し、その場に倒れ気を失ってしまった。
黒恵はその場で倒れた。目覚めた瞳は黒に戻り、狂気は抜けたようだ。
卓越した状況判断能力から、昴を見た。
「……流石昴!!」
「お前がやったんだよ」
「そんなわけ無いでしょ。私がこんなこと」
「記憶が残って無いのか」
「何の話よ。そんな漫画じゃないんだから」
「とりあえずあの二人を追いかけるぞ」
黒恵は先走る昴の後を追いかけた。
男性の傍に、ハーバルノートの香りが訪れた。
「……詩気御か」
「やぁ、彼女らはもう遠くに行ったよ。もうその演技は大丈夫だよ」
男性は立ち上がった。傷は塞がっていた。
「君を難儀な役回りにしてしまったね」
「これで良いんだよ。お前の目的は殺戮じゃないからな」
「君が全力を出せば負けることは無いだろうね。そうそう。□□□君が捕縛されてしまってね。僕じゃ助けられそうに無いんだ」
「分かった。助けたら俺達は帰るぞ」
「付き添いはいるかな?」
「お前はゴメンだ」
「それは残念」
男性の髪と瞳は徐々に戻った。そして、歩き始めた。
そして、女性が木の枝に捕縛されている様子を見た。
「……何があった」
「……ご理解を」
「……成程。だが顔から血を出すことだって出来たはずだ」
「……■□■様は、私の顔に傷が付くことを望んでいないでしょう?」
「そうだな。だから指からしか血を出していないのか」
「全力を出すなと言われたので。それに、褒美として夜を共にしたかったので」
「お前後者が本命だろ」
「……早く解いて下さい」
男性は木の幹に触れた。その手から炎が溢れ、その木を燃やした。女性に着火する前に抱き寄せた。
「詩気御、俺達は帰らせてもらう」
「ありがとう。僕の案に乗ってくれて。お陰で黒恵君の力が開花された。お礼は後々にね」
その二人は何処かへ行ってしまった。
そして、詩気御は空を眺めた。
「……後は宜しく、■■■■君――」
――ミューレンと光と斎の元に黒恵と昴が合流した。光は昴の右腕を見ると、すぐに駆け寄った。
「何があったらこんなに酷い火傷が付くの昴君!!」
「それより光は無事……」
「無事だよ!! それより早く治療しないと……」
「……それよりだ。早く向かわないと……」
「だから!! 自分の体に無茶させすぎ!!」
昴はそのまま光を肩に乗せ、走り出した。光は涙目で喚いていたが、そんなことも気にせず走っていた。
黒恵とミューレンと斎の三人も、神社に向かった。
光を抱えた昴がいち早くそこに辿り着いた。神社の賽銭箱の前に、一人の年老いた老人が杖を片手に座禅を組んでいた。その前の参道には、首が落とされた鬼が無数に積み上がっていた。
「……儂にも見える鬼……人間か……」
「一応人間だ。何故か女性に体が変わったし服も変わったし角も生えたが」
「……して、何用じゃ」
「……ちょっと待ってくれ。もう少しでそれを良く知ってる奴が来るから」
「……昴か」
「あー! 婆の弟さん!! この一族はどうなってるんだ全く」
この老人の名は"安倍桜雅"。昴の母親のおじに当たる人物である。
そして、その後に三人がやって来た。斎が桜雅に説明した。そして本殿に通された。
斎は黒恵から手渡された木の枝を祀ろうとしたが、それが出来なかった。
焦っているように辺りを右往左往し始めた。
「その……祀れません。本来神社とは神の世界の場所に位置するのですが、この神社は鳥居にある境が無くなっています。恐らく經津櫻境尊の仕業かと……」
光は思考を回していたが、鳥居が無理ならこれ以上の考えは浮かばなかった。
だが、昴は黒恵を外に連れ出した。
「何よ昴! 私には何も出来ないわよ!」
「いや、お前がいれば出来る」
そして、昴は地面に手を置いた。
「今の俺は正鹿火之目一箇日大御神と同一の存在だ。その記憶も理解出来る。……世界を分けた方法。それもな」
昴の羽衣は更に荒々しく燃え上がった。
「まず炎で囲い、それを境として世界を分けた。炎は俺で何とか出来る。境は黒恵がやってくれ」
「出来るわけ無いでしょ!? 私に何を求めてるのよ!!」
「……言っただろ。あの男性を倒したのは黒恵だ。あの力は經津櫻境尊の力だ。理由は分からないが……經津櫻境尊の力が黒恵にある、と思う」
「……あーもう! 分かったわよ! やれば良いんでしょやれば!!」
そして、この神社の周りに炎が舞い上がった。それは夜空に届きそうな程高く舞い上がり、擬似的な境を作り出した。
