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Mana 第一部~始まりの物語~  作者: 福島真琴
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7. マナ

「……暑い」

 二人とその後ろをついてゆく二匹は、砂漠の真ん中を歩いていた。だだっ広い空間で、黄色ばかりが広がっている。しかもその足元は、さらさらと崩れやすく歩きづらい。いつもは使わないような部分の筋力ばかりが、無駄に消耗されてゆく。

 地図上では、この砂漠はそんなに大きな面積を占めてはいないのに、果てしなく感じられた。もう少しで、カルバリオ付近の星の滝に着く……はず。地図上では。

 結局ケイロンとは諸々の契約を終え、彼自身もゆっくりする間もなく、次の仕事があるからという理由で、午前中に発つこととなった。だが契約上、彼と同じタブレット端末を持つこととなったわけで、いつでも連絡をとれるという点では、離れているような、離れていないような……(ジーンとしては、できるだけ離れていたいと思っているだろうが)。

 だがその連絡方法ももちろん、暗号文である。その取り決めを、朝から二人して顔を突き合わせてごそごそしていたが。

 とりあえずの当面の目的地は、かねてからジーンの行きたい場所であるウィズということにした。ウィズは、カルバリオからの街道を道なりに真っ直ぐ、馬車で一時間ほどの距離というから、割と近い場所である。

 が、まずはこの砂漠を抜けないことには。こんな場所に事務所を構えてしまうケイロンという男を、二人はある意味、再び空恐ろしくさえ感じてしまうのだった。

「……水浴びしたい」

 珍しくマナもそんな愚痴を吐く。高温を発揮する本場の日中初体験の二人は、もうすでにばてていた。シアンもルナもひたすら無言でいるせいもあってか、この旅の御一行は何かの修行僧のようにさえ見えることだろう。

 すると、尻尾を垂れ下げ、全身の毛もしおっとなっていたシアンが、唐突にその尾をアンテナのようにぴんと伸ばした。

(あ……、水の匂いがする……)

「ほんとか!」

 シアンの呟きに反応したのは、ジーンだった。人が変わったように、急に元気になる。駆けて行く男子群を、女性チームはため息と共に見送った。

 ゆっくりと、自分のスピードでの歩みではあったが、やがて大量の水が叩きつけられる音と、水飛沫の欠片が乗った霧吹きのような爽やかな風が、女性チームにも届く距離にまで来た。徐々に地にも、緑が茂り始める。

 その最後の砂丘を越えると、待ち焦がれていた涼の光景が広がっていた。太陽の光に照らされて、水面が反射光を返す。それが、あらゆるところに見受けられた。なるほど、だから〝星の滝〟と言われる所以なのだなと、マナは名称の由来を知る。

 しかもそれは、角度によってなのか、様々な色合いに変化して見えるのだ。滝の飛沫による光の分散と屈折が、影響を及ぼしているのかもしれない。

(あ! やっと来た!)

 マナたちの到着を見つけたシアンは、その場で居場所を教えるかのように、ぴょんぴょん飛び跳ねた。

「うわっ! 飛び跳ねるなって!」

 ちょうど浅瀬で、ジーンズの裾を捲り上げながら水に浸かっていたジーンに、シアンが飛び跳ねるたびに水飛沫がかかったようだ。

(いいじゃん、気持ちいいんだからさぁ!)

 ますますシアンは調子に乗り、水面に体当たりして、ざぶんざぶんと波を起こそうとしている。

 しかしそこは浅瀬。体当たりするたびに、腹に石も当たるようで、〝痛い痛い!〟と、今度は喚き始めた。

「ははっ! 馬鹿なことを考えるから……」

 しかし次の瞬間、ジーンの全身を大波が襲った。その大波の発生源が浅瀬に到着すると、ジーンは冷たい目で一人と一匹を見つめた。その瞳には抗議の色も灯っていたのは、言うまでもない。

「水も滴るいい男……」

  マナは冗談のつもりで呟いたのだが、本人はまんざらでもなさそうだった。

  煌めく水面が、暑さでばてまくった身体を誘う。マナもジーンズの裾を捲って、浅瀬の中に足を浸した。暑さでぼやけていた意識も、やっとのこと目を覚ます。足先からその冷たさが、身体の中にゆっくりと染み込んでゆくようだった。その爽快感は、今まで歩んできた長い道程の苦労を忘れさせてくれる。別のものへと昇華してゆくような、そんな感覚にさえ思えたのだった。

  マナは、滝を近くに感じたくて、さらに歩みを進めた。しかし唐突に身体は、何かを踏み外したかのように水底に沈んでいった。

 咄嗟に閉じた瞳をゆっくり開けると、踏み外したその場所からは、一層深くなっていた。沈みゆく身体の下のほうに視線を向けると、その深さは暗闇の穴が続いてゆくように、底が知れなかった。

 マナは不意に目を閉じてみた。そのまま沈んでゆく身体と、地球の命の音が一体化できそうな気がしたのだ。その感覚は、懐かしくさえ感じられた。たしかに自分は、研究所の水の中で生まれたのかもしれない。だがその感覚とはまた違う。もっと大昔から知っているような、本能に刷り込まれているような、そんな感覚が突然に襲ってきたのだ。

