14. 芽吹きは静寂の教室で
扉を開いた瞬間、緑がふわりと広がった。
ガラス越しの光に照らされた葉がかすかに煌めく。
湿った土の匂いが胸の奥に触れ、緊張の糸をひとつ緩める。
「皆さん、ようこそ。」
導師の高い声が、温室に落ち着いた響きを落とす。
深緑の外套の裾が揺れ、葉影にゆっくりと溶けていった。
「薬草学は基礎です。しかし、基礎ほど侮れないと心得なさい。植物は魔術より先から、この世界を支えてきました。」
机には、紫の花をつける株、濃い緑の葉を広げた草、乾いた根の束などが並ぶ。それぞれが沈黙のまま存在を主張していた。
「まずは基本です。名前と性質を覚え、手で触れ、目で確かめなさい。」
そう言って導師が葉先に触れると、光がわずかに揺れ、ほのかな香りが立った。
「魔術師は植物をただ見るのではなく、息づかいを感じる必要があります。」
隣で、彼女の指先がほんのわずか震えた。
緊張ではなく、何か新しいものを前にしたとき、彼女がいつも見せるあの小さな震えだ。
つられて私の呼吸も浅くなる。
「どれから触る?」
その問いに応え、私は雨音緑の小瓶を手に取って蓋を開けた。土と若草の混じる匂いが静かに広がる。
「薬草の力は、観察するだけではなく、触れ、感じることで理解が進みます。」
声には抑揚が少ないが、言葉に確かな重みがあった。
私は葉を手に取り、指先で静かになぞる。
細かな毛のざらりとした感触、葉脈の張り、光の透け方。その違いが静かに伝わってくる。
隣で少女が花弁に触れ、表情をわずかに緩めた。
「面白い……」
その声に、私も短く返す。
「面白いね。」
光が葉を通り、机に細い影を映していた。
導師が小瓶の液体を一滴落とす。その瞬間、葉の色がかすかに揺らぐ。
空気がひと息、表情を変えた。
その静かな変化に、私は思わず身を乗り出す。
「薬草は生きています。扱いを誤れば力を失うこともある。――私は何度も、それを見てきました。まずは尊重することです。」
温室の奥でそよぎが生まれ、葉影が静かにかたちを変える。
そのわずかな気配に空気が呼吸を取り戻し、私は隣の少女と視線を交わした。
授業が終わる頃、温室の窓から差し込む光が斜めに伸び、机の上の葉と小瓶を金色に染めていた。
導師がゆっくりと声を落とす。
「今日学んだことを、必ず心に留めるように。では次の授業に移りましょう。」
私たちは静かに立ち上がり、温室の扉をくぐった。
石畳の道は、温室の緑とは異なる落ち着いた空気に満ちていた。足音を吸い込むような石の冷たさが、私の感覚を再び現実に引き戻す。
本館の廊下を抜けると、次の授業が行われる教室が見えてきた。重い木製の扉の前で一度立ち止まり、深く息をつく。
温室で味わった静かな興奮と、指先に残る葉の感触を思い出しながら、私はそっと扉を押した。
中に入ると、整然と並んだ椅子が、私たちを迎えている。外の光が窓から差し込み、机の上に淡い影を落とした。
私は静かに息を整え、次の授業で何を学ぶのか、少しだけ胸を弾ませた。
緑の世界は遠ざかったが、心の奥には確かに芽生えた何かが残っている。