「早くやれ!」
「そうは言ってもどうやってやるのよ!!」
「光は出来た!! ミューレンにも出来た! 俺にも出来た! それで黒恵が出来ない道理は無いはずだ!! 何でも良い!! さっきの感覚を思い出せ!!」
黒恵は混乱しながらも、何とか使おうと色々試していた。
すると、炎の向こう側から鳥居を潜り鬼が飛び込んできた。しかし昴は炎の維持で戦うことは出来ない。
そして、その鬼の首は落とされた。そして炎に飛び込む一つの人影。
その炎の壁の外には鬼が蔓延っていた。それだけで大きな波のように蠢いていた。
その壁の前には、桜雅が地面に突き立てた杖の上に立っていた。
「この炎の壁の中に入ろうとする者。今すぐ引き返せ。無理に入ろうとするならば、首の皮一枚も切り捨てられると思え」
一人の鬼が桜雅に突撃した。その次の瞬間に、杖から抜かれた刃が横に真っ直ぐ鬼の首を切断させた。
桜雅の杖は仕込み刀であった。
「……儂は、姉君のように、母上のように妖の姿形は見えぬ。だが、それ以外が分かればその首を切り捨てることも容易いわ」
炎の壁の中で黒恵は試行錯誤していた。
「えーと……!! えーと……!!」
「黒恵!! 早くしろ!! あの爺が耐えている内に!!」
「けど……!! あーもう!! 經津櫻境尊が教えてくれたって良いでしょ!!」
「じゃあ心の中で話しかけろ!! 何度かやれば声が聞こえるはずだ!!」
「そんなことが出来るの!?」
黒恵はこの重要な役を忘れ、好奇心のまま心で話しかけた。
經津櫻境尊さん! 聞こえますかー、応答願いまーす。……全然聞こえないじゃ無い!!
『……聞こえていますよ』
うわぁぁ!? びっくりした!!
『……一応私は敵なのですが……』
何故か昴が私は經津櫻境尊の力が使えるなんて言ってるんですが、本当ですか?
『はい。詩気御が神便鬼毒酒を飲ませたでしょう。貴方の物には桜の花弁が浮かんでいたでしょう。それは私の御神体の花弁です。それは一時期にでも私の体となっています。つまり私の力が少なからずあります。……昴さんのように魂まで同一にはなっていませんが』
つまり使えると。
『はい。……私がある程度協力しましょう。それと、話せるのはこれで最後です』
もう少し聞きたいことがあるんですけど!! もう少し長く……。
『早くやりますよ』
黒恵は残念そうな顔をしながら、地面に手を置いた。
自分の体の中に、他の何かが動いているように、しかしそれは自分の中から溢れ出した。黒恵はその感覚を頭に刻んだ。
それは炎に沿って流れていく。何かが動くような感覚は消えたが、黒恵は力の使い方を漠然と理解出来た。
そのまま力を炎に沿って流した。何故かそれが出来る。
やがて、その力は一周した。その炎は消え去った。
斎は簡易的ではあるが、建速須佐之男命を祀り上げた。
それと同時に周りにいる鬼は逃げ出し、静寂が訪れた。
「……終わった……」
昴が疲れ切ったように息を深く吐いた。だが、黒恵は空を眺めていた。
「どうした。もう終わったぞ」
「……あそこに、經津櫻境尊がいる」
そして、何かが吠えるような声が聞こえた。それと同時に、夜空に蠢く黒い何かが見えた。
それは空を泳ぎ、こちらを見ていた。
昴は山を降った。その速度はとても速く、数分の内に下山出来た。
その前には、月下美人のように艷やかな女性が佇んでいた。この夜の暗闇の中でもその存在感を醸し出していた。
「……何で……お前がいるんだよ……!!」
「あら、久し振り……と言う程日は経っていないわね。それで、何故私がここにいるか。だったかしら。それは勿論、私は協力者であり、更なる試練を齎すために」
その女性の腹から黒い何かが出て来た。それは蠢き、大きくなった。それは大きな狼のような物になり、昴に向けて唸った。
その狼が更に腹から溢れ出し、大きな群れをなした。
「私の名は"パンドラ・アイグ=マルティ"。この世に絶望を解き放ち一抹の希望を与える者」
「誰も聞いて無い」
「酷いわ。貴方にだけ伝えようと思っていたのに」
炎が灯り、その炎の中から大太刀が現れた。しかしそれは3mを簡単に超えており、柄もなくそのまま握っていた。
「……その大きすぎる力を外に出したは良い物を、扱いきれていないようね。その刀身を、そしてその右腕を見れば良く分かるわ。可哀想に」
