【コミカライズ】「わたくしこそが王となりますゆえ、此度の縁談はお断りさせていただきますわ。かわいい妹が待っておりますの」
百合です。
「――――ナユフィティア・カーティス侯爵令嬢! お前との婚約を破棄する!」
声高々にそうあたくしに対して怒鳴りつけてきたのは、この国の王太子であり、ほんの一秒前まで、あたくしの婚約者であった殿方だわ。
その腕には彼にとっての“真実の愛”であるのだとかいう男爵令嬢が涙ぐみながら抱かれている。
貴族の子女が集う国立学術院、その卒業記念の夜会。となれば当然、その参加者はいずれこの国の未来を背負う立場にある若き精鋭達であり、彼らの両親であるこの国の重鎮達もまた同席しているとは周知の通り。
その上でわざわざこの場を選んだということは、つまり、それだけの覚悟があってのことと受け取ってよろしくて?
王太子殿下曰く、あたくしは彼の愛する男爵令嬢に嫉妬し、さまざまな嫌がらせを行ってきたのだそうよ。その悪事が今、ここで暴かれたと、そういう訳らしいのだけれど……いやだわ、あたくし、もう耳が遠くなったのかしら。
たとえどれだけポンコツ……失礼、少々足りない頭をお持ちだとは言え、それでもいずれこの国を背負う尊き王太子たるイルイクス・ルウ・リンデガルダ様だもの。流石に、ええ流石に、この場においてトンチキなことを言い出すはずがないわよね?
ええそうよ、そのはずなのに。
あらあら、おかしいわね、まっっっっったく身に覚えがないわ。
嫌がらせだなんて、あたくし、それほどまでに暇だと思われていたのかしら。
何が悲しくて王太子殿下以外にもあれそれと既に婚約者や恋人がいる殿方のつまみ食い……失礼、殿方にちょっかい……これもまずいかしら、ええと、そうね、とにかくよくないお遊びを他の殿方と隠れて楽しんでいたらしいビッチ……あら再び失礼、これまたこれもよくないわね、あばずれ……だめ、売女…………どうしましょう、他に言葉が見つからないわ。まあいいわ、とにかく、なかなかに、そう、したたか、とでも呼ぶべき男爵令嬢に嫌がらせなんてしなきゃいけないのかしら。極めて理解に苦しむわ。
王太子殿下や彼の側近、学術院でも将来性ばかりではなく見目麗しさまでしっかりばっちり定評がある殿方達が、あたくしのことをそれはそれは厳しい目でにらみつけていらっしゃる。あらあら怖いお顔だこと。まるで道端に転がって欠けたジャガイモのクズみたい。そんなものこのあたくしが目にすることなんてめったにないことだけれど、幼い頃見たことがあるわ。あれよあれ。
あ、ああでもだめね、ジャガイモに申し訳ないわ。クズだってジャガイモはおいしく食べられるのですもの。煮ても焼いても口に入れるどころか目に入れることすらしたくない野郎どもの顔をジャガイモに例えるなんて、ジャガイモさんに失礼だわ。
ああ、それにしても、野郎どもは心底どうでもよくても、そんな彼らに捨てられた令嬢達が、心から心配そうにあたくしのことを見つめてくれている。そのまなざしの方がよほど辛いのよ。
中には涙ぐんでいるお嬢さんまでいるわ。彼女達の心を思うと、あたくしだって心が痛む。
想い人に捨てられて、あたくしにすがってきたかわいそうなかわいい小鳥さんたち。
ご両親に正しく育てられた素晴らしい淑女のあなたたちは、ビッチ、三度失礼、小娘に嫌がらせなんてできるはずもなかった。ただあたくしに涙ながらに「悔しい」と言うことしかできなかった。そんな心優しく正しい淑女であるあなたがたが、今この場で王太子殿下の前に身を投げ出せるはずがないってことくらい、あたくしはよぉく解っていてよ。
ええ、大丈夫、心配しないで。性悪の小娘に手玉に取られて踊らされている浅はかな野郎どもの視線なんて、痛くもかゆくもなくてよ。春のそよ風のほうがまだくすぐったいったら。
開いていた扇をパシンと閉じる。それだけで王太子殿下も、男爵令嬢も、その他のクズもとい殿方達も、びくりと身体を震わせる。
ふふ、正しい反応だわ。
あたくしはナユフィティア・カーティス。この国の政界を牛耳る清濁併せ吞む大貴族の長子にして、いずれ王妃となり国母となる者。そのはず、だった者。
王太子殿下の婚約者としてあたくしもまた正しく育てられ、その上で今日という日を迎えた。
「――婚約を、破棄なさる?」
「あ、ああ! お前の、私が愛するシエナに対する悪行、もはや言い逃れはできないぞ! いくらお前が私のことを愛そうとも、お前の歪んだ愛など私には必要ない! シエナこそが、私が見つけた“真実の愛”だ!!」
――――あら。あらあらあらあら。まあまあまあまあ!
