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Mana 第一部~始まりの物語~  作者: 福島真琴
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6. 地下

 外では風が強く吹き、この簡素な家は砂と共に隙間風が入り込んだ。これでは砂埃も溜まりやすく、この部屋はしょっちゅう掃除していなければいけないことになる。そもそもこんな場所になぜ、家を建てたのか。そしてなぜここを事務所にしたのか。

 そんな様々な疑問も湧いたが、今は一つ一つ気になるところから解き明かしてゆかなければ、埒が明かない。それほどに、目の前の男は謎に包まれていた。

「あの研究所に……」

 やはりジーンにとっては、その部分が耳に印象深く残ったようだ。彼の中では研究所=悪でしかないのだ。その可能性が少しでもある目の前のケイロンを、ジーンは再度敵意の眼差しで見つめた。

「あぁ。と言っても、当初の〝アルカディア計画〟は、今みたいな案ではなかったんだ」

 そうは言われてもジーンには、言い訳にしか聞こえなかったのだろう。やってられないとばかりに、外に出て行こうとする。

「まぁ、最後まで話を聞け。短気を起こしたって、何も得られないぞ。それに、マナのことだって話すことはあるんだ」

 最後の一言を聞いた途端、ジーンは立ち止まった。渋々と言った様子で踏み止まったものの、いつでも飛びかかれる獣のような気配は、前面に出したままだった。

 ケイロンはその様子に、とりあえずの満足としたのか、灰皿に煙草を置き、煙は燻らせたまま話を再開させた。

「あの当時は、先天性の遺伝子異常を抱える患者の治療計画案だった。そのための遺伝子研究であって、自分たちの都合の良い人間を造り出したり、なんていう非人道的なプログラムじゃなかった」

〝普通の暮らしを、誰もが平等に。遺伝子異常によって、誰もが平等に与えられるはずのごく普通の暮らしを得られない、そんなことがないように〟そんな信条の下の〝アルカディア計画〟だった。彼はそう明かす。

 そして、片方の唇を持ち上げてケイロンは僅かに笑った。それは、彼なりの皮肉な笑い方なのだろう。

「そんな〝アルカディア〟が、今や〝理想郷〟の意味合いに変化し、そしてその取って代わった信条の下に、暴走し、迷走するあいつらを誰も止めることができなかった。それが、今のあの研究所の姿さ」

 ケイロンは、ジーンの瞳に負けず劣らず、鋭い瞳で見つめ返した。その威圧感は、年と経験を積み重ねている分、ケイロンのほうが上だった。それにその瞳には、信念が感じられた。彼は今でも、医者なのだ。だから今の研究所が、許せないのだ。

「俺は初期段階で、あの計画から離脱した。俺自身はあの場にいて、変わり行く計画に噛み付いて修正してやりたかったんだがな、やり手の政治家先生にやり込められてしまったってわけさ」

 こんな砂漠のど真ん中で、およそ医師とはかけ離れたことをして生きている今の彼の生活ぶりからも、〝やりこめられた〟には、聞くに堪えないどろどろとした暗部が潜んでいそうだった。だが、誰もそこを突っ込んで聞く悪趣味な者は、この場にはいなかった。

「そりゃあ、ひっそりと個人診療所を開いて生きている仲間もいるさ。だがそいつらは、研究所の者たちから監視されている。俺もその対象だが、俺は我慢という器用なことはできない性質でね。だから未だにこうやって、反抗期なのさ」

 実年齢的には、〝反抗期〟だなんて言える年ではないが、彼の中身はたしかにどこか、冒険好きな少年のような活き活きとした若さを感じさせる。案外彼は、今の生活が苦ではないのかもしれない。むしろ、楽しんでいるところもあるのかもしれない。マナはふと、そう感じた。

