vsイルミナ(1)
アルベルトは、血の気の引く思いだった。
彼にとって、アリシアという少女は言うまでもなく特別な存在だ。
こんなことになるなら、やっぱり強引にでも魔王城に置いてくるべきだったと思う。たしかにイルミナの不意打ちは完璧だったが、それでも普段のアリシアなら、難なく躱していただろう。
ダイモーンの里の戦いから始まって、ディートリンデ砦、ブリリアント要塞都市と、激戦が続いてきた。やっぱりアリシアの負担になっていたのだ。
後悔してもしきれないが、そんなことより今考えるべきなのは、
「イルミナだっけ? よくもアリシアを……!」
「怒るフリなんてしなくても良くてよ?」
にっこりと美しく微笑むイルミナは、すでに臨戦態勢に入っていた。
「どういう意味さ」
「そのままの意味ですわ」
イルミナが短刀を振りかざし、アルベルトに襲いかかろうとしたとき、
「遅いね」
アルベルトは、音もなくイルミナを中心に爆発を引き起こす。
魔術式の構築から詠唱までの工程を全て破棄したそれは、一瞬で、イルミナの内臓をズタズタに破壊した。
大量に吐血して命を落としたかに見えたイルミナであったが、
「無駄、ですわ!」
次の瞬間、イルミナの姿はそこにない。
たしかに命は奪ったはず――それなのに次の瞬間、アルベルトの背後に転移する。イルミナは勝利を確信した様子で、短刀を突き刺そうとしたが、
「種はとっくに割れてるよ」
「なっ!?」
アルベルトは振り返りもせず、イルミナに向かって掌底を放つ。
予想もしていない反撃を喰らい、イルミナはくるくると回転しながら吹き飛ばされ、そのまま地面に激突した。
イルミナは、自らの命を発動条件とするカウンター魔法を得意とする。
以前の戦いで、その手口は把握していた。
アルベルトは、イルミナを相手取ったときの戦い方を、何度もシミュレーションしていた。魔族と人間の全面戦争――敵のエースとの衝突は、絶対に避けられないと確信していたのだ。
「お強いですわね」
「それはどうも」
「でもこの戦場は、あなたの負けですわ。あなたの大切な仲間は、私たちレジエンテに敵わない。あなたは兵力の大部分を失うことになりますわ」
ただ事実を述べるように、イルミナは口にする。
「もはや結果は見えた――それなのに何があなたを、そこまで駆り立てているのかしら」
「それで揺さぶりをかけたつもりかい?」
つまらなそうな声で、アルベルトはイルミナに取り合わない。
命を奪った直後こそ、守りに集中せよ。
それが鉄則であり、逆に言えば奇襲さえ受けなければ、イルミナの攻撃にそこまでの驚異ではないのだ。
「イルミナ、君の狙いはボクとアリシアを討つことだったんだね」
「何のことかしら?」
別に認める必要もないさ、とアルベルトは攻撃の手を緩めない。
戦いは一方的なものになりつつあった。
「一度ディートリンデを落としてボクたちをおびき寄せ、そのまま自分たちは早々に逃げ帰ってディートリンデを明け渡したんだ」
「あら? そんなことをして、いったい何のメリットが?」
すっとぼけたように笑うイルミナを、アルベルトは鼻で笑い飛ばす。
「すべてはボクたちを、罠を張ったブリリアントに誘い込むため――魔王城で暴動を起こしたのも、君の部下の仕業かい?」
「へえ? そこまで気がついていたのですね」
アルベルトの憎しみの籠った視線もものともせず、イルミナは余裕の表情を崩さず、飄々と認めるのだった。
「気が付いたのは、ついさっきさ。アリシアにしか解けない結界があって、アリシアを殺すために作られた毒を持った君が居た――偶然とは考えづらいよね」
「だとしたら、どうしますか?」
「殺すよ、君は」
アルベルトを突き動かしていたのは純粋な怒りだ。
大切な少女を傷つけたイルミナへの怒りと、そんな事態をみすみす許してしまった自身への怒り。怒りを飼いならし、アルベルトは冷徹に敵を排除するべく、機械的に戦いを続ける。
「どれだけ怒り狂っても、わたくしを殺すことはできませんわよ?」
「なに、問題ないよ」
それは戦いとも呼べない、一方的なものとなった。
イルミナに、有効手はない。
対してアルベルトは、一撃でイルミナを殺せる。たとえ、死をトリガーとした魔法を持っていても、攻め続ければ関係がなかった。
「くっ、ぁぁ……」
「どうしたの? まさか、それで終わり?」
アルベルトは、もともと敵には容赦ない苛烈な性格を持つ。優しさは、己の大切な存在にのみ向けられるのだ。
「くっ、まさかこれほどの力を持っていたとは……。誤算ですわ」
アルベルトの取った戦術は、実にシンプル。
幾度となくイルミナを殺したのだ。反撃の隙すら与えず、さりとて瞬殺はしないよう。
何度も死の恐怖を受ければ、まともな精神など保てるはずもない。
これ以上ないほどの残虐な戦い。それは、心を折るための戦いだった。
しかし……、
「結界が効いてませんの? なんなんですの、その強さは?」
「そっちこそ……。まともな精神じゃないよ」
思わず毒づく。
結果、訪れたのは膠着状態。
蘇ったイルミナは、次の瞬間には殺される。
しかしその戦意は決して衰えず、蘇生したそばから相手の命を狙うのだ。無論、その刃も届かず、またしてもアルベルトに致死ダメージを負わされ……、
「まともな精神なら、ここには立っていませんわ」
「それもそうか」
その言葉には同意だった。
隙は一瞬だった。
アルベルトとて、一瞬の油断が命取りになることは、重々承知している。
蘇生したイルミナには、全身全霊で警戒していた。
反撃の隙を与えないように。
そう、その狙いを看破することができなかったのだ。
誘導されていたのだろう。
イルミナが蘇生した場所は、アリシアの目の前だった。
しまった──
一瞬生じた思考のぶれ。
いつもと同じことをしていれば、決して生まれなかった隙。アルベルトは一瞬、動きを止めてしまい……、イルミナはその一瞬こそを待っていたのだ。
「止まりなさい! この女がどうなっても良いの?」
アリシアは、毒で朦朧とする意識の中、結界解除に集中していた。
反撃などできるはずもなく、イルミナは悠々とアリシアに短刀を突きつけた。
特別な毒が塗られたものだ。
もう一度攻撃を喰らえば、アリシアはもう助からない。
人質。
この局面で、それは非常に有効に機能する。
動きを止めたアルベルトを見て、不思議そうな顔をするイルミナだったが、迷いは一瞬。
「お伏せなさいな」
やがて、勝ち誇ったように宣言する。





