1.
先程まで青黒い空に輝いていた月は、いつの間にか風で流れてきた鉛色の雲に覆い隠されていた。
辺りは深い闇に包まれ始めようとしていたが、それを振り払うかの様に眼下の街は煌々と輝き、客寄せの威勢の良い掛け声や酔っ払いの笑い声、それに店から聞こえる雑音が響いていた。
しかし、そこから一歩、二歩と離れてた路地裏は、表の喧騒とは打って変わって、静寂と闇が支配する世界で、辺りには暗闇の中から何か得体の知れないモノがぬうっと、出て来そうな不気味な気配が漂っていた。
その中を茶色い地味な服を着た銀髪の少女が息を切らせながら走っていた。
白い肌、通った鼻筋。やや高くて小ぶりな鼻。形の整った眉。何処か冷たさを持った切れ長の目。瞳は蒼く、それらがシャープな輪郭の中にバランスよく収まっていた。
なんで、私がこんな目に。暗く狭い路地を走りながら彼女は、そう思った。
後ろを振り向くと背の低い厳つい男の姿があった。
「しっつこいな…。わっ、とっと…」
ゴミ箱にぶつかり、転びそうになる。ガタン、という乾いた音が辺りに響いた。
ごろんごろん、と転がるゴミ箱を避けながら必死に走るが、男との距離はなかなか狭まらなかった。
曲がり角を曲がると背の高い男が道を塞ぐように立っていた。
「さあ、観念しな」
背の高い男はそう言った。
引き返そうとすると最初に少女を追い回していた背の低い厳つい男がやって来た。
「へっへっ、もう逃さねえぜ?」
男は不気味に笑いながらそう言った。
少女は男達を睨みながらゆっくりと後退る。と、背の高い紳士風の男が二人の男達の後ろから現れた。
「お嬢さん。おとなしく、それをこちらに渡していただこう。素直に渡せば命まで取りはしない。さあっ」
紳士風の男は少女の前までやって来ると手を差し出しながらそう言った。
「とか言って、本当は殺すつもりなんでしょ?お父さんみたいに」
「てめっ…」
「親子揃って強情とは、な」
紳士風の男はそう言うと小さな声で笑った。
「やっぱり、お父さんを…」
「ふん。私はこう見えて紳士でね。御父上は、君に危害を加えると言ったら素直に写本を渡してくれたよ」
「何処が紳士よッ!」
少女はそう言うと紳士風の男の顔に唾を吐きかけた。
「うわっ!あ、あ…」
紳士風の男が蹌踉めく。その拍子にバランスを崩し、後ろにいた二人の男達の上に倒れ込んだ。
「あ、兄貴。ちょ、ちょっとっ!」
「うわっ!」
土埃を上げながら三人が倒れる。その隙をついて少女は、そのまま路地の向こうへと駆けていった。
「追えッ!逃すなーッ」
紳士風の男の声が路地裏に響いた。