勇者編1 雫の想い
食事が終わった雫達は勇の部屋に集まっていた。内役は佐藤 勇、柏崎 武、木下 咲耶、源 雫。
部屋の広さは大体一五畳程で、物などは必要最低限の物しかない。ベット、机そして椅子が2つあるといったもの。他にもまだ小物なとがあるみたいだけど割合させてもらう。
勇と武はベットに座り、向かいに咲耶と雫が椅子に座り雑談をしていた。
「どうしたの勇? 元気がないみたいだけど……」
咲耶が言った通り、今の勇は少し元気が無いような顔付きをしている。
「確かにあんま喋ってないみたいだけど大丈夫?」
「うん。……ちょっと桐ヶ谷君の事を考えていたんだ」
桐ヶ谷君の事? 勇と桐ヶ谷君って仲よかったっけ?
食事の時に桐ヶ谷君を誘おうとしていたし、二人ってどんな関係なんだろう?
まぁ、私には関係のない事なんだろうけど。
(そういえば私は彼に恩返しが出来たのだろうか?)
そう思う私の頭の中に影のかがった人影が映る。
今の彼程大きくなく、触れてしまえば崩れさってしまいそうな儚き影。だが芯が通っていた。意志が感じられた。揺れも無くただそこにくっきりと映し出された影。
昔の私はあの影に救われた。でも彼はその事を知らない。
私は彼のことが……。
雫が過去の思考に沈みこもうとしていた時、武が勇に質問をしたことで現実に戻された。
「桐ヶ谷か。てか、なんで勇は桐ヶ谷の奴を誘おうと思ったんだ?」
「ん? 武は桐ヶ谷君を誘うのは反対なの?」
「いや。別にそいう意味ではないんだが……。でも、ぶっちゃけあいつのステータスは低すぎて俺達に付いてこれないと思うんだよな。これは憐れみとかじゃ無く事実だ」
武の質問は私も気になっていた事だ。確かに桐ケ谷君のステータスは私達に比べて低い。それなのに勇は桐ケ谷君を誘った。
何で桐ケ谷君を誘ったのかは分からないけど、あの時の勇はいつもと何かが違っているように感じた。
「そうだけど……。でも武も分かってるだろ? あの桐ヶ谷君がこのまま終わることは無いって」
「……まぁな。分かってるけど。でもそこに俺達がいるとは限らないぜ? そろそろ桐ヶ谷の奴は自分一人でなんとかするタイプだぜ?」
「そう、だけど……」
(ん? なんか勇と武が通じ合ってる?)
「結局勇はなんでそこまでして桐ヶ谷君を誘おうとしてるの? 私にはそこの所がよく分からないんだけど?」
「……それは今の僕達には、いや違うな。今のクラスには桐ヶ谷君が必要なんだよ。絶対に!」
勇にしては珍しく断言する言い方だった。
それが尚更雫には分からない。
(今のクラスに桐ヶ谷君が必要? どいう意味……?)
「……なんでそこまで?」
「それは……」
「まぁ、話したく無いならいいけど……」
「いや、話すよ。別に大した話しじゃ無いけどさ、僕は桐ヶ谷君に憧れてるんだ」
「「!!」」
(え!? 勇が桐ヶ谷君に憧れている?)
意味が分からない。
それも当然の事だろう。なんたってスポーツ万能、頭脳明晰、友達一杯、と三拍子揃った完璧人間、それが佐藤勇だ。
逆に頭はそこそこ良く、運動神経もそこそこで、友達はほぼ居ない、そんな相手に憧れていると言うのだから。
雫は勇が秋人に憧れていることが信じられなかった。
それは咲耶も同様なようで目を丸くして驚いている。だけど武は普通にしている為勇から聞かされていたのかもしれない。さっきも勇と武が意味深に解り合っていたし。
何故勇が秋人の事を憧れているのかが知りたくなった雫は勇に質問をする。
「なんで勇が桐ヶ谷君に憧れているの?」
勇は少し照れた様子で頬を掻きながら話し出す。
「えっと、話せばだいぶ長くなると思うけど、1年の時にイジメられていた子がいたのを知ってる?」
「あ、それ知ってるかも。1年の6月頃からイジメにあってた三浦君のことじゃないじゃない?」
三浦 葉。体型は細く長身だったため、もやしと呼ばれていた。さらにアレルギーを持っているため肌が荒れて赤くなっている体質だった。
それはあり大抵に言って気持ち悪い容姿だと思う。はっきり言って近寄りたいとは思えない人だった。
