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第一話 6

 蘇生介が授業を行うため大学に向かった後、荘子は一人屋敷に残り、リビングに置かれてある小さな仏壇を眺めていた。そこに、蘇生介の妻の豊子と息子の隼の位牌があった。写真立ての二人は、満面の笑みでこちらを見つめている。荘子は、ふと、本当に二人は亡くなったのだろうか、何か事情があって、今でもどこかで生きているんじゃないかと思った。


 豊子は兄の妻であり、兄が大学時代に在籍していた考古学コースの三つ下の後輩であると同時に、荘子の大学時代からの親友でもある。荘子は海が好きだったこともあり、「釣りクラブ」というただひたすら釣りを楽しむというへんてこな同好会に所属していた。そこで知り合ったのが豊子だった。豊子は「ナイル川でのんびり釣りをするのが私の夢」と荘子に語った。変わり者同士の二人は、すぐに意気投合した。


 荘子は、ドイツ文学コースに所属し、考古学とはまるで関係のない学生生活を送っていた。しかし、荘子の祖母や兄が古代エジプト文明にまつわる骨董品の蒐集マニアだということを豊子が知った途端、遠慮がちではあるものの、好奇心に目を輝かせながら、彼女はしょっちゅう緑川家を訪れるようになった。

 しかし、それがきっかけで兄と付き合うようになったわけではない。美人で才能のある豊子は、兄にとっては高嶺の花だったらしく、顔を合わせても挨拶程度の言葉しか交わさず、豊子は兄よりも祖母と親密な仲になった。祖母は、いつも、豊子に自分がイギリスに留学していた頃の話を聞かせた。


「元々考古学好きではあったと思うけれど、その頃の私は、自分がこんなにエジプト文明にはまると思ってなかったの。どこかの国に留学したいとは思っていたのよ。だから、イギリスだったら英語も上達するだろうから、いいかなと思ってイギリスを選んだだけだった。

 イギリスに行ったら、真っ先に行くべきところは、やっぱり大英博物館だと思って行ってみたら、もう本当に面白かったの。一番有名なのはロゼッタストーンだと思うけれど、同じ内容のものが、聖刻文字のヒエログリフと民衆文字のデモテックと古代ギリシャ文字で書かれていて、ロゼッタストーンが発見されたから、古代エジプト語の解読が可能になったの。後にイスラム教が入って来て、現在のエジプトはアラビア語を使ってるからね。だから、凄い発見だったのだと思うし、なんだか本当にワクワクしたわ。

 その他に気になったのは、やっぱりミイラや死者の書。どうしてだか、エジプト文明が気になって仕方がなかったから、毎週のように博物館に見に行っていたの。そしたら、私と同じような人がいて、友達になっちゃったのよ。だって、毎週、同じ場所で同じ時間に顔を合わすんだもの。どうやったって仲良くなるわよね。『また会いましたね、お嬢さん』と彼は笑ってたわ」

「もしかして、その方が荘子ちゃんのお祖父さんですか? 彼女、イギリス人のクウォーターだと言ってたので」

「あら、正解! そうなの、その人が荘子のお祖父ちゃんなの」

「へぇー、ロマンティックですねぇ」

「そうかもしれないわね。でも、この話は豊子ちゃんの胸に留めておいてくれる? お祖父ちゃんの話をすることを、息子に禁止されてるのよ。私が未婚の母だったものだから、自分の父親に対してあまり良い感情を持ってないの。だから、息子はイギリスもエジプトも嫌いなの」

「そうなんですか……」


 豊子が訪れると、祖母と豊子は毎回こんな会話を繰り返した。荘子にとっては祖母から既に聞かされている話ばかりだったので、「また同じことを言ってるわ」と思いながらも、二人の楽しそうなお喋りを微笑ましく見守っていた。こんな風に、荘子と豊子の学生時代はあっという間に過ぎ去った。

 しかし、肝心の蘇生介は、豊子の人生にはまだ登場して来ない。蘇生介が豊子の人生に深く関わるようになったのは、それから数年先のことで、豊子が考古学コースの講師として大学で働き始めた頃である。蘇生介は、すでに豊子の先輩講師として大学で働いており、蘇生介が豊子の指導担当になれと白鳥作治郎教授から指名されたせいで、否が応でも毎日顔を合わせることになった。


「結局、運命から逃げれば逃げるほど追いかけられるってことよ」

「だまれ」

「もたもたしてたら、他の人に取られちゃうわよ。時雄君の友達の坂本君が狙ってたし」

「……」

「でもさ、兄貴は彼より有利なんじゃない? だって、毎日顔を合わせてるんだから。今、兄貴の頭上で幸運の女神が微笑んでるんだよ。勇気を出してぶち当たれ! 砕けたらさっと身を引け! 女はモジモジしてる男より、男らしい人のほうが好きなの! そんくらい知っといて欲しいわ」 


 荘子がそう言うと、蘇生介は苦虫を潰したような表情になったが、翌日、豊子から連絡があり、「蘇生介さんと付き合うことになったの。ヨロシクね!」と言われ、荘子は、兄貴の七年越しの片思いがやっと実ったか、全く世話が焼けるヤツだわとほくそ笑んだ。


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