コスプレ管理機構 2
ちょっと待ってよ、それはていのいい処刑じゃないか……。この世界は、世界の基準に合わないものを「分解」して、世界の都合のいいものに作り替えているということか……。
そして、記憶のないぼくは、どう考えてもこの世界の基準に合わないものだった……。
ぼくはくるりとUターンした。「帰ります」
レイチェルは何も言わなかったが、ふう、という小さなため息が背後からきこえた気がした。それから、キセルを吸いこむ音と、気だるい煙を吐きだす音。
廊下のむこうの曲がり角から、……もう懐かしく感じる……、立ち上がった亀のようなシルエットが現れた。
疲れたようにペタペタ歩いてくるのは、亀執事だ。そのうしろからイゾルデもキョロキョロしながらついてくる。
ぼくは一歩一歩を踏みしめながら歩いた。
少なくとも彼らはぼくがここに来るのを(たぶん大変な思いをして)手伝ってくれた。それなのにぼくはその目的を達成すること、コスプレイヤーとしての認証を受けることをやめようとしているのだ。
だって、自分が死んで消えてしまったら、あとに自分そっくりな出来のいい別の自分が残ったところで、自分にとっては意味がないじゃないか。
自分は死ぬのは嫌だ。
あっけにとられている二人に、ぼくは口角あわを飛ばして説明した。
最初は笑っていたけれが、説明のとちゅうでイゾルデは、「ともだちに会ってくる」と、またどこかに行こうとする。
「おい、イゾルデっ!」
「じい、説明しといてね……」
思わず感情を爆発させたぼくに冷たい視線を投げて、イゾルデはエスカレーターに乗ってまた上の階に行ってしまう。亀執事は平たい手にハンカチをもち、頭を拭いている。
「そうですか、レイチェルがそんな説明を……」
「そう聞いたよ、でも、しらけている感じだね? もしかして嘘なのか?」
「うんにゃ、本当のことですな。ここは『真実会館』ですぞ」
「やぱりぼくはこの世から消えてしまうかもしれないんじゃないか!」
「おちついてくだされ。ここでは、嘘はいえないのですが、かといって真実をすべて話さなければならない、ということではありませんな」
「う……、まぁ、そりゃそうだな」
「すべてを話そうとしたら、時間がいくらあっても、たりませんからな」
「で?」
「彼女が言っていないことがあるんですぞ。たぶん、ここだけの話、悪気だと思いますが、……あいつはイゾルデ姫より性格の悪いやつなので……、あー、こほん」
『全会話は記録されています』 館内スピーカーでレイチェルの声が響いた。
「つまり」亀執事はきにせず話しつづける。「『分解調査』はあるんですが、実際には、人間に化けてきたエイリアンとか異次元人とか、ほとんどそんな奴らにしか適用されていないということですな」
「そうなんだ……」
「だから『認証』はほとんど大丈夫ですぞ。問題はそのあとの『認定』ですな、ここでキャラクターが設定されるので、まぁ、君の人生が決まってしまうということになりますな。ノミの人生とローマ皇帝の人生では、そりゃもう……」
「いま、『ほとんど』って言ったな! もしかしたら、その確率は……」
「さぁさ、行ってらっしゃいませ……」
「ちょっと待ってよ、ぼくは、じゅうぶんに納得してから……!」
亀執事はぼくを押して、無理やり、まだドアの開いている『認定室』に押しやっていく。
納得いかないぼくは抵抗する。
ドアの横ではレイチェルがキセルをふかしながらスリットの窓のそとを眺めている。
「めんどくさいわね、早くしなさいよー!」
いつの間にかイゾルデも現れ、スカートをたくし上げてぼくに蹴りを入れる。
ハイヒールの靴は素早く脱いでくれていたのは助かった。
とはいえ、蹴られたいきおいで、ぼくは認定室によろめいて入ってしまい、そのままのふらつきの勢いで青く光る認定ゲートを潜り抜けた。
レイチェルが、ドンッとドアを閉めた。
・
『DNA照合終了』
『精神構造照合終了』
『記憶構造照合終了』
ゲートを潜り抜けたぼくは、空中に浮いているような状態になり、強烈な光やイナビカリ、レーザー光線につぎつぎに貫かれた。
一切何かを考えることなんかできなかった。
機械的に読み上げられていく進行状況のインフォメーションだけが聞こえていたのだが、その意味を考えることはできなかった。
『認定済み個体』
『二十年前に認定済』
『以下認定ステップ省略』
『キャラクター認証』
『性格分析』
『記憶分析、エラー……』
『問題なし、問題なし……』
『運動能力分析』
『健康状態分析』
『体力分析』
『体型分析』
柔らかいベッドのような床に、僕は落とされた。
ドサッと音がして、自分の体がバウンドしているのを感じた。
超スローモーションで浮かんでいたカツラの髪の毛が急に動き出し、自分の顔に落ちてくる。
自分が浮いているように感じていたが、意識が覚醒して、よろめいて倒れるまでのコンマ数秒を長い時間に感じていたのだと直感した。
ぼくの認定と認証は終了したのだ。
ともかくこれで生きていける。全身の緊張が解けていく。ぼくは深い息をついた。
・
「ラメ」
「メガネ」
「練り歯磨き」
ドアを開けると、レイチェル、イゾルデ、亀執事がしりとりをしながら待っていた。
認定ステップは一瞬で終わったが、そのあとの認証とマスク着用が時間がかかったのだ。
イゾルデと亀執事は、こちらを見て声を失った。
レイチェルだけは、「き……、き……、キン、いけない、はしたない……、きゃっ!」とか、しりとりの答えを考え続けている。
「あ、あな、あななななた、それっ、それは……その、あの、あららら……」
「これはこれは、そういうことじゃったか……」
ドアから外にいっぽふみ出す。
鎧の音ががちゃんと響く。
マントの端がふわりと持ち上がり、静かに下がる。
腰にはいた刀の柄に手を当て、少し角度をなおす。
軽装の鎧で、金属製のヘッドパンドからバイザーが降りていたので、それを片手であげる。
いまぼくは白い歯を光らせて、微笑んではいないだろうか?
こういった所作はいちいちかっこよかったが、そのかっこよさは、意図してやっているのではなくて、体が自然に動くのだった。
いま、ぼくの頭にもチップが埋め込まれ、マズラと交信している。
ぼくが手を動かしたいと思うと、それがマズラに伝わり、マズラはぼくの意志を一番ぼくのキャラクターにふさわしい形で実現するように、コスチュームに指令を出す。
そうすると、コスチューム(実際は、ボディマスク)はそのように動くように、ぼくの動きをサポートする。
意志はぼく、行為はキャラクター。
それがコスプレイヤー。
ぼくはコスプレイヤーになったのだ。
「あの、あのあのあの、……、一応聞くけど、あなたのキャラクターは、それ、もしかして……」
「ぼくは、……円卓の騎士トリスタンだ」
「キャァァァァーっ!……、あ、うぅーんー……」
イゾルデは絶叫して、失神した……。