誇らしげに宣言する王太子殿下に、腕の中の小娘、ああそう、シエナという名前だったの、ええもうとにかく小娘が、ますます瞳を潤ませてうっとりと王太子を見上げている。
まあ演技がお上手だこと。彼女の頭の中には、王太子妃、そうしていずれは王妃、国母になる誉れ高き未来予想図が描かれているのね。そこに愛はあるのかしら。王太子殿下のおっしゃる“真実の愛”とはほど遠い、欲望と贅沢にまみれた、随分素敵な未来予想図にこそ彼女は恋焦がれているように見えるのだけれど、これはあたくしの気のせいかしら。
だとしたらきっと、王太子殿下もシエナとかいう小娘も、きっと、それはそれは素晴らしい治世を敷かれることになるのでしょうね。おめでとうございます。この国の未来はなんて輝かしいことでしょう!
ええ、その小娘の立場に、本来ならばあたくしが立つはずだった。そのためにどんな厳しい指導だって耐えてきた。勉学も武術も政学も教養もマナーも、何もかもあたくしはあたくしのものにしてきたわ。そうしてあたくしは誰もが認める、完璧な淑女になった。未来の国母だと誰もがあたくしをほめそやしたわ。
けれどもういいの。もういいのよ。
「解りましたわ。殿下、どうぞお幸せに」
「ふ、ふん! 婚約破棄だけで済まされると思うな。お前にはこれまでの罪を償うために、修道院に入ってもらう!」
「解りましたわ。殿下、どうぞお幸せに」
「本来ならば国外追放がふさわしいところを、シエナが慈悲深くもお前にチャンスをくれてやったんだ。感謝するがいい!」
「解りましたわ。殿下、どうぞお幸せに」
「ぜんぜん話を聞いていないな貴様あああああああああああ!!!!!!!!」
あら、ちゃぁんと粛々とすべてを受け入れてさしあげているのに、どうして王太子殿下はますます怒っていらっしゃるのかしら。
小娘もなんだか随分とむくれているし……ここはひとつ、にっこり笑いかけてさしあげましょう。ごきげんようシエナ様……って、あらあらあら、なんて怖いお顔! 「馬鹿にしないでよ!」なんて、嫌だわ、あたくし、こんなにも大真面目ですのに。
だってそうでしょう? 婚約破棄だろうが、修道院行きだろうが、国外追放だろうが、あたくしにとってはもう皆同じなの。あたくしの人生の目的は、もう、千々にちぎれて、誰にも治せない傷跡になってしまったのだから。
王太子殿下のこのご様子だと、あたくし、たぶん、このままろくに準備もできずに修道院行きね。ええ、構わないわ、よろしくてよ。
――でも。最後に一目、どうか、あの方に……なんて、過ぎた願いね。
あたくしがそう自嘲した、その時だった。
「ごきげんよう、皆様」
「……!」
その、声は。さえずる雲雀のように美しく、耳に心地よい、この声は。
持っていた扇が手から滑り落ちる。今、この瞬間、確かに時が止まったのをあたくしは感じた。
一拍の沈黙ののちに、ざわりと夜会会場中がどよめいた。そのどよめきの、中心に、いらっしゃるのは。
「姉上!? どうしてここに……!?」
王太子殿下が真っ青になって声を上げた。姉上。そう、王太子殿下の姉君たる、この国の清廉と咲き誇る至宝と呼ばれる麗しの姫君。アルアイリス・リア・リンデガルダ様。あたくしの、お姉様に、なるはずだったお方。
誰もが呆然としている中で、アルアイリス様は側付きの侍女と護衛の騎士を引き連れてしずしずと夜会会場の中心……相対する王太子殿下達とあたくしの元までいらっしゃる。
ガタガタと震え出す王太子殿下に、腕の中の小娘が訝しげにしてから、「いくらイル殿下のお姉様だからって、殿下の決定に口を挟まないでくださいますか!?」なんて威勢よくアルアイリス様をにらみつける。
その瞬間、ぶわりとあたくしの胸の奥底からどす黒い怒りが湧き上がる。小娘風情が、よくも、よくも……! そう反射的に一歩前に出ると、不意にアルアイリス様がこちらを振り向かれた。
「少し待っていてちょうだいね」
その声の、なんて麗しいこと!
