第五話 7
隼の誕生日を祝うために、たくさんのご馳走が並んだ食卓を挟んで、荘子は豊子の兄である黒木猛に向かって、唾を飛ばしながらまくし立てていた。
「お兄さん、あなたは日本人ですよね? あなたのやってることは、売国奴も同然です! そんなことして恥ずかしくないんですかっ! オランダの大学にいるんだから、オランダのために役に立つことは良いことですよ! でも、わざわざ後出しジャンケンして横取りすることないでしょっ! 私は、売国奴とかそんな言葉を使うのは、本当はとっても嫌なんです! 国とか人種とか全然関係ないと思ってますから! どこの国の人であろうと良い人は良い人で、嫌なヤツは嫌なヤツなんです! あなたはその嫌なヤツなんですっ!」
「お嬢さん、あなたには関係ないことだろうと言いたいところだが、戸塚隊を率いている白鳥教授はあなたの義理の親だし、関係があるといえば関係あるみたいだね。でもね、あなたのその高尚な考え方が、誰にでも通用するとは限らないんですよ。私は、嫌なものは嫌なんです。ただ、それだけです」
「だから、受け入れないと?」
「そうです」
「断固妨害すると言うの?」
「そうだよ」
「あなたは、間違ってる! 妹が幸せになることがそんなに嫌なの? それが兄のすることなの? そんなの、愛じゃないわ! あなたが愛しているのは、妹じゃなくて自分じゃないの!」
荘子がそう言うと、猛は無言で荘子を睨みつけた。これほど如実に敵意と憎悪をむき出しにした顔を見たことがないと荘子は思った。
「俺は、豊子じゃなく、アイツが幸せになるのが嫌なんだ!」
「違うわ! うちの兄じゃなくて、誰が豊ちゃんの旦那さんになったって、あなたは憎いんでしょっ!」
荘子がそう言うと、しばらくの間、膠着状態に陥った。すぐ傍で、豊子と隼が硬直している。荘子はそれを見て、後悔し始めていた。いくらなんでも、この二人の身内である人に、自分は言い過ぎたと思った。
でも、嫉妬というのは、この世で一番醜い人間の感情であると同時に、一番やっかいなものでもある。湧き上がらないようにコントロールできないものだからである。しかし、感情の大きさは、人によって違うものであるだろうし、それを猛のようにストレートに爆発させる人間も珍しい部類だろうと思う。けれども、荘子は、何故自分の愛する人の喜びを自分の喜びとできないのか、それができないのは間違っていると声を大にして言いたかった。
そんなことを考えていたのに、荘子は、急に猛烈な吐き気に襲われた。妊娠していなければ、その匂いにうっとりしていただろうに、今の自分には拷問でしかないような匂いが漂ってきたからだった。黒木猛の屋敷の料理人が、焼き立てのステーキを持って現れたのだった。
荘子は、慌てて手で口を押え、走り寄って窓を開け、外に向かって盛大に吐いてしまった。
「荘子! 大丈夫!」
豊子は荘子に駆け寄って、荘子の背中を摩った。
「ごめんね、豊ちゃん。私、お兄さんと穏やかに話し合いをしようと思ってた。こんな筈じゃなかった……。隼の前で、嫌なことをしちゃった……」
「ううん、荘子は何も間違ってない。ありがとう」
豊子は、隼を抱き上げ、隼の手を手に取り、隼の手で荘子の頭を撫でた。
猛は、二人を睨みつけながら、会話を聞いていたが、「とにかく、話し合いはまだ終わっていない。豊子、今日は泊まっていきなさい」と言った。すると、荘子は「じゃあ、私も泊まらせてください」と猛を睨み返して言った。
猛の屋敷の執事である森村は、豊子と隼と荘子を地下の客室に案内しようとしていた。
「森村さん、客室は二階じゃなかった? 地下に作ったの?」
執事の森村の行動を訝った豊子は、森村に訊いた。
「ええ、猛様が、有事の時のために、新たに作られたんです」
「そうだったの」
そんな会話をしながら、階段を降り、豊子と隼と荘子が地下の客室に入った途端、森村は突然大きな声で、「お嬢様、申し訳ありません! お許しください!」と叫び、分厚いドアを閉め、ガチャンと鍵をかけた。
「ちょっとっ! どういうことっ!」
そう叫びながら、荘子はドアノブに手をかけて押したが、びくともしなかった。豊子も隼もドアを叩きながら「開けて!」と叫んでいる横で、荘子は時雄に電話をかけようと鞄の中から携帯を取り出したが、電波が立っておらず、携帯が使えなかった。どうやら、この部屋は本当にシェルターのような構造になっているようだった。