性格も内気だったためイジメにあっても不思議はなかった。
「うん、そう。当時の僕はその三浦君をイジメから助けたいと思ってたんだ」
雫はいつもの事ながら面倒事に突っ込んで行く勇に呆れるけど、そこが勇のいい所だとも思う。
「僕はイジメている人達にやめるように注意したんだ。そしたらもっとイジメが酷くなってしまって、三浦君に言われたんだ『僕は大丈夫だからもう関わんないでくれ』って。その時の僕はどうしたら良いのか分からなくて、言われた通りに三浦君に関わらないようにしたんだ」
(……なんて言うか、私がこう言うのもおかしな事かも知れないけど、お決まりの展開だね。それに勇は物語の主人公みたい。あ、それはいつもの事か……)
「そんな時に桐ヶ谷君がイジメられて泣いてる三浦君を見てこう言ったんだ。『あいつも泣くんだな』って。その言葉は侮辱や軽蔑とは少し違う何かの意思を感じたんだ。最初はよく分からなかったけど、その言葉の真意に気づいた時、無性に苛立ったんだ。それは桐ヶ谷君にではなく僕自身に! 僕はただ自分の都合で三浦君を助けようとしたけど、桐ヶ谷君は逆に助けるのではなく突き離す様にした。その意味に気付いた瞬間、今まで僕の中にあった何かが崩れさるのを感じたんだ。そのころからかな、僕が桐ケ谷君のことを気にし始めたのは。僕には絶対にできない冷酷さを持つ桐ヶ谷君に憧れたのは。いや、少し違うかな。僕は桐ケ谷秋人という人間性そのもに憧れたんだ。あの化け物に」
と、少し苦笑い気味に微笑みながら勇は語った。
長く喋っていたためか、喉が渇いたらしく水を飲むため洗面台の方に向かう。この世界にも水が出る蛇口があったりする。詳しいことは省くが簡単に言ってしまえば魔石を使っている。
私は先程勇の話を聞いて、そして眼を見て少し驚いた。その眼には闘志が宿っていた。覚悟があった。
剣道で対人戦に優れている私から見ても、その目に宿る意志に恐怖を感じさせるほどに。
それは自分が負けるとかそいう類のものではなく、そこにある断固とした意志に怖気づいてしまったのだ。
恐怖の意味合いは少し違う。でも迫力があった。覇気があった。そこまでの意志がなんであるのかは分からない。ただ自分の中にある佐藤勇という人間をもう一度考え直させるほどだった。
私は今まで勇の事をお節介野郎だと思っていた。
佐藤勇という人間は困っている人がいたら絶対に助けるヒーローのような存在。でもそれは間違いだったのかもしれない。
いや、もしかしたら私が思っていた通り、勇はヒーローなのかもしれない。だけど、そこにあるのは正義感だけだけではなくもっと別の何かがあるのかもしれない。
私の知らない何かが。
まぁ、私と勇がつるみ始めたのは高校生からだから、たった1年半位じゃあ分からない事も多いんだろうけど。
でも勇が何を考えていても私達は勇の味方でいなければいけない。それだけはなんとなく分かる。
このヒーローは少し真っすぐすぎるから。
と、雫は思いながら少し困った弟を見るような生温かい笑みを浮かべるのであった。
(あ、そういえばさっきの話を聞いても武は何の反応も見せてなかったけど何か知ってるのかな?)
「武は知ってたの? 驚いた感じが無いように見えたけど?」
「ん? あぁ、知ってたよ。話を聞いたのは結構前になるけど、大体1年位前になるかな? というかそもそも桐ケ谷の話を持ち出したのは俺の方だよ。で、そん時に勇がさっきの話をしたんだ」
「え!? つ、つまり武も桐ケ谷君と何かあるの?」
「あぁ。一応言っとくけど俺は喋らないからな!」
そう言って武は雫から顔をそらした。それは照れからなのか、雫には言えないことなのか、今の雫には分からなかった。
とりあえず武が何かを隠している事は確定した。雫は武を問い詰めるように近付き口を開こうとした時、洗面所から声が聞こえ、そちらに顔を向ける。
「みんなお茶入れたけど飲む?」
勇の手にはお盆に乗ったコップが4つ。それを見た雫は何とも形容しがたい顔で言う。
「勇、お茶を入れてから言わないでよ」
「あ、ご、ごめん」
