21. 白火の軸
午前の講義室を出ると、廊下に溜まっていたひんやりした空気が肺へすっと流れ込んだ。
石壁に残る淡い冷気の匂いが、歩くたび微かに揺れる。
歴史の重さを背負ったまま歩いているせいか、靴音もいつもより控えめに聞こえた。
「なんだか、まだ背筋が伸びてる感じがする。」
銀髪の少女が肩を回すと、衣擦れの小さな音が冷たい空気に溶けていく。
「……わかる。王室の話って、いきなり立場を測られてる気がして落ち着かないよな。」
赤の少年が少し声を潜めて言うと、その息がかすかに白く見えた気がした。
緑の少女は軽く笑い、三人の顔を見回した。
「でも、私たちはその“先”を学ぶために来たんだもの。重いけれど……悪くないわ。」
その言葉に緊張がほぐれ、胸の奥にこもっていた硬さがゆっくりと溶けた。
次の教室へ向かう廊下では、東の窓から差し込む光が、まだ薄い金色で床を撫でていた。
光の帯に入るたび、ほこりが細い糸のように舞い上がり、石畳の継ぎ目を淡く照らす。
その上を四人の影が重なったり離れたりしながら進んでいく。
——まだ、ほんの始まりなのに。
そう思うと、胸の奥に温かい灯りがひとつ点ったようだった。
教室へ足を踏み入れると、空気の質が変わった。
外よりも冷たく乾いた匂いが鼻に触れる。
生徒たちが座るたび、椅子がこすれる低い音が静かに連なった。
昨日と同じ教授が前に立ち、淡々とした声で杖の握り方と姿勢を確認する。
「魔力を扱うとき、身体の軸が揺れるのは最も良くない。小さな揺れが、魔力の“ふち”を曖昧にする。」
その声は乾いた教室の空気にまっすぐ響いた。
銀髪の少女が腰を正す音、赤の少年が椅子を引き直すこすれ音。それぞれが静まり返った空間に小さく刻まれる。
緑の少女は筆先を静かに置き、呼吸まで整えて集中していた。
「では、昨日学んだ“集める”感覚を、座ったまま再び行う。」
教授の合図に合わせ、室内の気配がすっと沈む。
窓越しの光までも、どこか動きを弱めたように見えた。
私は深く息を吸い、胸の奥の熱を意識する。
呼吸に合わせて、体内の見えない光が淡く脈打つ。
周囲の気配はさらに薄れていき、三人の微かな音だけが耳に残った。
銀髪の少女の静かな吸気。
赤の少年の喉がこくりと鳴る音。
緑の少女の姿勢がわずかに整うときの衣擦れ。
それらが一つずつ波紋のように広がり、私の胸へ落ちていく。
やがて、杖先に白火のような光がふっと芽生えた。
昨日よりも輪郭がはっきりし、揺れずに一点を照らしている。
「……できたみたいね。」
銀髪の少女の囁きには、ほんの少し甘い息の匂いが混じっていた。
彼女の杖先には、呼吸に合わせてほんのり明滅する白光が灯っている。
緑の少女の光は細くまっすぐ、糸を引くようにすっと伸びている。
赤の少年は緊張の匂いをまとっていたが、それでも昨日より確かな輝きを滲ませていた。
「焦る必要はない。」
教授の声はどこまでも落ち着いていた。
「魔力は、人によって最初に“掴む角度”が違う。自分の形を知るまでが、一番難しい。」
私は光から目を離さず、小さく頷いた。
千年前の誰かが初めて灯した術。
その最初の手順を、自分もようやく踏んでいる。そう思うと、胸の奥がじんと温まる。
演習が終わると、教授が穏やかな調子で言った。
「よい。初めの二日でここまでできるのは上出来だ。午後も授業は続く。あまり力を使いすぎないように。」
講義室を出ると、廊下の空気は少し温まり、陽の匂いが濃くなっていた。
石畳を踏むたび、乾いた音が軽く跳ね返る。
「お腹……空いたかも。」
赤の少年の声が、光に砕けるように明るく響く。
「私も。途中から、光よりお腹のほうが気になっちゃった。」
銀髪の少女が笑うと、彼女の髪が光を受けて薄く輝き、微かな金属のような匂いが揺れた。
「……正直ね。」
緑の少女もつられて笑い、髪先が小さく揺れた。
食堂へ向かう途中、ふと気づいた。
四人の影は、朝よりも少しだけ寄り添い、ひとつの流れのように伸びていた。
その影の重なり方が、なんだか心地よかった。
私は歩く速度をほんの少しだけ緩める。
こんな時間も、魔術を学ぶ日々に確かに含まれている。
昼の光を浴びながら、影はゆっくりと長く尾を引いていた。