「可哀想に思われる筋合いは無い」
狼の群れは昴に飛びかかった。だが、昴はその狼を簡単に殲滅した。その黒い肉に噛みつき、飲み込んだ。
「……まずい……」
昴がやることは変わらない。目の前にいる光の敵を倒す獣になれば良い。
昴はその速さで女性の胴をその大太刀で断ち切ろうとした。しかし刃に当たる体は黒い霧のような物になり、その大太刀の傷は付かなかった。
その大ぶりに振ってしまった昴の体に、刀が深々と貫いた。その刀身は桜色であった。
昴は、もう力むことも出来ないのか、受け身も取らずに衝撃を体に受けながら倒れてしまった。昴の背後には、經津櫻境尊が佇んでいた。
「……すみません。昴さん。……恨んで下さい。私はそれ程のことをしましたから」
經津櫻境尊はそのまま何処かへ消えてしまった
倒れた昴の横に、心配そうな顔を覗かせている八尺様が現れた。その八尺様はパンドラに向け敵意を剥き出しにしていたが、その圧倒的な力の前に何も出来ずにいた。
すると、昴が腕を僅かに動かし、八尺様の手を握った。
「……なぁ……八尺様……いや、違うか……。……俺のために、戦ってくれるか」
「……ぽぽぽ」
「……そうか……。……名前は……"八尺魅白"で良いか……」
彼女は、正確には八尺様では無い。その特徴も少しだけ違う。都市伝説として語られた八尺様は人間のような機械のような男性の声で「ぽぽぽ」と言う。しかし彼女は女性の声で「ぽぽぽ」と呟いている。そして様々な人の声を出すが、彼女はそのような素振りを見せない。
その正体は名を失くした妖怪。八尺様と言う名前を捨て、変質し始めた姿と力。生物で例えるのなら、進化の途中。そして、昴はその存在に名前を与えた。力を与えた。
それはまた新たな力の変化をもたらし、それは存在の強大化をもたらした。彼女は、魅白は昴の力の一部分となった。神とは信仰によりその力を増す。正鹿火之目一箇日大御神が火山の神から火を操る神とされ火を操る力を持ったように、高龗神が蛇は河を司る神とされ水を操る力を持ったように、魅白は昴の解釈に沿って新たな力を会得した。
昴の前に、角が二本側頭部から生えた女性が現れた。だが、その一本は折られており、片目は潰され片脚を引きずっていた。
「……よう。大分酷い有様じゃねぇか。……こいつは?」
「ぽぽぽ」
「何言ってんだお前」
禍鬼が昴の様子を見ながらそう呟いていた。そして、パンドラの薄ら笑いを貼り付けている顔を睨んだ。
「初めまして。名を忘れた鬼の頭領さん」
「うるせぇ。こっちはこいつに死なれたら困るんだよ」
「……それは何故」
「疼いてんだよ。顔を見るだけで、俺の中が熱くなる。俺の殺戮衝動が滾るんだよ……!! もう一度万全の状態で殺し合いてぇ……!! だから、てめぇは殺さないといけねぇんだよ」
「……何処までも単純で、子供らしい考えね」
「だからうるせぇって言ってんだろうがァ!!」
その傷だらけの体を無理矢理動かし、軋みながらもそのパンドラの体に拳を繰り出した。だが、その体は黒い霧のような物になり、その黒い霧から黒い何かが現れた。
頭がなく、胸には肋が露出しており、その中から無数の腕が生えていた。
腹には大きな一つの眼球をぎょろりと動かしていた。
背には鳥のような翼が生えており、その翼には無数の目がこちらを覗いていた。
そして、無数の掌には哺乳類のような歯を剥き出していた。
それは徐々に大きくなり、腹の大きな一つの目が禍鬼を見つめた。
目のような模様が禍鬼の肌に浮かんだ。それは針に刺されたような痛みが広がり、禍鬼の動きを止めた。
その黒い何かは、突然燃え始めた。黒い霧のように霧散し、消えてしまった。
夜空には、炎が浮いていた。それは正鹿火之目一箇日大御神であり、その顔には僅かな怒りを見せた。正鹿火之目一箇日大御神は禍鬼の姿を見た。
「久し振りではないか。姉君」
「久し振りだぁ? 俺とお前はそう言う関係じゃねぇだろ」
「同じ腹から出て来た関係では無いか。今は同じ男の魂に宿る者同士。仲良くやろうでは無いか」
「……しっかたねぇな」
正鹿火之目一箇日大御神は手を空に向けた。そこには無数の炎が浮かび、その炎の中から刃が現れた。それは全てパンドラに向かい、風を切り襲った。
