日暮と終末論
燃えるような赤焼け、橙に染まる景色。いつもと同じ時刻、いつもと同じ路線バスに揺られながら、ぼんやりと帰路に着く。
雨の痕が乾く窓の外をゆっくりと流れる景色の温度はいつもと変わらず、いつも通り僕には無関心に過ぎていくのに、僕はこの季節が、この季節の夕焼けが嫌いだった。子供の頃は馬鹿みたいに大きくて赤い太陽を見ては指さしてはしゃいでいたっけ。いつからだろう、夕焼けが嫌いになったのは。とりわけ秋の夕焼けはもう、居たたまれない気分になる。
まるで何処か、何かの終わりに向かって急いでいるようで。
鼻の奥がツン、として、窓の外の景色を見るのをやめた。何を感傷的になっているんだ、午睡の間に見た悪夢を引き摺る子供のようだ。
本日も快晴、いつかテレビで見た高層ビルには劣るものの、それでも田舎育ちの僕に威圧感を与えるのには十分すぎるビル街の隙間から嘲るように鮮やかな朱が見えた。あぁ、本当に世界が飲み込まれていくようだ。そんな異常なまでの夕暮れの空も、いささか急ぎ足な人々の目には留まらない。バスの中には相変わらず少ない乗客、なんだかいつの間にか、長袖が増え始めているなぁ、そんなことをふと思った。そういえばあれほど猛暑だなんだと騒がれていた暑さもようやく身を引いたようだ。その証拠に、足早な赤と長い影。気付いてしまえば錯覚のように、のろのろと半袖のままの僕の体が小さく震えて、寒い、そう感じた。秋だ。僕の嫌いな秋が、もうここまで来ていた。憂鬱だなぁ。独りごちて、両耳を適当に音楽で塞ぐ。ただの僕の嫌いな夕陽が、とりわけ今日はいやに頭を離れなかった。
数日前まであんなに必死に何かを訴えていたヒグラシの声も、もう聞こえない。
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夢を、見ていた。
がたがた、綺麗に舗装された道だって覚束無いバスの後部座席、だいぶ傾いだ陽が照らしていた。バスは相変わらず忙しないビル街を走る。最寄りのバス停がまだまだ先なのをいいことに、摂取しきれなかった時間の無駄遣い、惰眠の摂取に充てる。
幼い頃。今でこそ過疎がどうとか言われている小さな田舎に、僕と仲間たちは暮らしていた。自然に囲まれていた事と、近所のおばちゃんたちに可愛がられていたのをいいことに、それこそ日が暮れるまでそこらじゅうを駆け回って遊んだ。田舎の遊びと言われて思いつくものは一通り、来る日も来る日も繰り返した。飽きるほどに。
いつだったか、いつもの仲間の間で流行った遊びがあった。
忍者ごっこ。
当時テレビで放送されていた忍者もののアニメに、僕と仲間たちはすっかりはまってしまっていた。毎回きょうだいとの激しいチャンネル争いの果てに、テレビに齧り付いていた。世界の崩壊を目論む悪の組織と戦う忍者たち。―そんなありきたりな物語に、幼い僕たちは夢中になった。そして、一つ覚えが得意な子供達は毎日毎日、申し合わせたように「忍者ごっこ」を始めるのだ。校舎、校庭、無駄に長い通学路、誰かの家、はたまた、秘密基地。当然忍者は隠密に、大人にはばれちゃいけない、秘密組織。なんとも単純な幼い僕らの脳みそを埋めるのには充分過ぎた。
その日の僕らのアジトは仲間の家の居間、いつもの顔ぶれに、いつもと同じ遊び。僕らのちっぽけな世界を守る、幼い忍びの端くれ。隠密に、隠密に。名もない必殺技の応酬、誰も傷つけるつもりなんてない、いつも通りの―。
「…君、誰」
たったひとつの、イレギュラー。
見慣れない、女の子。否、どこかで会った事があるのかもしれないけれど、記憶には残らないような、そんな、何処か儚い雰囲気を纏う。
「こんにちは」
僕に向かって、凛とした声。ほかの仲間は、気づいているのだろうか。
「ねえ、聞こえてないの?」
「...、僕?」
こくり、肯く。真っ直ぐに僕を射抜く双眸。まるで時が止まったかのように、動けなくなる。音が、遠くなる。指先ひとつ、動かせなくなってしまうような、そんな感覚。
―この子から、この子が言うことから目を逸らしてはならない。
幼心にそう感じた。それほどに、今さっき出会ったばかりの、夢か現かもわからない少女の存在は、僕にとって絶大で、そして絶対だ。そう感じた。
「あの、忍者ごっこなら、」
何か言わなきゃ。沈黙が痛いくらいに刺さる。
「違う、私はそんなものに興味はないわ」
「そ、そんなものって...!」
「聞いて」
反論が止まる、否、止められる。少女の眼に、あぁ、また。圧倒される。不思議だ。どうして、
「明日、世界が終わるとしたら、あなたは信じる?」
「...は」
世界が終わる?
