2 仲間と名前
「・・・え?」
サラフィーナは思わず目をこすった。
たしかに、狼だったはず。
灰色の毛に鋭い牙、ものすごいスピードで向かってきたはずなのに――
今、目の前でぷるぷると震えているのは、まるで宝石のように透き通ったエメラルドグリーンのスライムだった。
「え・・・あ、あなた、もしかして・・・さっきの狼・・・?」
スライムは無言のままぴょんと跳ね、体をくるくると回転させる。まるで「当たり前だろ?」とでも言っているようだった。
「へ、変身・・・? そ、そんなスライム、聞いたことない!」
そのとき、王宮の書庫で読んだ古文書の一節がふと脳裏をよぎった。
――幻の魔物、バレケットスライム。見る者によって姿を変え、真の姿を知ることは稀。限られた者のみがその姿を目にできる――
「もしかして、あなた・・・バレケットスライムなの?」
スライムはピクリと震え、誇らしげに胸(?)を張った。
『・・・ああ。そう呼ばれたこともあったな』
「しゃ、喋った!? しかも・・・男の人の声!?」
《俺は喋れるスライムだ。つーか、さっきからぺちゃくちゃうるせえな。そんなにビビんなよ》
「び、ビビってなんていませんわ!・・・ちょっと驚いただけだから!」
スライムはぷるん、と笑うように身体を揺らした。
『ふーん。で、お前、なんでこんな森ん中にいるんだ?」
その問いに、サラフィーナの表情が一瞬だけ陰る。
それは“王族だから”か、“まだ小さな少女だから”か。
いや、きっと、どちらもだろう。
「・・・誰にも言わない?」
サラフィーナの声はかすかに震えていた。
もし正体が王女だと知れたら追ってが来るかもしれない。
『・・・誰に言うんだよ?』
「ふっ・・・ふふ。それもそうね」
スライムの言葉に少し笑ってから、サラフィーナはすべてを話した。
『・・・ふーん。人間も大変なんだな。・・・で、これからどうすんの?』
「この国を出るわ。もう、私の居場所はここにはないもの。・・・たぶん、すぐに追っ手がくる。そうなったら、きっとこの国では生きられないから」
そう言って、サラフィーナは涙をぬぐう。話しているうちに、少しだけ泣いてしまった。
けれど、表情はどこか晴れやかだった。
スライムに打ち明けたことで、少しだけ気が軽くなったのだ。
「話を聞いてくれてありがとう。・・・私、頑張ってみるわ!」
スライムはぴょん、と小さく跳ねて、くるっと一回転する。
『・・・よし、決めた!俺も一緒に行ってやるよ。旅ってやつ。なんか面白そうだし!』
「え!? い、いいの? あなたにも、やることがあるんじゃ・・・?」
サラフィーナにとっては、願ってもない話だった。たとえスライムでも、誰かが一緒にいてくれるのは心強い。
『いいの、いいの! 俺らは人間と違って長生きだしな。それよりさーさっきから堅苦しいんだよ! 一緒に旅するんだから、もっと気楽にしろよ!』
「え?」
『それに、お前さ“お嬢様口調”と“お嬢さん口調のしゃべり”が混ざってんぞ?』
サラフィーナははっと目を見開いた。
そう言われてみれば、確かにそうだった。
「・・・え・・」
サラフィーナは顔を赤くして、恥ずかしそうに下を向く。
気をつけてるつもりだったんだけど・・家庭教師によく怒られてたのよね。
それはここ最近のことなのだが、サラフィーナにはずいぶんと前に思た。
『はは!まっ!それはそれで面白いけどな!』
スライムはサラフィーナの反応を見てか、そう笑うように言った。彼なりの気遣いなのかもしれない。
「もう!まずはあなたの名前を決めなきゃなんだから!」
『名前?』
「そう。“スライムさん”じゃおかしいでしょ?」
スライムはなるほどと頷き、そして・・
『じゃあさ、俺がお前の名前を決めてやるよ』
「えっ!?」
サラフィーナはびっくりするが、すぐに納得する。
元王女としての名前はどこかで知られているかもしれない。ならば、ここで名前を変えるのは悪くない。
「・・そうね。うん。お願いするわ」
ふたりはしばらく黙って考え込んだ。
サラフィーナはじっとスライムを見つめる。
透き通った、エメラルドグリーンの身体。まるで宝石のようなその姿に、ふと閃く。
「エメル・・・エメルなんてどう? エメラルドグリーンの体がとっても綺麗だから!・・いや・・かな?」
サラフィーナは恐る恐るそう問いかける。
『エメルか。・・・悪くねーな! よし、それでいこう!』
エメルの返事に、サラフィーナは安心したように微笑む。
「じゃあ、次は・・・エメルが私の名前、決めて?」
サラフィーナはキラキラとした目で、エメルを見つめる。
『そっ・・・そうだな・・・』
エメルはサラフィーナの期待の眼差しに怯みながらもしばらく考え、ふと、サラフィーナの顔をみる。金髪の髪と澄んだ青い瞳が綺麗に光る。
ふとエメルはぽつりとそう言った。
『・・・“サファイア”なんてどうだ?』
「・・・」
さすがにそれはサラフィーナも抵抗があった。
いくらなんでもキラキラすぎる。
「ごめん、エメル。できれば他のがいいかも・・・」
『なんでだ?』
「えーエメルだって、“エメラルド”なんて名前、いやでしょ!」
『う・・・わかったよ』
少し考え込んだ後、エメルは再びぽつりとつぶやいた。
『・・・“サファイア”からとって”サイ”なんて・・・どうだ?』
「サイ・・・! うん! いいね! それにする!」
今度は心から気に入ったように、サラフィーナ改めサイは大きく頷いた。
『なら、決まりだな!』
そうして、名を新たにしたふたりは、森の奥へと歩き出した。