あたくしの胸を支配したどす黒い怒りはすぐに消え去ってしまって、代わりにまばゆいばかりの歓喜で塗り潰される。こくこくこくこくと何度も頷くと、アルアイリス様は笑みを深めて頷かれ、そうして王太子殿下に向き直られた。
「イルイクス」
「は、はい、姉上」
「歯を食いしばりなさい、この愚弟が」
次の瞬間、王太子殿下が、その腕に抱いた小娘ごとその場から吹っ飛びあそばされた。アルアイリス様の圧倒的な魔力で強化された拳が彼の整ったかんばせにめり込み、そのまま彼はやっぱり小娘ごと床をバウンドし、それでもなお勢いが殺せずに床を滑っていく。「きゃあああああああ!」という小娘の悲鳴が空気を引きずっていったわ。
聞き苦しい悲鳴に思わず眉をひそめたくなるけれど、それどころではないの。
だって目の前に、アルアイリス様がいらっしゃったのだもの!
「ナユフィティア。久しぶりね」
「は、はい、アルアイリス様。お久しゅうございます」
先ほどの拳が嘘のように楚々と微笑まれるアルアイリス様に、顔が真っ赤になるのを感じる。おち、落ち着くのよ、ナユフィティア。アルアイリス様の前で、無様な姿なんて見せるものではないわ。あたくしは完璧な淑女、そう、アルアイリス様のための淑女なの。
――――そう自分に何度も言い聞かせても、だめ、だめなの。
だって、だって、名前、名前を、呼んでもらえた。それだけで初心な少女のように震えてしまうあたくしの頬を、アルアイリス様の両手が包み込んでくださる。ひんやりとした手の温度が心地よくて、はしたなくもうっとりと目を細めたら、アルアイリス様は「あら」と唇を尖らせた。
「もうお姉様とは呼んでくれないの? わたくしのかわいいユフィ」
その言葉に、ぽろりと。
そんなつもりなんて微塵もなかったのに、ああ、そうなのよ、泣くつもりなんてこれっぽっちだってなかったのに、ぽろり、ぽろぽろりと、涙があふれた。
いや、いやよ、あたくしの涙なんかで、アルアイリス様のお手を汚したくなってないの。それなのに涙は止まらなくて、みっともなくあたくしはその場でしゃくり上げ始めてしまった。なんて見苦しい姿なのかしら。アルアイリス様だってほら、呆れていらっしゃるじゃない。
困ったように微笑んでいらっしゃる彼女は、あたくしの頬を包み込んだままでいてくださって、あたくしはそのお手を辞退しなくてはならないのに、それなのにこの冷たくもあたたかい手から逃れられない。
「お、ねえ、さま」
「ええ、ユフィ」
「ご、ごめ、なさい、お姉様。あたくし、あたくし、お姉様の妹になれませんでした。お姉様と、約束、した、のに」
そう、約束。今のあたくしを形作るための、あたくしの根幹に、まるで呪いのように刻み込まれた約束よ。
王太子殿下の婚約者として選出され、その流れであたくしはアルアイリス様……お姉様と出会ったの。やわらかくなめらかな青銀の髪、深く澄んだ藍の瞳、白磁の肌に華奢な肢体。どこをとってもお美しく、何よりも清らかで、可憐にそこに咲き誇るお姉様に、幼かったあたくしは一目で心を奪われた。
まだ王太子殿下の暫定婚約者でしかなかったあたくしが、無礼にも「お姉様と呼んでいいですか」と問いかけると、お姉様は驚いたように目を見開いて、それから本当にお美しく微笑まれ、「もちろんよ、かわいいユフィ」と頷いてくださった。
あのときの歓喜は、今なおこの胸でまばゆく輝いているわ。
お姉様と親睦を深める中で、あたくしは誓ったの。必ず王太子殿下の妻となると。だってそうすれば、本当にあたくしはお姉様の妹になれるのだから!