「だからこその、潜入捜査だった。仮面舞踏会も、研究所の停電も」

「!」

 マナが咄嗟に思い出したのは、研究所の停電のほうだった。だが考えてみれば、仮面舞踏会でも停電は起きた。同じ手口。この人の仕業だったというのか――

「あの制服は、さぞ大きかっただろう。俺が着ていたのだから」

 ジーンもあの制服を思い出したのか、〝その意味でも目立ってた〟と呟いた。

「それにしても君は、とんでもないことをしてくれたよ。この石を探し当てるのに、どれだけ駆け回ったことか! ま、忘れた俺も俺なんだけど……」

「あ、それ……」

 目の前には、あの制服のポケットに入っていた真っ黒な石が、ケイロンの手に載って差し出された。それは黒いながらも、何かを語りかけるように光っていた。

「何? それ」

 事情を知らないジーンは、覗き込みながらマナに問うた。

「えーっと、あの制服のポケットに入ってたの。で、ジーンに助けられる前にレストランで食事したときに、その石をお金の代わりに店主に渡しちゃって……」

「そう! それが、問題の始まりでね!」

 言いながら、ケイロンは盛大にため息をついた。

「あのあと店主は試しにと思って、質に入れてしまったんだよ。そうしたら意外にも、高額の値がついてね。それが話題になって、様々な人の手に渡っていったみたいで。いやぁ、俺も必死だったなぁ、探し当てるのに」

「で、その石が何だって言うんだ?」

 早く答えを言えとばかりに、ジーンはケイロンを急かした。

「そう、急かすな」

 ケイロンは灰皿の煙草を、鷹揚な態度で旨そうに吸った。ゆっくりと息を吐き出し呼吸を整えると、話を再開させた。

「俺はあの研究所の後ろについている国を特定するため、潜入捜査に出向いたんだ。その証拠がこれさ。主力電源室のエネルギー源として使われていたのが、この真っ黒な石、輝石だ」

「……輝石? こんなものがエネルギーとして使えるのか?」

 ジーンは胡散臭いものを見つめる目で、石をじっと見つめた。マナはそれらの科学的な話には疎いので、ただ二人のやり取りを聞いているしかなかった。

「ただの輝石じゃない。隕石から取れた輝石なんだ、これは。しかも月隕石だ。そして、研究所の者たちはこの石の磁力を利用して、エネルギー発電装置を作り出すことに成功していた……」

「……そんな高度な技術、この世界の国で持ち合わせているところなんて……」

 ジーンは、壁に貼られている世界地図に目をやった。その視線は一つ一つを、検分しているみたいだった。長い時間をかけてそうしていたが、やがて降参とばかりに首を振った。

「答えは、ここだ」

 そう言ってケイロンが指差した世界地図のその地域は、地図の中でも中心部。しかし、国や街の図は見当たらなかった。あったのは、浮島のど真ん中にぽっかりと空いた穴だった。ジーンは眉根を寄せた。

「……そこって、コアじゃないか? 大昔に隕石が落下した地点。何メートルも何メートルも深い穴ができていて、決して塞がることがないって言う世界三大ミステリー……」

「ご名答」

 ケイロンはその一言を放って、言葉を区切った。

「ご名答って……、だから?」

 まるで二人のやり取りは、先生と生徒のようである。しかしジーンの疑問は、ご尤もな疑問である。やがてケイロンは、褒美とばかりに答えを放った。

「例えばもし、その地下深くに高度な都市が形成されているとしたら?」

 あたりに沈黙が漂った。外の風の音が強くもないのに、大きなものに感じられてしまうのは、よくわからぬものと対峙する不安が、心の中を覆うからだろうか。

「なんなんだ、それ……」

 ジーンは、半笑いでそう呟いた。たぶん、そうしなければ、何かに押し潰されそうな気がしたのかもしれない。自分たちが立つこの大地の下に、もう一つの世界があって、そしてそれがもしかしたら、自分たちよりも高度な文明を形成しているのだとしたら――

 そして、その都市があの研究所のバックについていて、彼らの言う〝アルカディア〟とは――、〝アルカディア〟とは――

 考えれば考えるほどに、恐怖にも近い闇が足元から忍び寄ってくるような錯覚を覚える。

「怖いか?」

 ケイロンは低い声で聞いた。誰もそれに答える者はいなかった。

「それでも、暗闇を歩くときは、真っ直ぐ進むしかないんだ」

 マナは、はっとした。こんなところでも、またその言葉を聞いた。目に見えない歯車が、カチッと合う音を、マナは確かにその耳で聞いた。


 とっくに昼食の時間は過ぎ、日も暮れかけ、これからは夕飯に向かう時間帯になっていた。無理もないだろう。カルバリオから出て、さらに六キロも歩き、急遽掃除の時間は設けられ、そして今の今まで話し込んでいたのだから。さすがに、会話の主導権を握るケイロンも、空腹を覚えたようで、

