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1.

「えー、これだけ?」

 フルビルタス王国の王都ギルスの繁華街にある一軒の酒場。その店内で、冒険者ギルドの仲介人であるミリィから報酬を手渡されたクロウはその少なさに思わず不満の声を上げた。

「あら、それでも多い方なのよ?」

 ミリィはそう言った。彼女は胸元が大胆に開いた服を着ていた。

「でもさ、あんなに狩ったんだよ?二イェンは無いよ。二イェンは。せめて、あと一か二は欲しいって」

順に指を立てながらクロウはそう言った。

(イェンとはフルビルタス王国の通貨の事で、他に少額通貨のギルスと補助通貨のゼンがある。ちなみにイェンは紙幣で、ギルスは銀貨、ゼンは銅貨である)

「じゃ、返してちょうだい。これっぽっちじゃ不満なんでしょ?」

「いいよ。これで…。あーあ、あれだけ魔獣を狩ったのに、二イェンだけなんてさ。これじゃ、チップも買えやしないよ…」

 クロウは財布に紙幣を二枚入れながらそう呟いた。

(チップとは、棒手裏剣のような見た目の飛び道具のことで、本体は鋼鉄製で殺傷能力は極めて高い。購入する場合は、犯罪防止の観点から身分証の提示を求められ、身分証を提示したくない、または持っていない場合は、闇市で買うか自作するしかない)

「あなたの気持ちはわかるけど、不満を持ってるのはみんなも同じ。ほら、最近は規制緩和で冒険者やギルドが乱立してるでしょ?その所為で仕事を貰えない冒険者やギルドが多いの。だから、少ないにしろ仕事を貰えるだけありがたいと思いなさいな」

「うーん、まあ、そりゃそうなんだけどさ…」クロウはそう言うと椅子に座った。「ここん所、仕事が無かったし、しかも師匠にお金を貸しちゃったから金欠気味なんだよ。そんな訳だからさ、なんかさもっと実入りのいい仕事とかないの?」

「あら、ルークに貸したの?ご愁傷様。返って来ないわよ」

「えっ、うそ…」

「嘘じゃないわ。ちなみに仕事だけどね、あなたご指名の仕事が来てたわよ?」

「本当ッ⁉︎」クロウの表情がパッと明るくなる。「もう、あるなら早く教えてよ。で、何すんの。魔獣狩り?それとも護衛?あ、もしかして、犬や猫の世話とか?」

「男娼よ。一晩、二三イェン払うみたい」

「二三イェンッ!二三イェンかぁ…」

 報酬の額を聞いたクロウはそう呟きながら何かを考え始めた。

「あら、まさか受けるつもりなのかしら?」

「受けないよ。受けないけどさ、一晩で二三イェンって、結構、高いなって…

「ルークと同じであなた、見た目は良いから」

「見た目は、って…。それしか良いとこないみたいに言わないでよ」

 クロウは、頰を軽く膨らませながらそう言うと壁に掛けられた鏡に映った自分の顔を見た。

 すっと通った鼻筋。やや高くて小ぶりな鼻。直線的な眉。愛らしさとあどけなさを感じさせる丸くてくりくりとした目と長い睫毛。ぷっくりとした柔らかそうな唇。それらがシャープな輪郭の中にバランスよく収まっていて、自分でいうのもなんだが、たしかに見た目は良い方だった。

 髪をもう少し伸ばして、黙っていれば女にも見えなくはなかった。

「あら、ごめんなさい」ミリィはそう言うとグラスに炭酸水を注いでクロウの前に置いた。「悪かったわ。だから、拗ねないで、ね。そうそう、この依頼だけど断っておいたわよ」

「なんで?」

「なんでって。ウチは売春宿じゃないのよ。それに金額が高すぎるし。平均賃金の三か月分なんて、高級男娼や娼婦でもこんなにしないわ。まっ、人懐っこい性格だし、冒険者としての腕も確かだから、ただの男娼を買うよりは楽しめるとは思うけど…」

「楽しめるって?」

クロウは首を傾げながらそう言った。

「色々よ」

「色々って?」

「世の中ね、知らない方がいい事もあるの」

「なにそれ…」クロウは、そう呟きながらグラスに口をつけ、炭酸水を飲んだ。「…美味しくない。何これ?」

 グラスを置きながらクロウはそう言った。

「イカマの炭酸泉よ。健康に良いのよ?」

「ねぇ、ここで雇ってよ。ミリィさんの店なんでしょ?」

 クロウは少し甘えたような声でそう言った。

「あと二、三年経ったらね」

「ケチ」

「仕方がないでしょ?未成年は酒場で働けないんだから。そんなに金が欲しいなら、普通に働けばいいじゃない。冒険者なんかよりも安全に稼げるわよ?」

「ダメ。日雇いを何回かやったけど、少ないんだよね。一イェンにもなりゃしない」

「日雇いなんてそんなモンよ。税金なんかも引かれるしね。わたしが言ってるのは普通に、いや、正規って言った方がいいのかしら。まぁ、とにかく、どこかの会社や団体に雇って貰いなさいって事よ」

