ラブパー 4
「アグリモニーさんですよね?」
ほんわかとした綿菓子みたいな空気にねっとりとした甘ったるい──しかしトゲトゲしい声が割り込む。
私を含めた3人の中で空気がすっと冷めた。
特に親友達二人はまるで氷のような表情で目配せをする。
来ると思ってたから私も表情を切り替えてゆっくりと声の主を見た。
声の主は、漆黒の扇情的なドレスを着こなした燃えるような赤髪の女性。
ぷっくりとした唇が印象深い──そう、私を逃亡したように小細工した張本人だった。
「そうですが、なにか?」
私はなるべく平坦に返事をする。
隣に座るテオールが私の手をとっさに握る。
レイナは声の主に目もくれず私だけを見ている。
二人はあの小細工の事を知らない筈だ。
それでも、隠しきれないトゲに敏感に反応して親友達は警戒している。
「少しアグリモニーさんとお話したいんですけどぉ? いいですかぁ?」
色っぽい声だけど、私に向けられる表面的な笑顔が胸焼けしそうで正直、感じは良くない。
そりゃまぁ、私を逃亡犯にした張本人なわけで……っても思い返せばほんとしょぼい小細工な訳ではっきり言ってツッコミ所満載なんだよねこの人。
まぁ、それにまんまと引っかかった私も同類なわけだが。
晩餐会時の会話がなんとなく聞こえて──聞こえるように話してた風でもあるけど──上級冒険者で、タゴレ近海の魔物の掃討や魔王の海底神殿までの船上でヴァルとパーティーを組んでいた吟遊詩人のようだ。
「私と?」
スルーするつもりだったけど、本人自らこうやってわざわさやって来たんだから避けて通れないって事だよね。
「ええ、ヴァルの事でちょっと……」
意味深に目を伏せて言葉を濁した後、チラッと男性陣の方を見てから一旦うつむき、憂いを湛えた瞳をこちらに向けた──逡巡してるように見える計算された動きにまた胃もたれする。
それを見たテオールが私の手をさらに強く握り引き止める。
レイナが私の視界に入ってきて首を横に振った。
ここでこの二人に小細工の事を説明したら、せっかくのパーティーの楽しい雰囲気が壊れてしまいそうで、私は親友達な笑顔を向ける。
大丈夫よと音を出さずに伝えた。
悪意は確実にあるが、あった所でここは王城だ。しかも祝賀パーティーの真っ最中。
上級冒険者で魔王討伐の功労者のひとりの彼女がこれ以上の大事をしでかすとは考えられない。
それは親友ふたりも解ってるようで、私の気持ちを尊重してくれる。
「ここでは話せない事?」
そう返すと、私の両サイドで凄い目で睨んでる二人を見て本当の恐怖を感じたのか一瞬怯んだが、それを利用するように弱々しく──顎に握り締めた手なんか当てちゃって──頷く。
ハァァーーと私はため息をついて立ち上がった。
「解ったわ。テラスで話しましょう」
ちょっと行ってくると軽く言う私に、
「なんかあったら、すぐに呼んでよね」
「美味しいお口直し用意して待ってますね」
と心配気にそれでも優しく送り出してくれた。
私が先に立ってテラスの方へ進むと、件の彼女はカツカツとヒールを鳴らしてついてきた。
* *
星空に浮かぶ穴あきの月は黄白色から淡い水色のグラデーション、それはパステルカラーの飴玉みたいだった。
柔らかな月明かりのなかで所々明かりが灯る広大な王城の庭からは──噴水だろうか流れる水音が遠くに聞こえる。
こんな状況でなければ、その庭へと緩やかに降る階段を伝って月明かりの庭を散策したくなるほど美しい夜景。
私は後ろにある刺々しい気配に、小さくため息をついた。
月明かりの中でさえ、その白が美しいテラスの手すりの前で止まると、後ろから聞こえていたヒールの音も止まる。
振り向けば、私達が出てきた大きな硝子の扉はホール内の楽しそうな空気で満ちたオレンジ色。微かな談笑が漏れ聞こえてくる。
常に流れていた音楽がやんでいた。
楽師達の入れ替えなのか、窓越しに楽器を持った数名が頭を下げて椅子から立ち上がるのが見える。
それらを背景にした漆黒ドレスの赤髪美人が穏やかとはほど遠い水色の瞳をギラギラと光らせて私を見ている。
──光と闇の狭間
魔女vs吟遊詩人の戦いってか?