「ひとまず、飯にするか!」

 と、提案した。しかし、ご飯と言ってもそんな代物はこの家にあるのだろうか――。

 するとケイロンは、冷凍庫から次々と作り置きのソースや食材を取り出した。冷凍庫という時点で、どれだけ家を空けているのかが、推測できるというもの。ちなみにメニューは、ビーフシチュー、トマトソースのブルスケッタ、冷製パスタと絡めたコールスローサラダだった。なんだか、レストランっぽい……。

 そして味は、冷凍していたわりに、なかなかに美味しかった。形は男の料理という感じに豪快だったが、ソースをキューブ状にして冷凍しておくあたり、通かもしれないと、マナは思った。

「意外な才能だな。掃除はてんで駄目なくせに……」

 ジーンも唸らせる味だったようだ。しかし、ケイロンは最後の言葉に対して、反論した。

「掃除が〝だめ〟なわけじゃない! しないだけだ! それに掃除してしまうと、仕事がはかどらなくなるんだ。いちいちどこにしまったのか、探し回ってしまうからね」

「それは言い訳だね」

 底意地の悪い笑みを浮かべて、ジーンはさらにケイロンの短所をつついた。

「それに掃除をするほど、ここは大事な拠点じゃないんだ。他にも事務所はあるんだ。だから、いちいちそんなことに時間をかけている暇は……」

「他にもあるって、あと何社あるんだ?」

「うーん、世界中にちょこちょこと……」

 そんなぼかした言い方をしていたが、かなりの数があると考えると、こんな簡易的な家であっても、トータル数で考えると結構なお金がかかっていそうである。一体、資産をいくら持っているんだ? と、ジーンはついつい下世話なことを考えてしまう。

 それにしても、夕飯の食事中でもパソコンのメール受信音は、鳴っていた。思わず気になって、マナはそちらのほうをじっと見つめた。

「あぁ、これね、ちょっと煩いよね」

 言いながら、受信音の設定をミュートにしようとしていた。だが、すかさずジーンは、質問する。

「それ、何なんだ? 読めない題名ばかりだ」

 マナもそこはずっと気になっていた。ケイロンはしばし唸りながら考えた。やがて、簡単な答えが返ってきた。

「まぁ、いっか。君たちにも、やってもらうことになるかもしれないし。まぁ、簡単に言うと暗号文だよ」

「……なぜ、そんなことを?」

 食べ終わった食器を、流しに運びながらジーンは聞いた。

「契約者とは基本、メールで情報交換をしているんだ。そのメールの傍受対策のためにね、暗号化をしているのさ。まぁ、暗号化ソフトとその解析ソフトを使えば早いんだろうけど、肝心の解析キーをとられちゃったら元も子もないからね」

「ってことは、それぞれの契約者と、それぞれの暗号化を取り決めているってことか?」

 ジーンが言いたいのは、契約者の数だけ暗号の法則も変えているのか? ということを、聞きたかったのだろう。それは、契約者の数が多ければ多いほど、途方もない数になりそうだ。こんなに最新機器が揃う部屋なのに、肝心の部分はアナログ的だなんて。

「まぁ、そうなるな。だけどそれが一番のセキュリティになるんだよ。解析方法は、この頭が記憶していればいい。そうすればそう簡単には、盗めやしないからね」

 相当記憶力に自信のある者でなければ、やらない方法だろう。だけどこの人なら、やりかねない。マナもジーンもその点においては、目の前の男のことを一目置いて見ていた。だからこそ、彼がそんな方法をとるのは、納得できる気がした。