「でも、面接や試験、苦手だしなぁ…」

「じゃ、わたしが口入れしてあげる。まあ、騎士団やトルテ商事くらいだけどね」

「いいよ」

「あら、遠慮かしら。珍しい」

「違うよ。けど、気持ちだけ、ね?」そう言うとクロウは椅子から立ち上がった。「それじゃ、もう行くよ。また、仕事があったら連絡よろしくね」

「わかったわ。なるべく実入りのいい仕事、回してあげるわ」

「うん。よろしくね。ミリィさん」

 クロウは、そう言うとミリィに軽く手を振り、酒場を出た。


 ドアを開ける。外はからりと晴れていて、突き抜けるような鮮やかな青空には雲一つなかった。

 その下を雑踏を縫うように進んで行く。

 ギルスはフルビルタス王国の首都であると同時に世界経済の中心地でもあった。

 繁華街の近くにある金融地区には国際金融取引所の他に銀行や投資会社などが立ち並んでおり、繁華街には、酒場や水商売、性的な行為を行う店などの他に、金融地区で働く人達やそこに行った人達を当て込んだ飲食店が数多く立ち並んでいた。

 今日は、ファティの日(地球の土曜日に相当する。この日は、一部を除き仕事や学校は休みである)の昼間というのもあってか、平日の昼間よりも人通りは多かった。

 繁華街を抜けると大通りに出た。道は歩行者用とヒズ(乗合いバス。動力は魔素機関。市内の主要な場所を循環しており、ギルスの足として庶民から騎士まで幅広い層に利用されている。ちなみにヒズという名前は、全ての民の為に、という意味のミルカ語から来ている)用の車道があり、大通りの左手の奥にはギルスの陸の玄関口である中央駅が見え、右手の奥には林立する建物の隙間から王城がちょこん、と小さく顔を覗かせていた。駅と王城は、この大通りで一直線につながっていた。

 クロウが歩道に設けられた停車場に並んでしばらく待っていると、左方向から白地に赤と青の幾何学模様が描かれたヒズがやって来た。遅延が発生していたのか、後ろにもう一台がくっつくようにして走っていた。

 扉が開らいて列が動き出す。クロウは、入り口に立つモギリの男にパスールクルチ(ヒズを運行する王立交通局が発行する乗車券。利用限度額に応じて何種類かあり、ヒズの他に電車でも利用可能である)を手渡した。男はパスールクルチに描かれたマス目の一つに千枚通しのような道具で小さな穴を開けてクロウに返した。

 クロウは窓辺の席に座った。そこが彼の定位置だった。モギリの男が乗客がいない事を確認し、扉を閉めようとすると「ちょっと、待ったーッ!」と女性の声が聞こえ、車内に若い女が飛び乗ってきた。

 年齢はわからなかったが、クロウよりは年上のように見え、身長も高かった。肩の辺りまで伸ばした髪は絹の様に艶やかで、やや黄色がかった銀色をしていた。肌は磁器のように白く、瞳は宝石のように美しい青色をしていた。

 彼女はスカート部分がふわりと膨らんだ茶系統の地味な色合いのワンピースを着ていて、肩からは生成色のバッグを提げていた。

「はぁ、なんとか撒けた…」

女はバッグを大事そうに抱き抱えるとクロウの隣の席にどかっと腰を下ろした。

「え、ちょっと…」

クロウは少し戸惑いながらそう言った。

「何よ、悪い?」

 女がそう言うと扉が閉まり、ヒズがゆっくりと動き出した。

「別にアンタの指定席ってわけじゃないでしょ?」

「そりゃそうだけどさぁ…」

「なら、いいじゃない」

 女はそう言った。


 ヒズは、ギルスの大通りを中心部に向かってゆっくりと走っていた。

 道の左側にはドーム型の屋根を持つギルス市役所が、その向かい、道の右側には堀で囲まれた石垣と門が見えた。門の奥には王城や官庁街があり、門の手前の橋の上には二人の衛兵が暇そうにしながら立っているのが見えた。

「わー。すごい、すごい」

 女は子供のように無邪気にはしゃぎながら身を乗り出して窓の外を眺めた。

「ねぇ、ちょっと…。お姉さん」女と窓との間に挟まれる形になってしまったクロウは迷惑そうに言った。しかし、その声は女に届いていないようだった。「ねえってばっ!」クロウは少し大きな声でそう言った。