「まぁ、飲むから良いんだけどさ」
雫は「ありがとう」と、言って勇からお茶を受け取る。
武や咲耶も同様にお茶を受け取って飲み始める。
そして一口お茶を飲んで一息。誰かが喋ることもなくまったりとした時間が流れていくのだった。
「やっぱり”アキくん”は凄いね」
誰にも聞こえない声で咲耶が呟く。その顔には隠し切れない嬉しさのようなものがあった。
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雫は自分にあてがわれた部屋のベッドに横になりながら先程の事を思い出していた。
「僕は桐ヶ谷君に憧れているんだ」。勇の言葉が妙に頭にこびりついて離れない。何度も何度も頭の中で繰り返し再生されていく。
それに伴って桐ヶ谷君の言葉も思い出される「別に良いよ。俺一人で何とかするから」。
何故桐ヶ谷君が誰にも頼らないかは分からない。
けど、それでも私は……。
(はぁー、今の私は少し変だな)
雫は少し自傷気味に笑う。ため息をつきなが悪い考えを振り払うように頭を振って、自分の思いを思いっ切り叫ぶ。
「あー! イライラする! なんなのよこれ! ていうか、なんで私がこんなに悩まなくちゃいけないのよ! てかそもそも桐ケ谷君は何考えてるのよ! 「俺一人で何とかする」できるわけないでしょ! だから勇は桐ケ谷君を誘ったんでしょうが! 私がこんなに悩んでるのも全部、ぜーんぶ桐ケ谷君のせいだーーーー! もう桐ケ谷君なんか知るかーーーー!」
雫はベットの上で手足をばたつかせながら八つ当たり気味にぶつける。
一通り叫び終えた雫は少し落ち着きを取り戻し、冷静になった頭で先程叫んだ言葉を思い出いながら憂鬱な気分になる。
「はぁ、はぁ、あー何やってるんだろう、私……」
(てか、そもそも桐ケ谷君がこのまま終わるかしら? そうよ勇や武も言ってたじゃない。あの桐ケ谷君がこのまま終わるわけないって。私の知っている桐ケ谷君ならみんなを騙して自分一人だけ得するように動くに決まってる。うん、絶対そう。なんだちゃんと冷静に考えれば簡単に分かる事じゃない。結局のところ私も冷静じゃなかったてことね)
雫は善は急げとでも言うようにベットから起き上がり急いで扉に向かうのだった。
雫は今秋人の部屋の前で深呼吸を繰り返し緊張を解していた。
「スーハー、スーハー」
その顔には今まであった幼さや女の子らしさというものが抜け、あるのは毅然とした戦士の顔。
雫は右手を上げ扉をノックする。
「コンコン」
すぐにこちらに歩いてくる気配を感じ、扉から一歩下がって待つ雫。そしてゆっくりと開かれる扉から秋人が顔を覗かせる。
「はい、どちら様ですかぁあ!?」
聞こえてきた声は少し上ずったような声音で、こちらを見る秋人の顔には驚いきの表情があった。
雫はそんな秋人の顔を見ながら笑顔で言い放つ。
「こんばんは桐ヶ谷君。夜分遅くに悪いけど中に入れてくれないかしら」
秋人はしばらく雫の顔を見て呆然としていたが、しばらくして正気に戻り雫を部屋に招き入れる。
「……あ、あぁ。どうぞ……」
「お邪魔します」
雫は秋人の部屋に入る。
「えーと、まぁ、とりあえず椅子に座って。今お茶持ってくるから」
「お構いなく」
お決まりの言葉を言って椅子に座る。それから少ししてお茶を持ってきた秋人。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
雫にお茶を差し出して、机の反対側の椅子に座る秋人。お茶を一口飲んで口を開く。
「で、何の用?」
「んー、用ってほどのものじゃないけど、ちょっと聞きたいことがあってね」
「聞きたいこと?」
秋人は首をかしげて雫のことを見つめる。雫は先程までの笑顔を消し毅然とした顔で質問を投げかける。
「えぇ、率直に聞くけど桐ケ谷君は何が目的なの?」
「目的?」
「私が聞きたいのは、桐ヶ谷君が隠している何かを教えて欲しいの」
雫がそう質問したら、秋人の顔が少し動いたように感じた。いや、もしかしたら気のせいなのかもしれない。けど先程の困惑気味の雰囲気から警戒心が増したのは気のせいではないはずだ。
