料理エイリアンとマシンガン
料理ができるようになりたい――
そんなことを、ふと思った。
朝は軽くパンをかじるくらい。
昼はコンビニか弁当屋。
夜はスーパーのお惣菜にお刺身、たまにカップ麺。
火を使うようなことは滅多にしない。
おかげでキッチンはピカピカだけど、
健康診断の結果にドキドキするようになってきた。
「コレステロール値が…」
「γ-GTPが…」
そんなセリフを先輩たちが口にするたび、
笑えないな、と思うようになった。
今はまだ、俺の検査数値はセーフ。
だけど、その先に待ってるのが先輩のあのセリフなら、
俺たちの未来は、確かにちょっと不安だ。
そんな話を、いつもの秘密基地で三人でしていた。
「俺たちは、ああなる前に手を打たないと」
タカさんが真面目な顔で言う。
「料理……だな」
くがっちが頷きながらも、微妙に視線を泳がせる。
「この間の沖縄そばは…まぁ、ちょっとミスったけどさ」
「ちょっと?」
俺とタカさんが声を揃える。
あの時の麺の伸びっぷりは、もはや別の料理だった。
でも、気持ちはわかる。
俺たちはもう、揚げ物とビールだけで人生を完結させられる年じゃない。
「ま、簡単なとこからいこう。まずは……焼きそばとか?」
「俺、塩焼きそばがいい」
「じゃあ俺、ソース焼きそば担当な」
「それただのジャンケン案件じゃん」
笑いながら、俺たちはスマホでレシピを調べ始めた。
未来の健康のため。
そして、ちょっとだけ未来の俺たちに誇れるように――
まずは麺を、伸ばさずに茹でるところから始めようと思った。
ある日、ポストに入っていたチラシが目に留まった。
「大人の料理教室」
初心者体験コース 2000円
メニューは、生姜焼き・ご飯・味噌汁・浅漬け。
――これは、まさに天啓。
この間話してた「料理できるようになりたいなぁ」というつぶやきに、チラシの神様が返事をくれたようなタイミング。
俺はさっそく、その写真を撮ってグループチャットに送ってみた。
「これ、どう?」
「行こう!」
「最高じゃん!」
秒で既読、即OK。
まるで前から決まってたみたいに、俺たちはその料理教室に行くことにした。
16ビットの会の前に、まずは包丁と鍋を握ってみよう――
俺たちの健康的未来は、生姜焼きと味噌汁から始まる。
キッチンスタジオに足を踏み入れると、俺たちを含めて参加者は10人ほど。
内心(同志よ…)とつぶやく。
今日ここに集まった全員が、「料理ができるようになりたい」と思ってるのだ。たぶん。
「俺たちも、ついに変わる時が来たんだな…」
「料理男子、ここに爆誕」
と、内なる決意をかみしめる俺たちだったが――
実は俺たち、年齢層で言えば最年少。
最年長は推定60歳オーバーのおじさま。
なかなか幅広な布陣だった。
「よろしくお願いします」
「おお、よろしく」
「いや〜こういうの、初めてなんだよ」
軽く挨拶を交わしつつ、料理教室スタート。
「まずはお米を研ぎましょう。たっぷりの水で2〜3回かき混ぜてから、水を捨てて…」
ふむ。これは余裕。
しかも今回は、土鍋炊飯らしい。炊飯器いらずでコスパもよい。
次は浅漬けづくり。
……これが地味に難敵だった。
包丁がね、とにかくうまく使えない。
でも、それ以上にやっかいだったのが――
「形が曖昧なんだよなあ」
「そもそも大きさの指定をしてくれないと困るよ」
「この皮むき器、どう使うの?不親切だよなあ」
おじさん、うるさい。