「……なるほど、〝サイファー〟ね……」

 改めて目の前の男、ケイロンもやり手だとジーンは認めたようだ。

「それでだ! ここからが、オフィス・サイファーとしての本題なのだが……」

 食器も全て片付けられ、卓には涼しげな麦茶が並ぶ。そしてケイロンはタブレット端末を取り出し、

「まずはこの映像、使わせて欲しい。もちろん、削れる部分は削るつもりだ」

 画面を操作し、再生された映像は、仮面舞踏会の停電のときに撮られた、暗視カメラ映像だった。マナは、その映像を見るのは、初めてだった。彼女の瞳が、驚きに見開く。

「これ、使うって……どこに?」

「あの事件と研究所との関連性を暴くために、マスコミに送るつもりだ。まぁ、マナの部分は削れるとしてだ、こっちのジーンの部分を削るのは難しいかもしれないんでね……」

「わかった。許可する」

 唐突にジーンは、珍しくもケイロンに対して譲歩した。だが言葉はこうも続いた。

「だけど条件がある。あんたは最初に、マナのことで話すことがあると言ったよな。その話を聞かせて欲しい」

 ケイロンの瞳が光ったように感じられた。マナは妙な心地がした。自分のことを、自分以外の人から、聞かされるということ。

 だけどたしかに、遺伝子的な部分のことであったり、自分でも無意識に使ってしまっていたこの力のことについては、造った人物や科学者たちのほうが、詳しいのかもしれない。

 そう考えると、命の半分を他人に握られているような、そんな居心地の悪ささえ感じてしまう。

「そのことなんだ。俺が、危惧しているのは」

 唐突にケイロンは、そう切り出した。

「正直なところ、誰もその力については、答えが出せていない。あの研究所の連中でさえも。マナ、君の力には脅威を感じているようだ」

「……どういう、ことですか?」

 自分の口からは、そんな言葉しか出てこなかった。そう、自分にとっては、これが普通なのだ。それなのに他人にとっては、自分の普通が通じないなんて。そのことを理解することが、今のマナにとってはまだ、難しいことだった。

「動物の遺伝子を持つ者同士の、ただのコミュニケーション能力とは違う力。他の生命の肉体に直接作用する、目に見えない力。何か別の電子が放出されているのか、何か特殊な物質が生成されているのか……。今の彼らは、必死になってそれを解き明かそうとしている。君のその力は、彼らにとっては想定外。突然変異以外のなにものでもない――」

「でも! 私はこうやって、普通に生きている!」

「〝今はまだ〟とも、言えるかもしれない。科学者的観点から言わせればね」

 不穏な空気があたりを包む。それを遮ったのは、ジーンだった。

「あんたの物言いだとまるで、性悪説だな。俺は科学的観点だとか、そういう冷徹な見方はしたくないし、俺はマナを信じてる。それに、マナで性悪説が当てはまるのだとしたら、俺だって当てはまる、そういう結論にならないか?」

 だがケイロンは、ジーンの反論を小さく笑って一蹴した。

「ジーン、君の話は感情論だ。俺の話は性悪説ではなくて、可能性としての話だ。たとえその可能性が一パーセントでもあるのだとしたら、考えないわけにはいかない。それが、科学者としての視点なんじゃないのかって話だ。俺自身の感情の話じゃない」

 何かを試されたような感覚を感じたのか、ジーンは再度ケイロンに跳ね返すような視線を浴びせた。

 それにしてもこの二人は、こういった理論的且つ論理的な会話はぽんぽんと通わせることはできるのだが、だけど必ず二人の間に暗雲が立ち込める。根っこは似た者同士なはずなのに、どうしてこうも反りが合わなくなるのか……。

 そして、ケイロンは言葉を継いだ。

「だからこそあの仮面舞踏会で、ジーン、お前が狙われたんだ」

「〝だからこそ〟というのは、どういうことだ?」

 だからも何も、元より狙われていた。そう言いたいのだろう。そのことも、ケイロンは教えてくれた。

「あのときの奴らの本当の狙いは、マナだったんだ。いや、これは正確な言い方じゃないな。狙いをマナにしたかった(・・・・・)んだ。だけど今の彼らには、マナの力に対抗しうるだけの力がない。そんな丸腰の状態で、彼女に相対するのは自殺行為」