――あたくし、お姉様の妹になります!
――まあ、嬉しいわ。わたくしのかわいいユフィ。約束よ。
――はい! あたくしと、お姉様の、秘密の約束でございます!
王太子殿下の婚約者という立場にあった時点で、そんな約束は別に秘密でもなんでもなかったことくらい、今ならば理解しているわ。
けれど、けれどね?
あたくし、本当に嬉しかったの。お姉様が、待っていてくださることが、あたくしの心の支えだった。あたくしの、すべてだったの。
だからこそ、そのためならばなんだってしたわ。お姉様の隣に立っても恥ずかしくないように、お姉様があたくしのことを「自慢の義妹よ」と言ってくださるように。そうして今の完璧なあたくしがここにいる。
その、はずだったのに。
「お姉様、お姉様、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
お姉様は、いずれ、隣国の国王陛下のもとに嫁がれる。年若く見目麗しい、その男ぶり、辣腕ぶりには折り紙付きの、まさにお姉様のおとなりに立つにふさわしいお方だそうだわ。
それを聞かされたのはお姉様から直接ではなく、父であるカーティス侯爵からだった。
あたくしが幼いころからお姉様にすっかり傾倒しきっていたのを、お父様なりに心配してくださっていたみたい。「アルアイリス殿下を、どうしても王妃として迎えたいと、先方からのたっての願いだそうだ」とかなんとかお父様はおっしゃっていたし、他にもいろいろ四の五の説明してくださったはずだけれど、ほとんどもう覚えていないの。
ただあたくしにとって重要なのは、お姉様が、もうあたくしの手の届かないところに行ってしまわれるという、その一点だけだった。
ふふ、愚かよね、あたくしも。
その美しさ、優秀さが国内外に知れ渡る一国の姫君たるお姉様が、いずれ誰かのものにならなくてはならないことくらい、初めから解り切っていたことだったのに。
それなのにあたくしったら、ずっと、ずぅっと、お姉様はあたくしだけのお姉様でいてくださると信じていたの。笑っちゃうったら。
だから、もういい、と思ったの。あたくしはじゅうぶんすぎるくらいに素敵な夢を見せていただいたわ。
お姉様があたくしではない誰かのものになられるのならば、あたくしはもう何もいらない。婚約破棄も修道院行きも国外追放も、なんだって同じなの。あたくしが欲しかったのは、お姉様だけだったのだから。
ああでも、そもそもお姉様の本当の弟君は、王太子殿下で、あたくしはそのおまけだったのよね。そう、お姉様にとってあたくしは……と、思ったらまた涙があふれてきた。
きっとこれがお姉様に会える最後なのに、最後なら今までで一番美しくありたいのに、それなのにあたくしはこんなにも無様なのが口惜しい。それでもなお、お姉様から目が離せないあたくしの、なんてあさましいことかしら。
「かわいいユフィ。泣かないで」
「っ!?」
お姉様の顔が近づいてきたかと思うと、その赤い舌先が、あたくしのまなじりをぺろりと舐めた。あまりのことに言葉を失うあたくしに、お姉様はいたずらっぽく笑ってちろりと舌を舐める。
その姿の、なんてなまめかしく魅惑的なこと!
事の次第をうかがっているばかりの老若男女が、ごくりと息を飲むのが聞こえてきた。
だめよだめ! こんなお姉様を見ていいのはあたくしだけなのに!!