「……俺が隠し事? そんなことするわけ無いだろ」
「そうかな? 私の知ってる桐ケ谷君なら自分の本音を隠して相手を利用するような人だど思うけど」
「……いや、ちょっと言ってる意味が分からないけど?」
「そうかな結構分かりやすく言ってるつもりだけど?」
そう言って互いの目を見つめ合う二人。
しばらく経ち、先に根を上げたのは秋人だった。
「……はぁー、なんなんだよお前」
溜息を吐く秋人。
「お前、それほど俺の事知らないだろう……。というか俺がそんな性悪に見えるのかよ……」
「だって本当のことでしょう? まぁ、確かに詳しくは知らないけど、あなたの事をずっと見ていたから少しは分かると思っているつもりだけど?」
「……『ずっと』って、お前何、俺のこと好きなの?」
「別にそんなんじゃないわよ。てか、さっきからお前って言わないでくれる。私にはちゃんとした源雫と言う名前があるんだから」
そう言って雫は怒ったように頬を膨らませそっぽを向く。
雫のそんな仕草に可愛いと思ったのは胸の内に留めておくのだった。
「悪るい悪い。で、源は俺を見てたってどいうこと?」
「ふーん苗字なんだ。まぁ、良いけど。見てたって言っても別に好意をもって見てたわけじゃないわよ? ただ、少し気になってね。あなたの眼が」
「眼? 俺の眼って変か?」
「えぇ、変よ。桐ケ谷君の眼は、たまに光がなくなる時があるもの。その時に感じる雰囲気がなんとなく不気味なのよ。それが何なのかは私には分からない。でも、これだけは言えるわ……」
雫は秋人の眼を見つめ、一呼吸を置いてから言葉を放つ。
「桐ケ谷秋人、あなたは異常だわ」
雫の言葉にどんな意味があるのかは分からない。でも秋人にとってその言葉は心に響く何があったのだろう。
秋人の表情を表現する事はできない。そこにあるのは困惑、驚き、疑問、好奇心、その他にも色々な感情が見え隠れしている。
雫はそんな桐ケ谷秋人と言う人間の眼を見て離さない。
それからどれだけ時間がたっただろう。10秒? 20秒? それとも1分? そんな曖昧な時間が流れる。そして唐突に秋人が笑い出した。
「ぷっ! あはっ、あはっ、あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは! はぁー、はぁー、ふぅー、あーはらいてぇ!」
秋人は先程までの緊張感など、まるで無かったかの様に消えさり、すごく楽しそうに笑った。それはもう雲りっけ一つない清々し笑顔で。
「あぁ悪い悪い。ちょっと面白くなってね」
雫はここまで楽しそうに笑う秋人を一度も見たことがない。
(これがあの桐ケ谷君なの?)
笑いが収まった秋人は雫に向き直り、喋り出す。
「今までお前のこと、ただの真面目ちゃんかと思ってたけど違うみたいだな」
秋人は良い笑顔で雫の顔を見め、辛辣な評価を与える。秋人の言葉を聞いた雫は若干口を引きつらせながらも口を開く。
「……私ってそんなに真面目に見える?」
「あぁ、すげー真面目ぽい。こう、なんていうか、そう! よくアニメとかに出てくる脇役の風紀委員長って感じの優等生!」
秋人の「脇役」と言う言葉を極力気にしないようにして話しを続ける。
「……ずいぶんと勝手なイメージを持っているのね。あと、例えが分かりにくい」
「そう? 結構分かりやすいと思うんだけど?」
「それオタクじゃないと通じないでしょう」
「お前に通じてんじゃん」
「……貴方の影響でそいうことに触れる機会があったのよ」
「俺の影響で?」
「えぇ」
秋人は雫の目を見つめ、そこに宿るものに気付き、源雫と言う人間を見直すのだった。
「……確かにな。少し訂正しなきゃいけないかもな」
「少しなんだ」
「ん? あぁ、だってお前真面目だろ? ここに居る時点でそうだろ」
「っ!」
秋人の言葉を聞いた瞬間理解した。いや理解させられた。
(あぁ、これだ! この妙にやりにくくて、すべてを見透かされている様な感じ! そう! これが、この感じが桐ケ谷秋人なのよ!)