 一呼吸置きながらも、ケイロンは卓の上の麦茶を一口口をつけた。揺れた水面が、照明の明かりを反射して、複雑な文様を描いている。その光景をマナは見つめながら、ケイロンの話の続きを聞いた。

「だからこそまず先に、ジーン、お前を捕まえて、かねてからの開発責任者というポジションに就いてもらう。そしてマナの力の解明と対策を、編み出してもらおうというのが、今の彼らの狙い……」

 そこまで言うと、ケイロンは席を立ち、物置に行って何かを探した。持って来たそれを見て、納得した。それは、虫除けの香だった。夜の明かり目掛けて、この室内にも数匹羽虫がもうすでに入り込んでいた。心なしかジーンは、ありがたそうな顔をした。

「じゃあ、ガーネットは本当のターゲットじゃなかったということか?」

 ライターの火が香に移ると、白檀の上品な香りがあたりに広がる。つくづくこのケイロンという男は、センスがあるのかないのか、それともそこに力を入れるよりも、別のほうに力を入れたい人なのか、なんとも戸惑ってしまうときがある。

 きっと、今のような運命を辿らなければ、ニムロデ侯爵のように資産家にもなれたことだろう。それを手にするだけの政治的手腕も、少なからず彼の中には感じられるからだ。

「彼らにとっては、おまけのようにしか思っていないのかもしれないが、優れた人材を集めようとする動きがあるのは、事実。それがどんな分野であれ、秀でた者の遺伝子を奴らは欲しがっているのだろうよ」

 事態は思っている以上に、深刻な状況なのかもしれない。しかもこのことを知っている人は、どのくらいいるだろうか。しかもあのコアの奥深くに、高度な都市が蠢いているかもしれないなんていう、夢物語のような話を。

 実際、ジーンやマナも百パーセント信じていいものかどうか、唐突に突きつけられた話に、戸惑いの感情も浮んでくる。だからこそケイロンは、それを調査し続け、その結果をマスコミに流し、世界の人々に知らせようとしているのかもしれない。

「それでだ、ここからは新たな仕事の依頼の話になるのだが……」

「ちょっと待ってくれ」

 突然に、ジーンは声を上げた。

「あんたの今までの話は全て、本当のことなのか?」

 ニムロデ侯爵夫人のときもそうだったように、ジーンは相手の話を全て、鵜呑みにして聞くタイプではないようだ。必ず裏を取ろうとしたり、疑念をぶつけては、相手の反応を見て真実を見つけようとしたりする。本当に聡いというか、ある意味では狡猾とでも言うべきか……。

 だがケイロンは、ジーンの揺さぶりにもびくともしない。さらりと、かわすように語るだけだった。

「まぁ、信じられないのなら、それまでの話だがな。他の情報員からの提供で知った情報もある。全ての裏が取れたわけではないのも、また事実。だけど彼らの情報と、研究所の動きとを照らし合わせてみれば、一致する点も多数ある」

 そこでケイロンは再度、あの黒い石、輝石を取り上げ、まるで掌をマッサージするかのように握りこんだ。

「まぁたまに、とんでもないガセやただの推測も入って来たりはするものの、たまにそれが大きなヒントになるときもある。この輝石の磁力を利用したエネルギー発電説は、まさにそれだった」

「……コアの奥深くの都市も、それをエネルギー源にしているとでも言うのか?」

「どうやら、そのようだ。あの奥深くにはたんまりと、月隕石が眠っていて、ノアはその隕石を消えることのない、半永久的なエネルギーとして利用し、発達してきた近代都市と聞く。ノア人と接触した情報員からの情報だがな」

 ジーンは未だ、胡散臭いものを嗅ぐような顔で、眉間に皺を寄せていた。だがケイロンはそんなジーンの様子に、満足したようだ。

「よかった。少しはノアのことに興味を持ってくれたようだね」

 ケイロンはそこで、握りこんでいた輝石を、音を立てて机の上に置いた。マナとジーンの目の前に。まるでそれが、ノアそのものであるかのように。

「そう、俺が依頼したい仕事はノアのことなんだ。あの都市のことを確かめてきて欲しい。いや、正確には、あの都市への行き方を調査して欲しいんだ」

 それは、途方もない依頼のように感じられた。もしかしたら、今まで誰も行ったことがない場所かもしれないのだ。そんなところにどうやって……

「調査して欲しいって……。そんなの、自分でやれよ。それか、そのノア人だかなんだかわかんないけど、その人種と接触した情報員に頼むのが効率的な気がするんだけど」

 正直、マナも心のどこかでそう思っていた意見を、全てジーンは述べてくれた。世界のこともまだよくわかっていないのに、そんな未知な場所に行けだなんて、難易度が高すぎる。しかし、ケイロンはそれに対して少々困った顔をして、