なんて現実味のない。そんなの、信じられるわけないじゃないか。
「なに、何の、」
「冗談だと思ってるでしょ」
でも。彼女は言う。
「もし、冗談じゃないとしたら?明日世界が終わるなら、あなたはどうするの?」
それは相変わらず現実離れした言葉で、それなのに。
何故か、信じてしまうような。
「...、あのさ、」
「何?」
「本当なの?...その、明日、世界が終わるのは」
少女は答えないまま、ふわりと笑う。その笑顔のままで一歩、僕に歩み寄る。
「世界は終わるの。あるいはそれが、明日じゃなくても、たとえいつも通り、明日朝が訪れても。世界は終わるの、何も無かったみたいに」
そのあとに小さく呟いた言葉は、僕の耳には届かない。一歩、また一歩、僕に歩み寄る。何も言えない。思考は麻痺しかけていて、いつの間にか僕の目の前にいた少女の手が、僕に伸ばされる。そのままその手が僕の肩に触れて、引き寄せられる躯。あぁ駄目だ、僕はこの子に逆らえないな、なんて。何も言えないままの僕に、彼女の耳打ち。
「―もしあなたが、本物のヒーローなら、ヒーローになる覚悟があるなら。もしかしたら、世界は終わらないかもしれない」
「え、」
「あなたがヒーローなら、あるいは、...」
す、と少女が離れる。なんでもなさそうに身を翻して、言う。
「じゃあね、私は行くから」
歩き出す。何か言わなきゃいけない気がして、弾かれたように僕は立ち上がる。
「明日、明日世界が終わるとしても...いつか世界が終わるとしても!僕がきっと止めて見せる、世界を終わらせなんかしない!!」
唖然とした顔の彼女に向けて、続ける。笑って見せる。なんて、これも大概真似事で。
「...だって僕は、ヒーローだから」
はは、小さく彼女が笑う。挑戦的な瞳、いつまでも忘れられないだろう。長い黒髪に小さく秋風が吹き抜けたような気がした。どこか泣きそうに見えたのは、きっと僕の気のせいで。
「待ってる。きっと、救ってみせて」
「きっと」
少女は歩き出す。このことは内緒だよ、呟いて。僕は小さく頷いた。またどこかで遭うような、そんな気がした。そのまま少女は、溶けるように世界から消えて―...
