2.
クロウの家は市場から一ロキグルード程の距離にある低所得者住宅の一室だった。
この低所得者住宅は築二〇年の木造アパートで、クロウの部屋は四階の端にあった。ここは、低所得者住宅にしては珍しく、各部屋に水道とトイレ、それにコンロが備え付けられていた。(ちなみに洗濯場は共用で、浴室は近くに公衆浴場がある為、設置されていなかった)
軋む階段を登って四階へと上がっていき、住んでいる部屋の前まで来ると買ってきた食料品を抱き抱えながら手探りでポケットから鍵を取り出した。
鍵を回して中に入ると、買ってきた食料品を台所に置いて奥にある居間に向かい、着ていた薄手のカーキ色のコートをハンガーに掛けた。
台所に戻ると棚から鍋を取り出し、水道の蛇口を捻って中に水を注ぐと鍋をコンロの上に置いて、火を付けた。
クロウは、テーブルの上に置いてあった野菜を取ると、包み紙を剥がして水で軽く洗い始めた。ある程度洗うと壁からまな板を、流し台下の棚から包丁を取り出して野菜を食べやすい適当な大きさに切り始めた。
ある程度、切り終えると沸騰した鍋の中に切った野菜と干し肉、それに棚から取り出した固形スープを入れて軽くかき混ぜた後、そのまま煮込んだ。
まな板と包丁を拭いてから紙袋の中からロシェを二つ取り出す。軽く包丁で切り込みを入れ、中に塩漬けの肉と棚から取り出したチーズを挟むとアーヴェルロステス(オーブントースターのような調理機器。電気式)の中に入れ、タイマーをぐるっと回した。
鍋の中をかき混ぜながら竹串で野菜を突き、火の通り具合を確認する。
もう、良いかなと思い火を止めると丁度良いタイミングでアーヴェルロステスのタイマーが鳴った。
ロシェを皿の上に取り出し、鍋の中身をボウルによそう。それらをテーブルの上に置き、椅子に座ろうとしたところでドアブザーが鳴った。
「ったく、誰だよ?」クロウは玄関へと向かい覗き穴から外の様子を伺った。外には青く塗られた鎧を着た無精髭の目立つ金髪の男が立っていた。彼の名前はルーク。青獅子の異名を持つ冒険者で、クロウの師匠でもあった。「げッ…。何でいるんだよ」クロウはゆっくりと音を立てないように後退りをした。
「おおい、クロウッ」ルークはそう言いながらドアブザーを鳴らしたり、ドアを叩いたりした。「わざわざ師匠が会いに来てやったんだ、居留守使ってんじゃねえよ。さっさと開けねえとこのドア、ぶっ壊しちまうぞ」
「マジかよッ…」
クロウは慌ててドアを開けた。
「よお、久しぶりだな。クロウ」ルークは豪快に笑いながらそう言うとクロウを押しのけて部屋の中に入ってきた。「邪魔するぜ?」
「あ、お、おいッ」
ズカズカと上がり込むルークの後を追う。
「おー、飯時だったか。丁度いい、俺も腹が減ってたんだよ」
ルークはそう言うと皿の上に置かれたロシェを取り、ひとかじりした。
「おい、それ俺のッ」
「昼飯だってんだろ?そう、カッカッすんなって。後で飯をおごってやるから」
「そんな金あんのかよ?」
「あるよ。心配すんなって。金が入ったからよ。それよりもスープ、よそってくれよ」
「賭博か何かで当てたの?」
クロウはそう言いながら棚からボウルを取り出すとスープをよそった。
「賭博じゃねえよ。仕事の依頼があってよ、その前金だよ」
「はっ?何かの間違いじゃない?賭博好きの変態オヤジに依頼なんてさ」
「変態ってなんだよ。変態って」ルークがそう言うとクロウが彼の前にスープが盛られたボウルを置いた。「ちゃんと俺に依頼があったんだよ。青獅子のルークにって」
「はいはい。師匠って、一応はすごい冒険者だもんね」
「一応はって、なんだよ。一応はって」ルークは不満げな顔でそう言った。「ったく、生意気だぞ?お前。ミリィや他の連中には愛想振りまいてるみたいだけどよ…。あーあ、昔はあんなに可愛かったのによ」
「その可愛かった弟子に手を出したうえ、放っぽり出したのはアンタだろ?あ、そうだ。前金が入ったんだったらさ、この前貸したお金、返してくれよ」
「ダメだ。もう、全部使っちまう予定だからな。お前に払いたくても払えねえよ」
ルークはそう言うとスープを食べ始めた。
「何、また賭博で使うの?当たらないんだからさ、やめたら?」
「ちげえよ。質屋にいる俺の相棒を迎えに行くの」
「相棒って、師匠の愛剣の?」
「そっ」
「なんで、質屋なんかにあるんだよ」
「まあ、色々とあったんだよ。それにアレがなきゃ旅も出来んしな」
「旅に出るんだ」
「おう。ま、どのくらいの期間かは分からないがな」
「大丈夫なの?」
「ハッハッハッ。心配すんなって。まっ、そんな訳で依頼人に会うまで厄介になるからよろしくな」
「は?ちょっと、なに勝手に決めてんの。宿屋に泊まりゃいいじゃん」
「堅いこと言うなって。な?依頼人に会うまで何日掛かるか分かんねえからよ。節約だよ、節約」
「何日も掛かるって…。普通は、待ち合わせの日時とか決めとくハズだろ?」
「仕方がねえだろ。依頼人からの連絡が途切れちまったんだからよ」
「本当に大丈夫なの。その依頼…」
「大丈夫だよ。仮に罠だったとしてもこの俺が負けるわけねえよ」そう言うとルークはボウルに口を付け、中身を一気に口の中に流し込んだ。「メシ食い終わったら付き合え」
「は?なんで」
「いいから。ああ、それと仕事着は着ろよ?ついでにどんだけ腕を上げたか見てやるからよ」
ルークはそう言うと軽く笑った。