魔王様の大切な人
「あ、アリシア様!」
「研究棟の頭でっかちどもが出しゃばってきまして――もう話はまとまりました! ご安心を!」
訓練に参加していた魔族の一人が、どんと胸を張ってそんなことを言う。
「なんだと!」
「あなたたちも……。あなたたちは、ここに喧嘩を売りに来たんですか?」
私が鋭い視線を向けると、研究棟から来た魔族たちは、鼻白んだ様子で黙り込んだ。
その瞳には、隠しきれない不満が覗いている。
こんなことをしている場合ではないのに……。
今も王国との境界にある砦では、激しい戦闘が行われているのだ。魔族同士で争っていては、勝てる戦いも勝てないだろう。
「この軍部の脳筋どもが!」
「我らの発明品の良さが分からぬとは……!」
またしても険悪な空気が流れそうになったが、
「まあ良い。訓練の後、そこの女を貸し出してもらえるならな」
研究棟の職員は、そう言い捨てて帰ることに決めたようだ。
「それを許可することは出来ませんね」
「……はっ? 貴様に、なんの権限があって……!」
リーダーらしき男が、私にそう噛みついてくる。
「魔王様から、フローラの扱いは私に一任されています。彼女は第12小隊の訓練では重要な立ち位置に居ます――そのような研究に協力させる余裕はありません」
「くっ……」
男は、悔しそうに舌打ちした。
実際、隙を付くよう協力を取り付けようとしたのは、自分たちのしていることが正式な手順を踏んでは認めらないという自覚があったからだろう。
「何故だ? おまえとて、そこの女には恨みがあるのだろう?」
「そうですが、それとこれとは別の問題です」
心底、不思議そうに私を見てくる研究棟の面々。
結局、彼らは恨めしそうに私を睨みつけていたが、最終的には立ち去っていくしかできないようだった。
とりあえずは、一件落着と。
「何のつもり? そんなこと……、余計なお世話よ!」
「あなたこそ……、何を勘違いしているの?」
きゃんきゃん喚くフローラに釘を刺す。
「あなたの役割は、魔族たちの訓練相手になること――その役割を果たすことすら出来ないなら、普通に売り飛ばすわよ」
ヒッと息を呑むフローラ。
そう、それで良い。
私は、フローラに冷めた視線を返す。
別に助け舟を出したというつもりもない――ただ、目の前の不快な光景を収めたに過ぎない。余計な勘違いなどされたら、それこそ殺したくなってしまうから。
***
フローラは、ギリリと悔しそうに唇を噛んだ。
散々見下していた相手の、よりにもよって庇護下に入ってしまったという事実。
魔王城で囚われてからの地獄の日々は、彼女の心をこれでもかというほど、へし折っていた。それでも残ったわずかばかりのプライドが、この現状を受け入れられないと暴れ狂っていた。
しかし、今の彼女には当然、現状を打破する手などない。今のフローラにできることは、まるでアリシアの機嫌をうかがうように、与えられた役割に殉じることだけで……、
素直に甘んじている理由は――そう、楽しいから。それだけだ。
ただ弱っちい魔族たちをいじめて、日々の鬱憤を晴らしているだけなのだ。
断じて、深い忠誠心で結ばれた特務隊の面々を羨ましく思った訳ではないし、強くなろうと真っ直ぐな目で向かってくるライラやユーリが眩しく見えた訳でもない。
「来なさい、雑魚ども。満足行くまで遊んであげるわ」
だからフローラは、いつものように煽るように口にした。
***
「……ぶち殺す!」
「今に思い知らせてやるのじゃ!!」
血に頭が登った魔族たちが、恐ろしい勢いでフローラに飛びかかっていく。
「みなさん、挑発に乗っちゃ駄目ですって……」
ユーリの、そんなか細い声はかき消され。
突進する魔族たちの動きは、フローラにとっては至極読みやすいものでしかなかったらしく、あっさり捕縛されていく。
「先は長そうですね……」
そんな様子を見ながら、私はぽつりと呟くのだった。
訓練場のことは、もう放っておいても大丈夫だろう。
「アリシア様、どこに行かれるのですか?」
「ちょっとだけ、お願いをしようと思って……ね」
再び激しい訓練に打ち込む彼らを尻目に。
私は、さきほどの諍いの元凶――研究棟に足を運ぶのだった。