だが、当たり前のように黒い霧のようになり、それは正鹿火之目一箇日大御神の背後に回った。人の姿に戻り、未だに黒い霧の腕から熊のような黒い何かの腕が現れた。その腕の鋭い爪は正鹿火之目一箇日大御神を襲ったが、その腕ごとパンドラの腕を正鹿火之目一箇日大御神は太刀で断ち切った。
「昴を助けるのは何故なのかしら」
「殺されると困るが……何より個人的な感情が大きい」
「それはつまり、彼を愛していると言うことなのかしら」
「……さぁの」
パンドラの腹から無数の腕が飛び出した。正鹿火之目一箇日大御神に向け伸び続けた。それさえも正鹿火之目一箇日大御神は燃やし尽くした。
すると、パンドラは後ろから気配を感じた。それは正鹿火之目一箇日大御神でも危険な、昴の気配。
後ろを振り向くと、そこには昴がいた。だが、瞬きの次には姿を魅白に変えていた。いや、戻っていた。これが新たな力。様々な声を出せるのなら、姿、そして気配までも変質させることが出来ると言う昴の解釈。
その振り向いた一瞬、その困惑し混乱した一瞬。この処理を遅れた一瞬を狙い、禍鬼の強力な拳がパンドラの頭部に命中した。それは黒い霧に変わることも間に合わず、地面に叩き付けられた。
だが、パンドラはもう一度立ち上がった。傷は黒い霧に包まれ治っていた。
「アァァ!! クソッタレがァ!!」
禍鬼は地面に落ちながら叫んでいた。
「落ち着くのだ姉君よ。確かに偶然が重なって出来た一発だが、倒せない訳ではあるまい」
だが、その考えをあざ笑うように言葉を発した。
「"白と黒は混ざり合う"。"それは我らが主の灰"。"灰の奴隷の墓"。"白を生み出す"。"黒を生み出す"。"絶えず鼓動を続ける我らが主"。"絶えず死臭を放つ我らが奴隷"。"滅び蘇り燃え盛り凍える力"。"我らの信頼"。"それは我らが人の忠誠"」
それは呪言のようだった。その言葉自体に意味を持ち、力を持つ。
パンドラの目は銀に輝き、白と黒の髪に変わった。それと同時にパンドラから発せられる力は大きく強大になり、それは最早神とも言えないもっと別の上くらい存在である。
「……あれを倒せないわけでは無いだと……!! ふざけるなよ……!!」
恐怖さえも狂喜に変える禍鬼であっても、逆らえない圧倒的な力を持つ捕食者を前に、何かをすることも出来るはずが無かった。それはいとも容易く頭を噛み砕く肉食獣を前にした小動物のように、怯えるか逃げるしか出来なかった。
すると、パンドラの頭部に、禍鬼を超える力の拳が激突した。パンドラはそのまま仰け反った。
昴が立っていた。だが、その右腕の火傷は治っており、その体の動かし方は傷も疲れも無くなっていた。
少し前、昴の目の前に女性がいた。
『やっほ。八重のひ孫君』
『……誰だ』
『うーんそうだね……人魚? 八重がね、私を食べて、不老不死になっちゃいましたってことかな』
『……つまりどう言うことだ』
『そうだね。早く言わないとね。まず、君には私の要素が僅かに残っている。そのほんの少しの要素で君を一時的に不老不死にするよ。もう二度と使えないからね。そこは気を付けて。あ、あと八重に会ったら饅頭欲しいって言っておいて』
『……会えたらな』
パンドラは声を出した。
「人魚の呪い、それは誰のかしら」
「曾祖母だ」
「成程、愛されていたのね」
パンドラは徐々に足が地面から離れ、空に上がった。腹から溢れた無数の異形の怪物は、一つ一つが各地で神と崇める程の力を有している。
「さあ、後もう少しよ。この戦いはね」
「それは良いことを聞いた」
昴は禍鬼に触れた。禍鬼の体は昴に吸い込まれるように、そして消えてしまった。
昴の体と禍鬼の体は同一となった。禍鬼の昴を超える身体能力を、昴は扱えるようになったのだ。
そして、昴の足元から爆発が起こった。それは昴を高く飛ばし、より素早く動かした。
昴の体から何度も爆発が起こった。それは昴のより素早い機動力を可能にした。
見えない昴の姿を何とか追いかけようと、パンドラは目を凝らしていた。だが、昴は死角に入ることが得意だった。その特技は更に凶悪さを磨かせ、パンドラの背に昴は現れた。そして、右腕で爆破した。
昴の右腕は爆発の衝撃で吹き飛ばされたが、それは徐々に治っていった。
パンドラは昴の居場所を理解した。そして、手を伸ばした。
「"封"」
その声と共に昴は立方体の箱に閉じ込められた。だが、それは一度火が付き、やがて更に激しく炎をうねらせ燃え尽きた。
