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始まりの記録

注意※初投稿なので分かりにくい表現、誤字脱字があるかもしれません。そして唐突な戦闘などがあります。「そんな駄作見たくねぇよケッ!」と言う人は見ないでください。

ご了承下さい。

 私と彼女の出会いは大学だった。まだ二年くらいの付き合いなのに思い出せない程の時間を一緒に過ごしたみたい。それは恐らく恐怖を共にしたからね。二人だけのオカルトサークルも悪くないわ。


 二人の女性は路地を歩いていた。東京の夏休みの路地を歩く人は少なかった。それでも力強く立ち直り、様々な観点から日本は栄光を輝かせていた。栄えた日本は技術と科学が大きく発展し、幽霊や怪異の全てを否定しうるもので溢れていた。未だに陰謀論などの都市伝説は蔓延っているが、それを聞くだけではこの二人の女性の好奇心は満たされることはないのだ。


 二人の女性が探し求めるオカルトチックな超常現象は、人類が何千年もかけて作り上げた現代科学を真っ向から否定をすることと同義だった。それをたった二人で調べ上げるなど不可能に近いということをまだ知らない二人の女性は好奇心のまま足を動かしていた。


 一人は女性の平均身長より少し高く、日本人の様な顔立ちと黒い髪を持っていた。その女性が被っていた黒い帽子には細く白いリボンが巻かれていた。全体的にも黒で統一された服は夏の季節には熱がこもり、そのためかその女性は額に汗を浮かばせていた。


 もう一人の女性は日本人の様な顔立ちに少しだけヨーロッパ系の顔立ちが混ざっている女性だった。金髪に美しい金の目をしていたその女性はもう一人の女性より涼しげな水色の服を着ていた。


「もうこっちにオカルトがよって来ないかしらー!」


 黒い髪の女性はそう叫んでいた。金色の髪の女性は呆れる様に呟いた。


「そんな都合の良いことが起こるはずないでしょ。超常的現象はあまり起こらないから有名でデマを流しやすいのよ」


 黒い髪の女性の名は白神黒惠(しらがくろえ)。金の髪の女性の名はミューレン・ルミエール・エルディー。二人は親友だった。いつも行動を起こすのは黒恵で、その後を追いかける様に歩くのがミューレンだった。


「暑くて暑くて仕方がないのよ! 歩くのもダルイのよ!」


 黒恵がそう叫んでいた。額の汗は頬をつたり、顎から地面に落ちた。


「そんな黒い服を着てるからよ」


 ミューレンは黒恵の夏ではあり得ない服装に文句に近いものを言った。


「そんな正論は求めてないわ! それに私のお母さんもそのまたお母さんもそのまたまたお母さんも生涯黒い服を着てたのよ!」

「そこまでくると狂気の沙汰よ……」

「我が家の伝統になんてことを……いや、それもそうね」

「黒惠が私と同じ意見で良かったわ」


 二人は賑やかに喋りながら、やがて都市の外れまで歩いていた。二人の目の前には雄大に森が広がっていた。人の香りはなくなり、人類が発展する前の地球の姿を漠然と理解した。

 森の前には立入禁止と書かれた黄色いテープが辺り一面の木に貼り付けられていた。


「ここで合ってるわよね?」


 黒惠は使い古したタブレットを見ながらミューレンにそう聞いていた。


「貴方が持ってるのよ」

「そうでした」

「ここで合ってるのよね?」

「たぶん……?」


 黒惠は曖昧な答えを返していた。ミューレンは黒惠の曖昧な答えに呆れ、ため息をついていた。


「じゃあもう進みましょう?」


 ミューレンが黒惠にそう聞いたときには、黒惠は黄色いテープを向こう側の森の木々の影に隠れながら足早に進んでいた。


「ちょ、ちょっと待ってくれたって良いでしょー!」


 ミューレンはそう愚痴を良いながらも黒惠の後を走りながらついていった。


 これは不思議な物語。非科学な不可解を、探索し調査する不思議な不思議な物語――。


 ――森の中は夏を忘れさせる涼しさがあった。しかし虫達は夏だと言わんばかりに蠢いていた。セミは鳴き、カブトムシは木の蜜を守るためなのか虫を投げ飛ばしていた。二人は落ちている葉を踏みしめながら、道として整備されていない獣道を歩いていた。


 タブレットの液晶に写っている周辺の地図は使い物にならなかった。その地図は衛星写真だが、この森全域を黒い影で隠している。黒い影の理由は様々な陰謀論がネットで渦巻いているが、こんなに近いならという理由で二人は足を運んだのである。


「ここは涼しいわね、黒惠」

「さいっこうよ! 地図の空白部分を歩くだけでこんな良い場所に来れるなんてついてるわ!」

「もともと地図の空白部分には何があるのかを調べに来たって言うのを忘れないでね」

「分かってるわよ、ミューレン」

「あ、そこに――」


 ミューレンが何かを言いかけると、突然黒惠の視線は地面に近付いていった。そのまま黒惠は地面に顔から倒れた姿は、田舎の道路に潰れた蛙の様だった。


「そこに割と大きめの石があるから気を付けてって言おうとしたのに」

「早く言って欲しかった!」


 黒惠は起き上がりながらそう叫んだ。不満そうな声は森の中でこだましていた。

「言おうとしたのよ? その前に黒惠が転んじゃっただけで」

「む……」


 黒惠は不満そうな顔をしながら立ち上がり、服についていた土を手で払っていた。それと同時に黒惠のお腹の虫が大きく鳴いた。黒惠は顔を少しだけ赤くしながらお腹を抑えた。


「お腹空いた……」

「何も持ってきてないわよ? 帰る?」

「うーん……もう少し進んだら」

「分かったわ」


 二人は足場の悪い獣道を歩いていると、開けた場所に出た。周りには桜と思われる木で囲まれており、中心には湖があった。その湖では睡蓮の葉と花が咲いており、湖を囲う様に様々な花が咲き乱れていた。天国という場所はこの様な場所だとミューレンは思った。それ程の美しさと神秘性を秘めていた。


 するとミューレンが湖に目を凝らせていると、睡蓮の葉でも花でもない黒い物体が見えた。ミューレンはその物体を黒惠に気付かせる様に指を指した。


「あれ何かしら?」

「さぁ?」


 二人は好奇心のまま、その湖に近付いていった。やがてその黒い物体の正体が二人は理解した。


「「本……?」」


 二人は声を合わせて呟いた。本が濡れることも沈むことなく湖に浮いていた。黒惠は側に落ちてあった細長い木の枝を持ち、腕を精一杯伸ばしその本をこちら側に引き寄せようとした。木の枝の先が本に当たり、こちら側に流れてきた。ミューレンはその本の表紙を撫でる様に触ったが、湖に浮いていた割には全く濡れていなかった。


「……濡れてもないわね」

「なんだかパッとしないけど不思議ね」


 ミューレンは丁寧にページをめくっていったが、見たこともない形をしたものが無数に羅列していた。言語かどうかも分からなかったが、ある程度の形に規則性があるため、落書きなどではないことは二人共理解した。黒惠もミューレンも頭をひねっていた。分かるのは表紙に白い文字で書かれていたENIRVAUST EGUAL CRIMEという英語だけだった。


「これは何? 英語が出来るミューレンさん」

「そろそろ黒惠も英語を覚えたら? まぁ良いわ。"エニルバウスト・エグアルの罪"って書いてあるわよ」

「誰? と言うか人名?」

「私は聞いたこともないわよ、エニルバウスト・エグアルなんて人」

「じゃあミューレンはそれを持っててね」

「ハイハイ」


 黒惠とミューレンはさらに人の匂いがしない森の奥に足を進めていった。


 やがて二人は一つの建造物の玄関を見つけた。その建造物は一般的な家よりも大きく、左右で目を凝らせばようやく端が見える程だった。見たところ木造建築のその建築物は不思議なことに窓は全て開いており、植物の蔦は絡まっていなかった。


「変なところに家を建てるわね。見たところ撤去も出来なくて放置されたのかしら」


 ミューレンがそう言い、その場を後にしようとしたが黒惠は家の周りを見つめていた。


「どうしたのよ黒惠。早く行きましょう?」

「……手入れされてる」

「え?」

「この家、手入れされてるわよ」


 黒惠は疑問を掻き集めた結果の自分の答えを喋り始めた。


「どう言うこと?」

「だから、この家は手入れされてるの。だってこの家の周りだけ植物がないし、窓も綺麗すぎるわよ」


 ミューレンが見てみると、確かに周りの植物は何かで切られた痕があり、窓も埃を一切被っていなかった。


 黒惠は自分の考えに絶対的な自信を持ちながら、その家の玄関を開けた。


 不動産屋が定期的に管理をやってるのなら説明はつく。けどそれにしては掃除が行き届きすぎてる。毎日ここに来ているか、それともここに住んでいるか。どちらでもその人は何故こんな地図が空白になる場所に家を、しかも豪邸を建てるのか。それが気になって仕方ない……!


 黒惠は好奇心のまま動いていただけだった。


 ミューレンは少しばかりの不安を持ったが、黒惠の後を歩いた。彼女もまた、好奇心に貪欲だからだ。


 中は隅まで掃除が行き届いていた。一切の汚れさえも許さない、だが何故か小動物はたまに見かける。室内に熱がこもるからか窓が開けられているためそこから入ったことはミューレンにとって理解に容易かった。


 黒惠は目を輝かせながら扉を開け、室内を覗いていた。目につく隅々の扉をとことん開き見ていた。


 それに比べミューレンは不安を含んだ表情を見せていた。「ここに人がいることがほとんど確定なら、見つかれば……」と常人では当たり前の思考を持っていたからである。

 それでも黒惠の後を歩くのは、彼女の好奇心を満たせるのは黒惠の側で起こるものだと確信しているからだ。


 やがて二人は本棚が並んだ大きな一室に入った。本棚には隙間なく本が整頓されていた。天井の吹き抜けの先にも本棚が見え、少し目を凝らすと上の階に上がるための階段が何個かあることに気がついた。あまりに本棚が高いためか、側には梯子が本棚にかけられていた。


 この本を集めるためにどれだけ費やしたのか、それを考えるだけでこの家の家主の本に対する情熱がチラチラと見えていた。


「この蔵書数はすごいわね……。千冊なんて軽く越えてるんじゃない?」


 ミューレンは思わずそう呟いた。あまりに圧巻した光景を目の当たりにした心からの声だった。


 黒惠は変わらず目に写った気になるものに向かって歩いていた。机の上に杉の木で作られたであろう書見台があり、その横には何かが書かれた紙が乱雑していた。黒惠は好奇心のままその紙を手に取り読み漁った。


「……何これ……あり得ないわよ……」


 ミューレンは不思議そうに黒惠が読んでいる紙に目を向けた。綺麗な字で分かりやすく論文の様なものが書かれていた。日本語の下に英語の翻訳が書かれていた論文は、あらゆる専門的用語に溢れていた。この論文にミューレンの頭は困惑と疑問がぐちゃぐちゃに混ざりあった。


