1つの答え
自らの行いを自白した後、フローラは魔王城の地下牢に捕らわれていた。
基本的に、魔王軍では捕虜への扱いは丁重だ。
戦いの中で投降を呼びかけ、投降したものには衣食住を保証し、不自由のない生活をさせているという。それに不満を持つ魔族もいたが、わざわざ魔王に逆らおうと思う者も居なかった。
……しかし、フローラだけは例外であった。
魔王は、アリシアを陥れたことへの復讐に燃えていたのだ。
――相手を蹂躙して、徹底的に苦痛を与えて、この世の地獄を見せる
アリシアが口にした至高の復讐。
それを彼女が口にしたのは、アリシア自身がそういった目に遭わされたからに他ならない。
その苦しみを、何倍にも、何十倍にも返してやるのだ。
魔王は、フローラに対しては、どのような扱いも許容した。
ただし命だけは奪うなという厳命を出している。
それはフローラにとっては、不幸でしかなかった。
***
ある日の地下牢。
その日も、フローラはボロボロの姿で、壁際の拘束台に乱雑に括り付けられていた。
昼間は、王国の情報の取り調べ。
それが終われば、ストレスを貯めた下級兵たちによる私刑が行われた。
両手両足の爪は剥がされ、体中にはどす黒い殴打の後がいくつも残る。
顔は腫れ上がり、美しかった髪はずたずたに切り裂かれていた。
おおよそ無事なところが見つからない有様。
――どうして、こんなことになったのだろう
フローラは苦痛に喘ぎながら、涙を流す。
王子の婚約者の地位を手にして、全て上手く進んでいたはずだったのに。
気が付けば敵地で、死ぬより酷い目に遭わされている。
「ごめんなさい、ごめんなさい――」
苦痛から逃れたい一新で、フローラはうわ言のように謝罪の言葉を述べる。
決して聞き入れられない謝罪は、ただ宙に消えていく。
気絶すれば、回復薬で強制的に覚醒させられる。
普通なら数日で衰弱死している環境だったが、決して死なせるなという命令で、彼女には死すら許されない。
――死すら生ぬるい生き地獄が、フローラを襲っていた。
***
そんな中、アリシアがフローラの元を訪れる日があった。
アリシアの歓迎パーティが開かれる直前だっただろうか。
ぐったり力なく項垂れていたフローラであったが、
――なんで、おまえは幸せに生きてるの……!
――私が、こんな目に遭ってるのに!
その姿を見て、フローラは僅かばかり残っていた闘志を燃やす。
「何? 私を嘲笑いに来たの?」
フローラは、嘲笑するような笑みを浮かべて見せる。
この女には、絶対に立場を分からせてやる。
そう思っていたからだ。
アリシアが、表情を凍らせて固まった。
その姿を見て、フローラは愉悦の笑みを浮かべる。
この状態でもアリシアの心を抉るため、フローラは言葉を重ねていく。
「可哀想に」
おまえは、私に罵倒される存在でしかない。
それはこの状態になってすら変わらない。
「こんなことをしても、あなたが失った物は何も戻ってこないのにね?」
――効果は、覿面だった
「何を……!」
「あなたのようなノロマはね!」
どうかこの言葉が、一生の楔となりますように。
フローラは、アリシアに罵声を浴びせていた。
せめてもの抵抗。
「王国相手に無様な戦いを繰り広げて、最期は誰にも看取られず、孤独に死んで行くのよ~。可哀想な可哀想なアリシアちゃん!」
次の瞬間、アリシアは怒りに身を任せていた。
それはフローラの思惑通り。
アリシアを思い通りに動かしたことに、フローラは内心でほくそ笑む。
「あなたのせいなのに! なんで、なんで……!」
アリシアは、全力でフローラを殴りつけた。
殺さぬように、という魔王の言いつけも忘れて――我を忘れたように何度も何度も。
血しぶきが舞った。
体そのものを破壊しようかという激しい殴打。
鼻の骨は折れ、多くの男を誘惑した美しさも、今では見る影もない。
それでもフローラは声すらあげず、薄ら笑いを崩さない。
その態度こそが武器。この空間を今支配しているのは、自分だという自負があったからだ。
結局、フローラは一度の悲鳴すらあげることなく、意識を失っていった。
異様な雰囲気の地下牢で、ただ何かを殴り続ける音が響き続ける。
