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分家  作者: 津蔵坂あけび
金沢編
8/10

帰ってくれ

 特急サンダーバード。灘から金沢までの電車の旅。一足早い新婚旅行のようだけど、どこか複雑な気分。金沢に本当の父親がいるということは、私は北陸の生まれだったりするのだろうか。でも、幼少の頃の記憶がない私には、北陸の訛りがあったりはしない。


 車窓には、まだ青々とした山々が。きっとトンネルをくぐり抜ければ、だんだんと白い景色に変わっていくのだろう。川端康成のあの有名な一節が、口を突いて出てきそうだ。


「宏明は、金沢には行ったことがあるの?」

「脚本を書くときに舞台にしようと思って、一度ね」


 私なら、雪景色の舞台を組立てていたときも、写真を参考としてちらちらと見た程度で済ませてしまっていたのに。今のポップアートのデザインの仕事も、モチーフにそこまでねこだわった経験はない。

 私が軽視してしまいがちな、こだわりが宏明の仕事にはいつもあって、素直に尊敬できる。


「今はネットで調べたりもできるのに、わざわざ行くなんてマメだね」

 

 そう言うと宏明は、照れくさそうに駅弁についてきた紙パックのお茶を吸い上げた。駅弁は、サンダーバードに乗り換えた新大阪で買ったものだ。

 弁当箱の形は、上から見ると大きな正方形。それを開けると、九つの正方形で区切られた色とりどりのおかずとご飯が顔を出す。ご飯は、梅干しの埋め込まれた白米、かやくご飯、赤飯と三種類もある。


「いいや、半分以上は気晴らしの一人旅だよ」


 また照れ隠しの笑みを浮かべて、だし巻き卵をひとつ口の中へと運んだ。


「宏明、一人旅よくしてたものね。付き合いたての頃は、私に内緒で言ってたりしたでしょ? そのくせして、私に会うとすぐその自慢で、それで私がわざと機嫌を損ねたりして……」

「えっ、わざとだったのか……」


「いちいち、慌てて謝る宏明が可笑しくてついね」


 笑って細まった視界が開けると、彼が口を歪めていた。


「冗談よ。冗談」


 手で払うような仕草をして平謝り。

 それから、宏明の一人旅のときの話になった。金沢城や兼六園を歩いて回ったと。ちょうど紅葉の時期だったらしく、そのときに撮った写真のアルバムを何枚か見せてくれた。デジカメやスマホの画面ではなくて、ちゃんとした光沢紙に刷った写真で見せるのが宏明らしい。眼前に横たわるだけの景色も、彼は無下にしたりはしない。


 弁当を食べ終わって、しばらくしたあと。私は、車窓の向こう側の流れる景色は宏明に任せて、駅の本屋で衝動買いした文庫本に読みふけっていた。サンダーバードの車内では読み切れないことは目に見えている分厚さだったが、電車での長時間の移動の前に本を買ってしまう癖がある。

 

「お、そろそろ面白いものが見れるぞ」


 私は、活字の世界に飛び込む前に、彼に「面白い景色があったら教えて」とお願いしていた。すると彼は「‘とっておき’のものがある」と返事したのだ。どうやら、その‘とっておき’のものが近づいてきたらしい。


 「間もなく、福井駅でございます」と車内アナウンスが。


「お、碧。窓の外を見てみろ」

「なになに」


 「ちょうどいい位置に座ったもんだな」と宏明が漏らす。しかし、私は窓の向こう側にいたものに、口をあんぐりと開けてしまった。


 なんと、そこには恐竜がいたのだ。


 それも、白衣を着て。右手には、分厚い学術書を携えて。左手には、自身の頭の中に入っているものよりかはいく回りか小ぶりの、恐竜の頭蓋骨を持っている。そんな奇天烈な成りをした恐竜が、駅のホームのベンチに座っていたのだ。

 ぽかんと開いた口を塞げずに、目も点になってしまっている私を見て、宏明が腹を抱えて口を押えて忍び笑い。期待以上のリアクションだったらしい。


「びっくりしたろ。もちろん人形だよ」

「な、なんで福井駅に恐竜が?」


「フクイリュウの発掘は有名だろ。あれから、福井県で恐竜の化石の発掘が相次いで、県も観光資源としてアピールしているんだ。ホームを出ると動くモニュメントなんてものもあるらしい」


 特急券のせいで途中下車できないのが、惜しいくらいだと付け加える。ネットで画像を見せてよというと、悪戯好きの悪童のような笑みを浮かべて、「初見で驚く様子が見たいから、駄目だ」と。


「近いうち。また来よう。今度は純粋な新婚旅行として」

「――そうね」


 窓から感じる外の冷たさが増して、車窓から見える景色にも雪が混じり始めた。車内放送が終点への到着を知らせる。私と宏明はスーツケースを携えて、ホームに降り立った。雷鳥という名だったころからリニューアルし、暗めの黄色から白色にカラーチェンジしたサンダーバードの車両とはお別れ。