「何これ?」

「論文よ。宇宙での生活のアイディアだし、これは超弦理論の論文、これは効率的な発電方法に関して、こっちは放射性廃棄物の新たな廃棄方法、これなんか量子コンピューターの設計図よ」


「いろんなことに聡明な人が書いたのね」

「出来すぎよ! こんなのを一人で書いたのなら有名になってないとおかしいわよ!」

「でもわざわざ同じ字体で書くかしら?」

「それは……そうだけど」

「それに名前も書いてあるわ。これは……」


 端に書かれていた名前と思われる単語はHGAABHCTI TNIALと筆記体で書かれていた。


「これ……名前かしら」


 ミューレンは頭をひねった。人の名前とは思えないからであった。ミューレンはHGAABHCTIという名前もTNIALという姓名も知らなかった。しかし著者と書かれた隣にこの筆記体の文字が書いていたため、これが名前だと信じる他無かった。黒恵は急かす様にミューレンの肩を揺さぶった。


「どうしたのよ英語博士!」


 ミューレンは体が揺れながらも必死に自分の記憶を遡ったがやはり頭の中にはこのつの単語は存在しなかった。それでもなんとか読み方だけは黒恵に伝えた。


「読むとしたらヒガバクティ・ティアルかしら」

「じゃあこのひがばくてぃさんがこの家の主よ!」


 ヒガバクティの発音が日本語に近い音で黒恵は言っていた。


「何がじゃあなのかしら!?」


 あまりに点と点が繋がらない仮説にミューレンは否定の声を大きくしてしまった。


 その声に気づいた様に、二人の後ろから足音が聞こえた。すぐに振り向くとそこには同い年に見える女性がいた。白いワンピースを着て、両手で本を抱えていた女性は、二人を見つめ始めた。


 一言で表すのなら可愛らしいと言う言葉が合っていたその女性は怪訝な顔で二人を見ていた。


「あっ……えっと……その……ですね……」


 ミューレンが必死に弁明をしようとしたが、黒惠はそんな苦労もいざ知らず、自分の欲を優先したのか好奇心のまま女性に話を聞こうと詰め寄った。するとミューレンは黒恵の進んでいる方向の地面を一目見ると、止めるために声を出した。


「黒惠待って! そこに――」


 ミューレンが言いかける途中で黒惠の視点は床に近付いていった。そのまま黒惠は床に顔から身体中をぶつけた。倒れた姿は床で潰された虫の様だった。


「床に本が落ちてるから気を付けてって言おうとしたのに」

「早く言って欲しかった!」


 目の前にいた女性は転んだときには目を白黒させていたが、黒恵とミューレンのやり取りにクスクスと笑い始めた。女性は黒惠に手を伸ばした。


「大丈夫?」


 そう聞いた女性の手を、黒惠は少しだけ恥ずかしそうに暖かく優しさにあふれている手を掴んだ。起き上がった黒惠に女性は首を傾げながら尋ねた。


「それで、貴方達はどうしてこんなところに?」


 優しい声が黒惠とミューレンの耳を通った。その声に一瞬心を奪われたが、ミューレンが弁明の言葉をまくし立てた。


「決して私から不法侵入し様って言った訳じゃないわ! この白神黒惠っていう人が言い出したのよ!」

「ミューレン!? 親友を裏切ったわね!?」


 二人の口喧嘩を見た女性はまたクスクスと笑っていた。すると黒惠のお腹の虫がもう一度大きく鳴いた。黒惠は顔を赤くしはじめた。


「……何か食べられるものないでしょうか……?」


 黒惠は顔を赤くしながら女性にそう聞いた。すると女性は明るい笑顔を見せた。


「二人とも昼食一緒に食べる?」

「食べたい食べたい!!」


 黒惠は羞恥心を捨て去り、食いぎみにそう答えた。ミューレンは呆れ、女性はもう一度クスクスと笑っていた。


 案内された部屋は長い机と椅子が二つ置かれている質素な部屋だった。この家に入ったときの木の匂いがこの部屋では更に強くなっていた。部屋の角には椅子が積み上がっており、女性はその椅子を二つ持ち上げ、側に置いた。


「はい、ここに座ってて。もう少しで来るから」


 ミューレンは首をかしげた。


「誰が来るの?」

「私の恋人」

「ここに二人で住んでるの?」

「うん。久しぶりなんだよ? ここに私の恋人以外が来たの。大体二週間位かな?」

「それは何故?」

「私みたいに好奇心旺盛だね。あんまり外に出ると色んな人に迷惑かけちゃうから」


 ミューレンは疑問を頭に含ませていたが、黒惠はミューレンを遮る様に女性に疑問を投げた。


「あの論文の束は貴方が書いたの?」

「うん、すごいでしょ」

「凄すぎよ!」

「じゃあなんでも良いから私に問題を出してみて?」


 黒惠は少しだけ困惑した。今まで自分で頭が良いと言ってきた人物は総じてそこまでの知能だったからか、黒恵はあの論文を書いたという話をにわかには信じなかった。その証明をするために自分が知っている難解問題を問いかけた。


「ボイド係数っていうのは!!」

「液体減速材を用いる原子炉の炉心内において、減速材中の気泡の量の変化に伴う反応度の変化率のこと」

「素数の1034番目は!!」

「8237」

「エピクロス主義とは!」

「哲学者エピクロスに影響された快楽主義。私は、パンと水だけじゃ無くて愛もあればゼウスに幸福で勝つことが出来ると思ってるよ」

「相対性原理を簡単に説明すると!!」

「慣性系だと、全ての物理法則は同じ様に起こるとする原理」

「インフレーション理論とは!!」

「宇宙の誕生直後の10-36秒後から10-34秒後までの間に、エネルギーが高い真空から低い真空に相転移して、負の圧力を持つエネルギーが高い真空のエネルギー密度によって引き起こされた指数関数的な膨張の時期を経たとする理論。インフラトンも説明しようか?」


 黒惠は息を切らしていたが、女性は淡々と一瞬で答えていた。やがて黒惠は言葉に詰まり、その場でうずくまった。悔しそうに唇を噛み締めていると自然と呻く様な声が溢れていた。


「もう無理! これ以上言っても無駄な気がするわ!」


 黒恵はそう叫んでしまった。黒恵が知っている全ての問題に難なく答えてしまい、あらゆる分野に深い知識を理解し蓄えている光という人物の頭脳を認めるしか無かったからであった。


「信じてくれた?」

「信じるしかないじゃない。貴方がひがばくてぃさんなのね」

「あれは偽名だけどね。本当の名前は立花光(たちばなひかり)

「白神黒惠よ」


 あまりの高度な問題にもしかしたら分かるかも知れないとついでに考えていたミューレンの頭が爆発して話に大きく置いていかれたが、ここぞとばかりに声を出した。


「ミューレン・ルミエール・エルディーよ」

「黒惠にミューレン。様こそ私の隠れ家へ」


 光は嬉しそうに微笑んでいた。その笑顔はこの場の空気を明るく和ませ続けていた。


 すると部屋の扉が開けられた。扉の前にいたのは白いTシャツに黒のハーフパンツと言う利便性だけを追い求めていた服を着ている男性がいた。


 男性はそうめんが乗っている大きな皿と、取り皿を二皿と箸を二つ持ってきていた。


「おーい光ー。そうめん茹でたから一緒に――」


 その男性は黒惠とミューレンを見ると、顔つきが変わり片手を後ろに回し何かを取ろうとしていた。すると光は優しい声で呟いた。


「昴君、その二人は大丈夫。私を狙って来た訳じゃないよ」


 光は男性にそう言っていたが、男性は警戒しているのか光の言葉を聞いても険しい顔のまま黒恵とミューレンを睨みつけていた。信頼されていない事を理解していた黒恵とミューレンは監視されている様な圧迫感のせいか居心地が悪く感じていた。


「あのなぁ光、そうじゃないにしても不法侵入だろ」

「それくらい許してあげなよ」


 男性はため息をつくと、机にそうめんの皿と取り皿と箸を置いた。


 黒惠はそうめんを見ていると、またお腹の虫が大きく鳴いた。男性の顔は更に苛ついている様な顔になった。


「……あはは……」


 黒恵は苦し紛れの愛想笑いをしていた。あまりの男性の威圧に気圧されそうするしかなかった。


「……ふざけてんのか?」


 男性の威圧に黒恵は手足がすくむ感覚を覚え始めた。サーバルキャットに襲われそうになっているウサギの気分を本能的に理解できる様に感じた黒恵は必死に首を振った。


「違います違います!!」


 男性の視線がミューレンに向くと、何かを思い出した様な顔をした。小学生の頃の同級生に大人になった時に久しぶりに会った様な懐かしさを顔に含んでいた。


「Mûren?」


 男性は発音良くミューレンの名前を呼んでいた。


 ミューレンは男性の顔をまじまじと見ると、少し驚いた顔をした。懐かしさを感じながら確かめる様に男性の名前を問いた。


「Subaru?」


 ミューレンは男性の名前を呼んでいた。記憶の中では小学生の頃の男性の顔に白い霧の様なものがかかっていたが、名前を呼ぶ時の発音の癖で霧が晴れてきていた。


「It's been a while」

「I think it has been more than 10 years. It's been a while!」


 男性とミューレンの英会話は光にとっては簡単だったが、英語をろくに習っていない黒惠にとっては全く未知の言語を喋っている様に聞こえていた。


 黒恵は精一杯自分が知っている単語を聞き取ろうとしていたが、義務教育で習った発音は日本人が喋っている発音だった。日本語よりの発音しか聞き取れない黒恵は本場の英会話のスラスラと流れている言葉に単語を聞き取る暇も無かった。


「How come you are here?」

「I'm guarding her」

「That makes sense」


 すると光も気を使いミューレンに合わせてか、英語で会話に入り始めた。


「Ten years ago, you would have been in elementary school?」


 光はミューレンに向けてそう聞いた。ミューレンは懐かしそうに、嬉しそうに語っていた。テンションが高くなっているのか、日本語を忘れ英語で答え続けていた。


「Yes! Yes, I am!」

「Subaru, you should have told me first」


 英語の供給過多で頭が混乱していた黒惠は、どうにか分かる単語を繋ぎ合わせ自分の気持をなんとか伝えようとした。


「じゃぱにーずぷりーず!」


 黒恵の心からの訴えは日本語よりの発音の英語を出していた。昴と光とミューレンは英語で話していたことに気づき、日本語に戻し始めた。


「ごめんなさい黒惠、この人小学生の頃の同級生なの」


 ミューレンが申し訳無さそうな顔をしながら男性の事を話した。


「そうなの? なんでこんなところに?」

「警護だって」


 すると男性が安堵した息を吐き、申し訳なくなったのか頭を下げた。

「こっちにも事情があったとはいえ高圧的な態度を取ってしまって済まないな」


 黒恵は少しだけ申し訳なくなっていたが、空気を読まないお腹は大きくなった。

 男性は顔に少しだけの笑顔を見せた。


「ちょっと待ってろ。皿持ってくる」


 少し待っていると、男性が皿を二皿と割箸を二つ持ってきていた。ミューレンと光は男性が帰るまで食べ様としていなかったが、黒恵は持ってくる前に取皿でそうめんを取り、すすっていた。ミューレンはため息をつきながら叱る様な口調で黒恵に言った。