幸運なことに……、フローラにとっては不幸なことに、フローラは一命をとりとめた。
「これはアリシアのためにならないよ」
返り血に濡れたアリシアを見て。
止めに入った魔王が、言いづらそうにアリシアに口にした。
アリシアの心を守るため。
魔王は、フローラとアリシアを遠ざけることにしたのだ。
***
――グラン商会の壊滅を見届けた後。
私――アリシアは、魔王さんに許可をもらい、フローラの元を訪問することにした。
ちょうど最初にフローラの元を訪れてから、1ヶ月過ぎたあたりだろうか。
ちょっとした心境の変化があったからだ。
ユーリのように懸命に生きる人を見た。
魔王城で、徐々に大切な物も生まれつつ有る。
生き返ってから触れた様々なものは、私にとって驚きの連続だった。
それと比べて、フローラはあまりにつまらない人間だ。
他人の足を引っ張ることだけを考え、ただ呪詛の言葉を吐く。
ただ傷つけようとする言葉――そんな空っぽな言葉など、聞く価値もない。
そう思ったのだ。
許せないものは、いくらでもある。
殺したいほどに憎い物も存在する。
だけど、少しだけそれ以外のことも考えて良いかもしれない――それは明確な変化だった。
私にとって、地獄の象徴、憎しみの象徴。
あの時は、フローラに良いように心を乱されてしまったけど、今なら――
――――――
――――
――
そうして訪れた私を迎えたのは、地下牢の惨状だった。
フローラは、魔力を搾り取るための器具に拘束されていた。
その周囲を数人の魔族が取り囲み、思い思いにフローラを攻め立てていた。
悲鳴をあげるフローラを見て、看守たちは仄暗い笑みを浮かべている。
何度も、死の淵をさまよっていたのだろう。
空になった回復薬が、部屋の中には散乱していた。
――王国での私の扱いすら、あそこまで酷かったかどうか。
……嫌なことを思い出してしまった。
「少し、二人きりにさせて貰えますか?」
「あ、アリシア様……」
フローラをいたぶっていた者たちが、私に道を譲る。
異様な熱気が醒め、気まずそうな顔をする者もいた。
別に彼らを悪く言うつもりはない。
フローラがこのような目に遭わされているのは、まさに自業自得。
むしろ少し前の私なら、率先して加わっていただろう。
「久しぶり。生きてる?」
「ぁ……」
私の呼びかけにも答えず、弱々しく身じろぎするフローラ。
死なせるなという厳命が出ていたのは、フローラにとって不幸でしか無かっただろう。
死んだ方が楽な地獄というものを、私は知っている。
フローラを襲っているものが、そのレベルの悪夢だろうということも想像が付く。
何をしても構わないという共通認識は、人をより残酷にする。
相手が苦しむ姿を見て溜飲を下げるようになるし、自らが正義だと思えば罪悪感の抱きようもない。日々の鬱憤晴らしに、日常の娯楽――行為はどこまででもエスカレートするし、誰しもが残酷な一面を併せ持っているのだ。
ぱちりとフローラの目が、私を捉えた。
「哀れね、フローラ」
「……ッ! 久しぶりね~、アリシア。また来てくれるなんて嬉しいわ~!」
弱々しく呻いていたフローラだったが、私の姿を見てにわかに目に光を取り戻す。
「下らない。心にもない事を」
「それで~? 私を、殺そうとでも言うのかしら~?」
お前さえ居なければ、と憎しみの感情を未だに叩きつけてくる。
ここまで行くと、いっそ感心するレベルの執念だ。
「何をしても無駄よ~? あなたは、最期には惨ったらしく死ぬ。あなたの命には、何の意味もないのよ?」
――どうしてこんな言葉に、心を揺らされていたのだろう。
そんな言葉でしか自身を保てない姿に、哀れみすら覚えた。
今日は、その心を完膚なきまでに叩き折る。
「あはっ、そんなに死にたいの?」
フローラの言葉は、まるで私の心を揺らがさない。
「でも、まだ死ぬには早いんじゃない?」
――その一言で、微かにフローラの目に怯えが覗く。
狙いはとっくに分かっている。
フローラは、私を逆上させて、今度こそ命を奪わせるつもりなのだ。
唯一、一矢報いる方法。
ただ私が落ちついて"お話"すれば、フローラは勝手に絶望していく。
そうだ。