もう一度手を伸ばしたが、その腕を横から龍のような蛇が食い千切った。そしてあまりにも不味いのかそれを口から吐き出した。それは高龗神であり、様子を伺いながらせめてもと思い、ようやく見えた隙に食い千切った。
パンドラは腹から黒い何かを出し、高龗神に傷を負わせようとしたが、その姿は龍のような蛇の姿から女性の姿になった。そして、その龍のような蛇の大きな体で見えなかった昴が、足を高く振りかざしパンドラの頭部に振り下ろした。
それは辺りを一瞬だけ照らす程の爆発を起こし、その威力のまま地面に叩き付けた。
昴は離れた場所で着地し、様子を伺った。だが、やはりパンドラは何事も無かったように立ち上がった。
「全く、酷いわ」
「そんな様子で良く言う」
パンドラの腹から黒い何かが溢れ出した。それは無数に別れ形を作り出し、それは無数の異形なる怪物を作り出した。その殆どが傀儡に成り下がった神々の魂を宿した黒い体を持った何かであった。
昴はそれを鏖殺しながらその体を偶に喰らった。その度に力を高め、更なる火力をその体から発した。
山にとぐろを巻く程の蛇が昴の体を縛ったが、全身が薪だと言わんばかりに荒々しい炎を発した。それは蛇の体を燃やし尽くし霧散した。
赤子のような黒い何かが昴の体に何人も纏わりついたが、その全てを焼き払った。
正鹿火之目一箇日大御神も高龗神も殲滅に協力はしていたが、昴のように圧倒的な力では無かった。
天に手が届く程高い人型の黒い何かが山を影で覆った。その大きすぎる腕を昴に向けて振り下ろしたが、それは爆破と共に押され返した。そのまま上に向かって放たれた爆発はその体を霧散させた。
大きな猪のような黒い何かが昴に迫ったが、手に握った刀で頭を断ち切った。
「大丈夫なの? そんなに力を行使して」
「どう言う――」
昴は、その場で蹲った。それを期に外に発せられた力は昴の中に隠れ始めた。角は消え髪も瞳も戻り、服も元に戻った。
「その力はあくまで命の危機にひんして本能的な防衛本能によって出されていたもの。先程までの貴方は不老不死だったのだから、そんな防衛本能も薄れるのは当たり前でしょう?」
昴は弱々しくも立ち上がった。そして、左手で髪を掻き上げた。
そして僅かに溢れた力と共に、昴の左目が燃えるような赤い目に変異した。
「まだ終わってないだろ。終わらせるまで俺は戦うぞ」
「ええ。そうしなさい。それは貴方の自由なのだから」
しかし、先程までの体の酷使により、疲労がどっと昴の体を押しつぶした。
すると、パンドラの背後から音がした。それと同時にパンドラの後頭部に飛び蹴りが当たった。それを入れたのは、黒恵だった。
「成功! やっぱり經津櫻境尊の力って凄いわね!!」
着地と同時に黒恵は消え、昴の背後に現れた。
「と言うわけで昴! ある程度經津櫻境尊の力は使えるから色々頑張って!!」
「無茶言うな!! と言うか戦えないだろ!!」
「今なら何でも出来そうなのよ。私を信じて」
「……分かった」
昴は走り、そしてその場から消えた。次に現れたのはパンドラの上。そして拳を振り、パンドラを殴った。
そしてまた消え、パンドラの前に現れた。その昴は逆さまになり地面に落ちようとしていた。パンドラに右手を向け、その手が爆発したと同時にまた消えた。
女性の姿になっている高龗神の横に現れた。高龗神は驚愕したが、昴の右手を見て、その手を自身の力で出した水で冷やした。軽い火傷になっており、腫れているだけだった。それはすぐに治った。
その次に現れたのが、パンドラの背後、その一瞬で五発背を殴り、投げ飛ばした。
何故だろう。黒恵が次に何をするか、それが手に取るように分かる。困惑せず自然と体が動かせる。……変な感覚だ。
そして、昴はパンドラに向けて走った。だが、また別の所から現れると思い込み全く別の場所を見渡した。しかし、昴は移動もせずに真っ直ぐ拳をパンドラの腹部に叩き込んだ。その衝撃は流石の威力であり、禍鬼の身体能力に匹敵こそしないものの充分な威力を発し、パンドラは吹き飛ばされた。
「流石にもう倒れろパンドラ!! こっちはもうヘトヘトなんだ!!」
「そうだそうだ!! こっちは夜中に叩き起こされて寝不足なのよ!!」
黒恵が野次を飛ばしている。突然やって来て野次を飛ばすとはどんなメンタルかと昴は思ってしまった。
だが、パンドラはやはり立ち上がった。