「黒恵、行儀悪いわよ」


 すると黒恵はそうめんを噛み締めながら喋り始めた。


「ふぁっへふぃかはふぁいへしょ」

「ちゃんと胃の中に詰めてから話しなさい!」


 黒恵の喉をそうめんが通り、口を開いた。


「お腹空いてたのよ」


 男性は箸と取皿を光とミューレンに手渡し、軽く合唱してからそうめんに箸を伸ばした。つるっと口の中に入るそうめんの小麦の匂いとコシとのど越しは夏を思わせるものだった。


 気づけばそうめんの半分が黒恵に食べられていた。それでも食べる手が止まらないからか、男性は黒恵の箸を持つ左手を掴み、動きを止めた。


「名前をまだ聞いてなかったな」

「白神黒恵よ」

「俺は五常昴(ごじょうすばる)だ」

「じゃあ名乗ったから早く手をどけてくれる?」

「食べ過ぎだ。遠慮を知れ遠慮を」


 黒恵は頬を膨らませ不機嫌そうな顔を昴に向けた。それに伴い黒恵は左腕の力を強めたが、それでも全く動かなかった。掴む力が強い訳ではないが固定された様に昴の腕は動かなかった。


 昴は黒恵の左手を離した。黒恵は未だに不機嫌そうな顔をしていたが、自分が大人気なく食べつくそうとしたことに反省したのか取皿と箸を置いた。


 昴はため息をつき、人数分のそうめんを茹でてこ様とその場を立った。


「光とミューレンは食べてていいぞ。ついでに茹でてくる」


 そう言い残し、昴は部屋を後にした。


「黒恵、もしかしたら昴を怒らせたかも知れないわよ」

「えー……いや私のせいなんだけど……」


 光は昴のことを誰よりも知っているという自信があるからか、黒恵に助言をしていた。


「大丈夫だよ黒恵。昴君は怒ってるんじゃなくて注意してるだけだよ。本当に怒ってたら顔を殴っちゃうんだもん。私は怒られても殴られないけど」

「それはそれで怖いわね!?」

「大丈夫だよ、黒恵と初めて会ったから警戒してるだけで優しいんだよ?」

「本当に? 私殴られない?」


 光は昴の話をしている時は、屈指の笑顔を見せていた。絶世の美女の笑顔は自分には勿体ないと思う程の美しさに酔ってしまった。心の奥まで癒やされるその笑顔は、光がどれだけ昴を愛しているのか分かる指標となっていた。


 ミューレンも懐かしそうに昔話をし始めた。


「昴は小学生の時、まだ日本語があまり喋れない私に日常会話の日本語を教えてくれたのよ」


 ミューレンも笑顔を浮かべていたが、それは恋愛感情から浮かぶ笑顔ではなく友人に向ける笑顔だった。黒恵はミューレンの笑顔が光と違う笑顔だということを少しだけ理解した。


 やがて昴がそうめんを皿に乗せたものを持ってきた。まだ昴は黒恵に怪訝そうな顔をしていたが、それを隠す様に表情を消した。そうめんを乗せた皿を机の上に置くと、昴は黒恵とミューレンに尋ねた。


「そういえば聞くのを忘れてたな。お前ら立入禁止の黄色いテープを越えたな? 好奇心にでも負けたか」


 黒恵とミューレンにとって後ろめたいことだった。黒恵に罪悪感はないが、ミューレンの性格上良心が痛み、心の負い目が水道から出る水の様に溢れていた。


「……ごめんなさい……」


 ミューレンは謝罪の言葉を吐き出した。罪悪感から生まれたあまりの重圧に耐えきれなかった言葉だった。


「……まあここのことを誰にも言わないなら良い。今度からは事前に連絡してくれたら案内してやる」

「それじゃあ調査の意味がないじゃない」


 昴は一瞬驚いた顔をした。罪悪感など微塵もなく、それが罪であることさえも理解していない様な言動であると昴は理解した。まるで子供の様な好奇心と探究心を持ち合わせた黒恵という人物像は光と似た様な部分はあったが、違うところは遠慮やわきまえるなどという感情が欠落しているところだった。


「私はオカルトを追い求め、自分の好奇心を満たしていっているだけよ!」


 黒恵は子供の様にキラキラと輝いていた目でそう言っていた。昴はため息をついた。


「それでこんなところまで……よく飽きないな」


 すると光が反論のごとく声を出した。


「昴君、オカルトだからってなんでもかんでも否定したらダメだよ! 科学での否定は昴君が思っている以上に難しいんだから! それに科学は実証性と再現性と客観性によって成立するんだから、それが揃えばオカルトは科学になるの!」


 熱意ある光の言葉は昴の反論を許さず、黒惠とミューレンは光の言葉に励まされた。


「と言う訳で、昴君。私はこの二人とそれを追いかけたいと思っているんだけど、着いてきてくれるよね?」


 昴は嫌そうな顔を分かりやすい程見せたが、何より最愛の光の頼みに断ることは出来なかった。


「自分からここに来たのに自分から外に出るのかよ……まぁ良い、どうせ俺が一緒なら外に出ても安全なんだ。着いていってやるさ」

「黒惠、ミューレン! よろしくね!」


 一瞬だけ二人は混乱したが、すぐに嬉しそうに頷いた。

「「もちろん!!」」


 二人の声は揃い、嬉しさと楽しさが含まれていた――。


 ――運転席では黒惠がハンドルを握っており、愉快そうに夜の道路に真っ赤な軽自動車を走らせていた。助手席ではミューレンが後ろを気にしており、後部座席では光と昴が座っていた。


 光は眠たそうにまぶたをこすっていた。そのせいか光は大きなあくびをしていた。


 昴は光の手を握り、まじまじと見つめていた。昴は親指で光の手を軽く握った時に薬指と中指に当たる位置を少しだけ強く押した。光の手の平はじーんとしびれると、昴は親指を離した。


 昴が親指で押していた部分は労宮という眠気覚ましのツボだった。いつもならこの時間にはよ程のことがなければ光は眠っている時間だということを昴は理解しての行動だった。


「……詳しく聞かされないまま着いていったが、何処に行こうとしてるんだ?」


 昴が至極真っ当な疑問を黒恵に投げかけた。黒惠は愉快そうに口角を上げながら答えた。


「私の情報網によると、ここに首無しライダー(・・・・・・・)が出るらしいのよ!」

「個人の情報網は当てにならないだろ」

「私の情報網は便利で正確よ!」


 黒惠は確固たる自信があり、豪語していた。


 光が黒惠の発言を疑問に思ったのか、この道路のことを自分のスマホで検索していた。画像も交えて調べていたが、黒惠の言っている情報は全くなかった。


「取り敢えずネットにはないよ」

「なら本当になんなんだよ」

「さあ……?」


 光も昴も首をかしげていたが、ミューレンは黒惠の情報網は正確なものだと経験から理解していた。


「そろそろトンネルね。通ったら気を引き締めてね。何が起こるか分からないから」


 昴と光はその発言に首を傾げた。


 トンネルの中は少しばかりのオレンジ色の明かりに包まれており、先にカーブがあるため出口が見えなかった。一台も車は横切らず、静かに四人が乗っている車のモーターの音しかこのトンネルの中には響かなかった。


「ところで昴、貴方が持ってきたあの大きなバックには何が入ってるの?」


 黒惠が言っている大きなバックとは、後ろのトランクに乗せてあるバックである。車が揺れる度に金属が擦り合う音が鳴っていた。昴は唇が引っ付いている様に開こうとしなかったが、喋れる範囲だけでもと口を開いた。


「……光のための護身用の道具一式が入ってる」


 昴は何があるかを遠回しにぼかしていた。


「へー……え、何、光は何処かのお姫様か何かなの?」

「俺にとってはお姫様だ」

「そう言う惚気を聞きたいんじゃないの」


 昴は何も言わなかった。言おうとしなかった。その顔は誰よりも光の為に行動する昴の決意を感じさせていた。


「それを言うのは光だ。俺が言うべきことじゃない」


 すると光が口を開いた。


「別に知られても大丈夫だよ。誰にも言わないって約束できるなら」


 光の言葉を聞いた昴は少しだけ困惑したが、「光が良いと言うのなら」と思いはじめた。光の安全のためには本当に信頼できる者にだけ詳しい説明が行き渡るが、黒恵とミューレンに話す場合はそこから情報が漏れる可能性が存在する限り詳しく話すことは出来るはずも無かった。


 それでも光はアイコンタクトで「伝えられるところだけでも伝えてあげて」と昴に伝え様としていた。昴はきちんと光の考えを理解した。


「光は、狙われている可能性がある。だからこそ俺が護衛についた。それだけだ。これ以上は光の頼みでも言えない」

「ケチ」


 黒恵は不満げに口を尖らせ拗ねていたが、昴は固い決意でこれ以上喋ろうともしなかった。


「なんとでも言え。俺は光を守りたいだけだ。何があっても光だけは守る。例えお前達を見捨ててもな」

「そんな危険なこと起こるはず……あるかもしれないけど」

「あるんじゃねぇか!」

「まあまあ……何とかなる……はず」

「はずっていう発言程怖いものはないぞ!?」


 やがてカーブを曲がり、ようやく夜の月明かりが差し込んできた。トンネルの出口のすぐ先の右の車線には自慢げに走らせていたであろう白色のソアラが止まっていた。


 ミューレンはその車に違和感を感じた。右の車線に止まっているその車は明らかに交通の妨害をしているが、車内は明かりをつけていないのか暗闇に包まれており、車のヘッドライトも付いていなかった。不思議と不気味を感じるその車にミューレンは不安と恐怖が頭から背中に虫の様に下っていった。


「黒惠、トンネルを抜けたら脇に止まって」

「何で?」

「あの車が気になるのよ」

「りょーかい!」


 黒惠はわくわくしながら車を走らせていた。それに比べミューレンは少しだけの不安が心を覆っていた。しかしその感情も経験から薄れてしまっていた。


 やがてトンネルを抜けると、この車は車道の真ん中で止まった。ミューレンはドアを開け、止まっている車に近付いた。


 何かがおかしいわよ……だってライトもついてないし、排気音も聞こえないのよ? わざわざこんなところで止まる意味も……。


 ミューレンは不安を感じなからも、溢れて抑えることが出来ない程の好奇心に体を動かされていた。


 ミューレンは車の窓を覗くと暗い車内に人影がぼんやりと見えた。よく見るためにスマホのライトをつけ、車内を照らした。ミューレンはすぐに後悔した。


 車内には二つの人間だったものがいた。その遺体の首は綺麗に切断されていた。辺りには血が吹き出した様に飛び散っており、遺体は今もハンドルを握っていた。車を走らせていたまま気付かれずに首を切られているとしか考えられない姿勢をしていたその遺体は、首がないと言う点を除けばまだ人間として動きそうな様子だった。


 その遺体の膝を見ると、切断された首が転がっていた。表情は未だに生気を感じさせ、ずっと見ているとこちらに目を合わせてくる様な不気味さと目前まで迫っていた死への恐怖がミューレンを襲っていた。