「俺も俺でそれに関しては、独自に調査しているんだけどね、一向にうまくいかないんだ。それに、実際にその地に赴いた者が今までにも何人かいたんだけどね、誰も戻っては来なかった。こちらから行った者は消息不明で、あちらから来たものはこの世界に存在している。これも一体、どういうことなのか。ノアへの入国を、拒んでいるということなのか。やはり、敵意しか持っていないということなのか……」

 最後のあたりは、自分の研究に没頭する研究者のように、思考の海の中に潜り込んでいってしまった。

「あー、もう! 何がなんだかよくわかんないけど、とりあえずこの世界にいると言われている、ノア人に会って手がかりになりそうな話を聞いてくればいいってことだよね? どうやら、ノア人と接触した情報員は無事のようだし。ということは、全てのノア人が研究所の奴らみたいな人間じゃないってことだよね? それだったらまだ、危険じゃなさそうだし請けたっていいと思ってる」

 だがこれ以降の言葉は、ジーンは壁を作り遮るように、断固とした言葉で言い放った。

「だけどそれ以上はごめんだ。俺だって、自分のやりたいことあるんだからさ!」

 そう言うと、急にジーンは我慢の切れた子供のように、自分の主張をし始めた。だけどそれはたしかに、当然の権利だ。ケイロンからの仕事を請けるかどうかは、強制的ではないのだから。

 だけどジーンも大分、譲歩して話しているほうだと思う。本当は彼は、この仕事を降りたいとも思っているのだろう。それほどに今回の仕事は、〝やばい〟と思っている節も感じられる。

 だけどそれは、マナも同じ気持ちだった。しかし、研究所と地下都市ノアが繋がっている可能性は高く、そしてその研究所は、自分たちのことを狙っているということが、降りたくても降りることができない仕事だと思っているのだ。いやもしかしたら自分たちを狙っている本当の黒幕は、ノアという都市全体の思惑であったなら――

 それを考えるのが、怖いのだ。マナもジーンも。もしかしたら、ケイロンでさえも――

「あぁ、それでもかまわない」

 ケイロンは、ジーンの苦し紛れの提案をそれでも飲んでくれた。結果を出せるのなら、その工程までは指定したりしない、という意味合いでもあるのかもしれない。それにケイロンは、もう一つの提案をしたかったのだ。

「もう一つ、依頼したい仕事があるんだ」

  彼は再度そう切り出した。あからさまにジーンは、今度は何なんだ! という、厄介事に警戒した顔をする。

 しかしケイロンは、目の前に視線を据えながら、別の世界にアクセスする人のように、思考の海に沈みながら言葉を続ける。

「今の状態では、どうあがいても数の上でも俺たちの不利だ。だから、大きな決め手がほしい。仲間でも何でもいい。同じ情報員や諜報員でも何でもいい。やってくれるか?」

  ジーンは、その依頼に眉をひそめた。そして一言、

「あんた、戦争でも始める気か?」

  と、聞いた。その質問にケイロンは一瞬、どちらとも判じがたいような皮肉な笑みを浮かべたが、ため息のような言葉があとに続いた。

「俺にそんな気はなくとも、向こうが放ってはおかないだろうな。そういう意味で言うなら、もうすでに目に見えない戦いは始まっているのだろうよ」

「……」

  逃れることのできぬ仕事。そんな言葉が浮かぶ。しかし、仕事と呼ぶには少々荷が重すぎて、そして賭けているものは自分たちの生命かもしれないのだ。あまりにも、割りに合わない。そして、理不尽でもある。だが、やらなければ、進まなければ、やがて忍び寄ってくるのかもしれない。死という名の闇が。

