出陣
会議室に集まった私たちを待ち受けていたのは、耳を疑うような報告だった。
魔王――アルベルトは、ぽつりと一言。
「ディートリンデ砦が……、落ちた」
ディートリンデ砦、陥落の知らせ。
それは砦に配備された魔道具からの断片的な情報だった。
その知らせの意味は、あまりにも大きい。
王国と魔族領の境目にあるディートリンデ砦は、魔族にとって防衛の要そのものであった。物資補給のために欠かせない要所であり、補給が滞れば、王国軍が一気に魔族領になだれ込んでくる可能性がある。万が一にも落ちることは許されない、絶対防衛ラインのひとつだったのだ。
だからアルベルトは、もっとも信頼している幹部であるブヒオを送り込んだ。敵兵力を予測し、激戦続きの中、万全を期していた――その上で砦は落ちたのだ。
「ま、まさか……」
「いったい何があったというんだ!?」
ブヒオが率いる軍は、魔王軍の中でも特に練度が高い。
予想外の知らせ。集まっている幹部たちも、信じられないとばかりに、不安そうに顔を見合わせた。
「アルベルト! ブヒオさんたちは無事なんですか?」
「ああ、兵の一部を失ったが無事――今はダイモーンの里に下がって、戦線を立て直そうとしているそうだ」
「そうですか……、良かった」
こちらの被害は甚大だ。
それでも無事だと聞いて、ほっと安堵のため息をついてしまう。
ブヒオは、一度は決闘した相手だ。
それでも私は、彼の忠義心は立派だと思っていた。それに顔なじみが死ぬのは、やっぱり気持ちが良くないものだ。
「うん、本当に……」
アルベルトは、同じように頷く。
彼は、基本的に情に厚い。
敗走など恥――死ぬまで戦うのが美徳。
王国ではそんな考え方も浸透していたが(それは、私たち特務隊が使い捨ての駒だっただけかもしれないが)私は、嫌いな考え方だった。
「それにしても、この短時間で陥落するとは……。敵の兵力が、よほどこちらの予想を上回っていたんですか?」
「それが……。どこからともなくレジエンテ軍が現れて、奇襲を受けたらしいんだ」
「レジエンテ、ですか……」
私は、苦々しい思いで、その国の名をつぶやいた。
宗教国家レジエンテ。
私たちに対して宣戦布告してきた相手だ。以前、私と魔王がぶつかった少女・イルミナを擁する国で――これまで戦場で表立った動きは見せて来なかったが、ついに動きを見せたというのか。
「例の少女が率いていた部隊だってさ――」
アルベルトが、淡々と報告を説明していく。
「第2・第4混成部隊は、見知らぬ部隊からの奇襲を受け……、混乱に乗じて一気に本隊まで攻め込まれたらしい」
「そんなことが?」
いくら奇襲でも、そんなことあり得るのだろうか。
たしかにあの少女は、強敵である。
直接、目にした私と魔王は、その事実を認めざるを得ない。それでも一晩で砦が陥落するとなると、もはや兵がまともに機能しない状況に陥ったとしか思えなかった。
「ボクも不思議に思ってるよ。でも……、事実としてディートリンデ砦は落ちた」
その言葉は、非常に重々しい。
「このまま放っておけば、奴らはこのまま魔王城まで攻め入ってくるかもしれない。いいや、確実にここを目指していると思うんだ」
奴らは、魔族を根絶やしにすると宣言している。ここまで攻め入られれば、私に――魔族たちに、平穏は一生訪れない。
どちらともなく、私と魔王は頷き合う。
「もはや一刻の猶予もない」
「ええ。だから……、アルベルト、私も出ます。まさか、止めませんよね?」
「もちろんだよ」
今も心の奥底には、王国への憎しみは渦巻いている。
それだけでなく、私はたしかに、この場所を守りたいと願っている。あんな奴らに好きなようにはさせない、という静かなる決意で。
「ボクも出よう。キール、留守を頼むよ」
「はあ、止めても無駄……、なのでしょうね――」
「説得材料は10個ぐらいは用意してるよ」
「まったく――」
そんな言葉を返すアルベルトに、彼の側近であるキールは深々と嘆息した。
本来、魔王が自ら戦線に出るなどあり得ないこと。
そんな無茶が可能だったのは、キールという頼れる右腕がいるからこそ。まさしく、頼り頼られる関係――私は、そんな二人を見て、ちょっぴり羨ましく感じるのだった。