 ミューレンは悲鳴を叫びたくなっていた。ただ、あまりにも現実離れしたその様子にミューレンの頭はこれまでの経験からでも分かる異常事態でも理解を阻び、声を抑えていた。


 今の自分に出来ることをミューレンは精一杯やろうとし、照らしていたスマホのカメラ機能をつけた。震える指で画面を一度押し、写真がスマホの画像フォルダに入っているのを確認すると目に涙を浮かべながら黒惠の車の助手席に戻った。


「どうミューレン? 何かあった?」


 ミューレンの体は小さく震えていた。黒惠の問いかけはたいして頭に届いていなかった。


「……とんでもないものを見たわ……」


 ミューレンが震える体で絞り出した言葉だった。震えた指で三人に見せたスマホの液晶画面には首が綺麗に切断されている遺体が写っていた。黒惠と光は興味深そうに液晶を覗いていたが、昴はガラス越しに後ろのトンネルを青ざめた顔で見ていた。


「……黒惠、運転しながら警察にでも通報してくれ。早く発進してくれ」


 昴の声は震えていた。自らが持っている卓越した感覚を最大限警戒に使っていた昴だからこそ誰よりも早く見つけていたものだった。未知の恐怖に自分の答えを見つけられないからか逃げる選択を選んでいた。


「何よ昴、ビビってるの?」

「おおそうだ。ビビってる。だから早く発進させろ」


 するとトンネルの奥からけたたましく、ガソリンを燃やしているエンジンの音が高く聞こえていた。


 黒惠はその物珍しさにトンネルの方を振り向いた。すると黒惠は何も言うことはなく、逃げる様にアクセルペダルを深く、思い切り踏んだ。


 急発進に四人の姿勢は前屈みになっていたが、昴は光の前に腕を伸ばし、飛ばされるのを未然に防いでいた。


「ちょっと黒惠! 危ないじゃないのよ!」


 ミューレンは叱る様な口調でそう言ったが、黒惠の口角が上がっており、ハンドルを握っている指の震えを不自然に思った。


「それについては謝るけど、後ろを見ると誰だってこうすると私は思うわ」


 黒恵は口角を上げながらそう言っていた。ミューレンは遠ざかるトンネルの方から聞こえるエンジンの音の方を向くと、バイクを走らせていた人影が見えた。それが普通の存在ではないということは当たり前の様に理解していた。その人影の首は車にあった遺体と同じ様に首がなかった。けたたましいエンジンの音は恐怖心を大きくさせていった。


「ここまではっきりと見えたのは初めてよ……!! ミューレン!! いま最高に感動してるわ!!」

「何で黒恵は楽しそうなの!?」


 黒恵の体の震えは恐怖からではなかった。初めてはっきりとした実像を結んだ怪異に対しての感動と感激で震えていた。それはある意味で黒恵の性格を表していた。


 光はバイクに乗っている首のない男性に興味をしめし、よく見るためか窓を開け、身を乗り出し少しずつ近づいて来ていた首無しライダーを見ていた。曲がりくねった山道を進んでいるため首無しライダーの姿は全く見えなかった。たまに見える姿に子供の様にはしゃいでいた。


「すごいよ昴君!! 首がないのに動いてるよ!!」

「分かったから危ない事するな!!」

「だってすごいよ!! 人間が脳の神経で動いてるんじゃなくて全く別の理由で動いているっていうことなんだよ!!」

「お前のそういうところは大好きだが危ないから車にちゃんと乗ってくれ!!」


 そう言って昴は少しだけ強引に光の服を引っ張り車内に連れ戻した。光は子供の様に不満を表すためか頬を膨らませていたが、昴は頬を人差し指で突っついた。頬はしぼみ、ためていた空気が口から溢れた。


「黒恵! もっとスピード上げろ!! あの化け物は90キロくらい出てるぞ!!」


 昴は後ろを振り向きながら前にいる黒恵にそう叫んでいた。


「そうは言ってもエンジンの調子が悪いのよ! こんなことになるなら点検に出しとけば良かったけど!!」

「今のこの車はギリギリ80超えるかどうかだ! すぐに追いつかれるぞ!!」

「なんとか逃げ切るしかないんだけどね!! 何せ追いつかれたら死んじゃうのよ!!」


 すると昴の顔は少し変わっていた。表情を表立って表してはいないが、その表情は人間味が少なかった。目の黒さは何処までも恐ろしく、深かった。黒恵はその表情をルームミラーを見ていた。根源的な恐怖を含んだその表情は黒恵の背筋を凍らせた。


「……黒恵、その話を詳しく聞かせろ」

「どの話かしら」

「追いつかれたら死ぬってところだ」

「ああ、そのことね。首無しライダーに追いつかれると死亡事故を起こすって話もあるのよ」


 その話を聞いた昴はトランクに手を伸ばした。ミューレンは焦りながらも不思議そうに訪ねた。


「何しようとしてるの昴?」


 昴は静かに無慈悲に答えた。


「この車から光と俺で脱出する」


 その発言は黒恵とミューレンを驚かせていた。当事者の光が一番驚いている様な顔をしていた。


「俺が抱えれば光は怪我もせずにこのスピードの車から脱出は出来る。お前たち二人には悪いが」

「何言ってるの昴君!?」


 光はその提案を快く思っていないのか昴を叱る様な口調になった。


「みんなで助かる方法があるはずだよ!」


 すると昴は声を荒らげた。泣き出しそうな、それでも怒りに声が震えていた。その声は昴がどれだけ光を助けたいのかを理解できるものだった。


「お前だけでも助けたいからなんだよ!!」


 光は昴の声に驚いていた。


「俺はもう後悔したくないんだよ! お前は俺の恩人だ! だからこそお前だけでも助けないと俺はまた自分に後悔する!」


 その昴の声は懇願する様な声に変わっていった。


「だから頼む……。俺はもう俺を嫌いになりたくないんだ……」


 昴の訴えは光の心に大きな傷をつけ、身を裂く様な思いが溢れ続けていた。光は昴の過去を知っていたためか、この言葉の奥にある昴の考えが見えてしまった。


 光の全員が助かると訴えるのは昴でも正しいと理解はしているはずなのだ。それでも昴がこう言っているのは自分を愛し、想っていることの証拠ということも光は理解している。


 光は自分でもどうすれば良いのかわからなくなってしまった。


 黒恵は口をゆっくりと開いた。


「……一つ良いかしら」


 黒恵の言葉に光が返事を返した。


「……どうしたの?」

「実は全員助かる方法があるんだけど……。昴も聞くだけ聞いて」


 黒恵の口調は少しだけ穏やかになっていた。


 黒恵は自分の経験から判明したある条件を話し始めた。


「まず、あらゆるオカルトチックな超常現象は何かと何かの"境"を越えた場合にたまに起こるの」

「だからトンネルに入る前に何が起こるか分からないって言ったんだ」

「そうそう。つまり逆を言えば何かしらのオカルトチックな超常現象にあった場合、境を越えれば良いの」

「その理由は分かってる?」

「私の経験よ。境を越えてもオカルトチックな超常現象は起こらないときもあるのよ。それでも出るときは必ず出られるけど。だから細かい条件は分からないの」


 黒惠の話は上手くいけば言っていた通り全員が助かる方法だった。しかしそれは黒惠が把握している現状では首無しライダーの速度ではいつか追い付かれるということを何とかしない限り不可能ということは分かっていた。


 黒惠がこの話をしたのは、昴が何か解決が出来るものを持っているという勘があったからだ。勘は何故か信じるに値するものだという謎の自信を黒惠は持っていた。


 すると昴が口を開いた。その声に含まれた苛立ちと焦りは昴の心を残酷なものに変えていった。


「つまりお前は、ろくな理由もない解決方法で全員が助けられると言ってる訳だ」

「ええ。もちろん」

「……俺はそんな賭けより必ず光が助かる方を選ぶ。首無しライダーに追いつかれた場合に"死亡事故"が起こる訳だ。事故が起こらない状況なら光は必ず助けられる」


 するとミューレンが静かに口を開いた。大きすぎる恐怖で逆にミューレンの心は落ち着いていた。自分達の無力さを理解し、落ち着いた心で冷静に考えた結果として昴が隠している何かに頼るために自らの心情を話した。


「……私は死にたくないけど、そして私は貴方に何かしらの対価を与えられる訳じゃない。だから貴方が光一人を選んでもそれは仕方がないことも理解してる。でも、出来るなら、私達も助けてほしい」


 それはミューレンの心からの願いだった。


 昴の目は無慈悲なものであり、ただ黒恵の話を聞いているだけだった。昴にとって黒恵とミューレンよりも光の方が大切で愛おしく、想っている。結局の所、昴の心は揺らぐことなく残酷な悪魔になるしか無かった。


 すると光は昴の手を握った。手の温もりは昴の心を少しだけ和らげさせた。


 昴を見つめていた光の顔は少しだけ哀しそうにしていた。


「……昴君、貴方はあの時、出来る限りの人を守るって私と約束したはずだよ。黒恵とミューレンはもうどうし様もないの?」

「それは……賭けではあるが一応あるにはある」


 昴はうつむきながらそう答えた。しかしそれは不確定要素を考えると失敗する危険があまりにも大きすぎるものだった。


「じゃあ出来る限りの中にあの二人はいるはずでしょ? 私との約束を破っちゃうの?」


 昴は自分が愛する人を必ず助ける方か、ある賭けをして全員を助ける方か頭を悩ませていた。その答えを渦巻かせ藻掻き苦しみもう一度同じ事を考えるこの時間さえもけたたましいエンジンの音は昴を苦しませる様に近づいていた。


 渦巻いている思考を吹っ切るためか、昴は車のガラスを手で叩き割った。昴の顔は悩みを全て振り払った様な穏やかな顔になった。


「黒恵、ミューレン、言っておくが俺の運の悪さは相当だぞ。生まれたときから唯一の幸運といえば光と出会えたことくらいだ。半分は不幸で出来てる俺に対抗したいならお前らの運が俺の不幸を上回る事を祈れ」


 するとミューレンは安堵の息を吐き、昴に笑顔を見せた。


「大丈夫よ! 私達は運だけは良いのよ!!」


 昴はその言葉に何処か遠く遥か昔に聞き覚えがあったと感じたが、気のせいだと勝手に受け流した。


 トランクに乗っているバックのジッパーを開け、中からセミオート式のハンドガンを取り出した。昴が割ったガラスから身を乗り出し、ハンドガンを後ろに向けた。


「光! この周辺の写真は覚えてるな! そこから弾が一番当たる場所を計算してくれ!!」


「分かったよ昴君!!」


 昴が誰か他人を助け様とすることは、光の出会いによって変わった心情の変化だった。光は昴の行動を嬉しく思った。そのためかこんな非常事態にも関わらず笑顔が溢れていた。


 黒恵は昴の言動がかっこよく思った。そのためか真似する様にミューレンに言葉を発した。


「ミューレン! 貴方はえーと……私を応援して!!」


 ミューレンは驚いた顔を見せていた。


「私だけ何もすることがない!?」

「ほら! 早く!!」

「え、えーと……フレー、フレー!」

「急に何やってるのミューレン……」

「貴方がやれって言ったんでしょ!?」


 ミューレンも黒惠も何故かこの危険な現状を楽しんでいる様だった。それが様々なオカルトチックな超常現象を何度も何度も出会い、探索し、記録に止めた二人の好奇心の根底にあるワクワクやドキドキと言った感情なのである。


