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ぬりかべかあさん 1

 走っていると、うずくまったカブトムシみたいな異様なかたちの建物が見えてきた。

 地上八階くらいの高さで、窓がいろんな方向をむいてたくさんあるけど、ぜんぶ黒い金属のブランドで覆われている。

 しかもそのブラインドは外にある。

 中からオレンジっぽい光が漏れている……。

 不気味だが、それはともかく、あそこで、ぼくは初めて名前をもらい、登録され、この世に存在していても問題なくなるのだ……。

 それを思うと見かけの気味わるさくらいなんでもなかった。


 ぼくの裸をみて失神したり、わがまま放題のお嬢さんだったり、足首は折れそうに細かったりするので、弱々しい印象を受けていたのだが、予想に反して彼女の走りは力づよいし、タフだった。

 さきを走っているイゾルデが、片手をまっすぐ振り上げてから、ガッツポーズを取る。

「やった、パーティーにギリギリセーフっ!」

 僕も息が上がりまくっていたが、亀執事に何のことかアイコンタクトでたずねた。

「今夜のご予定でしょう。わかい女性ですからな……、お楽しみはそれくらいしか……」

 彼にはこの走りはキツイらしく、表情が減ってきている……。

「ま、もうすぐですぞ……」

 もはや自分に言い聞かせているようだった。

 もともとコスプレが甲羅だから重く、ドスドスと走っている。


 ぼくの明るい気持ちは、とつぜん障害にぶつかった。

 実際の障害だった。


 壁……。


 ぼくたちは、「コスプレ管理機構」の入り口に、あと数メートルまで近づいていたはずだった。

 ところが、とつぜん、目のまえにかたい壁があらわれ、イゾルデが最初に壁にぶつかった。

 どんっという音がして、イゾルデの悲鳴、彼女はこちらに吹きとばされてくる。

 ぼくは嬉しくて彼女を追いこしてやろうと加速したところだったので、彼女にぶつかってしまった。それによってぼくはうしろにはじき飛ばされ、彼女はふたたび壁にぶつかった……。

 尻もちをついたぼくの上に、崩れ落ちるように彼女が倒れこんでくる。


 かたちの良いヒップがぼくの腹部におしつけられていたが、もちろん、それを楽しむゆとりはなかった。

 彼女の体をおこしてすわった状態にさせながら、目のまえにひろがった壁に目をこらす……。

 さっきまでは、大きいガラスのはまったエントランスだったのだ。

 そこにとつぜん壁があらわれた……。

 高さは数十メートル、横は、ほかの城や壁にぶつかるまでどこまでも伸びていてる。


 目の前一メートルのところにとつぜん万里の長城があらわれたのを想像してほしい、視界を壁が埋め尽くす。この時点で起きたことはまったくそれとおなじことだったのだ……。

 彼女のからだが腕のなかにあったが、それどころじゃなかった。



「なんだ、これは?」

「これは、珍しい……、い、いや、お嬢さまは無事ですかな?」

 亀執事は彼女のマスクにおおわれた顔をうごかした。


「大丈夫よ、じい、気はうしなってない……」

 イゾルデがいう。片手でぼくの手をかるく握っている。

「そうですか、少し鼻血がでたようですな。これをどうぞ」

 亀執事は彼女のくちのなかに何か薬を押し込み、どこからから取りだした水を飲ませ、イゾルデがふかく息をして落ちつくのを確認すると、心配もそこそこにすぐに壁のほうを向いた。


「ふむふむ、これは、『ぬりかべ』ですな……」

「ぬりかべ……、どこかで聞いた記憶がある……。この世界は妖怪もいるのか?」

「まさか、……本当の妖怪は、たぶん何千年も前に滅んでしまったでしょう。ただし、妖怪もキャラクターなので、コスプレはあります。これは『ぬりかべ』という妖怪のコスプレですな……」