***
魔王城には、重々しい空気が広がっていた。
人間たちからの宣戦布告。
拮抗したまま長期化の様相を呈した戦争――圧倒しているどころか、徐々に押しこまれているらしいという噂。
おまけに守りの要である砦が、ついには敵の手に落ちたらしいという噂。
もちろん表立って口にする者はいない。
それでも不安は、毒のように各人の心に巣食いつつあった。そんな時――
「ついに……、聖アリシア隊が動く時が来るらしいぞ!」
「なんと、魔王様も一緒だ!」
――その噂は、どこから広がったのだろう。
それは窮地に陥っていたミスト砦を救い、王国を絶望に叩き落とした少女が、ついに戦いに向かうという知らせが広まったのだ。
王国の聖女。
敵国の英雄は、志半ばで誅殺された哀れな少女。そんな少女は、魔族領で蘇っても優しさを失わず、新たな居場所を守るために健気に鎌を振るおうとしている――それは悲劇として、美談として魔族たちの間で広がっていた。
そんな空気を作り出したのは、アリシアを受け入れさせようと動き回っていた魔王だったりするのだが……、
「あの二人なら大丈夫だ!」
「この閉塞感を打ち破ってくれるに違いない……!」
それは、思わぬ効果ももたらしていた。
もたらした戦果と、魔王が広めた美談が合わさり、魔族皇国内でアリシア人気が爆発的に高まっていたのだ。
ミスト砦の戦いを、たったの1人で覆した規格外の少女。魔王様の花嫁で、その真の実力はいまだに未知数――本人の預かり知らぬところで、気がつけばアリシアの部隊は魔王城の切り札として認知されていたのである。
そうして作戦は、信じられないほど速やかに開始された。状況は一刻を争うというのは共通認識で――会議を終えたアリシアたちは、そのまま出発することとなった。
本当であれば、秘されるべき作戦なのかもしれない。
けれども魔王は、それを大々的に宣伝することを選んだ。魔王軍の士気をあげるため、国民の間に広まる不安を払拭するためだ。
***
いつものドレスに身を包み、私は魔王城を後にする。
今、再び戦地に向かう――突然のことながら、既に覚悟は決まっていた。この日のために、魔王城で準備してきたのだから。
「アリシア様、どうかご武運を……!」
「ああ、なんと噂に違わぬ美貌をお持ちで――」
「我らが魔導皇国の未来を、どうかよろしくお願いします!」
急な決定に違いなかった。
それなのに――人、人、人。魔王城の入り口には、見たこともないほど多くの魔族が、旅立つ私たちを一目見ようと集まっていた。
どうして、こんなに人が集まっているんだろう?
正直なところ、こうして人目を集めることには慣れていない。
目が回りそうになる私をよそに、隣ではライラが楽しそうに声援に応えていた。実に頼もしい――いっそ、部隊長変わってくれないかな……? なんて思う私に、
「大人気だね、アリシア?」
いたずらっぽく魔王が笑う。
「大げさ過ぎますって! 何なんですか、この集まりは!?」
「ごめん、アリシア。国民の不安を和らげようと、いっそ大々的にやろうと言ったのはボクなんだけど、流石にアリシアの人気を見誤ってたよ――」
「えぇ……。犯人、まさかのアルベルトですか!?」
とんでもない話である。
「まあまあ、せっかくだし手を振って上げたら?」
「アルベルトは、随分と慣れてますね……」
思わず恨めしい口調になってしまう。
それでも彼らがこうして集まっているのは、安心が欲しいのだろう。魔王様なら、この人になら、任せておけば国を守ってくれるはずだという安心が。
私は、天高く手を掲げる。
私はここに居る、と示すように。
今の私の居場所は、ここだと示すように。
――その手には今の私を象徴するように、身長大の漆黒の鎌が握られていた。
「――うぁああああ!」
「アリシア様! アリシア様! アリシア様!」
果たして、ドッと湧く集まった魔族たち。
それは……、思わず引いてしまうほどの熱気であった。
魔族たちの期待を一身に背負い。
私たちは、ブヒオの部隊と合流するため、ディートリンデ砦の手前にあるダイモーンの里に向かうのだった。