昴の体に疲労が貯まっているのも事実。そして、黒恵の力が限界に近付いているのも事実。正鹿火之目一箇日大御神も經津櫻境尊もパンドラとはまともに戦えない。様々な打開策を黒恵が考え始めた瞬間、目の前に何かが降臨した。
それは白い鳥のような羽を羽ばたたかせ、まるでキリスト教の天使のようだった。
白い髪に銀色に輝く瞳。それは、パンドラを見ていた。メガホンのような物を介して、声を大きくしていた。
「■■■■さん、□□□□□が怒ってますよ! 今すぐ帰らないと、実力行使で捕縛します! けど僕はあまりそう言うことをしたくないんですよ! 女性を傷付けるのはトラウマなんです!」
「……□□□□□は私と同じ立場のはずよ」
「ただでさえあの人に罰を与えられているんですから、早く帰って下さい。僕も怒られたくないんですよ」
それは黒恵と昴を一瞥すると、悲しげな目を向けた。
「と言うかやりすぎです。黒恵と昴死にそうじゃ無いですか。殺しかけて怒られたのに何でもう一回殺しかけてるんですか!」
パンドラは薄ら笑いを浮かべただけだった。やがて、全身が黒い霧に変わり夜空に消えていった。
昴と黒恵はようやく終わった戦いに気が緩んだのか、その場に座り込んだ。
その女性は私と昴に歩んだ。良く見れば僅かに神々しく発光している。白い羽が舞い散りながら、やはり天使のように微笑んだ。
「すみません。後であの人にはきつく言っておきますので。もうあの人と会うことは無いですよ。安心して下さい」
そして、その白い羽が更に大きくその背中から生えた。より大きな翼に、私と昴は包まれた。
その何とも言えない安心感に、忘れかけた眠気が訪れた。
……このまま眠れば、快眠出来そう……。……みゅー……――。
――朝、朝である。夏の朝。あまりに蒸し暑すぎるその地獄のような朝は、せっかくの快眠を台無しにした。まず入った情報は木の匂いと微かに香る柔らかい匂い。
目を開けて入ったのは、可愛らしい笑顔。それが私の視界いっぱいに入った。
ミューレンだ。まつげが長いし金髪だし。
私は起き上がった。周りを見渡すと、そこは貴船神社の拝殿の中だった。その中で眠っていた。
外で誰かの悲鳴に近い声が聞こえる。私は外に出た。
夏の日差しは眩しすぎる。目がまともに開けない。ようやく日差しに慣れた頃、昴が早苗さんを投げ飛ばすと言う少し理解に時間がかかる光景が視界に写った。
賽銭箱の上には早苗さんといた女性が座り煙草を吸っている。光は蛇と戯れている。
早苗さんは投げ飛ばされながら悲鳴を出していた。その昴に向け拳を振った禱さんは、昴が手を翳しただけで倒れてしまった。
昴は私に気付くと、側においていたミネラルウォーターを喉に流しながら挨拶した。
「おはよう。眠れたか」
「大分ね。……あの後どうなったの」
「眠った俺達を正鹿火之目一箇日大御神と魅白が運んでくれた。あ、魅白って言うのは八尺様の新しい名前だ」
「高龗神は?」
「弓絃齋さんと裏鬼門の神社の宮司と一緒に残った鬼を殲滅した。その後何故か元の世界に帰れた」
「……で、何をやってるの」
「二人の特訓。特に早苗さんは禱に迫る勢いで強くなってる」
そう言えば、辺りを見渡せば所々水たまりがある。夜に雨でも振っていたのだろうか。
すると、私の背後から弓絃齋さんが現れた。
「昴、正鹿火之目一箇日大御神が呼んでおる。早急に本殿へ行け。無礼が無いようにな」
「俺も正鹿火之目一箇日大御神みたいな物だろ」
「確かに昴が魂の主じゃ。じゃがこの神社で祀っておるのは貴様ではなく正鹿火之目一箇日大御神じゃ。……早く行け」
昴はそのままここの神社の奥に行った。
本殿は拝殿より小さい建物だった。それは人が使う物では無いからである。
昴は中に入った。そこには高龗神の膝に頭を置いている正鹿火之目一箇日大御神の姿があった。
「……惚気でも見せてるのか?」
昴は嫌味ったらしく呟いた。
「座るのが辛いのだ。だがこんなにも硬い床に頭を乗せるのは不快だ。ならばと思い高龗神の膝を借りたまで」
昴はその二人の前に座った。正鹿火之目一箇日大御神は起き上がり、昴の顔を見た。
「……ふむ、やはり儂の姉君と魂を共にしている。儂らの体の特徴が出ないのは、恐らく力が外に出てないからだな」
そして、正鹿火之目一箇日大御神は昴の頬に触れた。すると昴の体から禍鬼が飛び出した。その体を作り上げた鎖で縛った。
「姉君よ。息災か?」
「お前がこんなことをしなければな!!」
