帰ってきた聖女
王宮に戻るにあたって、フローラがまずやったことは、自らの体をずたずたに傷つけることだ。
ぼろぼろのみすぼらしい姿。その方が自然だったし、そんな弱々しい姿は相手から警戒心を奪い去るということをフローラは熟知している。
シュテイン王子は、既に自分を切り捨てている。
フローラはその事実を知っていたからこそ、秘密裏に殺されることのない場所で、助けを求める必要があった。シュテイン王子の息のかかった者が相手なら、フローラを亡き者にする計画まで知っている可能性がある。
信頼できる相手など居ない。
王宮という場所は、不正と陰謀うずめく魔境なのだから。
だからフローラが取った行動は、1つだけだ。
「この"聖戦"に、どうか神のご加護がありますように」
広間で、ただ祈る。
目立つ場所で。
できる限り、人目を集める場所で。
あたりを軽く輝かせ、大げさな演出とともに。
ただ厳かに祈る。
「あれは――」
「聖女、フローラ!?」
「馬鹿な!? 聖女は、魔族領に捕らわれたんじゃ!?」
すぐに事態を聞きつけ、ざわざわと人が集まってくる。
「フローラ様、噂は本当なのですか!?」
「魔女・アリシアの処刑は、正しかったのですよね!?」
「あんな自白は、強要されただけなのですよね!?」
人々は、今やフローラに詰め寄らんばかりの勢いだった。
騒ぎは、大きくなればなるほど良い。
目撃者が多ければ多いほど、無かったことにするのは難しいだろう。
「あの件に関しては――」
更にダメ押し。
「後ほど、きちんと私の口からお話しますわ」
フローラは、聖女らしく振る舞うことには自信があった。
アリシアは、その実力をもって聖女が何たるかを示してきた。
私にはできない生き方だわ……、とフローラは思う。羨ましいとは思わないけど、その実直な生き方があったから、今の立ち位置を手にしたのだろうとは思う。
それでも、フローラは考える。
これまでの生き方が間違っていたのかと。
はっきり言ってしまえば、間違っていたのだろう。
アリシアとフローラ――両者の立場の差が、そのままこれまで積み重ねてきた生き方の差なのだから。フローラが手にしたかりそめの地位はすべて失われ、地獄のような報いを受ける羽目になった。
生き方は、その気になれば変えられる。それでも、手にした武器は、これまで磨き上げてきたものは、たぶん間違ってはいない。
だからフローラは、今日も人の心を操り、自在に操って見せるのだ。
「――真実は、いつの日にか明らかにならなければいけませんからね」
***
フローラは、ひたすら広場で祈り続けた。
説明を求められたときには、後で明らかにしますの一点張り。
聖女・フローラが帰還した。
いずれしかるべき時に、真相がその口から語れる。
たった数時間の間に、王国民の心には、それが確定事項のように認識されていった。
騒動を聞きつけた王国騎士団が現れたのは、それから3時間後のことだ。
「フローラ様!?」
「こんなところで、何をしておいでなのですか!?」
「ご無事で良かった!」
恭しく頭を下げる騎士団員に、フローラは冷めた目線を向ける。
彼らの瞳に浮かんでいたのは、憎々しげな表情。賭けても良い。こいつらは、これっぽっちも聖女・フローラのことを心配してなどいない。
「さあ、殿下が心配しております」
「早く戻りましょう」
それでも自分は、御しやすい愚かな女でなければならない。
「まあ、殿下が?」
うっとり無邪気な笑みを浮かべて見せる。
媚びるような、人好きする表情――アリシアが、見てるだけで斬り捨てたくなると評した可憐な笑みだ。
「私、ほんとうに心細くて。私、私――」
おまけに涙など流して見せれば、イチコロだ。
この状況で口封じなどしようものなら、王国民はますます疑いを深めるだろう。
王国は、何か都合の悪い事実を隠すために、戻ってきた聖女を殺したのだと。
そうしてフローラは、まんまとシュテイン王子と合流を果たすのだった。
「――相変わらず見事なものね」
うまい手だ。建物の屋上から、こっそり騒ぎを眺めていた人影――アリシアは、その茶番を見てそう評するのだった。





