第一話 8
大学四年になったと同時に、卒業論文のテーマを決め、そのテーマに則した詳しい助言をしてくれると思われる教師のゼミに所属することは、どこの大学のどの生徒でもやっていることだと思うが、僕のゼミは僕の独断で十人という定員を設けており、早い時点で十人集まってしまったので、早速親睦会を開くことになった。
エジプト考古学の権威である白鳥作治郎名誉教授の息子であり、発掘調査に役立つ人工衛星や電磁波地中レーダーを開発しているということで、時雄も約十年前から恒例行事のように僕のゼミの親睦会に参加することになっている。実際、時雄の授業は人気があり、考古学コースのほとんどの生徒が、一般教養で彼の授業を選択した。生徒の話によると、人工衛星の画像は、日本にいながら世界中を旅行しているような気分になるし、他人のプライベートを覗き見しているようで面白いのだそうである。悪趣味だがその気持ちは、僕も理解できないでもない。とにかく、生徒達は、親睦会に時雄が参加することを楽しみにしていたし、実際、盛況のうちに一次会が終わった。
「しかし、なんで今回は歌舞伎町にしたんだよ」
今年の親睦会の幹事は自分にやらせてくれと時雄が言ったので、別に反対する理由もなかったので「いいよ」と言ったら、毎年、訪れていた大学の近くの居酒屋ではなく、歌舞伎町に連れて来られたのだった。
「親父のエジプトでの発掘作業を手伝ってくれていたムハンマドが、東京でエジプト料理の店を開きたいと言ってたから、どこで開くんだろう?と思ってたら、まさかの歌舞伎町だったわけよ。ムハンマドに『日本一の繁華街ってどこ?』と訊かれて、親父は『歌舞伎町』と答えたらしい」
「うわー、ほんとか……。こんな混沌とした街でやっていくなんて度胸あるわ」
「でも、味は良かっただろ?」
「うん、まぁな。学生達も喜んでたし」
「やっぱり、普通の居酒屋より、エジプト料理にするべきだろ」
「まぁ、そうだな。で、次はどこへ向かってるんだ?」
「新大久保。ムハンマドの友達のハッサンが、新大久保でカフェをやってるから行ってやってくれ、だって。ここから近いから、歩けばいいよ」
ということで、中年二人が若者十人を引率しながら歩いていたのだが、前方に若い女子がうじゃうじゃいる公園に突き当たってしまった。
「やばっ! この道を通るんじゃなかった! でも、この公園のすぐ向こうにカフェがあるんだけどな」
時雄がそう言ったので僕は、「強面のおっさん達じゃなくて、女子が大勢いるだけだから、別に危険じゃないだろ。さっと通り過ぎればいいよ」と何も考えずに言った。時雄も「そうだな」と言っただけだった。だから、さっさと通り過ぎようとしたのに、あろうことか、その若い女子の一人に僕は声を掛けられてしまった。
「おじさん! 一万五千でどう?」
「はぁ?」
「私、普段は二万なんだけど、特別に一万五千にしてあげてもいいよ」
そう声を掛けられて、突然、頭が真っ白になった。自分は物欲しそうに見えたってことなんだろうか? しかも教え子たちの前で、こんな恥をかかされるなんて夢にも思わなかった! 気付けば彼女に向かって叫んでいた。
「君は何を言ってるんだ? この公園の前を歩いている男が全員女を買いたいと思ってると思うな! 俺はここには用はないんだよ! この先に用があるからここを通っただけだ! まったく汚らわしい!」
そこまで叫んだら、時雄が慌てて僕の口を手で塞いだ。気が付けば、生徒達はともかく、そこら中の人間がこちらに注目していた。僕に罵声を浴びせられた女子は、しばらくの間、半泣きになって僕を睨んでいたが、くるっと踵を返すとすぐにどこかに消えてしまった。少しだけ心が痛んだが、知ったこっちゃない。金が欲しければ、まともな商売でまともに働けばいいだけだ。楽して金を稼ごうだなんて思うから、世の中がおかしくなるのだ。
ハッサンのカフェで、ハッサンにそう大声で説教していたら
「僕もその通りだと思います。先生の言うことは正しいです。だから、僕はカフェをやってます」
となだめられて、やっと頭がクールダウンした。
時雄は僕を見て、「やれやれ」とため息を吐いた。