 昴は獣を狙う猟犬の様な目をし始めた。全身の神経を研ぎ澄ました昴の心拍、呼吸は不自然な程に落ち着いていた。本来些細な動きをしてしまう体の筋肉も昴にかかれば不自然な程に動きを止まらせることを可能とさせた。


「俺の銃は火薬を使う旧型銃だ。火薬の音でびっくりすると思う。特に黒恵、ハンドル離すなよ」


 黒惠とミューレンは今時に珍しい旧型銃という物を扱う昴に疑問を浮かべたが、この緊急事態にそんな些細なことはどうでもよかった。ミューレンは耳を両手の人差し指で塞ぎ、黒惠はハンドルを離すことが出来ず全身の力を入れて覚悟を決め発砲音に備えた。


 光は静かに口を開いた。高度な計算を暗算でしていたとは思えない程素早く正確に答えを導き出していた。圧倒的な記憶の容量と人外の上位者に等しい頭脳を持っていた光の脳はそれを可能としたいた。


「……今から14.084秒後、二発で命中率87%かな」

「誤差は」

「+−1.003秒」

「了解。ありがとうな。さすが光だ」


 光は昴に褒められて嬉しそうに可愛らしく微笑んでいた。


 昴の賭けはこの怪異に物理現象が通じるかということだった。一般的に想像する幽霊は壁をすり抜けるなど物理現象を無視する。その法則が通じるならハンドガンの弾さえも通り抜ける可能性がある以上、迂闊に撃てば時間の無駄になる。首無しライダーのほうが速度が速い以上それは避けるべき事案であると理解していた。


 カーブを抜け、長いストレートに差し掛かった。ストレートの向こうにはトンネルが見えており、この車を追いかける首無しライダーがほんの60メートル程の距離までつめていた。昴は左手で髪を掻き上げた。正確に時間を刻んでいた体内時計に従いながら、1.003秒の間という短い間隔の何処で撃てば良いかを瞬時に理解した。直後に二回の発砲音が鳴り響いた。すぐに昴は微笑んだ。


「二発命中、同一弾痕」


 バイクの前輪タイヤはパンクし、大きく変形させていった。まともにスピードも出せず、ハンドルの操作も覚束ないのかまっすぐ進むことも困難に見えた。そのままタイヤから発火し、炎は首がない男性の全身に燃え上がった。


「……何とも俺の恋人には見せたくない光景だな」


 光が興味津々に観察し様と後ろを振り向こうとしたが、昴はすぐに光の目を手で隠した。


 首無しライダーは口もないからか、悲鳴の一つもあげなかった。それでも苦しみ悶ているのか体を激しく動かしている様子は地獄で燃え盛る亡者の姿と酷似していた。昴はその赤く燃え盛った姿に恐怖は抱かなかった。ただ未知との遭遇とその最後に目を奪われていた。


 車はトンネルの入口に入った。少しばかりのオレンジ色の明かりに包まれていた。


 黒恵とミューレンは安堵の息をついた。すると充電が切れたのか車は前進が止まってしまった。


「あ、停まった」


 黒恵は先程までの恐怖を忘れ、車が動かないことに困り始めた。


 昴がため息をつくと、車から降りリアバンパーに両手をつけた。


「一回全員降りてくれ。このまま押していく」


 昴がそう言うと、三人は車から降りた。昴は全身に力を込め、足を前に出した。徐々に車は前に進んでいった。更に昴は力を込め、走る様に足を動かすと、車は人が走るくらいの速さで進んでいった。ミューレンはその怪力に人間味を感じなかったが、黒恵は妙に納得していた。


「光! 充電スポットは何処にあるかわかるか!」

「えーと、トンネルを抜けたら近くにコンビニがあるから!」

「了解!!」

「頑張れ昴君!!」


 昴は光の励ましに限りなく満足感と喜びを感じ、更に力を込めた。


 昴の思考は何処までも単純だ。「全ての行動は光の為に」これに限っている。光もそれを理解しているが、それを自分の私欲のために使おうとは思わなかった。昴を使えばあらゆる犯罪を可能とする。巨万の富を手に入れ邪魔なものは蹂躙の限りの虐殺を可能とし、その事件も違法性も犯罪歴も全てが消える。これを引き起こす程光は道徳心も思いやりも捨てることはない。


 やがて長い道を通り、黒恵の赤い軽自動車はコンビニの前までたどり着いた。その明かりは先程まで死への恐怖を感じていたからか、故郷に帰った様な安心感を与えていた。


 昴は夏の夜の涼しさに負ける程の体温を発しながら倒れた。喋るのが苦しい程ひどい疲労に喘いでいた。いつも通りの思考は困難になり、体もまともに動かすことは出来なかった。


「……つかれた……」


 黒恵は車内の充電口のオープナーボタンを押し、車の前にある充電口の蓋が開いた。充電口の中蓋を手で開け、充電施設に付属している急速充電ガンを取り付けた。


 光は昴をなんとか抱え、車内に寝かせた。光は昴の頭部の方に座ると、昴の頭部を自分の膝に乗せた。持っていたハンカチで昴の汗を拭き取り、頭を優しく撫でていた。


「よしよし、頑張ったね昴君」


 昴は照れている様に光を見つめていたが、光の顔は笑顔に溢れていた。昴は母親からの愛情を貰えなかったからか、その笑顔に世間一般的に言うであろう母性を曖昧に理解した。


「……俺のことを子供かなにかと思ってるだろ……」

「昴君は私の前で張り切ってる子供みたいに見えるよ」

「……俺は大人になりたいんだがな……」

「私だって子供だよ? だって気になることは何でも調べ様としちゃうからね」

「……そうか」


 するとミューレンが昴と光がいる後部座席の窓から話しかけた。


「昴、光、何か欲しいものないかしら」

「あ、カフェオレお願い。昴君は?」


 昴は深呼吸をしながら言葉を絞り出した。


「……いちごミルク……あの果肉がいっぱい入ってるやつ……」


 ミューレンは意外にピンク色の可愛らしい飲み物を選んだ昴にふと笑顔が溢れた。


「意外と可愛いもの頼むのね」

「……よく言われる」


 黒恵はもうコンビニの中に入っていた。ミューレンはそれを追う様に店内に入った。


「もう黒恵! 先に入らないで!」

「いやー喉乾いちゃって」


 黒恵とミューレンはウォークインの中に敷き詰められ照らされているペットボトルに入っているドリンクを眺めていた。


「えーとカフェオレといちごミルクは……」

「光可愛いもの頼むわね」

「いちごミルクは昴が頼んだのよ」


 黒惠は予想外過ぎて店内で大声を出しそうになっていた。


 ミューレンは頼まれたものを見つけ、レジに持っていった。店員がレジカウンターに商品をホッケーのパックの様に滑らせると、ミューレンは大して値段を見ずにケータイを読み取り機に当てた。店員が一言やる気のないお礼を言うと、ミューレンはコンビニの外に停めてある黒恵の車を覗いた。


「はい、カフェオレといちごミルク」


 光は一言お礼を言った。昴もつられてお礼を疲れ果てた声で言っていた。


「あれ? 黒恵は?」


 光は戻ってこない黒恵を心配した。ミューレンは少しだけ呆れながら文句に近い言葉を発していた。


「黒恵がコンビニで何を買うか迷うのはいつものことよ。長いときだと一時間かかるときもあるんだから」

「そんなに長居して大丈夫かな……」

「車の充電も切れてたし丁度いいんじゃないかしら」


 昴は大して気にせず、光に支えてもらいながら身を起こしペットボトルの蓋を開けた。口をつけ、いちごミルクを流し込んだ。恐ろしい程執拗に甘い液体が舌を刺激していた。絡みつく様な甘さは昴を虜にした。液体だけを喉に流し果肉は舌を上手く使い口の中に残すと、そのまま舌で果肉を押しつぶしいちごの果肉の甘さに舌を痺れさせた。甘さが消えていった果肉はすぐに飲み込んだ。


「しっかしまさかこんなことをするとは……」


 昴は愚痴に近いものを漏らしていた。あくまで声が聞こえたり人影がチラッと見えたりするくらいだと思っていたからだった。


「銃を使う必要が出てくるとはな……」

「そういえばまだ聞いてなかったわね。どうして昴は旧型銃なんて持ってるの?」


 ミューレンは昴にそう聞いた。あまりの非常事態に妙に納得していたのかそれを考える暇も無かったのかは定かではないが、当たり前の質問だった。昴はあまり喋ろうとはしなかった。


「だって今頃旧型銃なんて警察は使わないわ。持ってるとしたらコレクターだけど……それでも日本じゃ銃そのものを手に入れることが難しいはずよ」


 ミューレンの好奇心も時として人の傷に容赦なく塩を塗る行為を無意識的にしてしまい、この好奇心も昴の傷に塩を塗っていた。


「……まあ、俺は例外的に持つことを許されたとでも言おうか」


 昴の言葉に嘘は無かった。銃刀法違反がある限り昴のハンドガンは違法性を持っている。それでも罪に問われないのは例外的なものが働いているのに他ならない。それが昴の行動原理である「全ての行動は光の為に」と一致しているためである。


 しかしそれなら旧型銃などという火薬を使う旧い銃を使う必要はない。それでも昴が使い続ける理由を光は知っている様な素振りをしていた。昴が旧型銃を使う理由には昴自身の悲惨な過去と苦痛の生活の副産物だと言うことを知っている光は何も喋らなかった。


「……にしても遅いな」


 昴は一言そう呟いたが、特に気にせずに頭を光の膝に乗せた。すると昴は未だに警察に通報していないことに気づいた。


「あー……通報忘れてた……。……事情聴取面倒くさいから(いのり)に伝えるか……」


 昴はそう呟きながら、スマホを弄っていた。呼出音がしばらくの間車内で響いていた。


「……酒でも飲んだか……」


 するとようやく呼出音が鳴り終わった。スマホの向こうから眠たそうなあくびが聞こえていた。


『んだよこんな時間に、光の嬢ちゃんはもう寝てるだろ?』

「まだ起きてるぞ」

『そりゃ珍しい』


 スマホの向こうからは中年の男性性の様な低い声が聞こえていた。昴はある程度の事情を話し、被害者の報告をしていた。


『分かった。こっちから山梨警察を動かしてみる。多分すぐ来るだろ』

「頼んだ」

『にしても光の嬢ちゃんの膝は気持ちよさそうだな。それじゃ』


 そう言い残し禱と呼ばれた中年の男性性は通話を切った。昴は少しだけ驚いた顔をした。画面を見てもビデオ通話になっていなかった。


「……何で分かるんだよ……」


 それから二十分程経った。未だに黒恵は帰ってこない。時間は12時に近くなり、光は先程のこともあってか黒惠の安否を心配し始めた。その心配そうな顔をしていた光を気にしてか、昴は適当な理由をでっち上げた。