タカさんの眉間がピクピクしている。
続いて味噌汁。
先生の綺麗なお姉さんが、手のひらに乗せた豆腐をサクッと切っていく。
おお〜、と3人で感心していると――また、おじさん。
「そんな危ない切り方、やめたほうがいいよね?」
「手のひらに乗せる意味、ある?それ」
「豆腐なんて、別にいらん」
……くがっちの目つきが鋭くなった。
ファイナルファイト2で見たことある、キレる寸前の顔だ。
最初は「仲間だ!」と思ってたおじさんたちが、まさかの癖強軍団。
俺たち、料理以前にメンタル鍛えられてます。
精神修行のような前菜・汁物パートを乗り越え――
ついに来た。メインディッシュ、生姜焼き。
この香り。
この艶。
この味付けはまさに正義の味だ。
なんなら3食、いや4食でもいける。
いや、むしろ白米が足りない。土鍋もう一回炊いて。
手順もそんなに難しくない。
食材を切って、調味料を準備して、焼いて、絡めて――
ああ、なんてシンプルで、なんて幸福なんだ。
だが、ここでまたしてもヤツらが動き出す。
「どれが醤油かわからん」
「千切りなんてできるかよ」
「玉ねぎが目に染みて、料理になんねえって」
……は? もう完全にわかった。
こいつら、たぶん宇宙から来てるエイリアンか。
もしくは「料理教室荒らし」っていう新種のモンスターだ。
完全に料理を妨害しに来ている。
先生が笑顔を保とうとしてるのが痛々しくて、見ていられなかった。
ここで俺、動く。
「はいはいはい、ちょっと静かにしてくださーい!」
俺は手をパンと叩き、宇宙から来たっぽいおじさんたちの視線を集めた。
「醤油がどれかわからない?書いてあります!」
「千切りができない?やってみてから言ってください!包丁は喋りません!」
「玉ねぎが染みる?それが玉ねぎです!泣きながらでも前に進むのが料理ってもんです!」
言った俺もよくわからない熱弁。
でも言わなきゃ気が済まなかった。
「今、ここで文句言っても、生姜焼きは勝手に焼けません!文句を焼いてもご飯は炊けません!料理は、手を動かした人だけが食べられるご褒美です!俺たちはそのご褒美を味わいに来たんです!黙って焼きましょう!」
沈黙。
その瞬間だけ、厨房が無音になった。
先生がちょっと笑った気がした。
そして、おじさんたちは黙々と包丁を握り、千切りを始めた。
目をこすりながらも、玉ねぎを切り続けた。
タカさんとくがっちが、軽くグッと親指を立ててきた。
俺たちは今日、料理だけじゃなく――
少しだけ場の空気の火加減も覚えた気がした。
出来上がった生姜焼き定食は、形こそ少し不格好だったけど――
ひと口食べて、思わず顔がほころんだ。
「……うまっ」
自分でここまでできるとは。
ちゃんとお米を研いで、味噌汁を作って、浅漬けまで添えて。
完成した定食を前に、ちょっと感動していた。
これも全部、先生のおかげだな。
料理教室が終わったあと、いつものルートでサウナに寄って、
そしていつもの秘密基地に帰還。
「とりあえず、ご飯が炊けるようになったのはデカいな」
「うん、これとタラコさえあれば、ずっと生きていける気がする」
「惣菜買ってきても、土鍋ごはんがあるだけで格が違うわ」
そんなことを話しながら、また先生の教えてくれた通りに土鍋で米を炊いた。
今度は3人分。水加減も火加減も、ちょっと自信がある。
そして、いよいよ今日のメインイベント。
「今日のゲームはこれ!」
満場一致で選ばれたのは――
『魂斗羅スピリッツ』!
