第六話 3
週末になり、荘子と時雄は、機上の人になっていた。昨日の夕方、飛行機のチケットを手に帰宅した荘子は、「パパ、今から行くわよ! 急いで準備して!」と騒ぎ立て、時雄は有無を言わさず、真夜中に飛行機に乗せられていたのだった。行先は、インドネシアのバリ島だった。
「だから、君はやることがいつも急なんだよ。勘弁してくれよ」
「いいじゃない。パパだって、たまには海外でのんびりしたいって言ってたでしょ」
「それは、そうだけど」
「あ、それとね、詩織もインドネシアに来るって」
「そうか!」
「彼氏と一緒にね」
「なーんだ」
「なーんだ、とは何よ。娘に執着するのも大概にしないと猛さんみたいになるわよ」
「それだけはごめんだ」
「そうでしょうよ」
「でも、どうしてまた急に、インドネシアに行こうと思ったんだよ」
「もう一度、バリアンに会いに行こうと思ったのよ。猛さんのことを思い出したら恐くなったから。猛さんが兄貴に何かしようとしてるんじゃないか、訊こうと思ってるの」
「そうか……」
そんな話をしながら、結局一睡もできずに、デンパサール国際空港に降り立った時雄は、荘子に促されてすぐにタクシーに乗り込み、空港から近いリゾートホテルにチェックインして、荷物だけを部屋に放り込むと、すぐにまたタクシーに乗って、バリアンが待つウブド近郊へと急いだ。
その村は、ウブドから少し東へ行ったところにあった。サリおばさんと呼ばれるその人は、時雄がイメージしていたインドネシアの暮らしとは正反対の文化的な暮らしをしていた。白壁の大きな窓から心地よい風が吹き抜ける開放的なリビングに、荘子と時雄を案内してくれた。サリおばさんは、高齢ということもあり、最近ではバリアンの仕事もごく近しい人の案件しか受けていないと言った。
「荘子、また会えて嬉しいわ」
「私も会えて嬉しいです。急にお訪ねしてごめんなさい」
「平気よ。あなたがまた来る予感がしていたから、準備はできていたの」
「そうなんですか。それなら良かったです」
「この男性は、あなたの旦那さん?」
「ええ、そうなんです。時雄と言います」
「はじめまして。荘子がお世話になっています」
「はじめまして。よく来てくれました。お会いできて嬉しいわ」
サリおばさんは、時雄にそう言うと荘子に向き直り、「この方は、とても優しくて勇敢な方ね」と言った。
「あら! その通りです! サリおばさんは、やっぱりなんでもご存じなんですね。昔、私がピンチに陥った時、時雄に助けられたんです!」
「やっぱり! 今日はそのことで私に会いに来たんでしょ?」
「そうです! 私をピンチに陥れた人が、今度は兄を陥れようとしているのではないかと思って、相談に来ました」
「東の国で二人の人間が争う。それを止められるのはイシスだけ」
「そうです。そのことをもう一度訊きたかったんです。二人の人間とは、兄と猛という人ではないですか?」
「そうね。そうだと思うけれど、ちょっと、待っててね。声を聞いてみるわ」
サリおばさんは、しばらくの間、瞑想していたが、やがてカッと目を開けると、静かに喋り始めた。
「この二人は、時雄にも関係している二人だと言っている。一人は、時雄の友達。そしてもう一人は、時雄のお父さんを邪魔する人」
「やっぱり! じゃあ、イシスは誰なんですか?」
「聞いてみたけれど、分からないと言っているわ。イシスを探せないと言っているの」
「そうなんですか……」
「イシスは、亡くなったということなんですか?」
時雄が口を挟んだ。
「そうね、そうとも取れるわ」
荘子と時雄は、東の国の二人が蘇生介と猛だと分かってほっとしたものの、肝心のイシスが亡くなった豊子なのではないかと思い、困惑した。
「でも、安心しなさい。イシスは、再び現れて必ず争いを止めると言ってるの」
「えっ? 再び現れるんですか!」
「そう。だから心配ないと言っている。だけど、荘子。お兄さんに十分注意しなさいと伝えてね」
「はい、分かりました。ありがとうございます!」
そう会話して、二人はサリおばさんの家を後にした。