蒼い部屋 1
以前のぼくは君だったかも知れない
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記憶がなかった。その部屋で目覚めたぼくは、薄手のパジャマみたいな服を着て、床にころがってたんだ。
蒼い、病室。
照明は落とされていたが、青いインジケーター類があちこちで点滅していた。
モーターみたいなごく小さい音も耳をすませば聞こえる。
だから病室と思ったんだ。
壁に近いところにはベッドらしいものが見えたし、点滴のシステムにつながっている計器類も見えた。
ぼくは病室の床に転がっていて、……そして記憶がなかった。
額に手をあてた。
地球、日本、現代……。
サイン、コサイン、タンジェント……。
水金地火木土天海冥。
いろいろな記憶はある。
自分の具体的な記憶がない。
これは、『エピソード記憶』の損失だ。自分の状態さえ、理解することができた。
「う、うーん……」
声がして、ベッドの上のシーツのかたまりがもぞもぞと動く音がした。
その気配に、ぼくがふりかえり、そちらを見上げたのと、黒髪の美しい少女がからだをおこすのと同時だった。
長い髪がぱらぱらと青白い肌の上を流れおちていく。
彼女はイゾルデであり、そしてぼくの運命だったのだが、この時点ではそんなことは分かってはいなかった。
なにしろ、自分が誰かも分かっていなかったのだから。
このときのぼくは、シーツの下から這いだしてきた少女が、全裸で、青い弱いライトにその白い肌がうっすらと照らしだされていたことしか気にならなかった。
マットについた両腕のあいだで、胸が呼吸で上下し、そのうえの豊かなふくらみがゆっくりと揺れている。
「誰、……なの……?」
怪訝そうな表情を浮かべているのは、寝起きとは信じられない整った顔だった。それでもやはり眠気はとれないらしく、眼をぱちぱちと開け閉めし、まぶたを白いゆびでこする。
青い光に照らされているのは、雪のように白い腕だった。
「なんでいるの? 誰かさん……」
彼女も寝ぼけていて、事態をはっきり分かってはいないようだった。
このような場合、次の瞬間には彼女は騒ぎだし、ぼくは侵入者か、悪くすると痴漢ということで、警察とかにつき出されてしまうのでは?
「ご、ごめんなさい……」
「ドロボウ?」
「違う、……たぶん」
……といいながら、自分は泥棒で、病院に侵入したが、ちょうどそのタイミングで記憶喪失に陥ったという都合の良いストーリーをいっしゅん想像したが、さすがにそれはできすぎていてありそうにない話だった。
「そうよね。不審な人ならここに入ってくることはできないわ……。『マズラ』に承認されているということは、少なくとも国民、もしかしたら私のイベントの関係者ってこともあるかも。 ……あなた誰なのよ?」
ベッドに座ったまま、あごに手をあてて彼女は考えている。
シーツは落ちていた。
完璧なボディラインを隠そうともしていない。彼女はなにひとつ身に付けていなかった。
(あとで分かったが、それが彼女の時代の習俗だったかららしい)
彼女はどうどうとして、なにも恥ずかしがってはいないようだったが、失礼にならないように、ぼくは無理な体勢で目をそらしていた。『まずら』?、『いべんと』? ……言ってることはさっぱり分からなかった。
この時点では仕方ないのだが、私はここがコスプレで成りたっている世界だということを理解していないのだから……。
「ごめん、ぼくも状況を把握できないんだ……」
「このイベントはなに? あなたは、誰なのかしら……」
彼女は指を唇にあてて沈黙した。ぼくもからだを起こそうとしたが、力が入らなかった。やっとの思いで、床に座るかたちになった。
彼女はベッドの上でひざを立ててこちらを眺めていた。小首をかしげて、なにかを考えている感じだったが、ぼくが座ったポーズになって息を整えていると、とつぜん脚をベッドから下ろして、こちらに向かってきた。
彼女は自分のからだをいっさい隠そうとしなかった。全裸の女性がせまってくるのだ。正直、ぼくはうれしかった。……というか、うれしすぎた。心臓がどきどきした。その白い顔が近づいてくるにしたがって呼吸が急激に苦しくなってきたが、彼女は全然気にした様子はなく、ぼくのあごにさっと手をかけた。
「あなた……」
「えっ、えっ……」
愛の告白だろうか? それともキスだろうか?
彼女はぼくのあごに指をそえ、ぐいっとひきあげた。
「ずいぶん上等なマスクね……、まるで素顔みたい」
なにを言われたのか、意味が分からなかった。「どのメーカー製なのかな?」 そのまま彼女はぼくの周りをよつばいになって回りはじめた。どうも、ぼくの服やからだを確認しているらしい。
ときどき、ため息みたいなセクシーな息をしている。
さすがにぼくは天井を見つめ、彼女のからだに目をやらないようにしていたが、ふとした弾みで、そのかたちの良いヒップの上の細いラインが目に入った。
ごく薄い接合部、工業製品的な切れ込みみたいだった。
なんだんだ、これは?
彼女は、からだにスリットの入っているアンドロイドかなにかなのだろうか?
だとしたら、はだかを恥ずかしがらないわけや、完璧な体形も理解できる。
「脱いで……」 とつぜん、彼女が後ろから抱きついてきて、ぼくの着ていたシャツのボタンを外し、引き降ろした。
「えーっ?」
われながら情けない反応だったが、いっしゅん、彼女が求めてくるのかと思った。
ちがった。彼女はぼくの肩に手をあて、光の方に向けて、
……絶叫した。