「……何かスイーツ買うか」

「あ、私が行くよ」

「もう疲れも大体取れたから大丈夫」


 昴は光にそう言った。そのまま車外に出てコンビニに入った。


 昴がコンビニに入るところを見ていた光は、ミューレンの顔が少しだけ青くなっていることに気づいた。光は心配そうに助手席に座っているミューレンに話しかけた。


「大丈夫ミューレン?」

「ええ……なんだか……」

「無理もないよ。あんな凄惨なもの見ちゃったんだから」

「いえ……そうじゃなくて……」


 するとミューレンは苦しそうな声を出し始めた。やがて頭を抱え、何かを吐き出しそうにえずきだした。


「ミューレン!? 大丈夫!?」

「……ダメ……!! ……いる……――!!」


 ――昴はコンビニ店員のやる気のない挨拶を横切り、レジカウンターをはさみ店員とすれ違った。後ろから何か重いものが落ちた音がした。店員が何かを落としたのだと思い大して気にしなかった。


 ウォークインの前で黒恵は熟考し、何度もガラスの扉を開いたり閉じたりを繰り返していた。電気の無駄でもあり、中の温度が高くなることを危惧した昴は黒惠に話しかけた。


「おい黒恵。そろそろ選べ」

「だっていちごの炭酸を買うか強炭酸といちご100%のジュースを混ぜるかを悩んでるのよ。いちごの炭酸だといちごは薄いし炭酸は弱いし、でも強炭酸といちごの100%ジュースを二本買うと少し高くなるし」


 昴はそんな黒恵に呆れ果てたのか大きく口を開きため息をついた。


「……ありがとうな、黒惠」


 黒惠は突然の感謝の言葉に息が止まる程の驚きの色を心に抱いた。


「どうしたのよ急に」

「お前の全員が助かる話に感謝してるんだ。俺が緊急事態で光以外の奴を救うなんて滅多にしないからな」

「ふーん。一途なのね」


 黒惠は少しだけ考えると、昴と顔を合わせた。黒惠の顔は笑っていた。


「貴方は自分の愛した人を助けようとした。私はミューレンも合わせて全員の命を助けようとした。何も変わらないわよ。感謝もしなくて良いわ。どちらも当たり前のことだからね」


 黒惠が抱く価値観は個人が大切に思うものを優先的に助けるのは当たり前というものだった。その過程で何かを失うのは仕方なく、それは当たり前だった。


 過去に何かあったからではなく、生きていく上で漠然と抱いた価値観だった。


「違う、人として正しい行動は全員が助かるだ。お前は諦めかけたその正しい行動を示してくれた。お前は俺を人でいさせてくれたんだ」


 黒惠にとっては誉められる様なことだと思っていなかったからか、照れくさそうにうつむいた。照れくささで真っ赤になった顔を見せない様にウォークインと顔を合わせた。


 すると少しだけ違和感のある匂いを昴は感じた。何度も嗅いできた忌まわしい記憶と結びつかれている鉄の匂いだった。


 発砲音の後に巻き散らかされた匂い、ナイフにこびりついていた匂い、体にこびりついた匂い、自分の法律上の父親にいつもこびりついていた自分より強い匂い。


 昴が振り向くと、レジカウンターにいた店員の首の上から無くなっていた。恐らく悲鳴を発する暇もなかったのだろう。首の代わりにただ赤く、ただ紅く、ただ朱く、ただ茜く、ただ赫く血が吹き出していた。


 普段の昴なら警戒を緩めなかったはずだった。しかし本来の敵である人間ではない首無しライダーなどという未知の存在から逃げ延びた事による気の緩みが油断を引き起こしていた。昴が声を出す前に黒恵の開けたウォークインの向こうの空間から嫌な気配がしていた。こびりついた血の匂いは明らかに黒恵を狙っていた。


 黒恵は気付かずにいちごの100%ジュースと強炭酸水の二つを取った。その瞬間にウォークインの向こうの空間から黒惠に殺意が伸び様としていた。


 黒惠は何も気付かずにガラスの扉を閉めた。その直後にウォークインの中のペットボトルの棚を破壊し、ガラスの扉に人間とは思えない一つの白い手がへばりついていた。


 手相は霊長類の様だったが、指は細く長く五本ではなく九本あった。黒惠は驚いてはいたが、それよりも好奇心が勝っていたのか、もう一度ガラスの扉を開けようとした。昴は全力で黒惠の手を引き離した。


「何しようとしてんだよ!?」

「だってすぐそばにオカルトチックな生物がいるのよ!! 体温は!? 感触は!? まず触れるのかしら!?」

「だからそれが危ないんだよ!!」


 黒惠の好奇心から溢れ出す力は女性から出せる力の様に思えなかったが、昴は強引に引き離した。


 昴は暴れている黒惠を引きずりながら急いでコンビニを出ようとしたが、店内に入店音が鳴り響いてしまった。それは新たな犠牲者を意味することを昴は理解していた。


 恐らくレジカウンターの店員の遺体を見たからか、女性の様な甲高い悲鳴が店内にこだました。それと同時に血の匂いが更に強くなった。


 昴が黒惠を引きずり出入口を見ると、やはり若い女性は首が切断されていた。切断面は人間が切ったとは思えない程綺麗に切られており、人外か、もしくは人知を越えた上位存在か、昴は分からなかったが光の命の危機ということは瞬時に理解していた。黒惠を引きずりながら出入口から飛び出た。


「昴! 緊急事態よ!!」


 黒惠がそう叫んだ。これ以上の緊急事態かと思った昴は足を止めた。


「何だ急に!!」

「店員が死んじゃって支払いが出来ないわ!!」

「そんな些細なこと気にしてる場合かよ!!」

「私は前科持ちになりたくないのよ!!」

「俺の人脈でそこら辺は揉み消せるから安心しろ!!」

「本当に何者なのよ昴は!!」


 黒惠の赤い車の隣には別の車が停まっていた。一般的に安く買えるその車の運転席には中年の男性性が手持ち無沙汰なのかスマホを弄っていた。


 その車の回りには白い腕が二本で囲っていた。腕も明らかに人間の長さではないと瞬時に理解できた。人外の腕は約30cmずつで間接があり、間接の数は数えると十七あった。腕の先には黒惠を襲おうとしていた九本指の手がついていた。


 異常性と危険性は黒惠でも感じた。ただしそれは本能からの恐怖であり、理性は好奇心と探求心を追い求めていた。


 人外の手はフロントガラスを突き破り、その手は運転席の中年の男性性の頭部に襲いかかった。野太い悲鳴を発しながら車内で腕を暴れさせながら微かな抵抗を表していた。その抵抗に意味はなく、人外の手が頭部に触れた直後に野太い悲鳴は何事もなかったかの様に止まってしまった。男性の喉元から横に真っ直ぐ血が流れた始めた。体は力が抜けた様に横に倒れると、頭部が体から離れた。人外の手は切断された頭部を掴み、車内から取り出した。


 頭部を掴んだ人外の手は、コンビニの天井へ何かの意図を持ちながら近付いていた。その切断された頭部を昴は恐怖を持ちながら、黒惠は好奇心を持ちながら目で追っていた。昴は腕の正体の人外に自らの常識を覆される程の恐怖を感じた。畏怖と恐怖が昴を取り囲み体の自由を制限した。"()()"は現実に存在してはいけない生物だった。


 腕が繋がっている胴体は人の背より高く、大きい犬の様な胴体であり、足がなかった。その代わり肩が九つあり、同じ様な腕がついていた。

 四本の腕で蜘蛛の足の様に体を支え、四本の腕は他の人間を探している様に蠢いており、一本の腕は先程切断された男性性の頭部を胴体の先端に近付けていた。

 通常の生物なら頭があるはずの先端の部分には大きな肉の塊が付いていた。その全てが人の頭部だった。その人の頭部の塊に切断された男性性の頭部を無理矢理引っ付けた。その男性性の顔はひきつった恐怖の顔から幸せの絶頂に出てくる笑顔に変わっていた。


 ()()は人類の進化論を限りなく冒涜してしまう存在だった。潜在的な恐怖を引き起こすその存在は、明らかに人間の上位者であることが嫌でも理解でき、まるで人間を嘲笑うかの様に頭があるであろう部分にある大きな肉の塊の人間の顔はケタケタと笑っている様な顔になっていた。


 すると、ようやく昴が恐怖を支配し黒惠の軽自動車のトランクを開けた。そのトランクから昴は声を大きく出した。


「光! ミューレン! 一旦そこから出ろ!! 車内は狭くて俺も守れるか分からない!!」


 昴はトランクに積んである大きなバックを取り出した。ジッパーを開きハンドガンを取り出しポケットに銃先を入れた。


 光は未だに状況を全て理解していないが、度重なる悲鳴と昴の慌て様から自分に命の危機が迫っていることを瞬時に理解した。光は急いで車内から飛び出したが、ミューレンは苦しみながらまともに体を動かすことが出来なかった。


 ()()はミューレンを見つけたのか、頭があるであろう部分の人間の顔が一斉に黒惠の車の方を向いた。その全ての顔が張り付けた笑顔を見せ、不気味な存在であると強調していた。


 腕は助手席のミューレンを狙ってか、フロントガラスを突き破った。ミューレンは恐怖で体を動かすことは出来なかった。顔はひきつり、目からはまだ赤ん坊の時母胎から出た様に泣き出した。悲鳴が混ざったその泣き声も()()の手がミューレンの首を締め付けると呼吸が出来なくなり、声も出すことが出来なくなった。


 腕は車内からミューレンを出そうとしているのか、割れたフロンガラスから引っ張っていた。ミューレンの上半身が車内から出ると、黒惠が強炭酸水のペットボトルをミューレンの掴んだ腕に投げつけた。ペットボトルは直撃し、堪えたのかミューレンから手を離した。


「私の親友に何し様としてるのよ!! そこのグロい生物!!」


 黒惠はミューレンを車内から引っ張りだし、車の横に隠れた。ミューレンは咳き込んだが、黒惠が心配そうに背中をさすっていた。


 即座にハンドガンの音とは比べ物にならない発砲音が鳴り響いた。昴は車の後ろから銃身が長い銃を構えており、薬莢が銃から飛び捨てられた。


 弾丸は()()に当たったのか形容しがたい不気味さと恐怖を内包した悲鳴とも言える音を発した。


「流石に対物ライフルは効くだろうな!!」


 昴はもう一度引き金を引き、発砲した。その一瞬で昴はある人物に連絡をした。


「禱!! 緊急事態だ!! 他に犠牲者が三名!! 来れるなら来てくれ!!」

『何があった!?』

「何かグロい生物に襲われてる!!」

『何だよグロい生物って!?』

「えーと……腕が九本あってその間接が十七ある!!」

『それは本当に生物か!? とにかくそっちに行くには大分時間がかかるぞ!?』

「出来るだけ早くしてくれ!!」


 昴がもう一発発砲すると、()()の腕が一本崩れ落ちた。その隙に光はコンビニの店内に入った。


 昴は大きなバックから分解されているパーツで銃を組み立てた。組み立てられた銃は軽機関銃の形状をしており、横に弾丸を詰めた弾帯を取り付けた。引き金を引き続けると、けたたましい発砲音が連続で鳴り響き薬莢がばらまかれた。