といってもホールとは違いテラスには武装した王城警備の姿もある。
目の前の彼女が魔道具や武器などは一切持ち込めないこの場所でやらかすとは思えないけど、ここで何かあればホールの空気を壊すことなく対処してくれる筈だ。
「さて、ヴァルの事とは?」
なるべく静かに声を出した。
「ヴァルは可哀想ね」
艶のある声なのにまるで子供のように口をとがらせて赤毛の吟遊詩人は喋る。
私から不快感がにじみ出す。
なるべく冷静にと思いながらも、彼女の口から親しげに「ヴァル」と発音されるとムカついてしまう。
ほんと、情けない……恋愛に関しては残念ながら私は初心者なのだと痛感する。
そもそも、前世の恋愛経験ラストがあれで今世はゼロだからなぁ。
シチュエーションとしてシャオーネ姫と同じっちゃぁ同じだけど、あの時は自分のテリトリー内で対処も出来たから余裕があった。
なによりシャオーネ姫は……
「ねぇ! あなたがヴァルを縛ってるから可哀想って言ってるのよ」
あ、ついもの思いにふけってしまった。
いやー、出来たら関わりたくないという気持ちから現実逃避の思考へと流れてまったな。
「えーっと……はぁ、そうなんですか」
可哀想とか言われてもなんて答えていいか解らないので、かなり間抜けな返答になってしまった事は否めない。
それは彼女が期待する態度とは違ったのだろう、眉をピクリと動かして
「あなたがヴァルを縛っているから、彼の自由がないのよ」
「え? 私が? ヴァルの行動を制限した覚えはないんだけど」
イライラとした口調にのせられた意味不明の言葉にとりあえず反論してみる。
「恋愛に関して、気持ちを縛ってるっていう意味よ。解らないの?」
「気持ち?」
気持ちとな?
そもそもだ。想いを打ち明け合って数日しかたってない。
しかも、タゴレでの祝賀会や凱旋パレードやらで直ぐに召集されたヴァルとは実質、顔を合わせてるのはなんと数時間という付き合いの短さ!?
おう、冷静になって考えてみると自分でも驚くほやほやカップルじゃないですか。
括弧つけて笑いの文字を入れたくなるほどなのに「気持ちを縛る」ってねぇ~。
今の時点ではまだその域に到達してないし、いや、そりゃ今の時点でも浮気とかヤダよ、前世の事もあるし独占欲は有りますからね。
「あなた、男というものがわかってないのね……しかたないかぁ、ビギナーしか相手にしない魔女だものね」
うわ、なんかマウント取りにきたよこの人。
だけど、今世で男性経験ゼロなのは事実だから仰るとおりですとしか。
初めの魔女に関しても初心者しか対応出来ないという認識の人は沢山いて目くじらたてる事も今ではもうない。
おまえもかぁ~ぐらいのしらけ気分を隠すため目線を下へ移動しながらこっそりため息をつく。
それが、彼女には私が傷ついたように見えたのか「ふふっ」と優越感のたっぷり含まれた笑い声がした。
そして歌うように、彼女の言う「男と女」を語っていく。
吟遊詩人曰わく、
男は蝶
自由に羽ばたき
気ままに風に乗る
女は花
美しく咲き誇り
甘い香りと蜜を蓄えて蝶をひきつける
蝶はより甘く美しい花をもとめて花々を渡る
花は蝶を留めておけない
花は大地に根を張るもの
蝶は空を舞う自由なものだから
吟遊詩人曰わく、優れた蝶はより沢山の花を渡り、花々はそれを待っている。
優れた蝶とは、つまり勇者。
だからね、と自分の語りに酔いしれた吟遊詩人はやっと結論を披露する。
「ヴァルは勇者なの、1人の女が独占していい存在じゃないのよ」と。
「……」
……まぁ、そんな考え方もあるよね。
「ヴァルを待ってる花々がいるのよ、あなたは自分の独占欲でヴァルが羽ばたく自由を束縛しているの」
わかる? という言葉はまるで子供に教えているようにゆっくりと発せられた。
「それは、ヴァルがそう言ったの?」
私は目線を落としたまま聞く。
「言わなくても解るの、私には。言ったでしょ男というものは蝶なんだから」
勝ち誇ったように彼女は詩う。
「ヴァルの愛は、彼が望むだけ分け与えられるべきなのよ」
そんな事は言われなくても解っているし、考えもした。
それこそ、彼と離れている数日の間に何度も繰り返してきたんだ。
「それを私に解らせて、あなたはどうしたいの?」