世界に音が戻る。
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夢を、見ていた。懐かしい夢だった。気づけば自宅の最寄りのバス停をまさに今、通り過ぎるところだった。まぁいいじゃないか、アパートに帰ってもひとりだ、少し遠出をしてみても。市街地の中心を過ぎた此処で、バスの乗客はいつの間にか僕一人になっていた。あんなに真っ赤だった夕陽は沈んだようで、その赤さの余韻を残しながら夜の帳が街の上を支配し始める。
あの後。世界に音が戻ったその後で、僕は女の子のことを誰にも言わなかったし、誰も聞いてはこなかった。僕だけに彼女が見えていたのか、それは今でもわからないけれど。ただ、誰にも言ってはいけないような、そんな気が無性にして。だからいつも通りに馬鹿騒ぎをして皆と別れた後、ふと空を見た。
そこにあったのは、見事なまでの赤。
帰り道に焼き付いた夕陽は、まるで本当に世界の終わりを告げるかのように綺麗で、僕はどうしようもなく怖かった。
あの日、ちょうど、今日のような。
あれから何年も月日が経って、皆変わっていった、大人になった。あんなに好きだった忍者ごっこもいつしか廃れて、将来のために、僕らはばらばらになった。皆元気でやっているだろうか。僕も、都会になりきれなかったようなこの街で、なんの変哲もないごく普通の学生になって、身相応な生活。内緒の、世界を救うヒーローはいつの間にか色褪せて居なくなった。世界の終わりは訪れないままに。
バス停を3つ4つ過ぎて、知っているような知らない町。どうせ時間とお金にはほんの少し余裕がある。もう少し先まで。考えて、携帯端末から情報と倦怠の海へ。これもいつも通りの喧騒に、目を掠めた無機質な声。
「今日本当に、世界が終わるなら、...」
ドクン、心臓が鳴って、思い出す。そういえば、誰かが嘘臭い予言とやらで挙げたのが、今日の日付だったっけ。出来すぎた偶然。それでもやはり、だれもが他人事のように話しているのは、何回も言葉だけの終末を経験してきたからだろう。どうせまたいつも通り、無表情に今日は過ぎて、明日ものっぺりと日は昇る。人は何事もなかったかのように雑踏の中へ。そんな陽がまた、ずっと続いていくんだ。僕らはそれを知っている、知っている、のに、どうして。
息が止まるほどに、慄いているのは。
どうして、さっきあんな夢を見たからだろうか、嘘臭いのに、妙なリアリティがあるのは。それとも、今日の夕焼けに感けているのか、いてもたってもいられなくなって、僕の指が降車ボタンを押す。あれからまた2つ、3つ、バス停を過ぎて、まばらな人影と見慣れない、申し訳程度な駅ビルの名前。大げさな音を立てて開いたバスのドア、フラフラとステップを降りる。余程僕が疲れているように見えたのか、お疲れ様、なんて車掌さんの投げやりな労い、上の空で返事をして、まさか、なんてさっきから頭の中をぐるぐる回る非現実的な仮説を何故か、どうにも否定できなくて、ふらふら、大通りから外れて知らない町を歩く。
どこをどう歩いたか、そんなものはもう覚えていなかった。次第に耳鳴りと頭痛が警告を鳴らす。だいぶ長い時間歩いて、歩き疲れて、あるいはそれが、気のせいかもしれないけれど、それでもまだ頭の中にはどうしようもなく渦巻く仮説。あぁ、そろそろ帰らなきゃ、なんて、ぼんやり思って顔を上げたそこに、長く流麗な黒髪と、秋風。
彼女が、いた。
「ひさしぶり」
妖艶に微笑む、そしてまた音が遠ざかる、どうしようもなく彼女に、僕を取り巻くものが支配されていく。それが何を意味するのか、もう痛いくらいに僕は知っている、彼女の一言で、すべての仮説が証明されていく。
「きっと、来てくれると思ってた」
―だって、あなたは、××××××××××××。
あぁ駄目だ、もう。遠い世界が、ゆっくりと傾いだような、感覚。彼女の声さえ遠くなって、耳には届かない。
死んでしまったはずのヒグラシが、何処かで寂しく啼いた気がした。
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「...もしあなたが、私を殺せるなら」
初めまして、樫居匡です。
小説家になろうアカウントの移転により、前アカウントで執筆・投稿したものの再投稿となります。
今回は文芸部にて執筆したものに加筆修正を加えた物です。三題噺、終末・忍者・路線バスでした。難しかったです。
拙い文章、強引な展開と設定、見苦しいところも多々見受けられたと思います。此処まで読んで下さり、ありがとうございます。精進していきます。