 それは、ひどく安心する感覚だった。眠りに着く直前の、まどろみながら、何かに還ってゆくようなそんな不思議な――


「マナ!」

 水底に向けてそう叫ぶと同時、ジーンは水の中に飛び込んでいた。もう何分も上がってきていないのだ。だから身体が、反射的に動いていた。

 水の中の世界は、思いの外、光が降り注いでいた。もっと暗い世界なのだと思っていた。光に照らされ、色とりどりの魚の影が揺れる。

 その向こう側に、目的の人物は目を閉じて暗い水底に沈んでいっていた。ジーンは焦った。彼女は溺れて、沈んでいるのだと思ったからだ。

 しかし次の瞬間、彼女はゆっくりと目を開けた。まるでそれは、眠りから目を覚ますときのような、普通の動作だった。そして、うっすらと開いたその瞳に、太陽の光のカーテンが降り注ぐ。

 それは、美しい光景だった。彼女の瞳には、七色の光が宿っていた。だけどジーンはその光景を見つめて、不思議な感覚に捕らわれていた。不意に仮面舞踏会の日に考えていた、光のことを思い出したのだ。

 彼女はどの色にも染まらない。全ての光を反射する。そう、そこにいるのは、何者にも染まらぬマナ自身の姿なのだ。だけど不思議だった。どの色にも染まらず、どの色も照り返すのだけれど、それでもその光景は、美しい――

 ジーンはその光景に、見惚れていた。彼女の本当の姿を初めて見たような、そんな気がしたのだ。だからすっかり忘れていたのだ。自分が、泳げないということを――


 陸に引き上げられ、存分に欲していた空気を肺いっぱいに吸い込む。だけど水も少し飲んでしまっていたようで、しばらくジーンは何度もむせていた。

「陸以外は苦手なこと、忘れてた……」

 その隙間を縫うように、何かを隠すようなぼそぼそとした呟きが、ジーンの口から洩れた。そんなジーンを前にして、思わずマナは、

「じゃあ、どうして飛び込んだの!」

 詰問するような口調になってしまっていた。だけどその言葉には、無言しか返してくれなかった。そして忘れた頃に突然、

「……いなくなるような気がして。無我夢中だった」

 カラスの濡れ羽色のようなその黒髪から滴り落ちる雫もそのままに、座り込んで俯いたままでそう言った。

「びっくりした。君、泳ぎは上手いんだね」

 さっきまでむせていたことさえも忘れてしまったような、あっけらかんとした表情で、マナを見上げてくる。マナは思わず、ため息をついてしまった。この人はなんて、途方もない人だと、そう思えてしまったのだ。とても危なっかしい。そんな風にも思う。

 たしかにこの世界ではうまくやっていけるかもしれない。だけどあの未知の世界では、誰も知らない地下世界では、どうだろうか。よくわからない世界においては、無謀なことをしでかしたりしないだろうか。そんな危惧があった。

「……守るよ」

 不意に、そう呟いていた。

「私が、あなたを守るから」

 ジーンはしばらく、目を丸くしてぽかっとしていた。よくわからないものに出会ったとき、子供がよくそんな顔をしている。そんな気がした。

 しかし、急激に何かを思い出したかのように、ジーンは立ち上がった。その勢いがあまりにもよかったから、水滴がマナのほうにまで飛んできた。

「それは、こっちの科白だ! マナのほうが何十倍も俺よりも危なっかしいんだよ! 見ていて、ハラハラするよ! 超マイペースだし、何考えてんのかわかんないし。計画的なのかと思いきや、行き当たりばったりだったりして、ほんっと怖い!」

 早口でまくし立てるように、一気に話し出す。しかもその流れは、止まりそうもない。

「こんな子、一人でこの世界に放り投げたら、絶対危ないことになる! そんで、危ないことになったら、また君はその危ない力を使っちゃうんだろ? もう、悪循環! 悪循環! 見てらんない! 全人類から、危険人物扱いだよ?」

「そこまでひどくないと思うけど……」

 ごもごもとした、そんなマナの独り言。だけど今のジーンは聞く耳さえ、なさそうだ。くどくどくどくどと、説教を繰り返す母親か何かのように、あれがだめだこれがだめだ、あれが危ないこれが危ないと、言葉を垂れ流しまくっている。

 その横で、やはり空気を読まないシアンが、ばしゃばしゃと水遊びを開始し始めている。

「こらっ! 今、大事な話の途中なんだ!」

(えー、説教なんてつまんないよー)

(それに、クドイ男は嫌われるわよ)

「あぁッ?」

 珍しくジーンのほうが、シアンたちを威嚇し始めた。クールだと思っていた彼は、意外にもくるくると表情の変わる人だ。

 それに比べると、自分のほうがある意味、冷静なのかもしれない。もう少し、感情を表に出す練習でもしたほうがいいのだろうかとも思った。でもすぐにこうも思った。それは嘘をついていることと同じかもしれない、とも。

 自分らしさというものは、よくわからないけれど、自然のままでいいのかもしれない。

 そう思ったら、無意識のうちに笑っていた。なんだかジーンたちのやり取りが、おもしろかったのだ。

 またもやジーンは、ぽかんとした。そして水を飲んでもいないのに、またもや咳き込む。その隙間に、まるで隠すかのようにこう言った。

「さっきはありがとう、助けてくれて」

 マナは何度か瞬きした。この人は、腹話術師なのだろうか? そのくらい、隠し方が上手かったからだ。

(それにしても、どこでその服乾かすの?)

 シアンの現実的な呟きが、目を覚ましてくれる。

「また、砂漠行っちゃう?」

 マナのそんな無茶振りに、ジーンは悲鳴のような拒絶の声を上げるのだった。


 完


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