「確かに儂のために怒ってくれたことは感謝する。だが、村の住人を食い殺すのはやり過ぎだ」
「お前のため? 違うぜ。ただ俺はうんざりしてただけだ。あいつらを殺したいくらいにな!!」
「……今の言葉で何と言うか分かるか? ツンデレだ」
「俺に分からねぇ言葉を使うんじゃねぇ!!」
「教養が足りんの」
そして、正鹿火之目一箇日大御神は禍鬼の体に和紙を押し付けた。禍鬼はその和紙に吸い込まれるように消えてしまった。和紙を昴に手渡した。
「これで良い。この方が扱いやすいだろう。さて、高龗神は何かあるかのう。儂の社で主神を名乗り神社の名前を変え儂を客人に仕立て上げた高龗神よ」
「それは本当にごめんなさい……。しかしそれは後の人間がそう歪曲してしまったことが原因で……」
昴は、このことがあり高龗神は正鹿火之目一箇日大御神に逆らえないことを理解した。
高龗神は後ろに隠し持っていたお猪口を昴に差し出した。昴はとりあえず飲み干した。
ただの水だ。何の変哲も無い。
「これは?」
「私の体液です」
昴は胃からその水を吐き出そうとした。
「大丈夫です! きちんと水に変えましたから!!」
「そう言う問題じゃ無いだろ!! ……一応何の体液か教えてもらって良いか……?」
「女性にそんなことを言わせないで下さい……」
高龗神は頬を赤らめながらそう言った。
「じゃあ飲ませるなよ!! そんな物!!」
「重要なのです。貴方は正鹿火之目一箇日大御神の力を使うと火傷が付きますので、私の力で火傷も押さえられますしコントロールが簡単になりますよ。本来私がここに祀られた理由は正鹿火之目一箇日大御神の荒々しい火の神格を危険な物にしないためですから。だから私も、あの二人と同じように魂を同一にする必要があったのです。……個人的な感情も大きいですが……」
高龗神はまた頬を赤らめた。それは初恋を実らせている姿に酷似している。
そして、正鹿火之目一箇日大御神は声を出した。
「此度の活躍、見事であった。礼をしよう。近くに来い」
昴は正鹿火之目一箇日大御神と距離を縮めた。
「もっとだ。もっと近く」
昴は更に正鹿火之目一箇日大御神に近付いた。正鹿火之目一箇日大御神は一瞬で昴と顔を近付け、唇を重ねた。
一瞬昴は何が起こったか分からなかった。理解が出来た次の行動は怒るでも無く、狼狽えるでも無く、本殿を飛び出した。
拝殿の前にまで走った。ミューレンが起きていたが、昴はそれより重要なことがあった。
水たまりの泥水でその口をゆすいだ。突然走ってきて突然泥水で口をゆするという意味不明な行動に、ミューレン以外はその突然の行動に困惑していた。そして昴はミネラルウォーターで口をゆすぎ泥水を落とした。
そのまま光の頭を寄せ、唇を重ねた。
光は突然のことで、ご自慢の頭が真っ白になった。数秒のキスは昴が離れて終わった。
光はそのまま力が抜けたように顔を赤くしながら座り込み、昴はまた本殿にまで走り、中に押し入った。その中には二人共いなかった。
「あの野郎……!!」
そのまま拝殿にいる弓絃齋に掴みかかった。
「正鹿火之目一箇日大御神を呼び出す方法は!!」
「話せるのはお主で出来るじゃろう。呼び出すことはそれを正鹿火之目一箇日大御神が望めばな。……何があったんじゃ」
昴はそのまま外にいる真二に向かい走り、一発思い切り殴った。
「何すんだ急に!!」
真二は抗議の声を大きく出した。
「良いから俺のストレス発散のサンドバックになってくれ!!」
「お前の拳はマジで痛いんだよ!」
「うるさいうるさい!! この俺の気持ちが分かるか?! 分からないだろ俺の気持ちは!!」
そのまま何度も昴は真二を殴り倒していた。
私は混乱しながらその様子を見ていた。
「……えーと、何があったのかしら……」
拝殿の中で光が寝そべっている。顔が赤いままで心ここにあらずと良く分かる顔をしている。そんな光に八尺様……じゃなくて魅白が触っている。
隣にいたミューレンが語り始めた。
「多分……漫画にあったじゃない」
「どれ?」
「ジョジョに。ズキューーーンの所」
「ああ、あの衝撃的なシーン。確かあの名言が生まれたわね。確か泥水で口をゆすいで……」
私は何があったかの予想が出来てしまった。
「……え、まさか」
「しかも正鹿火之目一箇日大御神を呼び出す方法を聞いてたでしょ。つまりそう言うことよ」
