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第一話 5

 僕が白鳥親子とそんな会話をしていた頃、若干二十歳のおのぼりさん、一条美豊(いちじょうみとよ)という女性が、新宿歌舞伎町界隈を彷徨っていた。彼女は、なけなしの金を握りしめ、長崎の田舎から東京へ出てきたばかりだった。


 上京した理由は、会いたい人がいるから。でも、探すのはおそらく大変だろうし、まず仕事に就いてからと思っていた。東京は人口が多いが、でもその分、求人も多いし、なんとかなるだろうと思っていたのに目算が外れた。三日前から、バイト募集の貼り紙を見かけるたびに応募しているのに、一件も受からない。コンビニ、ハンバーガー店、喫茶店、レストラン、居酒屋、ことごとく落とされた。三日間で通算二十件は落とされているので、もう慣れっこになりつつあるが、一番最初に受けたコンビニの面接で言われた店長の言葉には、流石に凹んだ。



「それで、長崎から出て来たんだって? 僕の母方の祖父ちゃんちが、福岡なんだよ。子供の頃、夏休みになるといつも福岡に行ってたなぁ。いや、九州はいいよねぇ。人もあったかいし。で、履歴書は? 持って来てるでしょ? 見せて」 

「え? リレキショって何ですか?」

「は? なに? 冗談で言ってるの?」

「冗談じゃありません。本気です」

「本気って、履歴書も知らないなんてあり得ない!」

「すみません、私、中学しか出ていないバカなんです。リレキショって何なのか教えて貰いますか?」

 半泣きになりながら、店長に訴えると、「ちょっと待ってて。店に売ってるから、取って来るわ」と言って、バックヤードから店内に消えた。美豊は、「リレキショってコンビニで売ってるもんなんだ」と不思議がっていたら、履歴書用紙を手に、店長が戻って来た。


「これ、売りものなんだけど、特別にアンタにあげるわ。さ、これに自分の履歴を書いて」

「リレキって、何を書けばいいんですか?」

「ほら、袋の中に例文があるでしょ? それを真似して自分の経歴を書けばいいんだよ。学歴とか職歴とか」


 美豊は、眉間に皺を寄せて、履歴書用紙と例文を交互に睨んでいた。

 名前くらいは書ける。電話はないから、「なし」でいいかな。でも、住所は? 長崎の住所を書けばいいの? だけど、実家はもう無くなってるし、借りてたアパートの住所は覚えてないし、施設の住所でいいのかな。ま、いっか、施設の住所を書けばいいや。

 そう思いながら、電話欄に「なし」と書き、バックパックの中からメモ帳を取り出して、施設の住所を書いていたら、それを見た店長が突然叫んだ。


「ちょっと、待って! 今時、携帯も持ってないの?」

「は、はい……」

「それに、これなに? 長崎じゃなくて東京の住所を書いてくれなきゃ困るよ! 病欠した時とか連絡しなきゃいけないこともあるでしょ。そういう時、どうするの? 携帯を持ってないんだったら、なおさらだよ。住民票のある東京の住所を書いて」

「ジュウミンヒョウって?」

「はぁ? もしかして住民票も知らない?」

「はい……。東京に出て来たばっかりで、今、ユースホステルに泊まってて住所がないんです。ユースホステルの住所で良ければ書きますけど」

「良いわけないでしょ! からかうのもいい加減にして」

「からかってなんかいません……」

「住民票も知らないんだったら、もしかして銀行の通帳も作ったことがないんだよね?」

「は、はい……」

「通帳がないんだったら、どうやって給料を振り込むんだよ! うちはれっきとした会社だし、給料は銀行振込って決まってるの。日雇いじゃないんだからさ。コンビニはみんなそうだよ」

「そうなんですか、知りませんでした……」

「まずね、東京の住所が決まったら、長崎の役所に連絡を取って、住民票の転出届を送って貰うんだよ。それを東京の役所に持って行って転入するの」


 何だか訳のわからない難しいことを言い出したなと美豊は思ったが、一応「はい」と素直に答えておいた。


「それが完了したら、住民票を持って銀行に行って通帳を作るの。住所不定で携帯も持ってないって、今までどうやって生きてきたのさ。まずは通帳を作ること。それがなきゃ、話は始まらない」

「じゃ、あのぉ、ということは、雇って貰えないってことなんですよね?」

「残念だけど、今の時点じゃ、僕の力ではどうすることもできないね。とにかく、働きたいのなら携帯と通帳は必須だよ。そんなの常識だから」

「ジョウシキですか……」


 どうして凹んだかというと、自分の無知さ加減に衝撃を受けたからである。私って本当にバカだったんだと今更ながらに思い知らされた。正社員だけじゃなくて、バイトでもこんなにクリアしなければならないことがいっぱいあるなんて、全然知らなかった。

 しかし、今考えたら、門前払いをせずに色々教えてくれただけでも、このコンビニの店長は良い人だったのかもしれないと思えた。


 さっきのメイド喫茶の店長なんて酷かった。必死で書いた履歴書をちらっと見ただけで、「ごめん、無理。うちは中卒は雇ってないの」と言って落とされた。

 メイドの仕事ってそんなに難しいことなのっ!と腹が立った。いや、本当は、あそこにいた女の子はみんな可愛くて、私だけが可愛くないってことだったのかもしれないけれど。


 やっぱり、ジュウミンヒョウとやらを何とか手に入れて、通帳を作らないと無理なのかな。

 でも、コンビニの店長が言ってたことで気になったことがあって、確か、「日雇いじゃないんだからさ」と言ってたんだよ。日雇いって、銀行振込じゃなくて、働いたその日に生で現金をくれるってことだよね? じゃあ、日雇いを探せばいいんじゃないの! 私って本当は頭良いんじゃないの!

 でも、女ができる日雇いってなんなんだろう? そんな仕事、この辺にあるのかなと思った。


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