第九話 7
西部墓地を後にした後、僕は、クフ王のピラミッドの前に佇み、二十年前にここを豊子と隼の三人で訪れた時のことを思い出していた。豊子と隼は、一緒に一頭のラクダの背に揺られ、僕に向かって手を振っていた。
僕と豊子は、勿論、クフ王のピラミッドには何度も訪れたことがあったが、隼が五歳の誕生日を迎えたことで、彼を初めてエジプトに連れて来たのだった。彼の目には、巨大なクフ王の大ピラミッドやスフィンクスが、どのように映っていたのだろうか? とにかく、いつもより隼は酷く興奮していたのを覚えている。
「ねぇ、パパ、どうやってこんな大きなものを作ったの? 昔のエジプト人は力が強かったの?」
「いや、昔の人も今の人も、体の大きさや力はそんなに変わらないよ。そうだな。どうやって作ったんだろうな。でも、昔は、ナイル川が氾濫してピラミッドの近くまで水が来ていたそうだから、おそらく水を利用して石を運んだんだろうな」
「ふーん」
「でも、滅茶苦茶頑張って作ったのは間違いないよ」
「そうだろうね」
そんな彼との会話を懐かしく思い出していた。そして、僕は、あの時、隼に見せるために、三人で周った遺跡をもう一度同じように周ろうとしていた。気付けば、僕は、飛行機に乗り、アブ・シンベルに向かっていた。かの有名なアブシンベル神殿を訪れるためだった。
アブシンベル神殿に到着したのは、昼前だった。あの頃と同じく、神殿は観光客で溢れかえっていた。アブシンベル神殿の入り口に佇む大きな四体の像の前で、隼人は「うわー! パパ! 僕が持ってる本と同じだよ!」と興奮していた。
この神殿は、三二〇〇年前に、第十九王朝ラムセス二世が建てたもので、ラムセス二世は古代エジプトで最も繁栄を極めたファラオである。数多の戦いに勝利し、宮殿や神殿、彫像など、大がかりな建設事業や公共事業を行った偉大な王だった。長身で九十歳まで生きたという逸話もある。アブシンベル神殿は、大神殿と小神殿からなり、大神殿は太陽神ラーを、小神殿は女神ハトホルを祭神としている。
アブシンベル大神殿の入り口に座する四体の像は、すべてラムセス二世である。真ん中にいるのが、ラー神とホルス神が一体となったラー・ホルアクティで、入口の両側のラムセス二世の足元にいる女性の像がネフェルタリ王妃、その脇にいるのは子供達である。アスワン・ハイ・ダムの建設のために、この神殿は高台に移設され、現在では一日後にずれてしまってはいるが、移設前までは、十月二十二日と二月二十二日の年に二回だけ、太陽の光が神殿の内部まで届き、奥の四体の像の内、冥界の神プタハを除いた三体を照らすようになっていた。四体の像とは、右から順に、ホルス神、二番目が本人、三番目がアメン神、四番目がプタハ神であるが、四体ともラムセス二世で、太陽の光が当たると、ラムセス二世が神に及ぶ力がもたらされると考えられていた。
アブシンベル小神殿は、入口の六体の立像の内、二体がラムセス二世で、四体がネフェルタリ王妃で、脇には子供達がいる。祭神のハトホルとは、愛と美の女神である。
「アブシンベル小神殿は、ラムセス二世が王妃のネフェルタリのために建設したもので、王妃のために神殿を建てたファラオはラムセス二世しかいないのよ」
そう豊子が隼に一生懸命説明していたのを思い出し、僕はいつの間にか一人で微笑んでいた。