こんな情報もありましたね。
「フローラ。あなた、王国で魔女扱いされてるわよ?」
「え……?」
「私とおんなじ。シュテイン王子は、あなたのことを切ったのよ」
更に現実を突きつける。
助けはこないし、地位も名誉も得たものは何もない。
あなたは特別な存在ではない。
私と同じで、要らなくなれば切られる程度の人間。
シュテイン王子のために加担して、私を嵌めて処刑に追い込んだ末路がこれ。
味方からは切り捨てられて、敵地に囚われ地獄の日々を過ごすのみ。
これまでの生き様が返ってきた結果がそれだ。
――困惑。怒り。嘆き。悲しみ。
表情を取り繕うことすらできず、フローラは静かに嗚咽の声を漏らす。
取り返しの付かない事態。
心はぽっきりと折れ、強がる余裕すら失ったのだろう。
最期には虚ろな目で、私をぼんやり見返してくるのみ。
――ざまぁみろ、と思った。
私は鎌を取り出した。
これで、ようやく1つの復讐が終わる。
数多の血を吸った凶器をピタッとフローラの首に当てて、
「面白くないわね」
そんな安堵に満ちた顔をしないで欲しい。
これでは私が救いをもたらすようではないか。
このままここに置き去りにしてやろうか。
ときどき鑑賞に来るのも良いかもしれない。
そんなことも思ったけれど、ふと、それでは面白くないと思ったのだ。
これ以上、嬉々として一方的な暴行を加える魔族を見たくなかった。
王国で私をいたぶった騎士たちと、同じ顔をしているように見えたのだ。
それに私の知らないところで地獄を味わったと言われても、ちっとも溜飲が下がらない。
「あはっ、そんなに死にたいの?」
ついに感情が決壊したように。
「……お願い、もう殺して――」
フローラは、ただ哀れに自身の死を乞う。
――死にたがっているなら殺すのは無しね。
一方、私は冷静に思考する。
ただ、ここに置き去りにするのも無しだ。
そうなったなら――
「そうね……。なら私に忠誠を誓って下さいな。従属紋を刻んで――死ぬまでこき使ってやるわ」
見下していた相手に絶対の服従を誓う。
フローラにとって、これは死よりも屈辱的な提案だろう。
「じょ、冗談じゃ……!」
「ならここに残る?」
「……」
従属紋を刻むためには、双方の合意が必要となる。
見下していた相手に命令を強制的に聞かされる気持ちはどうだ。
ギリッと唇を噛み、フローラは私を涙目で睨みつけてきた。
それでも私の誘いを跳ね除けることは出来ない。
「私は一向に構わないですよ?」
ここで終わらせてなんてやらない。
その顔が見れただけでも、今、とどめを刺さないで良かったと思った。
「……誓うわ」
「アリシア様、でしょう?」
私はフローラに従属紋を刻んでいく。
術式は既に理解していた。
術者の生命に、決して危害を加えないこと。
術者の命令に絶対に服従すること。
魔族に決して害を与えないこと――念入りに行動を縛っておく必要があった。
「そうですね。ヴァイス王国との戦いに加わってもらうのは当然として――」
「じょ、冗談じゃ!」
真っ青になるフローラだったが、従属紋を刻むというのはそういうことだ。
国への裏切りだって、同族殺しだって、なんだって命じることが出来る。死ぬまで駒として扱うこと――それが今のフローラへの復讐だ。
今になって、何を気にしているのか。
「フローラ、あなただって、今や王国に裏切られたんですよ。そんな国に忠誠を誓う意味が、どこにあるんですか?」
「あ……」
まあ、フローラの心なんて知ったことではないのだけど。
フローラの口から王国への愛なんて語られようものなら――手が滑って殺してしまいかねない。
「助かったなんて思わないことね。私は絶対にあなたを許さない。地下牢に居た方がマシだったと思う日々を送らせてやるわ」
「はい。……アリシア、様」
私はフローラに治癒魔法をかけると、自らの部屋に向かって歩き出す。
光魔法の使い手は、実のところ貴重である。
精々、死ぬまでこき使ってやるとしよう。
1つの復讐の末路。
次話は【IF】を投降します。
そちらはアリシアがフローラへの復讐のみを考える鬼と化し、徹底的にフローラにやられたことをやり返す――そんなお話です。