鳥肌が立った。
恐怖を感じた。
それは勇から感じた断固とした決意のものとはかけ離れたもの。
秋人のそれは恐怖という名の恐れ。
”死”。
死ぬ事への恐怖。
原始的で絶対的な恐怖。
それは雫にとって何とも新鮮で色鮮やかで美しいもの。
雫は剣道をやっているため死と言うものが何なのかを知っている。
それと同時に殺すということも理解している。理解しているものの、いざ人を殺す事となると怖気づいてしまう事も分かっている。
だが、この桐ケ谷秋人と言う人間はそれを軽く超えてしまう。人が自然と超えてはダメだと思う境界線を軽々と超える。それこそ、散歩に行くような気軽さで。
今自分が恐怖していると思うと何故だか自然と口角が上がる。
本人には自覚が無いかもしれないが雫は今笑っていた。それも不敵な笑みで。
そんな雫を見ながら舌舐めずりをし、すべてを見透かすかのように目を細める。
「へぇ~、良い顔するね」
「……それはどうも。で、さっきの質問たけど桐ケ谷君は何が目的なの? そして何を隠しているの?」
「お前に教える必要は無い」
秋人は先程とは違い真面目な顔で雫の目を見つめ、答える。
「……詳しくは教えてくれないんだね」
「俺の力の一部だしな」
(詳しい事は何一つ教えてくれない。……まぁ、今まで大して親しくもなかったから当たり前か……。それでも少しだけでも貴方の心を知りたい……)
本人も分からない内に少しづつ変わる”想い”。その想いが今後どうなるかは分からない。
ただ、その意味を知るのはそう遠くない未来の事だった。
「……ねぇ、桐ケ谷君。雑談でもしない?」
「雑談?」
「別に何かを企んでるわけじゃないわよ。ただ、少し、貴方と話がしたいの」
「それなら別にいいけど……」
目をパチクリとしながら了承する秋人。
それから雫と秋人は暫く他愛もない話を交わすのだった。
ここからは余談であり、雫の過去の話でもある。
先程も言ったが雫は「死」と言うものを感じたことが少ない。
普通の人なら、まず死に対する恐怖を感じる事そのものが無いと思うが、雫は剣道をやっている。それも親に習い、他の者達よりも何倍もの努力をし、厳しく鍛えてきた。
|師範(祖父)と|剣(竹刀)を交えたことも数少ないが何度かある。その時に感じた迫力、風格、恐怖、絶対に敵わないと思い知らされるほどの力量差。そして「殺される」と思わされた力。そんな色々な事を教えてもらった。
だが祖父が本気の殺気を向けてくる事は無かった。
祖父は優しい。いつも温厚で素敵なお爺ちゃんだ。だが剣を持ち勝負となれば優しさなどは消え、断固とした風格を表す。それは別人と思うほどに変貌する。それでも雫に殺気を向けることは無かった。それは祖父にとって雫が可愛い孫であると同時に、本気になるほどの相手ではないということだった。
それが悔しかった。
生きてきた年数が違う。
修羅場を潜った数が違う。
努力した年数が違う。
他にも理由はあるだろう。でも、それでも一度位は祖父に本気を出させてみせたかった。
祖父の技や技術を盗もうといつも祖父を見ていた。
その気持ちはいつしか憧れとなっていった。
祖父みたいに強く、逞しく、かっこよく、誰からも好かれる祖父の姿に、雫は心から「自分もあんな風になりたい」と思った。
だが”現実”はそう甘くなかった。
それは自分が女と言うことだ。どうしたって女である雫は男に力で負けてしまう。力以外でも体格、威厳などもあるだろう。
でも自分が女と言うだけで男に負けるなんて嫌だった。そう幼馴染の武に。小学校からずっと一緒に鍛えてきた因縁のライバルだ。それと同時に一番の親友でもあった。それが自分が女というだけで負けてしまう。それが嫌で嫌で一杯努力した。寝る暇を惜しんで努力した。食事も改善したり、大人相手に試合をしたり、他にも一杯一杯いーーっぱい努力した。
でも努力したところで現実は変わらなかった。
1ヶ月、2ヶ月、半年と過ぎて行くと同時に武との勝負で次第に押されるようになった。それでも意地で負けることはなかったが、それでもいつかは負けてしまう。そんな風に悩んでいた時に、ある出会いがあった。その出会いのおかげで今の私がいる。
今も鮮明に思い出すことができる。
私が彼と出会った日を。
その出会いのお陰で私の人生は変わった。
変われなかった日々が嘘のように。
当時まだ9歳の少女が現実を受け止め、あまつさえ現実と向き合い自分にしかできない事、そして女だからこそ出来ることを見つけ出し、”成長”したのだ。
これがどれだけ困難な事か分かるだろうか?
自分が女だという壁を破っても、また新たな壁が山程あった。
今度は技術や技が足りない。
周りからの嫌がらせや見下した視線。
壁一つ破った程度で良い気になれる程この世界は甘く無かった。
それでも雫は挫けなかった。
あの時言われた言葉を思い出すだけで自分はなんだって出来ると思った。
そんな壁簡単に破り捨てて見せると思った。雫はひたすらに我武者羅に走り続けた。
走り続ける雫の姿を見た祖父が何を思ったのかは分からないが、一度だけ本気で相手をしてくれた。
もちろん、それは試合と呼べるようなものではなく、だた一方的にやられるだけのものだった。
ボロボロになって床に横たわる私を見つめながら祖父は最後にこう言った。「ここまで上がってこい」と。
その言葉を聞いた瞬間鳥肌が立った。
心が躍った。
私は祖父に認められたのだと。
そして私はもっと強くなれると思った。
(それも全て貴方のおかげ。でもあなたは私の事なんて忘れているのでしょう? でもこれだけは言わせて)
”過去の私”が言えなかった言葉を”今の私”から言うね。
——————ありがとう——————
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雫はあれから1時間程秋人と雑談をして部屋を出た。
(うん。やっぱり桐ケ谷君と話して良かった! 自分の中にあったモヤモヤが無くなってスッキリした!)
