至高の復讐
眼前には憎き怨敵が居た。
今度こそ怯えたように、悲鳴を上げるフローラ。
私たちの間を妨げる物は、もう何も無い。
殺意に満ちた私の視線を受けて、フローラは怯えたように後ずさった。
万事休す。もはや戦況を覆すための手もないのだろう。
「ごめんなさい。どうか許してちょうだい」
躊躇なくフローラは、その場に土下座した。
聖女の衣が汚れるのも厭わず、その場で無様に跪いた。
平民だと、格下だとあざ笑っていた相手に──情けなく命乞いしているのだ。
この女にとって、何より大切なのは命だ。
助かるためなら頭を下げる程度はお手のものである。
「そう言った私に、あなたは何をした?」
「どうか、命だけは──」
一歩一歩、歩みを進める。
涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、フローラは頭を地面にこすりつけていた。
──もちろん、聞き入れるつもりはない。
彼女は、私の人生をすべて破壊した張本人だ。
この時のために、私は魔王軍に下ったのだ。
私は、漆黒の鎌を生み出した。
ひとおもいに振るおうとして、
「アリシア、そこまでだ」
振るおうとした鎌は、しかし魔王によって止められていた。
──どうして止めるのだろう?
私が復讐のために生きていることを、魔王は最初から知ってるはずなのに。
「どういうつもりですか? 私は、この時のために──」
「そいつを憎いと思うのは、何も君だけじゃないってことさ。そいつのことは、生け捕りにする。それから──」
──蹂躙して、徹底的に苦痛を与えて、この世の地獄を見せる
──殺して欲しいと懇願しても、それを無視して、この世のありとあらゆる苦痛を与える
──その精神が壊れるまでね
「それこそが、至高の復讐なんだろう?」
どこかで聞いたような言葉を吐く魔王。
それは私が生き返った日に、死にたくないがために口走った言葉だった。
──ああ、たしかに殺すのでは生ぬるい。
魔王の言葉が、すんなりと心の中に入ってきてしまう。
やはり私の心は、あの処刑の日に、どこかが壊れてしまったのだろう。
少なくとも、リリアナにかけられた従属紋は解除させないと。
殺すのは全てが終わってからでも良いか。
「魔王さん、フローラに引導を渡すのは私ですからね?」
「そうだね、君にはその権利があると思うよ」
「あはっ、なら良いです。すべてはあなたの判断のままに──」
「ありがとう、アリシア」
魔王は、とろけるような笑みでそう言うと、
「……まともな死に方が出来ると思わないことだね」
ゾッとするような視線を、フローラに向けた。
殺意とも敵意とも違う、それは強いて言うなら純粋な憎悪。今は味方のはずなのに、近くにいる私も思わず竦んでしまう凄惨な笑みだった。
対象となったフローラに至っては、怒気に当てられただけで失神していた。
***
そうしてミスト砦の防衛戦は、幕を閉じた。
近衛を皆殺しにし、敵将であるフローラを捕縛。王国騎士団は、撤退を余儀なくされたのだ。
王国騎士団の損害は、甚大であった。
撤退戦でも魔王軍幹部たちに、良いように翻弄されたのである。
更には散り散りになっていた王国騎士団は、頼みの綱の聖女が捕らわれたことを知り、あっさり逃走を決定する。その様子を見て、魔王軍は一転攻勢に転じた。
物資すら置き去りに遁走する王国騎士団は、結局、執拗な追撃を受け、その兵力を半数近く失ったと言う。
それと比べて、魔王軍の損耗は至って軽微。
──まさしく大勝という戦果であった。
***
個人的に嬉しかったこともある。
元・特務隊の仲間と再会できたことだ。
なんと王国軍の本陣には、リリアナだけでなく何人ものメンバーが捕らわれていたのだ。リリアナと同じく、フローラの奴隷としてこき使われていたらしい。
私が魔族として生き返ってたということを知り、彼らは涙を浮かべて喜んでくれた。
魔王軍は、元・特務隊のメンバーを保護することに決めた。
このまま放り出す訳にもいかないけど、魔王軍の手を煩わせるわけには……と葛藤していた私を見て、魔王がしれっと提案してくれたのだ。
──どうして、ここまで良くしてくれるのだろう?
魔王の考えは、相変わらず読めない。
それでも他に手もない私は、ありがたく魔王の提案に乗っからせて貰うのだった。
◆◇◆◇◆
場所を移して魔王城。
実にミスト砦の防衛戦から、3日ほど経過していた。
聖女・フローラは、魔王城の地下に捕らわれることになった。
──その日以降、魔王城の地下では悲鳴が止むことはなかったという。
魔王は直々に、それはもう丁重な"取り調べ"をフローラに行った。
王国軍の情報を集めるため。
忌々しい聖女のちからを調べるため。
一切の休息を与えられず、フローラは情け容赦の無い拷問に晒された。
──とっくの昔に、フローラの心は折れていた。
蝶よ花よと育てられた彼女は、そもそも誰かの害意に晒されたことがない。
うわ言のように、都合よく助けてくれる者の存在を願い。
やがてはどうにもならない現実を前に、絶望していった。
取り調べの内容は、フローラの知り得ないことにまで及んだ。
知らないと泣き叫んでも。
助けを求めても、救いを求めても。
魔王は一切の情けを見せず、フローラを延々と攻め立てた。
──別に魔王は、特に答えを期待していた訳ではない。
ただ永遠の地獄を味わわせたいとは思っていた。
これは生まれて初めて尊敬した少女を陥れ、辱めた女に対して行う個人的な復讐に過ぎないのだから。
***
フローラの心を完膚なきまでに叩き折り、魔王はとある目的のために動き出した。
魔王自身も、こんなことは自己満足だと分かっている。だとしても、どうしてもこのまま放っておけなかったことがある。
──魔王の頭の中には、アリシアの姿があった。
誰よりも清らかで"聖女"として輝いていた少女。
目の前の女の策略で、無残にも汚されてしまった少女。
彼女が裏切り者として、魔女として歴史に名を残すことが許せなかった。
「フローラ、こんど君に協力して欲しいことがあるんだ──」
「何でもします、だから今日は許してください。お願いします、お願いしますっ!」
地獄から逃れるため、フローラは必死だった。
「良い返事だね。すべての真実を明らかにして貰うよ」
「お安いご用です!」
フローラは、媚びた笑みを浮かべた。
それからペラペラと、自らの関わってきた悪事について喋る。
アリシアを嵌めて処刑に追い込んだことも、すべてシュテイン王子の企みであったことも──洗いざらいぶちまける。
魔王はその証言を記録の魔法陣に記録し、昏い笑みを浮かべた。
「ああ。それから──」
「何なりとお申し付け下さい」
「そう? じゃあさ、僕の部下の研究員が、一般的な聖女の支援魔法は、どの程度の効果なのか知りたがっててさ。ちょっと付き合ってよ」
にこやかに魔王は微笑む。
笑みを浮かべたまま硬直するフローラ。
──その凄惨な笑みは、フローラを絶望の淵に叩き落とすには十分なものだった。