ピンチ? いったい何のことですか?
私――アリシア――たちは、ディートリンデ砦に向かって北上していた。
時間はできるだけかけない方が良い。
ディートリンデ砦は重要な拠点であり、そこを王国軍に固められては一気に戦局が不利に偏る。敵が守りを固める前に、私とアルベルトを中心に一気に攻め落とす……、もとい取り返さねばならないという判断だ。
向かう途中でもっと抵抗に遭うかと思っていたけれど、ほとんど敵兵と接触することすらないかった。
正直、拍子抜けであった。
「砦に居る敵兵の数は?」
「それが……」
私たちに報告するのは、斥候をつとめたカラス型の魔族だ。
ブヒオの部隊に所属しており、夜目がきき、闇にまぎれて情報収集する優秀な魔族である。
ちなみに疲弊したブヒオの隊の大半は、ダイモーンの里に置いてきている。砦を攻めるには不安が残る人数ではあるが、ダイモーンの里を空にする訳にもいかないため、苦肉の策といったところだ。
私としては、少人数で敵兵のど真ん中に突っ込むような戦い方は、むしろ歓迎すべきところである。
ディートリンデ砦は、重要な拠点である。
数千人規模の、最悪の場合、数万規模の兵が待ち構えているかもしれないと想像していたが……、
「え? 数百人規模の部隊が、いくつか展開しているだけ?」
もともと、奇襲により落とされた砦だ。
まだまだ、兵の配備が追いついていないのだろうか。砦に居る兵力も、また分からないところではあるけれど――、
「アルベルト、どう思いますか?」
「そうだね。普通に考えれば、敵が体制を整える前に叩くべきだと思うけど……」
アルベルトが、首を傾げていた。
ディートリンデ砦を落とそうと戦っていた王国兵は、そんな規模ではなかったはずだ。残りの部隊は、いったいどこに消えてしまったのだろう。
そもそも、彼らはダイモーンの里を本気で落とそうと考えていたのだろうか。
統率もほとんど取れておらず、戦い方も実にお粗末なものだった。奇襲で砦を攻め落としたイルミナの手腕を考えれば、その後の行動は、はっきり言ってしまえば杜撰すぎると感じたのだ。
私の横で、無邪気な笑みを浮かべている少年。
こう見えてアルベルトは、魔族を統べる魔王である。その命は、当然、私のものより重く――、
「アルベルト、私がおとりになりますよ」
「は? アリシア、いったい何を言い出すのさ!?」
「魔王としての自覚を持って下さい。アルベルトに万が一のことがあれば、魔導皇国はおしまいです」
私が言うことは、間違っていないはずだ。
今、一番恐れるべきは、ここで私とアルベルトの両方が討たれることなのだから。
もちろん、敵が罠を張っていたとしても、そう簡単にはやられない自信はある。けれども、万が一の場合にも――共倒れという最悪の事態は避けることはできる。
「言いたいことは分かるよ。分かるけど――だからって……!」
「あはっ。それに――私の楽しみを、あまり奪わないで下さいな」
それになにより、この手で、王国兵を屠れるまたとない機会なのだ。
私は、鎌の柄を大切に撫でる。
あまたの王国兵を、弱者を踏みにじってきた憎むべき敵の血を、ふんだんに吸い込んだ大切な得物だ。
「……アリシア、君はちっとも自分の価値を分かってないよ。君が居なくなったら、君に救われた仲間は悲しむよ。ボクだって……、もう君が居ない日々は想像できないよ」
ああ……、しごく真面目な顔で、なんてことを言うのだろう。
戦場での命は、枯れ葉よりも軽いもの。生きるも死ぬも、その日次第――私だって、親しい友人の死を見送ったことも何度もある。だけど、
「大げさですね……、分かってます。必ず生きて戻って、敵将の首を持ち帰りますから」
今は、自分の命を軽く見るつもりはない。
魔王城で居場所を手にして、たしかに今を生きるのを楽しいと思うようになってきていたから――復讐を果たして死ぬだけが、生き方ではないと思い始めてきたから。
「アリシア様、お供します」
「主! いざとなったら、わらわが身代わりになるのじゃ!」
「やめてね!?」
数の差はある。
それでも支援魔法や、私が戦いに出ることで、十分に勝算はある――頼もしいことを言う特務隊の面々を従え、私は先陣を切って敵地に攻め入ることになった。
***
ディートリンデ砦に向かって突き進むこと数時間。
ついに私たちは、砦を守っていた王国兵の面々と衝突することになる。
「敵襲、敵襲! 敵の数は――少ないぞ!」
「馬鹿め! 本当に、突っ込んできたのか!」
王国兵たちは、私たちを見つけると、次々と魔法を射出してきた。
「ちっ、やっぱり待ち伏せされてるわよね」
「どうしますか、アリシア様?」
守りは薄いと言っても、まだ数は王国兵の方が圧倒的に多い――いくら私たちが少数精鋭とはいえ、無視できないほどに戦力差があった。
真正面からぶつかり包囲されでもしたら、到底、無事では済まない。
「ここは、やっぱりまずは私が突っ込んで――」
「毎回そんなことしてたら、アリシア様の体が持ちませんって!」
「そうじゃぞ、主! 少しは、わらわたちを頼ってほしいのじゃ」
あの人数が相手なら、勝てるかと言えば――たぶん勝てるとは思う。
魔女として蘇った私は、客観的事実として数百の相手なら蹴散らせる。一騎当千とまではいかなくとも、特務隊の仲間だってそう遅れは取らないと思う。
……けれども、生き物である以上、限界はある。困ったときに、自分だけでどうにかしようと、無意識に考えてしまったのは悪い癖だ。
どうしても疲労は蓄積していくものだ。リリアナの言うとおり、単独でこの戦場を最後まで戦い抜くことはできないだろう。今回は特務隊の力を借りて、この場を切り抜けることを考えることにしよう。
「どうしますか、アリシア様? やっぱりダイモーンに戻って、一度、態勢を立て直しますか?」
「いいえ。攻めるなら今しか無いと思います」
本来、この人数で砦を真正面から攻めるなど下策も良いところだ。
それでも今は、時間が惜しい。敵は、砦を手にしたばかりで、十分な防衛体制を築けていない。だからこそ、この程度の戦力差ですんでおり、時間とともに戦力差は拡大していくことだろう。
今を逃しては、攻め入るチャンスすら失われてしまう。
「そうですね。何も真正面からぶつかる必要はありません――意趣返しといきましょうか」
私はそう呟き、特務隊の仲間に今回の作戦を伝えるのだった。