雫の顔は、この世界に来た時の緊張感が消え、晴れ晴れとした表情をしていた。
雫は自分の部屋に戻るために廊下を歩いている途中だ。そんな中、前方に人影が見えた。人影は壁に背を預け、下を向いている。そのため顔までは分からなかったが、着ている服が雫達と同じ制服のようで、クラスメートということは分かった。
距離が15m程になったところで、向こうも雫の存在に気付いた様で、こちらに向き直り声をかけてきた。
「シズちゃん……?」
「!?」
(私のことをシズちゃんと呼ぶってことは……)
だが何故ここにいるのか分からない。そのため本当にその相手なのか疑ってしまう。
こちらに歩いてくる足音を聞きながら、雫は相手の顔を見ようと目を凝らすが、明かりがあるとは言え相手の顔をはっきりと見るには少し暗すぎた。それなのに相手は雫の事をしっかりと認識して声を掛けてきた。それが何とも不気味で、雫の足は自然と後ろへと下がった。
相手の姿を認識できる程の距離になり相手の顔を見た雫は予想通りの相手とは言え、突然の事で変な声を上げてしまった。
「さ、咲耶!? 何でこんなところに!?」
そう、目の前に立つのは雫の親友の木下咲耶だった。だがその雰囲気はいつもと違い、異様な迫力を纏っていた。
「そいうシズちゃんは何でこんな所にいるの?」
「そ、それは……」
雫はどう答えて良いのか分からず口籠る。先程まで秋人の部屋に居たと正直に言えば良いものの、雫は何故かそれは言ってはいけない気がした。雫の短い人生の中で培ってきた”勘”としか言いようがない。
雫がどう答えたものか悩んでいたら、先に咲耶の方から話しかけてきた。
「何していたか当ててあげよっか?」
「え?」
「シズちゃん、今まで桐ケ谷君のところに居たでしょ?」
「え!? な、なんで分かったの?」
先程までは言ってはダメだと思っていた雫だが、本人に言われてしまい何故だが悪寒がした。
雫は悪寒を感じとった瞬間咲耶の顔を見る。それは武道で鍛え抜いた第六勘と言う名の条件反射に等しかった。
そんな雫を見る咲耶はただ微笑むだけ。その微笑みを見れば、背筋が凍りつくような何とも形容し難い危機感を抱いた。粘っこく、悪質で、ドロドロとした何か。
挙動不審な雫を変わらぬ微笑みを浮かべ続ける咲耶。
「ねぇ、シズちゃん。私はそこまで馬鹿じゃないよ?」
「!?」
雫は咲耶の顔を見つめ、そこに映る感情が何なのかを理解した瞬間、頭を鈍器で叩かれたような痛みを覚えた。
(私は咲耶の事を何も理解して無かったんだ。ううん、咲耶だけじゃない勇もそれに武だって……。私は分かっていた気になって、実は何も分かっていなかったんだ……)
自分がいかに道化だったのかを理解した瞬間、無性に苛立ちを覚え、自分を殴り飛ばしたい気持ちに駆られた。そんな時、勇の言葉が頭に過る「その言葉の真意に気付いた瞬間無性に苛立ったんだ。それは桐ヶ谷君にではなく僕自身に」。その言葉は今まさに雫に当てはまる言葉だった。
雫は歯を食い縛り、俯き手を強く握り締める。
そんな雫を見つめる咲耶は優しい声音で語りかける。
「ねぇ、シズちゃん」
名前を呼ばれ顔を上げる雫。そして咲耶の顔を見る。
咲耶の顔を見た雫は思わずといった様子で足が後ろに下がる。それは先程とは違い自分の意思で後ろへと後退した。
咲耶の顔はまるで子供を優しく見守る母の様な顔だったが、眼だけは違った。
その眼は、まるで——
————”殺す”————
そう語っていた。
雫はまたも自分が何も理解できていなっかたのだと思い知らされた。
それと同時に恐怖を覚えた。勇から感じたものとは別種のもの。
先程秋人から受けたものと同じ殺意。だが秋人から受けたものより、濃密で濃い殺意。本気で殺すと言っているような圧倒的迫力。
死に対する恐怖。
だがそれに抗うことが出来ない自分。
身体が言うことを聞かない。
恐怖で震え、歯が噛み合わなくガタガタと震えながら後ろへと後退する。
同じだ。祖父に殺意を向けられた時と何も変わっていない。嫌だ、そんなの嫌!
恐怖に駆られて何も出来ない惨めな自分。このまま何も変わらず逃げるなんて嫌だ!
動いて。動け。動いてよ!