 亀執事は、ゆっくりと灰色の壁面をなでている。


「この壁がコスプレ……」

 僕は目のまえに拡がる広大な壁を見つめた。

「あらためて言っておきますが、サイズはマズラが調整してくれてますので、問題になりませんですな。どんな大きさでも可能……」

 コスプレの大きさは、お互いにその大きさであるように感覚するように仮想現実がはたらいて補正をくわえているという、さっきも聞いた説明だった。

 ならば、いまのこの状態も、じっさいは自分を「ぬりかべだ」と思っている普通サイズのだれかぼくたちの前に立っているだけなのかも知れない。

 しかし、目のまえに拡がっている広大な壁をみると、これがひとりの人間だとはどうしても信じられないのだった。


「おお、そうですわ……」

 亀執事は思いついたようにぼくに小さな金属の箱を渡した。

「持っておきなさい。全キャラクターの情報が入っているタブレットですな。この世界では、ともかくキャラクターが全ての基本なので、それが必須ですな……」

 渡されたデバイズの画面には、四角い壁が写っていて、説明のテキストが書かれている。

 慌てていると出現する妖怪、……なるほど、なるほど、

 指で画面をスワイプする。何百というキャラクターが画面を流れていく。

 理解するには、多すぎる……、ぼくは画面の表示を消した。



「ふざけないでよね」イゾルデがいった。「メイクが崩れちゃった……」

 彼女は壁にむかって亀執事がもってきた小ぶりの椅子にすわり、また彼がだした化粧ツールをつかってメイクを直している。

 ぼくはカーテンを広げ、彼女の化粧なおしが人目に触れないようにしている。


「このままだと入れませんな」

 ようすを見ていくるといって出かけていた亀執事が戻ってきて、報告する。

 壁はおおきくひろがって丸く管理機構を取りかこみ、突起等がないので上には登れず、念のために地下通路もしらべたが、やはり壁で埋まっていて通り抜けできなかったという。

 ただし、退出する職員や、用事のある市民のためには、壁のいちぶが透明化して道をつくっているという。

 どうやらぼくたちだけを通したくないらしい……。

「いやはや、はた迷惑なコスプレですな……」


 ぼくはさっきから疑問だったことをきいてみた。

「自分がどのコスプレをするのかは、誰が決めるの?」

「おさない子供のときに決まってしまうので、その時に本人の意志はまだありません。その能力や性格を考慮して、マズラが決定します」

 ……やはりそうか。

「どうりで、なるほどイゾルデの性格は、イゾルデ姫以外の何ものでもないね……」

「だいたいそうなんじゃが、もちろんマズラに分かりにくい性格とかもあるので、問題がゼロというわけにはいきませんな。キャラと性格が合わないという問題は、いつの時代も存在しますな。なので、なんのキャラのコスプレをするかは、成年をむかえた段階で本人の自由意志で選ばせるべきだという主張もありますな……」

「このぬりかべのコスプレをしている人、どこかおかしいのかも知れない……」


「もういいわよ、帰りましょう……」

 メイクもなおったイゾルデが言う。「どうしても入れないし、パーティーも始まっちゃう……。」

 ぼくは気色ばむ。「ぼく用の化粧は持ってきていないし、汗ですでに化粧が落ちてきている、バレてしまうかもしれない。それより、早く登録して一般市民にならないと……」

 さっきの警官はなにか感づいていた……。このまま帰るとバレるかもしれない!

「へーきへーき、暗くなるから見えやしない、いくわよ、じいや……」


 イゾルデが後ろをふりむいた時、薄暗くなった街、ぼくたちが通り抜けてきた街から、パトカーのサイレンがいくつも聞こえてきた。


 イゾルデと亀執事はこまった顔をみあわせた。


「これはイベントではない、これはイベントではない。未登録、コスプレ未着用の不審人物がこの街に侵入中! 協力者は金髪のイゾルデと従者タートル、この二名も重要参考人として逮捕する。全警察官と兵士は探索にあたれ! 市民は協力すること!」


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