第五話 11
「ねぇ、先生、これってエジプトの文字なの?」
隼人は、僕が隼の部屋から持ってきた児童向けの本を僕と一緒に読んでいた。その本に書かれていたヒエログリフを見ながら、隼人は僕に聞いたのだった。
「そうだよ。ヒエログリフというんだ」
「この鳥も?」
「うん」
「へぇー、面白い!」
「アルファベットを覚えたら、ヒエログリフを覚えるのも早いと思うけど、隼人は、まずひらがなから覚えなきゃな」
「アルファベットって英語?」
「うん、まぁ、そう」
「ひらがなは、大体分かるよ」
「へぇ、凄いな」
「でも、読めるけど書けない」
「じゃあ、今度練習してみるか」
「うん! ばんざーい!」
そう言いながら、隼人は座っていたソファーから飛び降り、辺りを走り回ったが、彼の顔が異常に赤いことに僕は気付いた。しかも、いつもより足取りがフラフラしている。
僕は隼人に近寄り、額に手を当てた。やはり、熱い。絶対、熱が出ているに違いないと思い、体温計で計ったら、三十八度七分もあった。僕は慌てた。
「おい! 熱があるじゃないか! 今から、病院に行くぞ! 支度ができるまでソファーで寝てなさい!」
僕がそう言うと、隼人はソファーに寝転んで、すぐに目を閉じて寝てしまった。僕は、隼人の寝室から毛布を持ち出すと、彼にかけてやった。
慌てて、小早川愛に電話を架けた。
「はい、東京トータルケアサポートの小早川愛です」
「あ、小早川さん、緑川です。一条さんはそこにいますか?」
「はい、いますけど、何かありましたか?」
「隼人が熱を出しているんだ。彼女の健康保険証は、どこにあるのか聞いて貰えないかな。今から病院へ行ってくる」
「持ってないです。住民票もないし、国民年金も払ってないです」
「はぁあああ? じゃあ、どうすればいいんだ? 病院へ行けないじゃないか! 熱が三十八度七分もあるんだぞ!」
「病院へは行けるでしょ。全額負担で治療費を払えばいいんですから」
「そんなことは分かっている!」
「とにかく、彼女はあの若さで大変な人生を歩んできたってことです」
「はぁ……、だから今時携帯も持っていなかったのか……」
「ええ」
「今まで、どうやって生きてきたんだ?」
「それはもう、自分の持ち物を売ったり、近所の人の店を手伝ったりしてきたそうです」
「長崎で?」
「はい」
「父親はどうしているんだ? 隼人には父親がいるだろう?」
「そりゃ、いるに決まってます」
「どうして、母親だけが子供を育てなきゃいけないんだ? 明らかに保護責任者遺棄罪じゃないか。バックレてる男を引きずり出して給料を奪い取ったり、法的に罰する制度があるべきじゃないか!」
「それは、私もそう思います! 断固そうするべきです! でも、彼女の元旦那がどこにいるのか分からないんです!」
「……世も末だ」
「同感です」
小早川愛と電話でそんな会話をした後、僕は隼人を毛布に包んで、近くの内科に連れて行った。やはり、インフルエンザにかかっていた。
勿論、治療費は、全額負担で自分が支払った。
翌日、ベッドで寝ている隼人の額に手を当ててみると、昨日のように熱はなく、体温計で計ったら、三十七度まで下がっていた。僕は、ほっと胸を撫でおろした。