1992年にスーパーファミコンで発売された名作アクションシューティング。
エイリアンに支配された世界で、二人の兵士が銃一丁で突き進む、超ハードなゲームバランスと爽快なアクション。
重火器をぶっ放し、敵をなぎ倒し、ステージを爆走していく感覚は、ストレス解消にうってつけ。
「よし、撃って撃って撃ちまくるぞ!」
「上司の顔したエイリアンいたら絶対倒す」
「またそこかよ!」
米も炊けたし、武器も整った。
今夜も16ビットの夜が始まる。
「よし、俺が1Pな。青いほうね!」
「はいはい、じゃあ俺は赤いほうで」
テレビの前に座って、俺とくがっちが『魂斗羅スピリッツ』に挑む。
オープニングの爆破とともに始まる戦場。
敵は容赦なく押し寄せてくる。機械兵、ミュータント、無人兵器。
俺のキャラがマシンガンをぶっ放す。
その勢いとテンポが、さっきのおじさんたちへのトークと重なって見えた。
「ほんと、なにが“豆腐いらん”だよな。
だったら料理教室じゃなくて定食屋行ってろっつーの。
あと“手のひらカットが危ない”?じゃあ一生まな板の上に住んでろってんだ。
切るたび喋るんじゃねえよ集中させろよって話で――」
俺のトークもマシンガンのように止まらない。
敵を撃ち抜きながら、言葉でも未消化だったモヤモヤを吹き飛ばしていく。
「お、ボム取った!」
「うりゃああああッ!!」
二人が息を合わせて特攻し、画面いっぱいに爆発が広がる。
雑魚敵が一掃されるたび、現実の鬱憤もちょっとずつ消えていく気がする。
「……はあ、スッキリしたわ」
「今の爆発、言いたいこと全部詰まってたね」
「ちょっとスカッとジャパンだった」
黙々と撃ち続けるくがっちの横で、俺のマシンガントークはようやく一段落。
ファミコンの16ビットの世界で、今夜もまた、心のデトックスが行われていた。
「よっしゃ、次は俺とくがっちでいくか」
「OK。レーザー取ったら譲れよ」
「またそれ?譲らねーし!」
交代してタカさんとくがっちがコントローラーを握る。
タイトル画面を飛ばし、爆発音とともに戦場に飛び込んでいく。
タカさんはノリノリでマシンガンを乱射。
「うお、これめっちゃ気持ちいいな!やば!」
画面に現れる敵をばりばり撃ち抜きながら、タカさんが笑い声をあげる。
自動で連射されるマシンガンが、雑にばらまかれていく弾が、ストレスを吹き飛ばすみたいに快感。
「この、問答無用で押しつぶす感じ……あー、これだわ。これを仕事に持ち込めたら最高なんだけどなー」
「おいおい、仕事で弾ばらまくなよ」
くがっちが苦笑しながらも、狙っていたレーザーを手に取る。
「ほら、見ろよこのレーザーのロマン。一直線で貫通、無駄のないエネルギー。完璧な仕事」
「出たよ、“ロマン”ってやつ。でも実際弱いじゃん」
「お前はマシンガンの快楽に脳を焼かれてるんだよ。これはレーザーの世界観なんだよ。未来の希望だぞ、これ」
そんなやり取りをしながらも、息はぴったり。
片方が左右を掃除し、片方が正面のボスを一気に焼き尽くす。
派手に爆発するボスの残骸に、ふたりして「おぉー!」と歓声を上げる。
「いやあ、マジでスカッとするなこれ」
「でしょ?16ビットなめんなって感じ」
ゲームの中の戦場で、言えなかった文句も、うまくいかなかった料理の悔しさも、
全部まとめて爆発と一緒に吹っ飛ばしてくれるようだった。
炊き上がった土鍋ごはんの蓋を開けた瞬間、違和感が広がった。
「……あれ、焦げてない?」
「うわ、ほんとだ。黒い……なんで?先生の言った通りにやったよな?」
「米の種類か?いや、火加減か?土鍋のせい?」
三人で頭をひねりながら、焦げついた底を覗き込む。
あのとき、料理教室で作った完璧な定食がまるで夢だったかのよう。
何かがちょっとずれただけで、うまくいかないのが料理ってやつだ。
「俺たち、先生がいないとダメなのかもな……」
「うーん、また行くか。リベンジだ」
「癖つよおじさんたちがいないことを祈ってな」
ふと、さっきの魂斗羅スピリッツの高火力を思い出す。
あの爆発の熱が土鍋に乗り移ったんじゃないか、と思えるくらいの焦げ具合だった。
けれど、そのおこげを口に運ぶと……意外とうまい。ちょっと香ばしくて、クセになる。
そう、料理は失敗しても美味しいことがある。
三人の中に、またひとつ火が灯る。料理男子への道は、まだまだこれからだ。