「……進むしか、ないと思う」

  ぽつりと、マナはそう呟いた。隣でジーンが、本気で言ってるの? という顔で覗き込んでくる。

「だって、逃げ続けたって同じだよ! この地の下に、私たちの知らない近代都市があって、その都市の人々が少しずつ地表に姿を現し始めているのだとしたら、地表の人々は淘汰されてゆくと思う。どんなに人間というものを、性善説で考えてみたって、その両者の間に圧倒的な力の差があれば、人は必ず……、必ず……」

  そのあとの言葉が出てこなかった。言葉にするのが、怖かったのだ。しかもこのときマナが抱いた怖さは、淘汰される側の人としての怖さではなく、淘汰する側の人の感覚がわかってしまう、もう一人の自分がいたからだった。圧倒的な力を持つことを、知ってしまったからだ。

  人は、なんてものを造り出してしまったのだろう……。ジーンはそれでも、この世に生まれたことをありがたいと思うと、言っていた。いったい私は、あと何年この地にいれば、そんな気持ちになれるだろう。

  マナの前に、また大きな壁が立ちはだかった。

 だがジーンは、そんなマナの心中など知りもせずに、感情を吐き出すように言葉を放った。

「わかってるよ! ずっとそんなこと、わかっていたよ! 俺は、死ぬまでずっとあの研究所から狙われ続けるってことも! 根本に対峙しなきゃいけないんだって、本当はずっとずっと思っていても、でも……」

  蚊の鳴くような小さな声に、萎んでゆく。マナもずっとわかっていたことだった。彼に言わなければいけないことなのだけれど、でもずっと言えなかった。それでも対峙しなければいけない時は、こうやってきてしまった。ケイロンの訪れがあったあのときから、運命は急速に、回り始めていたのかもしれない。

「…………マナがいてくれるのなら……」

  誰にもわからないくらいの呟き声で、ジーンは独り言を口の中で言った。マナは案の定、頭の上に〝?〟マークを浮かべたが。そしてひとしきり悩んでふっきれたのか、ジーンは突然に叫ぶような大声を上げた。

「もう、わかったよ! やればいいんだろ! やれば!」

  そんなジーンの反応を見て、ケイロンはくっくっと笑いを噛み殺すように笑った。そして、

「どうやら勇者様は、マナのほうだったようだな。せいぜいお姫様は、足を引っ張らないようにな!」

「うるっさいな~! 俺は〝姫〟じゃない! 男だ!」

  だがそうやっておちょくるケイロンも、どこかホッとした様子だった。やはり、皆同じなんだと、マナは思った。

「でもさ、どうしてマナはそんなに勇猛果敢でいられるわけ? 〝剛〟だよね、〝剛〟! 〝柔〟じゃない! ロックだ、ロック!」

「? ロックって何?」

「知らないの? 今度聴かせてあげるよ」

「うん? 俺、持ってるぞ」

 と同時にケイロンは立ち上がり、手近な棚から一枚のCDを取り出した。

「やめてくれないかなぁ。マナに悪い影響及ぼすの」

「なんでだよ! 今度聴かせるって言ったのは、お前だろう? ほれ」

「だから、ケイロンが聴くものなんて怪しすぎて、マナの教育上良くないってことだよ」

「……いつからお前は、マナの教育係になったんだ……」

 二人の騒がしいやり取りを、マナは傍目に聞きながら、やがて暗闇の空に顔を出した月夜を一人眺めた。あの月は、空から我々を見下ろし、嘲笑っているのだろうか。それとも、微笑んでいるのだろうか。今のマナには、まだそれを判別することはできずにいた。


 その夜、深夜に目が覚めた。結局あの後、契約やら何やらの、細かい取り決めや説明を聞いているうちに夜もふけ、今日はケイロンのこの事務所に泊まることになった。眠る場所もろくになく、床に雑魚寝にはなったものの、やはりそこはレディファースト、マナにはソファを貸してくれた。