そう叫びだしたくなるのをなんとか耐えていると、お姉様はころころと鈴を転がすように笑ってから、あたくしの手に自らの手をからめてくださった。ただ手を繋ぐだけではなくて、あたくしの指の一本一本を確かにからめるつなぎ方。市井ではこういうつなぎ方を恋人つなぎ、なんて言うのではなかったかしら? あ、あたくしとお姉様が……!? と思ったら、涙なんて嘘みたいにぴたっと止まって、顔を赤くすることしかできない。
そんなあたくしをなんだか満足げに見つめられたお姉様は、そうして、周囲に支えられてよろよろと立ち上げる王太子殿下へとようやく視線を向けた。
王太子殿下は真っ赤に顔を腫れ上がらせて、それでもなお腕に小娘を抱いて、唾液を吐き散らしながら怒鳴りつけてくる。あらいやだお下品だこと。
「いっいくら姉上と言えど! 王太子たるこの私と、その婚約者たるシエナに対するこの無礼! 許されたものではありません!!」
まあ、いつのまにか小娘はもう王太子殿下の婚約者になっていたのね。別にまったく構わないのだけれど、それでお姉様が罪に問われることになったらと思うと怖くて仕方がなくなってしまう。
あたくしがその罰を受けましょう、だからどうかお姉様には……! と、お姉様をかばうために一歩前に出ようとしたけれど、その前にお姉様に「ユフィ」と呼ばれて硬直する。とろけるように甘い声にぞくりと肌が粟立って、立っていられなくなってしまいそう。
そぉっとそちらを見遣ると、お姉様はその清らかな花のかんばせににっこりと笑みを浮かべていらした。ああ、なんてお美しくまばゆい微笑み……! 誰もが恍惚とした溜息を吐く中で、お姉様はそのまなざしをちらりと側付きの侍女へと向けた。
侍女は心得たように、その手に持っていた書簡をお姉様に差し出した。
「受け取りなさい、愚弟」
「べふっ!?」
「きゃああっ!? イル殿下っ!?」
お姉様が見事なフォームで振りかぶって投げられた書簡が、王太子殿下の顔面にめり込んだ。お姉様、そんなことまで達者でいらっしゃるのね、ああん素敵……!
あたくしが優美な姿に見惚れていると、お姉様は「かわいいユフィ、もう少しだけ待ってね」とそっとあたくしのあごのラインをなぞっていかれた。色を帯びた手付きだと、思っていいかしら。その指先に、きゅんとときめいた、なんて、そんなこと、決して思ってはいけないのに。
唇を噛み締めて、荒ぶる内心をこらえているあたくしをよそに、なんとか復活を遂げたらしい王太子殿下が、投げつけられた書簡を開いた。
その文面をまなざしでなぞるにつれて、彼の顔色が真っ青を通り越して真っ白になっていく。
それを見届けたお姉様は、それはそれはお美しく、にっこりと笑みを深められた。
「そこのお嬢さん、シエナ・ピューレ男爵令嬢に、イルイクス、あなたと、あなたの取り巻き達が、政務に関わる情報や未公開投資情報、貿易機密などを漏洩し、ピューレ男爵家がより有利な立場にあれるように取り計らった件については、既に調べがついていてよ。まあ他にも贈収賄だのなんだのといろいろあるけれど……どちらにしろ、あなたを廃嫡とし、ピューレ男爵家は取り潰し、他にも不正に携わった者達にも罰を科すと、父王陛下からの承認を頂いたの。イルイクス、ピューレ男爵令嬢。それからその他の皆様。ここであなたがたには終止符を打たせていただくわ」
お姉様がそこまで言い切ると同時に、お姉様の背後の騎士達が一斉に動いて、慌てふためく王太子殿下と小娘一行を捕縛していって……ええと、あら、あらあら? これはいったいどういうことなのかしら。
完全に置いてきぼりにされている気がするのだけれど、あたくし、いいのかしら?
