13. 学びの匂いを嗅ぐ
翌朝、寮の前庭には薄い靄が掛かっていた。
昨日よりずっと静かな朝で、胸元の青いネクタイだけが、新しく始まる日をそっと主張しているようだった。
「本館の広間に集まるんだよね?」
隣を歩く銀髪の少女が、まだ慣れない結び目をそっと整えながら言った。
学院本館の扉をくぐると、昨日とは異なる、人の気配に満ちた温い空気が広がっていた。
天井の高窓から落ちる光は薄金色でやわらかい。
その下で新入生たちが胸元の色を見比べるたび、衣擦れの小さな音が広間の奥へ流れていった。
壇上で導師が杖の先を軽く鳴らすと、広間のざわめきが水面の波のように静まった。
「これから授業の取り方について説明します。」
静かな声が石壁にやわらかく反響し、隅々まで届く。
「学院には学級という仕組みはありません」
声は広間の空気をゆるく揺らしながら続く。
「進級すれば、自分で授業を選び、自分の学びを編んでいくことになります」
小さな息遣いがあちこちで揺れた。
「ですが、初等部の二年間は基礎を固める時期です。迷わぬよう、多くの科目は必修です。今日は指示された教室に向かってもらいます。」
その一言で胸の奥にあった強張りが緩み、息がひとつ深く落ちた。
ふと隣を見ると、彼女も胸元をそっと撫で、ほっと息をついたようだった。
「午前の最初の授業は薬草学。温室併設の教室で行います。時間になりましたら、温室奥の扉から入室してください。」
広間が徐々に動き出し、布の色が揺れながら出口へ流れていく。
「あの温室まで歩いたの、無駄じゃなかったね。これなら迷わなさそう。」
少女が安堵の笑みを浮かべた。
「うん。入口の蔦の棚をくぐって、右側の細い道だよ。」
柔らかな湿気と、葉をこする音を思い出す。
昨日その奥で見つけた、半透明の仕切りの向こうの教室。今日からそこで学ぶのだ。
本館を出た途端、白い朝の光が視界いっぱいに開いた。
中庭を渡ってくる風はまだ涼しく、温室のガラス壁が遠くで淡く光っていた。
「最初の授業が薬草学って、なんだか“始まり”らしい気がする。」
少女はそう言って、少しだけ笑った。
「土と風が相性に出たから……ちょっと期待してるんだ。」
「きっと向いてるよ。」
歩きながら、うっすら湿った風が頬を撫でる。
「昨日の匂い、覚えてる?」
少女は歩きながら指先で風をすくうようにして言った。
「覚えてる。あの匂い、すごく落ち着いたよね。」
「……あれが授業の匂いになるんだね。」
温室へ続く小道に足を踏み入れると、朝露を含んだ草の匂いが濃くなる。一歩ごとに胸の内が少しだけ騒ぎ、落ち着かない。
昨日はただの散歩道に過ぎなかった道が、今日は“教室”として私を待っているのだ。
ガラスの壁に近づくと、内部の緑が明るく揺れ、葉に反射した光が足元の石にまばらな模様を落としていた。
温室の奥にある薬草学の教室は、その向こうで静かに境を閉ざしている。
「……行こう。」
私たちは短く息を合わせるように視線を交わし、ゆっくりと扉へ歩み寄った。
朝の光が背中をそっと押し、湿った緑の匂いが新しい一日の始まりを告げていた。
胸元の青がかすかに揺れた。
その色が胸の奥に染みこむように広がり、ひと呼吸のあいだ、自分の鼓動まで淡く色づいたように思えた。




