表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/21

13. 学びの匂いを嗅ぐ

 翌朝、寮の前庭には薄い靄が掛かっていた。

 昨日よりずっと静かな朝で、胸元の青いネクタイだけが、新しく始まる日をそっと主張しているようだった。


「本館の広間に集まるんだよね?」

 隣を歩く銀髪の少女が、まだ慣れない結び目をそっと整えながら言った。


 学院本館の扉をくぐると、昨日とは異なる、人の気配に満ちた温い空気が広がっていた。

 天井の高窓から落ちる光は薄金色でやわらかい。

 その下で新入生たちが胸元の色を見比べるたび、衣擦れの小さな音が広間の奥へ流れていった。


 壇上で導師が杖の先を軽く鳴らすと、広間のざわめきが水面の波のように静まった。


「これから授業の取り方について説明します。」

 静かな声が石壁にやわらかく反響し、隅々まで届く。


「学院には学級という仕組みはありません」

 声は広間の空気をゆるく揺らしながら続く。

「進級すれば、自分で授業を選び、自分の学びを編んでいくことになります」


 小さな息遣いがあちこちで揺れた。


「ですが、初等部の二年間は基礎を固める時期です。迷わぬよう、多くの科目は必修です。今日は指示された教室に向かってもらいます。」


 その一言で胸の奥にあった強張りが緩み、息がひとつ深く落ちた。

 ふと隣を見ると、彼女も胸元をそっと撫で、ほっと息をついたようだった。


「午前の最初の授業は薬草学。温室併設の教室で行います。時間になりましたら、温室奥の扉から入室してください。」


 広間が徐々に動き出し、布の色が揺れながら出口へ流れていく。


「あの温室まで歩いたの、無駄じゃなかったね。これなら迷わなさそう。」

 少女が安堵の笑みを浮かべた。


「うん。入口の蔦の棚をくぐって、右側の細い道だよ。」

 柔らかな湿気と、葉をこする音を思い出す。

 昨日その奥で見つけた、半透明の仕切りの向こうの教室。今日からそこで学ぶのだ。



 本館を出た途端、白い朝の光が視界いっぱいに開いた。

 中庭を渡ってくる風はまだ涼しく、温室のガラス壁が遠くで淡く光っていた。


「最初の授業が薬草学って、なんだか“始まり”らしい気がする。」

 少女はそう言って、少しだけ笑った。

「土と風が相性に出たから……ちょっと期待してるんだ。」


「きっと向いてるよ。」

 歩きながら、うっすら湿った風が頬を撫でる。


「昨日の匂い、覚えてる?」

 少女は歩きながら指先で風をすくうようにして言った。

「覚えてる。あの匂い、すごく落ち着いたよね。」

「……あれが授業の匂いになるんだね。」


 温室へ続く小道に足を踏み入れると、朝露を含んだ草の匂いが濃くなる。一歩ごとに胸の内が少しだけ騒ぎ、落ち着かない。

 昨日はただの散歩道に過ぎなかった道が、今日は“教室”として私を待っているのだ。


 ガラスの壁に近づくと、内部の緑が明るく揺れ、葉に反射した光が足元の石にまばらな模様を落としていた。

 温室の奥にある薬草学の教室は、その向こうで静かに境を閉ざしている。


「……行こう。」


 私たちは短く息を合わせるように視線を交わし、ゆっくりと扉へ歩み寄った。

 朝の光が背中をそっと押し、湿った緑の匂いが新しい一日の始まりを告げていた。


 胸元の青がかすかに揺れた。

 その色が胸の奥に染みこむように広がり、ひと呼吸のあいだ、自分の鼓動まで淡く色づいたように思えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