「何よ?」

 女は気づいたのか、クロウの方に顔を向けた。まるで、楽しい事を止められた子供のように不満げな顔だった。

「外見たいなら、席、代わろっか?」

「いいの?」

「一旦、止まったらだけどね」

 その後、ヒズが一旦止まるとクロウは女と席を入れ替わった。

「ありがと、アンタ優しいわね」

 そう言うと女は再び窓の外に目を向けた。

『次は中央市場、中央市場…』

 運転手のしわがれた声が次の停車場所を告げる。それと同時にクロウは壁に取り付けられた降車と書かれた小さな切替機を押した。単調な鈴の音が車内に響いた。

「な、何?」

「何って、次、降りますって合図を運転手に送っただけだけど?」

 クロウはそう言うと先程押した切替機を指差した。

「ふーん。こっちじゃこういうのを使うんだ」

 女は興味深そうに切替機を見ながらそう言った。

「そんなに珍しい物じゃないと思うけど?」

「ううん、珍しい。初めて見た。私の住んでる所、田舎だからさ」

 女がそう言うと同時にヒズが停まった。

「じゃ、そろそろ行くから。じゃあね。お姉さん」

 クロウはそう言って立ち上がると前まで歩いて行き、運転手にパスールクルチを手渡した。

 運転手は運賃分のマス目に穴を開けると裏面に日付の入ったポンス(スタンプ)を押してクロウに返した。

 クロウが運転手からパスールクルチを受け取ろうとすると後ろから先程の女が割り込んできて、そのまま降車口から外に出ていった。

「あッ!コラッ。待てッ!」

 運転手の静止も聞かず、女は慌てた様子で一目散に走って行った。少し、遅れてその後を男達が追っていくのが見えた。

「ったく、無賃乗車に出くわしちまうとはツイてねえや…」運転手はため息混じりにそう言うとクロウの方を見た。「ほら、アンタも早く降りた降りた」

「わわっ…」クロウは、運転手に追い立てられる様にヒズから降りた。「ちぇっ、なんだよ…」

 クロウは舌打ちすると停車場のすぐ目の前にある中央市場の南口へと向かって歩いていった。


 中央市場はギルス中心部と港とを繋ぐ川の近くに位置している。

 ここは、ギルスの台所ともいわれており、海や陸路を通して運ばれた国内外の様々な食材が売られていた。

 中央市場は、クロウもよく利用しており、馴染みの店もいくつかあった。市場の入り口近くにあるグラハムというパン屋もその中の一軒だった。

「いらっしゃっい」

 店に入るとカウンターの奥にいたガタイの良い店主がにこやかな笑みを浮かべながらそう言った。

 クロウは手に持ったトングで、四〇ゲランのロシェという硬いパン二つと一五ゲランのバシューという甘いパン一つをトレーに乗せるとカウンターへと向かった。

「いつもありがとな。綺麗な顔の兄ちゃん」店主はそう言いながら手慣れた手つきでパンを紙袋の中に入れた。「じゃ、全部で三〇ギルス三ゼンね」

 クロウは一イェンを手渡し、釣り銭と紙袋を受け取ると店を出た。

 パン屋を後にしたクロウは、バシューを食べながら市場の南側に向かって歩いて行った。

 市場の南側には、肉や魚、それに惣菜を扱う店が数多く集まっていた。

 市場の南側にやってくるとクロウは入ってすぐの所にあるマルトゥス精肉店に入った。

「いらっしゃい」

 店の前まで来ると禿頭の厳つい顔の店主が軽い笑みを浮かべながらそう言った。

 ショーケースの中には、惣菜や腸詰め、生肉が並んでいて、その上に塩漬けにされた肉と干し肉が吊るされていた。

「これを一〇〇ゲラン。それから、干し肉を一〇〇ゲラン頂戴」

 クロウが吊るされた肉を指差しながらそう言うと店主は「あいよ」と威勢よく返事をすると、手慣れた手つきで塩漬けの肉を削いでいった。ナイフで薄く削がれた肉は、次々と秤に乗せられていった。

 規定の重さに達すると店主は肉を手際良く油紙で包み、干し肉と一緒に紙袋の中に入れた。

「じゃ、全部で七二ギルスと四ゼンだけど…、四ゼンはおまけしとくから、七四ギルスね」

「ありがと。金欠だから助かるよ」

 クロウは店主に代金を手渡して紙袋を受け取ると、肉屋から出て、今度は市場の東側に向かっていった。

 市場の東側には、青果や花を扱う店が集まっていて、その真ん中あたりにあるワサカク青果店が、クロウの行きつけだった。

「いらっしゃい。あらぁ、クロウちゃんじゃない」

 店に入るとふくよかな体型の妙齢の女性が声を掛けてきた。

「ここ何日か見かけなかったけど、旅行だったのかい?」

「ううん、仕事だよ。マルズ村の近くで魔獣退治をちょっと、ね?」

「偉いねえ。まだ、若いってのにさ」

 女性はそう言うとうんうんと頷いた。

「そ、そうかな?」クロウはそう言うとへへっと笑った。「えっと、人参と大根を一本づつ」

 店先に置かれた野菜を指差しながらそう言うと女性は「あいよ」と威勢の良い返事をして、野菜を紙で包んだ。

「じゃ、全部で三四ギルス六ゼンね」

 クロウは一イェンを手渡すと釣り銭と野菜を受け取り、家路についた。

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