そうお姉様を見つめると、お姉様があたくしの手を握る手に、きゅっと力がこもった。どきん、と大きく跳ねる鼓動にまた顔が赤くなる。
「ユフィ。あなたの名誉を汚す者を、わたくしは誰であろうと許さないし、赦せないの」
「お姉様……」
王太子殿下達に向ける笑みとはまったくことなる、たしかなぬくもりが宿る微笑みに、じんと胸が熱くなる。
お姉様、お姉様。許されるならば今この場で泣きすがってしまいたい。けれどそれは決して許されない。お姉様は、あたくしの手の届かないお方なのだから。
「っ何がお姉様だ! 姉上、私を廃嫡にして何になる!? 私以外には、もうこの国に王位を継げる者など……!」
「あら、ここにいるじゃない」
「……は?」
「わたくし、アルアイリス・リア・リンデガルダが、次代の王に。お父様からは既にこちらも承認を得ているわ。わたくしが、この国の、初の女王になるのです」
おわかり? とにっこりと、けれどまなざしは誰よりも何よりも冷ややかに、お姉様は告げられた。
いつしか誰もが口をつぐみ沈黙ばかりが横たわるばかりとなっていた夜会会場が、今度こそ大きくどよめいた。
お姉様が。アルアイリス様が、次代の、国王陛下?
あたくしらしくもなく、淑女として極めてはしたないことにぽかんと口を開けるあたくしのその唇を、ちょん、とお姉様は指先でつつかれた。あん、くすぐったいですわお姉様!
「わたくしは子を成すつもりはありません。だってわたくしには、かわいいユフィがいてくれるのですもの。お父様のご落胤を見つけるのに手間取ったせいでこんなギリギリになってしまって、あやうく隣国に嫁がされるところだったけれど……ああ、よかった。何もかも間に合ったわ」
お姉様がほうと安堵の溜息を可憐に吐かれるのと同時に、わめき立てる王太子殿下と小娘、それから二人に追従していた一派がそろって引っ立てられていく。
最後までの見苦しいその姿には品性のかけらもないこと。ああもうやかましいことといったらないわ、お姉様を見習えばいいのに。お姉様は、こんなにも、こんなにも、何もかもがお美しいのに。
ああ、お姉様。
つないだままの手が熱い。ぎゅっと今度はあたくしからその手を握り締めると、お姉様はこちらへと視線を向けてくださった。涼やかな美貌のこのお方が、ふんわりと焼きたてのパンのようにあたたかく笑ってくださる、その笑顔が、どうしようもなく好きで、好きで、大好きでならなかった。
あたくしの、たったひとりの、お姉様。
「お、おねえ、さま」
「なぁに、わたくしのかわいいユフィ?」
息を飲んで周囲があたくし達を見つめている。親しい令嬢達が、「ナユフィティア様! がんばってください!!」と応援してくれている。かわいい小鳥さんたちのさえずりに背を押され、けれどやっぱり怖くて、そぉっとお姉様の手を、今度は両手で包み込む。
お姉様は微笑んでいらっしゃる。ああ、あたくしの、お姉様。
「あたくし、あたくし、もう、お姉様の妹に、なれ、ないのに。約束、破ってしまったのに。それでも、あたくしのことを、おそばにおいてくださるのですか?」
「あらユフィ。それは違ってよ」
「え?」
お姉様は「そうでしょう?」と側付きの侍女と、この場に残っている護衛の騎士に問いかけられた。
彼らは誰もがうんうんうんうんと深く頷いている。えっ何かしら。あたくしよりもお姉様と解り合っているなんて、そんなの許しがたいわ、なんてうらやましいの、ずるい、ずるいわ。
そうあたくしが歯噛みすると、お姉様は、空いている片手を、そっとあたくしの頬に寄せてくださった。
「あの愚弟なんかがいなくたって、ユフィ、あなたはあたくしの妹で、何よりも愛しい、かわいくてならないたったひとりのひとよ」
「~~~~お姉様!」
「ええ、わたくしのかわいいユフィ」
もう耐え切れなくなって、その華奢なお身体に抱き着いてしまった。あたくしよりも背丈がお低いお姉様は、それでも力強くあたくしを受け止めてくださって、ころころと鈴を転がすように笑ってくださった。わっと周囲から拍手が上がる。
ああ、ああ、なんて素敵な夜なのかしら!!
――のちに、とある国において、歴代初の女王が即位する。
その美しさは国内外に知れ渡り、たぐいまれなる繁栄を築いた女王アルアイリス・リア・リンデガルダのそばには、同じく歴代初の女宰相、ナユフィティア・カーティス侯爵がいた。
公私ともに支え合った二人は、先代国王のご落胤たる王子に譲位後、穏やかな余生を王家所有の離宮にて過ごしたのだそうだ。