望まざる再会
「あなたは──アリシア!」
「あはっ。さすがは"聖女様"ね。この姿になっても分かるなんて」
あはは、っと私は笑いかける。
私が纏うのは、聖女のドレスとは似ても似つかぬ漆黒のドレスだ。
巨大な鎌を振るって戦場を駆け巡り、近衛を虐殺した私と"聖女"を、よくぞ結び付けられたものだ。
「なんで、なんで生きてるのよ……!」
フローラが、癇癪を起こしたように喚き散らした。
「この愚図! あなたごときが私に楯突いて、ただで済むと思ってるの? そこをどきなさい。それとも、また地下牢での暮らしを味わいたいの?」
「──フローラっ!」
フローラは、私を見て嘲るような笑みを浮かべた。
先ほどまでの怯えが嘘のようだった。フローラにとって、私は格下の存在なのだろう。彼女にとって、私は気まぐれに痛めつけ反応を楽しむだけの玩具なのだ。
──とっくに立場は、入れ替わっているというのに
私は、冷めた目でフローラを見つめ返す。
「また痛い目を見ないと分からないのかしら。雷の加護よ──『サンダー・ブレード!』」
フローラは、自信満々に魔法を放った。
彼女が放ったのは、彼女が得意とする雷の剣を放つ雷魔法だ。散々、地下牢でも見せつけられた魔法だ。犯罪紋で魔法を封じられた以前の私は、無様に泣き叫ぶしか出来なかったが……
──あの程度の魔法は、防ぐまでもない。
冷静に判断する。
あの時とは、状況が違うのだ。
今の私には、数々の支援魔法が重ねがけしてある。
フローラの放った魔法は、凄まじい勢いで私の元に飛来した。
しかし私に触れただけで、あっさりとかき消されてしまう。
「は? あんた、何したのよ?!」
「聖女様、それで終わり? 次は、私から行くね」
感情を殺し、淡々と私は言う。
そこで初めて、フローラは恐怖をのぞかせた。自慢の攻撃魔法が、まったく通用しなかったのだ。埋めようのない圧倒的実力差。
怯えたように後ずさり、フローラは脇目も振らずそのまま逃げようとした。その判断の早さは、称賛に値するけれど……。
「逃がすと思う?」
一瞬でフローラとの距離を詰め、その横腹に蹴りを入れた。
それだけで面白いようにフローラは、吹き飛ばされる。苦しそうに呻くフローラの髪を掴み、私は彼女を起き上がらせた。
げほっ、ごほっとフローラは苦しそうに咳き込んだ。
「まさか、王国を裏切るって言うの──! この魔女め……!」
「あはっ。だって、それが望みだったんでしょう?」
可笑しい。
こうなるように仕向けたのは、すべてあなたなのに。
──それが、あなたたちの望みだったのでしょう?
地下牢での地獄を。
公開処刑の景色を。
今も忘れられず、夢に見ることもあった。
あの日々の痛みだけは、忘れない。
私は、この瞬間のためだけに日々を生きてきたのだ。
この胸に宿った炎は、復讐を果たすまで決して消えることはない。
「奴隷! すぐに来て、私を守りなさい……!」
往生際悪く、フローラが何かを叫んだ。
声に応えるように、誰かがフローラの傍に駆けつけてきた。
──立ちふさがる者が増えるなら、そいつごと斬る
私は、黙って鎌を構えて、
「リリアナ……?」
「アリシア様──!」
思わず驚愕の声を上げてしまった。
まるでフローラを守るように立ちはだかり、死んだような目で私に杖を向けてくる少女は──かつて最も親しかった副官の少女・リリアナだったのだから。
***
「奴隷! その魔女を殺しなさい!」
フローラが、そう叫んだ。
その声に呼応するように、リリアナが魔法を詠唱する。
炎の魔力が、彼女の中で高まっていく。やがて火炎弾の魔法が完成し、私に向かって射出された。
『ファイアボール!』
『レジストシールド!』
私は咄嗟に光の盾を生み出し、リリアナの魔法を防ぐ。
防ぐこと自体は容易だったが、それよりも衝撃が大きすぎた。
魔法を詠唱しながら、リリアナは涙を流していた。
フローラによる命令。逆らえないリリアナ──何が起きているのかは、想像が付いた。
「フローラっ! あなたって人は──!」
「感謝して欲しいぐらいね~。わざわざ聖女の世話係に、任命して上げたんだから~」
くすくす、と楽しそうにフローラが笑う。
「あなたって人は、どこまで人の心を弄んで──!」
「やっぱり、かつての仲間は斬れない? 魔女に身を落としても、変なところで律儀なのね~」
リリアナは酷い有様だった。
まともな衣装すら与えられず、衣装の切れ目からは生なましい傷が覗いていた。
フローラは、リリアナのことを「奴隷」と呼んだ。彼女が、どんな目に遭わされてきたのか、想像するのは容易だった。
……私の失脚に、リリアナを巻き込んでしまったのだ。
「アリシア様、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい──私のことは憎き王国兵だと思って、斬り殺して下さい」
リリアナが涙ながらに訴えた。
従属紋による命令には逆らえないのだ。
涙を流しながら、リリアナは、私を殺すための魔法を詠唱する。
その景色を、楽しい見世物でも見るように鑑賞するフローラ。
すっかり余裕を取り戻した様子であった。
リリアナは、大切なパートナーだった。
特務隊での日々が蘇る。
困難な任務を終え、笑いあった日々が脳から離れてくれない。
復讐のために必要な一手だとしても、それはどうしても超えられない最後の一線であった。
──私には、リリアナだけは斬ることは出来ない
それでも、まだ手はある。
隙を付いて、先にフローラのことを排除してしまえば……
「うふふ、魔女さんは随分とお優しいのね? ほんとうに全てが中途半端、おかげで助かったわ~。それとも、あなたにはこうして上げた方が良いのかしら──『主人が死んだら、自害なさい!』」
フローラは、狙いを敏感に察知した。
その言葉だけで、事実上リリアナを人質として取ったのだ。
「アリシア様。もう良いんです──どうか私のことは無視して、アリシア様の願いを遂げて下さい」
涙を流しながら、リリアナが杖を構える。
──良いようにやられて、なるものか
──フローラの策など、1つ残らずすべて踏み躙ってやろう
私は、薄く笑った。
今の私は、聖女ではない。
魔族として生まれ変わった魔女だ。
地獄から蘇った私のちからを、今こそ見せてやろう。
「聖なる加護と、深淵なる闇の加護よ────」
詠唱を口ずさむ。
『ロスト・ヘブン!』
光と闇の混成魔法。
私だけが使うことの出来る──固有魔法だ。
──ごめん、リリアナ
──もしかすると、死ぬより辛いかもしれないけど……
──絶対に、助けるから
世界から、色が失われていく。
あたり一面が白く染まっていく。
空には禍々しい赤い月が、寒々しく輝く。
そこには何もない。
これは私の心そのものだ。
フローラが、目を見開いていた。
「魔女め! あなた、何をしたの!?」
「黙って見てなさい。あなた、もう詰んでるのよ」
異様な光景を前に、フローラの瞳には恐怖が覗く。
もちろん今更、許すつもりはない。
──始めよう、私の願いを叶えるための戦いを。
まずはフローラの企みを、完膚なきまでに打ち砕く。