 ()()は無数の弾丸に貫かれ蜂の巣にされるとこの場にいた生存者はそう思っていた。しかし()()はコンビニの天井にいなかった。犬の胴体は何故か昴のすぐ後ろにおり、大きな肉の塊に付いていた人の頭は昴を見ていた。


 腕の先に付いている手は昴の頭部に触れようとしたが、昴は首を曲げ下を向いた。一旦道路に出て遠くに走り出すとと、()()は追いかける様に四本の腕を使い獣の様に走りよった。昴は片足を軸にし、後ろにいるであろう()()に回し蹴りをくらわそうとした。しかし()()の腕は鞭の様にしならせながら軸にしていた昴の片足に当たり、昴は体勢を崩してしまった。


 もう一本の腕が体勢を崩した昴の頭部に触れそうになっていた。もうどうし様もなく、一瞬死を覚悟した。


 頭部に触れる直前に、コンビニの方向から発砲音が大きく一発響いた。放たれた弾丸は昴に触れそうな腕に命中し、崩れ落ちた。


 昴がコンビニの方を向くと、黒惠とミューレンがまるで強い衝撃で後ろに倒れた様だった。二人は昴が使っていた銃身が長い対物ライフルを持っていた。対物ライフルを発砲したとすぐに理解できた。あまりの衝撃に二人は胃から中身を吐き出しそうになったが、二人で衝撃が分散されたからか嘔吐するまでは至らなかった。


「凄いなお前ら!! 助かった!!」


 昴が感謝を口に出すと、三本の腕が昴に向かっていった。一本の腕は昴の左腕を掴み、もう一本は鞭の様に腕をしならせ、もう一本は頭部に触れ様としていた。


 昴は右手でポケットに入れていたハンドガンを掴み、人の顔が引っ付いている大きな肉の塊に一瞬で三発発砲した。悲鳴の様な音を発すると腕の力が僅かに緩んだ。左腕を掴んでいる手に一発発砲し、その腕を振り払い、鞭の様にしならせている腕を強力な脚力で蹴り飛ばした。骨が折れた様な鈍い音が()()の腕から鳴った。


 手が昴の頭部に触れようとした直前に開脚姿勢になり下半身を地面に伏せた。右手を地面につけるとブレイクダンスの様に足を回し()()が右前足の代わりにしていた腕の一本を蹴った。()()は右前に重心が移り姿勢を崩してしまった。その隙に昴は起き上がり距離をとった。


 大分分かってきたな……。恐らくあの化け物の手が頭に触れると即死だ。様子からして痛みは感じると思うんだが、体に傷は見られない。傷がつくのは腕だけか……。一応人間の頭にも痛覚はあるっぽいんだが……。よく分からないな。当たり前だが。


 するとまた昴の前から()()の姿が消えた。昴が辺りを見渡すが、何処にも姿は見えなかった。血の匂いと恐怖と不気味さだけ残しながら煙の様に消えており、昴の背にはまだその気配を感じていた。


 ふと、コンビニの方を見ると形容しがたい不安に襲われた。


 横目で見ていたが、光が店内に入ったことを思い出すとその不安の正体が分かった。自分が愛する人へ向けられた強く莫大な殺意を感じ取った。


 この後起こる可能性がある最悪な出来事を起こさないためにも一心不乱に走った。一般的な人間の力では想像できない様な速度で走っていた。ガラスを突き破り店内の棚を押し倒しながら光までの最短距離をこじ開けながら進んでいた。その様子は人間と言うよりも建造物を壊す重機の様だった。


 店内で光は棚の影に隠れながら様々な商品だった物を分解し、繋げ何かを作っていた。光の背には()()がいた。光は気づいていないのかまだ何かを作っていた。昴は棚を担ぎ上げ、光の背にいる()()に投げつけた。()()は悶える様に腕を無造作に振るっていた。昴は()()の腕をくぐり抜け、光の体を掴んだ。光を一度腕で抱き締めてから店の外に引っ張り出した。


「ごめん昴君! 私で出来ることをやろうとして……」

「そう言うのは後で良い! 今はあいつから離れてろ!!」


 すると店の外に向け、()()の腕がミューレンに迫っていた。しかしその腕は焼ける匂いと共に焼け落ちた。昴の背にはハンドガンの形状をした物を構えている中年の男性性が立っていた。ハンドガンの形状をした物は新型銃だということをミューレンはすぐに理解し、()()の腕が焼け落ちたのも新型銃を使った中年の男性性のおかげということも分かっていた。


 中年の男性性の容姿は顔立ちこそ整ったものだが、髪は寝癖のままの様な印象を受け、短い無精髭だけは丁寧に整えられていた。


「間に合ったよな昴!!」


 中年の男性性の名は禱真二(いのりしんじ)。"国際秘密警察機構"通称"IOSP"と言われる組織の優秀な一員であった。ただし度々問題を起こす問題児である。


「本当に何だあのグロい生物は」

「俺が知るかよ……こっちはあれと戦ってたんだぞ」


 昴が疲れ果てた声でそう言っていた。真二はその昴の様子から()()の恐ろしさと危険度をある程度理解した。


「ところでどうやって来たんだ」

「最初の通話から嫌な予感がしてヘリで来た。見事に的中しちまったがな」

「お前のそう言う嫌な予感はよく当たるからな。ギャンブルではよく負けるくせに」

「特に親ガチャな。それはお前もか」


 するとフルマラソンを走りきった様に息を切らしていた女性が、逃げていた犯罪者を捕まえた様に真二の肩を掴んだ。


「禱さん……私のためにも勝手に行くのはやめてください……!! 貴方がまた問題を起こすと監視役の私の責任にもなるんですから……!!」

「あ、すまんすまん。"美愛"の嬢ちゃんのこと忘れてた」


 女性の名は祝美愛(はふりみお)。真二と同じIOSPの一員である。問題児である真二の監視役というストレスがかかりすぎる仕事を押し付けられた可哀想な女性でもある。どうでも良いが絶賛彼氏彼女募集中である。


 すると()()は店内からまた姿を消した。昴と真二は背に本能的な不安と恐怖を感じた。後ろに()()がいる。真二は感じたことのない未知への恐怖が夏には似合わない寒い風が通り抜ける様に感じた。それでも経験で培った感情を支配する術を使い体を本来引き出せる100%に近い動きを引き起こした。振り向きざまに()()の人の頭部が引っ付いている部分を殴り飛ばした。

 その巨体でも真二の怪力でおよそ10m吹き飛ばされた。吹き飛ばされた()()に追い討ちをかける様に突進を企て、肩を直撃させた。その様子は人と言うより戦車の様だった。衝撃は凄まじく20m程吹き飛ばされた。


「禱、光を守っててくれ。その方が思い切りやれる」

「大丈夫か?」

「ああ、もう慣れた」


 すると光が昴に何かを三つ手渡した。


「これ使って。コンビニだからあまり威力は出ないけど……」


 光が手渡したのは小さな箱だった。箱から二本の金属の線の様なものが飛び出ており、横にはスイッチの様なものがあった。


「このスタンガンは売られてるものよりは威力は出ないけど一瞬怯ませることは出来ると思う。一個一回だからね」

「使わせてもらう。ありがとうな」


 昴は三つのスタンガンをポケットにしまい、()()に向かって走った。未だに悶え苦しんでいた()()の腕に光手作りのスタンガンの電線を当て、スイッチを入れた。


 バチバチと音が鳴り、()()の体は強ばり怯み始めた。


 昴は持っていたハンドガンの弾丸を二発放った。一発目の弾痕のすぐ横に二発目の弾痕がつき、()()の腕は崩れ落ちた。


 ()()は攻撃の意思と殺意を込めて一本の腕を昴の背に回した。そのまま昴の頭部に触れようとした。しかし()()よりも昴の五感と反応速度は比べ物にならない程卓越しており、一瞬の動作でポケットのもう一つのスタンガンを取り出した。その腕に電線を当て、スイッチを入れた。この動作も常人の目には写らない程素早かった。ハンドガンの引き金を引いたが、弾丸が放たれなかった。


 弾丸が詰まったか、球切れかは定かではないが昴は投げ捨てた。Tシャツの中で背中に手を回し、隠し持っていたナイフを取り出した。そのナイフは片刃であり、刃の部分はのこぎりの様に小さい突起があった。


 そのナイフを怯んでいる()()の腕に切りつけた。刃を昴の体の方にのこぎりの様に引っ張ると、腕が削ぎ落とされた。


 無事な腕はもう体を支えている四本の腕しかなかった。昴は勝利を確信していた。


 ()()は胴体を地面に伏せると、四本の腕は昴に襲いかかった。その全てを避け様と昴は体を動かそうとしたが、心身ともに途轍もない疲労に襲われた。休んだとはいえ軽自動車を一人で相当な距離を押し進ませた疲労と、これまでに出会ったことのない未知の存在への根源的な恐怖も、最愛の人に目前まで迫った()()に精神を磨耗され、昴の体を縛り付けた。動きは鈍くなり、立つことすらおぼつかない状態だった。何とか()()の殺意を避けているだけで精一杯だった。


 黒惠は焦りを覚え、昴の大きなバックから何か使えるものはないかと漁っていた。バックの中には様々な金属の部品が綺麗に整頓され、様々な大きさの銃弾が入っていた。黒惠は中に入っていた手榴弾の様なものを手に取った。それをまじまじと見ると、安全ピンが金属の部品に引っ掛かり外れていることが分かった。黒惠は背筋が凍る様な感覚に襲われた。ふと、隣にいるミューレンに手渡してしまった。自分でも何をしているのか分からなかった。


「なんてもの渡してるの黒惠!? 私に何か恨みでもあるの!?」


 ミューレンも背筋が凍る様な感覚に襲われた。また別の死への恐怖にどうすれば良いかその場で慌てふためき右往左往していた。


「ミューレン! あのグロい生物に投げるのよ!!」


 そう言って黒惠は()()を指差した。ミューレンはとにかく必死に()()に手榴弾を投げ飛ばした。手榴弾は放物線を描き昴の足元に転がった。


 昴は疲れ果てた頭でその手榴弾を有効活用する方法を思い付いた。暴れ狂う()()の腕を掻い潜り胴体に最後の一つのスタンガンのスイッチを押し、体に当てた。その体は怯んだ。


 昴は足元に転がっていた手榴弾を()()に蹴り飛ばした。直後に背を向け走り出した。腕に警戒する頭ももう残っておらず、攻撃がくれば避けることも出来ないが「光の為に死ねない」という一心で走っていた。


 昴の背の方向から大きな爆発音が聞こえた。直後に悲鳴の様な声が響いた。その悲鳴の様な声に中には老婆の様な、中年の男性性の様な、女性の様な、青年の様な、幼女の様な人間の悲鳴が含まれていた。無数の人間の悲鳴は気を狂わせてしまいそうで、恐ろしかった。


