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第八話 7

 生徒達のレポートを読んでいるところへ、来客を知らせる玄関の呼び鈴が鳴り、僕は玄関に向かった。扉を開けると、そこに立っていたのは、小早川愛と隼人だった。意外な人物の組み合わせに驚いた。


「先生、ただいま!」

「ああ、お帰り」

 隼人は帰って来るなり、リビングに元気よく駆け込んで行った。


「緑川先生、お久しぶりです」

「そうだね、久しぶりだね。しかし、どうして君が隼人と一緒だったんだ?」

「私は美豊ちゃんのマネージャーですから」

「そういえば、そんなことを言ってたな」

「美豊ちゃんに隼人君を預かって欲しいと頼まれたんですよ」

「それはまた、どうして?」

「さぁ? 今日は、会いに行かなくちゃいけない人が二人もいるから預かって欲しい、と言ってました」

「誰に会いに行ったんだ?」

「それが私も聞いてないんです」

「今日は、休みの日でもないのに、私に無断で欠勤したってことだな」

「あのぉ、ちょっとお訊きしますけど、美豊ちゃんて、今まで無断でどこかに行ったり、仕事をさぼったりしたことがあるんですか?」

「い、いや、……な、ないかな」

「そうですか。じゃあ、今日は突発的に何か用事が出来たってことかもしれないじゃないですか」

「まぁ、そ、そうだな」

「緑川先生、美豊ちゃんが先生のところで働きだして、確か今日でちょうど半年ですよね?」

「ああ、そうかな。半年経ったかもしれない」

「じゃあ、美豊ちゃんはフルタイム勤務だから、今日から有給休暇が発生したことになります。有給休暇にすればいいんじゃないですか?」

「はぁ?」

「有給休暇の取得は、二〇一九年四月の働き方改革関連法の施行により、年五日以上取得させることが義務付けられています。この義務は、年十日以上有給休暇が付与される従業員に適用されます。有給休暇の取得義務に違反した場合、雇い主は労働基準法違反となり、一人あたり三十万円以下の罰金や六ヶ月以下の懲役が科される可能性があります。つまり、自分が雇用主であるという自覚がなく、従業員に有給休暇を取得させなければならないなんて、これっぽっちも考えたことがない先生は、労働基準法に抵触し、罰金や懲役が科される可能性があるってことです!」

 小早川愛がそう言った途端、僕は彼女の顔を睨みつけた。


「だから、どうしろって言うんだよ」

「美豊ちゃんが帰ってきたら、『今日の分は、有給休暇にしておいたからね』と言えばいいだけです」

「ああ、そうですか」

「それにですね、美豊ちゃんて、朝六時に起きて、朝ご飯を作り、その後、掃除洗濯、広い屋敷や広い庭の掃除、昼食作りは除くとして、夕飯を作って、その後、洗い物をしてお風呂も沸かし、家事が全部終わるのは夜の八時頃ですよね?」

「まぁ、そうだな」

「じゃあ、自分の昼食作りと昼休憩の二時間を除いても、十二時間も労働してるってことじゃないですか? 四時間も超過勤務していたら、普通は残業代を支払うのが当然なんですよ。緑川先生、そこんとこ、分かってるんですか?」

「え……」

「全然、分かってないですよね?」

「うっ……」

「普通の人は、いつもいる人間がいなかったら、何かあったのかと心配するもんなんですよ。でも、先生は、さっき、無断欠勤とか言ってましたよね? 『どの口が言う!』ですよ」

「……」

「でもね、先生、私、この間、結構感動したんですよ。だって、あれから、美豊ちゃんの健康保険や年金手帳や住民票の手続きとか、みんなやってあげたんですよね? しかも、携帯まで買ってあげただなんて、なんて親切なんだろうって思いました」


 小早川愛がそう言ったので、僕は少し照れて、「そうかな」と言った。


「小早川さん、美豊が歌舞伎町で売春をやってたって知ってるだろう?」

「あ、はい……、そうですね……」

「母親なのに、どうしてそんなことをするんだと僕も最初は疑問に思ってたんだ。でも、君に言われて、気付いたんだよ。どうしようもなかったんだって」

「そうですね……」

「あの公園に立っている女の子達の中には、切羽詰まって立ってる子もいると思うんだ。何が困ってるかと言うと、美豊と一緒だよ。住民票がないから住所不定で、定職に就けない。一番困ってることは、住むところがないってことだと思うんだ。だから、君の会社みたいな企業が、あの公園に行って、あの子達をスカウトして欲しいんだ。君の会社だけじゃない。社員寮はあるが、人手が足りなくて困っている会社の社長は、あの子達を救うためにも、是非そうして欲しいって思うよ」


 僕がそう言うと、小早川愛は、僕の顔を無言でじっと見ていた。そして、しばらくしていきなり叫んだ。


「先生! 私も先生の考えに賛成です! 上司にもかけあってみます! 先生がこんなに立派で良い人だったなんて感激です!」

「い、いや、そうでもないよ……」

「そうですよね。だって、先生って、この間まで、バッサバッサ簡単に人の首を切る血も涙もない人間でしたからね。人間、死ぬまで成長ですね」


 僕は、その言葉を聞いてむくれた。


「じゃあ、私の任務は完了しましたから帰ります。さようなら」


 小早川愛は、そう言うと、玄関のドアをガチャンと閉めて帰って行った。

 全く、小早川愛だけは、いつまで経っても馬が合わないヤツだなと思う。しかし、今日は一歩前進したかなと思った。



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