 駅から出ると、金沢駅のシンボルとなっている巨大な門構え、‘鼓門つづみもん’が私たちを出迎えてくれた。左右の支柱が、能楽の‘つづみ’をイメージして作られたからこの名があるということらしい。ちなみに金沢駅から鼓門までの道の上空を覆うガラス張りの天井アーチは、‘もてなしドーム’というらしい。


 いよいよ、金沢の地にやって来た。私の身に覚えのない故郷は、私をもてなしてくれるだろうか。――漠然と不安だ。

 時刻は十三時二十分。鼓門を抜けた先にある噴水時計が、それを知らせていた。水が沸き出す場所がちょうど電光掲示板のようになっていて、デジタル表示で時間を知らせてくれる。かと思えば、「いいね金沢」、「ようこそ金沢へ」などのメッセージが表示されることも。

 ここで、お父さんからもらった住所をふたりで確認する。‘石川県金沢市東山――’とある。すると、宏明が何かに気づいた。


「これ、ひがし茶屋街の近くだな」

「ひがしちゃやまち?」


 無知でかつ出不精な私はピンと来なかったが、金沢の中でも観光スポットとしてメジャーな場所らしい。見どころは、江戸時代からの景観が保存された茶屋街の街並みだ。近くにバス停も存在し、金沢城や兼六園、21世紀美術館といった観光スポットを巡る周遊バスも通っている。


「右回りルートの赤い帯の周遊バスに乗れば、すぐだ」


 宏明は以前に一人旅で行った際も、訪れたことがある。どのバスに乗ればいいかもすぐに分かった。

 

 周遊バスに揺られる。駅前から金沢城に向かって真っすぐに伸びる大通りを左折する。オフィスビルが立ち並ぶ開発地区から、加賀百万石と呼ばれていたころの古い町並みが保存された地区へと様変わりしていく。半ば、タイムスリップしたかのような感慨に浸りながら、‘船場町’というバス停で降りる。

 土日を利用してきたこともあり、観光目的でやって来たカップルや、外国人の集団がちらほらと。真冬の寒さと、澄んだ大気を貫く鋭い日差し。思わず、つばのついたニット帽をもう一度深くかぶり直す。


 固く踏みしめられた地面を覆う雪は、歩くたびにばごばごと音を立てた。たしか、このまえふたりでスキー旅行に行ったときは、雪を見るや否や宏明にぶつけたんだっけ。でも、ここに来た理由を考えると、とてもそんな気分にはなれない。――それは、宏明も同じのようだった。


 私たちは、神戸では地面を覆いつくすことのない雪を、やけに疼く胸を抑えながら踏みしめていく。サンダーバードの車内では、まだ少し浮かれることもできていたのに。足元で砕け散る雪が靴底を通り抜けて身体へと染み渡るように。冷たい緊張が心の中を支配し始めていた。


 それでも目に映るひがし茶屋街の景色は、幻想的だった。ガス灯が道の両脇に一定間隔で立ち並ぶ。暗い褐色に色づいた格子窓が特徴的な日本家屋が軒を連ね、一部は中が喫茶店や土産屋、資料館になっている。もちろん、茶屋になっているものもある。でも、それらは横目で流しながら、ふたりして住所をなぞっていく。観光客の中に混じって、メモ書きの住所と自分たちの現在地を照らし合わせて彷徨う様は異様だっただろう。


 ――茶屋街を抜けてしまった。街並みは、江戸時代の景観を残した美観地区というよりは、古い家が立ち並ぶ田舎町のようになった。江戸・明治から昭和に時代が進んだ感触だ。ちょうど、木造の壁とコンクリートの壁が向かい合うような場所もあって、時代の狭間を歩いているかのような妙な気分だ。

 そして、私たちは昭和時代にやってきてから、数分ほどか歩いた場所に‘それ’を見つけた。


 人気のない、空っぽの一戸建て。一階部分はかつて店舗か事務所だったのか、ガラス張りで、私たちの姿が歪んで映っている。錆びついた鉄製の看板には、かろうじて‘青井出版社’と書いてあるのが読めた。そして、その隣に真新しい‘売物件’の看板が立てられている。

 ここが、お父さんが毎年手紙を送っていた場所なのか。ただ、売物件の立て看板から察するに居住者はいないようだ。まじまじと見つめていると、ふと背後から野太い声が。


「うちになんか用か。もう、買い手なら決まっとるわ」


 金沢の土地にはなじまない関西弁だ。振り返ると、初老にさしかかったくらいの年齢の男が。私の顔を見て、わずかにのけ反り、唇が震えた。男は私たちのどちらとも目を合わさずに、ガラス戸を開けて、敷居をまたぐ際に背中越しに吐き捨てた。


「――どこの誰か知らんが、もう遅いわ。ようやく買い手がついて、片づけてるところや」



「……、帰ってくれ」



 男は乱暴にガラス製の引き戸を閉めた。


 ぴしゃりばたん。無愛想な音が、私の頭の中で共鳴していた。周波数を変えながら、何度も、何度も。


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