だが体が言う事を聞いてくれない。ただ震えるのみ。
なんで? どうして? どうして言う事を聞いてくれないの!?
怯えて何も出来ない自分。
咲耶を眺めることしかできない惨めな自分。
何もできず、ただ停滞するのみ。
呼吸が激しくなり、体中が熱くなる。それは恐怖から来るものなのか、それとも何も出来ない自分に対してなのかは分からない。ただ言えることは咲耶に怯えている事しか出来ない自分と言う事だけ。
雫は恐怖の目で咲耶を見つめる。そんな親友に怯えた目で見られているにも関わらず、気にすることなく雫に近付く咲耶。
一歩、一歩。コツン、コツンと音を出しながらゆっくりと歩く。その行動はより相手に恐怖心を与える行為。まさに秋人がやりそうなことを。
そしてコツンと音を出しながら一歩足を踏み出す咲耶。
また、コツンと、音がなる。
コツン、コツンっと。
そしてコツン! と、一際大きな音が辺りに響き渡り雫の前に立つ咲耶。
目を逸らすことさえできない雫。咲耶はニコッと笑いかけながら右手を上げ雫の肩に手を置く。
ビクッ! と体を震わせ咲耶を見つめる雫。
母が子供に言い聞かせる様な優しい声音で咲耶が口を開く。
「ねぇ、シズちゃん。いくらシズちゃんでも”アキくん”は渡さないよ?」
「!」
その言葉を聞いた瞬間、すべてとはいかないものの咲耶が何故ここにいたのかを理解した。
理解をしてしまったがために、これまでの咲耶の行動が思い出される。
(……確かに今思い返せば咲耶は時々桐ケ谷君の事を見ていたように感じるけど……)
咲耶の瞳にはまだ殺意にも似たものがあるが、今の雫には気にならなかった。その代わり咲耶が殺意を向けてきた理由が分かってしまったがために、変な気まずさを覚える。
そして何故か、心がモヤモヤする。胸が締め付けられるような不思議な感覚。
(何これ? 不思議な感じ……。ま、まさか、恋? なわけないか……)
と、笑い飛ばし考えることをやめる雫。今大事なのは目の前の咲耶のことだ。
先程の咲耶を思い出し、雫は心の中で思った。「ヤンデレ、マジコエー」と。言葉がカタゴトになるぐらいには怖かった。狂気の目でこちらに近寄ってくる咲耶は何とも形容し難い恐怖を覚えた。
雫の心情を知ってか知らずか(知らないだろう)咲耶が心配するような声を上げる。
「大丈夫シズちゃん。顔色が悪いよ?」
(誰の所為だと思ってるの!?)
口に出そうなのを何とか飲み込んで、頬が引き攣るのを感じながら何とか言葉を返す雫。
「だ、大丈夫だよ」
「そう? 異常に汗を掻いてるみたいだけど?」
口元がヒクヒクと動く。
(……本気で言ってるの?)
どっと疲れが増す雫。
「はぁー」
ため息くらい吐きたくなる。この馬鹿? 鈍感? 天然? の相手をしていると。
「ど、どうしたの? 急にため息なんて吐いて」
「……何でもない。少し疲れただけだから……」
雫は意識を切り替え、咲耶が言っていたセリフを確認もかねて意趣返しに聞いてみた。
「……咲耶ってもしかして桐ケ谷君の事が好きなの?」
「え? あ、い、いや、べ、べつに、すすす、すき、すきとか、そ、そんなんじゃないから!」
ポッと顔をリンゴのように赤く染める咲耶。
(顔を真っ赤にしながら言われても説得力ないよ……)
先程までの恐怖心や緊張感はどこへ行ったのやら。雫に殺意を向けていた人と同一人物とは思えない初心な反応。
(桐ケ谷君もこんな可愛い子に好意を向けてもらえるなんて幸せだね。……まぁ、少しおかしなところがあるけど……)
そんな事を思っている雫に、咲耶があからさまに話題を変えてきた。
「と、ところでシズちゃん! き、桐ケ谷君と何話してたの?」
「ん? 咲耶ってさっきまで桐ケ谷君の事を”アキくん”って言ってなかったっけ?」
雫にとってはただの確認程度のもの。だが咲耶にとっては違ったみたいだ。
「え、あ、あれは、その、えーと、あ! 気分の違いだよ!」
顔を真っ赤にして、あたふたと変な言い訳をしてくる咲耶。
「……気分の違いで呼び方変わるの?」
「うっ、そ、それは……」
言葉に詰まり俯く咲耶。その姿に柄にもなく可愛いと思ってしまった雫。まぁ、雫も鬼では無いのでこれ以上深くは聞きはしなかった。
