10. 紋章の刻まれた場所
列が前へ進むにつれ、広間に満ちる空気が少しずつ形を持ち始めたように感じた。教授たちの低い声が交わされるたび、見えない糸が天井の梁から垂れ下がって、ひとりひとりの肩へ触れていくようだった。
やがて、私たちの列の前に立つ教授が姿を現した。痩身で、黒い外套の裾がかすかに揺れている。顔立ちは穏やかだが、その眼差しは沈んだ湖面のように深く、近づけば自分の影までも吸い込まれてしまいそうだった。
「こちらへ。」
短く告げられ、列が折れる。私たちはその後について、広間の右側に設えられた小さな区画へと進んだ。いくつかの教科ごとに区切られた区画の一つで、基礎薬草学の教授が新入生へ指示を与える場所のようだ。
区画の中央には、木製の長卓がひとつ置かれ、その上に薄い藍色の札が並んでいた。札にはそれぞれ異なる紋章が刻まれている。どれも複雑な線を組み合わせたもので、一見しただけでは意味を掴めそうにない。
「君たちは、この札を受け取って午後の検査に臨むことになる。札の違いは、事前に把握している適性の傾向だ。深く考える必要はない。ただ持っていればよい。」
その声は抑揚が少なく、しかし聞き取りやすかった。話の意味が胸に落ちると同時に、札の存在が不思議な重さを帯びる。
私より先に銀髪の少女が一歩進み、導師から札を受け取った。
木材の札に刻まれた紋章が、彼女の手のなかでかすかに光を返す。
「……きれい。」
彼女はそれを見つめ、ほんのわずかに微笑んだ。緊張の影が少し薄れ、額に柔らかな光が宿るのが見えた。
続いて私も札を受け取る。手のひらに乗せた瞬間、木の冷たさが意外なほどしっかりと感じられた。まるで、私自身のどこか深い場所へ触れようとするかのように。
「午後の検査は、各自この広間に戻って受けてもらう。」
教授は区画に並んだ新入生全員を見回し、静かに続けた。
「恐れる必要はない。魔術は恐怖から離れたところで初めて形となる。心を整えて臨みなさい。」
その言葉に、銀髪の少女がちらりと私の方を見る。
目が合った瞬間、彼女はほんのかすかに唇を動かした。
「いっしょに行きましょう。」
「もちろん。」
答えた声が、自分でも驚くほど穏やかだった。
教授の話が終わると、区画は徐々に解散し始めた。新入生たちが札を胸に抱え、思い思いの方向へ歩き出す。そのざわめきは、さっきまでの緊張より少し柔らかい。重たい石の広間に、ゆっくりと新しい空気が満ちていくのがわかった。
私は銀髪の少女と並んで歩き出す。
広間の扉はまだ開かれたままで、その向こうに朝の光が薄く揺れていた。
「……外に出ると、少し落ち着く。」
そう言うと、彼女は小さく頷いた。
「うん。さっきより息がしやすいね。」
私たちは歩調を合わせ、再び敷石の道へ向かった。
胸元の札がわずかに揺れ、藍色の紋章が光を拾ってきらめく。
学院生活の始まりは、まだ静かに、しかし確かに形を整えつつあった。