「確かにそれなら光にキスした理由も分かるけど……」
すると、階段を登り透緒子さんと八重さんがこの神社に来た。昴は八重さんと初対面だからか少しだけ警戒心を見せている。
八重さんは昴を見付けると、一粒の涙を流した。そのまま抱きつこうと飛んだが、昴がそれを華麗に避けた。
「何故避けるのですか!!」
「初対面の女性にいきなり飛びつかれたら逃げるに決まってるだろ!!」
「何でですか!! 私は貴方のひぃお婆ちゃんですよ!!」
「そんなわけ無いだろ!! 若すぎだろ!! 良いか!! 婆は90超えてるんだ!! 生きてたとしたら110超えてるぞ!!」
「私は今年で134です!! ねぇ透緒子」
透緒子さんは頷いた。
昴は困惑しているのか、八重さんを見つめていた。透緒子さんをもう一度見て、本当かどうかを確かめている。
「……人魚の肉を食べたからかー……」
「ようやく信じてくれましたか。そう! 私が安倍八重です!! 貴方のひぃお婆ちゃんです!!」
「……それで、ひぃ婆が何の用」
「夏日はもう帰りました。最後に挨拶したかったようですが。それを伝えるのと貴方と黒恵に」
そして、八重さんが私に向けて手招きをした。私は八重さんの下に小走りで来た。
「さて、二人には短い修行をしてもらいます」
そして、八重さんの背後には八尺様……じゃなく、魅白よりも身長が高い何かが佇んでいた。
歯を剥き出しにしており、目から角を生やしていた。
そして八本の腕があり、筋肉が膨張しているその剛腕は明確な凶暴性を滲み出していた。
「貴方達は力を付けました。しかしそれは扱いを間違えると自身の身を滅ぼす危険な物。ミューレンと光は大きく異なる物なので私にはどうにも出来ませんが、貴方達二人なら鍛えられます。しかし貴方達は昼過ぎにはもう出発しなくてはなりません。そこで、この短時間にある程度の力を付けるために特訓しましょう!!」
それを淡々と笑顔で言っていた。何故だろう。私の第六感が囁いている。この笑顔はすぐに悪魔の笑顔に見えるぞと。
そして、その後に響いたのは二つの悲鳴だった――。
――私達は帰りの新幹線に乗っていた。私は今回の旅行を振り返っていた。
楽しくも、好奇心がそそられる良い二泊三日の旅行だった。最後を除けば。
私は疲れ切った体をだらりと席に置いていた。
「2四香車」
光は一言そう呟いた。
「7八銀将」
私はそう返した。
見れば、昴も疲れ果てている。天井を見ながら、揺れに体を任せている。脱力しきったその体は私以上の疲労を見せている。昴は特にボコボコにされたからだろう。
「3五角行」
光のその一手は、私が築いたすーぱー黒恵ちゃん要塞(仮)と名付けた盤石な配置をいとも簡単に崩した。
「あっ。あーあーあーあー……。……参りました――」
――斎は八重の特訓によって散らかされた場所を片付け、弓絃齋にそのことを報告した。
「終わりました。ひぃお婆様」
「おお、そうか。ありがとうな」
「それよりひぃお婆様。妖の街を他人に教えるなんて珍しいですね」
「どう言う意味じゃ」
「え? だって黒恵さんが知っていましたし……」
「お主が誰かに教えて黒恵に伝わったのでは無いのか?」
「いえ、私は誰にも……」
「ならば誰から伝わったと言うのじゃ」
「……親族でしょうか」
「儂は白神と言う性を持つ親族を知らんぞ」
「……ならば一体彼女は何処で……」
弓絃齋と斎はこの地域のことは大抵のことを理解していると思っていた。だが、一つだけ謎が生まれた。
とても小さく小さく、答えが分かるはずも無い小さな謎。
最後まで読んで頂き、有り難う御座います。
ここからは個人的な話になるので、「こんな駄作を書く奴の話なんて聞きたくねぇよケッ!」と言う人は無視して下さい。
ホラーじゃ無い作品。ただの戦闘三昧。ホラーとは。
実は黒恵と昴に次いで早苗が好きなんですよね。同率でミューレンと光です。あの強烈な京言葉? 京都弁? で罵倒されたい願望を心に秘めています。だからBLEACHのギンとか大好きです。何時か糸目のキャラも出そうかな……。早苗の設定を明かそうか迷っています。
經津櫻境尊はあの後変わらずあの神社に祀られています。もう二度とあんなことをしないと正鹿火之目一箇日大御神との契を交わしましたが。
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