「あなたが言ってあげるのよ、自由に飛び回る許可をだしてあげるの」
ニヤリと上がる口角が音だけで解る。
「……っでも、私が許したとしてヴァルがあなたに愛を分けるかなんか……わからないでしょ?」
俯いたまま、消え入りそうな声だけど私は彼女へ問う。
粘るわねと小声で舌打ちして吟遊詩人は私との距離をつめる。
「今日の晩餐会、本当はヴァルの隣は私が座る予定だったのよ。あなたが居なければ……あなたが横取りしなければね」
悲壮感たっぷりに私の耳元に囁く。
「あなただって言ってたじゃない? 自分には分不相応だって」
──たしかに言った。
それは馬車から降りて城内を先導する騎士達について歩いている時。
ひとりにひと部屋、準備の為の場所とメイドさんが用意されてる事を聞かされ恐縮して出た言葉だった。
私達の前後に同じ様に案内される女性がいたのを思い出す。その中に、この人はいたんだろう。
「だから、あなたのお望み通りに逃げ場を用意してあげたのよ。なのにあなたったら逃げないし、隠れてもないんだから……ほんと間抜けよねぇ」
彼女の中では、私が恐縮して逃げるなり隠れるなりして開宴に間に合わなければ当初の予定通りヴァルの隣の席に座れるという算段だった。
その為の、小細工だったという訳だ。
「ねぇ、だから今夜は譲ってよ」
耳から流し込まれた言葉がねっとりと神経に絡みつく。
「……ヴァルはそんな事、望まない」
「そう思いたいのね」
留めとばかりにねじ込まれる言葉。
「彼はあなたの前で我慢してるのよ、あなたに本当の気持ちを隠して嘘をついてる」
体が震える。
心が戦慄く。
「そうだったとしても……私に隠してまで、私といたいと彼が望むなら……私がその嘘に気がつかなければ……私が信じるヴァルだから……」
上手く思考がまとまらない。
言葉にすればするほど気持ちがぼやけてしまう。
でも、否定しなければと必死に言葉を紡ぐ。
それなのに、言い訳みたいに弱い後ろ向きな言葉しか出てこなくて。
──疲れる。
「なにも私はあなたからヴァルを取ろうってんじゃないのよ?」
優しく労うように響く詩人の声。
「私はヴァルを縛らないわ。あなたとヴァルが一緒にいてもいいの。私はね、私もヴァルの愛を分けて欲しいだけなの」
──価値観が私と彼女では根本的に違う。
どちらが正しいとか間違いかなんて、時代や環境で変わっていく。
「だから、あなたが許可をだしさえすれば彼は自由になれる。自由になった彼は、きっとあなたが望むようなヴァルでいてくれるわ」
この詩人にはこれが正しいのだろう。
「ちがう……あなたと私は、ちがう。ヴァルもちがう」
「騙されて嘘をつかれるより、広い価値観で許してあげる方が女として魅力的だしヴァルもあなたも楽に自由になれるわよ」
──楽になれる?
私が許しさえすれば、楽になれる。
この状態から解放される。
──目を背けないで、許していたら……
「そうかも……しれない」
「そうなのよ」
詩人からの言葉は優しく私に侵蝕してくる。
もう少しでその言葉を口にしそうになった時、ポタリと私の目線に小さな水滴が落ちた。
銀のドレスの裾を転がり、その水玉は白いテラスの床に小さな小さな染みを作る。
その銀は愛しい瞳の色。
信じると決めたヴァルの瞳の色。
あれが嘘だというなら、私を騙しているのだとしたら。
「もし、ヴァルがあなたの言うような……あなたの価値観の男だというなら」
喘ぐように息を吸って私は、どうにか言葉をさぐり引っ張り出す。
楽に取り出せるものでなくて、より私の心に近いものをなんとか言葉にする。
「彼と……は、別れる」
言葉を出す時、やっと吟遊詩人の顔を──瞳を見た。
水色の瞳が勝ち誇ったように細まった。
「ふふ、まぁそっちでもいいかぁ」
と呟いた口元が引き上がる。
敗北感が全身を包む、自分で発した『別れる』その言葉に絶望する。
苦しくて切なくて悔しくて涙は頬を流れつづける。
「別れない!!!!!」
鋭い声がまっすぐに私の心を揺さぶる。
「……ヴァル」
霞のかかった思考の中でも、愛しい人の声を間違うはずかがない。
月明かりのテラスに漆黒の風が走る。
私とチコリの間に、瞬く間にヴァルが表れた。