「……まぁ、呼び方の事は置いといて、さっきの質問だけど別に大した事じゃないよ。桐ケ谷君が何を隠しているのか知りたかったんだけど……結局何も教えてくれなかったもの」
「それはそうだよシズちゃん。桐ケ谷君は信用した相手にしか話さないもの」
さも当たり前のように言う咲耶。咲耶がどこまで秋人の事を知っているのかは分からないけど、何故か嫉妬感を抱いく雫。
「まぁ、分かってはいたんだけどね……。あとはここを出てどうするのかを聞、い、た……」
そこまで言ってから雫は「しまった!」と思った。ヤンデレ気味の咲耶が秋人が出て行く事を気にしてない訳が無い。それなのに秋人がどこかへ行ってしまうと思い返せば、絶対暴れだすに決まっている。そんな咲耶に声をかけるのが怖かったが、自分で言ってしまったため話しかけないわけにもいかないと思い直し、雫は勇気を振り縛って咲耶に声をかける。
「さ、咲耶?」
「ん? 何シズちゃん?」
そんな雫の考えとは裏腹に咲耶は冷静に言葉を続ける。
「桐ケ谷君はここを出て行くんだね。寂しいな~」
と、寂しそうな表情を浮かべる咲耶。意外にも飄々としている咲耶に首を傾げる雫。
「まぁ、またどこかで会えるよね。それに桐ケ谷君はまだ私の事を信用してないもんね」
咲耶の言葉を聞いた瞬間、雫は背中に言い知れぬ震えが通り抜けた。
「私達」ではなく「私の事」。つまり雫達は入ってない。
その理解に到達した瞬間、雫は薄ら寒いものを感じた。もしかしたら咲耶にとって雫達と言う者は、ただの”駒”でしかないのかもしれない。
その意味することは——。
「——ねぇ、シズちゃん聞いてる? 」
「え、あ、いや。ごめん。聞いてなかった」
咲耶の言葉の意味を考えていた雫は、突然話し掛けられ驚いてしまった。
「もう、どうしたの? ボーっとして?」
「……何でもないよ。ほら、部屋に戻ろう」
雫はなるべく咲耶の顔を見ないようにして歩き出す。
(もし今咲耶の顔を見たら、私はどんな顔をするんだろう……? 分からない。私は自分の事が分からない。咲耶の事も武の事も勇の事も、何一つ分からない。私はあの時と何ら変わっていないな……)
悲壮に暮れる雫の後姿を、奇妙な物を見るかのように見つめる咲耶。しばらくしてそんな奇妙な雫の後を追うようにして歩きだす咲耶。
雫は後ろから近付いて来る咲耶のことを感じながら、先程とは違う事のことを考える。
(桐ケ谷先と、貴方は一体何者なの……? 勇からは憧れを持たれ、咲耶からは好意を持たれ、武はどうなんだろう? まぁ、分からないけど、何らかの感情を持っているのは確実。そして私からは感謝の気持ちを持たれている。これって偶然? 少なくとも私との出会いは8年も前のことなのだからやっぱりただの偶然? うーん、分からない。分からないけど何らかの因果関係はありそう……。まぁ、分からないから考えても無駄だけど……)
そう思い雫は考えるのを放棄した。
だがこの時の雫は知らない。
桐ケ谷秋人という人間に、何らかの気持ちを抱く四人の偶然の出会いが運命を変えることになるとは。
それは、まだ先の話し————。
「うわっ!」
雫と咲耶がそれぞれの部屋へ向かい歩いている最中、何もない所で咲耶が躓いて顔から床へとダイブした。
「だ、大丈夫!?」
そんな突拍子もない事を仕出かす咲耶に手を差し伸ばす雫。
「あ、ありがと。シズちゃん」
「うん。どういたしまして……」
咲耶のあまりにもアレな顔を見て固まる雫。しかし鼻から血を垂らす咲耶を見た雫は、ポケットからハンカチを取り出して咲耶へと手渡す。
「これ」
「ありがとう」
鼻を拭く咲耶の顔を見つめる。その顔には先程までとは違い、どこか抜けているいつもの咲耶だった。そんな咲耶を見つめながら雫はいつもの様にして話しかける。
「咲耶はいつもどこか抜けてるよね」
「そう言いながらシズちゃんはいつも私を助けてくれる。そんなシズちゃんがだ~い好きだよ!」
お互い”いつも”を強調して喋る。いや、咲耶のは偶然なのかもしれないけど……。
そしていつものように雫に飛びつく咲耶。雫も雫で咲耶の行動に困った様な顔をしながらも「しょうがないなー」と、満更でもない様子で咲耶の事を諫めるのだった。
そして二人は仲良く歩き始め、自分達の部屋に向かうのだった。