 昴は全身の力が抜け、その場で倒れてしまった。最悪死を覚悟したが、血の匂いは昴の上を通りすぎ何処かに走り去ってしまった。昴は逃げる()()の姿を見ると、安堵の息を漏らした。


「……つかれたー……!!」


 光は安堵と不安を顔に浮かばせながら昴に駆け寄った。様々な所を触り、骨折や傷がないことを確認すると体に液体の様にまとわりついていた不安が無くなった。泣き出しそうな声で昴の名を何度も呟いていた。


「良かった……怪我もしてないいし、無事で良かった……!」

「今すぐ抱きつきたいが体にその力が入るか……」


 光は微笑みながら昴の体を起こした。昴は光の助けもありながら歩いていた。


 真二は誰かとの通話を切った。弱々しく歩いている昴に話しかけた。


「凄いな昴! あんな化け物を退けたんだぞ! 後は俺に任せろ!」

「気を付けろよ……俺がようやく勝てたんだからな」

「それは気を付けないとな!」


 真二はがははと豪快に笑っていた。


「ついでにあの嬢ちゃん達は?」

「今日はそこの一人の車でここまで来たんだ」

「じゃあ俺の部下にあの二人も送り迎えさせてもらうか」


 そんなことを話していると、側に七人乗りの車が止まった。その運転席から真二より若く見える男性性が顔を覗かせた。


「おー禱さん! 来ましたよ!」


 方言を抑えながらもきちんとした標準語になりきれていない言葉使いだった。


「早かったな"早苗"の坊主」

「その人の呼び方どーにかならへんのですか」


 男性性の名は渡辺早苗(わたなべさなえ)。真二と美愛と同じIOSPの一員である。美愛と同じ真二の監視役というめんどくさい役職を押し付けられた可哀想な男性性でもある。


「その車を持ってきて助かった! 昴と光の嬢ちゃんとあそこの嬢ちゃんを乗せて帰らせてくれ。あの車のまま帰ると警察に捕まりそうだからな」

「禱はんが送ればええと思うんやけど!?」

「色々やっちまって免停中だ! それじゃ俺達はやることがあるから!!」


 早苗はため息をつき、コンビニの駐車場を停めた。


 真二と美愛は四人を乗せた早苗の車が発進したのを見届けると、()()が逃げた方向を見ていた。


「さて、俺達はあの化け物を追うか」

「指令ではありませんが」

「かといって野放しもやばいだろ」


 正義感は誰よりも持っていた美愛は確かにそうだと納得した。


「しかし禱さんの足の速さに私は追い付けないですよ?」

「そう言うのは俺に考えがある」


 そう言って真二は美愛の体を持ち上げ、子供をあやす様に背負った。


「よし! 発進!!」

「禱さん私を子供か何かだと思ってません!? 一応今年で二十二歳ですよ!?」


 真二はそんな美愛の叫びも頭に入れず、そのまま人間とは思えない速度を出した。その様子はエンジン付の乗り物の様だった。あまりの速度に美愛は落ちそうになったが、真二の人間離れした筋力に支えてもらい幸いにも落ちなかった。


 禱真二の筋肉密度は常人の数倍以上ある。それは努力によるものではなく、遺伝による特異体質だった。


 やがて()()が逃げたであろう山の中に入った。真二は足を止め、美愛を背中からおろした。


 美愛の顔は車酔いの様に青くなっていた。


「うぅ……気持ち悪い……」

「大丈夫ではないだろうが頑張ってくれ」

「昴さんは出来るのに禱さんは何で出来ないんですか……」

「昴は色々規格外なんだよ」


 美愛はため息を一つついたが、これも被害を抑えるためにしなくてはならないことだと割りきった。美愛は舌打ちのクリック音を繰り返し発した。


 祝美愛は幼少期視力が0.1、下手すれば更に低い可能性があったが頑なに眼鏡を嫌った。そこで"エコーロケーション"という音の反響で物体の距離、方向、輪郭を感じ取る能力を独学で身に付けた。独学のせいで習得期間は長かったが、本来常人が会得し得る範疇を越え、更に正確な距離、方向、輪郭を感じ取れる様になった。


 ついでに視力はコンタクトレンズで解決した。


「……おかしいですね、人が五人います」

「こんなところにか? 妙だな」

「……動物の死骸を囲っています。……禱さんこれは――」

「分かってる」


 真二も美愛も異常だと思っていた。こんな夜にわざわざ山に入り、動物の死骸を囲う人間という不気味な存在に警戒をし始めた。


 静かに歩いていると、やがてその正体が見えた。無数の動物の死骸を貪る人の形をした黒い何かがいた。夜の影でそう見えるのではなく、陽を全て吸い尽くす程の漆黒の体をしていた。


 するとその黒い何かに歩みを寄せた女性がいた。月下美人と称される程に白い髪と銀色の瞳は美しく、肌は透き通っていた。顔には薄い笑みを浮かばせており、人間とは思えない程の存在感を発していた。


 二人は隠れながら様子を見ていた。すると()()は木々の影からその女性に近づいた。女性は()()が引っ付けていた人間の頭部の目を覗いた。じっと見ていると、突然嬉しそうに微笑んだ。


「あぁ……そうなのね……! 美しい……! 黒惠って言うのね! 昴って言うのね!」


 女性は()()に触れると、人の形をした黒い何かの様に、()()は漆黒に包まれた。欠損した腕は何事もなかったかの様に治っていた。


 真二と美愛は新型銃を構え女性に向けた。


「動くな、両手を挙げろ」


 真二は冷酷な目でそう言った。女性は従う様に両手を挙げた。しかし怯えや驚きと言った感情を顔には出しておらず、まるで最初から知っていた様な薄笑いを浮かべたままだった。


「様子から見るにお前がそいつを飼い慣らしている様だが、そいつの被害者は数えただけで三人は確定だ。飼い主なら一緒に来てもらうが」

「……そう、貴方は真二って言うのね。残念だけど貴方は美しくない」

「俺程のナイスガイなおっさんはそうそういないだろ」

「そう言うことじゃないのだけれど、まぁ良いわ」


 すると黒い何かが真二の前から全て消え去った。同時に真二の背にいた美愛が悲鳴を発する暇もなく黒い何かに連れ去られた。

「殺しはしないわ。あの子達に殺す力なんてないから。さぁ、どうするのかしら?」


 真二は少し迷ったが、悔しそうな顔で背を向け美愛を追いかけた。


「あークッソ!! そこで待ってろよ!」

「逃げさせてもらうわ」


 女性は馬鹿にする様に舌を出した。()()の腕に掴まると、そのまま()()は四本の腕を足の様に使い逃げてしまった――。


 ――七人乗りの早苗の車に乗っていた。黒惠とミューレンは二列目に座っており、三列目のベンチシートには光の膝に頭を乗せた昴が寝転んでいた。


「まさかこんなことになるなんてね」


 光が昴に申し訳なさそうに言っていた。


「……なあ黒惠、ミューレン。毎回こんなことになるのか?」


 昴が前の座席にいた二人に聞いた。これ以上光の命の危険にさらす訳にはいかないと思ったからだ。黒惠もミューレンもそんな訳ないと首を振った。


「流石に毎回命の危険にさらされる訳じゃないわよ!!」


 黒惠が否定の声を大きく伝えた。いつも命の危険にさらされている訳ではないのは、黒惠とミューレンの現状を見れば簡単に理解できた。それでも念のため昴は聞いていた。


「いつもはミューレンのおかげで危険なものは事前に回避してるわ」


 昴と光は頭をひねった。


「ミューレンのおかげって?」


 光は疑問を口にした。光にとって今日の出来事は未知への好奇心を更に掻き立てられ、二人にも興味が写っていた。


 ミューレンは自分でも分からないのか、不思議そうに話していた。


「私は何か危ないものが近付くと何となく分かるの。今回は頭が痛く成程だったけど、いつもは何となくよ」

「うーん……何でだろうね?」

「私の経験だから偶然かも知れないわ」

「そっか」


 すると運転をしていた早苗が興味をあらわにした。


「もしかしてオカルトサークルでもやっとるんですか?」


 ミューレンが答える様に声を出した。


「そうですね。えーと……」

「渡辺早苗や。女っぽい名前やろ?」

「そうですか?」

「まま、それはええわ。あんまり危ないことをするんじゃないで。人生の先輩からのアドバイスや」

「分かってますよ」


 すると黒惠はスマホを光に渡した。


「そういえばまだ連絡先交換して無かったわね」

「あ、じゃあ昴君のも入れておくね」


 光は黒惠とミューレンのスマホに自分と昴の連絡先を入れた。


「いやーいい人と出会えたわ」


 黒惠はそう言いながらスマホに登録された電話番号を見ていた。中には都市伝説によくある何かと繋がる電話番号も登録していた。いつか試そうと思いためているものだった。


 ふと、光は今日の出来事を振り返った。すると一つだけある違和感に気付いた。


「……ミューレン、あのトンネルを抜けたときにあった首が切れた遺体って、首無しライダーのせいなのかな?」

「え? だって追い付かれたら死亡事故って……」


 するとミューレンは何かを思い出した様に撮っていた写真を見返した。黒惠もその画面を覗いていた。


 首が切断され、膝の上にその首が乗っている衝撃的な写真に気分が悪くなりそうになったが、ミューレンはあることに気付いた。


「車内で首が切断される事故はあり得ないってこと!?」

「事故ならそんなに綺麗に切断されないし、本当に事故なら車も首の辺りで切断されるはず。そんなことは現実的に考えられないでしょ?」

「それにあくまで首無しライダーは『追い付かれたら』死亡事故になるのであって、あの車は『すれ違った』のよ!」

「つまりあの車の遺体もあの……」


 光が言いかけた言葉を遮る様に黒惠が声を出した。


「あのグロい生物のせいじゃないわ。だってあのグロい生物は人を襲う時にわざわざガラスを割ってたのよ? あの車には割られた形跡も無かったでしょ?」


 それに賛同する様に昴も弱々しく声を出した。


「あのグロい生物は切断した頭部を頭に引っ付けてただろ……。……車内に頭が残ってるのならそいつの仕業じゃない……」


 不気味な感覚が四人を襲った。それに反する様に何事も起こらず無事に東京に戻っていた。


 ()()は何なのか、首無しライダーは何故あそこにいたのか、そして白いソアラにあった遺体は何があったのか、四人は大きすぎる疑問と恐怖を頭に宿らせながら車に揺らされた。


 黒惠はそれを誤魔化す様に、支払いを済ませていないいちごの100%ジュースと強炭酸水を手に取った。混ぜるための入れ物が無かったため、口の中に二つの液体を混ぜて飲もうと思いいちごの100%ジュースの蓋を開けた。同じ様に強炭酸水の蓋を開けようとした。


 そう、()()に力の限り投げつけた強炭酸水だ。投げれば当然中身は振っているのと同じ状態である。黒惠はそんなことを忘れていた。気付かずに蓋を開けてしまった。


 強炭酸水は勢いよく噴出し、黒惠の顔にかかった。黒惠は突然のことに反応がワンテンポ遅れた。少しだけ呆然としていると、溢れた怒りを()()に向けた。


「全部あいつのせいよー!!」

最後まで読んで頂き、有り難う御座います。

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