 最初はケイロンのベッドを勧められたものの、そこは丁重にお断りしたのは、言うまでもないことだったが。

 床に寝ている残りの二人に視線を移すと、すやすやとした気持ちよさそうな寝息と、豪快ないびきとが合唱していた。その様子を見ていると、小さく口元に笑いが浮んだ。なんだか、親子のように見えてしまったからだ。

 音を鳴らさないように窓辺に近づく。暗闇の中にぼんやりと浮かぶ砂丘と月は、ある意味神聖な空間を作り出していた。風一つ吹かないその光景は、時が止まっているようにも感じられた。

 この砂丘の遙か向こう側に、この世界のどこかに、暗闇のこの夜空のような闇が、ぽっかりと口をあけているところがあるのだ。この闇の奥には、何があるのだろう。何が待っているのだろう。そこはもしかしたらこの空みたいに、輝く星も月も、明かりという明かりはないのかもしれない。そんなところに私たちは行くのか。行けるのだろうか。

 マナは目を閉じた。無風の砂丘に立って、ほんの僅かでも流れる風を探すように耳を澄ました。世界の音を探すように、この地が立てる音を探すように。

 不意に、狼の遠吠えがこの夜を切り裂いた。それは、シアンの声だった。どうしたのだろう。何かあったのだろうかと、心配に思ったが、シアンの声に同調するようにルナも吠えた。遠くにいる仲間に、何かを知らせようとする声なのだろうか。それとも何かの、警告なのだろうか。

「狼か……」

 もぞりと、タオルケットを跳ね除けて、ケイロンは起き上がった。傍らで眠るジーンは、この鳴き声には慣れているのか、びくともせず穏やかな寝息を立てたままだった。

「あれは、毎夜毎夜ああなのか?」

 ケイロンは眠りを妨げられ不快感を露に、マナにそう質問した。

「私はシアンたちと近くで過ごす夜は、ジーンほどはなかったけれど、でもいつも遠吠えするって感じでもなかった」

「そうか……」

 欠伸をしながらも、すっかり目が覚めてしまったという顔で、ケイロンは外に視線を向けた。そして唐突に聞いてきた。

「眠れないのか?」

「……」

 マナはしばらく答えなかった。相変わらず視線は窓の外に向けながら、ぽつりと言った。

「目が覚めただけ」

 ケイロンはどこからともなく煙草と安物のライターを取り出し、火をつけた。やがてさっきと同じ、

「そうか……」

 と、また一言呟いた。煙草の香りが室内を満たす。ジーンがその香りに目を覚ましてしまうんじゃないだろうかとか、灰が落ちて火事にならないのだろうかとか、マナはいろいろと思ったが、言葉にすることはなかった。ケイロンは大きく煙を吐き出すと、その煙に紛れるように言った。

「俺はね、君が心配なんだよ」

 ちらりとそちらのほうに視線を移すと、その視線はマナを見つめてはいなかった。相変わらず窓の外の、月を見ているようにさえ感じられた。

「ジーンは、たぶんどうにかやっていけるだろうさ。なんだかんだ言って、あいつはこの地に溶け込めるだろう。だけど君は、本当に一人だ。君のような者は、この世界にはいない。ジーンでさえもきっと、君の力はわからない。いや、力がわからないんじゃない。力を持つ者の感覚が、わからない」

 灰がぽとりと落ちる音が聞こえた。だがそれは、ケイロンの指先が灰皿に灰を落とす仕草の音だった。

「その感覚はきっと、君にならなければわからない。誰も、誰もね――」

 シアンたちの遠吠えは、やがて止んだ。静まり返った砂丘の砂が、幾筋かさらさらと流れ落ちただけだった。不意にマナは、口を開いた。

「私たちは、どこから来て、どこに行くんだろう。どうして、生きているんだろう。このことは皆、わかっていることなの?」

 マナは何もない空間に、この世界全体に問うように、そんな言葉を口にした。だけどこの言葉を実際に耳にしたのは、この空間ではケイロンだけだった。最後の一口を大きく吐き出して、ケイロンはその小さな火を消した。

「それは俺も含め、人類全ての宿題だな」

 やがてケイロンは横になり、タオルケットを肩まで引き上げて、マナにおやすみの片手を上げた。そして背を向けながら、こう言った。

「決して、自分を見失うなよ」と。

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