決着
ディートリンデ砦の戦いは、驚くほど呆気なく決着した。
想像の数倍、砦に残された王国兵が少なかったのだ。おまけに、士気も恐ろしいほどに低く……、
「降参だ! どうか命だけは――!」
「残してきた家族が居るんだ! 俺が居なくなったら、妻は、娘は――このとおりだ……!」
王国と魔族――魔導皇国の全面戦争は、シュテイン王子により無理やり決行されたという側面が大きい。
それほどの兵を王国は抱えておらず、足りていない分は、辺境の農民や奴隷を強制的に徴兵したという。重税に苦しめられて、家族を人質に取られ、生き残るためには止むなく参加していたという彼らの士気が高いはずもなく……、
「どうしますか、アリシア様」
「……投降した兵士のことは、丁重に扱うよう言っておいて」
そんな王国兵は、捕虜として扱うことになった。
王国での立ち位置が弱い弱者――私たち特務隊だって、もし戦争が起これば無茶な戦場に送り込まれたんだろうな、などと容易に想像がつく。
「良いのですか?」
「ええ。この人たちは――違うと思うから」
私が憎んでいるのは、今も戦地の様子など知らずに、のうのうと王城でワインを嗜むでっぷり太った貴族たちだ。今、目の前で恐怖に震えている彼らもまた、被害者に過ぎない。
そうして、想像していたよりも容易に砦を取り戻した私は――
「アリシア、そんな無茶をするなんて聞いてないよ」
「そうです。血涙湖を縦断するなんて――少し違えたらお陀仏ですよ!」
こんこんとお説教を受けていた。
私の前には、リリアナとアルベルトが般若のような顔で立っている。
「でも、この状況じゃ、そうするぐらいしかなくて――」
「敵に脅威がないことがわかったら、ボクと合流すれば良かったと思うけど」
向けられるじとーっとした視線。
「い、一刻を争うと思いましたし……」
「だからって、あの湖の潜る人がどこに居るんです!」
純粋なる善意からの言葉。
真っ向から言い返せず、それでも私は唇を尖らせ、ささやかな抵抗を試みる。
「でも大したことなかったですよ、血涙湖。その――ちょっぴり肌がピリピリするぐらいで……!」
「溶かされかかってるじゃないですか~!?」
ぎょっとした様子で、ペタペタと私を触るリリアナ。
「大丈夫! もう治しましたから!」
「~~っ! そういう問題じゃなくて――」
わ~わ~、と騒ぐリリアナ。
そんなやり取りもまた、いつものことではあるけれど……、
「今回の戦いは、アリシアなりに勝算があると思っての判断なんだね?」
「……はい」
「どうしても必要だと思ったんだね?」
「ごめんなさい、アルベルト。そんな顔させたかった訳では……」
一方、何か言いたげなアルベルトは、困ったように口を閉じ……。
この人は、いつだって私の好きなように行動させてくれている。
彼の望むように、危険なんて無い魔王城でのんびりと毎日を過ごせば、アルベルトにこんな顔をさせずに済むのだろうか。危険なことはしないと、約束すれば喜ぶのだろうか。
一瞬、そんなことも考えてしまう。
だけども――そんな口約束はできない。
それは、私が私で無くなってしまうことを意味する。
私は、私のことをよく知っている。何もしていなければ、きっと私は生きる意味を見失ってしまう。だから必要だと思えば、結局、私は死地に飛び込んでしまうことが容易に想像できた――復讐のため、そして今は王国との戦争のため。
そんな複雑な心境を見抜いたように、
「アリシア、ボクは君に好きに行動して欲しいと思ってる。それがアリシアの幸せだって、分かってるつもり」
「……ごめんなさい」
「だけど――アリシアを失うかもしれないと思うと、やっぱり怖くて。自由に行動して幸せになって欲しいと思ってるのに、無理にでも平和な世界に閉じ込めてしまいたいなんて思う気持ちもあって……」
「――そんなことを命じられたら、私は一生アルベルトを恨みます」
「分かってる。だからボクが願うとしたら――アリシアには少しでも、自分の命を大事にして欲しい。作戦で自分の命を安く見積もらないで欲しい……、これでも駄目かな?」
「もう私だけの命じゃないって。分かってます――約束はできませんが、生き残ることを優先する――大丈夫です」
アルベルトの言葉には、どこまでも真摯で。
だからこそ私も、安易に誤魔化すような言葉は口に出来なくて……、
「アリシア様が、もし先に死んだら――」
「リリアナ?」
「泣きます」
「それは――困りますね……」
そしてリリアナは、大真面目な顔で何を言い出すのか。
ちなみに本気で怒ったリリアナは、それはもう恐ろしいが、同時に一番恐ろしいのは泣かれることだったりする。大切な人の涙――それは、まるで対処法が分からない私への必殺技なのである。
「ユーリだって、きっと泣きます。それに魔王様だって――」
「アルベルトが?」
いつも飄々と、楽しそうな笑みを浮かべているアルベルト。
この人が泣くところなんて、ちょっと想像できないけど――
「う~ん。ボクなら、また生き返らせる方法を探しそうだけど……」
「そんな状況、真面目な顔で答えないで下さい!?」
ふわふわと成仏しようとして魔王城に魂が吸い寄せられた日のことは、たぶん一生忘れられないだろう。
「そうだね。次は戦える能力がない――スライムなんて、どうかな?」
「だんだん話が具体的になっていきますね!? そしてリリアナは、わあ可愛いて反応しないで下さい!」
「うん。もし死なせでもしたら――二度と死なせないために、一生傍に置いておくと思う。やっぱりスライムだね」
冗談のように見えて、目が本気であった。
もし死んだら――この人なら、やりかねない!
「アルベルトがやばい笑みを浮かべてます! 助けて下さい、リリアナ!?」
「アリシア様が可愛らしいスライムに――毎日抱っこ。ありですね」
「リリアナまで~!?」
ツッコミ疲れた私が、ぜえぜえと肩で息をしていると、
「だから、絶対に死なないでね」
なんて茶目っ気たっぷりに返すアルベルト。
真面目に頼まれても困るだけだと悟った、彼なりの気遣いか。
「はい、善処しますね」
だから私も――気がつけば自然と、素直にそう頷くことができたのだった。
そうして、その日は休憩となり。
私たちは、久々に柔らかな寝床で、しっかりとした休息を取ることになる。
***
それから、数日の間、王国兵に動きはなく。
単発的な抵抗は各地で見られたものの、各個撃破され、みるみるうちに北の緩衝地帯へと逃げ込んでいったという。
上手く行き過ぎて、いっそ不気味なほどだった。
ディートリンデ砦には、今やブヒオの軍と、もともと努めていた第6部隊の面々、更には魔王直属の部隊を加え、更には配備された魔道具の大幅な改造も施し、まさしく万全の防衛体制を築くことに成功した。
そんな落ち着いた、ある日の午後。
「大変です、魔王様!!」
次なる戦いは、魔王城から届いたそんな一報によりもたらされることになる。





